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April 2014の記事

April 27, 2014

烏帽子岳@霧島

 本日は天気は悪いが、せっかく山の近くにいるのだから、さらさらっと登れる山に登ってみようと思い、今まで登ったことのない標高987mの烏帽子岳に登ってみることにした。

【御池】
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 極楽温泉から道なりに進むと、神秘的な御池へと出る。
 ここからは高千穂の峰が、恰好よく見えるはずだが、雲が一部かかっている。

【烏帽子岳林道】
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 車をそのままえびの高原方向へ進め、新燃荘のバス停前に駐車。
 ミヤマキリシマの時期なら、登山者で車が満車になっているような場所だが、本日は一台も止まっていなかった。
 バス停前から烏帽子林道をだらだら歩いていけば、烏帽子岳に着くはずだが、「ここは遊歩道ではありません。通り抜けできません」との標識が。遊歩道でないのは分かるが、烏帽子岳のえの字も書いていないのはおかしい。しかし、この道以外に烏帽子岳にたどりつける道は、地図を見るかぎりないはずなので、そのまま進んでいく。

【林道】
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 ゆるやかな登りを歩いていくと、作業道への分岐に出た。そして右手に見える小山は、地図に載っている984mピークのようである。
 せっかくなので、まずそこに登ってみることにした。

【984mピーク】
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 地図に載っているようなピークなので、三角点くらいはあるだろうと思っていたが、そのようなものはなく、そのまま突っ切り、山越えルートで下ってみた。

【林道】
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 しばし歩くと、先と同じような高さのピークが見えてきた。この山にも獣道みたいな登り道はあったが、どうみても 山頂近傍は植林地なので、遠慮して登らず。

【烏帽子岳前広場】
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 林道はやがて広場へと出た。
 目の前が烏帽子岳のようである。
 ここまで一切の標識はなかったが、まあ、迷うことはないな。

【烏帽子岳へ】
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 ここで、本日初めて見つけた烏帽子岳への標識。
 吹けば飛びそうな、あやうい標識である。

【登山道】
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 登山道は雑木林のなかの、歩きやすいなだらなか道を行く。

【登山道】
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 登山道はやがて二手に分岐し、険しい傾斜のほうが山頂への道である。

【烏帽子岳山頂】
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 急傾斜をしばし登り、山頂へ到着。
 展望はきかない。
 展望はきかないが、この山頂部はハナヅルという美しい花の群落地であり、花の時期には人がよく登るとのことである。

【展望台へ】
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 山頂には、「展望台へ」との標識があり、しばらく進むと展望のいいところがあるみたいである。
 それでその方向へ進んでみた。

【展望台?】
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 山頂から100mくらいのところに、一部林が切れて、霧島が見られる地点があったが、とても展望のよい所とは言えない。
 といってここからは下りになるので、ここより展望のいい所があるとも思えない。
 念のため、20mほどの高さを下ってみたが、さらに展望が悪くなるので、この地点が「(展望のよくない)展望台」なんだろうな、と勝手に納得して引き返した。

 あとで調べると、いったん下りきって、鞍部からさらに登り返したところに別のピークがあり、そこが展望台だったとのこと。そのピークは見えていたが、まさかそれが展望台とは思わなかった。ありゃ、山だよ。

 その展望台からの霧島の眺めは素晴らしいそうで、行かずに損をしてしまった。
 なにごとも事前勉強は必要ということですな。

【京町温泉】
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 軽めの登山とはいえ、汗はかいている。
 温泉に寄って、すっきりしたいところであるが、烏帽子岳周辺の温泉は白濁した硫黄泉ばかりで、温泉力はたっぷりだが、すっきりはしないであろう。
 それで、えびのICよりさらに進んだところにある京町温泉にと寄ってみた。
 京町温泉のさらりとした弱アルカリ単純泉は、登山後にはたいへん心地よいものであった。

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April 26, 2014

匠の宿@極楽温泉

 極楽温泉は霧島山地の東側に位置する。
 霧島温泉郷とは離れたところにあり、人の賑わいから外れた地にある。そこに湯治宿風の一軒宿がぽつんぽつんとあり、温泉通の好みそうな温泉地である。
 そのなかの一つである、古くから湯治宿であった老舗旅館「匠の宿」が近頃新機軸を打ち出したそうである。なんでも、湯のみならず、料理にも力を入れ、料理目当てでも客の来る宿にしようと、宿泊料金の単価を上げ、料理の水準を一挙にUPしたそうだ。
 「あんな辺鄙なところにある宿がそれで大丈夫なんですかねえ」と、「匠の宿」の主人と交流のある某寿司店の店長が心配していたので、物見高い男の私としては、ついどんな宿か見てみたくなり、行ってみることにした。

【極楽温泉水車】
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 極楽温泉は、高原から御池に行くまでの道の途中にある。この大きな水車がシンボルマーク。

【部屋】
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 部屋は奥の離れにて。
 寝室、和室、リビングから成っていて、どこでも寛げる。

【貸切風呂】
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 極楽温泉は地元の人が立ち寄り湯によく使っている温泉で、大浴場は常連の人が多くいるけど、宿泊客者用には貸切風呂が用意されている。
 鉄分たっぷりの、いかにも「効く」という温泉だ。
 登山後の汗を風呂で流してさっぱりしたのち、食事処で夕食である。

【八寸】
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 八寸は、サツマイモ唐揚、芹の白和え、鮎なれ寿司、山芋握り寿司、猪西京焼き、さとがら黒胡椒和え、と、どれも地のものにこだわり、かつ随分の手の込んだ料理の数々である。

【椀物】
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 椀はエンドウのすり流し。
 それにヤマメを骨切りにしたもの。蕨に、ゴマ豆腐。
 いかにも山の椀物であるが、味付けは繊細ものである。

【造り】
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 造りは鯉と鹿。
 鯉は十分に泥抜きをされており、くさみの全くないもの。
 そういえば、このあたりは鯉の名産地であり、鯉の美味しいところなのであった。

【鍋物】
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 鍋は猪と鴨のどちらからか選べる。
 今の時期に猪もなかろうと思い、鴨にしてみた。
 これも地元の薩摩鴨で、しゃぶしゃぶ風にして、白髪葱を添えて、鴨葱にして食べれば美味そのものである。
 鍋の出汁も、鴨出汁で、豊かな味である。

【焼物】
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 焼物は、宮崎牛と薩摩の鰻。
 素材も良いが、火の入れ加減も上手なもの。

【焼物】
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 焼物のもう一品は、スッポンの幽庵焼き。
 コラーゲンがたっぷりである。

【蒸物】
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筍と蕨の茶碗蒸し。卵の味が濃厚である。

【御飯】
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 御飯は炊き込みご飯。
 酢のものは、ヤマメの背越しと芹の酢味噌和え。


 最初から最後まで地の素材にこだわった料理であった。
 こういうものは素材集めて、あとは焼いて煮るだけといった田舎料理になりがちだが、(それはそれでいいけど)、どの料理も良い素材をさらに美味しくするために、手の込んだ調理が加えられた、本格的な会席料理であった。
 たしかに料理だけ目的に行っても、十分満足できるレベルのものである。
 これに加えて温泉も良質のものであったから、すでに名宿の域に近づいているのでは、と感心いたしました。

【朝食】
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 朝食も夕食の流れをついで、地の料理にこだわったもの。
 そして食事の時間にあわせて炊かれる、炊き立て御飯がまた美味であり、朝から食事が進むのであった。

【風景】
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 この宿からは、高千穂の秀峰を望むことができる。
 しかし本日は、山頂近傍に雲がかかっており、イマイチの眺め。
 予報によればこれから天気は崩れるとのことで、雲の位置はさらに低くなってきそうだ。
 それで、宿を出たあとは、あまり標高のない山に登ることにした。

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夷守岳@霧島

 霧島の高千穂の峰の麓にある極楽温泉に宿泊しようと思った。
 ただ宿泊しても仕方ないので、その前に山に登ろうとしたが、今の時期高千穂の峰に登ってもさして楽しくはなさそうなので、高速道度を通るたびにその美しい山容が気になっていた夷守岳に登ることにした。

【登山口】
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 夷守岳は高速道路の宮崎道を通ると、すぐ近くに見える山ゆえ、小林ICを下りると10分程度の時間で登山口にたどりつくことが出来る。

【登山道】
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 登山道には、新燃岳方面への入山は不可との標識がある。
 新燃岳噴火後、霧島の立ち入り規制は徐々に範囲が狭められてきてはいるのだが、全山解禁の日はまだまだ遠そうである。

【登山道】
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 夷守岳の登山道は地図的には単純であり、コニーデ型の尾根に一直線に登って行く。それゆえ傾斜は強く、けっこう体力を使う。

【ミツバツツジ】
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 春の夷守岳は、霧島の花々が咲き乱れていた。
 ミツバツツジは旬であり、どの樹も鮮やかな紅紫の花が満開であった。

【ムシカリ】
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 ムシカリは時期は終わりかけで、散った花びらがどっさりと登山道に。

【ナガバノモミジイチゴ】
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 ナガバノモミジイチゴも可憐な花をつけていた。

【キリシマミズキ】
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 山頂に近づくと、キリシマミズキの樹が多くなり、いずれも特徴的な、花弁を重ねた形で黄色の花をつけている。

【熊笹】
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 夷守岳は整備の行き届いた、登りやすい山ではあるが、山頂近傍では熊笹が生い茂っており、歩くと顔に当たってくる。このときばかりはアイウェアを持ってくれば良かったと思った。

【夷守岳山頂】
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 夷守岳に登れば、風景が開け、霧島の山々を望むことができる。
 向いには、形よい高千穂の峰。

【ツルギムジロ】
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 夷守岳山頂には、ツルギムジロの小さな花がたくさん咲いていた。
 人の足に踏まれるようなところに敢えて好んで咲くみたい。

【丸岡山】
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 夷守岳の次には、同じようなコニーデ型の丸岡山が見える。
 傾斜に関しては、こちらのほうが、夷守岳よりも少しなだらかである。
 とりあえず、この山にも登ってみよう。

【登山道】
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 夷守岳から丸岡山へは、樹の生態が少し異なり、ブナが多くなる。
 樹の間隔が広く、光がよく入る林は、よい寛ぎのスペースになりそうだ。

【丸岡山山頂】
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 丸岡山山頂。
 ここは樹木が生い茂っていて、眺めはよくないので、もう少し進んでみよう。

【大幡池】
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 丸岡山山頂を少し過ぎたところで、大幡池を見ることができる。
 本日の登山は、ここまでとした。


 夷守岳。
 霧島に来るたび気になっていた山であったが、登ればいろいろな魅力を持つ山ということが分かった。
 そして人が少ない山、というのもまたいい。
 GWの初日というのに、今日この山で出会ったのは、3名だけであり、静かな登山を楽しめた。

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April 22, 2014

STAP細胞ミステリ(2) ―STAP細胞の将来

Stap

 理科研の世紀の発見ということで、大々的にマスコミに報道されたSTAP細胞。
 この大騒ぎはその後迷走していったわけだけど、その迷走劇は意図せずして、3名の個性的な科学者によって為されたことがあとになって分かった。上の写真は、その3名登場のものである。

 STAP細胞の発見史について、簡単に述べてみる。
 STAP細胞の歴史は、小保方氏がハーバード大学のラボで、細胞に化学的刺戟を与えることで、万能性を持つ可能性を持つ、ユニークな細胞(STAP細胞)が発現していることを見つけたことに始まる。
 その細胞は転写因子(Oct4)を発現しており、あらゆる細胞に分化する可能性を持っているはずだった。しかし小保方氏は、その細胞が万能性を持っているということを証明するスキル(技術)を持っていなかった。

 STAP細胞が実在したら、大変な発見である。
 当然ラボの主催者はそれを実証したいと思う。それで、ラボ上司はその発見を検証するために、世界中のその分野のプロに、この細胞が万能性を持っているかどうか実証検査をしてほしいと頼むのだが、誰も首を縦に振らなかった。
 そんな細胞の存在は有り得ないと誰しも思うし、当然に実証実験はお金と時間の無駄になると思っていたからである。ところが、当時理科研にいた若山照彦先生が、その細胞に興味を抱き、STAP細胞が本当に万能性を持つかどうか実験することにしてみた。
 若山先生は、世界で初めてクローンマウスの作成に成功したこの分野の第一人者である。
 若山先生は、1997年に世界で初めて「クローン羊」が作成されたという報を聞き、誰もがそれを信じなく、また実証実験も成功しなかったときに、敢えてマウスを使ってその再現実験を企て、苦労の末に遂にクローンマウスを作成に成功した。それによりクローン羊の実在も証明され、クローン羊を作成したキャンベル博士はノーベル賞を受賞した。

 このように若山先生は、世間が信じないようなことに敢えて挑むチャレンジ精神の豊富な人であり、STAP細胞へも、そのチャレンジ精神が掻き立てられたのであろう。

 ただし、クローンマウスの時と同様に、STAP細胞によるキメラマウスの作成は難航を極めた。今までのES細胞を使ったキメラマウスの作成法ではまったくうまく行かず失敗を重ねるのみであったので、新たな手法を使ったところ、見事にキメラマウスを作成できた。そしてこのキメラマウスはES細胞によるキメラマウスよりも、さらに細胞の初期化が進められていたことが判明し、ここでSTAP細胞の実在が証明された。


 そうしてSTAP細胞についての論文が書かれたわけだが、…Natureに投稿されたこの論文は採用をリジェクト(Reject)されてしまった。
 Natureの指摘には、いろいろと鋭いところがあり、rejectには十分納得できる理由があった。
 それで小保方氏をリーダーとする理科研は、アクセプト(accept)に向けて、追加実験を加えていった。

 その結果STAP細胞の論文はacceptされることになるのだが、この論文はじつに美しい。STAP細胞という信じがたい存在について、ある特定の刺戟によってSTAP細胞が分化した細胞から初期化されて生まれるというストーリー(仮説)が提唱され、それを証明する実験が、いくつもなされて証明を積み重ね、ついにはSTAP細胞の独自性が明快になる、論文のお手本のような見事なものである。

 ただ、今この論文をレトロにみると、あまりに出来過ぎている。
 科学論文は、ある現象について、それが成り立つ理由についてのストーリーを考え、そのストーリーが成り立つ実験が成功されていき、ついにそのストーリーが実在するという証明を持って完結する。

 Nature論文でのSTAP細胞もそうであり、STAP細胞というユニークな細胞が、既存のEA細胞でもTS細胞でも、またiPS細胞でもなく、さらには分化されたリンパ球から初期化された細胞であることが、膨大な実験により証明されている。ついでにいえば、特殊な処理をしたSTAP細胞が、多臓器へ分化できるSTAP幹細胞になれるということまで示しているから、そこまでいけばまさに大発見であり、じつに見事な論文であった。…その実験が本物だったなら。


 STAP細胞の論文の発表から、その存在の疑惑にいたるスキャンダルで、今はだいぶと情報が出てきたのだが、それでだいたい分かったことは、小保方氏はSTAP細胞と名付けられたユニークな細胞を見つけることは成功したが、それがどういう由来で、どういう可能性を持つのか、よく理解できていなかった。
 それで、上司の笹井先生があるストーリーを考えつき、「STAP細胞があるなら、こういう可能性があり、こういうことができる」というふうなアドバイスを与えたようである。(小保方氏にはストーリーを考えつく能力はなかったことは指摘されている。)
 小保方氏は明らかに現場タイプの人であり、そのストーリーに沿って、コツコツと実験を積み重ねてきたのであろうが、そのストーリーを実証するために懸命に努力しても、肝心のTCR再構成と、さらには(余計な実験である)三胚葉性分化を実証することは出来なかった。
 ここでいったんストーリーをチャラにして、新たなストーリーに基づく実験をリスタートすれば良かったのに、小保方氏は、そのストーリーを成り立たせるべく杜撰な捏造の方向に暴走してしまった。それで、STAP細胞は沈没してしまった。


 STAP細胞のストーリーの売りは、「分化された細胞が、単純な外部刺戟により初期化される」ということであるが、そんな奇想天外なストーリーでまず実験を組み立てるより、常識的な線で、STAP細胞は外部刺戟によるinduction(導入)でなく、selection(選択)によって選別されたと考えるのが、元々の実験の流れとしては自然であろう。

 そういう方向でSTAP細胞が立証されれば、「生物の身体のなかには、常にごく僅かに初期化された細胞があり、普段は何の役にも立っていないが、過酷な環境のなかでは生き残り、その結果、何らかの役割を発する可能性を持っている」という生物内モデルが確立する。
 そうなれば、今までinduction説が主流であった成人型の癌細胞の発生についても、「じつは癌細胞はirregularなものでなくregularなものであり、癌組織の形成については、その増殖の方向を間違えたものにすぎない」とかの説も成り立ち、新たな研究が行われ、種々の発明が為される可能性がある。

 STAP細胞論争、小保方氏のやったことがあまりにひどいので、STAP細胞はただの幻であった、と結論づけるのは当然とはいえるが、それにしてはNature論文の実験の結果は捨て去るには惜しいものが多量に含まれている。
 STAP細胞は、私見では再生医療の役には立たないとは思うが、初期化細胞、というか未分化細胞についてのミステリについて、多くの解明の鍵を握る存在に思えるので、リベンジの意味も兼ねて、理科研で研究を続行してもらいたいものである。


 ……………参考………………
 文芸春秋4月号 若山先生のインタビュー記事
 理科研 STAP細胞ついての報告
 Nature letter
 Nature article

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April 21, 2014

STAP細胞ミステリ(1) ―あるいはお化けの証明

 本年度の科学のトピックとして、最大級のものとなるはずであった理科研のSTAP細胞発見については、その後の検証で迷走が続き、なにがなにやらよく分からないことになってしまい、はては当事者どうしで論争が泥沼化して、闇試合に突入している気配がある。

 本年度どころか、あと数十年は科学界の最大級ゴシップとなってしまったであろう、この騒動をワイドショー的に楽しむというのも、ひとつのスタンスであるが、いちおう科学者の端くれ、およびミステリ好きの一員として、私なりに雑感を述べてみたい。

 小保方氏をfirst authorとしての理科研のSTAP細胞の論文は、発表時に世界中のラボの抄読会で感嘆の声とともに読まれたと思う。
 この論文は、誰もが信じないような新しい発見について、膨大な実験を積み重ねて、反論の余地もないまでに、自らの仮説を実証していく、極めて理論だった、まさに「究極の理論の追及」とでも称すべく、エキサイティングでスリリングなものであり、読んでいてたいへん楽しいものであった。

 ただしその後、小保方氏の実験結果の捏造が判明し、この論文の拠って立つ重要な根拠が崩れてしまい、STAP細胞については信頼性が一挙に崩れてしまった。

 小保方氏の「捏造」については、「捏造」どころか、それ以下のレベルの出鱈目なものであり、およそ科学研究の場に身を置いた者なら、誰一人して彼女のやったことについて、理解どころか同情するものもいないであろう。
 今回の騒動について、世間一般人より専門家のほうがはるかに意見が厳しいのは、専門家が「研究において、絶対にやってはいけないこと」を理解しているからである。

 理科研が論文の撤回を推奨したことから、STAP細胞についてはその存在は極めて疑わしくなっている。
 さらに、STAP細胞の発見者小保方氏の、研究者としての資格がきわめて疑わしいから、STAP細胞なんてこの世に存在しない、と判断するのが当然であろう。

 STAP細胞なんて、この世に存在しなかった。これで、この騒動は一件落着。
 で、本来はいいはずなのだが、…どうもそうはいかない事情があるのが、このSTAP騒動の面白いところではある。

 今回のSTAP細胞騒動については、その当事者たちにより色々な記者会見が開かれた。
 論文を撤回すべしという理科研の判断に対して、小保方氏は果敢に挑み、「私は200回STAP細胞の作製に成功した」と反論した。

 ここで記者および視聴者は、誰しも「ならば、その本物のSTAP細胞とやらを見せてみろよ」と、心のなかで突っ込んだであろう。

 ただし、その要求は無茶なのである。
 STAP細胞は顕微鏡でしか実物は見られないし、なによりSTAP細胞は、あくまで分化して多能性を示すことで、実在を証明されるのであり、小保方氏が持っているSTAP細胞やらが本当に多能性を示すことで、初めてSTAP細胞であることが証明されるのだから。

 今、小保方氏はSTAP細胞の実在を主張している。

 存在の怪しいものについては、そのものを明るみの場に出せば、誰もが納得し、話はまとまる。
 これは、いわゆる「お化けの証明」というものである。

【お化けの証明】
Obake

 世の中には、お化けが実在していることを懸命に主張している人たちがけっこうな数いる。しかし、いまだに彼らが世間を納得させられていないのは、彼らがお化けについては、その存在の証明について、状況証拠しか出さないからだ。
 「私はお化けを見た」「ある村ではお化けを見たという報告があった」「ある古書では、お化けのスケッチが描かれている」…等々でお化けを認めさせようとするばかりであり、いかにも胡散臭い。ここで、もし彼らがお化けそのものを連れてきて、会見場に出せば、誰しもお化けの存在を100%納得できるのだが、いまだにそういうことをした者がない以上、彼らが信頼されることは永遠にない。
 これはお化けを、「ネッシー」とか、「ツチノコ」とか、「儲け話」とか、「低線量被曝障害」とか、「雪男」とか、あるいは「神」とかに言い換えてもいいのであろうが、基本的には、「そのものを出せばいいだけなのに、出せない」という言動、言論については、いっさい信用しないのが、社会人としての常識である。


 それで、話はSTAP細胞に戻るのであるが、STAP細胞騒動の極めて面白いところは、こういう問題のある研究者により作成されたSTAP細胞なるものが、Natureの論文を読むかぎり、どうしても実在するとしか考えられないことなのである。

 小保方氏により発見されたSTAP細胞はOct4遺伝子が発現することから、万能性を持つことが期待された。
 ただこれを証明する技術を小保方氏は持っていなくて、当時理科研に所属していた若山先生にその証明を依頼することになった。若山氏はクローンマウス作成の世界的権威であり、ES細胞などでキメラマウスを作製することに関しても卓越した技術を持っていたからである。
 ただし若山氏は従来の手法では、STAP細胞でどうしてもキメラマウスを作製することはできなかった。試行錯誤の末、特殊な手法でついにSTAP細胞でキメラマウスを作製することに成功した。

【STAP細胞によるキメラマウス】
Mouse_6

 Nature letterに投稿された、STAP細胞によるキメラマウスの写真である。
 蛍光色で光っている部分がSTAP細胞由来の細胞である。つまりこの写真により、STAP細胞はマウスの体細胞に分化することが証明されている。
 そして、その蛍光は、マウスの胎児のみならず、胎盤や卵黄膜などの胚外組織にも発現している。
 キメラマウスを造れる細胞としてES細胞やiPS細胞が既に知られているが、それらの細胞は胚外組織を造れるまでには初期化されておらず、ということは、この写真で示されている細胞は、ES細胞やiPS細胞などではなく、それよりもっと初期化されたユニークな細胞であることは間違いない。

 つまり、STAP細胞がない限り、この写真はこの世に存在しないのである。
 
 「お化けを証明するには、お化けを連れてくればいい」、との論からすれば、この写真がある限り、お化けは存在するとしか考えらない。

 STAP細胞騒動について、小保方氏の研究者の資質から、理科研はSTAP細胞を全否定しても良さそうなものだが、STAP細胞の存在についていまだ曖昧な態度をとっているのは、どう考えても、STAP細胞は存在しているとしか思えないからであろう。

 あるとしか思えぬSTAP細胞が、いかに本筋を外れ、迷走の極みに陥ってしまったかについて、次回に私見を述べたいと思う。


 ……………………………………
 マウス胎児の写真は、Nature letter: Nature 505 676-680 (30 january 2014) fig.1より

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April 12, 2014

アケボノツツジ@行縢山

 4月初旬までは冬そのものの気候だったけど、中旬になるとさすがに暖かくなり、春到来である。
樹々も芽吹き、花開かせている。
 春の花は桜、と思っている人は多いだろうけど、私にとって春の花はアケボノツツジである。この花が咲くのを見て、春が来たことを真に実感する。

 アケボノツツジは標高の高い岩山にしか咲かない花で、見るには苦労がいる。
 しかし、本来人が来ないようなところで、樹いっぱいに大輪の美しい花を咲かせるアケボノツツジは、山の守り神のような神秘的なところがあり、これを見ると自然の素晴らしさというものが、改めてよくわかる。

 県北では、一番最初にアケボノツツジが咲き、そして登山口も行きやすい行縢山へと行ってみた。

【アケボノツツジ】
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 行縢山にはたぶん20本弱くらいしかアケボノツツジはないと思うけど、今回はこの一株が満開であった。

【山道脇のアケボノツツジ】
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 小雨のなかの登山だったゆえ、雨に濡れた花びら。

【展望所より】
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 雌岳稜線の北側は絶壁であり、そこに突き出たこの岩場は唯一景色が広がるところ。
 ここからは日本百名瀑の「行縢の滝」が見えるはずだが、ガスっていて見えず。音のみ聞こえてきた。

【ミツバツツジ】
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 ミツバツツジは、旬は過ぎていた。これも独自の美しさを持つ可憐なツツジである。

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April 05, 2014

寿し おおはた@大阪市北新地

 大阪で寿司を食うなら大阪寿司(いわゆる箱寿司)と思いつつ、大阪寿司は酒の肴になりにくいという印象を私は持っており、いまだに昼食でしか食したことがない。
 というわけで、大阪を訪れたのが夜なので普通に握り寿司の店に行くことにした。
 「寿し おおはた」は、北新地にある寿司店で、勉強熱心な若い店主の頑張りで、近頃人気をあげている店である。とある寿司通氏が、大阪はこの店がいいよと勧めていたこともあり、行ってみることにした。

【白海老】
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 白海老は、通常の昆布〆ではなく、そのままの白海老に海老醤油をかけたもの。このほうが、白海老の旨味がよく味わえるとのことであり、たしかにそんな感じである。

【甘手カレイ】
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 甘手カレイは明石あたりで獲れるマコカレイのことだそうである。
 名前のとおり、ほんのりと淡い甘さを感じさせる。

【赤身】
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 赤身はヅケで。
 握りの形は江戸前の地紙型。
 角が整った、形のよい握りである。

【車海老】
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 車海老は茹でたてのものを使って。
 海老の香りが引き立っている。

【コハダ】
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 コハダは浅めの〆方。
 コハダの素材の魅力がよく分かる。

【ウニイクラ丼】
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 雲丹とイクラは小丼で。豪華感あり。

【穴子】
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 穴子はふんわりと柔らかく煮られ、握りもそれにあわせて柔らかめ。
 口に入れるととろける食感である。

【玉子】
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 厚焼き玉子は、中はレア気味になっていて、食感がとても面白い。
 江戸前の厚焼き玉子とは一風変わっている。


 いずれの鮨もネタに工夫が凝らされ、純粋の江戸前とは少々異なる、店主独自の鮨となっていた。
 そしてこの店の鮨は、とくにシャリに特徴があった。
 砂糖を使わず、ブレンドした赤酢を用いて、酢の旨みを強調している。シャリは固めのものをやや暖かめの温度で使っているので、酢の旨みもあいまって、シャリだけでも酒の肴になりそうな個性がある。それに工夫をこらしたネタが組み合わさるので、より魅力が高まっている。

 季節ごとに通いたくなる、大阪の寿司の良店であった。

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April 04, 2014

京都の夜桜:清水寺

 3月下旬は宮崎で満開の桜を満喫。
 翌週の週末は桜を追いかけて、というわけではないのだが、京都へと行った。
 その時期、京都はドンピシャのタイミングで桜が満開であったけれど、京都は観光ではなく出張で訪れたため、午前午後は仕事していたので、陽の下の桜はあまり見ることが出来ず残念。まあ、こういうこともあります。

 それでも夜桜は観ることができ、そして京都は桜の美しさの演出に、じつに長けた力を持っていることに改めて感心した。

 京都の夜桜は、嵐山、高台寺、清水寺、等々いろいろと名所があるのだが、夕食後に夜桜見物に行ける所は清水寺しかなかったので、清水寺を鑑賞。

【清水寺山門】
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 三年坂を登りつめると、朱色の鮮やかな清水寺山門。
 その後ろには、観音さまの慈悲の心を表すとされる、青いレーザー光が一条夜空に放たれている。

【庭園】
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 庭園は、たくさんの照明によりライトアップされている。
 光の色も様々であり、照らされるものも桜のみならず、竹や、他の樹々も照らされ、それらは妖しいまでに美しく輝く。

【三重の塔】
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 種々の色に林は輝き、闇はかえって深くなる。
 その闇の奥に、三重の塔がくっきりと姿を現している。

【清水寺本堂】
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 京都の観光の大スター、国宝の清水寺本堂。
 昼間は巨大な柱に支えられ空中にせり出している姿が印象的な大舞台は、夜にはライトアップされた桜の花々に浮かぶ、空中庭園のようにも見える。
 背後に街明りを灯す京都市を置き、夜空には鋭くレーザービームが走る。
 なんとも幻想的な風景である。

【境内の池】
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 ライトアップされた桜の樹々は、鏡のような池にも姿を映し、美しさ二重に高めている。
 静謐で、かつ夢幻的な風景である。

 世に桜の名所は多い。
 そして京都の名所よりも、桜をたくさん植えているところもいくらでもあるけれど、背景となる建物や庭園と合わせての風景の造り方、あるいは見せ方に関しては、京都の桜はやはり抜きんでている。
 春の桜の時期、京都の桜を求めて、全国から多くの観光客が訪れるのもむべなるかな、である。

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和食:祇園にしかわ@京都市

 高台寺の近くにある和食店「祇園にしかわ」は、京都駅からの公共交通機関の使い方が難しい。
 とりあえずは東山駅を使い、京都有数の観光名所東山界隈を通りぬけて店へと行くことにした。

【円山公園 祇園枝垂桜】
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 京都の枝垂桜のスーパースター「祇園枝垂桜」。
 花の時期は常に観光客で一杯である。
 この桜の真価は、ライトアップされた夜桜の姿にあり、一度みればその幽玄さに心を奪われること必定という、異様なまでの美しさをもつ。
 今回は、残念ながら夕暮れの姿のみでパス。

【祇園にしかわ】
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 「祇園にしかわ」は、京都らしい打ち水をされた路地の奥にある。
宿であれ、料理店であれ、この小路をくぐれば、楽しいことを経験できる、そういう期待感がもりあがる、古都ならではの演出。

【造り】
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 料理はたくさん出てきて、そのなかで特に印象的なものを写真で紹介。
 造りは、唐墨をまぶした鯛、ポン酢とのれそれ、鮑と赤貝を煮切りで、ショウガ醤油と鮪トロ、車海老、帆立等々、いずれも適度に味付けをなされた海の幸が並ぶ。
 この海の幸の美しさもよいが、それぞれ個性的な器もまた素晴らしい。

【八寸】
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 八寸は、モロコと鰯の焼きもの、白海老の掻き揚げ、鯖寿司、筍の木の芽和え等、旬の素材が並ぶ。
 見た目にも美しく、八寸全体で、この店ならでは春の演出をしている。

【椀物】
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 椀物は甘鯛と青豌豆豆腐。
 出汁は京風に、澄みきったもの。

【焼き物】
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 サヨリに雲丹を塗ってねじり焼きにしたものと、鯛の味噌焼きと木の芽。それに空豆。
 豊かな味に、鮮やかな色で、個性の強い料理。

【焼き物】
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 焼物もう一つは、ホタルイカとコノコの石釜焼き。
 ホタルイカもコノコも濃厚な味の食材であるが、これは典型的な足し算の料理で、互いの魅力をうまく引き立てあっている。

【蒸し物】
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 蒸し物は、塩釜蒸し。
 ずいぶんと手間のかかる料理なのであるが、中はいたってシンプルな筍とワカメの蒸し物。シンプルだけあって、純粋な香りと、旨みの凝集した味を楽しむことができる。

【御飯】
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 〆は鯛茶漬け。
 御飯もお茶も鯛もすべてよし。


 「祇園にしかわ」の料理は、全体的に華やかで優美で、いわゆる分かりやすい京都料理だと思う。気合いを入れて、「ご馳走を食うぞ」と勇んで来たりしたとき、その期待に存分に応える料理で、満足感が高い。
 私は近頃京都市内の料理店は、「緒方」と「桜田」を使っていたけど、あの手の京料理は繊細かつ尖鋭的すぎて、時に禅問答のような料理にも感じられ、それでかえって今回の「祇園にしむら」の料理は新鮮に感じられた。


 …しかしながら京都の和食店でよく思うのだが、こういう中規模の店はどこでも、造り、椀物、焼物、揚物等々、それぞれに担当スタッフ+チームがいて、コース料理をつくっている。つまり相当の腕を持つ人達が多数集まらないとできない料理なわけであり、それにはかなりの人件費がかかるはずだが、ならばどうやってこの値段で料理が出せるのであろう? 素材と人件費を考えると、ありえない値段なんだが。
 京都の和食は美味さとともに、そのコストパフォーマンスの良さも有名であるけど、コストパフォーマンスの良さの理由を推理するに、それは人件費をよほど……、いやこういう考察はやめておこう。


 ところで、今回の食事ではカウンターの隣はオーストラリア出身の青年であった。シドニーの大学で日本美術史を学び、卒業したので就職前にバイトをしながら日本を旅しているそうだ。日本の食事にもおおいに興味があり、今日は昼は滋賀の「徳山鮓」で熊鍋を食い、夕食は京都市の割烹に来たという、日本人でもそうはいない、というか滅多にいないレベルの食通である。
 当然日本語も上手であり、料理のこともよく知っていたが、知らない素材についていろいろと質問があった。その一つに「のれそれ」があり、「穴子の仔魚」と言っても分からんだろうなと思い、「レプトケファルス オブ コンガー」と言ったら、よけい分からないようであった。ともかく「穴子のベリーヤングなやつ」と説明し、なんとか通じた気配だったが、今思うに普通に「穴子のベイビーフィッシュ」くらいに説明すればよかったな、と少し反省。
 これだけ日本の食を楽しんでいるのだから、さぞかしオーストラリアでも食の情報を知っているのだろうなと思い、オーストラリアのお勧めの店などを尋ねたけど、自国の料理については辛辣な意見だったのは、…まあ意外でもないか。
 食事を終え、会話が終わったのちは、互いにgood-byeで、私には「ユニークな外人さんと京都で会った」という記憶のみ残るところだが、今はFacebookというものがあるので、そこはかとはなしにまだつながりがあるのが、現代文明の面白さでもある。

【八坂の塔】
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 食事を終えたのちは、まだ寺院のライトアップの時間に間にあう。それで、清水寺へと行くことにした。
 二年坂へ向かうその途中、八坂の五重の塔がライトアップされている。塔の手前には、桜が一本、花々が照らされている。
 この時期、京都はどこを歩いても、夢幻的な風景を楽しむことができる。

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