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December 2018の記事

December 31, 2018

最後の平成年越しを、Pont de ferr@ミラノにて。

 平成30年大晦日は平成最後の年越しの日。
 ミラノ大聖堂を見物して、それから市街地を散策したのちホテルへと戻る。ミラノは日本より8時間遅れているので、午後からはBSテレビで紅白歌合戦を見ながらの年越し、という一般的日本人的の過ごし方をした。

【鉄橋】
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 意外と充実した内容の紅白に感心したのち、それから今夜のレストラン「Pont de ferr(鉄橋)」へと。このレストラン、名前はフランス語だが、イタリアンの店である。
 駅からすぐに観光名所のナヴィリオ運河があり、店の近くにその名前の由来である鉄橋があり、これを越えてしばらくのところに店があった。

【new year’s eve menu】
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 本日は年末なので、メニューは一種類「The new year’s eve menu」、年末特別コースである。
 照明の暗い店だったので、うまく写真は撮れていないけど、いくつか並べてみる。
 前菜は6皿で、創作系のイタリアン。牡蠣、マグロ、海老、蛸といった地元の海産物を用いたものが続く。そしてパスタはアザミクとアンチョビのトルテリーニ。ミラノ名物リゾットはヤマウズラとココアのリゾット。メイン料理はアーティチョークにベルガモットと鹿肉。
 いずれもミシュラン星付き店だけある、良い素材を使い、丁寧な調理がなされた素晴らしいものばかりであった。

 夕食は午後8時からのスタートだったけど、ゆっくりしたペースで進み、そして12時近くになると全ての客にシャンパンが配られる。そうして多くの者は、外に出る。そこには大勢の人が運河沿いに集まっていて、新年の訪れを待っていた。やがて新年の到来とともに、あちこちで大きな花火が夜空に打ち上げられた。そして小さな仕掛け花火も、人の集まっている様々なところで火がつけられ、閃光と爆裂音を放ち、あたり一帯光と音で満たされた。人々はたがいに歓声をあげて抱き合い、新年を祝う。
 う~む、イタリアだなあと、この暖かな雰囲気の喧騒に、実感した。

【ナヴィリオ運河地区 年越し】
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 騒ぎが一段落したところで私は店に戻って、残りのメニューを味わい、ゆったりとした気分であらためて新年の訪れを祝った。

 食事が終わったのち、まだ運行していた地下鉄を使って、ホテルへと戻った。
 ミラノ中央駅から出たとき、そこはもう閑散としていたが、おそらく花火のあとの名残のような、煙とにおいが漂っていた。

 日本から8時間遅れの平成最後の年越し、ここイタリアでも終了である。

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誰でもたまげるミラノ大聖堂

【ミラノ大聖堂】
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【大聖堂前広場(臨時コンサート会場)】
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 観光都市ミラノの二大名物は「最後の晩餐」と「ミラノ大聖堂」。
 「最後の晩餐」の次は大聖堂に行こう。
 地下鉄駅を出ると、すぐ正面に大聖堂がある。その姿、世界最大級のゴシック建築といわれるだけあって、壮大壮麗そのものである。青空を背景に、大理石の尖塔を100本以上も突き立てる巨大建築物、見ただけで圧倒されてしまった。

 大聖堂は祈りの場である教会なので以前は入場料無料だったそうだが、今は有料なのでまずはチケットを買わねばならない。教会の近くにチケットオフィスがあるので、そこでまず購入。
 大聖堂はミラノに来た人は必ず寄る人気観光地なので、教会前にはいつも入場待ちの長い行列ができている。この行列に並ばずに済む「fast ticket」なるチケットもあるのだが、それは10時から開始であり、それ以前に来てしまったので、通常のチケットを購入して行列に並んでみた。
 入場の速度は、扉の前でのセキュリティチェックにかかっており、列は遅々として進まないのだが、ちょうど年末なので広場でコンサートが行われていて、退屈はしなかった。

【礼拝堂】
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 1時間ほど並んでようやく中に入ることができた。
 日の光がステンドグラスを通して差し込み、厳かな雰囲気をかもしだしている。中にあまたある宗教画、偉人像もまたその荘厳さを増している。さらには高い天井を支える幾本もの太い大理石の柱が、幾何学的統制をもって立ち並ぶ様が、この建築物そのものの非日常感を増幅させ、ここが外界と違う世界にある、という感覚を覚えさせる。
 神秘的空間の魅力に満ちた場所であり、これは長時間行列しても、必ず入らねばならないところだと実感した。

【大聖堂テラス】
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 この高い大聖堂には、テラスにいたる階段があり、そこも名所なので行ってみた。
 昔に造られたとおぼしい、やたらに狭い階段を登って行き、そしてテラスにいたる。道が狭いので、ここも行列ができている。
 屋上テラスはガイド本には「ミラノの街を一望できる」と書いていたけど、大聖堂はゴシック建築の常として、尖塔が立ちまくっているので、それが視界を邪魔して、風景が広がって見える場所はほとんどなかった。
 写真はテラスに着いてのもの。一番高い尖塔の上には、黄金に輝くマリア像。テラスにはくつろぐ観光客が多くいるけど、このテラス傾いているので、居心地はあんまり良くない。

【テラス展望】
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 テラス展望は、尖塔や壁のあいまから、街の一部が見えるという感じ。まあ展望台として造ったわけでもないからこんな感じでしょう。
 テラスから下りて行く通路側からは、世界一醜いビルと称される「ヴェラスコタワー」を見ることができる。こういう不安定そうな建築物を見ると、ミラノって地震の少ない地なんだろうなと思う。大聖堂だって、中規模な地震が起きると、尖塔の先端に設置してある聖人の立像がいっぱい落ちてきそうだ。

【正面扉】
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 大聖堂の名物その3、正面の青銅の大扉。
 聖母マリアの一生が描かれ、受胎告知、三博士礼拝、ピエタまで、いくつもの聖書の場面が精緻に彫られている。見事な工芸品であり芸術品である。


 ミラノ大聖堂、これは誰が見てもたまげるような大伽藍であり、全体をよく見れば、完成に500年の歳月がかかったことが納得できる、とんでもなく手間がかかった建築物であった。そしてさらにはこのような建物が現在も維持できているところに、カソリック教会の実力というものも知ることができた。

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December 30, 2018

絵画:最後の晩餐@ミラノ

 絵画というものは移動性があるので、有名な絵画は待っていれば日本の美術館に来ることがあり、わざわざそれが常設されている異国の地まで行かずとも見る機会がいつかはあるのだが、そのなかで「移動不可能な名画」がいくつかあり、それらは現地まで行かねば見ることができない。
 その「移動不可能な名画」の代表的存在であるダ・ヴィンチ作の「最後の晩餐」を見に、ミラノに行くことにした。

 「最後の晩餐」はサンタ・マリア-デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描かれていて、教会ごと世界遺産になっている。絵画の歴史のなかでも特級の傑作が、壁画という不安定な状況におかれているので、厳重に保全管理されており、見物の客の数は限定されていて、事前の予約が必要になる。
 それでネットで予約を取ろうとしたが、チケットオフィスのサイトはイタリア語であって、なんだかよく分からない。それで確実を期して少々値ははるが英語ガイドツアーのほうの予約をとっておいた。

【チケットオフィス】
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 mail添付のファイルを印刷したチケットでは、指定時間の前に教会の前に集まってくださいと書いていたので、早めに教会前に着。開館前からチケットオフィスの前には行列が出来ていた。当日券はまずない、との情報だったので、予約していたチケットを早めに受け取りに来ていた人であろうか。

【サンタ・マリア-デッレ・グラツィエ教会前】
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 ガイドツアーに関しては、それらしきオフィスはなかったが、教会の前にいるとだんだん外国人観光客らしい人たちが集まって来たので、彼らと話すとどうやら同じツアーメンバーらしかった。ただし持っているチケットはそれぞれ、自分たちの言語のものなので、本当のところはまだ不明であった。(写真での、土産ものを売る準備をしている人の後ろにいるグループがそれである)
 そして入館予定時間5分ほど前に現地人のガイドの人が来て、参加者の名簿と参加者を確認して、チケットとイヤホンガイドを渡して、それからツアー開始。

 教会の付設美術館は、外見とは違って、中はモダンスタイル。ガラスの扉でいくつかの部屋が仕切られていて、絵画のある部屋に前のグループが入っているあいだ、そこで待機ということになる。グループは30人弱ほどで、見物の時間は15分と決まっていた。やがて我々のグループの番となり、入室である。

【最後の晩餐】
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 壁画の部屋に入室すると、人々はまず絵の前に行くのだけど、ガイドはそれを制して最初は部屋の後方から見るように指示。そこで説明があったのだが、この絵は正面のイエスの顔を消失点とした遠近法で描かれている。それは壁、天井、床にはっきりしたラインが引かれていて、非常に分かりやすい形で示されており、その絵のラインはこの実際の部屋の天井と床のラインにもつながっていて、それゆえ部屋と絵が融合して一挙に奥行きを深め、我々が最後の晩餐に参加しているような臨場感を与えてくれる。ダ・ヴィンチは「壁画」という材料を、このように効率的に利用したわけだ。
 これは実物を観ないと分からない、そして教えられねば分からないことで、ガイドツアーの良さであった。

【最後の晩餐の設置部屋 概略図】
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 いちおう、部屋全体の概略図を示してみる。
 このように床と天井のラインが引かれ、中に入った見物者が壁画を見ると、その視点は正面のイエスに一挙に持っていかれる。
 さて、部屋と壁画の一体性を実感したのち、それから壁画の近くに案内され、絵の細部を見る。
 この絵は損傷が激しく、絵具の剥落が多いため、オリジナルの色は非常に損なわれていることが知られており、元が100とすると今は10くらいの色しか残されていないそうだが、それでも十分に元の絵の美しさを想像できる、その程度には残されていた。
 そして鮮烈な色は失われたにしろ、その表現の素晴らしさは健在であり、師イエスの突然の「お前たちのなかに私を裏切る者がいる」の宣言のあとの、弟子たちの動揺、疑念、激情、憤怒、怯え、等々の感情が渦巻く、このドラマチックな一瞬の場面が、ダ・ヴィンチの卓越した技術で切り取られ、永遠の姿となって、私たちに強い印象を与える。
 人類の芸術史上の大天才ダ・ヴィンチの最高峰の作品だけあって、この絵画が語りかけるものは多く、そして深い。
 この壁画を見るためだけでもミラノに来る価値はある、そういう作品であった。

 ただし、この傑作を生で見られるのは15分という短い時間なので、ミラノに来る手間を考えると、コスパはまったくよくないのだが。

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December 28, 2018

鮨み富@銀座

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 平成30年の年越しはミラノで過ごそうと思い、羽田発でミラノへ発つことにした。
 当日宮崎発で行けないこともないのだが、前泊したほうが時間の余裕があるので、仕事納めのあとは東京に移動。

 東京といえばまずは鮨だけど、近頃、東京の有名寿司店は予約が取るのが大変となってきて、しかもたいていは時間指定制で使い勝手が悪くなっている。さらには、銀座のブランドが上がり過ぎて、「銀座に来てもらったからには、特別な経験をしてもらいたい」との店主の熱意から、高級ネタが集中したツマミが出てきて、値段の高騰ぶりはともかくとして、寿司料理そのものとしてバランスが悪くなっている、という傾向を私は感じている。
 というわけで、夕食は鮨以外にしようと思っていたが、年末発刊の週刊新潮の食べ物欄を読んでいたところ、銀座の「み富」が昔からの江戸前スタイルの鮨を出していて好評であり、そして開店してまだ間もないので予約も取りやすいと書いてあったので、ものは試しと予定日の2日前に電話してみたら容易に予約をゲットできたので、Go。

 「み富」の店主は、銀座の老舗店「新富寿司」にずっと勤めていた人で、その仕事を踏襲した鮨を出しているとのことである。
 ツマミは主に、ネタを切ったものであり、過剰なものはなくてすっきりしている。
 鮨に関しては、〆モノや、煮物は丁寧な仕事が施されており、鮨全体が高いレベルで安定していて、江戸前鮨の魅力そのものに満ちていた。会計もいたってリーゾナブルなものであり、これは使い勝手のたいへんよい良店だと思った。

 ただし、便利のよすぎる所にあるので、やがては新橋系の有名店のように予約困難店になるなんだろうな、とも思った。

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December 24, 2018

巨瀬の源流の散歩道 滝巡り

 原鶴温泉の近くに「調音の滝」という有名な滝がある。
 昨日は雨がずっと降っていたので、流量が多くなっているだろうから、見ごたえがあると思い、帰路に寄ってみることにした。

【滝巡り案内図】
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 調音の滝公園に着いてみると、滝は調音の滝のみならず、あと3つあるとの案内表示。
 それでは散策がてら全部見てみよう。

【調音の滝】
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 調音の滝は駐車場のすぐ近くにある滝である。
 滝というものは日本には無数にあるけど、立派な滝は登山道や獣道を長い時間をかけて歩くという苦労をして、ようやくたどり着ける、というロケショーンにあることが多いが、調音の滝は、舗装道のすぐ近くにあり、たいへん便利な位置にある。

【魚返しの滝】
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 続いては「魚返しの滝」。
 魚はじつは様々な移動手段を持っており、このような滝では魚を通行禁止にすることはできない。これは生物学の豆知識。

【斧渕の滝】
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 今までの滝では、この滝が一番落差が大きくて見ごたえがあった。
 斧渕という名前から、滝壷が何か変わった形の渕になっているのかなと思ったが、普通の渕であった。

【三重の滝】
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 巨瀬厳流滝巡りの〆はこの「三重の滝」である。しかし林道を歩くうち、道はひどい藪となり、普通の靴ではとても進めるものでなく、見ることなく断念し撤退した。
 舗装路歩きの散策路だったので、油断して登山靴は履いていなかった。残念。

【耳納スカイライン】
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 散策路は鷹取山まで続いていると、最初の案内図に書いていたけど、そこまで行く気はせず、峠にあたる耳納スカイラインまで行き、それから引き返した。


 今回の滝巡りは、降雨後という狙い目どおり、どれも十分な水量のある滝を見ることができた。あ、三重の滝を除いてだが。

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December 23, 2018

登山:古処山

 福岡に来たついで、油山だけでは物足りないなので、もう一つ山に登ることにした。
 九州では登山はだいたい温泉とセットなので、まず温泉を設定。福岡の名湯といえば、原鶴温泉であるが、今まで行ったことはなかったので、これに行ってみたい。で、その周囲の山といえば、古処山が一番有名なので、この山に登ることにした。

【登山口】
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 秋月キャンプ場跡の登山口から出発。
 本日はあいにくの天気で、曇りときどき小雨というところ。
 本来なら山登りするような天気ではないけど、既に温泉宿を予約しているので登らざるをえない。

【登山道】
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 この山のある朝倉市は昨年大水害のあったところであるが、この山の登山道も、所々崩れたところがあり、まだその爪跡が残っていた。

【登山道】
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 5合目に到着。ここは古処林道の終点で、駐車場もある。

【登山道】
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 天気はずっとすっきりせず、あたりは霧がこもっていて見通しはよくない。

【山頂】
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 古処山の登山道は、基本的にはよく整備されており、参道の雰囲気もあったけど、山頂に着くとそれも当然、社があった。
 山頂は樹々は少なく、展望はよいはずだが、本日の天候ではなにも見えなかった。

【古処林道】
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 下山は5合目からは元来た道は滑りそうなので、林道を使った。所々、路肩の崩れた林道であったが、入り口に着くとやはり「車両通行止」の看板が出ていた。
 しばし舗装路を歩き、それから林道に入って元の登山口へと戻った。

 沢、巨岩、遺跡等、変化に富んだおもしろい山だったけど、天気のせいで、その良さがあまり分からなかった山行であった。やっぱりこんな天気の日に山登りなどするものではないな。
 なにはともあれ平成30年度の登山は、これで〆である。怪我、事故なく無事に過ごせた一年であった。また来年もいろいろな山に登ってみよう。

【原鶴温泉】
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 古処山からは原鶴温泉へ。
 原鶴温泉って、大分道を走っているときに写真の右に写っている丘の上の建物が、「原鶴温泉」の看板が出ていて目立つので、私は原鶴温泉は丘の上にあると思っていた。しかしいざ着いてみると、筑後川の中州にある温泉街がそれであった。長いこと勘違いしていたなあ。

 そしてその湯は弱アルカリ性の柔らかい、たいへんよい湯であった。

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December 22, 2018

登山:油山@福岡市 & 忘年会

 年末の連休は、福岡市の寿司店で忘年会。
 それで早めに福岡市に行き、夜まで登山でもして時間をつぶそうかと思い、福岡市の山を調べると、油山が市街地に最も近く便利そうだったので、そこに登ることにした。

 九州有数の商業都市福岡市に来て、なぜ登山をせねばならないのか、という説もあるだろうが、一つには福岡市の買い物にはもう飽きたということ、それと人間というものは年を取ってくると、いろいろと無精になり、本当にやりたいことしかやりたがらなくなってくる、という、そんな事情による。

【市民の森公園】
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 市民の森公園に駐車して、それからスタート。

【登山口】
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 駐車場からしばし歩くと、登山口があり、ここから油山山頂を目指す。

【吊り橋】
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 ここは「せせらぎコース」と名付けられており、ずっと沢に沿っての道。ときおり、沢を越えるため橋がある。

【吊り橋】
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 頭上を見れば、さらに大きな吊り橋が。

【登山道】
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 せせらぎコースをずっと歩いていたら、山頂には向かわず下山ルートに入ってしまったため、軌道修正をして、稜線の登山道に合流。
 よく整備された道が続く。

【山頂】
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 やがて山頂に到着。山頂からは北側が開けており、福岡市市街地、それに能古島が見える。

【キャンプ場】
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 山頂からはキャンプ場方面に下り、キャンプ場まで来れば、舗装道が始まり、駐車場へもすぐである。

 油山は、いかにも福岡市民の憩いの山という感じて、よく整備された登りやすい山であった。

【寿司店:近松】
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 登山のあとは、福岡市薬院の「近松」にて鮨を食べよう。
 福岡を代表する名店であるが、ちかごろは予約を取るのが大変となり、私も久しぶりに来た。
 ツマミ、鮨とも、相変わらずの完成度の高さ。しかもそれに加え、新たな工夫も随所に見られ、まさに「進化する寿司店」の本領を味わせていただいた。

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December 11, 2018

「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞の謎について考えてみる

 映画「ボヘミアンラプソディ」を観た人がたいていそうであるように、私もそれからクイーンの音楽CDを棚から掘り出して、その音楽に聴きふけっている。
 クイーンにはいい曲の多いことに感心すると同時に、やはり「ボヘミアン・ラプソディ」はそのなかでも傑出しているな、とも思う。この曲がクイーンを、そしてあの時代の音楽を代表する傑作と評価されているのは当然であろう。

 ただ、この曲、内容がかなり難しい。
 曲全体としては一人の若者のストーリーで、ある若者が殺人という犯罪を犯し、自分の人生が終わってしまったと嘆く。そしてそのあと世間から厳しい非難と糾弾を受け、それに激しく抗うも、その嵐のような責め苦の日々が終わったのち、自分の罪を受け入れ、静かに諦念の境地に到る、という一幕が描かれている。

 ここで歌詞について考えてみるが、いったいその若者は何者なのか、そして殺した相手は誰なのか、さらにはその犯罪の動機はいったい何なのか、という謎がある。
 歌詞では、若者は社会人になりたての若さであり、殺人については銃を一発額に撃った、くらいの情報しかなく、誰が、誰を、いかなる理由で、ということのいっさいの詳細は不明である。
 しかしながら、大きなヒントはある。
 それは若者が我が身を嘆いての一言、「I sometimes wish I'd never been born at all」。「僕なんて生まれて来なかったほうが良かったと思うんだ」、という台詞である。
 「never been born」は、ここでは自責に使われているけど、普通は「お前なんか生まれてこなかったほうがよかったんだ」と、他人を責めるときの定番の悪口である。馬鹿、アホ、間抜け、等々悪口にはいろいろあるが、これは本人の存在自体を否定する、悪口のなかでも特上級のものであり、これを口にするときは絶交覚悟が必定の、強い力を持つ悪口だ。

 古来よりこの悪口は無数に放たれたのであろうが、しかし、史料に残されたもので、最大級に有名なものが一つある。言った人、言われた人は、それこそ世界中知らぬ者のいない有名人だし。
 その史料は、世界最大のベストセラーである聖書で、言った人はイエス、言われた人はユダである。

【最後の晩餐:サンマルコ教会壁画】
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 聖書の受難物語の「最後の晩餐」のシーン、十二人の使徒を前にしてイエスは「お前たちのなかに私を裏切る者がいる」と言い、そしてその裏切り者がユダということを示す。それに続きイエスはユダに言い放つ。
 「It would be far better for that man if he had never been born. -お前のようなものは、いっそ生まれて来なかったほうが、ずっとよかったのだ」
 愛と慈悲の人であるイエスにしては、あまりにひどい言い草であり、古来よりここは論争の的になっていて、ゆえにとても大きな罪を犯す運命にあるユダへの同情からイエスはこのように言ったのだと、好意的に読み取る人もいるが、受難物語の筋を追っていけば、ここではイエスは裏切り者に対して単純に激怒していたと捉えるのが、自然な解釈であろう。
 だいたい、「愛と慈悲の人」というイエスのイメージは後世のものであり、聖書に描かれたイエスは、神殿の境内で暴れたり、実がなっていないからといってイチジクの樹に怒って呪いの言葉をかけたりと、相当に気性が荒い人物であったから、これくらいの悪口は平気で放ってなにもおかしくない。

 ボヘミアン・ラプソディの歌詞は神話や史実をいろいろ引用しており、フレディがこの語句を偶然使うことはありえず、意図をもって聖書から取ったのは明らかだと思う。
 そしてもしこの若者をユダとし、殺した相手をイエスとすると、曲で示される若者の激しい懊悩、そして世間の圧倒的な糾弾が、案外とよく理解できる。それこそ、「20世紀の受難曲」としていいくらいに。
 まあ、以上は少々極端な解釈であり、私も「若者=ユダ」とまでは思わないが、それでもnever been bornというキーワードから、若者の犯した犯罪が衝動とか無思慮とかによるものでなく、深く長く悩み抜いた末、自分の最も大切な人を敢えて捨て去る決断をした、深刻な葛藤劇が、そこにあったのは間違いないと思う。あの受難劇のユダの物語のように。

 もちろんボヘミアン・ラプソディの歌詞の本当の意味については、作詞者フレディしか知らないだろうし、そしてたぶんフレディ自体もじつは知ってないとは思う。
 それが、本当に優れた、後世に伝わっていく名作というものであって、その作品は最終的には作者を離れて、聴く人々によって、無数の解釈を与えてくれる。
 ボヘミアン・ラプソディは、そういう名作の、典型的なものであろう

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December 10, 2018

映画:ボヘミアン・ラプソディ

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 人気バンド、クイーンを題材とした映画。
 主人公はいちおうフレディ・マーキュリーであり、彼が出自や容姿、性癖等に社会との疎外感をもつなか、ブライアン・メイとロジャー・テイラーと出会い、彼らと切磋琢磨し続けることによって、音楽パフォーマとしての希代の才能を開花させた。クイーンは当代一流のバンドとして成長し、そして伝説の舞台「ライブエイド」で圧巻の演奏を行い、世界中の聴衆を圧倒させる、そこまでを描いている。
 つまりはクイーンの成功一代記なわけだが、主役がフレディなので、話はいろいろと複雑なことになる。なにしろフレディは、けっこう、というかかなり壊れている人物であり、それがバンドに様々な問題と軋轢を起こし、いたらぬ事件と迷走を生じさせる。
 フレディは本来なら、社会から弾き出されたアウトローとして底辺を流浪する羽目になっておかしくない生活破綻者なのだが、なにしろ傑出した音楽的才能を持っており、そして良いところも多少はある人物なので、彼を理解しようと努めサポートしてくれる人たちが幸運なことに彼の周囲に幾人もいた。それでフレディはその才能を真っ当な方向に伸長させることができた。
 そして「クイーン」というのは、すなわちそのフレディに対する代表的サポーターであった。フレディ以外の3人は、優れた音楽才能を持っているのに加え、あちらの音楽界では珍しいことに、いたって常識人であった。とりわけ、ジョン・ディーコンはあまりにいい人に描かれ過ぎているようにもみえるが、これは映画的誇張というわけではなく、実際に彼はそういう人物であったことは誰もが証言している。
 クイーンというバンドは、フレディのワンマンバンドではなく、フレディは他のメンバーのサポートがあって、真の実力を発揮でき、そのことがバンド全体の実力を高めていき、数々の名曲を生み出すことができた。

 映画はそういうクイーンの内実を丁寧に描きながら、そして伝説のショー「ライブエイド」をクライマックスに持ってくる。このラストの20分が本当に素晴らしい。そしてこの演奏で、「クイーン」そのものも魅力を我々はダイレクトに感じ取ることができる。

 クイーンにはある特殊性がある。

 70~80年代の洋楽ポップス界は、現代とは比べものにならない興隆ぶりで、たくさんの優秀なグループや歌手が百花繚乱と輩出し、多くの名曲を生み出していた。クイーンもそのうちの一つで、それこそ映画でライブエイドに出演するスターたちの名をマネージャーがずらりと並べ、君たちも彼らに比肩しうる人気者なんだよ、てなことを言うシーンがあるが、それはすなわちクイーンにしても当時は「ワン オブ ゼム」であったことを意味する。
 それから30年近くの時が過ぎ、ポップス自体が過去の音楽となりつつあり、大スターたちのヒット曲も懐メロ化しているなか、クイーンの音楽だけが、いまなお現在世界中の多くの人達によって歌われ、世代を越えて聴かれ継がれ、若い人達にとっても自分の世代の音楽のような新しさをもって体験されている。
 あの時代の音楽で、クイーンだけが生き残ったのだ。彼らはあのスター達のなかの、オンリーワンだったことを、ポップスの歴史は示した。
 クイーンがそういう特殊なバンドであったことは、いろいろな理由が考えつくわけだが、理屈とか理論ぬきに、映画でラストのコンサート20分を観れば、その理由が容易に分かる。
 要するに彼らの音楽がとても魅力的だったのだ。結局それに尽きる。そしてそのことを、映画館のなかで、ライブそのものの臨場感あふれる大画面で観れば、それが全身の全感覚を通して、感動をもって伝わってくる。

 私はクイーンのライブを観たことはなく、それは私の人生の後悔の一つだけど、おそらくはそのライブと同等の迫真性をもつステージショーを再現して見せてくれたこの映画に、私は深く感謝する。

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 映画:ボヘミアンラプソディ →公式ホームページ

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December 09, 2018

第32回青島太平洋マラソン2018 & 忘年会

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 宮崎屈指の人気スポーツイベント、青島太平洋マラソン。近頃は人気が出過ぎて、エントリーするのも大変であり、今回も回線がなかなかつながらない受付サイトに、これは駄目かなあと思っていたらなんとかつながりエントリーできた。

 エントリーが6月なので、開催まで半年間あるのでじゅうぶん練習ができそうだけど、宮崎は夏から秋は暑くてとても走る気にはなれず、10月後半からようやく涼しくなったら、それは紅葉登山のシーズンなので、週末は長距離走るよりも登山のほうがはるかに楽しいゆえ、当ブログの記事にあるように、ついつい紅葉登山にばかりでかけてしまい、結局真っ当な練習ができずに当日を迎えることとなった。

 いつものごとく、世の中にはこんなにマラソン愛好者がいるんだと感心する、たくさんの人の集まった会場から、フェニックスの立ち並ぶ220号線を走っていく。気温は低めでいいコンディションで脚も快調に前に出る。ところが10kmあたり、南宮崎のショッピングモールのあるところらへん、あそこは舗装路が荒れていて凸凹しているのだが、周囲を見渡しながら走っていて、足元の注意がおろそかになっていたせいで、その窪んでいるところに足を引っ掛け、転倒してしまった。時速10kmくらいで走っているせいで、手をついて身体を支えるというわけにはいかず、手をついたのちそのまま左半身から落ちて左肩を強打。けっこう痛かった。
 観衆が多いところだったので、みっともないことこのうえなかったが、脚には異常なかったので、応急処置したのち、そのままラン続行。

 教訓:荒れている路面を走るときは、路面に神経を集中しましょう。

 30kmまでは1時間10kmのペースで走れたが、運動公園に戻ってからトロピカルロードを走るときは、脚の筋肉に疲労が蓄積して、いわゆる「足が棒」の状態。そして36kmのところで、このまま走り続けると筋肉が攣りそうな痛みを覚えてきて、やむなく歩きと走りを交えながら進めることにした。
 42kmを走りきるのがマラソンというスポーツなら、私のマラソンは36kmで終了ということになる。あとはともかくゴールに帰ることのみ専念し、ラン&ウォークでとりあえずゴール。それでも4時間30分台というタイムは、あんまり昨年と変わっていないのはどういうわけか。

 なにはともあれ、第32回青太マラソンは、いろいろと反省と教訓を残して終了。反省については、走り込みが足らなかったからに尽きる。これも登山ばっかり行ってランを怠けていたせいであり、来年エントリできたら、秋の紅葉登山は控えて、見立や五ヶ瀬の川沿いの紅葉ランでもして鍛えようかな、などとたぶんやらないであろうことを考えたりした。

 マラソンのあとは、宮崎市のマリックスで温泉に入って、仮眠室で休憩してから、寿司店「よし信」でカウンター貸切りの忘年会に参加。
 マラソンでこけて大変だったんですよ~などと話すうち、店主がカロリー相当消費したでしょうから、握りのシャリを多めにしますかと気をつかって言ってくれる。しかしこの店のシャリは少なめのほうがバランスがいいので、いつもの握りでお願いする。
 美味しい鮨と酒を堪能したのち、二次会は本日開店の「スタンド・ステッサへ」へ。本格的石窯ピザで有名なステッサが宮崎市の中心街に出したスタンドバーとレストランの融合したユニークな店。飲食にとても使い勝手のよい店で、開店早々客も多く、これは人気店になると思った。

 マラソン、寿司店、スタンドバーと宮崎市の魅力をいろいろ楽しんだ週末であった。

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December 02, 2018

田中サイクル納会サイクリング&忘年会

 平成30年もあれよあれよと過ぎ、もう12月である。それで、忘年会シーズンが始まる。
 最初の週は、田中サイクルの納会サイクリング。

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 走ったコースは店~北方ゴルフ場~西門川~店の周回コース。
 昨年の納会も同じコースで、そのときはEscape R3で走ったけど、普段きちんと乗り込んでいる人たちのロードバイクについて行くのは大変だったので、今回はちゃんとロードバイクで参加。
 まあ、普通について行けた。
 自転車店主催のサイクリングなので、サポート体制はばっちりで、一台タイヤがバーストしたけれど、なんなくプロが応急処置をして、きちんと完走できた。

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 50kmのサイクリングののちは、大きな鉄板を使っての焼きそばで昼食。

Year_end_party

 そして夜は改めて、延岡で忘年会。
 にぎやかに楽しく、一年を〆るのであった。

 それにしても、今年は全然自転車に乗らなかったなあ。
 サイクリング大会は児湯の100kmのに出ただけだし。
 ロードバイクは使わないままにしておくと車体も乗り手もともに劣化するだろうから、来年はセンチュリーライドの大会にでも出てみようかな。

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