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September 04, 2016

映画:君の名は。

Kiminona

 とあるド田舎に住む女子高生の三葉は田舎暮らしにうんざりしており、それは「もうこんな町いやや~、こんな人生はいやや~、来世は東京のイケメン男子にして~」と神に願うほどであった。その願いがかなったのか、ある日彼女は朝起きると東京新宿在住のイケメン高校生になっていた。戸惑いながら一日を過ごしたあと寝たら元に戻っていたので、それはよく出来た夢と思っていたが、そういうことが何度も続くうち、どうやら自分が本当に東京の男子高校生に入れ替わっていることを知る。
 同時に、男子高校生の瀧も三葉に入れ替わっており、彼もその異常現象に困惑しながら、入れ替わり時の田舎暮らしをそれなりに楽しむ。
 遠距離に住む彼らは、直接に出会うことはできなかったが、それでもノートやスマホを使って連絡を取り合い、次第に好意をだきあう。
 ところがある日、突然にその入れ替わり現象はなくなった。寂しさを覚えた瀧は現実の三葉に会いに行こうと、三葉の住んでいた町を突き止めそこを訪れるが、なんと三葉の住んでいた糸守町は、3年前に隕石が墜落して消滅しており、その時に三葉も亡くなっていたことが分かる。それを知った瀧は彼女を救うために懸命に努力を開始する、という話。

 このように初めのほうは「若い男女高校生の入れ替わり劇」というコミカルな青春物語だったのだが、後半から深刻な劇となってくる。
 そして、それはヒロインの三葉が、生まれながらにして重大な役割を与えられていた人物であったから、ということが分かってくる。

 三葉は糸守町に代々続いて来た神職宮水家の一族であり、実は入れ替わり現象は三葉自身は意識していなかったけど、宮水家の女性に代々伝わる超能力であった。そして宮水家には古より大事な役目が課せられていた。物語冒頭で出て来る彗星は1200年周期で地球に最接近し、そしてその都度糸守町に隕石を落とし、町に壊滅的なダメージを与えるのである。
 宮水家はその記憶を留め、人的被害を最小限に止めるため、何千年も糸守町で彗星到来に備えていた運命の一族であった。この映画は、その運命の一族の壮大な時空のなかでの宿命の劇なのである。

 さて、町を救うための、宮水家の女性に伝わる超能力。これが落下する隕石を破壊できるような強大な念動力であったなら話は簡単だったのだが、そのような便利なものでなく、「人間入れ替わり能力」という微妙なものであったので、三葉はこれを効果的に使う必要がある。
 三葉の入れ替わり能力は自分で制御・発動できるものでなかったので、その入れ替わりとなる対象人物を決めたのは宮水家のバックにある神様なんだろうけど、ここは映画をみていてちょいと理解しにくいところであった。

 たとえば男女高校生が主役のタイムスリップものは、「タイム・リープ あしたはきのう@高畑京一郎」という名作がある。その小説でヒロインが時間を越えて会いに行く男子高校生は、「性格には難があるが、極めて頭がきれる」という人物であり、ヒロインがやがて遭遇する恐ろしい事件を解決できる知的能力を持った者は、周囲に彼しかいなかったので、ヒロインが常に彼のところにタイムスリップしていくのはちゃんと必然性がある。
 しかし「君の名は。」では、町の惨劇を救うために選ばれた瀧君は、性格のよい好人物ではあるが、いたって普通の男子高校生であり、この大事件を救う者としての資格には難があるだろう。

 また、よくよく考えてみれば、三葉は幾度も3年後にタイムリスリップしているわけで、それなら自分の時間軸から3年間の情報は確実なものが得られるはずである。そうすると、自分の時間軸に戻ったとき、彼女は完璧な未来予知ができるわけで、それって超能力として最強に近いものであり、当たる予言をいくつも積み上げていけば、やがて迎える本番の隕石墜落時、人々の避難誘導は容易であったろう。

 どうにも三葉は自分の能力の真の使い方を知らなかったとみえる。
 もっとも2人とも、お互いの時間が3年ずれているということにまったく気づいていなかったのだから、映画的には仕方なかったということなんだろう。それにしても、人の生活空間には時代の変化を告げるものはいくらでもあり、それに気付かない2人は迂闊過ぎる。糸守町がテレビの電波は通じず、新聞も配達されないような秘境の地とかいうのなら話は別だが、そんな描写もなかったし。

 などなど、いろいろと?マークが頭に浮かぶ脚本であったけど、でも全体としてこの映画はたいへん良かった。
 何よりも絵が素晴らしい。神秘的な湖のほとりの糸守町の描写もよいが、とくに東京が見事である。どの東京のシーンも、我々がリアルに知っている東京そのものなのであるが、それが画面上では「それ、どこの東京?」と突っ込みたくなるほど、非現実的なまでに美しい。それは光源の使いかたや、空気の透明感、色の精緻な使い分け等々、きわめて高度な描画のテクニックによってなされているのであるが、エンドクレジットにずらずらと並ぶ作画担当の人たちの名前を見ると、日本アニメ界のトップクラス勢ぞろいという感じであり、まさに日本のアニメ界の総力をかけてつくられた映画といえよう。

 またストーリーも、せつなさ、哀しさがしみじみと伝わってくるものがあった。
 私たちは生きているかぎり、記憶は薄れ、失っていくのであるが、その失うこと、それそのものが哀しいことである。懸命な努力をし、そして感動、喜びを得たようなことでさえ、そのときの感情はやがては薄れていき、記憶そのものもやがては忘却のなかにしまわれていく。
 なにもかもがやがては消え去って行く哀しみ。そして哀しみのみが残っていくという、さらなる哀しみ。それは、ふりかえったときの青春、というものがその代表なのかもしれない。そして、青春のまっただなかにある主人公たちの物語であるこの映画、ハッピーエンドであるはずのラストシーンで、そういうせつない哀しみを感じてしまうのは、たぶん私ら中年特有のものであり、映画館に多く集っていた若者達は、またまったく違う感想を抱くのであろうなあ。


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 映画 君の名は。 公式サイト

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