映画:ゴジラ キング・オブ・モンスターズ
日本の怪獣映画史上最も有名なコンテンツである「ゴジラ」を、ハリウッドが巨額の費用をかけてリメイクしたゴジラ実写版その3。
20年前のエメリッヒ版の一作目は、ゴジラは「俊敏な巨大爬虫類」といった感じで、原作のゴジラの「荒ぶる神」と称すべき威厳も神秘性もまったくないベツモノであったけど、2作目のギャレス版ゴジラは原作の精神に戻り、ゴジラは「人間以上の存在」としてのオーラを放ち、映画全体としても良作であった、と思う。そのゴジラをそのままスライドして用いたのが本作。
本作の原作は「三大怪獣 地球最大の決戦」で、東宝ゴジラシリーズで最も強力で凶悪なモンスター「キングギドラ」の登場する話である。キングギドラは造形も素晴らしく、他の怪獣がトカゲなり鳥なり昆虫なりのモトネタがあったのに対して、これはまったくのオリジナルであり、この映画で初めて世に出現した異様にして美しい、魅力あふれる怪獣であった。そのキングギドラが、着ぐるみ撮影でなく、最先端のCGによって大画面で登場するのだから、これは観ないと損でしょう。
そういうわけで観たけれど、脚本ははっきりいってつまらなかった。
こういった大災害モノでは、家族の物語をそれに並行させるのはハリウッド映画の常道であるが、それらはたいていは映画を面白くするのに役に立っていない。なにしろ向うの人達って、家族が危機に陥ると、世の中がどうなろうが、他人にいかなる迷惑をかけようが、家族を救うためのみ全力を尽くす、てのばっかりで、まあそれは人間の行動様式としては納得はできるものの、それをこれが正義だとばかり延々と見せられると、なんか鼻白んでしまう、というのが正直な感想である。
この映画でも、怪獣の暴動により世界が危機に瀕する筋に、怪獣制御のキーとなる技術を持つ科学者家族の物語がからむのだが、それがまったくつまらない。
科学者夫婦は前作でゴジラによって、息子を一人亡くしている。それが原因で家族はみな心に深い傷を受け、離れ離れになったのだが、そこから立ちなおるための妻の思考が極端である。
彼女は息子が亡くなったのには何か理由があったと考える。そして、息子が亡くなったのは、それは怪獣に殺されたからで、つまりは怪獣は人を殺す存在なので、そのため息子は亡くなった。ではなぜ怪獣が人を殺すかといえば、それは怪獣が人間の上位にある生物であり、彼らは自分の意思で自由に人を殺すことができる存在だからだ。そして怪獣が人間を適度に殺すことによって、何が起きるかといえば、自然環境が改善する。つまり怪獣が適度に人間を間引くことによって、地球は環境汚染、戦争、異常気象を改善することができ、長い目ではそれは人間をもよい影響を与える。そうだ、息子は世界を良くするために亡くなったのだ、ではさらに怪獣を増やして世界をより良くしよう、そういう論理の進め方により、彼女は今世界で眠っている怪獣たちを解き放ち、人類の審判者、あるいは裁定者として、地上あらゆるところに跋扈させようとする。
この怪獣を神聖化し、人間よりも上位の存在として崇める思想。
向うのクジラ保護運動なんか見ていると、あきらかに彼らは人間よりもクジラを大切な存在と思い込んでいるので、西洋ではべつだん珍しい思想ではないようには思えるけど、クジラと違って怪獣は獰猛な生き物なので、彼女の行為によって20匹近くの怪獣が野に放たれると、世界は壊滅的ダメージを受けた。
一人の女性の理性を失った思いこみにより、世界が危機に瀕するという、なんとも哀しくもやりきれない話である。でも、それでも、これで彼女の本望達成、めでたしめでたし、とかいうふうにはならず、その怪獣の大暴れにより彼女の残った一人の娘の命が危なくなると、彼女はそこで半狂乱になり、娘を救うことと、娘を襲っている怪獣を排除することに懸命に奔走することになる。
怪獣に人類の命を捧げて当然とか言っていた人が、いざ自分の家族の命が危険にさらされると、前言撤回、全く逆の行動に出る。
狂信者というのは、たとえ根本の思想が間違っていても、その行動に首尾一貫性があるのが本物の狂信者というものであって、ここで彼女は狂信者としての誇りも意義も失ってしまう。
つまりは彼女の先ほどの思想とやらはただの言い訳みたいなもので、本当は「自分の息子だけが怪獣に殺されたのが腹が立つし、納得いかない。こうなりゃ、他の人達も怪獣に食われて、私と同じように不幸になれ」という考えで、怪獣を世に放ったということが露呈されてしまい、まったくみっともない。
つまりはこの女性科学者はろくでもない人間なのだが、それは私のみの意見ではなく、彼女は映画内で、他の人物皆、家族や機関関係者、はては環境テロリストからも、お前はおかしい、お前はどうしようもないと非難されており、映画の脚本上からも、最初からどうしようもない愚かであり、魅力のかけらもない人物と設定されているわけで、演じる役者もさぞかし気がのらない役ではあったと思う。
しかしながら彼女はこの映画では極めて重要な役割を持っている。
前作で怪獣達はモナークという機関で厳重に管理されていると設定がなされているが、怪獣達が暴れるというテーマの本作では、その管理されている怪獣達を解放するには、こういう愚かな人物が必要不可欠であった。その理由のみで、彼女はこの映画に存在している、ということだったのだ。
そんなこんなで、この科学者の物語にはイライラさせられたが、しかしキングギドラを始めとして、怪獣たちの造形はとても素晴らしかった。三つの首がそれぞれ独自に動き、かつ大きな翼をはばたくキングギドラの動画って、CG造るのはとても大変だと思うけど、じつに自然に、かつ雄大、雄渾に動きまくっていた。威厳と迫力にあふれるゴジラは前作同様の格好良さ。さらに驚いたのがモスラ。巨大な羽根から放たれる光をまとった姿は、神々しいまでに美しかった。
これらの怪獣の姿、そしてバトルを映画館の大画面で観るだけでも、ああ、今の時代はこのようなものが観られるようになったのか、と昭和の東宝怪獣映画を観て育った者は感動してしまった。いい映画であった。
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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 公式サイト
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