コミック

December 06, 2013

コミック:月夢 (著:星野之宣)

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 日本最古の物語である「竹取物語」は、月世界からエイリアンが地球に超常の手段でやってくるという、日本最古のSFでもある。それゆえ、SF作家の創作欲をかきたてる題材でもあって、いくつもの翻案が為され、作品となっている。

 そのなかで、私が最も優れていると思うのは、星野之宣の「月夢」である。

 「月に還ったかぐや姫を諦めることが出来なかった男が、執念の努力のすえ宇宙飛行士になって月までかぐや姫に会いに行く。」という、あらすじだけ書けばギャグ漫画すれすれの話なのであるが、これがどうして、ギャグの要素など一切ない、ハードSFの一大傑作となっている。

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 30頁ほどの短編ゆえ、内容を詳細に書くと全てのネタバレになってしまうので書かないが、テーマの一つは永遠のものを求め続ける男の夢である。それはあくまでも夢なのであり、夢であるがゆえに儚いものである。しかし、その儚さを知っていても追い続けねばならない、その悲哀が全編を覆っていて、胸に強く迫って来る。
 そして、星野之宣ならではの緻密な画がまた見事なものである。
 とくに主人公が宇宙服の姿で月上の寝殿造りの屋敷に現れるシーンは、名画「2001年宇宙の旅」のラスト近くのロココ調の部屋のシーンにも匹敵する、衝撃性と、美術性にあふれた名場面。その他、かぐや姫も天上のものらしい非現実的な美しさをもっており、とにかく全ての画面が素晴らしい。

 映画「かぐや姫の物語」にも感心したが、「月夢」の傑作性を思い出し、この日本最古のSFは、優れた作家たちに刺戟を与え続けている名作なのだとも思った。

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 星野之宣 妖女伝説(2)

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August 05, 2013

コミック:かもめ☆チャンス (著)玉井雪雄

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 自転車プロロードレースは観ていてたいへん面白い競技である。
 競技者が一般人からすると人間業とは思えぬパフォーマンスを示すし、さらにはレースの組立てが、知略の限りを尽くす頭脳戦であり、レース全般がとてもスリリングである。それで深夜にツールドフランスが生中継されているときなど、画面を見ていて止められなくなり、寝不足に陥る人は数多い。

 ただし日本ではプロによる自転車レースはまだマイナーな存在であり、その魅力は一部の人にしか知られていない。
 それでも自転車レースというものを知らない人にも、この漫画「かもめ☆チャンス」は、そのリアルで丁寧な書き方から、自転車そしてレースの面白さが十分に伝わってくる秀作である。


 地方銀行マンの主人公は、自転車には興味などなかったのだが、ひょんなことから乗鞍ヒルクライムレースに挑戦せねばならない羽目になる。そこで己の限界を超える力を発揮した彼は、そこで自転車の魅力を知る。
 自転車に乗り続けるうち、主人公の周りには、変人ばかりが集まってくる。主人公は「どうして自分の周りには変人ばかり寄ってくるのだろう」と嘆くのだが、そのうちどうも自分には変人を引き寄せる何かがあるのではないのかと自問するようになる。それはじつは、主人公に人徳と、それに自転車の特殊な才能があるからだったわけだが、そうしていろいろな紆余曲折のうち自転車チーム「ブルーシーガル(青いカモメ)」が結成された。
 チームの面々は揃いも揃って変人ばかりであり、そしてじつに個性的である。
 このメンバーは、みな自転車は強いが、それぞれ自分の人生に影を持っており、その影が彼らの自転車の力を上げたり、あるいは下げたりしている。この影ある人生と、それに自転車のレースの進行が、微妙に交差しながら話が流れる。
 そのレースでは、チームはなにしろ個性的な者ばかりなので、つねに戦略が破綻しがちになる。自転車レースというものは、どんなに脚力のある圧倒的なエースがいても、チームプレイが機能しない限り、絶対に勝利することはない。ばらけがちなチームを、なんとか主人公と監督の力でまとめあげていき、レースは進んでいく。

 作中で、メンバーの一人が「全ての競技者は、フランスを目指す」というように、ブルーシーガルの目標は海外参戦であった。
 現実の話では、日本人チームというのは実力が低く、まだまだそれは夢物語なのであるが、作中では、その海外挑戦への段階にようやく入ったところで、今週最終回を迎えた。
 どうせなんだから海外戦までやってくれよと読者としては言いたくなるが、でも、話全体としてはここで終わったほうが、まとまりは良いとは思う。

 5年間連載を楽しませてもらいました。
 この作者の作品はどれも面白いので、またの新作におおいに期待。


 かもめ☆チャンス 玉井雪雄著


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 Résumé(まとめ)

 En Europe la course de vélo est sport trés populaire, mais la est im populaire au japon. Quiquoi la course de vélo est très intéressant, il est regrettable.
 Si les gens ne sont pas intéressés à vélo lirent cette bande dessinée “kamome☆tyannsu(mouette☆chance)”, ils pourraient savoir le charme de vélo.
 Dans la bande dessinée , l'image et l'histoire sont aussi très excellents.
 Lirant la, on peut être excité autant que on voit le Tour de France.


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June 27, 2011

コミック:とりぱん(11) とりのなん子 著

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 東北岩手に住む作者が、庭を訪れる野鳥たちの仕草、あるいは東北の自然豊かな地で暮らす日々の魅力、移ろいゆく自然の美しさを描く短編集である「とりぱん」。
 作者の独自の感性が描く、東北の自然の様々な姿は、あるものはコミカルで、あるものは詩的であり、漫画つきの良質なエッセイと称される分野のものであろう。

 季節はいつものようにめぐり、自然は静かであり、平穏なまま過ぎていくであろう東北の日々を描いていたはずの「とりぱん」であるが、連載6年目にして、作者は大事件に遭遇することになる。
 もちろん、3月11日の東北大震災のことである。

 大地は揺れ続け、電気が通らず、あらゆる情報から隔絶された不安な一夜を明かしたのち、翌日作者は、東北を襲った大災害の実態を知ることになる。
 幸いなことに作者は内陸に住んでいたので、自身や家族は大きな被害を受けることはなかったけれど、それでも少し離れた地では大災害の光景が広がっている。

 作者は呆然とした日を過ごすなか、いつものように庭を訪れた小鳥たちを眺め、彼らの声を心で聞く。
 ―小鳥たちは、電気もガスも関係なく、食べ物がなくなり寒さが厳しくなれば、そこで一人で死んでいく。それが当たり前であって、地震や津波だって彼らにとっては彼らが生きている自然のうちの一部である。
 作者は自省する。その小鳥たちと異なり、人間は自然とあまりに離れたところで、生活を営んでいるのではないか?

 それでも人は今の生活を生きていかねばならない。日常を取り戻すため、人々は社会での己の役割を果たしすべく、コツコツと活動を始めた。
 そして作者も机からノートを取り出し、漫画を描き始める。

 作者は思う。自然はたしかに厳しく恐ろしいものであるが、それでも、いやそれだからこそ美しいものである。その美しさを描きとめていくことこそ、自分のこの世での役割ではないかと。


 あの大災害を経験した人、見た人は、多かれ少なかれ、その人生観や自然観は変わらざるをえない。
 明るく愉しかった「とりぱん」の世界が、震災後、明らかに深化してきている。


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 とりぱん11 (著)とりのなん子

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April 28, 2011

コミック: テルマエ・ロマエIII (著)ヤマザキエリ

 コンビニに行くと、この新刊を含め、ずらりとI巻・II巻が売っていた。ローマ時代の風呂が題材という、極めてマイナー部門のコミックだったはずだが、しらぬまに人気作品となっていたのか。

 I・II巻では、タイムスリップ能力を持った帝政ローマ時代の風呂設計技師ルシウスが、日本の先進的風呂技術を古代ローマに移植していき、もともと風呂好きな民族であったローマ人たちに、さらなる幸せと喜びをもたらすといった物語であったが、III巻ではこれにローマの政治史が加わっていき、さらに物語の幅が広がってくる。

 時代背景はローマの最盛期五賢帝時代であり、ルシウスの実質的なオーナーがハドリアヌス帝という設定がまずよい。ローマの歴代の皇帝のうち「新しもの好き」で芸術家肌の皇帝といえば、第一にこの人だろうから。(ま、ネロ帝もいるけど、ネロ帝の享楽的気質は、真面目なルシウスとはあわないだろうし)

 ハドリアヌス帝の庇護のもと、技師ルシウスは風呂文化を改良させていく。ルキウスによって建てられた風呂はとても気持ちのよいものであり、気持ちのよい風呂は、それだけで人々の心と暮らしを豊かにする力をもっている。こうしてハドリアヌス帝治下のローマは平和と繁栄を享受していくわけだが、なかにはそれが気に食わぬ分子もいて、ルキウスの身にいろいろと事件が降りかかってくる、それがIII巻の主筋である。

 風呂話にしぼったI・II巻とちがって、III巻ではローマの歴史もからんでくるので、ローマ史好きのものとしてはより面白く感じられる。
 そしてIII巻ではハドリアヌス帝に加え、次皇帝アントニヌス・ピウス、その次の皇帝マルクス・アウレリウスもちらほらと姿を出し、どうやらこの物語は長期ものになる雰囲気もでてきたが、さてどうなることであろう。


 (おまけ)
 このコミック、人気は確かなもので、映画化が決定されたそうである。
 技師ルシウス役は阿部寛とのことで、彼のローマ人的風貌はたしかに適役に思える。
 しかし、そうなるとその雇い主のハドリアヌス帝が問題だな。阿部寛より威厳がある、彫の深い風貌の役者というと、役者の選択がそうとうに限られてくる。私が思い浮かべるに、渡辺謙くらいしか思いつかんが、…さて誰が選ばれるのか。

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テルマエ・ロマエIII

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March 09, 2011

コミック:機動戦士ガンダム THE ORIGIN(22) 安彦良和 著

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 とりあえず、ア・バオア・クー戦での一シーン。要塞に潜入し捕虜となったセイラさんのジオン兵士を前にしての一喝の場面。セイラさんは、なんと気高く、美しく、逞しいことであろうか。


 さて、私はガンダムは、なんとなく主人公アムロの成長物語だと思っていたけど、じつはアムロは地球連邦軍最強の武器として成長していっているだけであり、結局のところ物語では「極端に強い」戦術兵器としての役割しか果たしていない。
 それに対して、敵役のシャアは一貫して物語を動かしており、すなわちガンダムは、一年戦争を利用した、シャアのザビ家復讐とジオン再興の物語だったのである。そのことは原作でも一応語られてはいたのだけど、THE ORIGINを読むといっそうよく理解できる。

 第22巻は一年戦争のクライマックス、ア・バオア・クー戦を舞台としており、実質上ここで戦争の趨勢が決まり、ジオン体制が崩壊していくさまが描かれている。
 原作では司令官二人のわきの甘さが目立ち、あまりにあっけなくジオンの体制が崩壊するのであるが、本作のほうでは、キシリア殿はそう甘くはなく、体制崩壊にはちゃんとした理由があったことをサイドストーリーとして書いている。
 その理由とは、キシリア体制に反感を持った兵士たちが、絶好の神輿としてかつてのプリンセス「アルテイシア・ソム・ダイクン」を得たことである。この僥倖により、反乱兵士たちの士気が一気にあがり、要塞内で体制が崩壊してしまったわけ。

 原作でもセイラさんは気丈な女性であったが、本作ではさらに過激性を増して、やたらに攻撃的、戦闘的な女性として登場していた。それこそ、作中で兄のシャアが「あんなの、アルテイシアじゃない」と嘆くくらいに。
 その「強いセイラさん」像は、この反乱軍蜂起のときのための、長い伏線であったことがはじめて本巻で分かる次第。

 ガンダムファーストは日本アニメ史上に残る名作だったわけだが、それのコミック化である本作は、あきらかに原作より、深くて、面白い。最終巻になるであるだろう、次の23巻がまた楽しみである。

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 機動戦士ガンダム THE ORIGIN(22)

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April 30, 2010

コミック:元祖女子山マンガ でこでこてっぺん (著)ゲキ

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元祖女子山マンガでこでこてっぺん
(著)ゲキ 山と渓谷社(2010/3/5)

 月刊誌「山と渓谷」に20年間連載されていたものを一冊にまとめて単行本にしたもの。
 本の内容は山が主題であるが、登った山個別について語るというものではなく、山に登るまであるいは登るときのいろいろなゴタゴタ、山好きな人たちの奇人列伝、山へ行くときの装具の工夫、山登りでの失敗談等々、山登りにかかわる些細なことや脇筋のことを漫画の題材にしている。
 そのどれもが山を知っている人なら、相槌を打ったり、苦笑いしたり、身につまされたり、…身に覚えがあることばかりである。そして辛いこと、苦しいことも、ユーモアたっぷりに語られ、それがあるからこそ登山はやめられないなどと改めて思ってしまう。

 著者はいわゆる山女(ヤマメではなく、「やまおんな」と読む)である。幼少のころから山男の父親に山に連れて行かれたことから山の魅力にはまり、それから山登りをずっと続けている。著者の人生のかたわらには常に山があり、20年のあいだの就職、仕事、結婚、出産も、山とのかかわりで語られ、そして山を語ることがすなわち著者の人生史ともなっている。

 山登りというものは一生楽しめる趣味であり、自分の年とともにまた見えてくるものも変わってくる。そしてそのそれぞれが自分にとって大切なものであり、貴重な思い出ともなる。
 「山と渓谷」に載っているときはただ読み流すだけの漫画であったが、こうやって20年間に描かれた200本の漫画をずらりと時系列で読むと、楽しく笑いながらも、山と人生に関わりについて深い感慨を覚える。

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November 11, 2009

コミック:ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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 北島マヤの演劇の恐るべき才能を知った月影先生が放つ有名な名セリフ、「マヤ、恐ろしい子」。
 この言葉を放ったシーンは、「ガラスの仮面」有数の名場面であり、web上あちこちで引用されており、自然に私も「ガラスの仮面」の書評を書くとなると、UPせざるを得なくなる。
 やはりすごい迫力だ。でも、ひきつった顔で額に汗をたらして哄笑する月影先生の姿をみると、「恐ろしいのは月影先生、あなたです」とも言いたくなってしまうが、それはさておき「ガラスの仮面」の最新刊である第44巻。

 「ガラスの仮面」は30年近く前に始まった連載漫画であり、30年ほど前この漫画を読みだしたとき、私は「こんなに面白い漫画があっていいものだろうか」と思ってしまったのだが、そのハイテンションな面白さが持続したまま連載が続いていたのに、10年近く前に突然に休載となり、残念に思っていた。

 休載の理由については巷間伝わる話では、「美内みすずが宗教にはまってしまい、あっちの世界にいってしまった」ということになっていた。
 それもあろうが、ほんとの理由は作中劇「紅天女」にあると思っていたし、今でもそう思っている。

 「ガラスの仮面」の特徴は、作中に北島マヤや姫川亜弓演じるところの作中劇が入っているところである。その作中劇、それだけで一巻の別の作品にもなるようなよく出来たものばかりであり、そこにこれらの演劇を演じる主人公たちの成長がからんで、ガラスの仮面という作品をより奥行きの深いものとしていた。

 その素晴らしい劇中劇のラスボス的存在が、かつて月影先生が演じたところの「紅天女」であり、当代一の最高の役者しか演じることができない至高の作品ということになっている。北島マヤも姫川亜弓も、これを演じたくて懸命に努力を続けてきた、そういう劇だ。

 その「紅天女」であるが、ガラスの仮面では、今までの作中劇がよく出来たものであったため、当然「紅天女」はそれらをはるかに超えるレベルの劇であることが要求される。そういう劇を作者は果たして作ることができるのか? 普通に考えれば無理であり、それゆえ「紅天女」上演を前にして、ガラスの仮面が休載になってしまったのはやむをえないことと思っていた。そしてそのまま「未完の傑作」となるものと思っていた。

 しかし、今更ながらの連載再開である。
 これからの連載はラスボス「紅天女」がいかなる劇なのか、それをいかに主人公たちが舞台上で演じるのかが主筋となってくるのであり、肝心貫目の「紅天女」に魅力がなければ、今まで積み上げてきた「ガラスの仮面」の世界が全て崩れてしまう。
 美内すずえさん、すごい覚悟で書いているのだろうなあ、とこちらも正坐して読まねばならないかのような真剣味を感じてしまいます。
 今のところ、「紅天女」の造形に破綻はなく、「至高の劇」と称される片鱗は見せ始めているようである。このままうまく物語を盛り上げていけるかどうか、読者もハラハラして見守ることになろう。

 …ただ、姫川亜弓のアクシデントはどう考えても余計だなあ。これくらいの目にあわないと、北島マヤのレベルには達せないとかいうことかもしれないが、素人からすれば演技の支障になるとしか思えない。
 作者の嫌がらせ(?)に負けず、薄幸の少女姫川亜弓が幸せになれればいいのだが。

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ガラスの仮面44巻 美内すずえ(著)

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March 19, 2009

コミック:鉄子の旅プラス 菊池直恵 著

 もう終了していたと思っていた「鉄子の旅」の新刊が出ていたので買ってみた。
 鉄道オタク「テツ」の情熱と滑稽さと愉しさを描いた「鉄子の旅全6巻」は、なかなかの佳作だったと思う。私のようなテツ気のないものでも、全巻面白く読めたし。

 今回の新刊は続編ではなく、「鉄子の旅」が人気が出て、それにまつわるいろんなイベントが連載終了後も行われ、著者が請われてその記録を漫画に描いたもの。「鉄子の旅・後日談」ということになる。
 いきなり単行本として出たわけでなく、月刊IKKIに不定期に連載されていたそうだ。IKKIなんて雑誌読まないから、知らなかった。IKKIって、ネットで調べるとライトノベル雑誌のようだけど、地方の本屋でも売っているのかな?

 本書では、筋金入りのテツ、横見氏のはじけっぷりは相変わらずだし、さまざまな職場に生息しているテツ達の行動も、それぞれ常識はずれで面白い。
 鉄道に興味を持たない人にとっては、この漫画は、テツという愉快な人種を観察するものであるみたいだな。

 さて、「鉄子の旅」で知り、私が是非とも乗ってみたいと思った鉄道がある。それは、肥薩線のえびの高原線矢岳駅周囲。なんでも、そこの風景は「日本三大車窓」の一つだそうで、雄大な高原の景色が広がっているそうだ。
 私の住むところの近くに、そんな日本三大なんとかに選ばれるようなものが存在しているとは知らなかったわい。
 …しかし、肥薩線ってものすごく不便なんだよなあ。熊本市に出るさいに、肥薩線に乗って行ってみようかと思ったことがあるけど、都城→吉松→人吉→八代→熊本って、便数も少なく、連絡も悪い。車で行く数倍の時間がかかってしまう。時刻表をながめて、めげてしまい、いまだに乗ったことはない。
 テツなら万難を排して乗るんでしょうけど、…結局私には鉄分が少ないということか。

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鉄子の旅プラス 菊池直恵 著

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March 16, 2009

コミック: PLUTO7 浦沢直樹 著

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 アメリカらしき国が、自国にロボット産生の技術が発達していないため、これ以上のロボットの技術の発展を阻害しようとする。そのため、超高性能ロボットが大量破壊兵器になりうると言いがかりをつけて、今まで造られた7体の超高性能ロボットのみを残し、新たな高性能ロボットの製造が禁止されてしまった。その7体のロボットが、姿の見えない敵により、次々に破壊されていくというのが今までの筋。最後に残ったのは、オーストラリアの光子エネルギーロボット、エプシロンであった。そのエプシロンを主役にすえたのが、PULUTO第7巻である。

 大量破壊兵器になりうるとされた7体のロボット、じつは、そのほとんどが戦闘については白兵戦用のものばかりであって、強くはあっても、量はこなせないと思う。しかしエプシロンのみは、名実ともに「大量破壊ロボット」といえる存在であり、町ひとつを、一瞬にして消し飛ばす能力を持っている。当然、戦闘力に関しても最強のロボットであり、襲ってきた刺客ロボットPLUTOに対しても最初の戦闘では、鎧袖一触にして退ける。エプシロンは、警備担当のロボットが感嘆して言うように、「強い…」のである。
 エプシロンが戦闘を続行すればPLUTOは破壊されて、それでこのロボット連続破壊事件は一件落着になるはずであったが、エプシロンは敵にダメージを与え、退散したことのみに満足し、深追いすることはしない。エプシロンにとって、闘いは勝つためのものでなかったからだ。

 PLUTOを逃がしたことを責められたエプシロンが、「PLUTOは何度戦っても私の敵ではない」と宣言するように、エプシロンは作中で無敵の存在である。しかし無敵だからといって、現れる敵をいちいち倒す必要はない。エプシロンは、強かったので、自分の強さを誰よりも自覚していたし、誰よりもその恐ろしさを知っていた。

 戦闘能力があるからといって、それを利用してバトルに勝って喜ぶような能力は、ほんとはたいした能力ではない。ちょっとした感情の高ぶりで、町が都市がぶっ壊れるような能力こそ、真に畏るべき戦闘能力であり、エプシロンは自分にその能力があることを知っていた。そして、エプシロンはロボットが人間に近づくことにより、本物の憎悪・絶望がロボットの心に生まれ、凄絶な行為を起こしうるということも知っている。
 だからエプシロンは必死に感情を抑制し、闘いも断固として拒否する。自分の感情の暴走で、とんでもない災害が起きるようなことは絶対にしてはならないからだ。エプシロンの非戦主義は、周囲の者が揶揄するような「平和主義」などというような、生易しいものではないのだ。


 エプシロンは敵の策略によりさらわれた戦災孤児を救出に行き、またPLUTOと戦うことになる。PLUTOは呪われたロボットである自分を殺してくれと嘆願する。エプシロンの力では、それは容易なことであった。しかしエプシロンは敢然とそれを拒否し、他者の憎しみにまたも制御されたPLUTOに破壊されてしまう。
 エプシロンの悲しみの感情は、空間を越えて、眠れるアトムに届き、アトムが目覚めるところで7巻終了。

 最強の力を持ち、崇高な精神を持つ孤高のロボット、エプシロンの物語。
 原作のときもエプシロンは強く気高かったが、浦沢版リメイクでもエプシロンの魅力は健在であった。

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PLUTO7 浦沢直樹 著

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