不思議物件

October 01, 2017

不思議物件:高鍋大師@高鍋花守山

【高鍋大師】
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 「何故このようなものが存在しているのか?」と、見たときに人々の心に疑問符を突き立てる不思議物件は、たいていは人里離れた、人訪れること少なき地にひっそりと存在していることが多いのであるが、宮崎の誇る不思議物件「高鍋大師」は、幹線道路である国道10号線を宮崎から大分方面に車で走っているとき、小丸川のあたりで左手の丘陵地に忽然と姿を見せる、堂々たる不思議物件である。

 丘の上に異形の石像が立ち並ぶその姿は、遠目にはあまりに奇矯であり、なんらかの怪しい宗教の建造物にようにも見え、人々はそこに禍々しいものを感じ、見たことがなかったことにして過ぎ去って行く、ということがほとんどである。
 じっさい、高鍋大師、その存在は知っていても、訪れたことはない人が宮崎には多い。

 けれども高鍋大師は、実際のところは、禍々しさなどそんなにはなく、どころかユニークで、個性的で、微笑ましく、愉快であって、しかし馬鹿らしくもあり、頭を抱えたくなるような難解なところもあり、つまりは混沌の極みの場であり、正確な感想は訪れてみないと分からない、・・・というか訪れても、「正確な感想」はまず得られないという、不思議物件の鑑のような、そういう貴重なものなのである。

【持田古墳群:茶畑の中にいくつもの古墳が点在している】
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 この石像群は、持田遺跡の古墳群に建てられている。

 宮崎は国宝を持たない県である。
 国宝を持たない県は他に一つしかなく、これでは日本の歴史発祥の地としてはみっともない、とかの意見が時に出てきたりする。
 日本歴史発祥の地というのはダテではなく、古代におおいに栄えた印として、西都や高鍋にたくさんの古墳がある。それらを片端から掘り起こせば、国宝級の遺物など容易に出てくるだろう、と私とかは思うわけであるが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。
 その第一の理由は、この地の古墳の多くは既に盗掘で荒らされており、貴重なものはもう残っていない可能性が高いということである。
 古墳とは、現在では貴重な文化財であるが、元々は墓である。霊の宿る神聖な場であるべき墓々の、その荒れ果てたさまを哀しく思った、岩岡保吉という地元で財をなした実業家が、鎮魂のために、石像をつくって古墳を祀った、というのが高鍋大師の元の始まりであり、とても崇高な志でつくられた施設なのだ。

【持田古墳群49号墳】
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 こういうスタイルがその典型である。
 持田古墳群の一つである49号墳を、様々な意匠の石像が取り囲んでいる。
 ただ、鎮魂というには、これらの石像の姿は少々賑やかすぎるような気もし、もしここに眠る人が感想を述べられたりしたら、どのようなことを言うだろうと、ちょっと気になったりもする。
 まあ、古墳って元々は、いろいろな造形の埴輪で飾られていたので、もしかしたらかえってオリジナルに近いものなのかもしれない。

【高鍋大師本堂】
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 高鍋大師は、本堂もあり、一応はお寺であるみたい。「大師」の名前があるくらいだから、真言宗系なのだろうが、この石像は、神・仏・偉人・有名人・動物等々なんでもあり、神仏習合を越えて混沌のきわみではある。

【持田風景】
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 高鍋大師は小高い丘にあるので、持田の町なみ、そして日向灘を一望できる。
 石像群に加えて、この風景も魅力である。

【花守山】
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 ところで今回高鍋大師を訪れたのは、丘一面に植えられた彼岸花が見頃を迎えているという新聞記事を読んだからなのであり、それでサイクリングがてら訪れたのだが、・・・残念ながら、この丘の彼岸花の旬は終わっていた。

【彼岸花】
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 丘の下の道路脇の彼岸花は、しかしまだ咲いていた。
 赤・白・黄とある彼岸花のうち、黄色のものは今が旬のようで、鮮やかな色を楽しめた。

【駐車場】
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 この手の、個人の趣味と情熱のみで造られた、トンデモ系の施設は、たいていはまず家族に理解されず、造り手が亡くなったのちは、後継者を得られず、そのまま放置され廃墟と化し、やがては重機が入って更地化される、という勿体ない経過をたどることが多いのだけど、この高鍋大師は地元のNPOによって適切に管理されているようで、往時の姿が保存されているようだ。

 しょっちゅう台風がやって来る宮崎の地で、背の高い石像の立ち並ぶこの施設の維持管理は大変だろうと思うけど、宮崎の誇る不思議物件、ぜひぜひこれからも後世に伝えていってもらいたいものである。


 ……………………………

 高鍋大師 →高鍋町観光協会


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July 18, 2017

遥かなるモン・サン=ミッシェル 1日目

 世界遺産、モン・サン=ミッシェル(Le Mont-Saint-Michel)に行ってみようと思った。
 それで行く方法を調べてみたら、けっこう不便なところにあることが判明。日本からダイレクトに行こうと思ったら、空港→バス→TGV→バスと何度も乗り継ぎがあり、大きな荷物を持っている旅行者には辛い。だいたい半日かけてのフライトあとに、そんなに何度も交通機関を乗り下りするのは体力的には無理があると思い、いったんはパリに宿泊し、そこを起点としてバスツアーを利用し一泊二日でモン・サン=ミッシェルを観光するという、いちばん楽そうなプランを立ててみた。

 パリで二泊して時差ぼけをある程度修正したのち、早朝からのJTB主催のバスツアーに参加。JTBのオフィスはオペラ座の近くにあり便利である。パリでは、テロの影響がまだあるのか日本人観光客はとんと見なかったが、さすがにJTBのツアーでは日本人ばかりが30名ほど集まって来た。
 日本人のガイド氏はフランス在住の長いベテランであり、話題が豊富であって、バス旅行中楽しめた。
 ツアーは海岸の小さな港町オンフルールに寄ったのち、モン・サン=ミッシェルの対岸に到着。パリから6時間ほどかけての長旅である。
 まずは昼食ということで、モン・サン=ミッシェルがよく見えるレストランで、名物のオムレツを食べる。

【モン・サン=ミッシェルとオムレツ 】
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 これ、噂に聞いていたほどのジャンボなものではなかった。
 モン・サン=ミッシェルのオムレツは、レストラン「ラ・メール・プラール」が本家なのであるが、あれは大きすぎて日本人観光客には不評なことが多く、それでこのレストランでは小さめのサイズにしている、とのことであった。
 このオムレツ、日本のものとはまったく違っていて、ふわふわの泡々で、まるで玉子と空気を食べているような不思議な食感のものである。そして、玉子とバターの素材はとても良く、普通に美味しい。

【大雨襲来】
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 モン・サン=ミッシェルのあるノルマンディー地方の海岸沿いはたいへん天候が不安定であり、晴れと曇り、雨がしょっちゅう入れ替わる。
 本日も午前中は天気が良かったが、午後から厚い雲が一帯を多い、そして土砂降りの雨が降って来た。写真ではよく写っていないが、いまその大雨が降って、歩いてモン・サン=ミッシェルへ行った人たちが急いで戻ってきているところ。

【雷雲のもとのモン・サン=ミッシェル】
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 我々は雨が止むのをレストランで待ったのち、それから出発。
 雨は上がったものの、雨雲はまだ残っており、そこに幾度も稲妻が走っている。
 稲妻を背負ったモン・サン=ミッシェルの姿は格好よく、なんとか一枚の写真に収めようと何度も何度もtryしたが、雷が光ったときシャッターを押しても、すでにそれは手遅れで、といって雷が出るタイミングなど予想も出来ず、結局一枚も雷を撮れなかった。残念。

【モン・サン=ミッシェル】
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 モン・サン=ミッシェルは、シャトルバス駐車場付近から見る姿が一番絵になるそうで、これがそこからの写真。
 このあと、島のなかをしばし散策して、それからまた橋を戻ってホテルへと。

【ルレ・サンミッシェル】
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 ホテル、ルレ・サンミッシェルはモン・サン=ミッシェル対岸にあり、正面にモン・サン=ミッシェルがあるので、どの部屋からもその姿を見ることができるというのが売りである。
 で、私の泊まった部屋からは、・・・木立に隠れてあんまり見えない。
 じつはこのホテルには「冬(つまり樹が葉を落としたとき)にしかモン・サン=ミッシェル全貌が見えない部屋がいくつかあるのだが、その一つに当たってしまった。
 まあ、モン・サン=ミッシェルはさんざん見たし、あえて部屋から見たいとも思わなかったのだが、なんか納得いかないなあ。

【夕食】
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 午後7時半から夕食。
 フランスはサマータイムなので、まだまだ外は明るい。そして雲はいつしか吹き払われ、青空が広がっていた。その青空のもとのモン・サン=ミッシェルを眺めながらの食事である。
 モン・サン=ミッシェルは、干潟の牧草地に、潮風の当たる牧草で育った「プレサレ羊」が名物だそうで、その羊のロースト。日本の羊料理と違って、羊特有のにおいと味がしっかりとして、いかにもヨーロッパの料理という感じである。

 夕食を終えたのち、日が暮れるのを待ってから、モン・サン=ミッシェルのライトアップを見に行こうと思っていたけど、いつまでたっても、午後10時を過ぎても暗くならず、バス旅の疲れもあり、ついつい熟睡。
 起きたら深夜の2時であった。これはいかん、と思い、とにかく外出。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 ホテルを出ると、橋の手前までは、小さいながらも明かりがあったが、それからは明かりはなく、真っ暗である。
 そして遠くにモン・サン=ミッシェルが見える。
 当然ライトアップの時間は過ぎており、いくつかの照明のみがぼんやりとその姿を浮かばせていた。

【深夜のモン・サン=ミッシェル】
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 暗いなか、橋の上まで来たが、どこまでが橋の端か分からないくらいに真っ暗であり、ライトとか持ってきてなかったので、これ以上進むのを諦めた。
 しかし暗いのと雲が払われていたことで、頭上には無数の星々がきらめいていて、そして天空にまさに天の川が、輝く川の姿をして横切っていて、そのもとにモン・サン=ミッシェル、という荘厳な光景を見ることができた。
 写真では捉えることは不可能であったが、あの美しい姿はくっきりと記憶に残っている。
 いいものを見ることができた。


 ホテルに帰ったのち、また寝なおす。
 明朝は、「朝日に照らされるモン・サン=ミッシェル」を見たいので、目覚ましは日の出前の時刻にセットしておいた。

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February 05, 2017

雲仙観光ホテル

【雲仙観光ホテル正面 (宿の公式HPより)】
Hotel

 私が九州の旅行のネタ本としている「九州遺産」という本には、九州の近現代の歴史的建造物が101件おさめられており、いずれも歴史的価値の高いものばかりである。
 そのうちホテル部門で唯一つ選ばれているのが「雲仙観光ホテル」である。
 九州には立派なホテルがいくつもあるけれど、そのなかでこのホテルのみ選ばれたのにはもちろん理由があり、それは建物自体の価値と、その歴史的役割による。

 かれこれ80年ほど前、戦前の日本は財政難に苦しんでいた。その当時日本は輸出が不振であり、地下資源の乏しい日本は外貨獲得の手段に乏しかった。そこで外貨を得る方法として観光を思いつく。日本全国の風光明媚なところに、外国人の好むような豪奢なホテルを建てて、そこにどんどん観光に来てもらおうと思ったのである。
 複雑な地形を持つ日本ゆえ、山、海、湖、・・・風光明媚なところはいたるところにある。そこから15ヶ所を選りすぐって、多額の費用をかけて本格的なホテルを建設した。いわゆる「国策ホテル」である。
 考え方としては、悪くなかったとは思うのであるが、選んだところが悪かった。赤倉、阿蘇、唐津、松島、河口湖、中禅寺湖と、たしかに風景は良いが、交通の便の悪い、いわゆる僻地ばかりである。現代よりはるかに交通に手間暇かかる時代、そんなところにわざわざ外国人観光客が来てくれるはずもなく、いずこの施設も建てたはいいが閑古鳥が鳴き、営業はまったくふるわず、年月を経るうち多くは廃業し、取り壊されるか、廃墟化していった。
 九州にあるもう一つの国策ホテル「阿蘇観光ホテル」は、そちらの部類で、今も山なかに廃墟として朽ちるままとなっている。

 そういう悲惨な経過をたどってしまった国策ホテルのうち、「雲仙観光ホテル」は80余年間を生き残り、建築当時の重厚な姿を伝える数少ないものの一つであり、ゆえに国から文化財に指定されている希少なものなのである。

 今回雲仙岳を訪れたついで、不思議物件めぐりの一環として、このホテルに泊まることにしてみた。

【フロントロビー】
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 入ってすぐのフロントロビー。年期の入った太い木の柱や梁、大きな絨毯、高い天井。山岳リゾート風の意匠が、存在感高い。
 このホテルにはエレベーターはなく、階段を使っての移動になるが、それもまた味があってよい。廊下の天井も高く、ふんだんに使われている手入れの行き届いた木材とあわせて、「奈良ホテル」に似ているなと思って、案内のスタッフにそう言うと、「みなさま、同じ感想を言われます」とのことであった。

【図書室】
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 ホテル内には図書室、ビリヤード場などもあり、どれもクラシカルな雰囲気十分。

【眺め】
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 ベランダからは雲仙の街が眺められる。
 すぐ近くに雲仙地獄があることもあり、街のいたるところから蒸気がふき出ている。

【大浴場】
Bath

 大浴場は、湯量豊富な雲仙にしてはこじんまりした感じ。しかし、浴場全体の雰囲気はレトロかつクラシックで風情がある。

【レストラン】
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 食事はダイニングルームにて。
 この部屋がまた広くて、柱からアーチ型に支えられた天井も高くて、いかにもクラシックスタイルである。給仕のスタッフも正装であり、それも加えてさらにクラシックな雰囲気だ。

【ディナー】
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 オードブル:子牛のパテ 自家製ピクルス添え、帆立とオマール海老のボローバン、魚料理 鮮魚のムースリーヌ ノイリー風味の雲丹ソース 肉料理:黒毛和牛ロース肉の炭火焼

 料理は建物と同様にクラシカルスタイル。余計な創作性やいじったところはなく、堂々のストレートを行くフランス料理であり、いずれも普通に美味しい、旅先で安心して食べられるものであった。

【デザート】
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 デザートもまた本格的。いくつものスイーツがワゴンサービスで運ばれ、取り放題である。こういうのに慣れた外国人なら全種類制覇も可能であろう。

【夜の花火】
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 冬の雲仙の週末の特別サービス、花火大会。
 街の中心部から幾発もの大きな花火が打ち上げられ、冬の澄んだ夜空に広がる様は、たいへん趣がある。

【夜の花火】
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 もっとも冬なので、ベランダから見ていると寒くてしかたないから、しばらくして部屋に入り、ベッドに寝転がってガラス窓越しに花火を眺める。
 暖房の利いた部屋から、冬の花火を見る、これもいいものであった。

 建物、施設、部屋、調度品、ダイニングルーム等々、いずれもクラシカルスタイルで非日常感があじわえたホテルで、もう一つ冬の花火という非日常感も楽しめた一日であった。

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October 22, 2016

雨の日は滝&九州遺産巡り

 10月も下旬になり紅葉の季節になり、ちらほらと山々の紅葉情報も届いているのだが、せっかくの週末が雨となり、山には登る気がしない。
 雨で楽しめるものといえば、滝くらいしかないので、こういうときしかしない滝めぐりをしてみよう。目指す滝を選ぶにあたっては、私が不思議物件のネタ本として愛読している「九州遺産」という本に、いくつかの芸術的建築物が滝とセットとなって載っていたので、その二つ「白水の滝」「沈堕の滝」を訪れることにした。

【白水の滝】
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 竹田市の名瀑「白水の滝」。
 阿蘇の噴火でつくられた火山岩による崖から、直接水が噴き出て滝となっている。
 だからよく見ると、この滝はいくつもの水流が集まって滝を形成していることが分かる。
 この滝は二段構えになっており、二段目のほうは先の伏流水の滝を集めて水流が滝となっている。こちらはだから水の流れが太い。

【音無井路十二号分水】
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 白水の滝の近くにあるのが、この音無井路十二号分水。
 写真を見ただけでは何がなんやらよく分からん施設であるが、実物を見ると原理がよく分かる。
 竹田という地は水の豊富なところであるが、土地の起伏が激しく、農業用水をまんべんなく引くのが困難な地である。それを解決しようとしたのが、この分水。
 円形の真ん中では周囲の地から水をサイホンの原理で汲みだしている。ここから水がどんどん湧いてくる。そしてそこから外の円に水はあふれ、これが三等分され地下に引いている導管によって、三方向に平等に流されている。
 造形の面白さもあるが、このダイナミックな水の動きが見ていて飽きず、この分水、一度は見るべき価値あるものだ。

【沈堕の滝】
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 続いて豊後大野に移動し、「沈堕の滝」へ。
 この滝も阿蘇の大噴火をベースにして形成された滝であり、幅100mに及ぶ柱状節理の壁に幾筋にも別れた滝が流れる、見事な景観となっている。
 この滝はそのままダムの形をしており、そしてじっさいにダムとして使われていたので、滝の上部に堰堤が築かれており、それゆえ人工物+天然物のハイブリッドとなったユニークな景観をみせている。

【沈堕発電所跡】
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 沈堕の滝は発電施設として使われており、それで滝の下部に石造りの発電所が造られていた。
 明治時代の建築物で、石積みの壁面にアーチが並んでおり、廃墟と化した今ではなにやら神殿風の雰囲気もある。内部に入ることもでき、そこでは蔦が生い茂り、廃墟マニアとかにはとてもうけるような、いい廃墟っぷりである。


 「九州遺産」には、たくさんの訪れたい建築物が載っており、そしてそのなかには先の地震で崩壊したものや、もう撤去されたものがあり、これらがまだ残っているうちに、処々訪れてみたいものだと改めて思った。


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October 09, 2016

登山:三徳山 投入堂

 連休前の天気予報は、西日本はどこも雨ばかりであったが、連休に入ると予報は好転して、雨が降らないところが広がっている。
 鳥取県の三朝も、晴れ時々曇りといった予報だったので、これなら三朝の三徳山に登れると思い、米子から三朝に向けてGo。

 国宝「投入堂」を擁する三徳山は、それ全体が三仏寺の境内になっているので、寺によって管理されており、悪天候のときは登山禁止となる。5月に来たときに悪天候ゆえ登れなかったので、宿題になっていたのである。

【登山口から】
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 三仏寺、階段を登りつめての本堂で受付を行い、それから投入堂までの登山開始。
 年を経た巨杉が幾本もあり、荘厳な雰囲気を感じることができる。

【登山道】
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 本堂から投入堂までは200mほどの高さを登る。
 高さ自体はたいしたことはないけど、そこに至る道は、ロープや石段等は最小限に抑えられ、かなりハードなものとなっている。
 元が修験者の修行の道なので、当たり前とはいえ、それでも登山慣れしていない観光客あるいは参拝者が多く訪れる道としては、ハードぎるのはとも思った。

【文殊堂横鎖場】
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 文殊堂横の岩壁はさすがに鎖がかけられていた。
 ただ、鎖と足場の使い方がよく分からない人達によって、渋滞が始終起きていた。

【文殊堂】
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 文殊堂は崖に建てられているので、そこの縁側をぐるりを回ると、三徳山周囲の風景を見ることができる。
 今でも素晴らしいが、紅葉の時期はもっと素晴らしいものになるに違いない。

【観音堂】
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 文殊堂からは岩場を進んでいき、岩壁の洞窟に建てられた観音堂に着く。
 ここからは終点の投入堂はすぐである。

【投入堂】
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 そして、ようやく投入堂の姿を見ることができた。
 平安時代に建てられ、その姿をいまだに保存している国宝である。
 今までの道のりからして、日本の国宝のなかでも、観ることに最も苦労が要する部類の国宝であろう。
 しかし、投入堂の姿を見れば、その苦労は絶対報われる、その価値のあるものであった。
 なによりも造形が完璧である。
 美しい寺社建築は数あれど、投入堂は、自然との調和が見事であり、全体として完璧の造形美を持っている。
 この断崖絶壁に御堂を建てること自体が大変だが、そこに幾本もの柱を建てて御堂を支えていて、それは複雑極まる岩の形に、ぴったりとはまるように柱は建てられ、それがとてもリズミカルであり、また絵画的でもある。

 三朝は幾度も通ったことがあり、温泉、松葉ガニ等の名物は堪能したけど、真打の名物、投入堂はまだ経験したことがなかったので、今回やっとそれを観ることができ、とても満足した。

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March 19, 2016

水木しげるロード@境港市

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 妖怪のオブジェが商店街の通りにいくつも立ち並ぶ、「水木しげるロード」を訪れた。
 妖怪好きの私としては、ぜひとも訪れねばならない所であり、じっさいここが出来た20年近く前に一度行ったことがある。
 そのときはまだ妖怪の数も少なく、水木しげるプロダクションによる有名どころの妖怪が主であり、また商店街も寂れた雰囲気があったけど、ひさかたぶりに訪れてみると、妖怪の数はぐっと増えており、人出も多く、商店街も賑わっていた。
 町興しとしての見事な例であり、日本人の妖怪好きをうまく生かした発想の勝利といえよう。(もっとも、同じコンセプトの京都の妖怪ストリートは、あんまり成功していないようだが)

 通りの妖怪は、マイナーどころのものが増えており、一般にはあまり知られていないものが多く見られたが、おそらくはガイド本みたいなものが用意されているとは思われる。
 まあ、私はほとんど知っていたけど。
 こういうオブジェ化できる妖怪の元ネタは、たいていは江戸時代の画家鳥山石燕の妖怪図から来ており、それを勉強しておくとだいたいのことは分かる。

 そしてそれらの妖怪を眺めながら歩いていると、妖怪「枕返し」を見つけた。
 枕返し、これはなかなか根性の入っている妖怪である。
 妖怪とは、うすぐらい闇のなかに生息する曖昧模糊とした存在ゆえ、光みちた近代になって人の住むところに出没することは稀になったのだが、「枕返し」はいまだ現役の妖怪である。
 これがどういう妖怪かといえば、人が寝ているときにこっそりと現れ、枕を動かすという悪戯をする妖怪である。朝目が覚めたときに、頭の下にあるはずの枕がずいぶんと離れたところにあったりすることは、現代人でもよく経験することではあるが、・・・いまだ「枕返し」は健気にがんばっている、というわけだ。

【妖怪枕返し】
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 ところで、水木しげるロードの妖怪たちよりも妖怪っぽいものが、境港に行く途中にあった。
 ダイハツの車のCMでも有名になった「江島大橋」である。
 望遠レンズの使用によって、信じがたい急傾斜に見えることで知られている。

【江島大橋】
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 しかし、この橋、写真のマジックではなく、実物を見たらとんでもない急坂であった。
 予備知識のあった私でも、実物を見たらギョッとしたので、これいきなり見るとぜったいびっくりします。

【江島大橋】
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 水木しげるロードに行く人は、ぜひとも「現在の妖怪」的存在であるこの橋を見ることをお勧めいたします。

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February 29, 2016

不思議物件:ペニンシュラのミニバー@香港

 香港を3度目に訪れた今回、有名ホテル、ペニンシュラに泊まることができたわけだが、いろいろと戸惑うことがあった。
 フロントがチープだとか、セキュリティボックスの場所が分かりにくいとか、バスタオルをかけるところがないとか、その他いろいろだけど、にもかかわらず、ペニンシュラ自体は、「分かりやすいホテル」を目指していることも良く分かった。
 その代表が、部屋にいくつも置かれているタブレット。
 このタブレットにより、部屋の証明、温度調節、カーテンの開け閉めが、人差し指一本で出来るので、それこそ寝ていたままで、部屋の全ての機器を制御できるのは、けっこう愉快なことであった。

 ところが、ここで本題に戻るのだが、一つ困ったのがミニバーの利用法。

【ミニバーいろいろ】
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 ペニンシュラの大きなデスクは、一番下が冷蔵庫であり、その上には酒のツマミ、ワインなどが置かれている。
 普通のホテルでは、その近くにプライスリストがあり、まずそれぞれの値段が分かり、そして使ったものはチェックを入れ、チェックアウトの際にフロントで清算というのが、ルーチンである。
 しかし当ホテルには、その伝票がなかった。
 5ツ星クラスのホテルで、そういう伝票がない場合は、冷蔵庫内の飲み物はフリーというのが常道である。それで、ここもそうなのかなあ?とも思ったのだが、それにしては、なかに入っている品々が過剰で豪勢過ぎる。どう考えても、全品フリーということはあり得ない。(スィートとかなら、あり得るだろうけど、この部屋はそんな高級ルームではない。)

 というわけで、一生懸命プライスリストを探したが、見つからなかったので、フロントに電話。

 「ミニバーを使いたいが、プライスリストがない。どこにあるのですか?」と尋ねたら、ベッドの枕もとにリストがあるとのこと。改めて探すと、そのリストは見つかることには見つかったが、それはルームサービスの食事とかのリストで、部屋の外のドアノブにかけるやつである。
 もう一度フロントに聞くと、要は枕もとにあるタブレットにリストがあるとのことで、いろいろと使い方を習って、ルームサービスの項をクリックして、そして上に並んでいるリストを左にスクロールすると、ミニバーのプライスリストが現れて来ることが判明。
 ・・・面倒であった。

【タブレット(日本語表示あり)】
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 って、これってたいへん分かりにくいと思うのだけど。
 私が分かりにくいと思うくらいだから、けっこうな数の人も分かりにくいと思うんだが。特に年配の人なんかは。

 というわけで、ペニンシュラ香港に泊まった人が、「ペニンシュラ・香港・ミニバー」で検索して、その使い方の役に立てたら、というわけで、情報提供。

 もっとも、私はミニバーの値段見て、「高え」と思っただけで、結局は酒を飲むのはホテルのBarに行ってしまい、これは実際に使ったわけではない。それでこれ以上の情報提供はできない。
 あの形式からして、タブレットのメニューリストのものをクリックして、さらに出て来る項をクリックすると、そこでチェックまで出来るような気もするのだが、やっていないのでそこまでは不明。

 なにはともあれ、異国の地で、慣れない状況に直面すると、いろいろと面倒なのであった。

【ペニンシュラBar】
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 ペニュンシュラは、新館の高層階のBarでカクテルなどを飲んだ。
 Barの雰囲気は良かったけど、感心しなかったのが、眺望。
 香港は、夜景が大事なのだけど、せっかくの展望がブラインドが一部邪魔して、ひじょうに味気ない。
 これじゃあ、ホテルの一室から夜景を眺めながら一杯やるほうが、よほど情緒があると思える。
 あのミニバーの充実具合は、このへんに原因があるのではとも勘ぐってしまった。

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December 30, 2015

宮廷料理@辰園(台北市)

 旅行ガイド本「地球の歩き方」を見ていて、レストランの項を調べると最初のほうで紹介しているレストラン「辰園」では宮廷料理を出していて、この料理は台湾では一軒しか出されてないということが載っていた。
 「宮廷料理」とは、あの「満漢全席」のことである。だいぶと前に開高健や邱永漢のエッセイで名前だけ知っていて、憧れの念を持っていたまま、ずーと放っておいた料理が実際に食べられる機会がある、ならばそれは経験してみたい。
 そして満漢全席は清王朝の皇帝が食していた料理であって、「熊の掌」「猿の脳味噌」「駱駝のコブ」等々、今となってはゲテモノとしかいえぬ料理がメインの珍味シリーズなのだが、さすがに現在では相当にアレンジされているだろうから、その変遷具合も確かめたいという好奇心もあった。

 そういうわけで、「辰園」に宮廷料理の予約を取り、Go。
 ( じつは一行で済ますほどあっさりとはいかなく、いろいろと前後で苦労したが、まあ異国の旅行とはそんなものでしょう )

 「辰園」は、潮州料理の店。新鮮な海産物は浅めの味付けで調理し、それからフカヒレやアワビはそれなりに手を加えてその素材自身の旨みを強めて呈する、そういった料理が得意な料理である。

【延寿参茶】
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 「地鶏と高麗人参の滋養茶」
 このスープ、ほとんど漢方薬の乗りの味なんだけど、食前酒に似て、これからいっぱい食べるための、胃薬みたいな感じのスープであり、・・・美味いとは思わぬが、相当に手間暇かけた複雑な味わいが面白い。

【紅花献瑞】
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 「子豚の黄金丸焼き」
 中国では肉料理は豚が主役のようで、そして皮の調理には特に技術をこらしている。
 そしてカリカリに爽やかに焼けた皮がこの料理の主役。周りの野菜やクラゲを口直しに、カリカリと食いましょう。

【鳳蹄金鼎】
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 「極上フカヒレの姿煮」
 フカヒレは、・・・いい食材なのだけど、中国では極上のスープで煮る料理しか出てこないのは何故なんだろう。
 いや、とっても美味しいんだけど。なんか他に料理法はないのかと。

【双献吐珠】
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 「大正海老と帆立のチキンソースかけ」
 なんだか甘ったるそうなソースだけど、じつはさっぱり系統の、鶏の出汁が滋味ふかく感じられるソース。海老の素材もよい。

【金碧輝煌】
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 「極上アワビと茸の煮込」
 有難そうな名前の料理。
 アワビは複雑な味がたっぷりつまっていて、相当に手を加えたものであり、濃厚な味である。

【巨海霸玉】
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 「季節の蒸し魚」
 広東料理系の「清蒸鮮魚」的な料理。
 魚はたぶん鱸だったと思うけど、味付けはあっさりしており、魚の旨みがよく感じとられた。

【大地金絲】
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 「京風味手打ち麺。
 〆の炭水化物は、京風味手打ち麺」
 素朴な味付け肉と、柔和な腰の麺。中国でよくある系統の、ほっこりとした感じの麺料理。

【デザート】
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 ツバメの巣の杏仁ココナッツソース風味、季節の果物。烏龍茶。

 というわけでの「宮廷料理コース」。
 立派で豪華感のあるコース料理なんだけど、しかし皇帝が食していたコース料理にしては、平凡なような気もするであろう。べつだん珍味系の食材もなかったし。
 けれどこの店の「宮廷料理」とは、じつは料理がメインではなかった。


 辰園での宮廷料理。その流れ。
 レストランに入り、「宮廷料理」を予約しているといったら、専用の広い個室案内される。そして清王朝の皇帝の衣服を示され、それを着用にするよう言われ、着衣したところで記念撮影。そのままの格好で食うことも可能なのだけど、さすがにこういうシルクの高価な衣服で料理を食う気もせず、普段着に戻り食事がスタートする。
 個室では宮廷衣装の給仕の女性がずっと付きっきりでサーブ。(部屋に置いている卓上コンロで、担当の女性がスープ料理のたぐいを調理するのは、ちょっとやめてくれよとは思ったが。)
 そして、宮廷料理のサービスとして、お土産に辰園特製のお茶と塩で造った人形とメニューを書いた扇がもらえる。

【辰園個室と皇帝衣装】
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【辰園 お土産 三品】
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 そういうわけで辰園の宮廷料理とは、「古の皇帝が食っていた料理の再現」というわけでなく、「皇帝が経験していた豪華な衣服で優雅にサービスを受けながらの食事」という、バブリーな気分で食事を楽しむのが目的の料理であったみたい。

 これって、多人数で、みんな皇帝の衣服を着てわいわい騒ぎながら食べていたらたしかに面白そうだけど、私のように、食事を目的にして最少人数で訪れたら、部屋の空間は無駄だし、給仕の着飾った女性も時間をもてあましていたし、なんだか思いっきりはずしていたようであった。


 料理はもちろん良かったのだけど、なんだかいろいろと反省すること多き、辰園の料理であった。


 【大事な教訓】 初めてのレストランを訪れるときは、事前にくれぐれも調べましょう。

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April 19, 2015

神さん山・巣ノ津屋遺跡@祝子町

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 日曜、朝からパラパラと雨が降っており、美人の湯から眺める大崩山は、雲がかかっている。山に登る気にはなれず、近くを散策することにした。

 目指すは、美人の湯から歩いて10分ほどの位置にある、「神さん山」。
 近頃、県北のタウン誌によく出てくる、新名所のごときものである。
 新名所といっても、由来は古く、縄文時代の礼拝の場だったところである。

【入り口】
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 神さん山の入り口は、このようにすぐ分かる。

【参拝道】
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 竹林のなかの階段を上って行こう。

【神さん山】
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 神さん山は、20mにおよび巨石を祀ったものであり、とにかく巨大な岩の構築物であり、その巨大さを写真で表現するのは無理がある。このスケールの大きさと、それに神秘感を知るには現地に行く必要があるであろう。

【神さん山】
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 神さん山には、このように三角形の大石が設置されており、御神体のようになっていた。人工物かと思いきや、手を入れた形跡はなく、まあ大崩山には花崗岩がいくらでも転がっているから、このようなものもあったのでしょうな。


 それにしても祝子川の奥地の、このような不便なところに、縄文人の文化が築かれていたとは驚きである。ただしよく考えると、狩猟民族の縄文人にとって、この界隈は宝の山みたいなところであろうから、もしかしたらこの地は、大昔は現在よりももっと栄えていたのかもしれないかも、とも思った。

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October 19, 2014

不思議物件:うそぐいの滝@阿蘇高森

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 阿蘇高森は自然豊かで広大な地であるけれど、その秘境みたいなところに、「うそぐいの滝」と呼ばれるユニークな造形の名瀑があるという話を聞き、ツリーハウスを訪れたついでに行ってみることにした。

 場所については、けっこう大変なところにあるのであるが、「うそぐいの滝」という語句でGoogle検索すると最初の行に出てくる、「写真でたどるうそぐいの滝」という記事が、滝へのガイドとして分かりやすかった。そして「うそぐいの滝」への道は、この記事がないと、途中で不安になって引き返すであろうハードな行程であり、たいへん有用な記事であった。

 というのも、県道8号線から枝道に入り、滝への遊歩道の入り口までの舗装路が、地元の軽トラ専用のような林道・農道のたぐいであり、路面は荒れているし、路肩も崩れているし、脇から笹や雑木ははみ出しているし、アップダウンは激しいわで、この道は大丈夫なのか?と、事前情報がなかったら、運転していて不安に陥る道だから。

 そういうハードな道を越え、滝への入り口に到着。
 車4~5台が駐車できるほどのスペースがある。
 ここからはしばし杉の造成林のなかを歩き、そして本格的な山道に入る。

【うそぐいの滝へ】
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 川の高さまでは、急峻な尾根を下って行く。
 木段、金属製のハシゴ等で整備はされているが、いちおう登山の装備(トレキングシューズ、手袋等)でないと、この道はきつかろう。

【遊歩道(?)】
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 川の高さまで下ると、あとは平坦な遊歩道になる。
 しかし、この遊歩道はあまり踏跡ははっきりせず、ほとんど獣道の雰囲気である。
 傍の崖からは、清冽な水が岩から直接流れている。

【うそぐいの滝】
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 やがて滝らしい水音が高く響いてくるようになると、うすぐいの滝が姿を現す。
 この界隈は阿蘇の溶岩によって地形が造られているが、その岩の特徴から、地下水が岩を穿ち、岩から直接噴き出してくることによって水の流れができている。
 だからどの岩からも水が勢いよく出ているが、そのなかでも、その噴出孔が多く集まっているのがこの「うそぐいの滝」。
 上方の滝口には水は流れていないのに、岩壁から直接水が噴き出て、立派な滝を造っている、素晴らしい造形の美がある。

【遊歩道】
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 この滝はアプローチの不便さから、人訪れること少なきという事前情報だったけど、帰り道で4人組の見物客と会った。
 この滝の経験者の先導とのことで、みなさんしっかりした装備をしていた。「ひどい道のように思うでしょうけど、3年前よりは良くなってます」と言っていたので、高森の観光資源として、粛々と整備が整えられてきているみたい。

 面白い滝であった。
 そして滝の周りの植生から紅葉の時期はさぞかし美しく染まるであろうし、その絢爛たる風景のなかでの、白き滝の流れは絵画的な美しさを持つであろう。
 そのときにまた見てみたいという気はするが、…途中の運転のことを考えると、やはり躊躇してしまうなあ。

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