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November 2021の記事

November 13, 2021

天才快進撃:将棋の革命児 藤井聡太

【ネムルバカ@石黒正数(著) より】

Nemurubaka

 令和3年は二人の若き天才、大谷将平と藤井聡太の活躍にずいぶんと心が躍った。二人とも前代未聞の記録を次々と打ちたて、これからもさらなる飛躍を遂げること確実であり、我々はその高みに登っていく活劇を楽しんでいくことができる。
 それにしても、野球、将棋、どの分野も、努力の限りを尽くしたトッププロ達が、人の為す限界ギリギリのところでせめぎ合って、わずかな差を凌ぎきって勝ちをつかむ、凄惨な修羅場である。ところがひとたび「天才」というものが出現すると、天才はそんな勝負の鬼達をものともせず、易々とせめぎ合いの限界を突破して、彼らを置き去りにし、新たな世界に行ってしまう。まったく天才というのは、世の不思議であり、不条理でもあり、そしてエキサイティングなものである。 

【竜王戦第四局終局時】

Ryuuou

  1113日、将棋竜王戦において藤井聡太は豊島竜王を4タテで下し、竜王の座につくことによって19歳にして将棋界の頂点に立った。これは彼の才能からはまったく驚くべきものでなく、挑戦者になったときから、というよりは棋士になったときからの予定調和的出来事であった。

 そして勝ち進むうち、藤井聡太はその強さよりも、将棋そのものに注目を浴びている。その将棋の質から、藤井って30年に一度の天才と言われていたが、どうもそれは過小評価で、100年に一度の天才なのでは?とも言われるようになってきた。

 というのは、藤井が近頃指すようになった将棋は、今までの将棋の歴史と異なる、まったく独自のものと化しているからである。

【美濃囲い】

Minogakoi

  将棋を習うときに、まず習うことは「玉を囲え」ということである。将棋は自玉を詰まされると負けのゲームなので、自玉の安全度を優先させるため、玉を中央の戦線から端のほうに動かし、そして傍を金・銀で囲う。上はその囲いの代表例の「美濃囲い」であるが、このような囲いを完成させてから、相手への攻めに入る、というのが駒組の原則である。初心者はそう習い、そういう将棋を続け強くなり、そうしてプロになっても同様の将棋を指す。つまり「玉を囲う」は将棋の常識であり、これは将棋というゲームが誕生してから、ずっと正解とされていた。

 しかし、それに現在進行中で若き天才が改革をもたらしている。

 将棋というのは自玉は確かに大事だが、基本は「相手を先に詰ませば勝ち」というゲームである。ならば自玉を囲う手間など時間の無駄で、「とにかく敵より先に攻撃をしかけて相手の玉を詰ませばいい、それで勝ちだ」。そういう発想の転換を行った。その発想をもとに藤井は自玉を囲わず居玉のまま猛攻をしかけるスタイルを確立し、次々と勝ち星を積み上げてきた。
 そんなに勝率の高い戦法をなぜ今まで他の棋士は発見できなかったのだろうと疑問に思う人はいるだろうけど、思いついた棋士はたぶんいくらでもいると思う。ただし実行すると高い確率で破綻するので、それでやる者は払底した、というところだろう。

 相手よりも早く攻めれば勝ち、と書けば簡単だが、「攻めれば相手に駒を渡す」という将棋の特質上、どこかで反撃のターンは入るので、その時自陣が居玉だと、防御力が弱いのであっという間に負けにしてしまう。居玉はものすごく運用が難しいのである。ところが藤井聡太は盤全体の駒でバランスをとって、たとえ居玉でも安全なマージンを持って戦っているので、少々危ない目にあったとしても最終的には必ず勝ってしまう。つまりは天才にしかできない芸当で、それで藤井聡太は連戦連勝を続けている。

【居玉 VS 居玉】 

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 分かりやすい例として、今年の王将リーグ戦からの対豊島将之戦をあげてみる。
 自玉を囲っていては藤井に速攻をかけられ主導権を握られることを豊島は重々承知しているので、自分も居玉のまま、歩を犠牲に手得を得て先に猛攻をかけたのであるが、その攻撃がいったんやんだのち、藤井に攻めのターンが回ると、桂馬が飛んだらもう豊島陣は崩壊している。居玉の弱さがそのまま出た形で、すべての駒が攻撃目標になり、玉の逃げ場もない。このあとすぐ豊島は投了に追い込まれている。

 まったく、自玉を囲おうとすると速攻をかけられボコボコにされ、では居玉のまま攻めたら居玉の弱さをつかれてやはりボコボコにされる。相手からすれば理不尽としか言いようのない、まさに才能の暴力そのものの革新的将棋を指しているのが、藤井聡太という天才である。

 

 この若き天才による将棋の革新はさらに進化していき、今まで見たことのなかったような将棋を次々に見せてくれるであろう。将棋ファンとして、素晴らしいスターのいる時代に居合わせた幸運に感謝。
 あと欲をいえば、将棋の名棋譜って一人でつくるものでないので、もう一人くらい次に続く天才好敵手が現れてくれれば有難いが、そんなに何十年に一人の天才が幾度も現れるわけもなく・・・まあ無理か。

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November 06, 2021

イカキングに会いたい

 久しぶりに更新。

 このブログは主に旅と外食をメインのネタとしているものなので、このご時世なかなか新たな記事をUPするのもはばかられ、ブログを放置する日々が長々と過ぎたのであるが、あまりに放置しすぎて管理人がコロナでくたばっていると思われるのもなんだし、それにようやくコロナの出口が見えてきたこともあって、今後のつまらぬ抱負を述べるがてら更新。

 それにしても、2020年の3月から一気に世界と社会が姿を変えたのは、多くの人と同様に人生初の経験であった。こういうことがグローバルに起きるのは偶発的大戦争とか破局的噴火くらいであろうと思っていたが、この医療の進んだ時代に、パンデミックが生じるとはまさに青天の霹靂であり、まあ世の中何が起きるかわからないという当たり前の真理をこの時代に思い知ってしまった。

 コロナの蔓延により社会規律も変わり、私の職場だって新たな対応を進めていたのであるが、誰もが初めて経験することであって、それは手探り状態で進めざるをえず、昨年の4月から5月にかけては仕事がまったくなくなり、社会人になってこれほど暇で楽な日々を過ごしたことはなかった。それでも給与所得者としては給料は普通に出るわけで、「これぞ給料泥棒」となんとなく職場に悪いなあなどと思ってはいたが、そのうちコロナに対応する新たな仕事が次々と生じ、ひどいときはてんてこ舞い状態になり、なるほどやはりトータルではまったく楽できない、人生は勘定は合うようになっているんだなと、「人生万事塞翁が馬」とか「禍福は糾える縄の如し」とか「天網恢恢疎にして漏らさず」とかいう諺を頭に浮かべつつ仕事をしながら今にいたる。

 コロナのせいで仕事も変化したが、生活も変わり、私のようなどこそこにすぐ出かけたがる人間にとっては窮屈な日々だったけど、それでも感染の波の合間を縫って、ちょこちょこと遠出はしていた。自粛、自粛で気がめいるなか、たまに出かけて見る珍しい光景というものは、やはりなによりも精神のリフレッシュになり、心身の健康にとても良いものであったと、あらためて思う。

 その旅で、見つけたいくつかの不思議物件を紹介してみよう。

 【土偶駅@木造駅】

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 青森はJR五能線の木造駅。この駅舎の外壁に遮光器土偶が飾られている。土偶があまりに巨大すぎて、遠目には土偶が駅そのものに見えてくる。その怪異な姿は日本の駅舎のなかでも唯一無二のものであって、ローカル線の無人駅なのに、これを目当てに多くの観光客が訪れるという。
 さすがにこれのみ目当てで青森に訪れたわけではないが、それでもこの普通の町に、違和感たっぷりにその存在をアピールする巨大土偶を見たとき、「ああ、これはやはり一度はナマで見るべきものであった」と、己のサーチ能力に感心しつつ満足した。 
 なおこの土偶、ただの飾りではなく、実用的能力も持つ。土偶の細い目は、列車が近づいたときピカピカと光り、人々に列車の到来を知らせるそうで、きちんと世の役に立つ働きものなのである。

【カニ爪オブジェ@紋別町】

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 北海道はオホーツク海に臨む紋別町。その海浜に高さ12mの巨大なカニの爪が聳えている。広々とした海浜公園で、ニョキっと空に爪を立てる、この大きなオブジェは、その巨大さと鋭さで、紋別がズワイガニの名産地であることを知らせる、というよりも、もっと激しい役割を感じさせる。
 オホーツクの荒れた海を前に、毅然と屹立する巨大なカニ爪は、厳しい北海の大自然に真っ向から立ち向かう、北海道防衛隊最前線隊長といった勇敢さを感じ、観る者の精神に高揚感を与えてくれる。
 なお、このカニ爪オブジェはかつての芸術祭の時に作られたものであり、以前は他にもいくつか北の海を表すオブジェが設置されていたのだが、それらは北海の厳しい気候に耐え切れず老朽化して除去されてしまい、今ではこの頑強な勇士、カニ爪のみ残っている。

【礼文岳@礼文島】

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 北海道、花の島として有名な礼文島の最高峰「礼文岳」。礼文島を登山目当てに訪れる人はあんまり居ず、私も登山目的で訪れたわけではないものの、そこに山があるからにはとりあえず登ってみよう、とカジュアル靴のまま登ってみた。
 標高490mの山なのであっさりと山頂には着いたが、この山頂、あるはずのないものがある。それは山頂標柱の奥にあるハイマツであり、この植物は本州では高山でしか見ることはない。それも森林限界を突破した2500mくらいの高さから現れ、これを見たことのある人はある程度気合の入った登山者のみという、けっこうレアな植物なのである。それが標高500mにも満たぬ低山に群生していることに驚いてしまった。
 結局はそれだけ北海道の自然が厳しいということであり、本州では2500mを越えないと体験できない寒気というものが、北海道では500m程度で現れてしまうということだ。じっさいに礼文島の冬の厳しさというものは相当なものであり、住む人々は冬のあいだはただ家に閉じこもっているしかないそう。

 

 今年経験した不思議物件、他にもいろいろあれど、とにかく世の中には実際に観ないと実感できないものは多く、やはり旅というものは大事だなあという結論。

 

【イカキング@石川県能登町】

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 そして今特に気になっている不思議物件は、能登町にある「イカキング」。
 イカキングはイカ漁の名所九十九湾のもと、「イカの駅つくモール」に設置された巨大イカオブジェである。
 この手の頭足網軟体動物の置物は、タコと相場が決まっておりイカは滅多にない。なぜならタコは造形が単純でまた安定性がよいので、公園に滑り台のたぐいなどでよく見ることができる。しかしそれに対してイカは形が流線形で、足も長2+短8の複雑な形をしており、作るにも設置するにも費用と手間暇がかかるからだ。ところが能登町は敢然と2500万円という大予算をかけてこの難プロジェクトを実施した。そしてその出来上がりの姿の写真をみると、なかなか躍動感ある、立派なオブジェに思える。
 その予算、コロナで疲弊した地方経済を支えるための政府からの補助金を利用したものであり、当初はイカの化け物に、コロナ対策用の巨額な費用を使うなんてという非難の声もあったそうだが、いざ完成すると、造形の良さもあって、人気の観光名所となり十分にペイできそうな状況。

  世には見たいもの、見るべきものが、たくさんある。
 まずは、年末年始、非常宣言等が出ていなかったら、能登まで行って、コロナの荒波を悠々と泳ぐイカキングの雄姿を見てみたい。

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