2016リオオリンピック雑感
まずはギャンブル漫画「アカギ」の登場人物鷲巣巌の台詞から。
鷲巣巌は卓越した頭脳と精神力の持ち主で、その能力を最大限生かして巨万の富を得て、戦後の日本の政財界の裏の帝王として君臨していた。彼は75年の生涯の全ての勝負に勝ち続けた、ギャンブル漫画史における最強の人物である。
しかし彼は人生の最終盤に、悪魔のごとき賭博の天才(=アカギ)に出会ってしまい、自分の血液を賭けの対象とした、文字通り生命をかけての勝負をすることになる。白熱の勝負が繰り広げられ、両者とも血を限界ぎりぎりまで抜かれて、お互いあと一回勝てば、相手の命を奪い、そして最終的に勝てるという状況になる。
ここで、ついに勝利を確信した鷲巣巌が発した言葉が冒頭。
「勝つには、勝ち切るには、何と多くの辛抱が必要なことか」
人生の全てで勝ち続け、勝ちを積み上げて人生を築き上げて来た男の述懐だけあって、とても説得力がある。
そう、まったく、勝つとは辛抱のいるものなのである。途方もなく。
今回のリオオリンピックは地球の裏で開催されていることから、放送の時間が早朝に偏り、出勤前の時間が利用できて、多くの競技をライブでじっくりと見ることができた。
放送はもっぱら日本選手が出場しているものになり、それで柔道、卓球、レスリング、体操、バトミントン等々、オリンピックのときしか見ないような競技をふんだんに見ることになる。これらが、見ていて非常に心臓に悪い。どの競技も瞬間々々で勝負が動き、ほんのわずかな油断も許されないものばかり。棒から手が離れるなり、着地が乱れるなり、相手に後ろをとられるなり、投げられるなり、あっという間の出来ごとで勝負がひっくり返る、そういう瞬間が競技中ずっと続いているわけで、まったく見ていてたまらない。
今回日本勢は金メダルを量産したけど、それには安心して見ていられるものは殆どなかった。王者と言われた体操の内村選手も薄氷を踏むような勝利だったし、伊調選手も最後の3秒での奇跡的逆転勝利であった。バトミントンダブルは絶望的状況からの挽回であり、どれも勝者と敗者の差は紙一重であった。
それでもやはり勝者と敗者を分かつものは、じつは歴然とあったのであろう。
傍から見た一般者でさえ心臓に悪いほどの緊張感を与えるのに、今までとんでもない努力を重ねてきた当の本人たちのプレッシャーがいかなるものかと考えると、それは想像を絶するものには違いなく、それをねじふせて、最後まで己の最高を出すことに尽力できたものに、最終的な勝者の栄光が与えられた。
その凄まじい精神の劇の「芯」が、まさに鷲巣御大の言う、「辛抱」に違いない。途方もないプレッシャー、緊張感、それらに耐えきった、すなわち辛抱しきった者が最後に勝利を得る。
オリンピックのように勝利の価値が大きなものは、それだけ辛抱も大きなものが必要となり、今度のオリンピックではそれらの葛藤劇もまた見ることがでた。体力、精神、いずれも超人的な人々たちの4年に一度の祭典。
そして、それが次は日本にやってくる。
次回は東京である。
ということは、現地開催ゆえライブは基本的には週末しか見られない。それはもったいない。
それで、4年後はなんとしてもライブそのものを見たいので、いつもはとらぬ夏季休暇を4年後にはしっかりと取って東京でナマで見たいと思う。
ここで問題はチケットだ。
リオオリンピックで、本当にもったいないと思ったのは、会場がいくらでも空席があったことである。あれは日本では考えられない。18年前の長野オリンピックでは、鍛え抜かれた超一流のアスリート達の芸に魅せられ、どのマイナー競技でさえすぐに完売になり、「チケットぴあ」のいずれのチケットもソールドアウトになっていたのは記憶に新しい。(って、20年近く経ったのだが)
東京オリンピックも当然のごとく、チケットの争奪は大変であろう。
ここはなんとしてもチケットGetの知恵を振り絞らねばならないのだが、・・・まあ、4年あるのでゆっくり考えておこうか。
私がチケットをGetできたかどうかの解答は、4年後にまた、とのことで。
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