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May 2019の記事

May 26, 2019

ミヤマキリシマ偵察登山(2):赤川登山口から久住周回

 土曜日に引き続き、日曜日もミヤマキリシマ開花情報を偵察に赤川から九重に登る予定であった。
 しかし、天気予報では当日は天気は良いのだけど、5月にしては記録的な暑さとなるので、熱中症対策が必要とのことである。一挙に山に登る気が失われてしまったが、よく考えると九重は風の住処みたいなところであり、樹木帯さえ抜けてしまえば、たいてい風が吹いているので、体感温度はそんなに上がらないだろう、ということに気付き、登山を決定。そしてもし条件が悪くて、風が吹いていなかったら、扇ヶ鼻まで登って、そのあとはさっさと撤退する予定とした。

【扇ヶ鼻】

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 赤川登山口から、九重のミヤマキリシマの名所扇ヶ鼻を目指した。
 天気予報の通り、最初のほうの林のなかはやはり暑かったけど、灌木帯になると風が吹き抜けており、涼しくなった。計画通りである。
 林を抜けると展望が利き、そうなると扇ヶ鼻は山麓にはミヤマキシリマの咲いているのが見え、開花は始まっているようである。

【ミヤマキリシマ】

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 標高1300Mくらいからミヤマキシリマの咲いている姿を見ることができた。
 花の咲き方については標高と日当たりで決まるので、やはりこの南面くらいが今の時期は花が多い。

【ミヤマキリシマ】

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 標高が上がるにつれて、花の咲き加減も少なめになる。

【扇ヶ鼻】

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 扇ヶ鼻に着くと、旬の時期は山頂一面が紫紅色に染まるのに、まったく花は咲いていず、旬は再来週くらいに思われた。
 そして星生山方面を見ても、同様に花は咲いていない。
 ただし、稜線に出ると、風がさらに強くなり、より快適に歩けるようになったので、赤川起点の周回ルートで進むことにする。

【星生山へ】

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 星生山へ登っていると、日本語と英語がやたら流暢な国際人集団が登っていた。山頂に着いて、どういうグループなのか尋ねてみたら、別府の国際大学の英語教師と生徒の一団であった。どおりで。
 九重に来るのが初めてとのことだったので、ミヤマキリシマがいかに貴重な種であるかについて説明しつつ、アメリカ人の人がいたので「ちょうど貴国のプレジデントが来日してますね」と言ったら、「ああ、すみませ~ん」と,本当にすまなそうに日本語で謝られてしまった。どうして?(笑)

【三俣山】

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 星生山からは天狗ヶ城へと登った。
 正面に見える三俣山は斜面にはミヤマキリシマの咲いているのが見えたが、山頂近傍はまだのようである。

【中岳から】

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 中岳から大船山方面を見ると、立中山がミヤマキリシマの花に染まっていて、旬を迎えているようだった。

【稲星山】

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 中岳から向いの稲星山に。
 この山は風がいつも強いけど、本日も強く、おかげて気持ち良い涼しさであった。

【久住山】

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 稲星山からは久住山頂経由で赤川へと下山。
 標高1400mあたりから、ミヤマキリシマが咲いていた。

 というわけでの二日続けてのミヤマキリシマ偵察行。
 咲き具合は例年通りといったところであった。ということはいつも通り、梅雨入りとともに、花がどんどん咲きだすということになり、ミヤマキリシマ観賞は天気次第ということになる。
 昨年は梅雨のなかうまい具合に週末だけ晴れる、ということが多かったので助かったけど、さて今年はいかに。

 …………………………

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May 25, 2019

旅館:水神之森@長湯温泉

 ミヤマキリシマ偵察を終えて下山してから、長湯温泉へと。
 長湯温泉は温泉大国日本でも珍しい、高濃度の炭酸泉の地として有名。炭酸というものは、温度が上がると気泡となって逃げてしまい、温かい湯のなかにあまり残らないのであるが、ここの温泉は元の濃度が高いため、温泉として使える熱さになっても十分に炭酸が残っている、貴重な温泉なのである。

【水神之森】

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 旅館「水神之森」は長湯温泉の旅館街とは離れた、町を見下ろす高台に位置しており、九重連山も一望でき、たいへん眺めが良い。
 東京在住の御夫婦が、地方における理想の温泉宿を造ろうと、いろいろな土地を探して、温泉、水、食材、眺め、その全てがそろっているこの地をようやく見つけた、というだけある。
 宿自体はハンドメイド的な、よく言えば心のこもった、悪く言えば素人っぽいつくりで、特に宿入り口近くにある正面の「きのこドーム」は、脱力系建物で、わたし的にはポイントが高い。

【温泉】

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 温泉は湯治場的雰囲気の濃厚に漂うレトロな造り。湯は当然源泉かけ流し。
 そして温泉は炭酸のとても濃い、温泉力漲る、という感じの、身体の芯まで温泉力が伝わって来る、個性的な湯である。

【夕食】

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 夕食は地元の食材を使い、けっこう手のこんだものが出て来る。質、量ともなかなかのものであった。
 食堂からは日が沈みゆく九重が正面に見え、雰囲気も大変良い。

【飼犬】

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 この宿はネットの予約のさい、「動物の苦手な人は御遠慮お願いします」との但し書きがあるので、犬や猫、鳥、その他大勢うろちょろしている宿を想像していたけど、-そういう時期もあったのだけど、今は代替わりで少なくなってしまっているそうで、犬はこの「白牡丹ちゃん」一匹だけであった。あとは自由行動ばかりであまり客の前に出てこなかった猫が三匹。
 家でもそうだけど、ペットのいるところって、場がなごむものであり、そしてこの宿も白牡丹ちゃんが気ままに闊歩しているので、なんとものんびりした、柔らかな雰囲気が満ちていて、心地よかった。

 

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ミヤマキリシマ偵察登山:平治岳~北大船

 5月下旬から6月中旬にかけてミヤマキリシマの季節である。山々が紫赤色に染め上がる風景は、この時期の九州の火山の風物詩であり、これほどきれいなものもそうあるものでない。
 5月最後の週末は好天だったので、さっそく九重へと出かけてみた。

【男池登山道】

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 男池登山口から登山開始。この登山道は自然林が多く残されており、光に照らされる新緑が鮮やかである。

【平治岳東尾根登山道】

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 東尾根ルートを使って、ダイレクトに平治岳山頂へと向かった。

【平治岳本峰山頂】

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 ひたすら尾根を登る単調な道を行き、山頂に到着。
 好天のおかげで眺めは良かったけど、ミヤマキリシマはせいぜい3分といったところであった。

【ミヤマキリシマ】

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 まだ花の時期には早かった平治岳であるが、なかにはよく咲いている株もあり、それはやはり美しい。

【平治岳南峰】

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 平治岳といえば、この風景。
 坊がつると三俣山を背景に、平治岳の山頂一帯のミヤマキリシマが、紫紅色に染まる姿が有名だけど、本日はこの程度。

【大戸越】

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 山頂からはいったん大戸越えへ。
 標高が1400mくらいの高さなので、ミヤマキリシマは5分といったところ。

【大船稜線】

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 平治岳山頂から見る大船山はまったくミヤマキリシマが咲いていなかったけど、大戸越からそのまま男池に戻るのも味気ないので、ついでに北大船まで行ってみることにした。
 そして行ってみたところで状況が変わるわけもなく、ミヤマキリシマは蕾以前の状態であった。

【段原】

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 北大船からは段原に何やら工事中の建築物が見えており、何だろうと思っていたが、着いてみるとそれは建設中の新避難小屋であった。
 前の避難小屋は3年前の熊本大地震で崩壊してしまったので、新たに造っている最中なのである。造っているのはいいとして、こんな風の通り道に造って大丈夫かいなとも思ってしまうが、まあ、プロが計画し建造しているのだから大丈夫んなんでしょうな。

【ソババッケ】

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 段原から風穴経由で、ソババッケを通り、元の登山口へ。
 ソババッケは相変わらず、複雑な植生をしていて、ここだけ変わった風情を持つ地であった。

 

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May 19, 2019

宮崎国際音楽祭の夕べ ラ・ボエーム&らんぷ亭

【舞台@宮崎日日新聞より】

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 連休をまたいで毎年行われている宮崎国際音楽祭。
 最終日は演奏会形式のオペラ上演が恒例になっており、今年も聞きに行くことにした。
 しかしその日は宮崎では前日から空の底が抜けたかのような大雨が止むことなく降り続き、列車は動くのだろうかと不安に思っていた。(雨は結局翌日まで、つまり3日連続で降り続き、月曜は多くの通勤難民を生むことになってしまった。5月のこれほどの大雨は初めて経験した)
 じっさいこの大雨で、宮崎の交通機関はどこも大混乱になっていたが、日豊本線は運よくほぼ定時運行が出来て、雨のなか無事に会場に着くことができた。

 今回の演目はプッチーニの「ラ・ボエーム」。
 19世紀のパリを舞台に、若い芸術家たち(ボヘミアン)の、貧しいけれども、心に夢と大志を抱いて、逞しく、そして快活に生きていく姿を描いている。
 話の筋も、また曲の旋律も分かりやすく、幕開きとともにすんなりとオペラの世界に入っていける、良い作品である。
 ただ、若いときには何とも思わなかったけど、ああいう「青春」という、中年族には遥かに過ぎ去ったものを題材にしている作品って、今の年代になって見ると、なんだかとても「痛く」感じる。
 もはやあの情熱や感性はもう自分にはないという自覚のかなしさや、自分の才能を信じて夢抱く若者の姿を見ているとどうしても想像してしまう彼らの末路とか、あるいは作品中いじられ苛められている中年族に対する同感とか同情とか、いろいろな要素が舞台を見ていてチクチクと心を刺し、どこかしこの場面で、「これは痛い」と思ってしまう。
 そういう意味では、久しぶりにずいぶんと心に響いたオペラであった。

 筋に関してはそういうふうに始終痛かったけど、音楽の演奏はじつに立派。メリハリ利いた活気あふれる広上淳一氏の指揮、福井敬氏のホールいっぱいに響く高音、世界的ソプラノ歌手中村恵里さんの情緒あふれる美声。とても素晴らしく、国際レベルの演奏が宮崎で経験できる幸せを感じた。

 演奏会ののちは宮崎市繁華街へと夕食へ。

【らんぷ亭にて】

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 この音楽祭のときは、必ず誰か知合いが来ているので、その誰かに便乗して食事に行くことにしており、今回はバーNのマスター御夫婦と、演奏会のほぼ全てに参加しているMさんとの四名で「らんぷ亭」へ。うまい具合に4名ぶんのみ空席があったのだ。
 写真はこの店のスペシャリテ「宮崎牛テールのシチュー」。その他、いろいろな料理を取り分けつつ、美味しいワインもいただく。

 良い音楽を聞いたあと、その余韻が残るなか、美味しい食事とワインを味わいつつ、談笑しながら楽しい時を過ごす。
 一年に一度の定番の実りある夕べであった。

 

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May 12, 2019

イタリア料理:Vena@京都市

 京都市でランチ。
 和、洋、いくらでも良い店のある京都であるが、以前から気になっていたイタリア料理店「Vena」へと。
 この店は東山の老舗創作系イタリアン、イルギオットーネ出身のシェフが開いた店である。京都のイタリアンではイルギオットーネ派とでも称すべく、そこで修業し独立したシェフの店が近年次々と開店しており、それぞれ個性ある良店と評判であるから。

【店内と坪庭】

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 店は京都御所の近く、本通りから少し離れた閑静な住宅地にある一軒家で、中は木をふんだんに使った格調ある形式。そして窓の外には、いかにも京都ならではの坪庭がある。

【前菜】

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 洋風茶碗蒸しみたいなものに、トマトのスープを載せたもの。ほどよい酸味で、食欲が進む。

【前菜盛合わせ】

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 店の力は前菜の盛合わせで直ちに分かると言われているけど、これは優れた店だとすぐに分かる、丁寧に造り上げた繊細な料理の数々。卵の殻には茸入りスクランブルエッグにキャビア、牛スジの熱々コロッケ、ズッキーニに生ハムとモッツアレラチーズ、カルパッチョなど。
 今回はワインのペアリングでオーダーしたけど、この皿は白ワイングラス一杯では足りず、赤をもう一つ頼んだ。

【パスタ】

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 アスパラと浅蜊のパスタ。
 程よい味付けと茹で加減。

【リゾット】

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 茸とタケノコのリゾット。それにパルマの生ハム。全体的に濃厚。

【肉料理】

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 仔牛のパンチェッタをパートフィルで包んで焼きあげたもの。それにマスタードを添えて。調和のとれた優雅な味わいの料理。

 料理全体はとても完成度の高いもので、隙のない料理という印象であった。たいへんレベルの高いイタリア料理店だと思う。
 ただ、本家のイルギオットーネは、京都ならではの和の技術を用いて、やりたい放題という感じの面白い料理が際限なく出て来る、いわゆる変化球系の店だったのに対して、この店は北イタリアのクラシカルな技術を用いて、地元の素材を仕上げる、直球勝負の店に思われた。これは以前行った、やはりイルギオットーネ出身のシェフの店「Cenci」でも同じような印象を私は感じた。
 そう言えば福岡のイタリアンも、老舗「サーラカリーナ」を本家として、そこから独立したシェフがいろいろと店を出しているけど、やはり同様の感じで、本家が一番クラシカルなイタリア料理から外れており、これは面白い現象に感じられた。

 

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May 11, 2019

お好み焼き慈恩弘国@京都市 

 京都市東寺の近くに、「慈恩弘国」というお好み焼店がある。
 この店、愛読している奇食の館というブログで10年ほど前に見つけ気になっていたのだけど、なかなか訪れる機会がなく過ぎていた。今回京都滞在の際、夜の食事はどこに行くとも決めていなかったので、この店にしてみた。

【慈恩弘国】

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 店の名前は、弘法大師ゆかりの東寺のすぐ近くにあることから付けられたと、建て前上はなってはいるが、暖簾の紋章を見てわかるように、ガンダムのジオン公国のパロディである。
 店の設定としては、敗れてなくなったはずのジオン公国が、じつは地球の京都に残党が逃れていて、細々とお好み焼きを売って国費を稼ぎながら、ジオン再興の日を企てている、ということらしい。関東の下町の安アパートの一室に事務所を構え、地球征服を企んでいるメトロン星人なみに、スケールが大きいのか、あるいは小さいのかよく分からん話ではあるが、そういうわけで、この店はじつは一独立国なのであり、だから店に入る行為は入店ではなく、入国となる。でもパスポートはいらない。

【店主】

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 入国すると、ジオンの軍服を着た店主がお迎え。
 いちおうランバラル大尉ということになっている。
 大尉は当然軍人が本職のため、お好み焼きを焼くのはじつは苦手だそうだ。

【メニュー】

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 お好み焼きは、メニュー見てわかるように、ザク焼、ドム焼、グフ焼等、アニメにちなんだ命名で、そのキャラクターに似せたお好み焼きが出てくる。
 スタンダードメニューはザク焼のようなので、それを頼んでみた。ついでにビールも頼んだけど、その名も「ギレン・ザ・ビール」であった。

【ザク焼】

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 というわけで、これがザク焼。なるほどザクの特徴であるモノアイが目立っている。そしてザクのイメージカラーである緑色のレタスが載っている。このザク焼にはもう一つ仕掛けがあり、このレタスをヘラで切るときに、「ザクっ」と音を立てるから、それもザク焼の所以だそうだ。

 このザク焼をアテにギレン・ザ・ビールを飲みながら、店主といろいろ歓談。
 雑談の内容は、もっぱらガンダムの話になるのであるが、この店は店主のキャラもぶっ飛んでいるけど、客も相当なもので、日本のみならず全世界からガンオタが訪ねて来るそうだ。まあ、ガンダムはワールドワイドな日本の文化コンテンツであるからして世界に名前が轟いているのは当たり前として、このようなマイナーな店がまた世界に知られている、というのもネット社会の面白いところだと思う。

 ところで、この国のお好み焼き、食べログの評価を見ると、ずらずらとひどいことが書かれており、それをあとで読んでみて、まったくその通りと私はけらけらと笑ってしまったのであるが、ただここのコンセプトはあくまでも第一はガンダムリスペクトであり、お好み焼きについてはそのついでのネタみたいなものなので、味うんぬんを言うのは野暮だとは思う。慈恩弘国がお好み焼きを国家収入の糧として考えたのは何故かというと、それには土地的な理由がある。

 慈恩弘国は京都駅周辺に位置するけど、この地はじつはお好み焼の名所みたいなところで、多くのお好み焼店が存在している。それはここらが以前九条葱の産地であり、今もそれを取り扱う店が多く、その九条葱はお好み焼きにとても合うので、それゆえ昔からお好み焼き屋が多かったそうだ。
 そして店主は長年京都に住みたがっていたが、予算の折り合いのつく、東寺近くのこの家を購入することができた。その家は、この地に多いお好み焼き店だったので、商売を始める際、そのまま営業するのが最も手っ取り早く、実際にその家をなんら改造することなく、お好み焼き店としてスタートすることとなったそうだ。
 だから、その購入した家がもしラーメン店だったら、慈恩弘国はラーメン店だったわけで、ザクラーメン、ドムラーメンなりがメニューに並んでいたであろう。

 慈恩弘国は店を構えて14年になるそうだ。ま、建国14年だな。慈恩弘国は、お好み焼き屋の激戦区で、14年間勝ち抜いてきたのである。当初は店主自身が、こういう一発芸みたいな店は早々に潰れると思っていたのだけど、ガンダムのファンが日本全国のみならず、世界各国からも訪れて来るので、ずっと現役でやってこれた、と感慨深く話していた。まったく、浜の真砂は尽きるとも、世にガンオタの種は尽きまじ、というわけですな。
 こういう店は、お好み焼そのものに対してのリピーターはたぶん居ないだろうけど、only one的な魅力を持っているので、これからもずっとこの地に在り続けるであろう。

【任命証】

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 慈恩弘国では、店を出るとき、もとい出国の際にポイント・カードとして、この名刺大の任命証が貰える。
 初訪の客は「二等兵」から始まり、来るたびに階級が上がって行くそうだ。「それでは、元帥目指して頑張ります」といちおう私は答えておいたけど、まあ、一回行ったからもういいか。

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 慈恩弘国 ホームページ

 

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徳山鮓@滋賀県余呉

【徳山鮓】

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 「徳山鮓」は琵琶湖の上にある小さな湖の余呉湖を見下ろす高台にある、発酵料理で全国的に有名な店である。
 ずいぶんと不便な所にあるのだが、それにはもちろん理由があり、自然豊かなこの地で獲れる川の幸、山の幸を専ら使っているゆえであり、この土地に店を建てる必要があったのだ。

【前菜盛合わせ】

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 前菜は季節の野菜、山菜、稚鮎、鹿のテリーヌなど。
 面白い形の器は、余呉湖の形を模したものである。

【造り】

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 造りは、鯉の刺身に、鮒鮓の卵をまぶしたもの。
 鯉はうまく処理できていて全く臭みはなく、歯ごたえもよい。鮒鮓の卵も濃厚な味で、鯉の淡泊な味をうまく支えている。

【山菜天麩羅】

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 山菜はもちろんこの地で採れたもの。コシアブラ、モミジガサ、コゴミ。
 山登りが趣味の者として、今の時期山のなかでは見慣れたというか、身飽きたようなものばかりだけど、極上の油と技術で揚げられたこれらの天麩羅は見事としかいいようのない出来栄え。

【ハム盛合わせ】

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 猪、鹿のハム。季節の野菜を添えて。

【熊鍋】

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 本日のメインは、熊肉に豪華にどっさりと花山椒を盛った熊鍋。
 花山椒の種類を変えたもので二種の鍋。
 花山椒の香りは鋭角的であるけど、熊肉もまたシャープなエッジの利いたものであり、互いの味がぶつかり合って引き立てているという感じの、鮮烈な印象を与える鍋であった。

 今では京料理では当たり前のように使われる花山椒だけど、それはこの店が走りだったそうだ。なぜなら余呉の山には花山椒がいくらでも獲れるため、それを豪勢に使うことが出来たから。今の時期はちょうどその時期なので、料理長は親子そろって毎日険しい山に入って、花山椒を採取しているとのこと。
 ただし、花山椒が高級食材として京料理に当たり前のように使われてしまうようになって、今では新しさを失ってしまったので、徳山鮓では花山椒を使った鍋は今シーズンで終了になるそうである。
 初めて訪れた徳山鮓であったが、ちょうど間にあってよかった。

【珍味三種】

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 これは熟鮓を使った、この店のスペシャリテ。鯖とチーズ、鮒鮓、鮒鮓サンド。
 どれも酸味とほのかな甘みをもった、上品で洗練されたものであった。
 鮒鮓は滋賀では郷土料理的なものであり、また家庭料理にも使われたりするのだが、これらの料理はそれらとは異なる、いわゆるプロの料理的なものであった。

【熊雑炊】

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 熊鍋は雑炊で〆ものとしてまた出て来る。
 熊の肉にはまったく獣臭さはなく、かえってあっさりとした脂と旨味が乗った出汁で、美味しい雑炊となっていた。

 初めて経験する徳山鮓、冬は雪に閉ざされる地にあることもあって、コテコテの保存食系の発酵食品みたいなものを想像していたのであるが、じつは全然違っていて、発酵を料理を旨くする技として自在に用い、素材の美味さを存分に引き出す、洗練された料理の数々を出す店であった。
 そういう意味では、こんな僻地でそんな料亭的料理を出さなくとも一瞬思ってしまたりもしたが、いやいや、この素材の料理を出すためにはこのロケーションではなければと、すぐ気付きもする。
 まったくこの店の料理はじつに魅力的であり、それゆえこんな不便な地にあっても、全国から客が来るわけである。

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登山:賤ヶ岳@滋賀県長浜市

 滋賀県の余呉にある「徳山鮓」という料理店での食事会の誘いがあり、発酵料理で全国的に有名な店であることから一度は行きたいと以前から思っていたので、参加を決めた。
 ただ滋賀県まで遥々と料理のためだけ行くのも勿体ないので、地図を広げて、その店の周辺に何か観光が出来る面白そうなものを調べると、あっさりと「賤ヶ岳」を見つけた。
 歴史好きなものなら知らぬものなき合戦場跡であり、余呉湖と琵琶湖の合間にあることから眺めの良い山でもある。
 登るとしたら余呉駅発となるが、湖を半周してそれから山に登って駅に戻ると3時間くらいの行程になる。余呉駅午前8時15分着の列車に乗ると、ちょうどよいのでそれを使ってみた。

【余呉駅】

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 京都駅から鈍行列車を乗り継ぎ、余呉駅に着。
 閑散としたところであったが、有人駅であった。余呉湖が観光名所であることから、それなりの需要はあるようだ。

【余呉湖と賤ヶ岳】

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 駅からまずは余呉湖湖畔をランニング。
 好天の下の静かな湖、それに向かいに賤ヶ岳。湖面には山々が映っている。余呉湖の別名「鏡湖」、そのものの姿である。
 そして登山口へは、3kmほど走って賤ヶ岳の麓まで行かねばならぬ。

【ブラックバス】

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 湖畔には釣客が多く、何が釣れるのだろうと思っていたら、ちょうどブラックバスの大物が釣り上がっているところであった。60cmもあるそうだ。あとはブルーギルが釣れているのも見た。
 このあとの食事会で、余呉湖は冬にはワカサギが釣れ、それが名物になっているということを聞いたのだけど、余呉湖のワカサギ、ずいぶん過酷な環境を生きているなあと同情してしまった。

【登山道】

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 賤ヶ岳は観光地でもあり、登山道はよく整備されていた。
 造成林の幹にはビニールテープが巻かれていたけど、不思議な風景。虫除けか鹿除けなのだろうか。

【琵琶湖】

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 賤ヶ岳山頂着。山頂は開けており、360度の風景が楽しめる。
 南方面には琵琶湖。あまりに広くて、端が見えなかった。

【余呉湖】

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 北は余呉湖。琵琶湖と比べると、ずいぶんと小さい。その分全体像がわかりやすい。
 今見渡している地において、かつて天下二分の大合戦が行われたのであり、合戦図と、実際の風景とを比べながら、歴史の跡を確かめた。

【サワオグルマ】

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 下山は東側の山稜の登山道を使った。
 賤ヶ岳では今の時期、鮮やかな黄色い花を咲かせるサワオグルマがちょうど旬とのことで、それを楽しみにしていたのだが、途中に群落があるはずだったのに、なぜか花の咲いているのはこの一株しか見つけられなかった。

【余呉の町】

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 山稜を辿って行き、途中で合戦の始まりとなった大岩山に寄って、それから下山。
 観音堂まで来ると、ほぼ登山も終了である。
 観音堂からは余呉の町が見える。こじんまりとした静かな町だ。

 2時間半で全行程を終え、駅にと戻った。
 食事前の腹ごなしのいい運動になった。

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May 06, 2019

対馬の神社

 日本の神社は古来は神々の宿る地を信仰の対象として、それ全体を「神社」として敬っていたのだけど、時代が経るにつれて、神道の洗練化とともに、今ある鳥居、参道、拝殿、本殿を持つ、一般的な「神社」となっていった。
 対馬の神社も、一応は鳥居、参道、社殿を持つ形が多かったけど、しかしなお古来のアニミズムを伝える、その空間全体が厳かさを持つ、そういう神社がまだ残されていた。
 対馬を訪れたさい、対馬の代表的な神社をいくつか行ってみたので、それらを紹介。

【多久頭魂神社】

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 これは豆酘の多久頭魂神社。
 対馬特有の神である、多久頭神を祀る神社であり、のちに対馬の天道信仰と結びついて、近くに聳える竜良山を御神体とした遥拝所となっていた。だから初期には神殿を持たない神社であった。
 この神社一帯は自然が多く残されており、特に御神木である大樟が神秘的かつ荘厳な印象を与える。

【天道多久頭魂神社】

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 多久頭魂神社は上対馬にもあり、朝鮮半島に正対する国境の要衝の地にある。
 この神社は神殿を持たず、御神体はやはり奥に聳える天道山であり、その遥拝所となっている。
 そして対馬特有の石積の塔が独特の雰囲気を醸し出している。これは結界との仕切りを意味するもので、この先が神域となる。

【和多都美神社】

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 海に囲まれた島である対馬には、当然海の神様を祀る神社がいくつかあり、そのなかで最も有名なのが和多都美神社。海神である豊玉彦尊がこの地に宮殿を造ったことに由来する伝説を持つ。
 海に立つ二つの鳥居は、本殿への水路の道を示すようでもあり、この神社が竜宮城を連想させる、と言われている。

【海神神社】

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 先の和多都美神社と同じ流れを引く、豊玉姫命を祭神とする神社。長い石段を登って行き、ようやく神殿に到る。
 古い歴史を持つ神社であり、この一帯は聖域視されていて、自然林がよく保護されており、その自然と古い建物が相まって、荘厳な雰囲気を感じとることができる。
 この神社は、韓国人グループに仏像を盗まれ、それがいまだに返ってこないことでも有名になってしまった。

 

 対馬の神社には古代神道の雰囲気がまだ濃厚に残っているところが多く、そのため神社研究家、あるいは神社マニアがよく訪れるそうだ。あるマニアは毎年訪れて神社ばかり訪ね歩いているそうで、「このような土地は他にはない」と絶賛していたそうである。
 その話を聞いたときは、話半分に聞いていたが、いざ自分で訪れてみると、たしかにそれもよく分かる、そういう魅力のある神社ばかりであった。

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May 05, 2019

登山:対馬竜良山

【竜良山@豆酘港から】

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 下対馬の良港、豆酘港の奥に位置する竜良山は、円錐形の一際目立つ姿から、港に帰って来る漁船のランドマークとなっており、その美しい姿は玄海の荒波と格闘して、ようやく家路に近づいてきた漁師たちにとって、神々しいものに映っていたであろう。そのため、竜良山は古来より神聖視され、立ち入りが禁じられていたことから、山麓の森林が保護されており、それは貴重な自然林として、現在では国の天然記念物に指定されている。

 今では立ち入り禁止は解除されてはいるが、それでも地元の人たちは、この聖なる山に入ることは敢えて避けているそうだ。
 とはいえ、世の中には一定数、そこに山があるとなにはともあれ登りたがる人たちが居て、そして私もその一員なので、登ってみることにした。
 この特別な山の登山については、豆酘の宿を出るとき本日の予定を聞かれ、竜良山に登りますとこたえたところ、あそこは霊山なのでと、主人からお清めの塩をもらっており、登山口でお祈りとともに塩で身を清め、それから山頂へGo。

【自然林】

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 登山口からずっと、照葉樹の原生林が続いている。巨大な樹、細い樹、曲がりくねった樹、倒木、落ち葉、無秩序のなかに、しかし自然そのものを感じさせる不思議な秩序を感じさせる原初の森が広がり、厳かな気分にひたされる。

【稜線】

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 稜線に出てからは植生が変わり、岩だらけのなか、岩の隙間から細い樹々が立っている。

【山頂】

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 山頂に出れば、岩場となり、一挙に展望が広がる。
 山々は海まで連なって行き、その途切れるところに豆酘の港が見える。そして手前には今が旬のヒトツバタゴが咲き誇っている。

【天道大神神社】

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 下山したのちは、登山口の近くにある天道大神神社に寄ってみた。
 この神社は、対馬の天道信仰の祀りの場であり、ここでの御神体は竜良山そのものである。
 対馬の宗教は独特であり、その根幹であるところの天道信仰については、たいへん複雑な要素がからまり、何度テキストを読んでもよく分からないところがあるのだが、それは結局は対馬が複雑な歴史を持ち、その宗教も歴史の激動とともに変革を遂げ続けざるを得なかった、そういうことであろうと思う。
 宗教そのものについては難解なのであるが、天道を祀るこの古き神社は、ここに居るだけで、この地の力のごときものが伝わってくる、それをシンプルに感じられる、そういう静謐かつ荘厳な地であった。

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May 04, 2019

美女塚山荘@豆酘

【美女塚山荘】

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 対馬の霊峰白嶽登山をおえたのち、本日の宿「美女塚山荘」へ。
 対馬は人口が厳原に集中しており、それ以外はどこも辺鄙なとこばかりで、この山荘もまた他に何もないような辺鄙なところにあったけど、宿そのものはきちんと手入れのなされた真っ当な建物であった。

 この山荘の名、「美女塚」は、近くに「美女塚」があることに由来する。「美女塚」には悲しい伝説がある。詳細は省くが、かつてこの地、豆酘に住んでいた鶴王御前なる美女が、そのあまりの美貌ゆえに悲惨な目にあい、自ら命を断つときに、「美女に生まれたばかりに私はひどい目にあった。こんな悲しい目に他の人があわないように、これから豆酘には美人が生まれないようになれ」と豆酘の地に呪いをかけた。それ以来、豆酘には美女が生まれなくなってしまった、とかいう幸か不幸かよくわからん結末を持つ伝説が残っている。もっとも他説によれば神はその願いを聞き入れず、その後も豆酘は安定した美女産生地であり続けたともいう。

 まあ、そんな何が何やらよく分からん伝説の地に立つ宿であり、そのせいか宿は主人のキャラが立っていて、面白い宿であった。

【美女塚茶屋】

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 食事はこの茶屋で取る。
 以前は食事処としても営業していたようだが、現在は宿泊者専用となっている。

【夕食】

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 対馬に来て分かったけど、対馬は全島リアス式海岸の非常に入り組んだ地形をしており、それは魚の宝庫、そして良港を持つことを意味する。さらには対馬にはすぐ近くの海に寒流、暖流が流れており、日本有数の良漁場である。
 それゆえ、美味しい魚が豊富にとれ、新鮮で質の良い魚が食い放題、といった感じであった。この宿も山の中にはあるけれど、近くに良港がいくつもあり、魚尽くしであった。
 そして食事中、話好きの主人が、客のあいだを回ってずっと喋り続けており、対馬のいろいろな話が聞けて楽しかった。

【豆酘観光】

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 美女塚山荘では早朝に近くの名所を車で案内してくれるサービスがある。私もそれに参加。
 対馬の岬をまわり、霊峰竜良山から流れる川の有難い水を頂き、そして神秘的な多久頭魂神社を訪れたりと、盛りだくさんのツアーであった。こういうことがないと、一生訪れることもないような地を巡ることができ、この宿に泊まる人は、参加必至のミニツアーであった。

 

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登山:対馬白嶽

【白嶽】

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 対馬は山の多い地、というか島がそのまま山となっている地であり、いたるところ山ばかりなのであるが、そのなかで最も有名な山が白嶽。対馬の山岳信仰の聖地として、霊山と崇められている山である。
 なぜ信仰の対象となっていたかといえば、山の姿を見れば一目瞭然。第一駐車場から見るその姿は、石英斑岩による白い岩峰を二つ空に突き立てた威厳ある姿であり、周囲の山々の盟主たる威容を堂々と誇っている。
 その山の麓にある登山口に向かって行ったが、この第一駐車場から道は狭くなり、けっこうな難路であって、苦労して登山口にたどり着くこととなった。

【登山道】

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 登山口にたどり着いてしまえば、そこからはよく整備された登山道が続いている。

【鳥居】

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 白嶽神社の鳥居から、白嶽への取りつきとなり、傾斜もきつくなる。
 この登山道を白嶽方向に登らず、そのまま真っ直ぐ行くと、厳原まで続く長い山岳縦走路となる。

【山頂下広場】

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 登山道はやがて、整備された広場へと出る。祠や狛犬等があり、この山が信仰の場ということがよく分かる。

【白嶽神社】

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 双耳峰の鞍部をいったん越えると、そこには白嶽神社がある。この鳥居から先は聖域となっており、出入りは禁止されている。
 白嶽そのものが、御神体となっているようであった。

【山頂から】

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 山頂に着くと、言葉を失う絶景が広がっていた。
 この山の山頂部は岩峰なので、視界を遮るものはなく、360度の風景を楽しめる。
 そして南方向には、厳原へと続く山並みが連なり、原生林の緑と白い巨岩が美しいコントラストを見せている。そしてその緑のなかに、ぽつんぽつんとヒトツバタゴの白い花が見えるのもまた良い。

【山頂から】

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 北方向には、双耳峰のもう一つの峰が見える。巨大な岩塊である。
 そしてその奥には浅茅湾が広がり、対馬独特の極めて複雑な海岸線も見ることができる。

【岩のテラス】

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 山頂から下りてしばらくのところにある岩のテラスにも寄ってみた。
 ここも眺めが良く、そして間近に見る白嶽の岩峰の姿もまた迫力ある。

 

 対馬白嶽は九州100名山にも選ばれている名峰であるが、たしかに山そのものの姿が良く、そして山頂からの眺めは絶景であり、100名山どころか、もし九州から10座名山を選ぶとしたら、かならずノミネートされるべき名山に思えた。
 対馬は来るのはけっこう大変であるけど、この山に登るためだけでも来る価値ある、そういう素晴らしい山であった。

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May 03, 2019

登山:対馬御岳

【ヤマネコ注意】

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 対馬で一番有名なものといえば、ツシマヤマネコである。
 日本にいるネコの数は多かれど、野生種のネコは、このツシマヤマネコとイリオモテヤマネコの二種類のみであり、たいへん貴重なものである。それゆえ、ツシマヤマネコの保護を喚起するため、対馬には島中のいたるところに「ヤマネコ飛びだし注意」の交通標識がある。
 そのツシマヤマネコの生息地として自然林が保護されているのが、対馬御岳であり、この山はツシマヤマネコの住む山として有名だ。
 その御岳に登ってみることにした。

【滝】

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 御岳の登山道は地図を見ると、登山口からの周回ルートがあるので、それを使うことにした。
 まずは荒れた林道を進んでいくと、林道は途中で途切れていた。地図の破線はそこから山頂まで続いており、ここらへんから本格的な登山道になるらしかった。しかしそこに道らしきものはなく、地図を検討すると、それは沢を詰めていくルートになっている。
 激藪やナイフリッジなどがない限り尾根筋の登山道なら、道がなくともたいていは進んで行けるけど、沢筋の登山道って、きちんと整備していないと、途中で滝に当たって行く手を阻まれることがほとんどである。
 それゆえ大丈夫かいなと思いながら、道なき道を進んでいったら、案の定滝が出て来て通せんぼになってしまった。いちおう巻けるかどうか試して、右側の崖を登っていったけど、手がかり足がかりに乏しく、ギアがないと突破は無理のようであった。
 それでこのルートはここで諦め、登山口まで引き返し、もう一つのルートを使うことにした。

 教訓:地図は大事だけど、そこに書かれてある登山道は、いつ使われていたものか分からないので、完全に信用してはいけません。

【登山道】

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 鳥居をくぐって進むと、こちらはさっきと違って、よく整備された登山道である。

【ツシマヤマネコの森】

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 この山域は特定動物の保護林となっており、その特定動物とはもちろんツシマヤマネコである。

【島大国魂神社】

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 山頂近くに立派な社があり、登山口の鳥居はおそらくこの神社のものであったのだろう。

【対馬御岳山頂】

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 山頂に到着。
 樹木を保護しているせいか、山頂も樹々が生い茂っており、展望はあまり良くなかった。

 下山は往路をたどり、またツシマヤマネコの森を通って行った。
 ツシマヤマネコ、少しばかり出会えるのを期待していが、姿はおろか鳴き声さえ耳にすることはなかった。ツシマヤマネコって、絶滅危惧種であり、今対馬には80頭くらしか生息していないそうだから、それも当然なのだろうけど、保護対策がうまくいって、かつてのように対馬のいたるところにツシマヤマネコがいる、そういうことになってもらいたいものだ。

【厳原にて】

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 下山後は厳原の宿へ。
 夕食は近くの居酒屋「だいぜん」で。
 対馬は漁港ばかりの島であり、魚も当然豊富に獲れる。それゆえ、本日は海の幸をふんだんに味わうことにした。新鮮な刺身に、対馬産が最も美味しいとされるノドグロ。
 対馬、美味しい。

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ヒトツバタゴ@対馬鰐浦

 GW中に咲く花を求めて、あちこちを旅しているのだが、今回の長期休暇を利用して、一度行きたかった対馬のヒトツバタゴ大群生地を訪れることにしてみた。
 ヒトツバタゴは大陸系の樹木で、それゆえ大陸に近い対馬に自生しており、とくに鰐浦地区にはその大群落があって、開花の時期である5月初旬には、山そのものが白く染まることで有名なのである。

 その対馬、車で行くとけっこう大変であった。
 博多筑港からのフェリーは夜の12時に出港して、朝の5時に対馬の厳原に着くという、何やら使いにくい時間帯。もっとも、これは搭載している車の大半が荷物運搬のトラックであって、トラックは市場が開く前の早朝に配送を行う必要があるゆえ、こういう時間になっているようだ。私はそれに便乗しているわけで、文句は言えない。

【対馬の夜明け】

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 というわけで、夜が明けぬ前に対馬の港に着き、それから対馬の北端近くに位置する鰐浦を目指す。途中、対馬を上下に分ける万関橋あたりで夜が明け、いい夜明けの景色が見られた。

【ヒトツバタゴ】

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 鰐浦に着く頃には夜もすっかり明け、青空が広がっていた。そして国道382号線から鰐浦地区に入ると、いきなり山肌を白く染めるヒトツバタゴの姿が見えた。

【ヒトツバタゴ】

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 鰐浦港をヒトツバタゴを見ながらしばし散策したのち、この地区を一望できる韓国展望所に移動。
 ヒトツバタゴは野生では、生育できる地区が限られているようで、岬の突端近くと、海に近い部位を好んで咲いているようである。

【ヒトツバタゴ】

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 続いて、もう少し近くで鰐浦のヒトツバタゴを見られる「ヒトツバタゴ展望所」にと行ってみる。
 新緑のなか、白いヒトツバタゴが印象的である。
 ヒトツバタゴはいくつかの別名を持っており、その一つが「ウミテラシ」。花が満開の頃、鰐浦の湾はこの花の照り返しで白く輝き、湾外から港を目指す船にとっての分かりやすい道標となっていたらしい。その別名通り、海を照らすかのような鮮やかな白い花であった。

 ヒトツバタゴは対馬の島全体で見ることができたけど、このように大群落を作っているのは、この鰐浦一ヶ所であり、よほど条件が良いのであろう。貴重な存在である。国の天然記念物になっているのもよく分かる。

【ヒトツバタゴ】

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 ヒトツバタゴは対馬を代表する樹なので、街路樹や、民家の植木にも使われている。
 民家のものはよく手入れされているので、樹勢もよかった。そのうちの一本の近接影を参考までに紹介。
 樹全体が白い花で覆われ、まるで雪の時期の樹氷のようにも見える。

【高麗山登山口】

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 鰐浦のヒトツバタゴを見たあとは、対馬上島の山を二つ登る予定にしていた。
 そのうちの一つが高麗山。
 鰐浦地区の近くにあり、ここに登ると、鰐浦地区が一望できるはずで、ヒトツバタゴのさらなる良い眺めが経験できるであろうという目論見である。
 しかしながら登山口に着くと、自衛隊による「この山は自衛隊施設があるため立入りはご遠慮ください」の看板があった。登山の一般的ガイド本である山渓出版の「分県登山ガイド 長崎県の山」によれば登山可のはずなので変に思ったが、警告を無視して登るわけにもいかず、ここはUターンして、次の目的地、対馬御岳へと行くことにした。

 

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May 02, 2019

映画:アベンジャーズ・エンドゲーム

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 10年近くにわたって続けられてきたハリウッド大作映画シリーズ、「アベンジャーズ」の最終章。
 アベンジャーズはキャラが多く、それによって派生した作品も多いので、全部は見ていないものの、主筋はアイアンマンとキャプテンアメリカが動かしており、彼らが出ている作品はだいたい見ているし、なにより直接の前作インフィニティ・ウォーも見ているので、本作品も事前学習なくとも問題なく見られると思っていた。

 ところが冒頭近く、全然知らない人物が宇宙空間にド派手に現れ、それが神のごとき超常的パワーの持ち主であり、「いったい、こいつは何者なんだ。こいつが最初から登場していれば、サノスなんて鎧袖一触じゃなかったんかい」とか思ってしまい、上映中ずっと気になってしまった。
 あとでパンフレットで確認すると、それは宇宙の英雄キャプテン・マーベルで、前作の最後でニック・フューリーが助けを求めるためにポケベルで連絡をとった人物その人なのであり、きちんと伏線が張られていていたのであった。しかし映画「キャプテン・マーベル」はつい最近上映まで上映していたけど、インフィニティ・ウォーにつながる作品とは思えず、食指がうごかず見逃してしまっていたのは残念。あれ見ていれば、彼女が登場したとき、待ってました、とのカタルシスが得られたのに。

 そういうわけで冒頭は躓いてしまったけど、3時間かかるこの大作、見どころ、見せ場がずっとスピーディに続き、たいへん楽しく見させてもらった。

 

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 以下の感想、少々ネタバレあり。

 

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 この映画の前半は失われたアベンジャーズを復活させるための、生き残りのメンバーによる冒険談である。それは単なるバトル、知力戦に留まらず、それぞれのメンバーの人生をたどるものであり、静かな感動を呼ぶシーンに満ちていた。
 とりわけ、ブラック・ウィドウの物語。改造人間であるブラック・ウィドウは一般人からすると最強レベルに強いのであろうが、超人ぞろいのアベンジャーズのなかにあっては最弱レベルであり、あんまり役に立っているようには思えなかった。しかし彼女にはその知能と責任感によって、生き残りのメンバーのなかで最も精力的に仕事を行い、そして重大な役張りを果たすことになる。
 アベンジャーズのなかにあって端役であるブラック・ウィドウに、スカーレット・ヨハンソンのような大女優を使うことに私は違和感を感じていたが、しかしこれほど重要な役に成長するなら、それは正しい選択であったことが分かった。・・・しかしながら、スカーレット・ヨハンソンの代表作がどうやらアベンジャーズになってしまいそうなのはいかがなものかとも思ってしまう。「真珠の耳飾りの少女」で有名になったころの彼女が、こういう方向に進むなんて全然予想できなかったなあ。

 そして物語の後半、苦難のすえアベンジャーズが蘇り、勢ぞろいして、リーダーであるキャップの号令、「アベンジャーズ集合!」のもとに始まる大バトル、これは迫力満点であった。とりわけ、ワンダとサノスのタイマン、「ワンダってこんなに強かったのか」と感嘆してしまうほどの圧倒的パワーを見せ、アベンジャーズではキャプテン・マーベル除くと、じつはワンダが最強なのでは、と思ってしまった。まあ、ワンダが叫んでいたごとく、あれはワンダがキレたから強さが増強したらしきせいもあるみたいだが。
 やがて戦闘が続き、敵の強力兵器にアベンジャーズが押されるなか、キャプテン・マーベルが雲のなかから突如現れ、登場するやとんでもない無双ぶりを発揮する。この人ひとりいたらアベンジャース必要ないんあじゃね、って思うくらいの強さで。しかしキャプテン・マーベルって、なんでいっつも遅れてやってくるのだろう?

 などなど思ううち、やがてサノスとアベンジャーズの物語は解決に向かう。前作で、ドクター・ストレンジがトニーに謝って「There was no other way. これしか方法がなかったんだ」と言って消え去ったが、たしかにそういう方法にて。それにしてもこのシーン見て、インフィニティ・ウォーを思い返し、これが唯一の解決法かよ、ひでぇ話だな、ドクター・ストレンジってなんてひどいやつなんだ、そりゃ謝るわけだ、とか思ってしまった。さらにはなにか他に方法がありそうに私には思えた。それこそ、キャプテン・マーベルがいるだろう、というふうに。ただし、そういうのは誰でも思いつくことであり、ドクター・ストレンジの言を信じるなら、ドクター・ストレンジはそういうのを当然含めて、無限に近い選択肢を試したのち、サノスに勝てるには結局あれ一つしか見つけられなかったわけで、まあ仕方なかったのだろうなあ、と無理に納得した。

 大対決が解決したのちは、アベンジャーズ個々の物語に移る。
 映画は、アベンジャーズの主要人物、―冒頭のポスターに出ている者たちのエピローグを語る。それは彼らの人生を語りきっていたり、あるいは新たな人生の幕開けを告げたりで、この10年間彼らにつきあっていた観客として、胸に迫って来るものがあるいいシーンの数々であった。

 莫大な費用をかけて、良い脚本を練り、一流の役者を雇い、そして最新レベルの映像を撮る。まさにハリウッド映画の見本のような映画であり、存分に楽しめた。
 平成の時代、映画の技術は革新的に進歩したが、令和の時代を迎えて、さらに面白く、楽しい映画の数々を経験していきたいものだ。

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 アベンジャーズ・エンドゲーム 公式サイト

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May 01, 2019

令和元年初日は高塔山から昭和の象徴若戸大橋を眺めてみる

 出雲大社参拝を終え、その夜は12時の改元のカウントダウンの番組を見ながら、改元を祝う。平成改元の時は、全国が粛々とした雰囲気のなかであり、こういう祝賀ムードは一切なかったので、今回の改元のための法改正実行はよかったと思う。

 さて、その翌日の令和元年初日の登山は、平成を象徴する何かをテーマにしようと思ったが、まさか雲仙の平成新山に登るわけにもいかず、さりとてそれ以外ろくなものが思い浮かばなかったので、発想を変換して、昭和の象徴をテーマにしようと思った。
 昭和を象徴するものなら、すぐ近くにそれらしきものがあったこともあり。

【若戸大橋@洞海湾から】

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 北九州市、若松区と戸畑区を結ぶ若戸大橋は、昭和37年に完成した。
 当時は高度成長期の始まりであり、日本中元気があり、北九州市も重要な工業都市として発展していた。その時代に築かれた全長627mの長大な橋は、日本の技術の粋であり、東洋一の規模を誇るものであり、興隆する日本の象徴でもあったのである。
 その後日本は産業構造が変化し、北九州は凋落していき、若戸大橋もその誇りある地位を失っていった。
 長い時間の流れのなか、人も都市も建造物も、その運命に従って変わって行くしかない、そういう無常というものを見せてくれる、美しく大きな橋である。

【若戸大橋】

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 若戸大橋のビューポイントはいろいろあるが、一番は高塔山の展望所からのものとされている。たしかに間近に全貌が見られるところはここしかない。
 半世紀以上、昭和と平成の時代、北九州の物流を支え続けて来た働き者の橋である。

【玄海自然道】

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 高塔山は標高124mの低山なので、それだけ登るのも物足りず、玄海自然歩道を使って石峰山まで行ってみることにした。
 ここは途中の健康峠。ここを通ると、健康になれるそうだ。

【石峰山山頂から】

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 石峰山山頂からは、洞海湾の向うに、皿倉山が見えるはずだが、本日は雲がかかっており見られなかった。

【稜線】

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 石峰山からは藤の木駅方面に下山。
 駅からは今歩いた稜線の全体像が見られる。
 藤の木駅は、かつて筑豊炭田から若松港に石炭を運ぶ貨物列車が数多く走っていた筑豊本線の駅である。時代の流れとともに、筑豊は閉山となり、貨物列車も走ることはなくなり、この駅も静かな無人駅となっている。

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