旅行・地域

November 06, 2021

イカキングに会いたい

 久しぶりに更新。

 このブログは主に旅と外食をメインのネタとしているものなので、このご時世なかなか新たな記事をUPするのもはばかられ、ブログを放置する日々が長々と過ぎたのであるが、あまりに放置しすぎて管理人がコロナでくたばっていると思われるのもなんだし、それにようやくコロナの出口が見えてきたこともあって、今後のつまらぬ抱負を述べるがてら更新。

 それにしても、2020年の3月から一気に世界と社会が姿を変えたのは、多くの人と同様に人生初の経験であった。こういうことがグローバルに起きるのは偶発的大戦争とか破局的噴火くらいであろうと思っていたが、この医療の進んだ時代に、パンデミックが生じるとはまさに青天の霹靂であり、まあ世の中何が起きるかわからないという当たり前の真理をこの時代に思い知ってしまった。

 コロナの蔓延により社会規律も変わり、私の職場だって新たな対応を進めていたのであるが、誰もが初めて経験することであって、それは手探り状態で進めざるをえず、昨年の4月から5月にかけては仕事がまったくなくなり、社会人になってこれほど暇で楽な日々を過ごしたことはなかった。それでも給与所得者としては給料は普通に出るわけで、「これぞ給料泥棒」となんとなく職場に悪いなあなどと思ってはいたが、そのうちコロナに対応する新たな仕事が次々と生じ、ひどいときはてんてこ舞い状態になり、なるほどやはりトータルではまったく楽できない、人生は勘定は合うようになっているんだなと、「人生万事塞翁が馬」とか「禍福は糾える縄の如し」とか「天網恢恢疎にして漏らさず」とかいう諺を頭に浮かべつつ仕事をしながら今にいたる。

 コロナのせいで仕事も変化したが、生活も変わり、私のようなどこそこにすぐ出かけたがる人間にとっては窮屈な日々だったけど、それでも感染の波の合間を縫って、ちょこちょこと遠出はしていた。自粛、自粛で気がめいるなか、たまに出かけて見る珍しい光景というものは、やはりなによりも精神のリフレッシュになり、心身の健康にとても良いものであったと、あらためて思う。

 その旅で、見つけたいくつかの不思議物件を紹介してみよう。

 【土偶駅@木造駅】

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 青森はJR五能線の木造駅。この駅舎の外壁に遮光器土偶が飾られている。土偶があまりに巨大すぎて、遠目には土偶が駅そのものに見えてくる。その怪異な姿は日本の駅舎のなかでも唯一無二のものであって、ローカル線の無人駅なのに、これを目当てに多くの観光客が訪れるという。
 さすがにこれのみ目当てで青森に訪れたわけではないが、それでもこの普通の町に、違和感たっぷりにその存在をアピールする巨大土偶を見たとき、「ああ、これはやはり一度はナマで見るべきものであった」と、己のサーチ能力に感心しつつ満足した。 
 なおこの土偶、ただの飾りではなく、実用的能力も持つ。土偶の細い目は、列車が近づいたときピカピカと光り、人々に列車の到来を知らせるそうで、きちんと世の役に立つ働きものなのである。

【カニ爪オブジェ@紋別町】

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 北海道はオホーツク海に臨む紋別町。その海浜に高さ12mの巨大なカニの爪が聳えている。広々とした海浜公園で、ニョキっと空に爪を立てる、この大きなオブジェは、その巨大さと鋭さで、紋別がズワイガニの名産地であることを知らせる、というよりも、もっと激しい役割を感じさせる。
 オホーツクの荒れた海を前に、毅然と屹立する巨大なカニ爪は、厳しい北海の大自然に真っ向から立ち向かう、北海道防衛隊最前線隊長といった勇敢さを感じ、観る者の精神に高揚感を与えてくれる。
 なお、このカニ爪オブジェはかつての芸術祭の時に作られたものであり、以前は他にもいくつか北の海を表すオブジェが設置されていたのだが、それらは北海の厳しい気候に耐え切れず老朽化して除去されてしまい、今ではこの頑強な勇士、カニ爪のみ残っている。

【礼文岳@礼文島】

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 北海道、花の島として有名な礼文島の最高峰「礼文岳」。礼文島を登山目当てに訪れる人はあんまり居ず、私も登山目的で訪れたわけではないものの、そこに山があるからにはとりあえず登ってみよう、とカジュアル靴のまま登ってみた。
 標高490mの山なのであっさりと山頂には着いたが、この山頂、あるはずのないものがある。それは山頂標柱の奥にあるハイマツであり、この植物は本州では高山でしか見ることはない。それも森林限界を突破した2500mくらいの高さから現れ、これを見たことのある人はある程度気合の入った登山者のみという、けっこうレアな植物なのである。それが標高500mにも満たぬ低山に群生していることに驚いてしまった。
 結局はそれだけ北海道の自然が厳しいということであり、本州では2500mを越えないと体験できない寒気というものが、北海道では500m程度で現れてしまうということだ。じっさいに礼文島の冬の厳しさというものは相当なものであり、住む人々は冬のあいだはただ家に閉じこもっているしかないそう。

 

 今年経験した不思議物件、他にもいろいろあれど、とにかく世の中には実際に観ないと実感できないものは多く、やはり旅というものは大事だなあという結論。

 

【イカキング@石川県能登町】

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 そして今特に気になっている不思議物件は、能登町にある「イカキング」。
 イカキングはイカ漁の名所九十九湾のもと、「イカの駅つくモール」に設置された巨大イカオブジェである。
 この手の頭足網軟体動物の置物は、タコと相場が決まっておりイカは滅多にない。なぜならタコは造形が単純でまた安定性がよいので、公園に滑り台のたぐいなどでよく見ることができる。しかしそれに対してイカは形が流線形で、足も長2+短8の複雑な形をしており、作るにも設置するにも費用と手間暇がかかるからだ。ところが能登町は敢然と2500万円という大予算をかけてこの難プロジェクトを実施した。そしてその出来上がりの姿の写真をみると、なかなか躍動感ある、立派なオブジェに思える。
 その予算、コロナで疲弊した地方経済を支えるための政府からの補助金を利用したものであり、当初はイカの化け物に、コロナ対策用の巨額な費用を使うなんてという非難の声もあったそうだが、いざ完成すると、造形の良さもあって、人気の観光名所となり十分にペイできそうな状況。

  世には見たいもの、見るべきものが、たくさんある。
 まずは、年末年始、非常宣言等が出ていなかったら、能登まで行って、コロナの荒波を悠々と泳ぐイカキングの雄姿を見てみたい。

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December 29, 2019

ムンジュイックの丘から@バルセロナ

【バルセロナ風景©アイアムヒーロー】

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 上図はゾンビ漫画の名作、花沢健吾氏作のアイアムヒーローからの一頁。
 人類が謎の感染症によりほぼ全滅し、無人と化したバルセロナの街を偵察ゾンビが彷徨しているシーンで、バルセロナを最も美しくし俯瞰できる場所を訪れたところ。
 ここを訪れるためにバルセロナを訪れたわけではないのだが、滞在中のホテルがこの場所、ムンジュイックの丘、カタルーニャ美術館のテラスに近いところにあったため、ここをよく訪れることになった。
 そこで見た風景をいろいろ紹介してみる。

【マジカ噴水】

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 カタルーニャ美術館正面にあるマジカ噴水は、夜間にライトアップされる噴水ショーが有名。しかし私が訪れた時期は微妙にショーの時間がずれていたのか、水さえ出ている姿も見ることができず、ただの水たまりであった。

【バルセロナ風景】

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 階段をのぼりきってテラスに立つと、先に漫画で紹介したこのバルセロナの街の風景を望むことができる。
 バルセロナは狭い街なので、主要な建物はここでほぼ見ることができる。

【サグラダ・ファミリア教会遠景】

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 テラスを東側に移動すると、ぽつぽつ立つ高層建築のなかに、ひときわ異様な姿の建物が見える。これが今回のバルセロナ旅行の目的のサグラダ・ファミリア教会であろうが、遠景ゆえ確信はつかない。
 それでここに設置してある、1ユーロの有料双眼鏡で観てみる。

【サグラダ・ファミリア教会】

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 双眼鏡で見ると、間違いなくサグラダ・ファミリア教会であった。
 バルセロナで最も有名であり、世界的にも有名な教会であるが、ナマで観たのは今回が初めてであった。

【マジカ噴水工事風景?】

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 眺めを楽しんだのち階段を下って行くと、大きなクレーン車が入ってきて、なにやら作業していた。何かの工事かと思ったが、翌日その理由が分かった。

【スペイン広場大通り】

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 マジカ噴水からスペイン広場までの大通りは、ほぼ歩行者天国みたいになっている。
 この幅広い道がスペイン広場まで一直線に通じている。

【スペイン広場】

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 「スペイン広場」って、誰でもローマにあるものと思っているけど、本場のスペインにもあるのである。私も今回旅行プランを立てるときに初めて知った。
 スペイン広場は空港バスが最初に着くところだし、主要駅のサンツ駅も近くにあるので、交通にいろいろ便利だろうと思い、ホテルをここの近くにとってみた。
 しかし、バルセロナの観光名所はたいていカタルーニャ広場周辺にあるので、それらを訪れるときいちいちカタルーニャ広場まで歩いていくのが面倒で、今回はホテル選びに失敗してしまったと思った。もっとも交通の便はよい地なので、地下鉄使えば、すぐにカタルーニャ広場へは行けることに二日後に気付き、それからはすいすいとどこでも訪ねられるようになった。

【ムンジュイックの丘 夜景@12月30日】

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 昼間見たクレーン車は、その先に大きな照明球をぶらさげ、そこからレーザー光線を出して光を全方向に放っていた。そして噴水にもぐるりと照明装置を並べ、ここからも光線を放ち、バルセロナの夜の闇を裂いている。

【ムンジュイックの丘 夜景@12月30日】

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 これはテラス側から見たライトアップの光景。
 見上げる姿も良かったが、こうやって見下ろすと、バルセロナを照らす新たな太陽という感じがして面白い。

【ムンジュイックの丘 夜景@12月31日】

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 30日であれほどのライトアップをするのだから、ニューイヤーイブの31日にはもっと派手なライトアップをするのだろうなと期待して31日の深夜訪れたが、クレーン車、照明器具のたぐいは既に撤去され、これは定番らしい後光のような光がカタルーニャ美術館の裏から放たれているのみであった。
 普通は31日こそ本番だと思うのだが、どうもこちらの国の感覚はよく分からない。

【ムンジュイックの丘 夜明け@1月1日】

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 初日の出はムンジュイックの丘で拝もうと、夜明けの前に見晴らしのよいところに訪れた。正面が北なので、右側から日は登るはずである。 しかし私の方角感覚が微妙に間違っていたようで、日は丘のほうから登って来た。そのため、私のいるところにはなかなか日は当たらず、丘から外れた方向、バルセロナの市街地のほうに日が当たり始めた。写真では、バルセロナの高いビルの窓に日が当って、橙色に輝いている。

【ムンジュイックの丘 夜明け@1月1日】

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 やがてバルセロナの街北半分に日が当たり、風景全体も明るくなった。しかし私のいるところはいつまでたっても日の光は来ず、日の陰である。気分的にも白けてきたし、グエル公園の予約の時間も迫ってきてるしで、初日の出はあきらめ退散した。
 こうして私は2020年の初日の出ゲットを失敗したわけだが、「初日の出を見ようとするときは、きちんと方角と地形を確認しておくべし」という、来年への教訓を得たということでよしとしよう。

 

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July 14, 2019

信州旅行(2) 善光寺

 日本の有名な神社仏閣はだいたい訪れたことがある。
 といってそれは私が信心深いからというわけではなく、日本各地の名所って、たいていは神社、仏閣、城のたぐいなのであり、旅行ついでにそこに寄ることが多かったからである。

 しかしながら、長野市の善光寺は今まで訪れたことがなかった。
 長野の最大の観光名所であり、日本最古の仏像を有するこの有名な寺を何故訪れなかったかといえば、それは長野市が九州から訪れるのに不便なところにあり、行くのに気が進まなかったからだ。(同じ長野の松本市は、それよりは便利なので幾度も訪れたことがある。)

 けれども善光寺は、日本人は一度は訪れるベき寺とされている。
 それは善光寺は、本堂のお戒壇巡りをすると極楽浄土に行くことが約束される、というたいへん有難い寺だからである。
 私自身は、極楽浄土が存在しているとは思ってもいないが、もし万が一本当にそのようなものがあったとしたら、のちに極楽浄土の門の前に立ったとき、門番に「お前は善光寺に参っていないので入場はダメ」とか言われたら、さぞかし口惜しいだろうので、その万が一に備えて、やはり善光寺には行ってみようと思った次第。

【善光寺】

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 というわけでの善光寺。
 檜皮葺きの立派な屋根を持つ、巨大な本堂は国宝に指定されている。
 ここに日本最古の仏像が安置されており、その下を巡るお戒壇巡りへ出発。
 日本の寺では、真っ暗な回廊を巡る、このたぐいの戒壇巡り、胎内巡りはしばし見かけるが、善光寺においては、本堂の規模が大きいだけあって、回廊の距離も長く、まったく視界が利かない真の暗闇のなか手探りで歩いていると、そのうち平衡感覚がおかしくなり、宙をさまよっているかのような不思議な感覚が生じ、回廊を抜け明るいところで出ると、ああ日常の世界に戻ってきたのだと、ほっとする感じがした。
 かくして、とりあえずミッション終了。

【仁王門】

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 善光寺には名物は多かれど、その一つが仁王門の金剛力士像。
 著名な彫刻家によって造られた二体の像は迫力満点。

【牛】

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 善光寺といえば、牛がセットであるので、境内のどこかにそれがないかなと思っていたが、いくつか見つけた。
 これはそのうち最も分かりやすい、森永乳業贈呈のもの。この牛には名前があり、「善子さん」と「光子さん」というのが面白い。

【御祭礼 屋台巡業】

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 善光寺を訪れた日はちょうど祇園祭が行われていた。
 門前町が町ごとに屋台を出して、舞いを奉納するというもの。
 それぞれの屋台に特徴があり、みていて楽しかった。

【美ヶ原】

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 善光寺参りののちは、長野を代表する観光道路ビーナスラインへ。
 しかし梅雨の時期の長野は、雨は降っていないものの、標高の高いところはガスに覆われており、楽しみにしていた美ヶ原の眺めは、まったくダメであった。

【白樺湖】

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 白樺湖まで来ると、そろそろ本日の宿のある蓼原は近い。
 ビーナスラインは結局、ずっとガスのなかであり、なにも展望はなかった。
 また改めて長野に来なくては。

 

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July 13, 2019

信州旅行(1) 戸隠神社

【天手力男神(アメノタヂカラオ)】

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 宮崎県北高千穂の観光名所「天岩戸神社」は、日本の神話の最初のほうに登場する神社であり、この神社と対になる神社が長野にある。
 天岩戸神社の伝説では、弟の乱暴に憤った天照大神が岩屋に引きこもり岩戸を閉じてしまった。そうなると天照大神は日の神なので世の中が夜になってしまい、闇の世界に困った神々は相談して、なんとか天照大神がこの世に出てきてくれるように作戦を練り、まずは岩戸の前で大宴会を行った。岩屋のなかまで響くその馬鹿騒ぎが気になった天照大神が少し戸を開けると、その機を逃さず、天手力男神という力持ちの神がその戸をつかみ、長野まで放り投げてしまった。その戸が、長野の戸隠山であり、功労者の神である天手力男神がその山の麓の戸隠神社奥社に祀られている。

 この戸をぶん投げるシーンはドラマチックであり、高千穂神楽でも名シーンとなっていて、高千穂の町での神楽の絵や像では、このシーンを描いたものが採用されていることが多い。天岩戸神社に設置されている神楽の像も、それである。

 で、戸隠神社は宮崎県民としては一度は訪れてみるべき神社であったので、行ってみることにした。

【戸隠神社中宮】

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 戸隠神社は大きな神社5社からなる広大な神社であり、全部回っていると時間が足りないので、その中心である中宮からスタート。
 この神社は、天岩戸神社での神々の作戦時、戦略を考案した智恵の神天八意思兼命を祀っている。

【戸隠山】

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 中宮から歩道、車道を歩き、戸隠森林植園へ。ここから戸隠山を見ることができる。
 火成岩が崩落してギザギザの屏風型になった山である。
 天岩戸神社の近くには似たような山、根子岳があり、そっちが戸隠伝説の山となってもよさそうなものだが、まあ天手力男神がよほど力持ちであったと解釈しておこう。

【奥社鳥居から参道】

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 入り口の大鳥居からは約2kmに及ぶ参道がある。しばらくは大杉の立ち並ぶ真っ直ぐな道である。

【奥社参道杉並木】

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 山門を越えると、奥社の名物である杉並木が続く。赤い樹肌を持つ大杉が並び、いずれも樹齢400年を超える老杉。独特な厳かな雰囲気があり、この並木は長野県の天然記念物に指定されている。

【参道】

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 杉並木が終わってから参道は石畳の登り坂となる。

【戸隠神社奥社】

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 坂を登りおえ、奥社に到着。
 天手力男神は力の象徴であるから、スポーツの神としても知られており、参拝してアウトドアでの無事故を祈った。

【戸隠山登山口】

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 神社の手前には戸隠山への登山口がある。
 複雑な形をしていて登攀意欲をそそる山であるが、今回は何の道具も持ってきていないため、登山口を眺めるだけで終わった。

 私は長野では、北アルプスの名峰はほとんど登ったけど、こういう個性的な名山はまだ登っていない。いずれまた訪れたいものだ。

 

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July 07, 2019

御田祭@美郷町西郷区

 七夕の日、美郷町の有名な祭り「御田祭」に行ってきた。
 千年近い歴史を持つ田代神社の田植えの祭りであり、それは神社前の神田において、牛馬、人力を用いて整地を行い、そのあと田植えを行うという、機械化の進んだ現代ではもう行われなくなった伝統的田植えを神前にて行うという、希少価値ある祭りなのである。

【馬入れ】

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 いきなりクライマックスから紹介。
 大きな裸馬にまたがって、青年たちが神田を疾走。泥飛沫を上げながらの豪快な疾走。なお、鞍も鐙もない裸馬ゆえ、乗り手はしょっちゅう泥の中へと落馬して、かなり危険な行為ではある。

【牛入れ】

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 馬に続いては牛の神田入り。
 この牛たち、普段は農耕などしないだろうから、泥田に入るのを露骨に嫌がっていて、泥のなかに入れられると興奮状態になり、引き手たちの手綱を振り払い、逃げ回る。そして泥田のなかで暴れているぶんにはいいのだが、一匹が畔に乗り上げ、そこで向きを変え観光客に向かって突進してきた。それはまさに猪突猛進というべき勢いであり、そしてその観光客のなかに私もいたので、慌てて横に飛んで逃げて難を逃れた。
 それって、ほぼ間一髪のタイミングであり、カメラのファインダー覗いていたら、行動が遅れて間違いなく牛にぶつけられていたところであった。そうなるとただで済むわけもなく、病院送りは確実であり、あやうく宮日新聞に載ってしまうところであった。あぶない、あぶない。

【牛入れ】

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 というわけで、牛のほうはあまり整地に役立たず、引き手によって懸命に宥められていた。写真にするとのどかな風景であるが、内実はかなり緊張感あるのである。

【御輿入れ】

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 牛馬に引き続き、人の手でも整地を行う。
 青年たちが御輿をかついで神田を一周。そのあとは大暴れし、泥のかけあい。

【代掻き】

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 また馬の登場。今回は泥田のなかの疾走でなく、真っ当に農具を使っての整地。こういう時でないと今では滅多に見られぬ、犂を引いての代掻きである。

【田植え@早乙女】

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 整地が終わったのち、絣と編み笠姿の早乙女達によって、田植えが始まる。バックグランドには、催馬楽の囃子歌。

【田植え終了】

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 二列の早乙女達の列が離れていくにつれ、田植えも進んでいき、そしてほぼ終了。
 泥田が、一面稲苗の植わった田圃に変わった姿はなかなかに感動的。しかし、賑わっていた観光客は途中で飽きたのかほぼ帰ってしまい、がらーんとしているのは少々味気ない。

【早乙女meet巫女】

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 神事が全て終わり、足を洗いに行く早乙女たち。そこに巫女が通りかかり、互いに「かわいい~」と言い合う、ほほえましい風景。

 御田祭は普段見られぬものがふんだんに見られ、静も動も、いい被写体が多く、場内には高性能カメラを抱えたプロとアマチュアのカメラマンがたくさん居た。県外からも撮影目的で多くの人が訪れるそうだ。
 御田祭写真コンテストもあり、各所から送られた写真が後日順位を付けて発表されるそうである。
 私も突進してくる暴れ牛の近影を撮っていたら、それはずいぶんと迫力ある写真だろうから、いい順位を取れたかもしれないが、しかしそれは即私の病院送りを意味するわけで、そんな写真が撮れなくて幸いであった。

 こうして今年の御田祭は私に、「暴れ牛は怖い」という大事な教訓を与えて終わったのであった。

 

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June 15, 2019

令和記念登山:四王寺山@大宰府

 5月に元号が新しくなったのでそれを記念した登山をしようしようと思いつつ、ミヤマキリシマのほうに気をとられているうちに一月が過ぎた。このままだらだらしていると暑くなって登山シーズンから外れてしまうので、さっさと計画を立てることにする。
 令和といえば、大宰府がその所縁の地。大宰府の登山といえば、普通は宝満山ということになるのだが、令和発祥のコアの地は、梅園の宴を催した大伴旅人の住宅があったとされる坂本八幡宮である。坂本八幡宮は四王寺山の登山口に当たるので、四王寺山を登ることにしてみた。こういうことがないと、他県の者はあまり登る機会もない山でもあるし。

【大宰府駅】

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 四王寺山、まずは大宰府駅から出発。
 天気予報では終日雨とのことであったが、やはり小雨が降っている。とりあえずは雨具を装着して行ってみよう。

【市街地】

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 坂本八幡宮までは市街地のなかを歩く。
 大宰府目当ての観光客が多いなか、ザックかついで傘もささずに歩く私の姿はけっこう違和感があったと思う。

【大宰府政庁跡】

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 かつては朝廷の出向機関であり、九州全体を管轄する権限を持ち「遠の朝廷」と呼ばれた大宰府も、今ではほとんど何も残っていなくて、ただの更地が広がる。この奥に見える山が四王寺山であるが、大半はガスのなかだ。

【坂本八幡宮】

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 今回の目的の一つである坂本八幡宮。
 新元号令和のおかげで、観光客の多く訪れる地となっていて、近くの駐車場には大型バスが何台も入って来た。当然、参拝の長い行列ができていた。
 この神社、じつは大友旅人を祀っているわけでも、創立に大伴旅人が関与しているわけでもないのだが、1300年も前に、この地で令和の典拠となる梅園の宴が開かれたので、それを偲ぶべく人々が集っているのである。

 さて、ここから登山が始まるのだが、雨は相変わらず降っている。標高100m以上は雲のなかで見晴らしは利きそうにない。雨のずっと降るなか、景色も楽しめない登山はやる気がでない。それで四王寺山の山4つを巡る全周回コースは諦めて、3つを巡る短縮コースにした。

【岩屋城跡】

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 最初のピークは岩屋城跡。戦国時代の大友氏と薩摩氏の壮絶な戦いで知られている。そういう重要な戦いの場になるだけあって、大宰府を見渡す交通の要所に位置する山なのだが、あいにくの天気で、大宰府の地はぼんやりとしか見えない。

【大原山】

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 親水公園を経由して、大原山へ。今回ではここが一番高い所で、標高354mである。四王寺山は最高が410mの低い山なので、雨が降っていてもたいしたことない山だろうと思っていたが、雲のなかに入ると、風は強くなるし、雨は横殴りに降ってくるしで、寒いわ痛いわで、けっこうひどい目にあってしまった。やはり山というものは、天気次第で容易に牙をむく。なめてはいけません。なめたつもりはなかったんだけど。

【一番札所】

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 四王寺山は名前の通り、宗教的な山でもあり、三十三ヶ所の札所があり、それぞれに石仏が祀られている。
 ここは一番札所であるが、滝のそばで、神秘的趣のある地であった。

【大宰府天満宮】

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 下山して、大宰府最大の名所である天満宮にお参り。
 ここも大行列であった。元々、受験の神様ということで参拝客の多い神社であったけど、令和効果でさらに人が増したようだ。
 しかし、令和効果で四王寺山も登山客が増えそうなものだが、本日はあいにくの天気のせいか、他に登山者は誰も見ることはなかった。

【二日市温泉】

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 登山後は近くの二日市温泉へ。二日市温泉は古い歴史を持つ温泉であり、万葉集にこの地を詠んだ大友旅人の和歌が残っている。
 そして、四王寺山で寒い目にあった私にとって、ここの微かに硫黄漂う、保温力のある温泉は、極上ものの気持ちよさであった。

 

 ……………………………

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May 11, 2019

お好み焼き慈恩弘国@京都市 

 京都市東寺の近くに、「慈恩弘国」というお好み焼店がある。
 この店、愛読している奇食の館というブログで10年ほど前に見つけ気になっていたのだけど、なかなか訪れる機会がなく過ぎていた。今回京都滞在の際、夜の食事はどこに行くとも決めていなかったので、この店にしてみた。

【慈恩弘国】

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 店の名前は、弘法大師ゆかりの東寺のすぐ近くにあることから付けられたと、建て前上はなってはいるが、暖簾の紋章を見てわかるように、ガンダムのジオン公国のパロディである。
 店の設定としては、敗れてなくなったはずのジオン公国が、じつは地球の京都に残党が逃れていて、細々とお好み焼きを売って国費を稼ぎながら、ジオン再興の日を企てている、ということらしい。関東の下町の安アパートの一室に事務所を構え、地球征服を企んでいるメトロン星人なみに、スケールが大きいのか、あるいは小さいのかよく分からん話ではあるが、そういうわけで、この店はじつは一独立国なのであり、だから店に入る行為は入店ではなく、入国となる。でもパスポートはいらない。

【店主】

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 入国すると、ジオンの軍服を着た店主がお迎え。
 いちおうランバラル大尉ということになっている。
 大尉は当然軍人が本職のため、お好み焼きを焼くのはじつは苦手だそうだ。

【メニュー】

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 お好み焼きは、メニュー見てわかるように、ザク焼、ドム焼、グフ焼等、アニメにちなんだ命名で、そのキャラクターに似せたお好み焼きが出てくる。
 スタンダードメニューはザク焼のようなので、それを頼んでみた。ついでにビールも頼んだけど、その名も「ギレン・ザ・ビール」であった。

【ザク焼】

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 というわけで、これがザク焼。なるほどザクの特徴であるモノアイが目立っている。そしてザクのイメージカラーである緑色のレタスが載っている。このザク焼にはもう一つ仕掛けがあり、このレタスをヘラで切るときに、「ザクっ」と音を立てるから、それもザク焼の所以だそうだ。

 このザク焼をアテにギレン・ザ・ビールを飲みながら、店主といろいろ歓談。
 雑談の内容は、もっぱらガンダムの話になるのであるが、この店は店主のキャラもぶっ飛んでいるけど、客も相当なもので、日本のみならず全世界からガンオタが訪ねて来るそうだ。まあ、ガンダムはワールドワイドな日本の文化コンテンツであるからして世界に名前が轟いているのは当たり前として、このようなマイナーな店がまた世界に知られている、というのもネット社会の面白いところだと思う。

 ところで、この国のお好み焼き、食べログの評価を見ると、ずらずらとひどいことが書かれており、それをあとで読んでみて、まったくその通りと私はけらけらと笑ってしまったのであるが、ただここのコンセプトはあくまでも第一はガンダムリスペクトであり、お好み焼きについてはそのついでのネタみたいなものなので、味うんぬんを言うのは野暮だとは思う。慈恩弘国がお好み焼きを国家収入の糧として考えたのは何故かというと、それには土地的な理由がある。

 慈恩弘国は京都駅周辺に位置するけど、この地はじつはお好み焼の名所みたいなところで、多くのお好み焼店が存在している。それはここらが以前九条葱の産地であり、今もそれを取り扱う店が多く、その九条葱はお好み焼きにとても合うので、それゆえ昔からお好み焼き屋が多かったそうだ。
 そして店主は長年京都に住みたがっていたが、予算の折り合いのつく、東寺近くのこの家を購入することができた。その家は、この地に多いお好み焼き店だったので、商売を始める際、そのまま営業するのが最も手っ取り早く、実際にその家をなんら改造することなく、お好み焼き店としてスタートすることとなったそうだ。
 だから、その購入した家がもしラーメン店だったら、慈恩弘国はラーメン店だったわけで、ザクラーメン、ドムラーメンなりがメニューに並んでいたであろう。

 慈恩弘国は店を構えて14年になるそうだ。ま、建国14年だな。慈恩弘国は、お好み焼き屋の激戦区で、14年間勝ち抜いてきたのである。当初は店主自身が、こういう一発芸みたいな店は早々に潰れると思っていたのだけど、ガンダムのファンが日本全国のみならず、世界各国からも訪れて来るので、ずっと現役でやってこれた、と感慨深く話していた。まったく、浜の真砂は尽きるとも、世にガンオタの種は尽きまじ、というわけですな。
 こういう店は、お好み焼そのものに対してのリピーターはたぶん居ないだろうけど、only one的な魅力を持っているので、これからもずっとこの地に在り続けるであろう。

【任命証】

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 慈恩弘国では、店を出るとき、もとい出国の際にポイント・カードとして、この名刺大の任命証が貰える。
 初訪の客は「二等兵」から始まり、来るたびに階級が上がって行くそうだ。「それでは、元帥目指して頑張ります」といちおう私は答えておいたけど、まあ、一回行ったからもういいか。

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 慈恩弘国 ホームページ

 

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May 06, 2019

対馬の神社

 日本の神社は古来は神々の宿る地を信仰の対象として、それ全体を「神社」として敬っていたのだけど、時代が経るにつれて、神道の洗練化とともに、今ある鳥居、参道、拝殿、本殿を持つ、一般的な「神社」となっていった。
 対馬の神社も、一応は鳥居、参道、社殿を持つ形が多かったけど、しかしなお古来のアニミズムを伝える、その空間全体が厳かさを持つ、そういう神社がまだ残されていた。
 対馬を訪れたさい、対馬の代表的な神社をいくつか行ってみたので、それらを紹介。

【多久頭魂神社】

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 これは豆酘の多久頭魂神社。
 対馬特有の神である、多久頭神を祀る神社であり、のちに対馬の天道信仰と結びついて、近くに聳える竜良山を御神体とした遥拝所となっていた。だから初期には神殿を持たない神社であった。
 この神社一帯は自然が多く残されており、特に御神木である大樟が神秘的かつ荘厳な印象を与える。

【天道多久頭魂神社】

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 多久頭魂神社は上対馬にもあり、朝鮮半島に正対する国境の要衝の地にある。
 この神社は神殿を持たず、御神体はやはり奥に聳える天道山であり、その遥拝所となっている。
 そして対馬特有の石積の塔が独特の雰囲気を醸し出している。これは結界との仕切りを意味するもので、この先が神域となる。

【和多都美神社】

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 海に囲まれた島である対馬には、当然海の神様を祀る神社がいくつかあり、そのなかで最も有名なのが和多都美神社。海神である豊玉彦尊がこの地に宮殿を造ったことに由来する伝説を持つ。
 海に立つ二つの鳥居は、本殿への水路の道を示すようでもあり、この神社が竜宮城を連想させる、と言われている。

【海神神社】

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 先の和多都美神社と同じ流れを引く、豊玉姫命を祭神とする神社。長い石段を登って行き、ようやく神殿に到る。
 古い歴史を持つ神社であり、この一帯は聖域視されていて、自然林がよく保護されており、その自然と古い建物が相まって、荘厳な雰囲気を感じとることができる。
 この神社は、韓国人グループに仏像を盗まれ、それがいまだに返ってこないことでも有名になってしまった。

 

 対馬の神社には古代神道の雰囲気がまだ濃厚に残っているところが多く、そのため神社研究家、あるいは神社マニアがよく訪れるそうだ。あるマニアは毎年訪れて神社ばかり訪ね歩いているそうで、「このような土地は他にはない」と絶賛していたそうである。
 その話を聞いたときは、話半分に聞いていたが、いざ自分で訪れてみると、たしかにそれもよく分かる、そういう魅力のある神社ばかりであった。

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May 03, 2019

ヒトツバタゴ@対馬鰐浦

 GW中に咲く花を求めて、あちこちを旅しているのだが、今回の長期休暇を利用して、一度行きたかった対馬のヒトツバタゴ大群生地を訪れることにしてみた。
 ヒトツバタゴは大陸系の樹木で、それゆえ大陸に近い対馬に自生しており、とくに鰐浦地区にはその大群落があって、開花の時期である5月初旬には、山そのものが白く染まることで有名なのである。

 その対馬、車で行くとけっこう大変であった。
 博多筑港からのフェリーは夜の12時に出港して、朝の5時に対馬の厳原に着くという、何やら使いにくい時間帯。もっとも、これは搭載している車の大半が荷物運搬のトラックであって、トラックは市場が開く前の早朝に配送を行う必要があるゆえ、こういう時間になっているようだ。私はそれに便乗しているわけで、文句は言えない。

【対馬の夜明け】

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 というわけで、夜が明けぬ前に対馬の港に着き、それから対馬の北端近くに位置する鰐浦を目指す。途中、対馬を上下に分ける万関橋あたりで夜が明け、いい夜明けの景色が見られた。

【ヒトツバタゴ】

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 鰐浦に着く頃には夜もすっかり明け、青空が広がっていた。そして国道382号線から鰐浦地区に入ると、いきなり山肌を白く染めるヒトツバタゴの姿が見えた。

【ヒトツバタゴ】

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 鰐浦港をヒトツバタゴを見ながらしばし散策したのち、この地区を一望できる韓国展望所に移動。
 ヒトツバタゴは野生では、生育できる地区が限られているようで、岬の突端近くと、海に近い部位を好んで咲いているようである。

【ヒトツバタゴ】

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 続いて、もう少し近くで鰐浦のヒトツバタゴを見られる「ヒトツバタゴ展望所」にと行ってみる。
 新緑のなか、白いヒトツバタゴが印象的である。
 ヒトツバタゴはいくつかの別名を持っており、その一つが「ウミテラシ」。花が満開の頃、鰐浦の湾はこの花の照り返しで白く輝き、湾外から港を目指す船にとっての分かりやすい道標となっていたらしい。その別名通り、海を照らすかのような鮮やかな白い花であった。

 ヒトツバタゴは対馬の島全体で見ることができたけど、このように大群落を作っているのは、この鰐浦一ヶ所であり、よほど条件が良いのであろう。貴重な存在である。国の天然記念物になっているのもよく分かる。

【ヒトツバタゴ】

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 ヒトツバタゴは対馬を代表する樹なので、街路樹や、民家の植木にも使われている。
 民家のものはよく手入れされているので、樹勢もよかった。そのうちの一本の近接影を参考までに紹介。
 樹全体が白い花で覆われ、まるで雪の時期の樹氷のようにも見える。

【高麗山登山口】

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 鰐浦のヒトツバタゴを見たあとは、対馬上島の山を二つ登る予定にしていた。
 そのうちの一つが高麗山。
 鰐浦地区の近くにあり、ここに登ると、鰐浦地区が一望できるはずで、ヒトツバタゴのさらなる良い眺めが経験できるであろうという目論見である。
 しかしながら登山口に着くと、自衛隊による「この山は自衛隊施設があるため立入りはご遠慮ください」の看板があった。登山の一般的ガイド本である山渓出版の「分県登山ガイド 長崎県の山」によれば登山可のはずなので変に思ったが、警告を無視して登るわけにもいかず、ここはUターンして、次の目的地、対馬御岳へと行くことにした。

 

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April 07, 2019

桜とSL @ある春の風景

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 国道219号線沿いに車を走らせて、球磨川沿い、堤防に良く植えられている桜を観賞。その途中、球磨村の丘がピンクに染まっていたので、立ち寄って行った。そこは桜の名所、球磨村総合運動公園で、今が桜の旬であった。
 丘の上に着き、桜の花びらが舞うなか、花盛りの公園を見ていると、近くの駅から大きな汽笛が鳴り響いて来た。それは紛うことなき、蒸気機関車の汽笛なのだが、そうか、肥薩線にはまだSLが走っていたのだと思い出した。

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 蒸気機関車は半世紀以上前に新規製造は終えていて、歴史の遺物的存在であるが、一部に熱狂的なファンがいることもあり、僅かな数が、現役として走っている。
 私のような中年にとっては、子供のころ蒸気機関車は普通に走っていて、それはうるさく、ガタガタ揺れ、煙をしょっちゅう吐くので窓も開けるのも困難な、デメリットだらけの交通機関というイメージであり、蒸気機関車に対してはなんら思い入れはなく、それらが次々に運行を停止していくのを、時代の必然と思っていた。
 ただ熊本では、SLはずっと前より阿蘇から熊本駅経由で人吉まで走っていた。SLはなにしろ馬鹿でかい汽笛を放つので、学生時代熊本にいた私は、線路に近いところに住んでいたわけでもないのに、ときおり響くSLの汽笛の音で、時刻に気付いていた。
 それで私にとって、熊本のSL-当時は「あそボーイ」と呼ばれていたーは、「音はすれども姿は見えず」という存在であり、姿を見たことがなかった。
 そのSLはいったん運行を終了したのであるが、その後修理を受けて現役復活。30年以上も前に走っていたものが、いまだにちゃんと動くのだから、蒸気機関車って頑強だなあと感心してしまう。まあ、産業革命時代に原理が作られたものだから、構造が単純で、メンテをしやすいのだろうけど。

 その音だけしか知らなかったSLが、30数年の時を経て、同じ音を立てて、走って来る。私は丘の上で、音のする方向を見つめていた。
 やがてSLは建物のかげから姿を現し、そして活発に黒煙を立てながら、桜の林のなかに入って行き、姿を消した。たなびく膨大な黒煙のみ残して。
 わずか数秒の光景だったけど、学生時代のことを思い出しつつ、私はいろいろと感慨にふけるのであった。

 

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