« 忘年会サイクリング@田中サイクル | Main | コミック:月夢 (著:星野之宣) »

December 05, 2013

映画:かぐや姫の物語

Kaguya

 日本最古の物語であり、あまりにもポピュラーな物語である竹取物語を、高畑監督独自の視点から再解釈した映画。
 原作の竹取物語は、物語全般を通じては、絶世の美女かぐや姫が騒動ばかりを起こして、皆を不幸にしたあげく、さっさと去っていってしまうという、無責任なトラブルメーカーの物語であると言えなくもない。
 それに対して、この映画でのかぐや姫は、原作通り人々を不幸にしてしまうのであるが、それには理由があったという解釈がなされている。

 予告編で語られているように、かぐや姫は罪人であった。
 姫は罪を犯したため、天界(=月)から地球に落とされた。かぐや姫は地球では罰を受けるのであるが、その罰とは幸せを感じる場所から姫を引き離し、さらには他人を傷つけることにより優しい姫の心をさらに傷つけ、また他人の心の醜さをダイレクトに姫に見せつけ絶望させる。そういった陰湿な苛めのようなものであった。

 罪人である姫の待遇は、刑務所よりもひどく、天界の目である月は常に姫を監視しており、姫が自分の幸せを願って懸命の行動を起こすたび、月は、空間軸と時間軸を捻じ曲げて、姫を苦悩の場所にすぐに連れ戻す。映画で二度繰り返されるこの場面での、姫を冷ややかに見つめる、画面の大半を占める巨大な月の無慈悲な輝きっぷりは、不気味な映像美を感じさせた。

 こういう暗欝なストーリーが2時間を越えて流されるのであるが、この映画を支える絵の技術が、これがとんでもなく素晴らしい。
 一コマとして無駄なコマはなく、あらゆる日本絵画、…大和絵、花鳥図、戯画、南画、山水画、琳派の画、等々のテクニックを用いて、それが自然に動くアニメーションに昇華されている。
 大げさでなく、日本絵画の歴史の集大成ともいってよい出来であり、この動く画を見るだけでも、かぐや姫の物語を観る価値はある。

 さて、映画は日本人なら誰でも知っているラストシーンを迎えるわけであるが、このシーンがまた、独創的と言うか、意外というか、なんというか、最初は驚くつくりとなっている。
 かぐや姫を迎える天上の者たちは、べつだん神々しくもなく、へんに平板な佇まいであり、楽士の奏でる天上の音楽も、やたらに陽気で安っぽい。
 しかし、シーンが進むうち、たしかに安楽な日々が永劫に続く天界に住むような者は、ああいった薄っぺらい、非情で没個性的な存在であろうなと納得するし、さらにはあの音楽も、単調な同じメロディが繰り返されるうち、こういう聞く者の解釈を無視するような音楽こそ天上の音楽なんだろうなと、説得力も感じてしまう。
 これは、映画史に残る名場面だろう、そう私は結論づけた。

 「かぐや姫の物語」は、近年のジブリの映画のなかでは筋は難解ではなく、分かりやすくつくっている映画だとは思う。しかしなにしろ画に込められた情報量が多大であり、観れば観るほどいろいろなものが分かってくる映画だと思う。
 私としては、かぐや姫が可哀相すぎるので、また観る気も起きてこないのだが、…あの画はやっぱりまだまだ観たいなあ。


 ……………………………………

 かぐや姫の物語 公式サイト

【予告編】

|

« 忘年会サイクリング@田中サイクル | Main | コミック:月夢 (著:星野之宣) »

映画」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 映画:かぐや姫の物語:

« 忘年会サイクリング@田中サイクル | Main | コミック:月夢 (著:星野之宣) »