寿司

April 29, 2019

寿司:鮨とみ田@出雲市

 島根県の寿司店ではたぶん最も有名な店「とみ田」を訪れてみた。
 この店は相当前から江戸前スタイルの鮨を出し、当時の中国地方では珍しい存在であったので、一度は訪れてみたかったものの、島根を訪れる機会が乏しく、今回が初めての訪問となった次第。

【出雲三種の酒】

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 出雲は酒どころであり、良い日本酒を製造していて、それらを飲み比べ。

【ノドグロ】

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 出雲は良港があるので、店の素材はもっぱらそこから仕入れている。
 これは立派なノドグロ。酒も進む。

【鮨】

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 鮨も当然、地獲れの魚を主に使ったものが出て来る。
 握りはこぶりで、ネタにはあらかじめ味をつけて出されてくる。
 これらの鮨は、きつめの酢〆やヅケ等のコテコテの江戸前鮨ではなく、新鮮な素材の良さを生かして店主流にアレンジしたものであった。

 店主は広島で江戸前鮨を習い、それから平成4年に出雲に店を出した。当時は江戸前鮨は地元にはなかなか受け入れられなかったが、店主は適宜改良を重ね、今ではとみ田流といってよい独自の鮨をつくりあげ、観光客のみならず、地元でも人気の寿司店となっている。それゆえ、店は地元の人、観光客、あるいは出張中の人達でにぎわっていた。

 出雲にとみ田ありと言われていた店であるが、そのとおりの良い店であった。

 

 

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March 30, 2019

大海寿司&別府の変遷

 ひさしぶりに別府を訪れてみたら、ずいぶんと人の通りが多いのに驚いた。
 以前は閑散としていた駅前通りは、若者受けしそうな、カジュアルな新しい店が何軒も出来ており、食料品店もまた多く立ち並んでいる。
 そして道歩く人は異国語を話す人も多く、別府って、インバウンド効果が如術に現れている街だなあ、と実感。

【料理&鮨】
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 大海寿司に入って、「なんだか人が増えましたねえ、数年前までは閑散としていたのに」と言うと、とにかく別府のいたる所で外国人観光客が増えてきた、とのこと。路地の少し奥まったところにある大海寿司にも、ときおりひょっこりと外国人観光客が顔をのぞかすことも増えてきたそうで、………まあ、そのあとのことの話まではあえて聞かないことにしました。

 大海寿司の料理、豊かな海産物に恵まれた大分の、そのなかでも特上のものを使った素晴らしい料理の数々を楽しむ。今が旬のオコゼに、アオリイカ、赤貝、関鯖、車海老等々。どれも本当に美味しい。

 別府は、観光客はおもに温泉を目当てに訪れるわけだけど、ここは食の宝庫の地でもあるので、料理でも「とり天」以外の名物をどんどん出して、そして「食の地」としても有名になってほしいと思った。

 ………というふうなことを話すと、別府は宿泊のキャパが全く足りなくて、ホテルも何軒か新たに建設はしているものの、現在の空前の人手不足が災いして従業員が集まらずうまく稼働ができない状況であり、なかなか大変なのです、とのことであった。

 ほんの数年間までは、別府はあまりに人がいなくて、廃墟になってしまいそうなので、NPOが人を集める運動をやっていた、そういう時代があったのに、変われば変わるものだと私は感心したのであった。

 

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January 05, 2019

三社参りサイクリング&光洋

 1月最初の週末。松がまだ明けぬうちにサイクリングを兼ねて初詣に行こう。
 初詣といえば三社参り。宮崎の神社の大物のうち、日向の大御神社、都農の都農神社、宮崎市の宮崎神宮の三社参りとし、その途中にある神社も自転車の機動性を生かしていろいろと参ってみることにする。なにしろ、神社って正月くらいしかまともに行かないので。

【大御神社】
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 日向の大御神社からスタート。
 天照大御神を祀る、九州における「お伊勢様」である。神社の名の「大御」はもちろん天照大御神からつけられている。

【立磐神社】
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 美々津の立磐神社。宮崎県北は神武東征出発の地なので、それにゆかりある神社が多い。ここもその一つ。神武帝の船出の際に航海の安全を祈念したことに由来を持ち、それゆえ日本海軍発祥の地ということになっている。

【都農神社】
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 都農の大きな神社「都農神社」も神武東征にその由来を持つ歴史ある神社。宮崎では神社としての格が最も高い。
 祀っているのは大国主命で、なぜに出雲の神様が?とも思うが、それゆえ神社内には大黒様や兎の像が多くある。

【平田神社】
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 川南の平田神社。茅の輪をくぐって、本年度の無病息災を祈りましょう。

【北山神社】
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 道路に初詣の幟がいっぱいあったので、寄ってみた北山神社。
 神社内の説明書きを読んでみると、京都の北山に由来を持つ神社であった。
 お参りしたあと、神主さんにお祓いを勧められたが、サイクリングの格好でお祓いも変なので、丁寧に遠慮させていただいた。

【水沼神社】
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 新富町の水沼神社。神社裏には蓮でいっぱいの池があった。夏に来るとさぞ壮観であろう。

 今回はミニベロでサイクリングしていたが、思ったより時間がかかり、10号線を走って宮崎神宮に寄ると、夜の食事の時間に間に合わないので、一葉方面に進路を変更した。

【江田神社】
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 パワースポットで有名な江田神社。時間がなかったので、中にはいかず、入り口での参拝。

【一葉稲荷神社】
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 三社参りの終点は一葉稲荷神社にした。日暮れのなか朱塗りの鳥居の列が美しい。
 ここは有名な神社だし、写真映えもするので、三社参りのゴールとして適切であろう。

【一心鮨光洋にて】
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 三社参りを済ませて、本日の食事処「一心鮨光洋」に到着。
 サイクリングの疲れを癒す、美味しい食事と鮨を堪能していたところ、後半のほうで店内になにか落ち着かない雰囲気が出てきた。
 どうやらドタキャンがあったらしく、その連絡等でドタバタしていたらしい。
 そのドタキャンというのがひどくて、単に来ないだけならまだいいとして、(全然よくないけど)、その客がドイツワインが好みということで、銘柄まで指定してワインを店に用意させていた。そのワインが42000円なりのエゴン・ミュラー。ドタキャンによる食材、席の損害だけでも大変なのに、それに使い道のない(というか使い勝手の悪い)高額ワインまで負担させる、というスーパードタキャン。
 ワインを手配したソムリエ氏は高価なワインを前に嘆いていたので、「新年早々大変だけど、これが底に決まっているから、今年はこれから良くなるしかない、とポジティブ思考で行きましょうよ」と私は他人事のように適当なことを言ってなぐさめた。いや、まあほんとに他人事なんだけど、それにしても世の中、どんな人間がいるやら分からないし、何が起きるか分からない、ということを改めて知った平成31年の新年なのであった。

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December 28, 2018

鮨み富@銀座

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 平成30年の年越しはミラノで過ごそうと思い、羽田発でミラノへ発つことにした。
 当日宮崎発で行けないこともないのだが、前泊したほうが時間の余裕があるので、仕事納めのあとは東京に移動。

 東京といえばまずは鮨だけど、近頃、東京の有名寿司店は予約が取るのが大変となってきて、しかもたいていは時間指定制で使い勝手が悪くなっている。さらには、銀座のブランドが上がり過ぎて、「銀座に来てもらったからには、特別な経験をしてもらいたい」との店主の熱意から、高級ネタが集中したツマミが出てきて、値段の高騰ぶりはともかくとして、寿司料理そのものとしてバランスが悪くなっている、という傾向を私は感じている。
 というわけで、夕食は鮨以外にしようと思っていたが、年末発刊の週刊新潮の食べ物欄を読んでいたところ、銀座の「み富」が昔からの江戸前スタイルの鮨を出していて好評であり、そして開店してまだ間もないので予約も取りやすいと書いてあったので、ものは試しと予定日の2日前に電話してみたら容易に予約をゲットできたので、Go。

 「み富」の店主は、銀座の老舗店「新富寿司」にずっと勤めていた人で、その仕事を踏襲した鮨を出しているとのことである。
 ツマミは主に、ネタを切ったものであり、過剰なものはなくてすっきりしている。
 鮨に関しては、〆モノや、煮物は丁寧な仕事が施されており、鮨全体が高いレベルで安定していて、江戸前鮨の魅力そのものに満ちていた。会計もいたってリーゾナブルなものであり、これは使い勝手のたいへんよい良店だと思った。

 ただし、便利のよすぎる所にあるので、やがては新橋系の有名店のように予約困難店になるなんだろうな、とも思った。

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December 22, 2018

登山:油山@福岡市 & 忘年会

 年末の連休は、福岡市の寿司店で忘年会。
 それで早めに福岡市に行き、夜まで登山でもして時間をつぶそうかと思い、福岡市の山を調べると、油山が市街地に最も近く便利そうだったので、そこに登ることにした。

 九州有数の商業都市福岡市に来て、なぜ登山をせねばならないのか、という説もあるだろうが、一つには福岡市の買い物にはもう飽きたということ、それと人間というものは年を取ってくると、いろいろと無精になり、本当にやりたいことしかやりたがらなくなってくる、という、そんな事情による。

【市民の森公園】
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 市民の森公園に駐車して、それからスタート。

【登山口】
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 駐車場からしばし歩くと、登山口があり、ここから油山山頂を目指す。

【吊り橋】
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 ここは「せせらぎコース」と名付けられており、ずっと沢に沿っての道。ときおり、沢を越えるため橋がある。

【吊り橋】
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 頭上を見れば、さらに大きな吊り橋が。

【登山道】
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 せせらぎコースをずっと歩いていたら、山頂には向かわず下山ルートに入ってしまったため、軌道修正をして、稜線の登山道に合流。
 よく整備された道が続く。

【山頂】
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 やがて山頂に到着。山頂からは北側が開けており、福岡市市街地、それに能古島が見える。

【キャンプ場】
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 山頂からはキャンプ場方面に下り、キャンプ場まで来れば、舗装道が始まり、駐車場へもすぐである。

 油山は、いかにも福岡市民の憩いの山という感じて、よく整備された登りやすい山であった。

【寿司店:近松】
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 登山のあとは、福岡市薬院の「近松」にて鮨を食べよう。
 福岡を代表する名店であるが、ちかごろは予約を取るのが大変となり、私も久しぶりに来た。
 ツマミ、鮨とも、相変わらずの完成度の高さ。しかもそれに加え、新たな工夫も随所に見られ、まさに「進化する寿司店」の本領を味わせていただいた。

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November 03, 2018

寿司:鮨 生粋@神戸市摂津本山

 関西では、京都市、大阪市には個性的な寿司店がそろっているけど、神戸市はどのようなものだろうと思い、神戸を訪れたついでに、神戸の有名寿司店「生粋」へと行ってみた。
 この店、神戸の繁華街から離れた摂津本山駅から歩いて15分ほどの住宅街のなかにひっそりとたたずんでいて、こういう店ってだいたい美味しいので、期待を持てる。

 メニューはおまかせの一種類のみであり、ツマミが一通り出たあと、握りに移行する。


 造りは石垣鯛、ツブ貝、炙り〆鯖の藁いぶし。小鉢で、牡蠣の酒蒸し、アン肝、岩もずく、ワタリガニ、白子椀。とそれぞれ、良い素材に工夫をこらしたものが続き、けっこう酒を飲んだのちに、口直しとしてミョウガの海苔細巻きが出て、それから握りとなる。

【握り】
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 鮨は江戸前。旨味の多い赤酢の利いたシャリを、きっちりと温度管理をして、適度に大きさを変えながら、仕事をほどこしたネタを握り供される。
 握りは金目鯛、スミイカ、煮蛤、中トロ、車海老、鰤、鰆、イサキのヅケ、イクラ丼、雲丹軍艦、穴子等々。
 中トロは今が旬であり濃厚な脂がのっている。コハダは塩と酢のしっかり利いた関東スタイル。イサキのヅケは完成度高い。ふっくりと柔らかい煮穴子は塩と煮ツメの二貫。最後は厚焼き玉子。

 繊細で丁寧な仕事がなされたネタに、旨味酸味の利いたシャリがバランス良く握られた本格的な江戸前鮨であった。
 人口百五十万の大きな都市である神戸市ならば、高いレベルの江戸前寿司店は何軒かはあってもらいたいものだが、その水準を十分に満たす良店であった。

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September 02, 2018

寿司:喜邑@二子玉川

 東京二子玉川に「喜邑」という寿司店があって、熟成系を主体とした独特な鮨を出していたのだが、あまりに独特過ぎて客が入らず、一部の鮨マニアにのみ有名であった。
 だいぶと前にそこを訪れた宮崎の某寿司店主は、その鮨に感心してその技を応用した鮨を一時期出しており、その店主から「喜邑」の話を聞いた私は一度は訪れたいと思いつつ、東京にはほかに行くべき寿司店が多いので、二子玉川まで足を伸ばす気にもなれずに時が経つうち、時代がようやく喜邑に追いついたのか、喜邑はいつの間にか超人気店となり、典型的な予約の取れない店となってしまった。

 それで喜邑はもう私に縁のない店とは思っていたのであるが、以前からの常連であった福岡の鮨マニアの某氏が九州の人にこの素晴らしい鮨を経験してもらいたいと思い、店主に頼んで日曜昼を貸し切り、参加者を募集した。
 持っててよかった鮨マニアの友人、ということで早速私も手を上げ、九州組遠征隊の一員として、今や「幻の名店」と化しつつある喜邑へと行ってきた。

 そして食べてみての感想といえば、確かに世評の通り、巧緻を尽くした独創的な鮨の数々。鮨の世界の奥深さと広がりを改めて知ることができた。
 その鮨のいくつかを紹介。

【烏賊】
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 本来鋭い歯ごたえと爽やかな旨みを楽しむスミイカは、かなり熟成を利かして、通常と異なる弾性のある食感と、濃厚な旨みのネタになっている。

【皮剥】
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 カワハギは刺身の下に、肝がたっぷりと敷かれていて、肝が主役でそしてそのあとカワハギが後をひく味わいをみせる複合的な鮨。

【秋刀魚】
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 新鮮さが命のはずの秋刀魚は何日も寝かせて、そこでねっとりとした食感と、豊かな味が新たな魅力を演出している。そして熟成によって、身がさらに美しくなっているのが面白い。

【鰯】
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 鰯は赤酢漬けで。普通の鰯と全く異なる色合いを見せていてまず驚く。そしてその漬け具合がまた絶妙で、鰯の本来の魅力を幾層倍にも高めている。

【カジキ】
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 江戸前鮨の華、マグロをこの店では使わないので、それに対抗すべきものはカジキの漬け。もちろん熟成ものであり、味の豊かさと広がりが素晴らしい。

【雲丹】
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 一通り出たあと、まだ食べていない食材をリクエスト、ということで出て来たのが赤ウニ丼。
 雲丹ばかりは、いじりようがないようで、ちょっと今までのラインとは異なったが、とてもいい素材のものであった。


 喜邑のネタはどれも個性が強く、ツマミならともかく鮨ダネとして用いるには少々厳しいとも思えるのだが、しかし喜邑の真の魅力は旨味濃厚なシャリにあり、各種の酢をブレンドしたシャリは、複雑な仕事を加えた鮨ダネにまったく負けない強く個性豊かな味のものであり、それで鮨全体としてのバランスが良く、どれも絶品ものの鮨となっていた。

 美味い鮨であった。
 この店に行くためだけでも東京に遠征する価値がある、そういう名店である。

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March 05, 2018

The last dinner at 光洋

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 宮崎市の寿司の名店「一心鮨光洋」は、元は一心鮨という店を経営していた先代が、新たに光洋の名を冠した分店を開き、そこで先代の4人の息子たちが各々の力を合わせて、時代の先端を行くような味をつくりあげてきた店なのであるが、そのうち次男・三男が独立して鹿児島に店を開き、今は長男・四男が店のコンセプトをつくっている形式となっている。
 長男の名が一洋で、四男の名が一光なので、「光洋」という店の名が、これでぴったりということにはなっていた。

 光洋を私が初めて訪れたのは、もう10年以上も前のことである。……月日の経つのは早いものだ。私も年取るわけだ。そして大将も前は新進気鋭の若者鮨職人というイメージだったのだが、今はもう確固たる地位ある中堅どころ、といった感じになっている。
 その円熟の時期を迎えてきた大将率いる光洋であるが、なんと3月15日で大将は光洋を辞めて、それから海を渡って、海外で鮨を握ることを決めたそうだ。

 人生は一度しかないのだから、なにかをやる気力、体力のあるうちに、新たなことにチャレンジして人生の幅を広げて行く、という心意気はよく分かるし、応援もしたいけれど、この報を知りまず思ったのは、「あれ、じゃあ光洋って名前はどうなるのだろう?」ということであった。

 それを調べるために、さらに締切迫った大将の鮨を食すために、光洋へとGo。

 光洋の鮨ほど、変化というか進化してきた鮨もないのではあるが、この店での最終形態としては、ネタもシャリも旨さを重視して、華やかな、色気ある鮨、というものに行き着いたようである。
 そして、ソムリエ一光氏によるワインのペアリングは、見事にその系統の鮨に決まっており、特に鮨に赤ワインをあわせるという、一見無謀な技が、破綻なくうまく決まとまっていたのはたいしたものだと思う。

 鮨とワインに舌鼓をうちつつ、この店は次は「一心鮨一光」か「一心鮨光」に変わるのかい?と聞いてみたら、「みなさん、そういうことを言いますが、んなことはありません」とのことであった。
 それでも、これからは一光氏が店をひっぱっていくことになるのであり、中身としては光洋からは変容していかざるを得ないであろう。まあ、一光氏は料理・酒の造詣深い、発想力豊かなアイディアマンであり、チャレンジ精神旺盛な人なので、ユニークでいい方向に変容していくのはまちがいない。

 光洋のいったんの時代は終わり、そしてまた新しい光洋を、これからも楽しませてもらおう。

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February 10, 2018

寿司:吉鮨@広島市

 広島に行ったときには、是非とも行ってみるべき寿司の名店「吉鮨」。この店は、広島、というより中国地方随一の寿司の名店であり、今回の雪山ツアーでも訪れるのを楽しみにしていた。

 「吉鮨」は、広島では珍しい江戸前寿司店であり、また料理がお任せのみであり、値段もやや高めということから、少々敷居が高い、というふうに思われていたけれど、今回電話予約したさいに、料理が値段によって選べるように変わっており、初めて訪れる客も行きやすいようになっていた。
 それでネットで調べてみると、値段設定が1.5万から始まっているようであった。また以前は写真撮影禁止であったが、現在はそれも許可とのこと。

 というわけで、今回は写真を数枚使っての記事。

【炙り穴子】
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 まずはツマミから一通り。
 酢なまこ、平目と鰯、煮ダコ、炙りミル貝、茶碗蒸し、子持ち昆布みりん漬、炙り穴子、甘鯛塩焼き等々。
 どれも素材が抜群であり、そしてどれにも丁寧な仕事がなされており、和料理としても逸品。なかでも炙り穴子はこの店のスペシャリテ。まず穴子そのものが素晴らしく、それを絶妙に熱を入れており、歯ごたえも香りも見事。これを、そのまま、塩、トリュフ塩と食べ比べると、さらに味の世界が広がる。穴子で有名な広島ならではのもの、と思いきや、じつは近頃瀬戸内海の穴子は質が落ちてきて、今回のは対馬のものだそうだ。
 そして、その他にも瀬戸内海以外のものがけっこう使われるようになってきていた。地元の海が衰えて来ているのは残念であるが、それでも良い素材は広島には集まってきており、それらを厳選しての逸品の数々である。

 つまみ一通りからは、握りへと。
 つまみ同様に、全てのタネは素材が抜群に良く、それに江戸前および店主独自の丁寧にして繊細な仕事が加えられている。
 寿司店はオープンキッチンであるからして、店主の仕事ぶりがライブで見られるわけだが、それを見ていると、まさに熟練の職人芸である。
 鮨はどれも完成度が高く、店主の徹底した完璧主義がうかがえ、緊張感の高いものであり、その結果握られた鮨は形が美しく、そしてただただ美味しい。

【烏賊】
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 この烏賊の包丁の入れ方からして、芸術品のごときもの。食べるのが勿体ないような美しさであるが、食べれば、シャリとともにとろけていく素材の感触がじつに見事である。

【雲丹】
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 雲丹も、この姿だけで、その握りの技術の高さが分かる。シャリとの相性も抜群だ。


 握りは、カスゴ、キス、鯵、甲烏賊、アオリ烏賊、車海老、ホタテ、サヨリ、煮ハマ、トロタク、穴子、等々で、あとはカンピョウ巻きを追加して終了。その後は、抹茶アイスで〆である。

 料理全体、全てがレベルが高く、一貫して感心するものばかりであった。
 これほど満足度の高い寿司店もそうはないのであり、季節ごとに通いたくなる名店なのではるが、広島は遠いからなあ。
 次に来られるのはいつになることやら。

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January 02, 2018

フィレンツェ5日目→羽田

 フィレンツェ滞在5日目。本日午後に飛行機に乗るので、観光は午前中のみである。

【聖マルコ修道院】
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 「天使の画家」フラ・アンジェリコの作品が多く納められていることで名高い、聖マルコ修道院。修道僧の暮らすたくさんの部屋ごとに彼の絵が飾られており、それらはどれも優しさと慈しみに満ちたものであり、いかにもこの静謐な修道院にふさわしいものばかりであった。
 その多くの絵のなかで最も有名なものが「受胎告知」である。ダ・ヴィンチのような迫真性や迫力はないけれど、穏やかで、暖かな雰囲気を持つ独特の名画である。敬虔な修道僧でもあった、フラ・アンジェリコの人柄を偲ばせてくれる。

 聖マルコ修道院から、次は大聖堂近くの大聖堂付属美術館へ。

【大聖堂付属美術館 ピエタ】
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 以前大聖堂に置かれていた美術品が置かれている美術館。この美術館も観るべきものが多く、けっこうな時間がかかった。
 最も印象的だったのは、やはりミケランジェロの「フィレンツェのピエタ」。
 ミケランジェロが自身の墓に飾るために作成された像であるが、途中で製作は放棄され未完となった。
 全体像はともかくとして、彫られた部分だけでも傑作であることは間違いないけど、若い頃のピエタとは違い、この像には観るものをして、心を沈ませる、悲劇性や懊悩といった苦々しいものがどうしても感じさせられる。そしてそれは大理石から深い精神劇を抉りだす、芸術家の大変な苦心をもどうしても思い知らさせるものでもあった。

【大聖堂付属美術館 マグダラのマリア】
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 数ある彫刻群のうち、もっとも個性的なものがドナテッロ作のマグダラのマリア像。
 やつれ果てた、みすぼらしい装いのマグダラのマリアは、しかし、その真摯な祈りの姿から、崇高な精神性を放っている。
 初期ルネッサンスの巨匠ドナテッロは、私は今まで美術書でしかその作品を観たことはなかったけど、フィレンツェに多く置かれている彼の彫刻をオリジナルでみると、どれも感銘を受けるものばかりで、その実力の高さをよく知ることができた。

【ペレートラ空港】
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 フィレンツェの空路の入り口、ペレートラ空港。この空港、フィレンツェに近いので、便利なのではあるが、滑走路が短く大型の旅客機が利用できないのが難である。
 そして今回使用のエア・ドロミティは来るときも1時間くらい出発が遅れたが、帰りもまた1時間遅れるとのことである。ラテン系の航空会社はどうも信用できないなあ。まあ、親会社はルフトハンザなのだが。
 フランクフルトでの乗継ぎは、タイトな時間割りで大丈夫かなあと危惧していたが、イミグレがほとんど素通り状態だったのが幸いして、ギリギリで乗ることができた。エア・ドロミティからの乗り継ぎ組以外はみな既に着席して、我々をただ待っている状況のようであった。
 ただし、エア・ドロミティからの荷物搬入とかあるので、結局は出発は定刻よりも遅れるだろうと思っていたら、定刻通りに出発。エア・ドロミティやるじゃん、とか感心してしまった。

【羽田空港】
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 そうして着いた羽田空港。天気良好である。
 ルフトハンザの飛行機は、日本でも滅多に見なくなったジャンボであった。あんまり乗り心地のいい飛行機でもなかったので、これが廃れた理由はよく分かった。
 さて、降りてみると、なんと私の荷物がLOSTになっていることが判明。乗り継ぎのさい積みそこねたそうで、・・・エア・ドロミティ、やっぱりできんやつだったか。感心して損した。

【羽田 寿司幸】
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 Lost baggageについては、3時間後に飛んでくるANA機が運んでくれるとのことであった。自宅に郵送でもよいのだが、それもあとが面倒なので、今日のうちに手にいれるべく、空港で時間をつぶすことにした。
 そういうわけで、第一ターミナルの寿司店で、酒を飲みながらだらだらと過ごした。
 平成30年の寿司の食べ初めは、「羽田 寿司幸」であった。

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