映画:LUCY/ルーシー
人間の知的活動を規定しているのは脳という臓器には間違いなく、ただしそれの能力は個人によってずいぶんと違う。
歴史に残る偉大な芸術は、ほとんど一握り程度の数の個人の脳によって生まれている。物理に関しては宇宙の成り立ちの秘密の半分くらいを個人で暴いたアインシュタインのような脳もある。
脳は、どうやら個人のたった一つのもので、技術、芸術、科学、学問…etcの深奥までたどり着く可能性を持つ機能を持った臓器であるらしい。
映画ルーシーは、とある事故により、その無限の可能性を持つ臓器脳の、極限までの機能の発達を強いられた女性の物語。
この不幸な女性はスカーレット・ヨハンソンが演じている。
ルーシーは冒頭では少々頭の足りない蓮っ葉な若い女性を演じているが、細胞の急激な増殖をもたらす薬が誤って体内に大量に入ったことから、脳細胞が猛スピードで進化を遂げる。
映画の前提では、人間は脳の10%しか使っていないそうだが、ルーシーは30%使える時点でほぼ超人となり、さらに40%、50%、60%とアップグレードされていく。
超人化したときには、ルーシーには元の蓮っ葉なイメージは全くなくなり、機械のように、研ぎ澄まされた、知的な美女へ変貌する。なんとスカーレットは演技の上手の女優であるか、と思うが、しかしこれって元々のスカーレット・ヨハンソンそのものではあるよなあ。
ルーシーは己の知力の極端な高まりに恐れを抱き、その流れの解答を知ろうとする。彼女は膨大なネット情報から、世界で一人だけ「脳の進化」について正しい認識を持っている博士を見つけ、彼に連絡を取り、パリで合流しようとする。
そういうことをしているあいだにも、ルーシーの脳は進化を続けていき、ついに100%まで達しようとしている。
100%まで行ってしまったら、もはや彼女は全てを知り、全てを理解でき、全てを操作できる絶対的な存在になってしまうわけで、…それって「神」ですよねえ。
映画はそのところまで描いており、ルーシーが時間、空間を自在に操れるようになって、そこで繰り広げられるシーンは独自の美しさと楽しさがある。
人類が万物の霊長になれたのは、その脳の機能の発達によるものであり、そして脳は他の記憶媒体やコンピューターを補助に使うことにより、まだまだ発達の最中である。
この発達の行く末がどうなるかについては、昔からSFの興味深いテーマになっていて、それを扱った小説、映画、漫画は数多い。
しかしながらその分野のものでは、嚆矢的存在であるクラーク作「幼年期の終わり」がじつは決定版のようなものになっていて、これ以上の作品をたぶん我々は持っていない。
映画ルーシーも、リュック・ベッソン版「幼年期の終わり」と言えぬこともないが、よりエンターテイメントに徹していて、細かい突っ込みを入れなければ、アクション系SFの良作として十分に楽しめるものであった。
そして、この映画はなによりもヒロインのスカレート・ヨハンセンの存在感がキモなのであり、彼女を眺めているだけでも、映画代の元はとれる、そういう映画でもあった。
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映画 LUCY/ルーシー:公式サイト
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