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December 10, 2018

映画:ボヘミアン・ラプソディ

Queen

 人気バンド、クイーンを題材とした映画。
 主人公はいちおうフレディ・マーキュリーであり、彼が出自や容姿、性癖等に社会との疎外感をもつなか、ブライアン・メイとロジャー・テイラーと出会い、彼らと切磋琢磨し続けることによって、音楽パフォーマとしての希代の才能を開花させた。クイーンは当代一流のバンドとして成長し、そして伝説の舞台「ライブエイド」で圧巻の演奏を行い、世界中の聴衆を圧倒させる、そこまでを描いている。
 つまりはクイーンの成功一代記なわけだが、主役がフレディなので、話はいろいろと複雑なことになる。なにしろフレディは、けっこう、というかかなり壊れている人物であり、それがバンドに様々な問題と軋轢を起こし、いたらぬ事件と迷走を生じさせる。
 フレディは本来なら、社会から弾き出されたアウトローとして底辺を流浪する羽目になっておかしくない生活破綻者なのだが、なにしろ傑出した音楽的才能を持っており、そして良いところも多少はある人物なので、彼を理解しようと努めサポートしてくれる人たちが幸運なことに彼の周囲に幾人もいた。それでフレディはその才能を真っ当な方向に伸長させることができた。
 そして「クイーン」というのは、すなわちそのフレディに対する代表的サポーターであった。フレディ以外の3人は、優れた音楽才能を持っているのに加え、あちらの音楽界では珍しいことに、いたって常識人であった。とりわけ、ジョン・ディーコンはあまりにいい人に描かれ過ぎているようにもみえるが、これは映画的誇張というわけではなく、実際に彼はそういう人物であったことは誰もが証言している。
 クイーンというバンドは、フレディのワンマンバンドではなく、フレディは他のメンバーのサポートがあって、真の実力を発揮でき、そのことがバンド全体の実力を高めていき、数々の名曲を生み出すことができた。

 映画はそういうクイーンの内実を丁寧に描きながら、そして伝説のショー「ライブエイド」をクライマックスに持ってくる。このラストの20分が本当に素晴らしい。そしてこの演奏で、「クイーン」そのものも魅力を我々はダイレクトに感じ取ることができる。

 クイーンにはある特殊性がある。

 70~80年代の洋楽ポップス界は、現代とは比べものにならない興隆ぶりで、たくさんの優秀なグループや歌手が百花繚乱と輩出し、多くの名曲を生み出していた。クイーンもそのうちの一つで、それこそ映画でライブエイドに出演するスターたちの名をマネージャーがずらりと並べ、君たちも彼らに比肩しうる人気者なんだよ、てなことを言うシーンがあるが、それはすなわちクイーンにしても当時は「ワン オブ ゼム」であったことを意味する。
 それから30年近くの時が過ぎ、ポップス自体が過去の音楽となりつつあり、大スターたちのヒット曲も懐メロ化しているなか、クイーンの音楽だけが、いまなお現在世界中の多くの人達によって歌われ、世代を越えて聴かれ継がれ、若い人達にとっても自分の世代の音楽のような新しさをもって体験されている。
 あの時代の音楽で、クイーンだけが生き残ったのだ。彼らはあのスター達のなかの、オンリーワンだったことを、ポップスの歴史は示した。
 クイーンがそういう特殊なバンドであったことは、いろいろな理由が考えつくわけだが、理屈とか理論ぬきに、映画でラストのコンサート20分を観れば、その理由が容易に分かる。
 要するに彼らの音楽がとても魅力的だったのだ。結局それに尽きる。そしてそのことを、映画館のなかで、ライブそのものの臨場感あふれる大画面で観れば、それが全身の全感覚を通して、感動をもって伝わってくる。

 私はクイーンのライブを観たことはなく、それは私の人生の後悔の一つだけど、おそらくはそのライブと同等の迫真性をもつステージショーを再現して見せてくれたこの映画に、私は深く感謝する。

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 映画:ボヘミアンラプソディ →公式ホームページ

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