天才快進撃:将棋の革命児 藤井聡太
【ネムルバカ@石黒正数(著) より】
令和3年は二人の若き天才、大谷将平と藤井聡太の活躍にずいぶんと心が躍った。二人とも前代未聞の記録を次々と打ちたて、これからもさらなる飛躍を遂げること確実であり、我々はその高みに登っていく活劇を楽しんでいくことができる。
それにしても、野球、将棋、どの分野も、努力の限りを尽くしたトッププロ達が、人の為す限界ギリギリのところでせめぎ合って、わずかな差を凌ぎきって勝ちをつかむ、凄惨な修羅場である。ところがひとたび「天才」というものが出現すると、天才はそんな勝負の鬼達をものともせず、易々とせめぎ合いの限界を突破して、彼らを置き去りにし、新たな世界に行ってしまう。まったく天才というのは、世の不思議であり、不条理でもあり、そしてエキサイティングなものである。
【竜王戦第四局終局時】
11月13日、将棋竜王戦において藤井聡太は豊島竜王を4タテで下し、竜王の座につくことによって19歳にして将棋界の頂点に立った。これは彼の才能からはまったく驚くべきものでなく、挑戦者になったときから、というよりは棋士になったときからの予定調和的出来事であった。
そして勝ち進むうち、藤井聡太はその強さよりも、将棋そのものに注目を浴びている。その将棋の質から、藤井って30年に一度の天才と言われていたが、どうもそれは過小評価で、100年に一度の天才なのでは?とも言われるようになってきた。
というのは、藤井が近頃指すようになった将棋は、今までの将棋の歴史と異なる、まったく独自のものと化しているからである。【美濃囲い】
将棋を習うときに、まず習うことは「玉を囲え」ということである。将棋は自玉を詰まされると負けのゲームなので、自玉の安全度を優先させるため、玉を中央の戦線から端のほうに動かし、そして傍を金・銀で囲う。上はその囲いの代表例の「美濃囲い」であるが、このような囲いを完成させてから、相手への攻めに入る、というのが駒組の原則である。初心者はそう習い、そういう将棋を続け強くなり、そうしてプロになっても同様の将棋を指す。つまり「玉を囲う」は将棋の常識であり、これは将棋というゲームが誕生してから、ずっと正解とされていた。
しかし、それに現在進行中で若き天才が改革をもたらしている。
将棋というのは自玉は確かに大事だが、基本は「相手を先に詰ませば勝ち」というゲームである。ならば自玉を囲う手間など時間の無駄で、「とにかく敵より先に攻撃をしかけて相手の玉を詰ませばいい、それで勝ちだ」。そういう発想の転換を行った。その発想をもとに藤井は自玉を囲わず居玉のまま猛攻をしかけるスタイルを確立し、次々と勝ち星を積み上げてきた。
そんなに勝率の高い戦法をなぜ今まで他の棋士は発見できなかったのだろうと疑問に思う人はいるだろうけど、思いついた棋士はたぶんいくらでもいると思う。ただし実行すると高い確率で破綻するので、それでやる者は払底した、というところだろう。
相手よりも早く攻めれば勝ち、と書けば簡単だが、「攻めれば相手に駒を渡す」という将棋の特質上、どこかで反撃のターンは入るので、その時自陣が居玉だと、防御力が弱いのであっという間に負けにしてしまう。居玉はものすごく運用が難しいのである。ところが藤井聡太は盤全体の駒でバランスをとって、たとえ居玉でも安全なマージンを持って戦っているので、少々危ない目にあったとしても最終的には必ず勝ってしまう。つまりは天才にしかできない芸当で、それで藤井聡太は連戦連勝を続けている。
【居玉 VS 居玉】
分かりやすい例として、今年の王将リーグ戦からの対豊島将之戦をあげてみる。
自玉を囲っていては藤井に速攻をかけられ主導権を握られることを豊島は重々承知しているので、自分も居玉のまま、歩を犠牲に手得を得て先に猛攻をかけたのであるが、その攻撃がいったんやんだのち、藤井に攻めのターンが回ると、桂馬が飛んだらもう豊島陣は崩壊している。居玉の弱さがそのまま出た形で、すべての駒が攻撃目標になり、玉の逃げ場もない。このあとすぐ豊島は投了に追い込まれている。
まったく、自玉を囲おうとすると速攻をかけられボコボコにされ、では居玉のまま攻めたら居玉の弱さをつかれてやはりボコボコにされる。相手からすれば理不尽としか言いようのない、まさに才能の暴力そのものの革新的将棋を指しているのが、藤井聡太という天才である。
この若き天才による将棋の革新はさらに進化していき、今まで見たことのなかったような将棋を次々に見せてくれるであろう。将棋ファンとして、素晴らしいスターのいる時代に居合わせた幸運に感謝。
あと欲をいえば、将棋の名棋譜って一人でつくるものでないので、もう一人くらい次に続く天才好敵手が現れてくれれば有難いが、そんなに何十年に一人の天才が幾度も現れるわけもなく・・・まあ無理か。