新元号「令和」に思う。
五月からの新元号が「令和」に決まった。
良い元号だと思う。
出典は万葉集の梅花の宴序からとのことで、この文がまたいい。
「天平二年正月十三日、師の老の宅に萃りて、宴会を申く。時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
万葉集中の有名歌人にして有力政治家の大伴旅人の邸宅で行われた、梅の花を囲んでの宴、それについて記した文である。当時大伴旅人の住んでいたところは大宰府であり、大宰府は梅の名所であるが、当時から梅の名所だったようだ。
庭いっぱいの梅が紅白それぞれ爛漫と咲き誇り、周りは梅の香りに満たされ、招かれた客人たちはその美しき景色を愛でながら、おおいに歓談し、飲み、騒ぎ、楽しむ。記録者は、この素晴らしき時を、「もし翰苑にあらずは、何を以ちてか情を述べむ」 ―私たちに文字が、文学があるのはなんと有難いことか、この喜びの時を表現する術をもっているわけだから、と述べる。そして古の人は梅についておおいに詩を書いた。我々もそれにならって梅を題材に和歌を読もうではないかと続け、このあと客人たちが読んだ三十二首の和歌が並んでいる。
古の人とは、古代中国人のことであり、四世紀ころのことを言っているそうだ。梅花の宴が開かれた天平二年は8世紀なので、400年の時を経ての、文学のつながりがある。そして、現代21世紀の日本の元号に、この序文からの言葉が使われたので、1300年の時を経て、また文字がリレーされたのだ。
記録者(おそらく山上億良)が言うとおり、文字そして文学というものはまったく有難いものであり、これがある限り、文化というものは連綿と受け継がれていく。この伝統を我々は大事に紡いでいきたいものである。
なお、「令和」という元号には、「美しい調和」という意味が込められており、まったくこの時代、世に調和、そして平和がもたされてもらいたいものだ。
ただ万葉集の序が書かれた背景を思うと、そこは含蓄に富んでいる。あの時代は、大和朝廷の政治が不安定化し、藤原氏が実権を握るため、朝廷は権謀術数うずまく争いの場と化し、多くの権力者が血を流しあっていた。
そして大宰府というのは、中央政府からの一種の避難所になっており、そこは政争のない、平穏の場となっており、だからこそ閑雅な梅の宴も開くことができた。ただその分、中央には影響力もなく、有力者たちは無聊をかこつ歯目になり、かつての要衝大宰府は僻地扱いされていった。
「令和」の時代は、世界はいよいよ混沌となり、各地の争いは激化するのが必定である。その嵐の吹くなか、いかにして本邦は、平和でありえるか。大宰府方式で行くか、あるいは他の手でいくか。これまで以上に知恵が要されるのは間違いない。
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