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October 2016の記事

October 30, 2016

ブルックナー第七交響曲@プロムシュテット指揮バンベルク交響楽団

Miyazaki

 名指揮者プロムシュッテットによるブルックナーの第七交響曲が宮崎市のアイザックスターンホールで演奏されるので、行ってきた。
 公演の演目は「未完成交響曲」と「ブルックナー」の組み合わせ。なんだか微妙な組み合わせであり、この二つの曲の愛好者はあんまり重ならないと思う。
 ・・・おそらくは今回の演奏会では、ブルックナーが演奏の本命なのだが、しかしそれだけだと客が集まらないだろうから、よりポピュラーな「未完成」を主催者がつけ加えたとみた。
 「未完成」は日本で人気のある曲であり、昔のLPって、とにかくA面あるいはB面に「未完成」入れときゃ、それなりに売れたという時代があったわけだし。

 開演。
 まずはシューベルトの「未完成」。
 この曲、旋律は美しいとは思うけど、流れが悪いのでどうにも好きになれない。
 美しい旋律が流れ、それが情緒を高めて行くと、急にジャ・ジャーンとその流れを妨げる音楽が入り、それからやり直し。またクライマックスに近づくと、同じく邪魔する音楽が入り、ずっとその繰り返しであり、イライラすることこのうえない。
 シューベルトには美しい旋律をつくる才能はあったが、交響曲を組み立てる才能はなかったのだと思いたくなるが、でも「グレイト」みたいな傑作もつくっているし、どうにもよく分からない。
 聴きながらいろいろと、才能の無駄使いとか、感性の違いとか考えているうちに「未完成」は終了。

 そして20分間の休憩ののち、ブルックナー第七開演。
 静かな弦のトレロモから始まり、雄大な第一主題が流れると、一挙にブルックナーの世界に引き込まれる。神秘的で、思索的で、祈りに満ちた第一章、この壮大で深遠な世界は、オーケストという巨大な楽器のみが奏でられるものであり、ずっとその世界にひたることができた。
 バンベルク交響楽団は、LP、CDのみならず、私がそれを聴いたのは今回が初めてなのだが、中、低音楽器が特に充実しており、こういうふうな重厚な音楽を演じるにふさわしい楽団だったと思う。
 なかでもチェロの演奏者達は大活躍。首席奏者は顔を真っ赤にして、懸命に弓を引き、「未完成」のときとはうってかわっての大違いの気迫の入り方であった。

 この曲のメインである第二楽章も演奏は快調。ホルン、チューバが時々盛大に音を外していたのは御愛嬌として、音の流れは良く、クライマックスに向けてどんどん緊張感を高めて行き、見事な盛り上がりをみせた。(クライマックスでシンバルが鳴らなかったのは個人的にはちょっと残念だった。原典版にないのは知っているが、あれ、私好きなのである。)

 第三、第四楽章は、スピード感が見事。とりわけ、フルート奏者は踊るように演奏していて、それがこの楽章の舞踏感とうまくマッチしていて、見て、聴いて楽しかった。
 第四楽章、混乱ある秩序のうちに、盛大にフィナーレを迎え、見事に着地。
 観客の大拍手に、齢89才というプロムシュテット氏が、何度も舞台に出てきて、歓声に応える。

 素晴らしい演奏であった。
 遠きドイツの地から、宮崎の地に、本場の音楽を持ってきてくれておおいに感謝いたします。

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October 29, 2016

オーベルジュ:ア・マ・ファソン@九重

【ア・マ・ファソン】
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 我が国にもオーベルジュと名のつく宿泊施設は増えていく、そしてそれらは日本風アレンジを施した個性的なものが多いわけだが、九重の「ア・マ・ファソン」はいかにも本格的、本道をいくオーベルジュとして、強い存在感を示している、名オーベルジュである。

 ア・マ・ファソンの建物は比較的新しく、またしっかりした建築物だったので、ここも先の大地震では無傷であったろうと勝手に思っていたが、けっこうダメージがあり、10月まで補修のために閉館していたそうだ。
 私の考え通り本館自体はダメージはなかったのであるが、しかし地層がずれてしまい、地下の配管が損傷してしまったのでその補修が大変だったそう。また、横揺れが激しかったため、回廊の木の柱と地面の石との継ぎ目がずれてしまいそれも直す必要があったそうである。
 ア・マ・ファソンはゆるやかな傾斜地に建てられており、それで阿蘇方面の眺めがよいのであるが、傾斜地ならではの弱点があったわけである。

【ディナー】
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 前菜はサーモンの白ワインマリネ、サラダ仕立て。続いてサザエのブルゴーニュ風。魚料理は鱸のポワレ、ラタトゥイユと牛蒡、車海老添え、肉料理は黒毛和牛ヒレ肉と安納芋のベニエ、マデラ酒ソース。
 見事に本格的なフレンチである。素材は地元のものを使っているけど、これらを輸入したものに変えると、そのままフランスで供されるフランス料理となるであろう。
 九重の美しい山のなかのオーベルジュでこのように都会的に洗練されたフランス料理が食べられる、素晴らしい経験のできるオーベルジュである。

【朝の風景】
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 今の時期は日が暮れるのが早いので、ディナーは景色は楽しめなかったが、日のあるときは九重から阿蘇にかけての雄大な風景を眺めながらの食事が楽しめる。

 ロケーション、建物、料理、その全てがよく、理想的なオーベルジュであろう。

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秋の九重@長者原~大船山~三俣山~長者原

 九州の山の紅葉の旬は過ぎてしまったけど、それでもまだ全て散っているというわけでもなく、10月最後の週末、九重へと行ってみた。
 朝に確認した天気図によれば、秋雨前線は大陸から張り出した高気圧によって南に押し下げられ、九州中部~北部は好天になっているはずである。けれど長者原に着いてみると、九重の山々は雲のなかであった。しかも小雨まで降っている。
 しかし、天気図からはいずれは雲が晴れるはずであり、とにかくGo。
 ちなみにスタート時点で、「九重は雲のなかで、しかも小雨が降っている」とSNSに書きこんだら、「大分市は晴れですよ」「宮崎は晴れです」とすぐのレスポンスが種々あり、どうやら、「九州のなかで、九重~阿蘇界隈のみ悪天候」という、よくあるパターンのようであった。

【長者原 タデ原湿原】
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 雨ヶ池経由での坊がつるコースのスタート地点のタデ原湿原。
 山々はまったく見えない。

【雨ヶ池】
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 雨ヶ池に達すると、平治岳、大船山が見えて来るはずだが、いまだ何も見えず。

【坊がつる】
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 坊がつるに来ると、この盆地あたりは雲より下であり、周囲の紅葉も見ることができた。
 今の時期は、標高1300~1500mくらいにピークがあるようで、坊がつるから見る紅葉は、今回の山行で一番鮮やかであった。

【登山道】
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 登山道には落ちた紅葉がどっさり。これもまた美しい光景である。

【段原から】
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 空気の流れは早く、雲もずっと流れては消えている。
 稜線に達するころは、大船山の周囲の雲は流れ、段原から大船山までの風景をくっきりと見ることができた。

【大船山山頂】
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 山頂に到着。
 御池周囲は、うまく時期があえば、錦絵のごとき紅葉が楽しめる、九州有数の紅葉の名所なのであるが、残念ながら旬は過ぎていて、くすんだ紅葉となっていた。
 それでも、ここはそれなりに味のある風景であり、やはり秋にはこの風景はナマで見る価値がある、すなわち登山しがいのあるところである。

【山頂から:三俣山方向】
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 本日はずっと雲が流れていて、大きな雲が山を包んでは、また流れて行くということの繰り返しであった。
 対面の三俣山もときおり姿を見せ、また隠してというふうだったが、それはそれでまた眺めていて楽しい風景でもある。

【山頂から:平治岳方向】
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 平治岳方向は、稜線から麓への紅葉が美しい。
 日の当たり加減からか、南側のほうがより色どりが鮮やかである。

【坊がつる】
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 坊がつるに下りる。
 眼前に聳える三俣山は、丁度雲が晴れ、いい格好である。
 それで三俣山を直登して、長者原に下山することにした。

【登山道から】
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 坊がつるから三俣山への直登ルートは、傾斜が急であり、どんどん高度が稼げるのが楽しい。
 そしてここから見る、坊がつると大船山の姿は、いかにも雄大であり、いい景色だ。

【三俣山南峰】
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 山頂着。
 雲がまた湧いてきたが、なんとか雲にまかれる前に到着できた。

【三俣山御鉢】
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 九重では、大船山山頂と並ぶ紅葉の名所、三俣山の御鉢。
 しかしここも旬が過ぎていた。

【登山道】
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 南峰からは、すがもり越え方向へ下山。
 湧いて来た雲でまた視界が悪くなってしまった。

【登山道】
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 すがもり越えから大曲のコースは、先の地震で相当に崩れてしまったので、一時期通行禁止となっていて、その後整備がされて通れるようになったのだが、どうやらそのときに邪魔な岩が除かれたようで、以前より通りやすい道になっていた。


 今年の九州の紅葉はどこも悪い、悪い、とのことであったが、それでもゼロということはなく、やっぱり秋の山々は、登ればそれなりに楽しみが得られるのであって、じゅうぶんに満足できた山行であった。

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October 22, 2016

無量塔「西の別荘」@改装後

【西の別荘】
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 雨のなかの滝&九州遺産巡りのあとは由布院に行き、無量塔に宿泊。
 4月の震災では由布院も大きな被害を受けて建物の損壊も多くあったのだが、無量塔は造りが半端なく頑丈なので、どんな地震が来ても壊れようはなく、なんの被害も受けなかったであろうと勝手に思っていた。
 しかしながら、無量塔に着くと、「西の別荘」の姿が変わっている。無量塔でさえ無事ではなかったのだ。
 いや実際のところ、建物本体はまったく大丈夫だったのだが、しかし屋根の藁ぶきがどっさりと落ちてしまい、それで改修を余議なくされてしまった。
 そして、地震後は客の訪問が少なくなってしまったこともあり、そのついでに大幅にリフォームしたとのことである。

【リビングルーム】
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 メジャーな変更は屋根のチェンジだけかと思ったら、部屋が全く違っている。
 ここは畳敷きで床の間もある純和室だったはずだが、洋室になっていた。床から窓から全て総取り換えである。以前の侘び寂びを感じる和室からは、全く変わっており、開放的な雰囲気になっていて、「山のなかの洋荘」という感じ。そしてその他、風呂もまったく新しくなっていて、檜の香りがたいへん香ばしかった。

【二階】
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 二階は二部屋続きの寝室であり、その合間の部屋には無量塔の他の棟と違い、付設の美術館同様に美術書が並べている本棚があった。
 西の別荘は、東の別荘とともに一軒の棟であり、ここが無量塔の原点である。
 無量塔の創設者、藤林氏は由布院の中心地から離れたところにまずこの棟を建て、ここに住み込んで無量塔全体のデザインを考えていたそうで、そのときの構想の助けに熟読していた書が、これらの美術書である。

 藤林氏亡きあとも、その思想、構想は受け継がれ、無量塔は進歩を続けている。
 一流であるためには、常に新しくなければならない。無量塔のように最初から完成度の高い宿でも、その変わるべき努力を高度の次元で続けていることに、いろいろと感じ入るものがあった。

【夕食】
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 夕食は大分の地のものを主に使ったもの。
 八寸は創作系であり、定番の地鶏鍋、豊後牛の五葷諸味焼きは安定した美味しさ。
 いつ来てもその美味さは間違いなく、九州の数ある宿で、やはりこの宿の料理が私は一番好みだな。

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雨の日は滝&九州遺産巡り

 10月も下旬になり紅葉の季節になり、ちらほらと山々の紅葉情報も届いているのだが、せっかくの週末が雨となり、山には登る気がしない。
 雨で楽しめるものといえば、滝くらいしかないので、こういうときしかしない滝めぐりをしてみよう。目指す滝を選ぶにあたっては、私が不思議物件のネタ本として愛読している「九州遺産」という本に、いくつかの芸術的建築物が滝とセットとなって載っていたので、その二つ「白水の滝」「沈堕の滝」を訪れることにした。

【白水の滝】
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 竹田市の名瀑「白水の滝」。
 阿蘇の噴火でつくられた火山岩による崖から、直接水が噴き出て滝となっている。
 だからよく見ると、この滝はいくつもの水流が集まって滝を形成していることが分かる。
 この滝は二段構えになっており、二段目のほうは先の伏流水の滝を集めて水流が滝となっている。こちらはだから水の流れが太い。

【音無井路十二号分水】
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 白水の滝の近くにあるのが、この音無井路十二号分水。
 写真を見ただけでは何がなんやらよく分からん施設であるが、実物を見ると原理がよく分かる。
 竹田という地は水の豊富なところであるが、土地の起伏が激しく、農業用水をまんべんなく引くのが困難な地である。それを解決しようとしたのが、この分水。
 円形の真ん中では周囲の地から水をサイホンの原理で汲みだしている。ここから水がどんどん湧いてくる。そしてそこから外の円に水はあふれ、これが三等分され地下に引いている導管によって、三方向に平等に流されている。
 造形の面白さもあるが、このダイナミックな水の動きが見ていて飽きず、この分水、一度は見るべき価値あるものだ。

【沈堕の滝】
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 続いて豊後大野に移動し、「沈堕の滝」へ。
 この滝も阿蘇の大噴火をベースにして形成された滝であり、幅100mに及ぶ柱状節理の壁に幾筋にも別れた滝が流れる、見事な景観となっている。
 この滝はそのままダムの形をしており、そしてじっさいにダムとして使われていたので、滝の上部に堰堤が築かれており、それゆえ人工物+天然物のハイブリッドとなったユニークな景観をみせている。

【沈堕発電所跡】
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 沈堕の滝は発電施設として使われており、それで滝の下部に石造りの発電所が造られていた。
 明治時代の建築物で、石積みの壁面にアーチが並んでおり、廃墟と化した今ではなにやら神殿風の雰囲気もある。内部に入ることもでき、そこでは蔦が生い茂り、廃墟マニアとかにはとてもうけるような、いい廃墟っぷりである。


 「九州遺産」には、たくさんの訪れたい建築物が載っており、そしてそのなかには先の地震で崩壊したものや、もう撤去されたものがあり、これらがまだ残っているうちに、処々訪れてみたいものだと改めて思った。


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October 16, 2016

寿司:ふじ田@東銀座

 東京寿司屋巡り三店目は、東銀座の「ふじ田」。
 ここも若い店主の開いた店で、まだ開店してから2年くらいの新しい店である。
 福岡のある寿司店の店主が、銀座では近頃この店が良いみたいですと、客に勧めたことから、九州の人たちがよく訪れるようになっている。口コミというのは重要なのだ。

【ツマミ】
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 ツマミは白身三点、煮ダコ、イクラと茸の茶碗蒸し、鯵の巴巻き、ホンシシャモ焼。
 どれも酒のよく進む適度な味付けある品々である。所望すると、まだいろいろとツマミの種類はあるようで、隣の客はそれらも頼んでいたが、私はこれ以上食べると鮨が食べられなくなるので、握りへと。

【握り】
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 握りは、平目、鯛、イカ、鰤、鯵、鯖、コハダ、赤身、中トロ、大トロ、穴子、玉子、鉄火、カンピョウ、等々。
 シャリは小ぶりで流線型に握られ、ネタとのバランスも良く、鮨が良い酒の肴となる。
 素材も良いものであり、仕事も丁寧。こてこての江戸前ではなく、〆かたはあっさりで、シャリの酢もそんなにきつくはない。
 全体として、うまくまとまった料理の数々だと思う。

 そして「ふじ田」の特徴はやはりコストパフォーマンスの良いところであろう。
 ツマミと鮨一通りと、それに酒を4合くらい飲んで、勘定は2万円を少し超える程度。
 歌舞伎座の近くという銀座の便利な地で、これはたいへんお値打ちものである。
 店主も真面目かつ気さくで、落ち着いて楽しめる店であり、使い勝手はたいへん良い。
 まあ、素材に関しては銀座の超一流店に比べるとさすがに少々落ちるので、「銀座に鮨を食いに行くぞ~!」と気合を入れて行くような店ではないとは思うけど、それでも東京に行って、気軽に美味い鮨を食いたいと思ったとき、この店は十分選択肢の上位になりうる良店だと思う。

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October 15, 2016

寿司:ます田@南青山

 「すきやばし次郎」で修業を積んだ若き店主が2年ほど前に開いた店。既に人気店になっており、そのうち予約も困難な店になることが予想されるために、その前に一度訪れておこうと行ってみた。

【ます田】
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 表参道駅近くのビルに地下一館に店はある。
 地下へ降りる階段はやたらに急峻であり、なんだか潜水艦のハッチみたいな雰囲気。これは実用ではないようで、(非常用?)、店に行くにはエレベーターを使ってくださいと書いてあったのでエレベーターで下ると、ドアが開いたら、そこは店のなかであった。

【ツマミ】
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 ツマミ+握りのおまかせを注文。
 ツマミはカワハギ+ポン酢肝和え、カツオ、〆鯖、タラの白子を蒸したもの、穴子の白焼き、メヒカリ焼、等々。いずれもさすがによい素材を使っている。
 次郎のお弟子さんということで、「次郎」や「水谷」のようにツマミは寿司ダネを切ったもののみ、と思っていたが、意外と焼いたり、蒸したり、と手のいったものがでてきた。次郎系では「青空」もそういう感じだったので、次郎のニューウエーブ系?

【握り】
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 コハダの握りを食べると、ああこれは次郎の握りだ、と思った。
 コハダはしっかりと〆られており、そしてシャリも酢がよく利いているので、全体に塩と酢の個性が強く、食べたとたんに次郎の鮨を思い出した。味覚と臭覚って記憶をよく刺戟する。
 近頃の鮨は、江戸前でも以前と比べて酢がマイルドになっている傾向があるので、この酢の利いた鮨はかえって新鮮に感じられた。
 もっとも店主に言わせれば、もっと酢を利かせたいのだけど、客の好みを考えるとなかなか踏み込めないとのことではあったが。

 車海老は茹でたてのものであるが、次郎とは違って普通のサイズ。次郎系の店ではジャンボ車海老が一種の名物となっているけど、店主によれば、あれは大きすぎて鮨としてのバランスが悪く、また口の小さい女性客が食いにくそう、ということでこのサイズにしているとのこと。すべて小野二郎リスペクトというわけではなくて、独自の改良もされているのである。

 要所々々に名店次郎のDNAが組み込まれながらも、また独自の進化、発展もあり、将来楽しみな店である。

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楽劇 ワルキューレ@新国立劇場

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 上演に4日間かかる壮大な舞台音楽芸術「ニーベルングの指輪」。「ワルキューレ」はその第二日目の作品である。
 序幕に当たる第一日目の楽劇「ラインの黄金」では、栄華を誇っている神々の世界が終わりに近づいていることを予感した神々の長ヴォータンが、それに抗って色々と策略をめぐらす話である。ヴォータンは懸命に頑張ってはいるのだけど、結局彼は有限不実行、言うことはコロコロ変わり、約束はまったく守らない、どうしょうもないやつということのみ分かって一日目の幕は終わり、そうして第二日目に入る。

 「ワルキューレ」もその流れであり、ここでもヴォータンが策略をめぐらす。
 ヴォータンは神々の没落を防ぐために神々を補佐する者たちを得ようとして、人間と交わり我が子を産ませる。その子たちは双子であった。しかしヴォータンは我が子を育てる努力はせずに、悪名のみふりまいたのち勝手に離れ彼らは辛酸極まる人生を送る。その双子のうち、兄のジークムントは一匹狼として、野獣のごとき人生を生き、強い男として成長はする。
 妹のジークリンデは、ジークムントの元の部族の敵である一族の長と結婚させられ、不遇の日々を送っていた。 ある日フンディングの地に立ち入ったジークムントはそこで狩りの対象として追われ、ジークリンデの住む家に迷い込む。そこで二人は運命的な出会いをして、一瞬で互いに一目ぼれして逃亡する。
 それを天空で見ていたヴォータンは、自分の待っていた英雄がいよいよ出現してきたことに喜び、愛娘ブリュンヒルデを呼びよせ、二人の逃避行を助け、ジークムントに勝利を与えるよう命令する。ところがここでヴォータンの妻フリッカが登場し、正式に婚姻した夫婦から妻を奪い、さらにはその妻が実の妹なのに結婚をするという、不道徳極まりない行為を神が許すとは、神々の掟を何と思っているのか、いいかげんにしろと罵る。もともと夫の浮気ぶりに業を煮やしていたフリッカだけあって怒りも凄絶である。己が正妻のその剣幕に畏れをなしてヴォータンはブリュンヒルデへの命令を撤回し、不倫の主ジークムントの死を命ずる。
 主神のくせにこの優柔不断さ、右往左往ぶりは、前作で示されていたこととはいえ、情けない。そして、またヴォータンは神としてのみならず、夫、親としても最低のやつということが分かる。
 とにかくここから、ヴォータンの無能さを原因とした、第四作「神々の黄昏」終幕までいたる「ヴォータン一家の家庭騒動」が始める。

 ・・・まあ、つまらん話である。
 ヴァグナーの楽劇は台本だけ読むと、どれもじつにつまらないし、退屈きわまりなく、まともに読めたものではない。
 しかしだ、これがヴァグナーの音楽が鳴り出すと、この台本がとんでもない説得力に満ちた、迫力あふれたものになって迫って来る。

 ヴォータンのあの台本だけでは下らないと思えた台詞は、世界の悲劇を一身に背負い、苦悩にひしがれながら、救済の道を求める男の、崇高で真摯な言葉に変化する。
 ジークムントの荒々しい情熱、ジークリンデの悲哀、歓喜、フンディングの重厚さ、登場人物全てが、芸術史上のページに残るべく芸術性を持った者であることが、楽劇を聞いていると、ほんとうに実感できる。そしてこれらの音楽に飲み込まれているうち、「ヴォータン一家の家庭騒動」が、じつは世界そのものの憎悪、激情、絶望、愛情、全てのものと連動し、一体化した壮大な劇となってくるのがみえてくる。


 ヴァグナーの楽劇は観ると、とにかく圧倒される。
 ここで鳴る音楽は、人生、世界の全てが凝集、象徴されたもののように思われ、それが流れているあいだ、そこには世界の根幹を示す何か重要なものが次々に示されているような、そういう感覚を覚える。
 まあ、それがヴァグナーの麻薬性とか、詐欺師性とか、19世紀からずっと言われてきたわけなんだけど、やはりここまで人の精神を震撼させる芸術が厳として存在することを目のあたりにすると、人間の出来ることは天井知らずということも分かってしまう。

 そして、そのとんでもない楽譜・台本を、見事に舞台芸術として実現できた演奏者には感心するしかない。
 まったく今回の演奏の出演者たちは、素晴らしいレベルの者ばかりであった。
 まず第一幕目のジークムントとジークリンデを演じた、ステファン・グールドとジョゼフィーネ・ウェーバーの歌唱からしてたまげた。劇場の空間を満たす迫力ある輝かしい歌唱。ヴァグナーを演じるにふさわしい見事なヘルデンテナーとドラマチックソプラノであった。
 タイトルロールを演じたイレーネ・テオリンも天を駆ける戦乙女らしい張りのある見事な美声。それは神々しく、雄々しく、かつ可憐なところも見せ、とても印象的であった。
 ただ欲を言わせていただければ、主役級ソプラノ二人がビア樽体型で、見た目をもう少しなんとかしてほしかったということがあるが、これは美声を発する発声器として、そういう肉体が理想ということなのだろう。(歴代のドラマチックソプラノも大半はそうだし。)

 ゲッツ・フリードリヒの演出も控えめながら奥深いもので、音楽を主役としながらも、いろいろ考えさせるものがあり、よかったと思う。
 飯守泰次郎氏の指揮も安定したもので、安心して聴けた。東京フィルハーモニーは弦楽器が秀逸。よく鳴り、よく歌っていた。


 ヴァグナーの楽劇は、尽きることなき音楽の魅力の泉である。
 その真髄を日本でみせてくれた、この上演に感謝。30年以上のヴァグネリアンとして、ほんとうに心からそう思う。

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October 14, 2016

寿司:鮨あらい@銀座

 宮崎の食通W氏が銀座に出て来たとき最近の定番の鮨店となっている「鮨あらい」。気になっていたので東京に出たついでに訪れてみることにしてみた。

 「鮨あらい」は30代の若い店主が1年前ほどに銀座に開いた店で、店の内装、雰囲気も清新である。

【ノドグロ酒蒸し】
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【アン肝 奈良漬】
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 つまみはまずはマツカワカレイ、ツブ貝、サバ、蛸、蒸しアワビ、アワビ肝、鰹タタキ。どの素材も質のよいもの。刺身はどれも専用の醤油で供される。鰹のタタキはそれに合わせて仄かなニンニクの香りのする上品なニンニク醤油と思いきや、葱を摩り下ろしてつくったもので、いい工夫であった。
 それから蒸しものでノドグロ酒蒸し。ノドグロは脂の特徴を生かして焼くか煮るかしかない料理だと思っていたけど、酒蒸しにすると脂がいい感じで抜け落ち、さっぱり気味の食感となり、そうなると旨味が表に出てこれもノドグロの特徴がうまく出ている料理と感心した。
 アン肝はそれ自体でもたいへん美味しいが、店主独自の工夫で奈良漬をあわせて食べるとその豊穣さがさらに広がる。これにも感心した。
 店主は「すし匠」でも修業経験があり、さすがにつまみには力が入っている。

【握り】
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 握りは鯛、金目鯛、コハダ、サバ、アジ、サワラ、スミイカ、ブリ、車海老、雲丹、赤身、中トロ、大トロ、穴子、等々。
 シャリは江戸前らしくよく酢が効いている。握りは若干大きめで、それにネタもあわせているので、バランスは良い。そしてこの店は温度管理が厳格であり、少量ずつに炊かれたシャリが持ってこられ、なるべく温度が一定になるようにしている。その温度は人肌よりやや高めであり、シャリの大きさとあわせて、「迫力のある」鮨となっており、全体を通して鮨の印象がより強くなっている。
 ツマミの秀逸さからツマミに力を入れた店と思っていたが、どうしてどうして鮨が主役ですと主張しておりました。

【シジミ汁】
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 椀物はシジミ汁。
 これはシジミの味がとても濃厚であり、しかししつこくなく、相当に熟練した腕でつくられたものであり、寿司店レベルを超えている。

 ツマミ、鮨、椀物、いずれも見事なものであった。
 さすが銀座の人気店である。
 そしてこの店は銀座にしてはコストパフォーマンスも良く、これからもさらに人気を博していく寿司店であろうと確信した。

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October 09, 2016

登山:三徳山 投入堂

 連休前の天気予報は、西日本はどこも雨ばかりであったが、連休に入ると予報は好転して、雨が降らないところが広がっている。
 鳥取県の三朝も、晴れ時々曇りといった予報だったので、これなら三朝の三徳山に登れると思い、米子から三朝に向けてGo。

 国宝「投入堂」を擁する三徳山は、それ全体が三仏寺の境内になっているので、寺によって管理されており、悪天候のときは登山禁止となる。5月に来たときに悪天候ゆえ登れなかったので、宿題になっていたのである。

【登山口から】
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 三仏寺、階段を登りつめての本堂で受付を行い、それから投入堂までの登山開始。
 年を経た巨杉が幾本もあり、荘厳な雰囲気を感じることができる。

【登山道】
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 本堂から投入堂までは200mほどの高さを登る。
 高さ自体はたいしたことはないけど、そこに至る道は、ロープや石段等は最小限に抑えられ、かなりハードなものとなっている。
 元が修験者の修行の道なので、当たり前とはいえ、それでも登山慣れしていない観光客あるいは参拝者が多く訪れる道としては、ハードぎるのはとも思った。

【文殊堂横鎖場】
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 文殊堂横の岩壁はさすがに鎖がかけられていた。
 ただ、鎖と足場の使い方がよく分からない人達によって、渋滞が始終起きていた。

【文殊堂】
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 文殊堂は崖に建てられているので、そこの縁側をぐるりを回ると、三徳山周囲の風景を見ることができる。
 今でも素晴らしいが、紅葉の時期はもっと素晴らしいものになるに違いない。

【観音堂】
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 文殊堂からは岩場を進んでいき、岩壁の洞窟に建てられた観音堂に着く。
 ここからは終点の投入堂はすぐである。

【投入堂】
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 そして、ようやく投入堂の姿を見ることができた。
 平安時代に建てられ、その姿をいまだに保存している国宝である。
 今までの道のりからして、日本の国宝のなかでも、観ることに最も苦労が要する部類の国宝であろう。
 しかし、投入堂の姿を見れば、その苦労は絶対報われる、その価値のあるものであった。
 なによりも造形が完璧である。
 美しい寺社建築は数あれど、投入堂は、自然との調和が見事であり、全体として完璧の造形美を持っている。
 この断崖絶壁に御堂を建てること自体が大変だが、そこに幾本もの柱を建てて御堂を支えていて、それは複雑極まる岩の形に、ぴったりとはまるように柱は建てられ、それがとてもリズミカルであり、また絵画的でもある。

 三朝は幾度も通ったことがあり、温泉、松葉ガニ等の名物は堪能したけど、真打の名物、投入堂はまだ経験したことがなかったので、今回やっとそれを観ることができ、とても満足した。

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October 08, 2016

登山: 初秋の伯耆大山

 5月に伯耆大山を訪れ、その険しく迫力ある姿と、植生の豊かさに感銘を覚え、秋にまた来ようと思い、10月の連休に来る予定を組んだ。
 そして連休前に台風18号が日本海に沿って通り過ぎ、そのあとは台風一過の好天続きの予報となったので、快適な登山ができると思っていたら、秋雨前線が活発化してしまい、連休中はどこも微妙な天気という予報になってしまった。
 それで予定変更も考えたのだけど、天気自体が非常に不安定で、予報もそれほど信頼性がありそうでもなかったので、当初の予定通り登山に行くことにした。

【登山口駐車場から】
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 登山口駐車場から見る伯耆大山。
 う~む、厚い雲がかかっている。
 あの雲のなかは雨と強風の世界であろうから、登山は躊躇してしまう。
 こういう天気ゆえ、登山シーズンなのにとまっている車も少ない。
 とりあえず、行けるとこまで行き、状況がハードになったらさっさと撤退する方針としてGo。

【大神山神社】
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 今回の目的の一つは紅葉見物であり、そのためまずは元谷に行くことにして、大神山神社からの行者谷コースを選択。

【元谷】
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 伯耆大山のヴュースポット元谷。
 ここからは大山の険しい北壁の圧倒たる風景が見られるのだが、あいにく北壁は全部雲に隠れている。
 そしてお目当ての紅葉は、始まったばかりであり、わずかな色どりのみであった。

【参考:天気の良いときの元谷の眺め】
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【登山道】
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 元谷からは夏山登山道に向けて支尾根を登って行く。
 緑に満ちたブナ林のなかの道である。

【登山道から】
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 夏山登山道に出たころから、雲がだんだんと高度を高めていき、それで今まで隠れていた北壁が見えだして来た。
 このまま晴れる、ということはないだろうけど、これはいい傾向である。

【六合目から】
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 避難小屋のある六合目からの風景。
 雲はさらに上にあがり北壁に加え、いくつかの岩峰も姿を見せ、大山ならではの迫力ある風景を楽しめた。
 またこの高さだと、紅葉も目立ちだしてきた。

【七合目から】
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 七合目近傍から見る山肌。
 紅葉は20~30%くらいといったところ。あと2週間くらいで旬を迎えそうだ。

【登山道】
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 雲は徐々に高度を上げていったのだが、それでも八合目からは雲のなか。
 登山口で見たあの厚い雲のなかである。
 当初の予定ではこの時点で下山のはずだが、八合目まで来てしまったからには山頂までは行きたい。それで風景は全く期待できない、この雲のなかをピークハントのみのため進むことにした。

【登山道】
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 雲の中、雨はたいしたことはなかったが、風は凄まじいものであった。油断すると吹き飛ばされてしまうレベル。そしてこの木道は北側は切り立った崖になっており、そちらに転んでは絶対にいけない。用心に用心を重ねて、ゆっくりと進んでいく。
 この強風、私は台風なみだと思ったけど、その後会った山頂に行った登山者はやはりみな同じことを言っていた。

【大山山頂】
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 本来なら日本海まで見渡せる絶景を楽しみながらの稜線歩きなのだが、そんな楽しみの全くない、視界の利かないなかを修業のごとく進むうち、山頂に到着。
 ここで休憩しても寒いだけなので、写真を撮ってさっさと下山。

【夏山登山道登山口】
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 下りは夏山登山道を使った。
 七合目からは視界が開け、日本海、米子市、美保関などを眼下に眺めながらの登山を楽しめた。

 山頂近くの悪天候だけは余計であったが、全体として伯耆大山の醍醐味を味わえた登山であった。
 伯耆大山、たいへんいい山である。九州にもっと近ければ、季節ごとに通いたいのに。

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October 03, 2016

映画:レッドタートル

Redturtle

 映画は嵐の海を必死で男が泳いでいる映像から始まる。
 どうやら船が難破したようで、遭難者である男は懸命に荒れ狂う海を泳いでいるうち、なんとか島へたどりつく。
 そこは小さな無人島であり、運よく植物と水はあったのでそこで男は体力を取り戻した。それから男は無数に生えている竹で筏をつくり、島を脱出しようとするが、筏を海に浮かべ島から離れようとするとすぐに筏は勝手に壊れてしまう。三度目の試みのとき、男の筏のそばに赤いウミガメが近付いて来た。そしてウミガメが海に潜ると、筏はまた壊れてしまった。男は筏が今まで壊れたのはウミガメのせいだと思い込む。

 ある時浜辺にあがってきたそのウミガメを見つけた男は、この邪魔ものをやっつけようと、カメを棒きれで殴りつけ、そしてひっくり返して浜辺に放置した。動けないカメは徐々に弱っていき、瀕死の状態になる。そのとき、男はカメが空に昇天する幻を見て、己の行った行為を悔み、カメを救おうとする。
 カメの傍に付き添っていた男は、カメの甲羅が壊れたことでカメの死を悟る。そしてカメに再び目をやったとき、なんとカメは赤い髪の女に変身していた。
 それから男とカメ女の生活が始まる。
 この奇妙な島での、男の数奇な一生を描いたアニメ映画。

 筋だけ書けば、古来よりよくある異類婚姻譚系の御伽話のようであり、まあ実際そうではある。
 そしてそれらの古典は読者によっていくらでも自由に解釈されてきたけれど、この映画ではさらにいくらでも自由に観客は解釈することができる。
 というのはこの映画には会話はなく、映像と音楽のみで成り立っており、観客はそこからしか情報を得られないからだ。

 「レッドタートル」の映像は、とにかく美しい。
 そしてその映像には、それぞれ特徴があるので、ある程度背景の登場人物の感情を知ることができる。
 男が暮す島での風景は、水墨画のように色を抑えた色彩で描かれており、そこでの男の人生はけっこう起伏に富んでいるが、その生活は島の色彩同様に淡々とした筆致で表現され、ドラマチックな人生のなかに静謐さと諦念を感じることができる。
 けれど島の描写とは異なり、海の色彩表現は陽光と透明感に満ちている。男とカメ女の息子は、その出自から海の生活を得意としており、彼の海での活動、それから島からの出発は明るさに満ちている。
 この映画、アニメ映画だけあって、その表現は映像にも最もかかっているわけだが、さらに会話なしなので、情報量は圧倒的に絵からとなる。それゆえ、この美しい絵から、観客はそれぞれに解釈をして、男およびカメ女と息子とともに映画のなかの人生をたどっていくことになる。その流れはけっして単純ではないゆえ、観客は自分なりの解釈を進めながら観ていくことになる。それは映画全体についてもそうだし、それぞれの場面についても、人によっていくらでも解釈はあるだろう。そしてその解釈の積み重ねのうち、映画は幕を引き 静かな感動が得られ、そして余韻が胸に残る。

 こういう映画は、普遍的な言語的解釈は最初からありえないようなものであり、観る者によって、さまざまな捉え方ができ、そしてそのいずれもが正解、ということになるだろう。
 そして、その捉え方、解釈、感動は、自分の心の変化によってまた変わって行くことも確実ではあり、この映画は人が年を重ねるたび、繰り返して観たくなり、そこから新たなものを得るであろう種の映画であった。
 私たちはそういった名画を既にいくつも持っているけど、「レッドタートル」はそういう名画のなかに入る一つだと思った。


 ・・・しかしながらこの映画、宣伝が乏しいということもあってか、宮崎市内の250人ほどの収容数の映画館に入ったら客が私以外誰もいなかったので驚いた。興行的には大コケのようだが、このままフェードアウトさせるにはもったいない良作であると映画ファンとしては嘆くばかり。


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 レッドタートル  公式サイト

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October 02, 2016

登山:韓国岳@霧島

 矢岳に引き続き、翌日も霧島に登ってみよう。
 それで何か面白いコースはないだろうかと、webを検索したところ、韓国岳には通常の登山道より一本北の尾根に登山道があり、それが北峰まで続いていて、御鉢をぐるりと半周して韓国岳山頂に到るコースを見つけた。このコースは今まで登ったことがなかったので、これで行ってみることにした。

【えびの高原】
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 えびの高原から韓国岳を望む。
 今日は良い天気なのだが、山頂ちかくには雲がかかっており、途中からの眺めは期待できそうにない。

【硫黄山登山口】
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 まずは硫黄山登山口へ行く。
 すると、なんと火山ガスの噴出により立入り禁止となっている。硫黄山は噴火活動が収まったから、てっきり立入り規制は解除されたと思っていたのだが、これは誤算。
 そしてこれだと、えびの高原からは韓国岳に登れないのでどうしたものかと思っていたところ、少しばかり離れたところを登山している人達をみつけたので、そちら方面に移動し、登山道をみつけ登って行く。

【硫黄山】
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 ある程度登り、硫黄山を見下ろす。
 地図によれば、向かいの尾根、でっぱった岩を越えたところあたりに、北峰への登山道があるはずである。
 硫黄山手前の窪地の遊歩道を使えば、なんということもなく行ける場所であるが、そこら一帯は立ち入り禁止なので、別の道を探せねばならない。

【硫黄山上部】
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 硫黄山周囲の立ち入り禁止区域は分かりやすく、ロープが張られているのでそのロープの外側から北峰へ尾根を目指そう。
 尾根へ向かっての横切る道は、しっかりした踏み跡のある道が続いていたので、そこを行く。

【硫黄山上部】
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 踏みわけ道は、やがてミヤマキリシマの灌木帯で行きどまっていた。
 目標とすべき、尾根の岩の出っぱりは正面に見えており、この灌木帯を強引にまっすぐ藪こぎしていけば、立入り禁止区域に入ることなく、北峰登山道にたどりつけるはずである。
 しかしさすがに国立公園内の貴重種であるミヤマキリシマの群落のなかを突っ切って行くのはいかがなものかと思うし、常識的に考えて禁止に決まっているので、ここでこのルートは諦め、正規の登山道に引き返す。

【登山道】
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 というわけで、よく整備された正規の登山道で韓国岳に登ることにした。

【五合目】
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 韓国岳登山の休憩スポットである五合目。
 ここからのえびの高原の見晴らし、それに韓国岳の姿は見ごたえあるはずなのだが、登山口から分かっていた通り、この高さは雲のなかであり、まったく眺めはよくない。

【登山道】
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 まったく視界もきかず、面白くもない登山なのだが、それでも雲の中は涼しく、それがありがたい。

【韓国岳山頂】
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 山頂到着。
 御鉢のなかはガスばかりで、何も見えなかった。
 山頂でじっとしていると寒くなってきたので、さっさと下山した。

【えびの高原】
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 えびの高原に下山して、韓国岳を見返す。
 韓国岳は本日はずっと雲のなかだったようだ。

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October 01, 2016

おでん:雨風@都城市

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 霧島山麓の盆地にある都城市は、郷土食として「地鶏」と「おでん」が有名であり、その料理店も数多い。
 そうなった理由として、地鶏についてはこの地での生産量が多いからであろうけど、おでんについては、おでんの具―芋とか大根だとかの生産が多かったからとかいうわけではない。
 都城市には昭和20年代に「ジャングル」と「雨風」という2軒のおでん屋が開店し、両店で出されるおでんがとても美味しかったため、都城市民がおでんを愛好するようになり、おでんという料理が人気を博していって、それからおでん屋が増えていき、都城市の名物と化した、ということらしい。
 両店とも創業から70年近くたつが、その味は進化を重ねながら代々引き継がれていって、いまなお人訪れること多き老舗人気店として存在している。

 今回はそのうちの一店「雨風」に行ってみた。

【宮崎牛スジ、厚揚げ】
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【豆腐、豆もやし】
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【秋刀魚のツミレ、メヒカリのツミレ】
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 おでんの出汁は昆布と鰹と塩で、あっさりめ。それぞれ丁寧に下ごしらえされた具に、いい塩梅にその出汁が沁み入っており、いわゆる「プロのおでん屋さんのおでん」を味わえる。
 とくに名物、季節の魚のツミレは煮加減が大事なので、注文を受けてから煮られることになるのだが、これが魚の素材の味、歯ごたえ、出汁とのバランスが非常によく、逸品である。

【黒豚の軟骨味噌煮】
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 南九州のおでん屋でよく出される「豚の軟骨」は、おでんの出汁でなく、味噌仕立ての出汁で甘辛くじっくりと煮られたものが出される。
 これもこの店の名物である。味の豊かさが特徴であり、焼酎によく合いそうな料理だ。


 こういったおでんもたいへんよいが、雨風では研究好きな若い店主が、酒の肴として造っている創作系のツマミもまた有名である。
 カウンター奥の黒板には、和・洋取り交ぜてのユニークなツマミがずらずら書かれており、これをメインにしても楽しめそうな、とても使い道の広いおでん屋なのであった。

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登山:矢岳@霧島

 10月最初の週末。九州は鹿児島のみ晴れで、あとは曇りあるいは雨の予報。それでは霧島に登山にでかけよう。
 今の時期は矢岳山頂近傍にあるミカエリソウの大群落が花を咲かしていて、霧島の名物になっている。それは知っていたが、矢岳が地味な山なので今まで登る気がしなかったのだけど、今回はそれを目当てに行ってみることにした。

【第一分岐点】
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【登山口駐車場(ではなかった) 奥に見えるのが矢岳)】
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【矢岳近くの林道】
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 登山案内によると、皇子原公園前の道をそのまま進み、高千穂登山口の標識のところで右折となっていたので、それに従い右折。進む方向に矢岳も見えているので間違いはなかろう。そのまま進んでいき、舗装道が狭くなる手前に駐車場らしき広場があったのでそこに駐車。車は他に一台もとまっていなかった。マイナーな山とはいえ、ミカエリソウの季節、変だなあとは思ったが、とりあえずここで登山装備を整え舗装路を登って行ったが、行き詰まってしまった。
 そこで地図を取り出して確認すると、目の前の山はたしかに矢岳だが、入り口の尾根が一本違っている。この尾根筋への入り口、よく観察すると人が利用しているらしき道はあるので、強引に登れぬこともないのだろうが、やめておこう。

 地図では矢岳登山口は、先ほど右折したところまで引き返してさらに高千穂登山口方面に進まねばならないようなので、また車でそこへと向かう。
 ・・・登山開始するときに地図確認しとけよ、ということなんだろうけど、山中ならともかく登山口をいちいち確認はしないもんなあ。

【矢岳登山口】
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 そういうわけで、いったん車で引き返し、先ほど曲がった三叉路より200mほど進んだところに、「高千穂登山口」の標識があり、ここを右折するのが正解であった。
 こうして余計な手間暇をかけて、正規の登山口に到着。
 既に車は6台ほど止まっていた。まあ、そうでしょうな。

【登山道】
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 林間の登山道はいったん谷筋に下り、そこから矢岳の尾根に取り付くことになる。
 等高線が密なことから分かるように、結構な傾斜の道である。それでも山道としては適度な傾斜とはいえるのだが、本日は10月なのに蒸し暑く(気温は30度越えであった。)この暑さではこたえる坂であった。

【ミカエリソウ】
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 そういう暑さのなか、もくもくと歩を進め高度を増していくと、お目当てのミカエリソウがぽつりぽつりと見え出しできた。そして山頂近傍に近づくと、いくつもの大群落をつくっている。矢岳限定の素晴らしい風景。・・・ただし、花は盛りを過ぎていて、少々色あせていたり、枯れたりしていた。見ごろは1週間前くらいだったようである。

【ミカエリソウと霧島】
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 頂上近くの稜線に出ると見晴らしも良くなり、ミカエリソウの群落と霧島の山脈も一望することができる。
 この風景は、全体的には晴れなんだけど、1400mくらいから上には雲がかかっており、高千穂の峰は上の部分が見られず、あの秀峰が眺められないのは残念。

【矢岳山頂】
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 矢岳山頂に着いたら、先着者が二組休憩中であった。
 みな同じ感想を言っており、「10月になって涼しくなったと思ったら、まだまだ暑くてきつかった。」とのこと。私もです。

【ツクシコウモリソウ】
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 矢岳からは竜王山経由で元の登山口に戻ろう。
 矢岳を少し過ぎたのちは、登山道に沿って「ツクシコウモリソウ」の群落があり、今がちょうど花の時期であり、ユニークな葉の形とあいまって、これもミカエリソウに劣らず見ごたえのある景色であった。

【龍王山への登山道】
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 竜王山までの道はあまり整備はされてなく、ススキが生い茂っており、歩きにくかった。しかし登山道は狭い稜線上なので道に迷う心配はない。

【龍王山山頂】
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 ススキの原を抜けると、雑木林のなかの道になり、ゴツゴツした岩の横を通ると、竜王山に到着。
 ここから南側の尾根に下りて行くことになるが、・・・頂上近くにあった白テープに従い降りて行くと、すぐに踏み跡はなくなり、登山道を見失ってしまった。それで山頂に戻りいろいろ下山道を探すがよく分からす。結局GPSに頼り、南側へ道なき道を下って行くうち踏みわけのはっきりした登山道に合流した。おそらく正規の登山道の入り口は、山頂より東側、つまり矢岳からの登山道から分岐しているような感じであるのであろう。

【炭化木】
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 竜王山を下ると、この山域の名物「炭化木」の枯沢がある。
 これは古き時代の新燃岳の大噴火により、樹々が灼熱の火山灰に埋もれ、それが天然の炭窯状態になり、樹々が炭になり地に埋もれた場所なのである。そしてそういう埋もれた炭の樹々が、土壌が雨風の浸食により削られ、地に出て来て姿を現しているのが、ここの「炭化木」。
 見た目はただの炭であるが、非常に貴重なもので大事にしなければならない。
 この沢にいくつもある炭化木を見ながら沢を歩いて炭化木のなくなったあたりで引き返すうち、先ほど竜王山の山頂で休憩していて、下山してきたグループと出会った。
 もしかして、この沢はどこかの山に通じているのでは?と思い尋ねてみたら、「登りつめると滝でストップになります」とのことであった。そして、彼らは炭化木を詳しく調べるために沢をしばし散策するそうだった。

【登山道】
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 霧島名物「炭化木」を見たのちは、ほぼ平たい、雑木林のなかの道を行く。
 ときどき風景の開けたところで見える高千穂の峰、ようやく雲が流れたようで、その秀麗な姿を見ることができ、それを眺めながら歩くうち登山口に到着。
 
 登山口に着くまで少々大変だったが、お目当てのミカエリソウ、それにツクシコウモリソウ、炭化木、いろいろと面白いものを見ることができて、楽しい登山であった。

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