フランス旅行

July 22, 2017

晴れた日には、パリを歩こう

 今回のフランス旅行はモン・サン=ミッシェル ツアーとレストランの予約だけしており、その他はなにをする予定もいれていなかった。
 天気が良ければパリ市内を散策。雨ならば美術館にこもる、というその場対応でいこうと思っていたが、パリ滞在中はずっと好天、それも好天すぎるほど好天だったため、結局はひたすらパリを散策するということになった。

【ナポレオン廟(アンヴァリッド)】
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 パリ市内でもひときわ目立つ金色のドーム教会。
 フランスの最大のスターであるナポレオン1世の墓でもある。

【アレクサンドル三世橋】
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 名所アンヴァリッドからセーヌ川を渡って、次なる名所グランパレへ行くとき渡る橋。
 アールヌーヴォ調の街燈や金ピカの彫刻で飾られた、セーヌ川にかかる多くの橋のなかで最もきらびやかな橋である。

【セーヌ川とエッフェル塔】
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 エッフェル塔は、パリを歩いていて、建物が切れたところではかならずその姿を見ることができる。いい目印だ。

【コンコルド広場】
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 パリの中心地、コンコルド広場。噴水とオベリスクで有名
 ここはフランス革命の無慈悲さ、残虐さを象徴する陰惨な場所であったが、長き年月がたち、いまではそれを伝える縁(よすが)ももない、平穏な観光名所となっている。

【マドレーヌ寺院】
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 コリント式円柱の立ち並ぶ威風堂々たる建物、まるでローマ時代の神殿のようだが、じつはカソリック教会である。
 なかに入ると、たしかに教会であった。
 この教会は、立派なパイプオルガンを持ち、音楽好きにはかのフォーレのレクイエムが初演されたことで有名。しかし、この荘厳な内装と、あの静謐、清澄な音楽とはちょっと取りあわせが悪い気がした。

【シャンゼリゼ通り】
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 三色旗が街路に沿って並ぶは、シャンゼリゼ通り。
 本日歩くと通りに沿って観覧席があり、そしてゴミも散らかっていた。なぜかというとパリ最大のお祭り「パリ祭」が一昨日開かれ、その後片付けがまだ終わっていなかったのである。

【凱旋門】
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 シャンゼリゼ通りは凱旋門へとつながっている。
 ここまで来たら、凱旋門に登ってパリ市街をながめよう。

【凱旋門屋上から】
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 パリというのは近代で大改造された都市であって、このように凱旋門を中心として、放射状に道路が築かれ、それを基盤として建物が立てられている。

【モンマルトルの丘】
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 パリ全体を眺めるのに適した場所がいくつかあるが、モンマルトルの丘からの眺めがまたいい。
 地下鉄駅からおりてすぐの坂道を登っていって、それからパリを眺めよう。

【ルーブル美術館】
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 ルーブル美術館はなかの収蔵品はもちろん素晴らしいが、建物そのものも立派な美術品。
なかに入ると、一日たっても終わらないので、今日は外を見るだけ。

【ポンヌフ】
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 ルーブルからシテ島に行く途中に、有名な橋ポンヌフがある。「新しい橋」という意味だけど、じつは古い。

【ノートルダム大聖堂】
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 フランスのみならず、ヨーロッパのゴシック建設を代表するノートルダム大聖堂。
 正面から見るツインタワーがまず威厳がある。
 有名な観光地であるので、観光客も多く、照りつける日のもと大行列がならんでいる。

【薔薇窓】
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 ノートルダム大聖堂は建物も素晴らしいが、巨大なステンドグラスもまた素晴らしい。
 この幻想的にまで美しいガラスの色は、今の技術では再現できないそうだ。

【リュクサンブール公園】
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 シテ島を南方向に歩いて、リュクサンブール公園へ。
 「花の都」パリらしい、花に満ちた華やかな公園だ。

【ギャラリー ラファイエット】
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 建物を眺めるだけでなく、買い物もまたパリの魅力。
 パリ一のデパート、ギャラリー ラファイエットは品揃えがたいへん豊富である。
 美しい店内でそれらの品物を見ながら歩こう。


 パリ、今回市内を歩いてみてのまず感じた印象、というか違和感は、夏休みシーズンというのに日本人が少ないなあというものであった。
 その私の感想は正しく、あとでパリ在住の日本人ガイドさんから聞いたことでは、一昨年のパリの多発テロで、日本人のパリ観光客は激減し、いまだ回復していないそうだ。一方でアメリカ、中国等の国の観光客の数は回復しているのに。
 それでパリの日本人ガイドさんたちにとって、それは死活問題でもあるので、たいへん嘆いていた。ガイドさんたちに言わせると、「日本って、台風、地震、津波、洪水等々、フランス・パリよりはるかに危険な国なのに、なぜパリに来るのを躊躇するのかわからない」とのこと。理屈はそうなのだが、人間は理屈よりも感情で行動するから、それはどうもこうもならんでしょう。
 まあなにはともあれ、パリに今回来られた人たちで、パリを良いところと思った人は、SNS,ブログ、口コミ、とにかくなんでもいいからパリを宣伝してくださいと、ガイドさんに要望された。

 ・・・パリは憧れの都市といわれるわりには、道にはゴミやタバコが散らかり放題だし、趣ありそうな建物はじつは古びて小汚いし、交通機関のプリペイドカードは使い勝手が悪いし、列車の運行・案内はいいかげんだし、職業的スリ団、詐欺団は市内を跋扈しているし、オフィシャルは不親切、ぶっきらぼうだし、公衆トイレ環境は劣悪だし、飲食店の閉店時間は早いし、いざじっさいに訪れてみると、世界有数の観光都市としてはいかがなものか、と思わせることが多い。
 しかしながらそういうのを全部含めて、清濁あわせのむ、独自の都市パリの個性を形成しているともいえ、やはり魅力あふれる都市であるのは間違いない。なにより私のように飽きっぽい者でさえ、3回も訪れているくらいだから。
 そういうわけで、ガイド氏たちの要望にこたえて、パリの写真日記をUPした次第。

 ただし、もし次訪れるとしたら、夏はぜったいにやめようと思った。
 パリは緯度が日本でいえば北海道と同じようなものなので、夏でも涼しいと勝手に思い込んでいたら、東京なみに暑かった。それなのに、あちらの人たちは暑さに強いのか、タクシーも、ホテルもエアコンなしは当たり前であり、ずいぶんと体力を消耗させられた。
 夏にヨーロッパに行くなら、北欧か、スイスだなあ、という感想が今回のパリ行で得た最大の教訓であった。

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フランス料理: Le cinq@パリ

 パリ滞在最終日は、レストランLe cinqでランチ。
 5年前にパリを訪れたとき、三つ星レストランLedoyenの料理に感心したけど、そのときのフランス料理界のスターシェフChristian Le Squer氏がLe cinqに移ってきたそうで、かの名シェフの料理を期待しての訪問である。

【Amuse bouche】
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 アミューズブッシュは、一口大のジンジャー味のシャンパンゼリー。これって、Ledoyenでも出て来た料理であり、シェフの得意料理だったんだ。
 口になかにいれると、ふるっと震えて、それから弾けた。それと同時に、前に食べたときの感覚もよみがえった。

【前菜1】
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 焼いたアーティチョーク。タイム、トマトのスープに、香草。
 それぞれの素材の香りが軽やか、かつ鮮やかである。

【前菜2】
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 「現代のパリスタイルの玉葱グラタン」という、なんだかよく分からないネーミングの料理。これ一目、松露みたいに見えるけど、じつは小玉葱で、そして焼かれた玉葱は外側だけであり、なかにはクリーム状のオニオンスープが入ったグラタン仕立て。
 カラっとした玉葱をかじると、なかから熱いスープがこぼれて来る面白い食感。そして玉葱もスープも味は豊かであり、そして甘み、苦み、塩味、それぞれのバランスが絶妙である。
 名シェフの腕が存分にふるわれている。

【メイン1】
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 真鯛を焼いたものに、トマトとジンジャーのソース。
 フランスでの魚料理は、魚の素材そのものがピンとこない印象を私は持っているけど、この鯛は見事。仕入れ、仕込みがうまくいっている。さらにあっさり系のスープがさらに鯛の味を引き立ていて、素材のよさをよく演出している。

【メイン2】
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 全体が黒い、見た目へんな料理。
 素材が「黒米とブータンノワール」なので、黒くなるのは当たり前なのだが、あまり食欲をそそる外観ではない。 しかし口に入れてみると、食感といい、味の広がりといい、ブータンノワールと黒米の相性といい、まさに完璧に近い出来。

【デザート】
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 フランス料理の、もう一つの華である。デザート料理。
 今までの料理でけっこうな量があったが、デザートは別腹ということで、この美しく、また鮮やかな香りの料理をいただく。


 Le cinqの料理は、コテコテのクラシックなフランス料理と異なり、和食的な引き算の方法も用いた、優雅にして繊細な料理。素材がよく、それぞれのバランスもまたよく、食べていて驚きと新しさも感じることができる。
 パリをまた訪れたときは、是非とも再訪したい、とても美味しいレストランであった。

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July 20, 2017

フランス料理: 114 faubourg@パリ

 114フォーブル。パリの中心街の瀟洒なホテル「ル・ブリストル」のなかにあるカジュアルなフレンチレストラン、またはブラッスリーともいう。
 ブラッスリーということで、気軽な気持ちで訪れたら、入り口は高級ホテルの玄関なので、ちょっと緊張してしまった。
 とりあえずフロントで「114 faubourに予約しています」と言うと、スタッフがにこやかに笑みを浮かべて案内してくれます。

【114 faubourg】
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 レストランはこんな感じ。
 室内の壁の絵や調度品はいい感じで気軽であり、リラックスして食事を楽しめる。スタッフの方たちのサービスもたいへんフレンドリーであった。

【前菜1】
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 このレストランのディナーはコースはなく、アラカルトのみ。
 それらの一品ごとの量が分からないので、とりあえず前菜2+メイン1で組むことにして、最初はこの店の名物料理である「King crab eggs, ginger and lemon mayonnaise」から。
 この料理、写真でしか事前情報はなく、卵と蟹を和えてそれを卵に入れたものと思っていたけど、いざ目の前に来たら、この卵は陶製の容器なのであった。
 卵容器は小さめの鶏卵サイズ。そのなかにタラバ蟹の身とマヨネーズを和えて、そして3つの器ごとに違う香草を載せて変化をつけている。
 濃厚なタラバ蟹の味がまず良く、それにマヨネーズを追加し、さらに重層的な味にしている。美味しいけど、蟹+マヨネーズって、強すぎる組みあわせであり、3つ食うと途中で飽きて来た。隣の組は、一人につきこの料理を卵一個分のみ注文していたから、「なるほど、そういう頼み方があったんだ」と感心、今度来る機会があればそうしようと思った。

【前菜2】
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 次の前菜は、「Artichoke soup with pan-seared foie gras, black truffle emulsion」。
 私が海外のレストランで特に興味があるのは、キャビアやフォアグラ、トリュフといった高級食材の使い方。日本だと、この手の食材は、「高級」という印象のみ先走った、なんだかそれだけがとんがっている変な料理にでくわすことが多いのだけど、(特に和食系)、前回パリに来たときに、これらの食材の醍醐味を知ることができたので、今回もそれに期待。
 そしてその期待にそぐわぬ見事な料理。軽く熱を入れたフォアグラは豊かな味で、香ばしいトリュフと、まろやかな乳化アーティーチョークのスープがあわさり、じつに豊穣な味わいの料理となっている。一口、二口、とその世界にひきこまれる。
 ただ、豊かなのはいいが、おしむらくは味付けに塩が効きすぎていて、五口目くらいからはけっこうきつかった。 あっさり系の味を好む人には、少々つらい料理かも。

【メイン】
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 メインの魚料理は、「Fillet of Sea Bass softly baked, cockles cooked with seaweed butter, “charlotte” potatoes」。
 前菜2品がけっこう腹に来たので、メインは「ライトな魚料理をお願いします」といったところ、この料理を勧められた。
 鱸を焼いたものに、海藻バターで炒めたコックル(ザル貝)とシャーロットポテトと野菜を和えたもの。見た目美しく、魚にかけられたソースもじつに手の込んだ豊かにして豊穣な味わい。
たいへんに美味い。
 ただ、フランスでの料理全体に思えたのだけど、主役の魚の味がどうもピンとこない。
 サイズといい、食感といい、良い鱸を使っているのは間違いないのだけど、日本の白身魚の淡泊だけど複雑な味わいに慣れていると、どうもソースで無理やり美味くしているという印象がしてしまう。
 おそらくは、獲ったあとすぐからの魚の処理が日本と違うからなんだろうけど、それからすると日本の漁業文化(特に漁師さんたちの技)の奥深さに改めて感心してしまう。


 などと、少々気になったポイントも書いたけど、全体的には、日本では食べられない、パリならではの素晴らしい料理をとても楽しめたディナーであった

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July 19, 2017

遥かなるモン・サン=ミッシェル 2日目

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 モン・サン=ミッシェル二日目。
 日の出時刻前にホテルを出発。雲がどんよりとたちこめ、これは日の出は期待できそうにない。
 早朝ゆえ、昼間は観光客、シャトルバス、馬車でにぎわう橋は、ほとんど人がいない。

【東の空】
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 東の空を眺めながら歩いたが、日の出の時刻を過ぎても朝日は雲のなかであった。

【モン・サン=ミッシェル】
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 モン・サン=ミッシェル、観光客はいないけれど、この時刻には島内の施設のために、多くの荷物、商品が運び込まれているようであった。

【入り口】
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 入り口。閑散としている。

【王の門】
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 跳ね橋を持つ、「王の門」。
 その手前左手にあるのが、ジャンボオムレツで有名なレストラン「ラ・メール・プラール」。

【グランドゥ・リュ(大通り)】
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 土産屋やレストランが立ち並び、昼間は人で混雑しているグランドゥ・リュも早朝は静かな通りである。

【グランドゥ・リュでの荷物運搬】
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 この通りはとても狭く、そのわりには店が多いので、荷物はどうやって運んでいるのだろうと誰でも思うだろうが、その正解はこの写真。
 入り口に止めた車から、電動の軽フォークリフトで運び入れているのであった。

【北の塔】
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 北の塔から東の空を眺める。ついに太陽は、その姿を見せそうにない。

【修道院】
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 北の塔から修道院を見る。
 晴れていれば、朝日の染まる修道院の姿を見ることができたのだが、残念。
 修道院入り口の手前で引き返し、ホテルに戻って朝食をとり、それから修道院の開いている時刻に出なおした。

【グランドゥ・リュ】
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 昼間になると、グランドゥ・リュは人で賑わっている。
 ここを歩く気もしないので、王の門からすぐ右手の迂回路を使って北の塔経由で修道院へと行った。

【西のテラス】
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 修道院に入ったのちは、「西のテラス」と呼ばれる展望所からの眺めがたいへん素晴らしい。西方向の広々たる海と大地を眺めることができる。

【ミカエル像】
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 礼拝堂にはこの地に聖堂を建てよと命じた天使ミカエルの像が祀られている。

【中庭】
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 モン・サン=ミッシェル名物の美しい庭園は工事中であった。なんでもこの下の部屋が雨漏りするのでそれの対策だそうだ。
 ここはなにしろ古い建物なので、あちらこちら修復中であった。

【レリーフ像】
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 伝説によると、天使ミカエルはこの地に聖堂を建てさせようと、この地の司教オベールの夢元に現れそう命じたそうだ。しかし司教はそれを単なる夢と思い、何度ミカエルが現れても無視していた。業を煮やしたミカエルは夢に出たついでに、司教の頭を指でつつき頭蓋骨に穴を開けるという過激な手段に出た。畏れおののいた司教はあわてて島に聖堂を造り、それがモン・サン=ミッシェルの起源とされる。
 このレリーフはその光景を描いたもの。
 なお、オベール司教は重傷を負いながら生命は大丈夫だったようで、神につかえる人生を全うしたのちはサン・ジェルヴェ教会に葬られ、彼の穴の開いた頭蓋骨は聖遺物として公開されている。

【モン・サン=ミッシェル 荷物運搬路】
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 モン・サン=ミッシェルは、聖堂、修道院、城塞、牢獄と、時代によっていろいろな使い方をされた複雑な歴史を持つ。牢獄時代は2万人近くの人が住んでいたそうで、大量の荷物の運搬が必要となり、大車輪を上階で回して、この通路を使って荷物を揚げていたそうだ。

【干潟から】
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 「海に浮かぶモン・サン=ミッシェル」というのを見てみたかったが、今回はその機会はなかった。でも、潮が引いているので周りを歩くことができたので、しばし干潟を散策。
 モン・サン=ミッシェル橋から見た姿が正面像として有名だが、違うところからの眺めもまた趣があってよい。

【サントベール協会】
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 島からは小さな岬のように海に突き出た磯が何ケ所かあり、それぞれにまるで砦のように塔や協会が建てられている。そのうちの一つがサントベール協会。
 ここまで行ったのち潮が満ちて来て、それ以上行けなくなり島一周散策は諦め、元の道を引き返した。

【モン・サン=ミッシェル】
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 島内、修道院、干潟を十分に満喫して橋を引き返す。
 そしてモン・サン=ミッシェルを振り返る。
 やはり唯一無二の個性ある風景である。
 一度は訪れるべきところと思っていたけど、本当に訪れてみてよかったと実感した。

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July 18, 2017

遥かなるモン・サン=ミッシェル 1日目

 世界遺産、モン・サン=ミッシェル(Le Mont-Saint-Michel)に行ってみようと思った。
 それで行く方法を調べてみたら、けっこう不便なところにあることが判明。日本からダイレクトに行こうと思ったら、空港→バス→TGV→バスと何度も乗り継ぎがあり、大きな荷物を持っている旅行者には辛い。だいたい半日かけてのフライトあとに、そんなに何度も交通機関を乗り下りするのは体力的には無理があると思い、いったんはパリに宿泊し、そこを起点としてバスツアーを利用し一泊二日でモン・サン=ミッシェルを観光するという、いちばん楽そうなプランを立ててみた。

 パリで二泊して時差ぼけをある程度修正したのち、早朝からのJTB主催のバスツアーに参加。JTBのオフィスはオペラ座の近くにあり便利である。パリでは、テロの影響がまだあるのか日本人観光客はとんと見なかったが、さすがにJTBのツアーでは日本人ばかりが30名ほど集まって来た。
 日本人のガイド氏はフランス在住の長いベテランであり、話題が豊富であって、バス旅行中楽しめた。
 ツアーは海岸の小さな港町オンフルールに寄ったのち、モン・サン=ミッシェルの対岸に到着。パリから6時間ほどかけての長旅である。
 まずは昼食ということで、モン・サン=ミッシェルがよく見えるレストランで、名物のオムレツを食べる。

【モン・サン=ミッシェルとオムレツ 】
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 これ、噂に聞いていたほどのジャンボなものではなかった。
 モン・サン=ミッシェルのオムレツは、レストラン「ラ・メール・プラール」が本家なのであるが、あれは大きすぎて日本人観光客には不評なことが多く、それでこのレストランでは小さめのサイズにしている、とのことであった。
 このオムレツ、日本のものとはまったく違っていて、ふわふわの泡々で、まるで玉子と空気を食べているような不思議な食感のものである。そして、玉子とバターの素材はとても良く、普通に美味しい。

【大雨襲来】
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 モン・サン=ミッシェルのあるノルマンディー地方の海岸沿いはたいへん天候が不安定であり、晴れと曇り、雨がしょっちゅう入れ替わる。
 本日も午前中は天気が良かったが、午後から厚い雲が一帯を多い、そして土砂降りの雨が降って来た。写真ではよく写っていないが、いまその大雨が降って、歩いてモン・サン=ミッシェルへ行った人たちが急いで戻ってきているところ。

【雷雲のもとのモン・サン=ミッシェル】
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 我々は雨が止むのをレストランで待ったのち、それから出発。
 雨は上がったものの、雨雲はまだ残っており、そこに幾度も稲妻が走っている。
 稲妻を背負ったモン・サン=ミッシェルの姿は格好よく、なんとか一枚の写真に収めようと何度も何度もtryしたが、雷が光ったときシャッターを押しても、すでにそれは手遅れで、といって雷が出るタイミングなど予想も出来ず、結局一枚も雷を撮れなかった。残念。

【モン・サン=ミッシェル】
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 モン・サン=ミッシェルは、シャトルバス駐車場付近から見る姿が一番絵になるそうで、これがそこからの写真。
 このあと、島のなかをしばし散策して、それからまた橋を戻ってホテルへと。

【ルレ・サンミッシェル】
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 ホテル、ルレ・サンミッシェルはモン・サン=ミッシェル対岸にあり、正面にモン・サン=ミッシェルがあるので、どの部屋からもその姿を見ることができるというのが売りである。
 で、私の泊まった部屋からは、・・・木立に隠れてあんまり見えない。
 じつはこのホテルには「冬(つまり樹が葉を落としたとき)にしかモン・サン=ミッシェル全貌が見えない部屋がいくつかあるのだが、その一つに当たってしまった。
 まあ、モン・サン=ミッシェルはさんざん見たし、あえて部屋から見たいとも思わなかったのだが、なんか納得いかないなあ。

【夕食】
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 午後7時半から夕食。
 フランスはサマータイムなので、まだまだ外は明るい。そして雲はいつしか吹き払われ、青空が広がっていた。その青空のもとのモン・サン=ミッシェルを眺めながらの食事である。
 モン・サン=ミッシェルは、干潟の牧草地に、潮風の当たる牧草で育った「プレサレ羊」が名物だそうで、その羊のロースト。日本の羊料理と違って、羊特有のにおいと味がしっかりとして、いかにもヨーロッパの料理という感じである。

 夕食を終えたのち、日が暮れるのを待ってから、モン・サン=ミッシェルのライトアップを見に行こうと思っていたけど、いつまでたっても、午後10時を過ぎても暗くならず、バス旅の疲れもあり、ついつい熟睡。
 起きたら深夜の2時であった。これはいかん、と思い、とにかく外出。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 ホテルを出ると、橋の手前までは、小さいながらも明かりがあったが、それからは明かりはなく、真っ暗である。
 そして遠くにモン・サン=ミッシェルが見える。
 当然ライトアップの時間は過ぎており、いくつかの照明のみがぼんやりとその姿を浮かばせていた。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 暗いなか、橋の上まで来たが、どこまでが橋の端か分からないくらいに真っ暗であり、ライトとか持ってきてなかったので、これ以上進むのを諦めた。
 しかし暗いのと雲が払われていたことで、頭上には無数の星々がきらめいていて、そして天空にまさに天の川が、輝く川の姿をして横切っていて、そのもとにモン・サン=ミッシェル、という荘厳な光景を見ることができた。
 写真では捉えることは不可能であったが、あの美しい姿はくっきりと記憶に残っている。
 いいものを見ることができた。


 ホテルに帰ったのち、また寝なおす。
 明朝は、「朝日に照らされるモン・サン=ミッシェル」を見たいので、目覚ましは日の出前の時刻にセットしておいた。

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September 22, 2012

フランスよさらば。でもワインの日はまだまだ続く。

 フランス旅行も本日で終了。
 よく食べ、よく飲み、よく歩いた一週間であった。
 前半は時差ボケでけっこう苦労したが、ようやく慣れたのに、日本に戻るとまた時差ボケが始まると思うと、少々憂鬱になるがしょうがない。

【ホテル】
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【ホテル部屋】
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 パリでの滞在5日間は、すべてホテル・フーケッツバリエールにて。
 このホテルは凱旋門に近く、シャンゼリゼ通りにも面しておりたいへん便利なところにあった。
 部屋も広くて、清潔であり、アメニティも充実しており、さすが五星ホテルである。
 まあ、そのぶん値段もけっこうなものではあったが。
 …こういうホテルって二人くらいで使うように出来ており、一人で使う分には不経済であり、一人でも二人でも値段は同じなので、今度来るときは二人で来るべきだなと思った。反省点にしておこう。

【空港】
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 ホテルからは30分ほどで空港に到着。
 シャルルドゴール空港は、あまりに広く、何度来ても使いにくいところである。
 とくに使用客が多いので、税関抜けるのも、ゲートくぐるのも相当な時間がかかり、買い物や税の払い戻しを受ける人は、かなり早めに来る必要があります。
 まあ、私は何も買い物していなかったので、税関は関係なかったので、余裕を持ってロビーに着いたが、同行の者は税関の行列にてこずり、時間ギリギリに飛行機に乗ることになった。

【機内食】
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 パリ発羽田着のJALの機内食、和食と洋食が選べるのだが、洋食を選択。
 いままでさんざんフレンチ食ってきて、さして美味くもない機内の洋食食わんでもとの意見もあろうが、毎日ワインばっかり飲んでいたので、身体が自然とワインを欲するようになり、それゆえ洋食を頼んだ次第。

 パサパサした食事を肴に、ワインを飲んでそれなりに満足。
 さて、パリは午前中に発だが、羽田へも午前中に着く。着く日は日曜なので、…そうなると東京で寿司でも食いたくなった。
 それで羽田に着いて午後の便を探すと、なんとどれも満席であった。
しょうがないので元々取っていた午前中の便で宮崎へと飛んだ。

【宮崎空港】
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 宮崎空港の荷物のコンベアは、このように宮崎牛の置物に先導されて荷物が流れて来る。
 いちおう名物である。

【光洋にて】
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 頭が寿司モードになっていたので、空港帰りに光洋にて鮨を食う。
 ここでもワインを飲みながらである。
 そのうちカウンター隣にはI氏が現れ、たがいにびっくり。
 I氏も私がパリにいた頃フランスを旅行しており、FBで連絡をとりあっていたのだが、旅程の関係で合流はでき なかった。
 それが宮崎に戻ったところで合流とは、世界は狭いものである。
 いや、まあ、宮崎の食い物好きは、だいたい同じようなところに出没するので、そこで会う確率は高いのではあるが。


 フランスの旅、得るものは多かったが、とにかく身体がワインまみれになっており、酒をワインしか受け付けないようになっているので、ドライアップにはしばらくかかりそうである。


 …じつは、旅行記はチビチビと書いていたので、この記事を書きあげたのは3カ月後なのだが、いまだにワインが抜けないなあ。
 和食でも鍋でもワイン飲んでおりまする。

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September 21, 2012

フランス食紀行(7) ル・ムーリス Le Meulice

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 パリ最後の夜は、レストラン ル・ムーリスにて。
 フランス食紀行を締めくくるにふさわしい、一般的に考えられるところの「フランス的な」内装を誇るレストランであった。ベルサイユ宮殿を模した店は、高い天井、大きなロココ調の絵画、きらめくシャンデリアと、豪華そのものである。
 訪れる客も、ドレスアップした人ばかりで、ここでの食事が日常を離れた「ハレの世界」であることがよく分かる。
 このレストランは、非日常的、高級豪華感を味わうためには、うってつけの場所である。

 レストラン、ル・ムーリスの感想については、以上でよいような気もするが、せっかく料理の写真も撮ってきたことだし、料理も紹介。

【アミューズ・ブッシュ】
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 蛙の足のスープに、ハイビスカスの花のソースで香りをつけたもの。
 上品な味である。

【アントレ】
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 温めたパインと、野菜のピストゥー。
 南仏の郷土料理だそうだが、洗練された甘さと旨みを感じる。

【アントレ】
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 フレッシュフォアグラの赤ワイン煮込み。
 他のレストランのフォアグラ料理がずいぶんと手の込んだものが出て来たのに対し、これはフォアグラの素材を前面に出してきている。
 そうなると、どうもフォアグラって、素材そのものにはあんまり魅力のないようなものに感じられ、ちょっと狙いが斜めにいっているかな、とも思った。
 同じテーブルの者たちは、一口程度食ったのみで手を止めてしまったが、…美味しくはないけど不味くもないものだったので、私はきちんと全部食べた。しかし、フォアグラ2枚というのは、どんなフォアグラでもtoo muchだと思う。

【魚料理】
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 舌平目を黄ワインのカスタードソースで焼いて、ワカメに載せたもの。エシュロットを添えて。
 これも今流行っているらしい、低速調理風のじっくりした焼き加減で、焼かれたもの。うまく魚の旨みが身に封じ込まれた見事なものである。
 魚そのものは、普通かな。

 コースの料理には、それぞれにワインがグラスでついており、いずれも美味しいワインであり、料理があんまりピンとこないぶん、ワインのほうが楽しめた。
 また、テーブル者たちはワインテイステイングバトルをやっていたが、ワインマニアW氏は、品種、地方まで当てており、感心いたしました。

【デザート】
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 フランス料理、恒例の2回戦。デザートシリーズの始まりである。
 まあ、たくさん出てきました。
 そして、これらはどれもたいそう高いレベルにあって驚いた。
 いずれも美しく、典雅で、美味しい。
 これぞ三星というものばかりで、とくにW氏は感激して、あとでパティシエを呼び出してもらい、彼との2ショットの写真も撮っていた。そしてあとで調べて知ったのだけど、この店のパティシエはフランスでもトップレベルの料理人とのこと。
 フランス料理は現場で食うときには、徹底的に腹をすかして、デザートまで食い尽くさねば真価は分からないというのは、あらためての大事な教訓である。

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パリ散策(2)

 昨日モンマルトルの丘に登ったわけだが、パリではもう一ヶ所、パリ全体を見下ろせる展望所があるので、それにも登ることにした。

【セーヌ川】
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 セーヌ川にかかるコンコルド橋の上から見えるエッフェル塔。
 先の美しいアレクサンドル三世橋を一緒に構図に収めるこの構図は、「いかにもパリ」という、絵葉書にもなりそうな風景。

【エッフェル塔】
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 セーヌ川に沿って歩いていけば、やがてパリの名物、エッフェル塔の前に。
 世界一有名な塔、パリの代名詞に近い存在である。

【エッフェル塔の階段】
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 エッフェル塔の展望所は階段を登っていける。
 エレベーターでは高さに応じて料金をとられるが、…歩いても取られる。
 ただしエレベーターには長蛇の列があるのに対し、階段利用のほうはさっさと上がれるので、4ユーロ払ってこちらを登ってみよう。

【第二展望所から】
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 徒歩だと第二展望所までしか登れないが、それでもけっこうな高さである。

【展望1】
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 展望所からパリ市内を眺める。
 日本とは異なるタイプの望遠鏡も設置されていた。

【展望2】
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 シャン・ド・マルス公園のほうを眺めてみる。
 パリは公園が多く、そしてそのどれもが幾何学的にすっきりした形をしている。

 第二展望所から第三展望所まではエレベーターを使っていけるようだったが、チケットを買うところがなかったので、第二展望所で止めることにした。

【イエナ橋から】
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 エッフェル塔を降りてからはイエナ橋を渡って、パリ中心街のほうへ戻ることにする。
 エッフェル塔に登ったくらいから雨が降り始めていた。
 「フランスは湿度が低く、雨に濡れてもすぐ乾くので、原則的にフランス人は雨が降っていても傘をささない」という事前情報があり、話半分には聞いていたが、それは本当であった。
 ただし、日本人の私がその風習に従う理由もなく、私は傘をさして歩いていった。

【モンソー公園 門】
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 パリは古い建物だらけの殺伐したところのある都市だけど、それでも所々に緑あふれる公園があり、市民の憩いの場となっている。
 そのうち一つモンソー公園(Parc Monceau)が、ホテルに近かったので行ってみた。

【モンソー公園1】
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 この公園はいろいろな意匠で造園されていて、古代ギリシャ風の庭園があったりする。

【モンソー公園2】
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 モンソー公園には、ギリシャ庭園、アフリカ庭園、イギリス庭園、とあるのだが、日本庭園もある。
 日本人からすると、いろいろと突っ込みどころの多い「日本庭園」なのであるが、…まあ、日仏友好の印として、ほほえましいものではある。

【モッパーサン記念像】
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 モンソー公園には、モッパーサンもよく逍遥に訪れていたとのことで、記念像もあった。
 他にもいろいろなフランス文化史を飾る人物の彫像があり、散策して、見るもの多き公園であった。

 パリにはこのような公園がいくつもあるのであり、美術館や、博物館、建造物以外にも、訪れるところ多き街である。
 まじめに見てまわったら、一ヶ月でも足りないであろうなあ。

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September 20, 2012

パリ散策(1)

【メトロ】
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 パリは地下鉄が網の目状に張り巡らされていて、しかもどの路線を乗り継いでも一括1.7ユーロ(200円弱)で移動できるので、たいへん便利である。
 これを使って、パリのあちこちを散策した。
 …もっとも、パリ地下鉄は切符の自動販売機の使い方が結構面倒で、外国の観光客などが悪戦苦闘している姿を何度もみかけた。パリの地下鉄駅は自販機だけ置いていて、informationがないところが多かったからであり、国際観光都市のわりにはこういうところは不親切だと思う。


 本日は、モロー美術館を経由して、モンマルトルの丘に登ることにする。
 パリは通りにはたいてい名前がついており、現在地がどこか分かりやすいので、迷いにくい街である。

【セザンヌ通り】
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 目的地に行くにはどういう通り方をしてもいいのだが、フランスの大画家ポール・セザンヌの名前の付いた通りがあったので、そこを通ることにした。
 「RUE PAUL CESANNE」と、セザンヌの名前がついているくらいだから、セザンヌにちなんだ何かがあるかと思ったが、…普通の通りであった。


【シェイクスピア】
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 SHAKESPEAREと名のついた店発見。
 店が開いてないので、何の店か分からなかったけど、たぶんシェイクスピアの本を売っている店なのであろう。
 フランス文化至上主義の気配のあるパリの通りの、町角のとても目立つところに堂々と英語があるのが、ちょっと面白い。…まあ、シェイクスピアってのは、フランス人だって仰ぎみざるを得ない別格の存在なわけではあるが。この人ばかりは、ラシーヌだって、モリエールだって、ジロドゥだって、束になってもかなわない。

【贖罪礼拝堂(Chapelle expiatoire)】
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 パリの繁華街に続くオスマン通りを歩いていると、雑多になってきたパリ市街で、そこだけ違う空気が漂っているような、静謐な雰囲気に満ちた美しい建物があったので、寄ってみた。
 建物前の公園に置かれていた説明書きによると、ここはルイ16世とマリー・アントワネットを祀った礼拝堂のようであった。

【プレート】
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 礼拝堂の門のプレートには、「この『贖罪礼拝堂』は、ルイ16世王と王妃マリー・アントワネットが21年間休息(reposer)したところに建てられました」と書かれてある。
 ということは、ここは国王夫妻の別荘みたいなところだったのかなと思ったが、21年間も別荘で休むわけもなく、なんだか変だなとは思った。

 それであとで調べてみると、なんと国王夫妻はギロチンで処刑されたあと、他の処刑された者たちその他大勢と一緒くたに埋葬されていたとのこと。で、処刑者たちが埋葬された墓地のあったところがここなのだ。
 そして21年後に、さすがにフランス国家元首であった国王夫婦をそういう共同墓地に埋めたままにしておくのはいかんだろうということで、埋葬し直そうということになったのだが、掘り返すと、もはや誰が誰か分からない状態になっており、かろうじて着ていた服によって国王夫妻の同定ができ、それから改めて歴代フランス国王の教会に埋葬し直したとのこと。
 「21年間の休息」って、そういう意味だったわけだが、…ひでぇ話だ。
 まあ、この礼拝堂に「贖罪」という言葉をつけているところに、フランス人の後悔と反省が認められはするのではあるが。


【モンマルトルの丘】
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 贖罪礼拝堂からモロー美術館へはだんだんと坂を登って行く。
 そして、モンマルトルの丘は、坂に従って高いところへ高いところへと登っていけば、どこから行ってもたどり着く。
 目的地は坂の頂点なわけだから。
 そのモンマルトルの丘、パリ有数の観光地だけあった、観光客もまた多い。
 ここはかつて画家や詩人が数多く集ったところだけあって、その手の土産物屋が多く、また名物の似顔絵書きも当然やっていた。

【パリ風景】
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 パリのどこからも見えるということは、こちらからパリも全部見られるわけで、たしかに、パリを一望のもとに見渡せる。

【サクレ=クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur)】
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 モンマルトルの丘の象徴、サクレ=クール寺院。
 階段脇の白い聖者の彫像みたいに見えるものは、じつは白塗りの人のパフォーマンスなのである。これが動き出すのを見ると、少々驚きます。

【ムーランルージュ】
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 寺院や、その周囲を散策し、そしてモンマルトルの丘を降りたところに、かの有名な赤い風車のムーランルージュがあった。
 ロートレックの絵なんかでも有名な、踊り子のショーがあるところである。
 パリに5泊もしたんだから、一回くらいは、世界に鳴り響くキャバレー、ムーランルージュのショーを見に訪れても良さそうなものであったが、食い気が先行している者ばかりのツアーであったため、ついに夜はレストラン以外どこも寄らない旅で終わってしまった。
 もう少し若くて元気なときにパリに行けば、レストランとキャバレーのダブルヘッダーを組めたのかもしれないが、なにしろレストランがハード過ぎて、中年族にはとうてい無理であったなり。

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フランス食紀行(6) ルドワイヤン(Ledoyen)

 私の記憶が確かなら、昔の日本でのフランス料理のイメージは「滅多に食べられぬ豪華な料理」というものであったのだが、それから時代が流れて食の洋食化が進み、フランス料理というのは、数ある料理のうちの一種という範疇に入っている。
 それでも、その昔の「豪華たるイメージ」そのものであったのが、ルドワイヤンであった。

【ルドワイヤン】
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 正面から見るPavillon Ledoyen。
 貴族の大邸宅とでもいうべき、壮麗なレストランである。
 このレストラン、歴史も古く、ナポレオンがやがての妻ジョセフィーヌにここで出会ったとのエピソードもある。

【Le chat de Ledoyen】
Chat

 ルドワイヤンの玄関近くには、人懐っこい三毛猫が一匹いて、ドアマンと一緒に客を迎えていた。
 ドアマンの様子からは、レストラン居つきの猫みたい。
 「Le chat de Ledoyen(ルドワイヤン猫)」と呼ばせてもらおう。

【レストラン内景】
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 レストランのなかは、豪華にして荘重な内装。
 この雰囲気のなかでは、当然にして立派なフランス料理が出て来るのは間違いないであろう。

【アミューゼブッシュ】
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 アミューゼブッシュはこの店の名物「Gelee au gingemble(ジンジャーのゼリー)」。
 ジンジャーの淡い香り、それに、ぷるぷるふるふるした食感が面白い。

【アミューズ】
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 アミューズは、これらの美しくも、食欲を進めるような小品が続き、つぎからのスペシャリテ連続の前座を務める。

【La carte de Ledoyen】
Ledoyens_menu_2

 ルドワイヤンのメニュー表を示すけれど、我々が頼んだコースは、メニュー表で赤で囲ったルドワイヤンを代表するスペシャリテ3品をメインとしたもの。
 どれも、この店ならではの個性豊かなものである。

【スペシャリテ1】
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 「Grosses langoustines Bretonnes Emulsion d’agrumes (ブルターニュ産大手長海老、柑橘類のエマルジョン添え)」
 海老の香りいっぱいの大手長海老に、これも柑橘系の香りの豊かなエマルジョンソースをあわせ、フランス料理の王道とでもいうべき、濃厚な味と香りの料理。

【スペシャリテ2】
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 「Blanc de turbot de ligne juste braise pommes rattes truffe (白い平目のブレゼ、ジャガイモとトリュフ)」
 これは見ただけでは何の料理かは分からないけど、ブレゼした白い平目の身を長方形に切って、それに黒トリュフを海苔のように載せて、ピアノの鍵盤みたいなユニークな形にしている。それにポテトを泡々のカプチーノ仕立てにしたものを敷き詰めたもの。
 平目もポテトもトリュフも、それにバターもたいへん良いものを使っており、それらの味と香りの多重層を楽しめる、いわゆる足し算の料理。

 …ところでパリのレストランの魚料理って、Turbotばかり出ているような気がする。フランスには魚はTurbotしかいないのかな、などと思ったが、W氏によれば西洋人は海産資源の保護という概念がないので、大西洋のいい魚はほとんど獲り尽くされてしまい、まともな魚はTurbotくらいしか残っていないとの言。…本当かいな。

【スペシャリテ3】
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 「Ris de veau en brochettes de bois de citronnelle rissolee, jus h'herbes (子牛の胸腺の串焼き、レモングラスの香り、それにハーブのジュース)」
 リードヴォーって、有名な料理のわりには私は初めて食ったのだけれども、まさに初めて体験する味と食感と香り。
 味にしろ食感にしろ、そしていい加減の火の入れ方にしろ、きわめて個性ある「濃厚系」の料理なんだけど、全体の印象としては、キレのよい爽やかな料理。おそらくは、最初の印象が見た目脂たっぷりなのに、じつはまったくそうでないというギャップがあったのも加味しているからなんだろうけど、繊細にして、緻密な料理であった。

【デゼーレ】
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 フロマージュののちは、フレンチ特有の二回戦、デザート劇場の始まり。
 このクイニーアマンはルドワイヤンの名物。
 甘さと旨さを濃厚にしたジャンボクロワッサンとでもいうべき料理だが、これだけで昼飯一回分になりそうなカロリー量。
 フランス人なら、難なく完食するのだろうけど、普通の日本人にはぜったいに無理であります。

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 マカロンやフルーツや焼き菓子。
 これを乗せている台も美味しそうであったが、スプーンで叩いてみると固い音が返ってきたので、どうもこれは食い物ではない模様。
 でも砂糖を焼き固めたもののような気もしないでもなかったが、すでに腹いっぱいになっていたので、強引に壊すようなことはしませんでした。


 ルドワイヤンは、料理にしろ、店そのものにしろ、私たちが憧れていたフランス料理の店にもっとも近いもののような気がする。
 料理そのものでは、アルページュのほうが、素材の良さや、調理の技術、それに時代の最先端を行く意気込み等で、食通には受ける店とも思えるが、それでも異国人がはるばるとフランスを訪れたとき、フランスというものを知るためには、ルドワイヤンは最も適した料理店のように思えた。

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