不思議物件

July 13, 2019

湯田中渋湯温泉郷@長野

 善光寺の門前町である長野の奥座敷、湯田中渋温泉郷。長野からここまで私鉄が走っており、その終点地が湯田中温泉。
この温泉に、ユニークな建物と温泉を持つ、江戸寛政時代からの老舗旅館「よろづや」があり、そこに宿泊。

【ロビー】

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 「よろづや」は外見は廃虚風雰囲気のある鉄筋高層建築物だけど、中に入ると、華やぎのあるレトロな空間が広がっていて、驚かされる。

【風景】

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 本館の部屋から眺める風景。
 志賀高原へと向かう山並みが続いているはずだが、雲に途切れている。
 天気のよい日は、長野ならではの雄大な山岳の風景が広がっているだろうに、少々残念。

【桃山風呂:宿公式ページより】

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 純木造伽藍建築なる工法で建てられた大風呂は、その建築様式の豪華でまさに圧巻。自然の木だけを使い、ここまで豪奢で立派な風呂って、初めて見た。国の文化財に指定されている理由も納得である。

【世界大平和観音】

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 湯田中温泉は俳人小林一茶がよく訪れ句を詠んだ地ということで、一茶が散策した裏山が散歩道として整備されている。
 そのスタート地点が平和観音像であるが、かつては現役の宗教施設らしかった廃園のなか、もう手入れがなされなくなって久しいとおぼしき姿が、妙に印象的であった。

【一茶のこみち】

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 湯田中温泉の裏山、害獣除けの電気柵に沿って歩いてみる。周囲は鬱蒼とした雑木林で、展望はまったく利かない。
 ときおりある「平和の鐘」を鳴らしてみると、やけによく響き、なんだか迷惑行為をやっている気になってしまった。

【夕食】

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 夕食は地元の山の幸、川の幸を用いたもの。
 いずれも普通に美味しかった。
 長野は蕎麦の名産地であり、特に本日訪れた戸隠は全国的に有名であるけど、寄る機会がなかった。それをここで経験することができ、とりあえず長野の蕎麦クリア。

【渋温泉】

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 夕食後、隣の渋温泉まで散策。
 石畳の風情ある道を歩いて行く。

【金具屋@渋温泉】

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 渋温泉の夜の名物「旅館 金具屋」。
 千と千尋の温泉宿のモデルになったとも称される、木造4階建ての国の文化財。
 ライトアップされた姿は、夢幻的であり、御伽の世界の建物のよう。

【かえで通り】

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 朝は湯田中温泉名物の朝市へ。
 地図では「かえで通り」を進むとそこへ行けるとのことであったが、その通りに出ると、名前の由来がわかった。

【朝市@湯田中駅前】

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 足湯もある湯田中温泉駅前で、土日月の早朝に行われる朝市。
 野菜、果物、漬物、ジャム等々が売られているこじんまりした市。観光客と地元の人がまじり、コスパの良さそうな品々を買い求めておりました。
 山間の静かな温泉街に、この風景はよくあっていたと思う。

 

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May 11, 2019

お好み焼き慈恩弘国@京都市 

 京都市東寺の近くに、「慈恩弘国」というお好み焼店がある。
 この店、愛読している奇食の館というブログで10年ほど前に見つけ気になっていたのだけど、なかなか訪れる機会がなく過ぎていた。今回京都滞在の際、夜の食事はどこに行くとも決めていなかったので、この店にしてみた。

【慈恩弘国】

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 店の名前は、弘法大師ゆかりの東寺のすぐ近くにあることから付けられたと、建て前上はなってはいるが、暖簾の紋章を見てわかるように、ガンダムのジオン公国のパロディである。
 店の設定としては、敗れてなくなったはずのジオン公国が、じつは地球の京都に残党が逃れていて、細々とお好み焼きを売って国費を稼ぎながら、ジオン再興の日を企てている、ということらしい。関東の下町の安アパートの一室に事務所を構え、地球征服を企んでいるメトロン星人なみに、スケールが大きいのか、あるいは小さいのかよく分からん話ではあるが、そういうわけで、この店はじつは一独立国なのであり、だから店に入る行為は入店ではなく、入国となる。でもパスポートはいらない。

【店主】

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 入国すると、ジオンの軍服を着た店主がお迎え。
 いちおうランバラル大尉ということになっている。
 大尉は当然軍人が本職のため、お好み焼きを焼くのはじつは苦手だそうだ。

【メニュー】

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 お好み焼きは、メニュー見てわかるように、ザク焼、ドム焼、グフ焼等、アニメにちなんだ命名で、そのキャラクターに似せたお好み焼きが出てくる。
 スタンダードメニューはザク焼のようなので、それを頼んでみた。ついでにビールも頼んだけど、その名も「ギレン・ザ・ビール」であった。

【ザク焼】

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 というわけで、これがザク焼。なるほどザクの特徴であるモノアイが目立っている。そしてザクのイメージカラーである緑色のレタスが載っている。このザク焼にはもう一つ仕掛けがあり、このレタスをヘラで切るときに、「ザクっ」と音を立てるから、それもザク焼の所以だそうだ。

 このザク焼をアテにギレン・ザ・ビールを飲みながら、店主といろいろ歓談。
 雑談の内容は、もっぱらガンダムの話になるのであるが、この店は店主のキャラもぶっ飛んでいるけど、客も相当なもので、日本のみならず全世界からガンオタが訪ねて来るそうだ。まあ、ガンダムはワールドワイドな日本の文化コンテンツであるからして世界に名前が轟いているのは当たり前として、このようなマイナーな店がまた世界に知られている、というのもネット社会の面白いところだと思う。

 ところで、この国のお好み焼き、食べログの評価を見ると、ずらずらとひどいことが書かれており、それをあとで読んでみて、まったくその通りと私はけらけらと笑ってしまったのであるが、ただここのコンセプトはあくまでも第一はガンダムリスペクトであり、お好み焼きについてはそのついでのネタみたいなものなので、味うんぬんを言うのは野暮だとは思う。慈恩弘国がお好み焼きを国家収入の糧として考えたのは何故かというと、それには土地的な理由がある。

 慈恩弘国は京都駅周辺に位置するけど、この地はじつはお好み焼の名所みたいなところで、多くのお好み焼店が存在している。それはここらが以前九条葱の産地であり、今もそれを取り扱う店が多く、その九条葱はお好み焼きにとても合うので、それゆえ昔からお好み焼き屋が多かったそうだ。
 そして店主は長年京都に住みたがっていたが、予算の折り合いのつく、東寺近くのこの家を購入することができた。その家は、この地に多いお好み焼き店だったので、商売を始める際、そのまま営業するのが最も手っ取り早く、実際にその家をなんら改造することなく、お好み焼き店としてスタートすることとなったそうだ。
 だから、その購入した家がもしラーメン店だったら、慈恩弘国はラーメン店だったわけで、ザクラーメン、ドムラーメンなりがメニューに並んでいたであろう。

 慈恩弘国は店を構えて14年になるそうだ。ま、建国14年だな。慈恩弘国は、お好み焼き屋の激戦区で、14年間勝ち抜いてきたのである。当初は店主自身が、こういう一発芸みたいな店は早々に潰れると思っていたのだけど、ガンダムのファンが日本全国のみならず、世界各国からも訪れて来るので、ずっと現役でやってこれた、と感慨深く話していた。まったく、浜の真砂は尽きるとも、世にガンオタの種は尽きまじ、というわけですな。
 こういう店は、お好み焼そのものに対してのリピーターはたぶん居ないだろうけど、only one的な魅力を持っているので、これからもずっとこの地に在り続けるであろう。

【任命証】

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 慈恩弘国では、店を出るとき、もとい出国の際にポイント・カードとして、この名刺大の任命証が貰える。
 初訪の客は「二等兵」から始まり、来るたびに階級が上がって行くそうだ。「それでは、元帥目指して頑張ります」といちおう私は答えておいたけど、まあ、一回行ったからもういいか。

 ……………………………

 慈恩弘国 ホームページ

 

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March 31, 2019

大善自然公園@延岡六峰街道

【六峰街道からの眺め】

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 九州脊梁山地の稜線を走る六峰街道は、その景観の良さから、ドライビングやツーリングコースとして有名だけど、その街道を走っていると、ETOランドの近くに「大善自然公園」の不自然なまでに立派な門が、誰しも目につく。
 この門、その扉は固く閉ざされており、中を窺い知ることは出来ず、ここはいったい何の施設なのか誰しも不思議に思う、延岡最大のミステリースポットとして、「大善自然公園」はあり続けていた。

【大善自然公園】

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 で、その「大善自然公園」の正体は何か?というと、じつは名前の通り、公園そのものなのである。ただし、一般の「公園」とは異なり、その成り立ちはかなりロマンがある。
 他県在住のとある資産家氏が、自分の理想とする公園を建設しようと思い立ち、九州のいろいろな土地を探したところ、延岡の山奥にそれを見出し、広大な敷地を購入して、そこに多額の費用を費やして整備を続けた。ある一人の理想を追い求める男の、情熱の産物なのである。
 そして、その構想はとても雄大であったため、完成には数十年の歳月がかかったのであるが、ようやく理想形の完成に近づいて来た。そしてオーナー氏は身近の人にのみ公園を開いていたのだけど、延岡にとんでもない公園があるという情報を得た宮崎県北の観光促進NPOノベスタが動き、オーナー氏の御好意を得て、一般の人にも公開するプレオープンが行われることとなり、物見高い人たちがそれにわらわらと応募して、公園内に入る、ということができた次第。私もその物見高い者の一員として、延岡の秘境に在る、驚異のワンダーランド「大善自然公園」を訪れてみました。

【駐車場】

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 白い象が守る門をくぐると、すぐに駐車場がある。そのとんでもない広さにまず驚いてしまう。

【徒歩隊】

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 今回の参加者は、歩いて散策する人たち20名と、自転車で全体を回る10名の計30名。オーナーの解説を受けながら、まずは徒歩隊が出発。

【自転車隊】

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  徒歩隊に引き続き、自転車隊も出発である。道路は基本的に舗装はされていないので、マウンテンバイク使用。

【山神社】

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 公園内には、和から漢までいろいろなものがあるけど、最初は「山神社」がお迎え。

【林道】

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 林道は整備されて走りやすい。

【幸運の門】

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 幸運の門をくぐると、幸運になれるアイテムがいっぱいそろっています。

【幸運の玉】

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 巨大な御影石を磨き上げた「幸運の玉」。なでるとなんかいいことがありそうで、みななでています。

【七福神】

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 幸運の場なので、当然七福神もずらりと並ぶ。

【池、滝】

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 地形を上手く使って、滝と池を造成。
 オーナー氏がこの地を選んだのは、この山域で、水が十分に流れているのはここだけだったからということである。

【ほたる池】

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 清冽な水を生かして、蛍の養殖も行われている。
 6月下旬には公園内を蛍が飛び交い、それはきれいだそうだ。

【モミジの園】

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 たくさんのモミジが植えられた園。
 公園内にはモミジの樹が多く、秋には見事に染まるそうだ。それで、ノベスタは秋の訪問も企画しているそうである。
 このモミジ園の上方には、「古代中華テラス」とでもいうべき庭園があり、始皇帝の巨大な像が見えている。

【漢城へ】

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 石灯篭に誘われ漢城門への坂を登って行く。

【漢城門】

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 兵馬俑の武士俑が守る門。その奥にも武士俑や、戦車、馬の像がずらりと立ち並ぶ。

【桃園の誓い】

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 入ってすぐに、三国志の「桃園の誓い」の場面を表した像がある。

【始皇帝像:下の画像はノベスタ撮影】

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 その向かいには、始皇帝の巨大像。始皇帝が先の劉備、関羽、張飛像を見守る、という意匠らしい。
 この庭園は見晴らしがよく、腰かけ、テーブルも用意されており、休憩するのにもってこいの所である。

【展示館】

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 先ほどのモミジ園に戻り、この建物に入ってみる。この建物は、一種の秘宝館であり、たいへん珍しい宝物が納められているのである。

【剥製群】

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 建物のなかには、パンダの剥製。現在では国際条例でパンダの毛皮や剥製の輸入は禁止されているので、もう新品は日本に存在しない、という貴重なものである。他にも虎、白熊、狼等の剥製。これらもまた珍しいものである。
 延岡の山奥に、こんな秘宝が隠されていたのだ。

【林道】

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 昼食休憩後は外周の林道を自転車走行。道がラフで、傾斜も急なので大変。
 ノベスタとともに公園訪問を企画したミッチー氏は、コースが面白いので、いずれこの地でもサイクリング大会を開きたいとのことであった。

 

 大善自然公園は、オーナー氏が高齢なので、いずれはこの公園を公的機関に譲渡して、みんなで楽しめるものにしたいとの希望をもっている。その最初の候補は当然延岡市ということになるのだが、維持費が年間数百万円かかることから、貧乏自治体の延岡市としては二の足を踏んでおり、それで他の自治体に今は話がまわっている状況、とのことであった。
 情熱ある個人が一代で耳目を驚かす巨大な施設を造り観光名所になるものの、しかし時がたちそれを維持する後継者がいなくて、結局は廃墟と化していってしまう、そういう話はじつは多くて、それには明石の平和観音寺とか福井の越前大仏などがすぐに例として思い浮かぶ。
 けれども、宮崎には高鍋大師のように、地元のNPOによって維持され、町を象徴する施設にまでなった例もあるので、それにならって、この豪快でユニークでそして唯一無二の施設が延岡の山のなか、人々の訪れる施設として在り続けることをせつに願う。

 

 

 

 

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February 11, 2019

不思議物件:山口市のパラボラアンテナ群

 中国自動車道を走っていると、山口IC近傍で、巨大なパラボラアンテナをいくつも空に向けている施設が見え、その特徴ある姿は誰しも強い印象を受けているであろう。

 これは民間企業の一施設なのであるが、構内の立ち入りが一部許されているので、山口市に行ったついでに寄ってみることにした。

【山口衛星地球局】
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 遠目にもたくさんのパラボラアンテナが並ぶ施設だなあと思っていたが、近づいてみると、小さなものもさらに多数あることが分かり、その数に驚かされる。
 こういう施設はじつは日本にはここにしかなく、日本における業務用重要なパラボラアンテナはここに集約されているので、これほどの数が必要になるのだ。

 さて、この施設、誰しも疑問に思うことがいくつかある。それらを書いてみると、
 (1) アンテナはみな勝手勝手な位置を向いているが、何故なのか?
 (2) アンテナはいろいろな大きさのものがあるが、特に大きなものは直径30mを越える巨大なものである。なぜそんなに大きなものが必要なのか?
 (3) このパラボラアンテナ群施設は日本に一つしかないのだが、なぜ山口市がそこに選ばれたのか?

 (1)については、この施設の正式名称が「KDDI衛星通信センター」ということを知れば容易に解ける。すなわちパラボラアンテナは衛星の電波をキャッチするための装置であり、各自が目的とする衛星にその面を向けているから、アンテナごとに向きが違うのだ。

 (2)については宇宙開発史の知識がいる。衛星通信の黎明期、衛星を宇宙に運ぶロケットは性能が低く、小さな通信衛星しか打ち上げられなかった。その衛星の発する電波は微弱であり、その電波を拾うためには、巨大な面積を持つアンテナが必要だったのである。
 現在の技術では、5トンもの重さの通信衛星でも、ロケットは平気で宇宙に運べるため、そういう衛星の発する電波は強力であり、アンテナも小さなもので済むようになった。
 じっさい、巨大アンテナは現在ではオーバースペックなものであり、この手のアンテナはもう製造されていない。

【巨大アンテナ】
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 それゆえ、この巨大アンテナは「過去の遺物」に近いものといえる。まあ、まだ現役なのだが。

 (3)のなぜ山口市?という疑問に対する答えはなかなか難しい。通信衛星というものが静止衛星というものを理解していないと、答えは出てこないだろう。
 地球は丸いので、360度を三つに分割して、120度ずつ担当する衛星が3つ空に固定されていれば、全地球の通信はカヴァーできる。そしてじっさいにそのような衛星が3つ存在しているのだが、日本は太平洋とインド洋上にある衛星の範囲に入っている。その両方を担当するのに、山口市というロケーションが最適だったのである。というより、日本において山口市より東では、インド洋上の衛星の電波は受信できない。

 さらに山口市には好条件がいくつもあった。
 このような一国の通信を一手に担っている重要施設は、天災に強いことが求められる。山口市は天災の少ない土地であり、たしかに台風、地震、雪害、水害等の損害の記事はあまり見たことがない。
 そしてそれに加え、衛星通信施設には、周りに余計な電波が少ないことが必要とされる。本来なら天災の少ない地には人が集まり、大きな都市が形成され、電波が多くなりそうだが、山口市は天災が少ないわりには、辺鄙、というか人の少ない地であり、業務妨害となるような電波源は少なかった。

 そういうわけで、奇跡的に好条件が重なり、この地山口市にたいへん立派な衛星通信施設が建設されたわけだ。


 今まで私が述べたことは、このセンターの付設施設である「KDDIパラボラ館」に、豊富な画像、映像、音声、模型等々を使って、詳しく説明されており、宇宙開発、通信技術の歴史がよく分かって、たいへん面白い。
 山口市には観光名所が多いけど、この「パラボラ館」も、観光のさいぜひ寄ってほしい、隠れた名所である。

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 KDDIパラボラ館  

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December 31, 2018

誰でもたまげるミラノ大聖堂

【ミラノ大聖堂】
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【大聖堂前広場(臨時コンサート会場)】
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 観光都市ミラノの二大名物は「最後の晩餐」と「ミラノ大聖堂」。
 「最後の晩餐」の次は大聖堂に行こう。
 地下鉄駅を出ると、すぐ正面に大聖堂がある。その姿、世界最大級のゴシック建築といわれるだけあって、壮大壮麗そのものである。青空を背景に、大理石の尖塔を100本以上も突き立てる巨大建築物、見ただけで圧倒されてしまった。

 大聖堂は祈りの場である教会なので以前は入場料無料だったそうだが、今は有料なのでまずはチケットを買わねばならない。教会の近くにチケットオフィスがあるので、そこでまず購入。
 大聖堂はミラノに来た人は必ず寄る人気観光地なので、教会前にはいつも入場待ちの長い行列ができている。この行列に並ばずに済む「fast ticket」なるチケットもあるのだが、それは10時から開始であり、それ以前に来てしまったので、通常のチケットを購入して行列に並んでみた。
 入場の速度は、扉の前でのセキュリティチェックにかかっており、列は遅々として進まないのだが、ちょうど年末なので広場でコンサートが行われていて、退屈はしなかった。

【礼拝堂】
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 1時間ほど並んでようやく中に入ることができた。
 日の光がステンドグラスを通して差し込み、厳かな雰囲気をかもしだしている。中にあまたある宗教画、偉人像もまたその荘厳さを増している。さらには高い天井を支える幾本もの太い大理石の柱が、幾何学的統制をもって立ち並ぶ様が、この建築物そのものの非日常感を増幅させ、ここが外界と違う世界にある、という感覚を覚えさせる。
 神秘的空間の魅力に満ちた場所であり、これは長時間行列しても、必ず入らねばならないところだと実感した。

【大聖堂テラス】
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 この高い大聖堂には、テラスにいたる階段があり、そこも名所なので行ってみた。
 昔に造られたとおぼしい、やたらに狭い階段を登って行き、そしてテラスにいたる。道が狭いので、ここも行列ができている。
 屋上テラスはガイド本には「ミラノの街を一望できる」と書いていたけど、大聖堂はゴシック建築の常として、尖塔が立ちまくっているので、それが視界を邪魔して、風景が広がって見える場所はほとんどなかった。
 写真はテラスに着いてのもの。一番高い尖塔の上には、黄金に輝くマリア像。テラスにはくつろぐ観光客が多くいるけど、このテラス傾いているので、居心地はあんまり良くない。

【テラス展望】
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 テラス展望は、尖塔や壁のあいまから、街の一部が見えるという感じ。まあ展望台として造ったわけでもないからこんな感じでしょう。
 テラスから下りて行く通路側からは、世界一醜いビルと称される「ヴェラスコタワー」を見ることができる。こういう不安定そうな建築物を見ると、ミラノって地震の少ない地なんだろうなと思う。大聖堂だって、中規模な地震が起きると、尖塔の先端に設置してある聖人の立像がいっぱい落ちてきそうだ。

【正面扉】
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 大聖堂の名物その3、正面の青銅の大扉。
 聖母マリアの一生が描かれ、受胎告知、三博士礼拝、ピエタまで、いくつもの聖書の場面が精緻に彫られている。見事な工芸品であり芸術品である。


 ミラノ大聖堂、これは誰が見てもたまげるような大伽藍であり、全体をよく見れば、完成に500年の歳月がかかったことが納得できる、とんでもなく手間がかかった建築物であった。そしてさらにはこのような建物が現在も維持できているところに、カソリック教会の実力というものも知ることができた。

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September 18, 2018

ストーンヘンジ

 イギリス名物で、これは外せないのが世界遺産のストーンヘンジ。
 調べてみると、ロンドンから200kmくらいの距離で、急行列車で容易に日帰りできるところにあるので、天気の良い日に行ってみた。
 ロンドンの駅で、サウス・ウェスタン鉄道ソールズベリー行きの切符を自販機で買おうとし画面をみたら、なにやら複雑な料金体系になっていて、理解するのに少々時間がかかったが、要するに、特急料金はいらない、乗る時間によって料金が変わる、買う日付でも値段が変わる等々、とのことであった。……面倒なり。

【ツアーバス】
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 ロンドンから1時間半ほどでソールズベリー駅に到着。
 車窓から見る風景は、1時間半のあいだ、ずっとただっ広い平原であり、イギリス、土地余っているなあと感心した。
 ガイド本によれば、駅の近くにツアーバスが止まっていて、そこでチケット購入とか書いていたが、確かに駅を出て目立つところに、やはり目立つグリーン色の二階建バスがあった。
 このバスは1時間に一本ペースで発着しており、駅の列車到着時刻にだいたい合わせていたので、便利である。

【ストーンヘンジ】
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 駅からは20km弱、30分ほどでストーンヘンジに到着。
 有名な観光地だけあって、多くの観光客が集っていた。
 ストーンヘンジは平地から見るとその全体像が分かりにくいので、ビジターセンターにある模型像でそれを頭に入れてから行こう。

【ストーンヘンジ】
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 日本からはるばる来たぜストーンヘンジ、というわけだが、この遺跡は、要は巨大な岩が一定の幾何学的様式に従って並べているだけで、さほど心を打つような造形というわけでもない。
 しかしながら、ロケーションが素晴らしい。
 ストーンヘンジは他にいっさいなにもない(* ビジターセンターを除く)、地平線が見えるような広大な牧草地のなかの、低い丘の上に立ち、遥かなる広々した空間のなかに、唯一立つ人造物である。これは太古から人々に神聖視され、周辺には何もつくらないように、それそのままにして残すように、連綿と伝えられて来た、まさに歴史遺産なのであり、風景とセットにして初めてその価値が分かる、そういうものであった。
 こればっかりは、現地に行かないと分からない、体感的な感銘である。

【ソールズベリー】
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 ソールズベリーについては、ストーンヘンジの停車駅くらいの前知識しかなかったけど、いざ訪れてみると、古き良き時代の建築物が立ち並ぶ、たいへん情緒ある街であった。そして、特に街の要である、ソールズベリー大聖堂はどこから見ても目立つ大伽藍である。
 じつはイギリスの南部は先の大戦で、ドイツから大規模な爆撃を受けており、古い時代の街並みがそのまま残っているところは少ないのだが、ソールズベリーに関しては、この極めて高い大聖堂が、爆撃機にとって格好の道標となったため、敢えて攻撃せずに残していたので、ソールズベリーの街も保存されたとのこと。
 ソールズベリーはたいへん美しい街だったので、十分に散策したかったが、本日はロンドンの夕食を既に予約していたので、それに間にあわすため、大聖堂を訪れる時間もなく戻る羽目になった。
 次回イギリスに来るときは、この街を宿泊の地に選び、存分に街を歩きたく思った。

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December 24, 2017

不思議物件:土々呂の謎の塔

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 国道10号線を自転車で走っていたら、土々呂漁港を見下ろす小高い丘に、なにやら塔らしきものが建築中なのを見つけた。周りがメッシュシートで覆われているので、その本体の姿ははっきりとはしないが、かなりの高さのある塔であることは間違いない。
 全体的な形からは、「燈台」「電波塔」「煙突」「監視塔」などのどれかとは思われるが、どれもピンとはこない。
 ここは漁港なので、燈台はあってもいいが、この高さなら沿岸燈台だろうけど、それなら場所的にもっと沖側にないとおかしいし、もし防波堤燈台的なものだとしたら、それは既に足元にある。電波塔だと位置的には適切と思われるが、しかし電波塔は既に立っており、奥に一本小さく写っている。煙突ならその下になんらかの燃焼行為をする建物が付随しないといけないが、それらしきものは見えない。近頃隣の半島から不審船が日本海側に続々と漂着しており、それに備えての監視塔建設、というのはトピカルではあるが、この海域は日本海側ほど物騒ではなく、その必要性は乏しいだろう。
 というわけで、いろいろ考えるものの、どの説もピタっとはまるものはなく、そのまま国道を走っていたが、あの塔、どうも既視感がある、なんだったかな~と思いつつ走るうち、やはり国道10号線沿いに、「それ」が見え、なんであったかを思い出した。

【ヒマラヤ スポーツ&ゴルフ 延岡店】
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 スポーツチェーン店、ヒマラヤの広告塔である。
 これは、高さといい、形状といい、土々呂の塔によく似ている。これにシートかぶせたら、そのまま土々呂タワーになりそうだ。
 それで、これが土々呂の塔の正解、ということなら話は早いが、これはあくまで広告塔であり、ヒマラヤの本体は当然大きな平屋の店舗なのであって、ヒマラヤスポーツがまさか塔のみ土々呂に建設するわけない。もし建設したなら、笑う。
 結局、既視感の謎はとけたものの、おおもとの謎、「土々呂の塔は何なのか?」は分からぬままであった。

 ところが数週間して、同じ場所を通ったとき、塔は完成していてシートが払われており、その正体はあっさりと判明した。

【土々呂タワー】
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 携帯電話の基地局、電波塔であった。
 奥に同じようなものが立っていたため、まさかこれも電波塔とは予想していなかったが、誰が見てもこれは電波塔である。
 ということは、違う会社の電波塔が似たようなところに立った、ということなのであろう。どっちがどっちかは知らないが、たぶん奥がドコモで、新しいのがau。

 なにはともあれ、頭の片隅に残っていた疑問の一つが解決したわけで、少しばかりすっきりした気分で新年を迎えられることとなった。

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October 01, 2017

不思議物件:高鍋大師@高鍋花守山

【高鍋大師】
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 「何故このようなものが存在しているのか?」と、見たときに人々の心に疑問符を突き立てる不思議物件は、たいていは人里離れた、人訪れること少なき地にひっそりと存在していることが多いのであるが、宮崎の誇る不思議物件「高鍋大師」は、幹線道路である国道10号線を宮崎から大分方面に車で走っているとき、小丸川のあたりで左手の丘陵地に忽然と姿を見せる、堂々たる不思議物件である。

 丘の上に異形の石像が立ち並ぶその姿は、遠目にはあまりに奇矯であり、なんらかの怪しい宗教の建造物にようにも見え、人々はそこに禍々しいものを感じ、見たことがなかったことにして過ぎ去って行く、ということがほとんどである。
 じっさい、高鍋大師、その存在は知っていても、訪れたことはない人が宮崎には多い。

 けれども高鍋大師は、実際のところは、禍々しさなどそんなにはなく、どころかユニークで、個性的で、微笑ましく、愉快であって、しかし馬鹿らしくもあり、頭を抱えたくなるような難解なところもあり、つまりは混沌の極みの場であり、正確な感想は訪れてみないと分からない、・・・というか訪れても、「正確な感想」はまず得られないという、不思議物件の鑑のような、そういう貴重なものなのである。

【持田古墳群:茶畑の中にいくつもの古墳が点在している】
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 この石像群は、持田遺跡の古墳群に建てられている。

 宮崎は国宝を持たない県である。
 国宝を持たない県は他に一つしかなく、これでは日本の歴史発祥の地としてはみっともない、とかの意見が時に出てきたりする。
 日本歴史発祥の地というのはダテではなく、古代におおいに栄えた印として、西都や高鍋にたくさんの古墳がある。それらを片端から掘り起こせば、国宝級の遺物など容易に出てくるだろう、と私とかは思うわけであるが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。
 その第一の理由は、この地の古墳の多くは既に盗掘で荒らされており、貴重なものはもう残っていない可能性が高いということである。
 古墳とは、現在では貴重な文化財であるが、元々は墓である。霊の宿る神聖な場であるべき墓々の、その荒れ果てたさまを哀しく思った、岩岡保吉という地元で財をなした実業家が、鎮魂のために、石像をつくって古墳を祀った、というのが高鍋大師の元の始まりであり、とても崇高な志でつくられた施設なのだ。

【持田古墳群49号墳】
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 こういうスタイルがその典型である。
 持田古墳群の一つである49号墳を、様々な意匠の石像が取り囲んでいる。
 ただ、鎮魂というには、これらの石像の姿は少々賑やかすぎるような気もし、もしここに眠る人が感想を述べられたりしたら、どのようなことを言うだろうと、ちょっと気になったりもする。
 まあ、古墳って元々は、いろいろな造形の埴輪で飾られていたので、もしかしたらかえってオリジナルに近いものなのかもしれない。

【高鍋大師本堂】
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 高鍋大師は、本堂もあり、一応はお寺であるみたい。「大師」の名前があるくらいだから、真言宗系なのだろうが、この石像は、神・仏・偉人・有名人・動物等々なんでもあり、神仏習合を越えて混沌のきわみではある。

【持田風景】
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 高鍋大師は小高い丘にあるので、持田の町なみ、そして日向灘を一望できる。
 石像群に加えて、この風景も魅力である。

【花守山】
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 ところで今回高鍋大師を訪れたのは、丘一面に植えられた彼岸花が見頃を迎えているという新聞記事を読んだからなのであり、それでサイクリングがてら訪れたのだが、・・・残念ながら、この丘の彼岸花の旬は終わっていた。

【彼岸花】
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 丘の下の道路脇の彼岸花は、しかしまだ咲いていた。
 赤・白・黄とある彼岸花のうち、黄色のものは今が旬のようで、鮮やかな色を楽しめた。

【駐車場】
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 この手の、個人の趣味と情熱のみで造られた、トンデモ系の施設は、たいていはまず家族に理解されず、造り手が亡くなったのちは、後継者を得られず、そのまま放置され廃墟と化し、やがては重機が入って更地化される、という勿体ない経過をたどることが多いのだけど、この高鍋大師は地元のNPOによって適切に管理されているようで、往時の姿が保存されているようだ。

 しょっちゅう台風がやって来る宮崎の地で、背の高い石像の立ち並ぶこの施設の維持管理は大変だろうと思うけど、宮崎の誇る不思議物件、ぜひぜひこれからも後世に伝えていってもらいたいものである。


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 高鍋大師 →高鍋町観光協会


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July 18, 2017

遥かなるモン・サン=ミッシェル 1日目

 世界遺産、モン・サン=ミッシェル(Le Mont-Saint-Michel)に行ってみようと思った。
 それで行く方法を調べてみたら、けっこう不便なところにあることが判明。日本からダイレクトに行こうと思ったら、空港→バス→TGV→バスと何度も乗り継ぎがあり、大きな荷物を持っている旅行者には辛い。だいたい半日かけてのフライトあとに、そんなに何度も交通機関を乗り下りするのは体力的には無理があると思い、いったんはパリに宿泊し、そこを起点としてバスツアーを利用し一泊二日でモン・サン=ミッシェルを観光するという、いちばん楽そうなプランを立ててみた。

 パリで二泊して時差ぼけをある程度修正したのち、早朝からのJTB主催のバスツアーに参加。JTBのオフィスはオペラ座の近くにあり便利である。パリでは、テロの影響がまだあるのか日本人観光客はとんと見なかったが、さすがにJTBのツアーでは日本人ばかりが30名ほど集まって来た。
 日本人のガイド氏はフランス在住の長いベテランであり、話題が豊富であって、バス旅行中楽しめた。
 ツアーは海岸の小さな港町オンフルールに寄ったのち、モン・サン=ミッシェルの対岸に到着。パリから6時間ほどかけての長旅である。
 まずは昼食ということで、モン・サン=ミッシェルがよく見えるレストランで、名物のオムレツを食べる。

【モン・サン=ミッシェルとオムレツ 】
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 これ、噂に聞いていたほどのジャンボなものではなかった。
 モン・サン=ミッシェルのオムレツは、レストラン「ラ・メール・プラール」が本家なのであるが、あれは大きすぎて日本人観光客には不評なことが多く、それでこのレストランでは小さめのサイズにしている、とのことであった。
 このオムレツ、日本のものとはまったく違っていて、ふわふわの泡々で、まるで玉子と空気を食べているような不思議な食感のものである。そして、玉子とバターの素材はとても良く、普通に美味しい。

【大雨襲来】
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 モン・サン=ミッシェルのあるノルマンディー地方の海岸沿いはたいへん天候が不安定であり、晴れと曇り、雨がしょっちゅう入れ替わる。
 本日も午前中は天気が良かったが、午後から厚い雲が一帯を多い、そして土砂降りの雨が降って来た。写真ではよく写っていないが、いまその大雨が降って、歩いてモン・サン=ミッシェルへ行った人たちが急いで戻ってきているところ。

【雷雲のもとのモン・サン=ミッシェル】
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 我々は雨が止むのをレストランで待ったのち、それから出発。
 雨は上がったものの、雨雲はまだ残っており、そこに幾度も稲妻が走っている。
 稲妻を背負ったモン・サン=ミッシェルの姿は格好よく、なんとか一枚の写真に収めようと何度も何度もtryしたが、雷が光ったときシャッターを押しても、すでにそれは手遅れで、といって雷が出るタイミングなど予想も出来ず、結局一枚も雷を撮れなかった。残念。

【モン・サン=ミッシェル】
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 モン・サン=ミッシェルは、シャトルバス駐車場付近から見る姿が一番絵になるそうで、これがそこからの写真。
 このあと、島のなかをしばし散策して、それからまた橋を戻ってホテルへと。

【ルレ・サンミッシェル】
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 ホテル、ルレ・サンミッシェルはモン・サン=ミッシェル対岸にあり、正面にモン・サン=ミッシェルがあるので、どの部屋からもその姿を見ることができるというのが売りである。
 で、私の泊まった部屋からは、・・・木立に隠れてあんまり見えない。
 じつはこのホテルには「冬(つまり樹が葉を落としたとき)にしかモン・サン=ミッシェル全貌が見えない部屋がいくつかあるのだが、その一つに当たってしまった。
 まあ、モン・サン=ミッシェルはさんざん見たし、あえて部屋から見たいとも思わなかったのだが、なんか納得いかないなあ。

【夕食】
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 午後7時半から夕食。
 フランスはサマータイムなので、まだまだ外は明るい。そして雲はいつしか吹き払われ、青空が広がっていた。その青空のもとのモン・サン=ミッシェルを眺めながらの食事である。
 モン・サン=ミッシェルは、干潟の牧草地に、潮風の当たる牧草で育った「プレサレ羊」が名物だそうで、その羊のロースト。日本の羊料理と違って、羊特有のにおいと味がしっかりとして、いかにもヨーロッパの料理という感じである。

 夕食を終えたのち、日が暮れるのを待ってから、モン・サン=ミッシェルのライトアップを見に行こうと思っていたけど、いつまでたっても、午後10時を過ぎても暗くならず、バス旅の疲れもあり、ついつい熟睡。
 起きたら深夜の2時であった。これはいかん、と思い、とにかく外出。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 ホテルを出ると、橋の手前までは、小さいながらも明かりがあったが、それからは明かりはなく、真っ暗である。
 そして遠くにモン・サン=ミッシェルが見える。
 当然ライトアップの時間は過ぎており、いくつかの照明のみがぼんやりとその姿を浮かばせていた。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 暗いなか、橋の上まで来たが、どこまでが橋の端か分からないくらいに真っ暗であり、ライトとか持ってきてなかったので、これ以上進むのを諦めた。
 しかし暗いのと雲が払われていたことで、頭上には無数の星々がきらめいていて、そして天空にまさに天の川が、輝く川の姿をして横切っていて、そのもとにモン・サン=ミッシェル、という荘厳な光景を見ることができた。
 写真では捉えることは不可能であったが、あの美しい姿はくっきりと記憶に残っている。
 いいものを見ることができた。


 ホテルに帰ったのち、また寝なおす。
 明朝は、「朝日に照らされるモン・サン=ミッシェル」を見たいので、目覚ましは日の出前の時刻にセットしておいた。

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February 05, 2017

雲仙観光ホテル

【雲仙観光ホテル正面 (宿の公式HPより)】
Hotel

 私が九州の旅行のネタ本としている「九州遺産」という本には、九州の近現代の歴史的建造物が101件おさめられており、いずれも歴史的価値の高いものばかりである。
 そのうちホテル部門で唯一つ選ばれているのが「雲仙観光ホテル」である。
 九州には立派なホテルがいくつもあるけれど、そのなかでこのホテルのみ選ばれたのにはもちろん理由があり、それは建物自体の価値と、その歴史的役割による。

 かれこれ80年ほど前、戦前の日本は財政難に苦しんでいた。その当時日本は輸出が不振であり、地下資源の乏しい日本は外貨獲得の手段に乏しかった。そこで外貨を得る方法として観光を思いつく。日本全国の風光明媚なところに、外国人の好むような豪奢なホテルを建てて、そこにどんどん観光に来てもらおうと思ったのである。
 複雑な地形を持つ日本ゆえ、山、海、湖、・・・風光明媚なところはいたるところにある。そこから15ヶ所を選りすぐって、多額の費用をかけて本格的なホテルを建設した。いわゆる「国策ホテル」である。
 考え方としては、悪くなかったとは思うのであるが、選んだところが悪かった。赤倉、阿蘇、唐津、松島、河口湖、中禅寺湖と、たしかに風景は良いが、交通の便の悪い、いわゆる僻地ばかりである。現代よりはるかに交通に手間暇かかる時代、そんなところにわざわざ外国人観光客が来てくれるはずもなく、いずこの施設も建てたはいいが閑古鳥が鳴き、営業はまったくふるわず、年月を経るうち多くは廃業し、取り壊されるか、廃墟化していった。
 九州にあるもう一つの国策ホテル「阿蘇観光ホテル」は、そちらの部類で、今も山なかに廃墟として朽ちるままとなっている。

 そういう悲惨な経過をたどってしまった国策ホテルのうち、「雲仙観光ホテル」は80余年間を生き残り、建築当時の重厚な姿を伝える数少ないものの一つであり、ゆえに国から文化財に指定されている希少なものなのである。

 今回雲仙岳を訪れたついで、不思議物件めぐりの一環として、このホテルに泊まることにしてみた。

【フロントロビー】
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 入ってすぐのフロントロビー。年期の入った太い木の柱や梁、大きな絨毯、高い天井。山岳リゾート風の意匠が、存在感高い。
 このホテルにはエレベーターはなく、階段を使っての移動になるが、それもまた味があってよい。廊下の天井も高く、ふんだんに使われている手入れの行き届いた木材とあわせて、「奈良ホテル」に似ているなと思って、案内のスタッフにそう言うと、「みなさま、同じ感想を言われます」とのことであった。

【図書室】
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 ホテル内には図書室、ビリヤード場などもあり、どれもクラシカルな雰囲気十分。

【眺め】
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 ベランダからは雲仙の街が眺められる。
 すぐ近くに雲仙地獄があることもあり、街のいたるところから蒸気がふき出ている。

【大浴場】
Bath

 大浴場は、湯量豊富な雲仙にしてはこじんまりした感じ。しかし、浴場全体の雰囲気はレトロかつクラシックで風情がある。

【レストラン】
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 食事はダイニングルームにて。
 この部屋がまた広くて、柱からアーチ型に支えられた天井も高くて、いかにもクラシックスタイルである。給仕のスタッフも正装であり、それも加えてさらにクラシックな雰囲気だ。

【ディナー】
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 オードブル:子牛のパテ 自家製ピクルス添え、帆立とオマール海老のボローバン、魚料理 鮮魚のムースリーヌ ノイリー風味の雲丹ソース 肉料理:黒毛和牛ロース肉の炭火焼

 料理は建物と同様にクラシカルスタイル。余計な創作性やいじったところはなく、堂々のストレートを行くフランス料理であり、いずれも普通に美味しい、旅先で安心して食べられるものであった。

【デザート】
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 デザートもまた本格的。いくつものスイーツがワゴンサービスで運ばれ、取り放題である。こういうのに慣れた外国人なら全種類制覇も可能であろう。

【夜の花火】
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 冬の雲仙の週末の特別サービス、花火大会。
 街の中心部から幾発もの大きな花火が打ち上げられ、冬の澄んだ夜空に広がる様は、たいへん趣がある。

【夜の花火】
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 もっとも冬なので、ベランダから見ていると寒くてしかたないから、しばらくして部屋に入り、ベッドに寝転がってガラス窓越しに花火を眺める。
 暖房の利いた部屋から、冬の花火を見る、これもいいものであった。

 建物、施設、部屋、調度品、ダイニングルーム等々、いずれもクラシカルスタイルで非日常感があじわえたホテルで、もう一つ冬の花火という非日常感も楽しめた一日であった。

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