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October 03, 2016

映画:レッドタートル

Redturtle

 映画は嵐の海を必死で男が泳いでいる映像から始まる。
 どうやら船が難破したようで、遭難者である男は懸命に荒れ狂う海を泳いでいるうち、なんとか島へたどりつく。
 そこは小さな無人島であり、運よく植物と水はあったのでそこで男は体力を取り戻した。それから男は無数に生えている竹で筏をつくり、島を脱出しようとするが、筏を海に浮かべ島から離れようとするとすぐに筏は勝手に壊れてしまう。三度目の試みのとき、男の筏のそばに赤いウミガメが近付いて来た。そしてウミガメが海に潜ると、筏はまた壊れてしまった。男は筏が今まで壊れたのはウミガメのせいだと思い込む。

 ある時浜辺にあがってきたそのウミガメを見つけた男は、この邪魔ものをやっつけようと、カメを棒きれで殴りつけ、そしてひっくり返して浜辺に放置した。動けないカメは徐々に弱っていき、瀕死の状態になる。そのとき、男はカメが空に昇天する幻を見て、己の行った行為を悔み、カメを救おうとする。
 カメの傍に付き添っていた男は、カメの甲羅が壊れたことでカメの死を悟る。そしてカメに再び目をやったとき、なんとカメは赤い髪の女に変身していた。
 それから男とカメ女の生活が始まる。
 この奇妙な島での、男の数奇な一生を描いたアニメ映画。

 筋だけ書けば、古来よりよくある異類婚姻譚系の御伽話のようであり、まあ実際そうではある。
 そしてそれらの古典は読者によっていくらでも自由に解釈されてきたけれど、この映画ではさらにいくらでも自由に観客は解釈することができる。
 というのはこの映画には会話はなく、映像と音楽のみで成り立っており、観客はそこからしか情報を得られないからだ。

 「レッドタートル」の映像は、とにかく美しい。
 そしてその映像には、それぞれ特徴があるので、ある程度背景の登場人物の感情を知ることができる。
 男が暮す島での風景は、水墨画のように色を抑えた色彩で描かれており、そこでの男の人生はけっこう起伏に富んでいるが、その生活は島の色彩同様に淡々とした筆致で表現され、ドラマチックな人生のなかに静謐さと諦念を感じることができる。
 けれど島の描写とは異なり、海の色彩表現は陽光と透明感に満ちている。男とカメ女の息子は、その出自から海の生活を得意としており、彼の海での活動、それから島からの出発は明るさに満ちている。
 この映画、アニメ映画だけあって、その表現は映像にも最もかかっているわけだが、さらに会話なしなので、情報量は圧倒的に絵からとなる。それゆえ、この美しい絵から、観客はそれぞれに解釈をして、男およびカメ女と息子とともに映画のなかの人生をたどっていくことになる。その流れはけっして単純ではないゆえ、観客は自分なりの解釈を進めながら観ていくことになる。それは映画全体についてもそうだし、それぞれの場面についても、人によっていくらでも解釈はあるだろう。そしてその解釈の積み重ねのうち、映画は幕を引き 静かな感動が得られ、そして余韻が胸に残る。

 こういう映画は、普遍的な言語的解釈は最初からありえないようなものであり、観る者によって、さまざまな捉え方ができ、そしてそのいずれもが正解、ということになるだろう。
 そして、その捉え方、解釈、感動は、自分の心の変化によってまた変わって行くことも確実ではあり、この映画は人が年を重ねるたび、繰り返して観たくなり、そこから新たなものを得るであろう種の映画であった。
 私たちはそういった名画を既にいくつも持っているけど、「レッドタートル」はそういう名画のなかに入る一つだと思った。


 ・・・しかしながらこの映画、宣伝が乏しいということもあってか、宮崎市内の250人ほどの収容数の映画館に入ったら客が私以外誰もいなかったので驚いた。興行的には大コケのようだが、このままフェードアウトさせるにはもったいない良作であると映画ファンとしては嘆くばかり。


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 レッドタートル  公式サイト

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