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July 2018の記事

July 16, 2018

フランス料理:レーヌデプレ@京都市上京区

 京都といえば「和食」のイメージが強く、じっさい日本で一番美味しい和食の店がそろっている地ではあろうけど、しかしじつは洋の部門でも近年力を増していて、京の地の利を生かした特色ある名店が数あまたある、という魅力ある食の地になっている。
 今回は、その洋の店、フレンチのレーヌデプレを訪れた。

 この店は、コテコテのクラシックなフレンチではなく、和の要素も取り入れた、創作フレンチ系の店ということなので、いかにも京都っぽい、と思い選んだのである。

 鴨川沿いの道から少し街中に入りと、そこに住宅街のなかに、ひっそりとした感じで、小さな店がある。テーブルは3つしかなく、一度に三組の客しか入れない。

【前菜】
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 前菜は「師へのオマージュ」と名付けられた半熟玉子の料理。
 誰も見ても分かるように、アラン・パッサールの名物料理からのものであるのだけど、本家は卵の黄身を前面に出した料理(だったような気がする)であるのに比べ、こちらは上にかかったクリームソースが複雑な味わいをみせていて、これを卵の黄身と混ぜると、ずいぶんと奥行きが広がる、つまりは師匠の料理の進化系。

【前菜】
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 いかにも夏を告げるような、緑鮮やかな料理。
 京都の夏の名物鱧を焼いたものに、オクラのシャーベットをかけたもの。よく分からぬ取り合わせだが、じつは相性よし。

【前菜】
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 これもこの店のスペシャリテ、「オマール海老のサラダ」。
 オマール海老は絶妙な火の入れ方で、生の艶々した食感を残しつつ、ほんのり入った熱で甘みが増している。

【メイン:魚料理】
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 平目は、10日間熟成させたもの。
 白身魚は、もっとも美味しくなるギリギリまで寝かせて、熟成してから調理するとのこと。
 たしかに、通常の平目とは異なる、独自の旨みが濃厚である。

【メイン:肉料理】
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 肉料理は鹿児島の黒毛和牛のロースト。
 最高級の素材を用いて、それをじっくりと低温調理で仕上げたもの。
 低温調理といえば、師匠アラン・パッサールの得意技で、それを味わいに世界中の人がパリに行く、というほどのものであるが、たしかに低温調理は、それを行えばたいていの素材は美味しく仕上がる、という特徴をもつ。しかしそれを人力でするのは大変な手間がかかるのであって、その本物を味わえる店は数少ない。
 この店は、その本物が味わえるわけで、この肉の豊かな香りといい、火の満遍ない絶妙な通り加減といい、均質な柔らかな食感といい、申し分ない。
 ……しかし、シェフによれば、やっぱり手間はたいへんなのであって、それがこの店のテーブルの少なさとも関係しているのだろうなと思った。


 調理の技術の高さ、料理の繊細さ、そして独創性、まさに名店であって、京都の食の魅力をまた知ることができた。

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July 14, 2018

7月の俵屋

 祇園祭の山鉾を見に夏の京都を訪れたが、暑さは覚悟はしていたものの、想定以上に暑く、四条通りにいくつも立ち並ぶ山鉾のいくつかを見たのみで、それ以上の見物はあまりの暑さに断念して、本日の宿である俵屋に逃げ込む。
 俵屋は午後2時がチェックインなので、早めのチェックインが可能であり、たいへん助かった。

【俵屋旅館 桂の間】
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 暑い京都の街で焦がされ、青菜に塩、蛞蝓に塩の状態で部屋に入ったが、すでに空調のよく利いた部屋はたいへん快適であり、ここでビールなどを飲んでいると、干からびた青菜、あるいは蛞蝓の身がだんだんと水気ある元の人間に戻るのであった。

【俵屋二階の庭の景色】
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 本日の部屋は「桂」であり、二階の部屋である。
 俵屋は庭の見事さで有名であり、一階の部屋からは、その極めて精緻に造っている、水墨画のような庭をダイレクトに見られるのであるが、二階からはまた別の魅力を味わえる。
 庭に植えられた数々の樹々は、二階の高さで枝を存分に伸ばし、そこで木の葉が風景を埋め尽くしている。そして 夏は圧倒的な生気を持つ緑の葉に満ちていて、それらは、日の向きにより風情を変えていく。
 完璧なまでに磨き上げられた硝子窓は曇りひとつなく、この窓枠のなかに、樹々の緑は風景画のようにはまり、それが時とともに表情を変えて行く、生きた絵画というものを部屋のなかからじっくりと眺める。
 俵屋ならではの、贅沢な時間が楽しめる。

【夕食】
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 造りは、アコウ、マグロのヅケ、鱧湯引き。
 アコウの造りの包丁の入れは俵屋独自の繊細なもの。そして夏の京都名物の鱧は、やはり歯ごたえも味も見事。

 これも夏の名物、琵琶湖の鮎の笹焼きは、鮎の香りがこうばしく、頭からかじって味わう内臓のほろ苦さと、それに独特の香りが素晴らしい。

 さらに、これも夏の京都名物、鱧鍋。
 本来なら夏に鍋など食べる気にもならないのだが、この手のあっさりとした、しかしコクのある料理はまったく別である。

 俵屋にはけっこうな数を来ているけど、7月に訪れるのは初めてであり、そしてこれらの料理は初めて食べるものが多く、どれも感心して食べられた。

【朝食】
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 俵屋の朝食はワンパターンであるけど、焼き魚、湯豆腐、香のもの、山椒じゃこ、等々全てが美味しい。朝から幸せになれる朝食である。

 俵屋、ひさしぶりに泊まったけど、やはりとてもレベルの高い宿だと思う。
 個人的には、日本一の宿だと思っている。

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平成30年京都祇園祭宵山

 30数年前の学生時代に夏、7月の京都市を訪れあまりの暑さに閉口し、それ以来7月の京都市を訪れることもなかったのであるが、今年の暦をみると、連休がちょうど祇園祭の宵山に重なっている。
 祇園祭は日本で最も高名な祭りであり、一度はそれを生で観るべきであろうと思い、暑さは覚悟して京都にGo。

【昼の山鉾】
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 宵山は、祇園祭の写真集にはかならず載っている、山鉾を飾るたくさんの駒形提灯が点灯され、ライトアップされている、その姿を眺めるのがメインであるけど、山鉾そのものの形を良く見ておかないと、夜みてもなにがなにやら分からないだろうから、とにかく昼のうちに、山鉾が並ぶ四条通りへと行ってみた。

 それが、とにかく暑い。
 最高温度が38度とかいっていたから、舗装路の上は40度を余裕で越える温度。
 そして京都の気象は、盆地特有の、暖気がこもっていてサウナ状になっているタイプのものなので、空気が動かず、どこもかしこもどうしようもなく暑い、という状況。
 山鉾をいくつか見ただけで、これは退散、と早めに今日の御宿の俵屋へと撤収。

【俵屋 玄関】
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 俵屋玄関。
 金屏風の前の妙なオブジェ、山鉾見たから分かったけど、これは山鉾の鉾の部分である。

【宵山】
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 日が落ち、暗くなってから外へと出た。
 夜になっても、外はまだまだ蒸し暑い。まあ、直射日光が降り注ぐ昼よりはよほどましである。
 そして大通りに立ち並ぶ、それぞれの意匠をまとった山鉾たちは、提灯にライトアップされて、幻想的に美しい風景。山鉾には囃子方が乗り、祇園囃子が奏でられている。山鉾のある空間は、なにか他の時間、他の場所にあるような、不思議な感覚を受ける。

 そして、こういう長い歴史を持ち、相当な手のこんだ祭りをみると、祭りって、そこに住む人の思いがとてもつまっていることがよく分かる。これらの山鉾は当然有形文化財的価値を持つけど、それを維持する町の人たちの強い思い入れがそれに重なって、全体として町の文化そのもの、さらには町の精神のようなものへとなっている。

 古都京都って、明らかにハードとしての街つくりには失敗した観光都市ではあるが、それでも日本有数の古都にふさわしい、その芯となる精神は、きちんと受け継がれていることが、よく分かった。

【八坂神社】
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 千百余年の歴史を有する祇園祭は、八坂神社の祭りである。
 それで八坂神社は、なにか賑やかなことになっているのかなと思って行ってみたけど、境内のなかの提灯飾りくらいが、祇園祭らしい風景ではある。

【烏丸通り】
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 宵山の日は、四条通り、烏丸通りの、京都を代表するメインストリートが歩行者天国となる。
 山鉾と屋台の明かりで満ちた、普段は歩けない場所を歩くのも、祇園祭ならではの非日常感があって、興あるものであった。

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July 10, 2018

音楽:N響宮崎公演

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 未曽有の大水害が西日本を襲い、各種主要交通機関が不通になっている状況、はたしてN響公演は予定通りに行われるのだろうかと思っていたが、ネットで確認すると、普通に公演は行われるとのことで宮崎市へ。

 そして、そこで知ったのだが、N響は九州公演のツアー中で、7日(土)鳥栖市→8日(日)→大分市→10日(火)宮崎市と移動しており、うまいぐあいに災害の少ないところを通りぬけて宮崎まで到達したのであった。

 演奏会は、最初の曲は、プログラムを変更して、大水害へ被災者への祈りのために、チャイコフスキーの静かな美しい小品から開始。

 メインの曲は、ショスタコーヴィッチの交響曲第五番。
 この、作成に関して複雑な背景のある、高名な曲は、いろいろな解釈はできるのだろうが、普通に聞いているかぎり、全体的に重苦しい、出口のないような、圧迫感をずっと感じる。弦も、管もその圧迫に対する、嘆きや憤りや怒りといった負の感情を常に響かせている。
 そして最終楽章にいたって曲調は一変し、「その圧迫感、閉塞感を打ち破るかのように、あらゆる楽器が、勝利の歓喜の響きをあげて咆哮し、曲は堂々と幕を閉じる」という解釈から、この曲に「革命」なる副題が、だいぶと昔に我が国でつけられたのではある。
 じつは、それはけっこう無茶な解釈ではあって、ほんとのところ曲調はまったく変わってはいず、その歓喜の音楽も、「人間は絶望に沈んでいても、権力者が強制的に笑えといえば、笑うものだ」という手の、強いられた「歓喜」にしか解釈はできず、まあなんというか、救いのない音楽なのである。
 ソヴィエトという国家が成り立ち、スターリンの粛清が凄惨を極めていた時代、20世紀で最も優れた音楽家の一人の、蹂躙された精神の劇という、ある意味時代の生き証人ともいえる曲である。

 プログラム全体は、ロシア音楽によるもので、メインのショスタコーヴィッチの曲の前座として、チャイコフスキーのチェロ協奏曲風の管弦楽曲が奏でられた。
 チャイコフスキーの生きた帝政ロシアの時代は、決してのどかな時代ではなかったのであるが、それでもソヴィエトの頃に比べると、数千万倍は、人間にとって生きやすい時代であったんだろうなあ、と思えてしまう、のびのびとした、軽やかで、花やかな、気持ちのよい音楽であった。

 そんなこんなで、いろいろと考えること多きプログラムであったけど、なにはともあれ生で鳴るN響の音はやっぱり素晴らしいもので、このような美しい音を、見事な音響効果を持つホールで聞くのは、すばらしき喜びである。

 観衆の大満足の拍手のなか、しかし指揮者は、アンコールには応えずあっさりと舞台から去った。
 少々残念ではあるが、翌日鹿児島、翌々日熊本というハードスケジュールでは、それもやむをえまい。N響って、過酷な日々を送っているということを、今回スケジュール表を見て初めて知った。

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