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October 30, 2013

邪馬台国は何処にあったのか? 統計学的手法で考察した記事の紹介。

【鉄の鏃(やじり)】
Fer

 日本古代史最大のミステリ、「邪馬台国は何処にあったのか?」については古来より様々な論議がなされている。
 考古学的には、
 (1) 卑弥呼の墓が見つかる
 (2) 紀元3世紀に30万人もの人が住んでいた大規模な遺跡が見つかる
 のいずれかの発見が為されれば、それでミステリの解答は得られ、邪馬台国の位置は決定ということになるだけど、いまだそのようなものは見つからず、今後ともそのようなものが出て来る可能性は非常に低い。
 それゆえ、邪馬台国の位置については、元々のテキスト魏志倭人伝を詳しく研究することが肝要で、それに日本の古代史文献、考古学資料を絡めて検討していき、精度を増していくしかない。

 その邪馬台国ミステリについて、今月号の文芸春秋に「邪馬台国を統計で突き止めた (著)安本美典」という面白い論文が載っていたので、紹介。

 日本は考古学調査がしっかりした国であり、なにかの工事が行われ遺跡が見つかるたび、調査が行われ、詳細な報告書が作成される。それらは多大な量であり、この国には膨大な資料が蓄積されている。
 邪馬台国本体自体は見つかっていないものの、これらの資料を用いれば、どのへんにあったかは類推できる。それで、著者は近年の膨大な考古学的資料に統計学的な検討を加え、邪馬台国の位置を高い精度で導き出した。

 その手法はこうである。
 著者は「魏志倭人伝」の著述から、そこに登場しているもので、現在でも発掘されたものに注目した。それは「鏡」「鉄の鏃(やじり)」「勾玉」「絹」の4つである。これらのものが卑弥呼の時代(紀元3世紀前半)に、どの県でどれくらいの数が出土したかを調べ、ベイズ統計学という手法を用い、比較検討したのである。
 それによれば、邪馬台国があった確率は各県ごとに、福岡99.9%、佐賀0.1%、その他の県0%という結果であった。九州説とならび、支持者の多い畿内は、奈良を始めすべて0%であったのである。これではあんまりなので、範囲を広げ九州VS畿内としたが、それでも九州99.7%、畿内0.3%という結果となった。

 著者の安本氏は邪馬台国九州説の本家みたいな人なので、この結論には何らかのバイアスがかかっている可能性もあるのだが、論文中の統計学者のコメントによれば、「統計学者が純粋に出土品の各県別データを見る限り、邪馬台国は福岡以外にはありえない」とのことである。
 まあ、たしかに出土品の数が圧倒的に違うのだから、それはそうであろう。

 著者の説の説得力は非常に強く、この論文は邪馬台国のだいたいの位置の決定版とも言っていいのではと思われる。そして紀元3世紀という、古代日本における渡洋の技術がまだ未熟な時代、大陸の魏に幾度も使いを送る意志を持った国が、玄界灘に面する福岡あたり以外にあったとは考えにくく、著者の「邪馬台国=福岡」説は普通に考えても順当なものなのであろう。

 ただし、それでは当たり前すぎて面白くない。
 私は魏志倭人伝における風俗形態と、その時代の大規模な遺跡の存在から、「邪馬台国=宮崎県西都」と考えている。それは統計学には無理があっても、考古学は現場主義なので、一つの発見で全てがひっくり返る可能性は常にある。
 宮崎であれ、奈良であれ、そこに「親魏倭王」の金印が入った卑弥呼の墓が見つかれば、一発逆転でそこが邪馬台国に決定である。
 現場で見つかったものが全てである考古学にはそういうロマンがある。
 もっとも、「そのようなことは統計学的にあり得ません、もし卑弥呼の墓が見つかるならそれは絶対に福岡です。それが統計学というものです」というのが、この論文の一番のキモなんではあろうけど。


【Résumé(まとめ)】
 Selon “Gishiwajinndenn” qui est le livre d’histoire de la Chine , Il y avait un grand pay appelé Yamataikoku au Japon en le troisième siècle.
 Ancienne nation que la Reine Himiko a contrôlé semble avoir été à l'origine de Yamato Cour du Japon.
 Pour cette raison, les recherches sur où avait Yamataikoku existé s’est fait jusqu'à présent beaucoup.
 Dans le présent document le auteursa fait conclusion que Yamatikoku avait exsisté à Kyusyu. Sa discussion est très précis, je dois consentir à ce. Mais je pense que Yamataikoku est existé à Siato de Myazaki préfecture par autore raison.
 Il est posible que le avis du auteur est correct. Mais l'archéologie est l'étude de se concentrer sur la réalité. Alors par exemple, La tombe de Reine Himikose s’est trouvé, ce terrain sera confirmé comme Yamataikoku.
 Par ce papier, le possibilité sont plus faibles, Je éspere enocore que Yamataiokku a été à Miyazaki.

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Comments

先月の高千穂はあいにくの雨の中お疲れさまでした!邪馬台の論文、安本氏はモンゴル語と日本語が同一祖語であるとの説を唱えた人ですよね?
西都が邪馬台国ならかなり斬新な説ですね。
梅原猛氏を彷彿させます・・

Posted by: ポンキャット | November 11, 2013 09:53 PM

99%博多だって!?

なんたるちゃ(`ロ´;) バイアスかかりすぎっ!

日の出る国という表現は大平洋側=東海岸に都があったからこそ、です。

( ̄▽ ̄;)あっ あれは 隋 の時代のお手紙だったっけ???

Posted by: 天ちゃん | November 12, 2013 01:35 PM

>pomcatさん。
高千穂、寒くて、きつくて辛かったっす。でも、あっという間にETOランドの時期になりましたねえ。
安本氏は日本語は南方から来たとの説を唱えている方なので、たぶん違うのでは。この人はだいぶ前から邪馬台国=北部九州説を主張していた人であり、今回のはたぶんその集大成に近いものと思います。
でも西都=邪馬台国の説もけっこうメジャーなんですよ。邪馬台国の時代、九州では古墳の数は圧倒的に西都が多く、その次は大分の宇佐です。だから、邪馬台国=西都 or 宇佐なんてのはそれなりに説得力ある説なのです。ただし、その地に高い文明があった痕跡がないのが弱点です。

>天ちゃん
誰がみてもバイアスかけまくりと思うのでしょうけど、それがそうでないのが、この論文のユニークなところで、徹底的に客観的に考古学的統計学的に考証していました。
なにしろ、紀元3世紀、日本最先端の文明があったのが福岡しかないというのは、それによると明らかなわけでして。
でも、それでも宮崎西都に、いきなり高度な文明を示す出土品が出てくることを期待しております。なぜなら、西都古墳群における本格的な調査は、いまだ中途でありますから。

Posted by: 湯平 | November 12, 2013 09:16 PM

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