読書:皇帝フリードリッヒ二世の生涯 (著)塩野七生
12月中旬に上下二巻の「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」が発刊されたので、年末はこの大著をじっくり読んで過ごそうと計画していたのだが、読み始めるや、一気に最後まで読んでしまった。
それは本書の主人公、フリードリッヒ二世が、あまりに多くのことを、あまりに速く、立ち止まることもせずに次々に続けていく、その疾走ぶりに、読み手のほうもついついつられてしまい、頁をめくる手が止まらなくなってしまったからであった。
本書の主人公である神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世の生きた時代は、13世紀のヨーロッパ中世である。中世はキリスト教が災いして、全てが因習にとらわれ、停滞し、沈滞した時代であった。
あの時代、なぜヨーロッパがキリスト教を必要したかというと、治安が悪化し、経済が疲弊した社会では、人々の精神の支えとなるものが宗教しかなく、そしてその宗教が制度としてシステム化されたものがキリスト教しかなかったからである。
ヨーロッパ全土がキリスト教が関与して動くなか、フリードリッヒ二世のみは一神教の弊害を知りぬいていた。
無謬が原則のキリスト教は、誤りを絶対に認めず、その結果社会は進歩を止め、さらには誤った行為はいつまでも続くことになる。
当時のローマ教会の最も誤った施策とは、イスラム世界との全面戦争、十字軍だったわけだが、フリードリッヒ二世は第六次十字軍の指揮をとっている。そのとき彼は、ローマ教会の誤った干渉をいかに避けるかに力を注ぎ、そして彼の努力により、第六次十字軍は、キリスト教徒、さらにはイスラム教徒の無駄な血をそれこそ一滴も流さずに、十字軍の目的―エルサレム奪還を遂げることができた。
もっともフリードリッヒ二世は、十字軍で成功を遂げても、「聖地は信者の血を捧げることによって取り戻されるべき」と主張するローマ法王によって破門される。
ほとんど狂信者の所業であり、このような宗教が世を統べていた時代なのであった。
フリードリッヒ二世は宗教に対抗するためには、宗教と独立した政治機能を樹立する必要があると考えた。彼はそのために法律を造り、法を運用できる人材を育てることに尽力する。そのために、高度教育機関を設営し、教育を受けた者を増やしていった。また能力あるものは、身分、人種を問わずに採用し、フリードリッヒ二世が当主の南イタリアは人種のるつぼのようになった。
フリードリッヒ二世のやろうとしたことは、「近代的法治国家をあの時代に作りだす」ということであり、無から有を造りだすようなものであったため、たいへんな苦労と労力がいり、彼は生涯ずっと誰よりも激しく働き続けていたわけだが、その努力の結果、南イタリアでその法治国家をほとんどつくり上げることに成功した。
フリードリッヒ二世は、近代という扉に手をかけ、一度はほとんど扉を開いたのである。
もっとも、近代国家は、彼により設計図が書かれ、基礎工事まで出来たのに、後継者たちの早世などもあり、20年ほどで失われてしまった。開きかけた近代の扉は、いったん閉じてしまったのである。
ヨーロッパで本格的な近代国家が生まれ、近代の扉が真に開くにはあと200年後になった。
フリードリッヒ二世はあまりにも先見の目があり過ぎたのか、それとも運が悪かったのか、とにかくあの時代の早すぎた先駆者として、その一生を終えたことになる。
彼はある意味失敗者であったとは言える。
しかし、本書を読んだとき、彼の時代を見る目の正しさ、そしてなにをしていけばいいを見通す能力の高さには感嘆するしかなく、さらに、56年の生涯を通して、疾走するがごとく仕事をやり遂げて行く姿には感銘してしまう。
著者が述べるように、自分の人生を生ききった人間には、勝ちや負けなどないのであろう。
本書は、「自分の天命を知ったのち、一生をかけて懸命にそれをやり遂げた人物の物語」である。それを読み終えたとき、私は静かな感動を覚えた。
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