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October 15, 2016

楽劇 ワルキューレ@新国立劇場

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 上演に4日間かかる壮大な舞台音楽芸術「ニーベルングの指輪」。「ワルキューレ」はその第二日目の作品である。
 序幕に当たる第一日目の楽劇「ラインの黄金」では、栄華を誇っている神々の世界が終わりに近づいていることを予感した神々の長ヴォータンが、それに抗って色々と策略をめぐらす話である。ヴォータンは懸命に頑張ってはいるのだけど、結局彼は有限不実行、言うことはコロコロ変わり、約束はまったく守らない、どうしょうもないやつということのみ分かって一日目の幕は終わり、そうして第二日目に入る。

 「ワルキューレ」もその流れであり、ここでもヴォータンが策略をめぐらす。
 ヴォータンは神々の没落を防ぐために神々を補佐する者たちを得ようとして、人間と交わり我が子を産ませる。その子たちは双子であった。しかしヴォータンは我が子を育てる努力はせずに、悪名のみふりまいたのち勝手に離れ彼らは辛酸極まる人生を送る。その双子のうち、兄のジークムントは一匹狼として、野獣のごとき人生を生き、強い男として成長はする。
 妹のジークリンデは、ジークムントの元の部族の敵である一族の長と結婚させられ、不遇の日々を送っていた。 ある日フンディングの地に立ち入ったジークムントはそこで狩りの対象として追われ、ジークリンデの住む家に迷い込む。そこで二人は運命的な出会いをして、一瞬で互いに一目ぼれして逃亡する。
 それを天空で見ていたヴォータンは、自分の待っていた英雄がいよいよ出現してきたことに喜び、愛娘ブリュンヒルデを呼びよせ、二人の逃避行を助け、ジークムントに勝利を与えるよう命令する。ところがここでヴォータンの妻フリッカが登場し、正式に婚姻した夫婦から妻を奪い、さらにはその妻が実の妹なのに結婚をするという、不道徳極まりない行為を神が許すとは、神々の掟を何と思っているのか、いいかげんにしろと罵る。もともと夫の浮気ぶりに業を煮やしていたフリッカだけあって怒りも凄絶である。己が正妻のその剣幕に畏れをなしてヴォータンはブリュンヒルデへの命令を撤回し、不倫の主ジークムントの死を命ずる。
 主神のくせにこの優柔不断さ、右往左往ぶりは、前作で示されていたこととはいえ、情けない。そして、またヴォータンは神としてのみならず、夫、親としても最低のやつということが分かる。
 とにかくここから、ヴォータンの無能さを原因とした、第四作「神々の黄昏」終幕までいたる「ヴォータン一家の家庭騒動」が始める。

 ・・・まあ、つまらん話である。
 ヴァグナーの楽劇は台本だけ読むと、どれもじつにつまらないし、退屈きわまりなく、まともに読めたものではない。
 しかしだ、これがヴァグナーの音楽が鳴り出すと、この台本がとんでもない説得力に満ちた、迫力あふれたものになって迫って来る。

 ヴォータンのあの台本だけでは下らないと思えた台詞は、世界の悲劇を一身に背負い、苦悩にひしがれながら、救済の道を求める男の、崇高で真摯な言葉に変化する。
 ジークムントの荒々しい情熱、ジークリンデの悲哀、歓喜、フンディングの重厚さ、登場人物全てが、芸術史上のページに残るべく芸術性を持った者であることが、楽劇を聞いていると、ほんとうに実感できる。そしてこれらの音楽に飲み込まれているうち、「ヴォータン一家の家庭騒動」が、じつは世界そのものの憎悪、激情、絶望、愛情、全てのものと連動し、一体化した壮大な劇となってくるのがみえてくる。


 ヴァグナーの楽劇は観ると、とにかく圧倒される。
 ここで鳴る音楽は、人生、世界の全てが凝集、象徴されたもののように思われ、それが流れているあいだ、そこには世界の根幹を示す何か重要なものが次々に示されているような、そういう感覚を覚える。
 まあ、それがヴァグナーの麻薬性とか、詐欺師性とか、19世紀からずっと言われてきたわけなんだけど、やはりここまで人の精神を震撼させる芸術が厳として存在することを目のあたりにすると、人間の出来ることは天井知らずということも分かってしまう。

 そして、そのとんでもない楽譜・台本を、見事に舞台芸術として実現できた演奏者には感心するしかない。
 まったく今回の演奏の出演者たちは、素晴らしいレベルの者ばかりであった。
 まず第一幕目のジークムントとジークリンデを演じた、ステファン・グールドとジョゼフィーネ・ウェーバーの歌唱からしてたまげた。劇場の空間を満たす迫力ある輝かしい歌唱。ヴァグナーを演じるにふさわしい見事なヘルデンテナーとドラマチックソプラノであった。
 タイトルロールを演じたイレーネ・テオリンも天を駆ける戦乙女らしい張りのある見事な美声。それは神々しく、雄々しく、かつ可憐なところも見せ、とても印象的であった。
 ただ欲を言わせていただければ、主役級ソプラノ二人がビア樽体型で、見た目をもう少しなんとかしてほしかったということがあるが、これは美声を発する発声器として、そういう肉体が理想ということなのだろう。(歴代のドラマチックソプラノも大半はそうだし。)

 ゲッツ・フリードリヒの演出も控えめながら奥深いもので、音楽を主役としながらも、いろいろ考えさせるものがあり、よかったと思う。
 飯守泰次郎氏の指揮も安定したもので、安心して聴けた。東京フィルハーモニーは弦楽器が秀逸。よく鳴り、よく歌っていた。


 ヴァグナーの楽劇は、尽きることなき音楽の魅力の泉である。
 その真髄を日本でみせてくれた、この上演に感謝。30年以上のヴァグネリアンとして、ほんとうに心からそう思う。

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