不思議物件:高鍋大師@高鍋花守山
「何故このようなものが存在しているのか?」と、見たときに人々の心に疑問符を突き立てる不思議物件は、たいていは人里離れた、人訪れること少なき地にひっそりと存在していることが多いのであるが、宮崎の誇る不思議物件「高鍋大師」は、幹線道路である国道10号線を宮崎から大分方面に車で走っているとき、小丸川のあたりで左手の丘陵地に忽然と姿を見せる、堂々たる不思議物件である。
丘の上に異形の石像が立ち並ぶその姿は、遠目にはあまりに奇矯であり、なんらかの怪しい宗教の建造物にようにも見え、人々はそこに禍々しいものを感じ、見たことがなかったことにして過ぎ去って行く、ということがほとんどである。
じっさい、高鍋大師、その存在は知っていても、訪れたことはない人が宮崎には多い。
けれども高鍋大師は、実際のところは、禍々しさなどそんなにはなく、どころかユニークで、個性的で、微笑ましく、愉快であって、しかし馬鹿らしくもあり、頭を抱えたくなるような難解なところもあり、つまりは混沌の極みの場であり、正確な感想は訪れてみないと分からない、・・・というか訪れても、「正確な感想」はまず得られないという、不思議物件の鑑のような、そういう貴重なものなのである。
この石像群は、持田遺跡の古墳群に建てられている。
宮崎は国宝を持たない県である。
国宝を持たない県は他に一つしかなく、これでは日本の歴史発祥の地としてはみっともない、とかの意見が時に出てきたりする。
日本歴史発祥の地というのはダテではなく、古代におおいに栄えた印として、西都や高鍋にたくさんの古墳がある。それらを片端から掘り起こせば、国宝級の遺物など容易に出てくるだろう、と私とかは思うわけであるが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。
その第一の理由は、この地の古墳の多くは既に盗掘で荒らされており、貴重なものはもう残っていない可能性が高いということである。
古墳とは、現在では貴重な文化財であるが、元々は墓である。霊の宿る神聖な場であるべき墓々の、その荒れ果てたさまを哀しく思った、岩岡保吉という地元で財をなした実業家が、鎮魂のために、石像をつくって古墳を祀った、というのが高鍋大師の元の始まりであり、とても崇高な志でつくられた施設なのだ。
こういうスタイルがその典型である。
持田古墳群の一つである49号墳を、様々な意匠の石像が取り囲んでいる。
ただ、鎮魂というには、これらの石像の姿は少々賑やかすぎるような気もし、もしここに眠る人が感想を述べられたりしたら、どのようなことを言うだろうと、ちょっと気になったりもする。
まあ、古墳って元々は、いろいろな造形の埴輪で飾られていたので、もしかしたらかえってオリジナルに近いものなのかもしれない。
高鍋大師は、本堂もあり、一応はお寺であるみたい。「大師」の名前があるくらいだから、真言宗系なのだろうが、この石像は、神・仏・偉人・有名人・動物等々なんでもあり、神仏習合を越えて混沌のきわみではある。
高鍋大師は小高い丘にあるので、持田の町なみ、そして日向灘を一望できる。
石像群に加えて、この風景も魅力である。
ところで今回高鍋大師を訪れたのは、丘一面に植えられた彼岸花が見頃を迎えているという新聞記事を読んだからなのであり、それでサイクリングがてら訪れたのだが、・・・残念ながら、この丘の彼岸花の旬は終わっていた。
丘の下の道路脇の彼岸花は、しかしまだ咲いていた。
赤・白・黄とある彼岸花のうち、黄色のものは今が旬のようで、鮮やかな色を楽しめた。
この手の、個人の趣味と情熱のみで造られた、トンデモ系の施設は、たいていはまず家族に理解されず、造り手が亡くなったのちは、後継者を得られず、そのまま放置され廃墟と化し、やがては重機が入って更地化される、という勿体ない経過をたどることが多いのだけど、この高鍋大師は地元のNPOによって適切に管理されているようで、往時の姿が保存されているようだ。
しょっちゅう台風がやって来る宮崎の地で、背の高い石像の立ち並ぶこの施設の維持管理は大変だろうと思うけど、宮崎の誇る不思議物件、ぜひぜひこれからも後世に伝えていってもらいたいものである。
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高鍋大師 →高鍋町観光協会
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