時事

September 01, 2009

衆院選で民主党が大勝したわけだが。

 8月30日の衆院選はマスコミの予想通りに民主党が大勝を収め、政権交代が現実のものとなった。
 政権交代を可能にすることが小選挙区制度導入の目的であったわけだから、選挙制度改革は成功したといえる。とはいえ、政権交代が可能になるのは、あくまでも政治運営能力を持つ政党が存在するというのが前提で、いくらなんでも今の民主党にその力があるとは思えず、そうなると小選挙区制のまずい面がもろに出てしまったわけで、これは大変なことになりそうだ。

 民主党を私がすごく気にいらないのは、「子ども手当」「農業個別保障」「高速道路無料化」「後期高齢者医療制度廃止」等、最初には心地よく聞こえるけど、いざ実行するとあとでろくでもない目にあうに決まっているマニュフェストを堂々と提示したところである。こんなものを国民が有難がると本気で思っているところが、時代錯誤というか、無思慮というか、無知蒙昧の極みというか、…要は国民をなめているのである。それこそ、中国の故事の朝三暮四に出てくるエテ公程度に、国民を思っているのでしょう。

 政権交代は実現してしまったから、無経験の民主党を国民が我慢して育てればいいという意見もあると思うが、それは絶対に無理なのである。
 これは断言できる。

 政党政治には機能する政党が必要だ。そして機能する政党の存在には、政党どうしが互いより高い能力をつけるために自ら切磋琢磨し、そして国民が支持政党を応援するという態勢が必要になる。しかし日本においては政党の能力を高める機能はなかった。政党は自らを高める努力よりも、他党の足の引っ張ることに努力の全てをささげ、そしてその足の引っ張り合いに、国民全体が賛同し加勢してしまっていた。
 政党政治は大正時代から日本で行われているのだが、野党は政策を担当している与党を、政策論とかではなく、国益を無視したつまらない周辺のスキャンダルみたいなもので攻撃する。これに国民・マスコミ、さらには検察までが加わり、政権が瓦解し、事態は悪化の一方となる。そういうことをえんえんと繰り返してきた。政党政治が成り立って以来、日本の政治はずっとこのパターンであり、おそらく政党政治は日本で実行するには、なにか決定的に無理のある制度なのである。
 80年間こんなことをやっていた日本の政治風土で、今回の民主党ばかりがそれを逃れることはありえない。
 民主党政権も、結局はつまらぬスキャンダルで崩壊するであろう。

 ついでにいえば鳩山総裁の祖父、鳩山一郎氏も政友会にいたときに、与党の立憲民政党の浜口雄幸が軍事費を減らしたこと(これは国民的に不人気な政策であったが、国益のためには正しかった)を、党利のために攻撃し、そのせいで軍隊が野党の口車に乗って統帥権を主張するにいたり、軍部の暴走を招いている。たかが野党の党利党略が、大戦の原因の一つとなり、国を滅ぼしてしまったわけだ。鳩山一郎氏はこの責をとらされ、戦後は米国により公職追放の憂き目にあったが、私などからすればこういう人こそ戦犯として裁いてほしかったわい。

 話は戻るが、日本の政党政治が足の引っ張り合いに徹する以上、自民党もまた自ら非難していた民主党以下の抵抗野党に成り下がり、ひたすら反対、なんでも反対、スキャンダル指摘放題の国会運営をするのは火をみるよりも明らかである。よせ集めの民主党がそれに耐える力があるとも思えず、民主も自民も四散していって、政治はまったく運営できなくなっていくであろう。四年間の政治が機能しない時代を我々は迎えたわけだ。
 日本はそんなことやってる場合じゃないんだけどね。

 組閣もしていないのに何を悲観的な意見をとも思われようが、細川内閣以来の政治のドタバタ劇をじっさいにみてきて、また歴史書で日本の政治を学んできた私の、当たってほしくはないが、当たるに違いない予想である。

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August 28, 2009

期日前投票に行く(2) 最高裁裁判官国民審査

 社会人になってわかったのは、私たちの社会に対して司法の強い影響力である。
 我々の住む社会は法治社会ということになっているが、社会を律するところの法律は、正否がはっきりしているものが案外と少なく、それを運用する側が恣意的に判断できるものが多い。
 そのため運用者側に、良識・知識・常識といったものが揃っていないと、法律は妙な解釈をされ、社会のための法律が、法律のための社会みたいな関係になってしまう。

 私らの業界では、トンデモ判決がここ10年ほど立て続けに出されたため、特定の部門の業務が壊滅的打撃を受けた。それは主に危険を伴う部門の業務であり、もともとは業界人の使命感とか義務感によって成り立っていたわけだが、司法が「それは違法だ」と判断したがゆえ、誰もやる者がいなくなり、消滅寸前になりつつある。

 消滅した場合、まあ従業員は危険な仕事が減って助かるわけだが、…周囲の者はたまったものではなかろう。これについては、ここ数年のひどい状況が顕在化して、深刻な社会問題となっている。しかし改善の見込みは全くなく、これはさらに悪い方に進んでいくのは確実である。
 どうなってもおれは知らんぞ、とか言いたくなってしまう。


 このような状況になった主因は先に述べたとおり、エポックメイキングのような司法判決が何件も出たためで、その判決文を読むと、まさにトンデモ裁判としか言いようのないのである。司法側にはそれなりに言い分はあるかもしれないが、結果としてそのような社会生活を破壊に導くような判決を堂々と出す裁判官については、その資質というものに大いなる疑問を持たざるをえない。

 選挙の結果トンデモ政治が行われても、それはそのような議員を選んだ国民のせいであり、「国民はしょせん国民レベルの政治家しか持てない」とか、シニカルに構えることもできようが、裁判官については、そのようなトンデモ裁判官を、我々が選んだわけではない。

 しかし選ぶことはできないが、罷免させることはできる。
 社会規範から外れたトンデモ裁判官が多数跋扈するようになれば、国は潰れるわけで、そうならないための防御機構として、最高裁裁判官の国民審査がある。議員を選ぶことは大切な権利であるが、こちらのほうも負けず劣らず大事な国民の権利だ。

 今の時代、最高裁の判決文は容易にnetで読めるので、国民側の判断材料が豊富なのは素晴らしいことだ。自分らの業界に関した裁判のみならず、世で問題になった最高裁判決をnetで検索し、いろいろと読んだが、…まあ自分の専門分野とはずれるところははっきりと判断はできないのだが、それにしても妙だと思える判決が多い。こういうものを、専門家が解説しているようなweb siteがあればありがたいのだけど。

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期日前投票に行く(1) 衆院選選挙についての雑感

 8月30日は選挙日なのであるが、用事があって投票に行けないので市役所に期日前投票に行く。
 投票はその行為が棄権であれ投票であれ国民の義務と思っているが、休日であっても、仕事があったり、旅行にでかけたりで、なかなか投票に行けないことが多く、この期日前投票の制度は、忙しい社会人にとってはとても有難い制度だと思っている。
 というか、早くオンラインで投票できるようにしろよ、とか思わぬでもない。

 さて、今回の衆院選挙は民主党の大勝が確実視されて、各メディアで大々的に報道されている。
 とりあえず、民主党に魅力があるかどうかはともかくとして、自民党に国民が愛想をつかして、政権交代を求める気分が横溢しているのは間違いない。メディアによる民主党300議席越えの報道って、私にはとても信じられぬけど、民主党が次の与党になることは間違いないことといえよう。

 民主政治は、(1)政権交代を流血騒ぎを起こすことなく行えること、(2)民衆が政治に参加できること、の特長を持つ。(1)は素晴らしい利点だが、問題は(2)である。
 選挙によって生じた政権は、当然のことながら国民が選んだものであり、ならば国民はそれに責任を持たねばならない。今度、民主党が政権をとったならば、そこで生じたことは、鳩山氏や小沢氏や管氏に責任を取れと言って済ませるものじゃないです。ひどい目にあったしても、それは私ら国民も責任を持たないといけない。民主政治はその意味で残酷だ。

 選挙前だから、民主党の悪口を書くわけにはいかないし、もしかしたら民主党が政権をとって素晴らしい政治を行ってくれる可能性もないわけではないが(笑)、あんな泡のようなマニュフェストを恥じらいもせず出せる政党を、さて国民はどう判断するのか。メディアの言うとおりに、300議席を超える大勝になるのか。

 今回の総選挙で、自民党は歴史的敗退におちいるそうで、党は四散し、解党せざると得なくなるそうだ。
 そうなると麻生氏は、50年の歴史を誇った自民党最後の総裁ということになる。

 麻生氏の政権時代をみるに、これほどメディアからぼろくそに言われた人もいないし、部下にも恵まれなかった(まあ、これは選んだ本人が悪いとも言えるが)人もいないが、客観的にみれば、麻生氏は有能であったことは間違いない。
 私もこの人がここまで逞しく、芯の強い人とは思いもしなかった。周囲の雑音を抑え、特にあの経済危機をなんとか乗り切れた手腕は、評価せざるを得ないであろう。

 ほんとのところ私は日本の今後の行きかたは、小泉構造路線でやるしかなかったと信じているが、それを反故にした麻生氏のやり方には、まったく感心しない。
 ただしここまで舵を切ってしまった以上、政治的には継続しかない。そして、政治は継続がなにより大事なのである。

 せっかく、うまくいきだした麻生氏の路線がここで御破算になり、またあの「失われた10年」が始まるかとなると、今度の選挙は、ちょっとばかり憂鬱になってしまう。

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August 12, 2009

流星の夜

 夏の夜の天体ショー、ペルセウス座流星群は今年は8月12日の深夜だ。
 こういうものは天候にすべてがかかっているわけだが、天気予報をみると晴れないしは薄曇りという感じなので、期待はできる。

 流れ星といえば、私にとってまずは思い出すのは、だいぶと前に真っ暗な阿蘇の夜道を歩いていたときのこと。いきなり夜空が明るくなったと思ったら、ジュワーとかいう音とともに一筋の光が夜空を裂き、それから消えた。そのあと、なんともいいがたい焦げくさい臭いがあたりに漂った。流れ星というものが、宇宙の妙なものが焼け落ちてくる現象ということを、目のあたりに見た体験であった。
 もちろん、たいへん美しい光景であり、その後はあれほどの迫力のあるものは見たことはないものの、それなりに、印象に残る流れ星はいくつも見ており、流れ星は好きである。それらの経験は、たいていは山の中でのことで、星が満天にギラギラ輝く夜空から、そのうちの星の一つがいきなりすってんころりと地上に零れ落ちてくるような、そんな光景を感慨深く見せてもらった。

 流れ星はあんがいと普通にあるものみたいだが、問題は夜空が暗くないと見えにくいということで、それで明かりがある地では、どうしても見にくい。
 しかし、流星群の日は、流星の元の密度が格段に違うので、少々夜空が明るくても、それに負けぬ流れ星が降ってくる可能性が高い。

 本日は夜の2時が流星のピークということで、そのころ外に出る。立ったまま上を見あげていると首が疲れるのは経験上分かっているので、近くの駐車場に銀マットを敷き、寝っ転がって夜空を見上げる。

 …しかし、街のなかなので街灯や建物の明かりがあるのはしょうがないとして、天空に月が輝いているのには参った。かなりの明るさであり、これじゃ相当明るい流星じゃないと見えないなあと思っていたら、長い軌跡を残して流れ星が一つ飛んで行った。これは数が期待できるかなと思ったら、だんだん雲が湧いてきて、夜空を覆ってしまった。
 しばし待つも雲は厚くなるばかりで、結局流れ星を一個見ただけで、もう諦めた。

 寝る前に、熊本の星好きな者に、宮崎はダメだったとmailを送ったら、すぐに熊本も雲だらけでダメでしたとの返事が来た。
 今年は南九州は全体的に厳しかったみたいでありました。
 さて、来年はどうなるか。

【雲と月】
Night_sky

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July 22, 2009

日食@平成21年7月22日

 平成21年7月22日は、日食の日である。
 日食じたいはさほど珍しいものでなく、私とて今まで幾度も、部分日食で3分の2ほどまで欠けた太陽を見た記憶はある。しかしながら今回の日食は欠け具合が宮崎で95%と、今までのものに比べ非常に本格的なものであり、その天体ショーを期待していた。
 ところが本日はあいにくの薄曇りの天候で、晴れ間ものぞかない。まあ、ダメもとでと11時少し前に外に出る。95%欠けているはずだが、外は普段同様に明るい。太陽、5%だけでもその力はすごいです。

 太陽は天の真ん中ほどの高い位置にあり、雲を通してその存在は分かる。
 どれどれと遮光フィルムをかざして、太陽を見ると、…おや、見事に欠けている。太陽は爪の先のようなほっそりとした形であり、とても細い三日月状となって輝いている。
 これは滅多に見られるものではなく、珍しいものなのでしげしげと見たが、形がどんどん変わるとか、炎を吹き上げているとかいうものでもないので、そのうち飽きて見るのをやめた。

【部分日食(のつもり)】
Eclipse

 記念にとデジカメで太陽を写したが、条件を設定するのが難しく、遮光フィルムを通したただの光の固まりにしかなってません。…デジカメの基本設定に、太陽の写し方なんて載っていないから、まあ素人には調整は無理ですな。
 でも、この日の個人の記録webには、たくさんの日食のきれいな写真が載っている。みんなどうやって撮影したのだろうか?

 あとでNHKのニュースを見ると、硫黄島などでの皆既日食のシーンは、荘厳にして神秘的なものであり、まさに自然の演じる最高のショー。これはたくさんの旅費を払っても一度は見たくなるものだなあと感心。(暴風雨に直撃されてしまった悪石島ツアーの人は残念でした)

 私も皆既日食ツアーに参加してみたくなってしまった。
 来年はイースター島で皆既日食が見られるそうで、ならばモアイ像もついでに見物できるわけだし、…行きたい。

【(参考)硫黄島の皆既日食像】
E090722_comp_ss


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June 25, 2009

【マイケル・ジャクソン追悼】 ムーンウォークの勧め

 マイケル・ジャクソンの訃報を聞き、彼が全盛期を迎えたころを知っている者は、それぞれの感慨を持ったであろう。
 私としても、彼の音楽およびプロモーション・ビデオはおおいに楽しませてもらった世代であり、彼の早すぎる死をとても残念に思っている。

 マイケル・ジャクソンの文化への貢献は数えきれぬほどあろうが、私は彼の踊りが一番だと思う。マイケル・ジャクソンの踊りは、シルエットで見ても、「誰も見てもマイケルの踊り」だと分かる、独特にして個性的なものだ。
 マイケルの踊りは、タップダンスとパントマイムを彼独自の感性で統合させたものらしいけど、素晴らしいセンスで突き詰めていったダンスは、マイケルのダンスとしかいいようのない、独自のアートとなっている。新しいジャンルのアートの創造って、天才にしか出来ない偉業であるが、マイケルはそれを成し遂げた人であった。
 そのダンスのなかでも、とくに有名なものが、かのムーンウォーク。

 歩くこと。
 人間にとって歩くという行為は、極めてありふれた日常的なもので、歩くことが出来る人なら、人生でこの行為に使っている時間は、膨大なものになるであろう。しかしながら「歩く」という運動は、あんがいvariationが少ないもので、普通の人は一種類の歩き方しか用いず、その歩き方で一生を過ごすことがほとんどであろう。
 歩くことに用いる時間を考えると、ただ一種類の歩き方のみで、人生のかなりの時間を使うのはもったいない、とも思える。そういう「歩行」の常識のなか、M.ジャクソンは新たな歩き方を創設し、宣伝し、世に大々的に伝えたわけで、…これってけっこうすごいことじゃない?

 ムーンウォークについては、Youtubeとかで検索するといくらでも動画が拾えるし、またレッスン法も載っているので、習得法はどこでも得られる。
 …ただ、あれらを見ていると、ある程度ダンスが出来る人向けのレッスンに思え、私のようなド素人には分かりにくいものがある。
 あとで書くけど、ムーンウォークは、素人こそ行うべき歩行法とも思えるので、「素人でもやれる」講義を、無謀にも私が書いてみることにする。

【基本型】
1_4

 まずは基本型から始めよう。私に絵心がないのは、勘弁してもらうとして、これは人間が歩き始める最初の形である。
 前にまっすぐ伸びている足を左足として、後ろの膝を曲げている足を右足とする。
 歩行とは、この基本型の繰り返しである。

【歩行】
2

 すなわち歩行とは、左足を地に平らにしっかりとつけて、重心の受け場とする。右足は膝を曲げエネルギーをたくわえ、左足の準備が出来た時点で、つま先で軽く地面を蹴って、赤の点線に示す軌道で先に進める。この間、左足に体重の全てがかかる。
 右足がしっかりと地面についたら、今度は左足の膝を曲げ、さきと同じ運動を左右を変えて行い、この繰り返しで歩行は成り立っている。
 字で書くと簡単なようだが、これら一連の行為は、精緻にして複雑微妙なバランスの調整が必要であり、ものすごく面倒な演算計算を要する運動であった。そのため哺乳動物で恒常的に二足歩行ができるのは結局人類だけであったし、二足歩行ロボットが現実化されたのは、20世紀も末の話であった。

【ムーンウォーク】
3_3

 さてムーンウォークである。
 ムーンウォークは「前の方へ歩く格好をしながら、滑るように後ろに進む」という歩き方である。具体的に、どうするかというと、
 基本型のフォームで曲げた右足を前に進めるのでなく、右足を固定して、平らに置いた左足の方を後ろに進め、それを左右組み変えながら繰り返せば、ムーンウォークだ。
 字で書けば簡単だけど、やってみれば大変なことがすぐ分かる。
 まず、「膝を曲げた右足を固定して左足を動かす」であるが、この右足には当然全体重がかかるわけであり、「膝を曲げてつま先立ちした足で全体重を支える」必要がある。それには、下腿の筋肉がよほど鍛えておかねばならない。
 さらに、ムーンウォークには守らねばならない基本がいくつかあり、

(1)前傾姿勢を保つ
(2)身体の軸を縦軸とも横軸とも固定する。具体的には横から見て、頭と腰の高さが一定、前からみて身体がまっすぐを保ったまま、体の移動を行う。
(3)足の交互の入れ替えはスムーズかつリズム正しく行い、流れのなかで一旦停止の部分があってはいけない。

 これらが守られていないと、いくら本人がムーンウォークをしているつもりでも、まわりから見れば、それは「単なる後ろ歩き」ということになる。

 ここでまず問題になるのが(1)と(2)である。前傾姿勢を保つ場合、前傾姿勢というものは前に歩くならその前傾の重力を吸収するべく足が進むのできわめて自然な運動なのに対し、後ろへ移動するのに前傾姿勢を保つことは、そもそも物理的に無理がある。後ろ移動のさいに前傾姿勢を保つために、身体に芯をきちんと入れねばならないし、さらにそれを(2)のごとくに自然な形で移動させるには、腹筋・背筋・腸腰筋の全てを鍛えて、重力に逆らえる筋力を持たねばならない。

 以上のように、ムーンウォークは、下腿および体幹の筋肉がしっかりとしていないと出来ない運動である。
…ということは、逆に考えれば、ムーンウォークを日常的に行っていれば、自然に下腿・体幹の筋肉が鍛えられることになる。
 下腿・体幹の筋肉といえば、山登りや自転車(というかスポーツ全般)において、とても重要な筋肉だ。ここを鍛えていないと、その運動を支える芯がなく、やっていてもただただ疲弊する何が何やら分からない運動をやっていることになる。それゆえ、ここの筋肉を鍛えることは、スポーツを楽しむことの重要課題であり、必須項目なのだ。
 しかしながら、社会人というものは、日頃トレーニングする時間がなかなかとれないものであり、そうそう簡単にはジムに行くとか、周囲をランニングするとかは出来ないことが普通だ。でもここで、室内でもできる運動で筋肉が鍛えられる歩き方「ムーンウォーク」はとても魅力的かつ実用的に感じられる。

 それで、ムーンウォークを普段の歩行の補助に使えば、筋力の鍛錬の一助となるはずであり、明日にでも実行したくなる。
 しかし、ムーンウォークには、(1)(2)以外にも、注意ポイントがあり、じつは(3)が最大の問題となる。ダンスを日常的にやっている人には問題ないのだろうけど、我々ド素人には、このリズム良い運動というのが難しく、もともと重力的に無理のあるムーンウォークを、ダンスの基礎がなき者がやれば、ギッコンバッタンの、ぎくしゃくとした運動になるのが当たり前で、滑らかな運動にはなり得ない。

 そこで私が提唱するのは、「前に進むムーンウォーク」の技術習得である。
 後ろに進むのがムーンウォークなので、前に進むムーンウォークなど、意味自体をなさないという意見もあろうが、もともとこのブログ自体がたいした意味がないので、そのまま話を進める。

 ムーンウォークが面白いのは後ろ向きに滑るようにして身体が動くことであり、では足を逆の方向に進ませれば前に身体が滑るはずである。それにはどうするかといえば、

【前方向ムーンウォーク】
4_2

 話は簡単で、膝を曲げて、今にもポーンとつま先で地を蹴るエネルギーをためている右足を、そのまま地面を這うようにまっすぐ進めるのである。そして右足が進みきって伸びた形で固定したところで、左足の膝を曲げて、右足に重心を移動したところで左足を進め、これを繰り返すと、前方向のムーンウォークとなる。
 この前方向ムーンウォークは、進む方向への前傾姿勢である、体重を支える足がフラットなので無理がない、との2点から、本来のムーンウォークに比べはるかに自然な運動であり、習得が容易である。これでリズムをしっかり覚えれば、ムーンウォークはこれの単なる逆運動なので、案外無理なくムーンウォークが習得できたりする。(はずである)

 さて、これで、だいたいムーンウォークの基礎ポイントが理解できたはずだ。どんどんムーンウォークを行うことにしよう。先にも述べたように、日常生活において、スポーツに必要な筋力を得るにはムーンウォークは、理想的に近い運動であり、推奨すべき運動と断言できる。

 …しかしながら、その実行に対しては、ひとつ問題がある。
 本邦ではムーンウォークはまだ日常的動作として市民権を得ていない。そのため、街中でも、建物内でも、この歩き方をしていると奇異の目でみられてしまう。ましてや職場でムーンウォークなどしていると、変人あるいは変態と思われてしまう危険性が大である。

 それがゆえに、ムーンウォークで歩きたいと思ったら、周囲をしっかりと観察して、誰もいないことを確かめてから行う必要があります。長~い廊下などで長距離のムーンウォークやっていると、廊下の上をすいすい泳ぐミズスマシになったような気になり、快適な気分になれますが、そこで誰かがやってきて目撃されると、冷たい目で見られる必定であり、お互いに気まずい雰囲気になって、のちの仕事がやりにくくなってしまったりします。
 経験者が語るのだから、説得力あるだろう。


 あの偉大なマイケル・ジャクソンの貢献にもかかわらず、本邦はまだまだダンスの文化は浸透していない。
 マイケル・ジャクソンは今年に復活ライブを行う予定であった。それが実行されれば、あのダンスがまたセンセーションを巻き起こし、昔よりはダンスに寛容的になった本邦に、ダンスの面白さ、素晴らしさを教え、ムーンウォークが日常的動作として市民権を得られるようになったかもしれない。
 そう思うと、彼の急逝はかえすがえすも残念であった。

 稀代の天才ダンサーでありアーティストであるマイケル・ジャクソンに、哀悼と追悼の念を捧げ、この項を擱筆することにする。
 私が生きた時代に、あなたのダンスと歌を経験することができて、心から感謝しています。

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March 24, 2009

WBC決勝戦 日本対韓国戦

 WBC決勝日本韓国戦、面白かった。近来まれにみる、手に汗を握り、胃がきりきりと痛くなるような、緊迫感・緊張感あふれる試合。この感覚は、10年以上も前に日本代表サーカーチームがイランを破り、フランスW杯進出を決めた「ジョホールバルの歓喜」以来だなあ。
 国代表のチームが、威信と誇りをかけて、全力を出したら、こういう名勝負が生まれるといういい例。

 WBC,デスクワークの合間にTVを観ていたのが、いつのまにかTVに釘付けになってしまい、気づけば職場の大勢のものがTVを取り囲み、大声をあげて一喜一憂していた。
 最も悲鳴があがったのが杉内交代の場面。「原監督なにすんねん!」と怒号の嵐。おかげでダルビッシュが一点取られて同点になった場面も、ある意味予定調和的出来事として落ち着いて見られた。
 最も歓声が上がったのがもちろんイチローのセンター前クリーンヒット。たとえこの後逆転されて負けても、この一打が見られただけで、WBCを観た価値がある一打。

 それにしても2アウト2塁3塁の場面で、イチローに真っ向勝負を選ぶ韓国バッテリーも素直に偉いと思う。
 韓国で最も嫌われている日本人、韓国野球界の最大の仇敵(と向こうが一方的に思っている)イチローに対しては、たとえ打たれて負けようが、戦いもせずに「逃げる」わけにはいかないという意地。潔くも美しい。
 イチローも投手の勝負心はよく分かっていて、気迫をこめて本気で投げてきたボールには本気で打つ。だからボールが外れてとんでもないコースに来ても、それに食らいついてバットに当てる。そんなクソボール振らんでくれ~、空振りするぞ、と皆が悲鳴を上げるような場面が続くうち、ついにバットは球を真芯でとらえ、センターにきれいに弾きかえす。一同、飛び上がり、大歓声をあげての大歓喜。このとき、日本全国どこでも同じ光景がくり広げられたことでしょう。

 スーパースター、イチローの、野球生活のなかでのおそらく最高の思い出になる打席、スーパースターのみが知る「星の時間」が来た瞬間、生で見られて、たいへん幸運であった。

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February 18, 2009

アルコール依存症の恐怖

 中川昭一氏が泥酔による醜態をさらしたことによって、財務相を辞任する羽目に陥った。各先進国の財政担当者トップが集まる場での会見が、国辱ものであり、国の威信を激しく損ねたというのがその理由のようである。
 …国辱ねえ。隣の大国ロシアにおいて、財務大臣どころか、国のトップである大統領が正真正銘のアル中であったのはそれほど昔の話ではないはず。

 アル中であろうが、なかろうが、仕事をきちんとやれればべつにいいように思うけど。今度のG7での中川氏の働きがろくでもないものであったのならいざ知らず、その面の話は聞こえてこず、たかがTV会見の失敗程度で、まだ若い前途のある政治家の政治生命を絶つのは感心しません。
 もっとも、泥酔してTV会見に出られない状態が分かっているのに、氏を会見に出す、周囲の者の危機管理能力のなさにはあきれます。もしかして周囲が止めるのを、本人がきかずに出演したというのなら、論外の話ではあるが。

 これはよく誤解されているけど、酒を止められずに、自分の健康・生活までを破壊するまで飲んでしまうアル中(正確にはアルコール依存症)は、本人の意思の弱さにより生じるものではなく、純粋なる病気なのである。
 アルコールを長年飲んでいるうち、脳のなかに何かのスイッチが入ってしまい、ONになってしまうと、飲酒を止めることができなくなってしまい、際限なく飲み続けてしまう。当人は飲みすぎて、他人に迷惑をかけることを自覚しており、そのことに反省・後悔をするものの、もはやスイッチが入ってしまっているので、制止することができない。
 この怖さは、吾妻ひでおや西原理恵子の漫画で、微にいり細にいり、克明に画かれており、私のような酒飲みは読んでいて、おそろしくなってしまう。

 酒を飲む人はたくさんいるけど、多量に飲めばアル中に必ずなるというわけではなく、アル中になるかならないかは、運としかいいようのない、脳内のスイッチのONOFFにある。そのスイッチの入る確率は、4~5%というから、決して低い確率ではない。運悪くしてこのスイッチが入ると、悲惨な人生が待っているわけで、…酒って、けっこうこわいぜ。

 客観的に考えて、私は大酒飲みに分類される種類の人間なので、時限爆弾かかえて生きているようなものである。いや、もしかして知らずに、すでにアル中になっているのかもしれない。

 不安になり、ネットにある「久里浜式テスト」で自分のアル中度をチェックしてみる。
 …幸いながら、私はなんとかアル中にはなっていないようだ。

 とりあえず、安心して、これから飲みにでかけることにする。スイッチが入らぬことを祈りながら。
 酒ほど人生を豊かにしてくれるものもないとは思うが、その価値と同程度に付き合うのに厄介な存在なのである。

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