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March 16, 2014

映画:ラッシュ

Rush

 1970年代、モータースポーツの最高峰F1界には二人の天才がいた。
 一人は野生児のごとく本能の命ずるがまま自在な走りをするジェームズ・ハント。もう一人はコンピューター並みの論理的な走りをする冷静な男、ニキ・ラウダ。
 ハントは、生まれながらにして全てのものを持っている、稀に現れるタイプの人間である。彼はそこにいるだけで人を惹きつけ、彼に魅せられた富豪は何の代償もなしに、彼に多額の財産をつぎ込みF1チームを立ち上げる。もちろん女性にはもて放題で、何百人、何千人もの女性と付き合ったのち、スーパーモデルを妻にした。
 これに対してラウダは、その暗い性格もあり、人とのつきあいは苦手で他人とうまくコミュニケーションを取ることができない。F1に参戦するときも、自分で資金を調達してセカンドドライバーとしてチームに入った。しかしラウダは自分でマシンをセッティングすることでマシンの性能を向上させ、かつ誰をも納得させる論理的な走行で自分の実力を認めさ、頭角を現していく。

 この二人の全く対照的な人物は、走りの速さでは互角であり、1976年激しい優勝争いをする。
 シーズン前半はマシンの優秀さもありラウダが有利であったのだが、最も危険なコースのドイツグランプリでラウダは事故を起こし、生死の縁を彷徨う重傷を負う。彼が闘病しているあいだ、ハントはマシンの調子が上がってきたこともあり、ポイントを重ねてラウダを追い越す勢いを見せて来た。
 病床のラウダはそれに闘志を燃やし1ヶ月半でレースに復帰し、観衆を熱狂させる。二人は組んず解れずの死闘を繰り広げ、そして優勝の行方は最終戦の日本グランプリに持ちこまれた。


 この映画は事実そのものなのでありドキュメント手法で造られているのだが、二人の全く正反対のタイプの天才の激闘、天才ドライバーの奇跡の復活劇、最終戦での凄絶な走り等々話が、あまりに出来過ぎており、これが事実と知らずに見たら、ベタな脚本だなあと思ってしまうほど。

 とにかくそういうあまりに出来すぎた流れのため、最終戦のクライマックスへの盛り上がりは素晴らしく、激しい雨のなかのハントの命知らずの爆走は感動的である。

 そして思うのだが、映画の再現劇でも感動ものなので、実物をリアルタイムで見ていたらもっと素晴らしい経験ができたであろう。
 この伝説的な富士グランプリが行われたのは1976年の11月なので、それなら私も生中継を観ていておかしくはなかったはずだが、当時の私はモータースポーツには興味はなく(さすがにニキ・ラウダは知っていたけど)、そんなものが行われていたことさえ知らなかった。あのころスーパーカーブームだったので、モータースポーツに興味を持っていてもよかろうものだが、…もったいないことをした。


 映画はそのクライマックスのあとエピソードに移って行くが、そこでレースを人生のうちの一部と割り切っていた多才な天才ハントと、求道者のごとくレースを突きつめて行く天才ラウダの姿が示され、彼らが対照的な天才であることが、改めて認識させられる。まったく最初から最後までこの二人は、正反対の存在であった。


 …………………………………
 ラッシュ/プライドと友情 公式サイト

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