コミック

November 11, 2009

コミック:ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

Maya

 北島マヤの演劇の恐るべき才能を知った月影先生が放つ有名な名セリフ、「マヤ、恐ろしい子」。
 この言葉を放ったシーンは、「ガラスの仮面」有数の名場面であり、web上あちこちで引用されており、自然に私も「ガラスの仮面」の書評を書くとなると、UPせざるを得なくなる。
 やはりすごい迫力だ。でも、ひきつった顔で額に汗をたらして哄笑する月影先生の姿をみると、「恐ろしいのは月影先生、あなたです」とも言いたくなってしまうが、それはさておき「ガラスの仮面」の最新刊である第44巻。

 「ガラスの仮面」は30年近く前に始まった連載漫画であり、30年ほど前この漫画を読みだしたとき、私は「こんなに面白い漫画があっていいものだろうか」と思ってしまったのだが、そのハイテンションな面白さが持続したまま連載が続いていたのに、10年近く前に突然に休載となり、残念に思っていた。

 休載の理由については巷間伝わる話では、「美内みすずが宗教にはまってしまい、あっちの世界にいってしまった」ということになっていた。
 それもあろうが、ほんとの理由は作中劇「紅天女」にあると思っていたし、今でもそう思っている。

 「ガラスの仮面」の特徴は、作中に北島マヤや姫川亜弓演じるところの作中劇が入っているところである。その作中劇、それだけで一巻の別の作品にもなるようなよく出来たものばかりであり、そこにこれらの演劇を演じる主人公たちの成長がからんで、ガラスの仮面という作品をより奥行きの深いものとしていた。

 その素晴らしい劇中劇のラスボス的存在が、かつて月影先生が演じたところの「紅天女」であり、当代一の最高の役者しか演じることができない至高の作品ということになっている。北島マヤも姫川亜弓も、これを演じたくて懸命に努力を続けてきた、そういう劇だ。

 その「紅天女」であるが、ガラスの仮面では、今までの作中劇がよく出来たものであったため、当然「紅天女」はそれらをはるかに超えるレベルの劇であることが要求される。そういう劇を作者は果たして作ることができるのか? 普通に考えれば無理であり、それゆえ「紅天女」上演を前にして、ガラスの仮面が休載になってしまったのはやむをえないことと思っていた。そしてそのまま「未完の傑作」となるものと思っていた。

 しかし、今更ながらの連載再開である。
 これからの連載はラスボス「紅天女」がいかなる劇なのか、それをいかに主人公たちが舞台上で演じるのかが主筋となってくるのであり、肝心貫目の「紅天女」に魅力がなければ、今まで積み上げてきた「ガラスの仮面」の世界が全て崩れてしまう。
 美内すずえさん、すごい覚悟で書いているのだろうなあ、とこちらも正坐して読まねばならないかのような真剣味を感じてしまいます。
 今のところ、「紅天女」の造形に破綻はなく、「至高の劇」と称される片鱗は見せ始めているようである。このままうまく物語を盛り上げていけるかどうか、読者もハラハラして見守ることになろう。

 …ただ、姫川亜弓のアクシデントはどう考えても余計だなあ。これくらいの目にあわないと、北島マヤのレベルには達せないとかいうことかもしれないが、素人からすれば演技の支障になるとしか思えない。
 作者の嫌がらせ(?)に負けず、薄幸の少女姫川亜弓が幸せになれればいいのだが。

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ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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March 19, 2009

コミック:鉄子の旅プラス 菊池直恵 著

 もう終了していたと思っていた「鉄子の旅」の新刊が出ていたので買ってみた。
 鉄道オタク「テツ」の情熱と滑稽さと愉しさを描いた「鉄子の旅全6巻」は、なかなかの佳作だったと思う。私のようなテツ気のないものでも、全巻面白く読めたし。

 今回の新刊は続編ではなく、「鉄子の旅」が人気が出て、それにまつわるいろんなイベントが連載終了後も行われ、著者が請われてその記録を漫画に描いたもの。「鉄子の旅・後日談」ということになる。
 いきなり単行本として出たわけでなく、月刊IKKIに不定期に連載されていたそうだ。IKKIなんて雑誌読まないから、知らなかった。IKKIって、ネットで調べるとライトノベル雑誌のようだけど、地方の本屋でも売っているのかな?

 本書では、筋金入りのテツ、横見氏のはじけっぷりは相変わらずだし、さまざまな職場に生息しているテツ達の行動も、それぞれ常識はずれで面白い。
 鉄道に興味を持たない人にとっては、この漫画は、テツという愉快な人種を観察するものであるみたいだな。

 さて、「鉄子の旅」で知り、私が是非とも乗ってみたいと思った鉄道がある。それは、肥薩線のえびの高原線矢岳駅周囲。なんでも、そこの風景は「日本三大車窓」の一つだそうで、雄大な高原の景色が広がっているそうだ。
 私の住むところの近くに、そんな日本三大なんとかに選ばれるようなものが存在しているとは知らなかったわい。
 …しかし、肥薩線ってものすごく不便なんだよなあ。熊本市に出るさいに、肥薩線に乗って行ってみようかと思ったことがあるけど、都城→吉松→人吉→八代→熊本って、便数も少なく、連絡も悪い。車で行く数倍の時間がかかってしまう。時刻表をながめて、めげてしまい、いまだに乗ったことはない。
 テツなら万難を排して乗るんでしょうけど、…結局私には鉄分が少ないということか。

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鉄子の旅プラス 菊池直恵 著

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March 16, 2009

コミック: PLUTO7 浦沢直樹 著

 アメリカらしき国が、自国にロボット産生の技術が発達していないため、これ以上のロボットの技術の発展を阻害しようとする。そのため、超高性能ロボットが大量破壊兵器になりうると言いがかりをつけて、今まで造られた7体の超高性能ロボットのみを残し、新たな高性能ロボットの製造が禁止されてしまった。その7体のロボットが、姿の見えない敵により、次々に破壊されていくというのが今までの筋。最後に残ったのは、オーストラリアの光子エネルギーロボット、エプシロンであった。そのエプシロンを主役にすえたのが、PULUTO第7巻である。

 大量破壊兵器になりうるとされた7体のロボット、じつは、そのほとんどが戦闘については白兵戦用のものばかりであって、強くはあっても、量はこなせないと思う。しかしエプシロンのみは、名実ともに「大量破壊ロボット」といえる存在であり、町ひとつを、一瞬にして消し飛ばす能力を持っている。当然、戦闘力に関しても最強のロボットであり、襲ってきた刺客ロボットPLUTOに対しても最初の戦闘では、鎧袖一触にして退ける。エプシロンは、警備担当のロボットが感嘆して言うように、「強い…」のである。
 エプシロンが戦闘を続行すればPLUTOは破壊されて、それでこのロボット連続破壊事件は一件落着になるはずであったが、エプシロンは敵にダメージを与え、退散したことのみに満足し、深追いすることはしない。エプシロンにとって、闘いは勝つためのものでなかったからだ。

 PLUTOを逃がしたことを責められたエプシロンが、「PLUTOは何度戦っても私の敵ではない」と宣言するように、エプシロンは作中で無敵の存在である。しかし無敵だからといって、現れる敵をいちいち倒す必要はない。エプシロンは、強かったので、自分の強さを誰よりも自覚していたし、誰よりもその恐ろしさを知っていた。

 戦闘能力があるからといって、それを利用してバトルに勝って喜ぶような能力は、ほんとはたいした能力ではない。ちょっとした感情の高ぶりで、町が都市がぶっ壊れるような能力こそ、真に畏るべき戦闘能力であり、エプシロンは自分にその能力があることを知っていた。そして、エプシロンはロボットが人間に近づくことにより、本物の憎悪・絶望がロボットの心に生まれ、凄絶な行為を起こしうるということも知っている。
 だからエプシロンは必死に感情を抑制し、闘いも断固として拒否する。自分の感情の暴走で、とんでもない災害が起きるようなことは絶対にしてはならないからだ。エプシロンの非戦主義は、周囲の者が揶揄するような「平和主義」などというような、生易しいものではないのだ。


 エプシロンは敵の策略によりさらわれた戦災孤児を救出に行き、またPLUTOと戦うことになる。PLUTOは呪われたロボットである自分を殺してくれと嘆願する。エプシロンの力では、それは容易なことであった。しかしエプシロンは敢然とそれを拒否し、他者の憎しみにまたも制御されたPLUTOに破壊されてしまう。
 エプシロンの悲しみの感情は、空間を越えて、眠れるアトムに届き、アトムが目覚めるところで7巻終了。

 最強の力を持ち、崇高な精神を持つ孤高のロボット、エプシロンの物語。
 原作のときもエプシロンは強く気高かったが、浦沢版リメイクでもエプシロンの魅力は健在であった。

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PLUTO7 浦沢直樹 著

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