映画:シン・ゴジラ
映画館で「シン・ゴジラ」の予告編を観ていて、街を横切る巨大な尻尾で示す不安極まる情景、溶岩が中で煮えたぎっているような禍々しいゴジラの造形、それらの映像を見て、邦画の特撮(or CG)の技術のレベルも素晴らしいものになったなあと感心して、この映画の上映を楽しみにしていた。
しかし予告編の映像を見、その映像の技術の素晴らしさに惹かれて観に行ったところ、いいのはその場面だけで、あとは退屈極まる駄映画、というのは邦画にありがちではある。例えば「進撃の巨人」とか、あるいは「進撃の巨人」とか、そもそも「進撃の巨人」とか。
そして「シン・ゴジラ」のキャストは、「進撃の巨人」とけっこうかぶっていることから、少々の懸念を感じながら観にいったもの、この映画、近年まれにみる邦画の傑作であった。
この映画でのゴジラは、今までのゴジラシリーズ通り人智を超えた圧倒的存在であるが、そこには何かのメッセージ的な役割はなく、それは自然そのものが人智を超えた圧倒的存在であるように、ただただ人類に対して圧倒的破壊力を示す。
ゴジラは別に人類を滅亡させたいという意思があるわけでもない。気まぐれに海からあがって都市に上陸しまた海に戻るだけである。しかし、あれほどの巨大生物が海から上がって川を遡上して都市を横切るだけで、都市は破壊され尽くし、甚大な被害が生じる。それこそ、台風、地震、津波、竜巻等が、誰もいないところで生じれば単なる自然現象なのに、それが人が密集するところに生ずれば、たいへんな大災害になるがごとく。
この自然そのもの、あるいは災厄神といってもいい存在であるゴジラに対し、それでも日本政府としては、「自然現象だから」と放置できるわけもなく、懸命の努力をする。
「シン・ゴジラ」は、ここが最大のキモである。
ゴジラは映像的に圧倒的存在感があるが、しかしそれはあくまでも脇役であり、「シン・ゴジラ」は、この迷惑極まる「荒ぶる神」に対し、それへのリアルな対処をする群像が主役となっている。
前代未聞の危機が首都を襲っているわけだから、政府、官僚、民間組織は、市民を都市を組織を守るために、努力の限りを尽くす。これに対応する機関はざっと考えて、国交省、外務省、財務省、防衛省、厚労省、警視庁、環境省、文科省、宮内庁、・・・てか、全部の省庁が関与するわけであり、ともかく会議、会議で、最善の対処法を決めていかねばならない。
最初は省庁の垣根もあり、ギクシャクしているが、それでも各々の役割がはっきりしだし、サポートする有能な者も集めたりしたことから、なんとか対処法を見出していく。
都市部の事件を題材とした某ヒット映画に、主人公が激高して叫ぶ「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ」との有名な台詞があるが、会議は大事なのである。ものすごく。
というわけで、この映画は、ゴジラに対してどう対処するかのシミュレーション映画なのであり、徹底して「会議映画」といえる。そういう意味で、斬新な怪獣映画といえる。
で、会議が主役のこの映画、しかしゴジラの造形もまた素晴らしい。それこそ予告編以上に。
ゴジラが追い詰められ、そこで炎を吐き、都市を焼きつくすシーン。東京の終末、この世の終わり示すような、黙示録的描写であり、邦画の歴史に残る名場面であった。
この映画、語りたいことはヤマほどあるが、あまり語ればネタバレばかりになるゆえ、このへんで評を終える。
とりあえず言いたいことは、これは上映しているうち観ないと絶対損する映画。
近頃では「パシフィック・リム」以来、そういう感想をいだいた名作であった。
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シン・ゴジラ 公式サイト
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