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October 2013の記事

October 31, 2013

六覺燈@大阪市

 大阪といえば、粉モノ、串カツといったところが名物である。
 夕食時には一杯飲みたい私なので、粉モノは控えて、串カツを食ってみることにする。
 串カツは、「ソース二度ツケ禁止」のコテコテのやつもいいけど、あれは油に弱くなった中年族には少々きついので、胃にやさしい系統の串カツが食べられる「六覺燈」に行ってみることにした。

【六覺燈】
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 六覺燈は大阪の台所黒門市場のなか、ダイソーの100円ショップの二階にある。いかにも場末チックな雰囲気が漂うところなのだが、二階に上がりドアを開けると、店内は高級感ただよう造りとなっており、そのミスマッチングが面白い。

【串カツ各種】
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 六覺燈の串カツは創作系に属するものであり、主に黒門市場で仕入れた鮮度の良い食材を、それぞれ工夫をこらした調理を加え、それを揚げている。ソースも一種類だけでなく、串カツに最も合うソースを選ぶようになっている。串カツの向きがそれぞれ微妙に違っているのは、この向きの方向にあるソースで食べてほしいとのことなのである。

【ワイン】
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 六覺燈は相当前から串カツにワインを合わせるということをやっていて、それ専門のソムリエもいるという、ワインに相当力を入れている店でもある。
 串カツ各種にあわせバイザグラスでもよいし、フルボトルを開けてもよい。
 ワインそれに串カツの知識豊富なソムリエがしっかりと選んでくれます。


 六覺燈の串カツは、素材の味を重視し、それを良質な油でやわらかくあっさりと揚げるものであり、いわゆる「大阪の串カツ」とは少々路線が違うが、やはりこういうのは私の好みである。
 そういうやさしめの味のため、串カツはすらすらと食べられ、コース20本というかなりの量もまったく胃にもたれることはなかった。
 
 料理もよかったが、この店は調理人の人たちの接客もよく、あたたかな雰囲気のなか食事が進んでいく。
 そして、この店のマダムは熊本天草出身の人で、私もしばらくそこに住んでいたことがあったので、以前来たときは天草を話題に会話がもりあがったものだが、本日はマダムは留守であった。それが少々残念ではあったが、楽しく食べて、飲んでの、満足な大阪の夜であった。


【Résumé(まとめ)】
 Dans la cuisine d’Osaka, Kushikatu est célèbre
 C'est ce qui est frit par une huile avec une viande ou brochette de poisson et de légumes.
 “Rokkakutei ” est le restaurant qui est dit de offrir Kushikatu le plus delicieux dans Osaka ville.
 A ce restaurant, Kushikatu est delicieux sùrement, et vin bu avec ça est trés excellent aussi.
 Kushikatu est la cuisine que va bien avev vin rouge.
 Manger Kushikatu et boire vin, nous avons toujours satisfaits en ce restaurant.

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USJ@ハロウィン

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 大阪USJに行ってみた。
 休日は激コミであろうから平日を選んで訪れたが、駅を出た頃からどうも様子が変である。周囲の若い人たちの多くがコスプレなのだ。USJという所はそういう慣習があるのだろうかとも思ったのだが、そのコスプレが魔女、囚人、お化け・・・と通常のコスプレとは異なるものが多く、そうか今日はハロウィンなんだと気付いた次第。
 このコスプレは、手の込んだものも結構あり、眺めていて楽しく、行列の待ち時間などこれらを眺めていて時間を過ごせたのは幸運であった。

 さて、とにかく園内の有名アトラクションを回ってみよう。

【BTF】
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 BTFはデロリアンに乗っての追いかけ劇。
 空飛ぶデロリアンがヒルバレーから異次元的世界を駆け巡り、この飛翔感は素晴らしい。ただし、そうとう振り回されるので、三半規管にはこたえる。

【ジュラシックパーク】
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 ロストワールドで恐竜と出会いながら、ボートでの遊覧。
 最後はお約束の脱出劇で、高所より全速で川へのダイブ。

【ジョーズ】
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 ジョーズは巨大鮫の暴れまわる海をボートで探索。
 鮫の襲来とともに燃料貯蔵庫も爆発したりして、けっこうな迫力。

【T2】
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 T2は赤いスーツを着た高ピーなお姉さんの案内で始まる。毒舌で客いじりをするスタイルはいかにも関西風。
 3Dと現実の大型バイクを使っての、緊迫感あふれるショーであった。

【ウォーターワールド】
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 映画自体は駄作であったウォーターワールドであるが、ショーはなかなか面白い。
 火だるま、10mの落下などものともせぬ、役者の身体を張った演技がよろしい。

 アトラクションは、このほか「シュレック」を見て、4Dスタイルの映画のリアルさを実感。

【ホラーナイト】
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 この期間限定で行われる「ホラーナイト」が日が暮れてから行われた。
 ゾンビがぞろぞろ出て来るという説明だったので、ゾンビの群れがスリラーダンスを踊るようなものを想像していたけど、照明を落とした園内で、ゾンビが個別に出現し、客を驚かせるというものであった。
 どうせだったら、普通のパレードのほうが好きだなあ。

【I’ll be back !】
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 USJで個人的に最もツボにはまったのは、入り口近くのゲストサービスにあったシュワルツネッガー直筆の「I’ll be back !」の額。
 これ見て、よしまた来ようと思った人も多いのでは。

【ユニグローブ】
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 USJの象徴ユニグローブは夜はこのようにライトアップ。かっこいい。

【大阪夜景】
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 USJのライトアップも良かったが、大阪梅田の街もずいぶんと近代化されており、夜景が美しかった。

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October 30, 2013

邪馬台国は何処にあったのか? 統計学的手法で考察した記事の紹介。

【鉄の鏃(やじり)】
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 日本古代史最大のミステリ、「邪馬台国は何処にあったのか?」については古来より様々な論議がなされている。
 考古学的には、
 (1) 卑弥呼の墓が見つかる
 (2) 紀元3世紀に30万人もの人が住んでいた大規模な遺跡が見つかる
 のいずれかの発見が為されれば、それでミステリの解答は得られ、邪馬台国の位置は決定ということになるだけど、いまだそのようなものは見つからず、今後ともそのようなものが出て来る可能性は非常に低い。
 それゆえ、邪馬台国の位置については、元々のテキスト魏志倭人伝を詳しく研究することが肝要で、それに日本の古代史文献、考古学資料を絡めて検討していき、精度を増していくしかない。

 その邪馬台国ミステリについて、今月号の文芸春秋に「邪馬台国を統計で突き止めた (著)安本美典」という面白い論文が載っていたので、紹介。

 日本は考古学調査がしっかりした国であり、なにかの工事が行われ遺跡が見つかるたび、調査が行われ、詳細な報告書が作成される。それらは多大な量であり、この国には膨大な資料が蓄積されている。
 邪馬台国本体自体は見つかっていないものの、これらの資料を用いれば、どのへんにあったかは類推できる。それで、著者は近年の膨大な考古学的資料に統計学的な検討を加え、邪馬台国の位置を高い精度で導き出した。

 その手法はこうである。
 著者は「魏志倭人伝」の著述から、そこに登場しているもので、現在でも発掘されたものに注目した。それは「鏡」「鉄の鏃(やじり)」「勾玉」「絹」の4つである。これらのものが卑弥呼の時代(紀元3世紀前半)に、どの県でどれくらいの数が出土したかを調べ、ベイズ統計学という手法を用い、比較検討したのである。
 それによれば、邪馬台国があった確率は各県ごとに、福岡99.9%、佐賀0.1%、その他の県0%という結果であった。九州説とならび、支持者の多い畿内は、奈良を始めすべて0%であったのである。これではあんまりなので、範囲を広げ九州VS畿内としたが、それでも九州99.7%、畿内0.3%という結果となった。

 著者の安本氏は邪馬台国九州説の本家みたいな人なので、この結論には何らかのバイアスがかかっている可能性もあるのだが、論文中の統計学者のコメントによれば、「統計学者が純粋に出土品の各県別データを見る限り、邪馬台国は福岡以外にはありえない」とのことである。
 まあ、たしかに出土品の数が圧倒的に違うのだから、それはそうであろう。

 著者の説の説得力は非常に強く、この論文は邪馬台国のだいたいの位置の決定版とも言っていいのではと思われる。そして紀元3世紀という、古代日本における渡洋の技術がまだ未熟な時代、大陸の魏に幾度も使いを送る意志を持った国が、玄界灘に面する福岡あたり以外にあったとは考えにくく、著者の「邪馬台国=福岡」説は普通に考えても順当なものなのであろう。

 ただし、それでは当たり前すぎて面白くない。
 私は魏志倭人伝における風俗形態と、その時代の大規模な遺跡の存在から、「邪馬台国=宮崎県西都」と考えている。それは統計学には無理があっても、考古学は現場主義なので、一つの発見で全てがひっくり返る可能性は常にある。
 宮崎であれ、奈良であれ、そこに「親魏倭王」の金印が入った卑弥呼の墓が見つかれば、一発逆転でそこが邪馬台国に決定である。
 現場で見つかったものが全てである考古学にはそういうロマンがある。
 もっとも、「そのようなことは統計学的にあり得ません、もし卑弥呼の墓が見つかるならそれは絶対に福岡です。それが統計学というものです」というのが、この論文の一番のキモなんではあろうけど。


【Résumé(まとめ)】
 Selon “Gishiwajinndenn” qui est le livre d’histoire de la Chine , Il y avait un grand pay appelé Yamataikoku au Japon en le troisième siècle.
 Ancienne nation que la Reine Himiko a contrôlé semble avoir été à l'origine de Yamato Cour du Japon.
 Pour cette raison, les recherches sur où avait Yamataikoku existé s’est fait jusqu'à présent beaucoup.
 Dans le présent document le auteursa fait conclusion que Yamatikoku avait exsisté à Kyusyu. Sa discussion est très précis, je dois consentir à ce. Mais je pense que Yamataikoku est existé à Siato de Myazaki préfecture par autore raison.
 Il est posible que le avis du auteur est correct. Mais l'archéologie est l'étude de se concentrer sur la réalité. Alors par exemple, La tombe de Reine Himikose s’est trouvé, ce terrain sera confirmé comme Yamataikoku.
 Par ce papier, le possibilité sont plus faibles, Je éspere enocore que Yamataiokku a été à Miyazaki.

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October 27, 2013

ETOランド@延岡市北方町

 11月17日にETOランドヒルクライム大会が行われる。
 人工芝スキー場、ゴーカート、バンガロー、大浴場等が設備され、県北の観光地の目玉となるべく期待されたETOランドであるが、不便な地がわざわいしたのか、あるいは元々のコンセプトに問題があったのか、来園者は右肩下がりであり、近年は寂れる一方である。
 それに活を入れるべき新たな魅力として、北方町の関係者がETOランドへの長い登り道を利用して、ヒルクライム大会を開くことにした。ヒルクライムレースって、まずは交通規制しないといけないので、手続が大変なのであるが、既に交通規制は広報された。さらにETOランド自体が知名度が低く、この大会は集客力に問題あるので、実績ある自転車プロをよんで、集客力を高めようとしている。かなり気合の入ったイベントである。

 県北の自転車乗りとしては、延岡市初の記念すべきサイクリングイベントにはやはり参加しないといけないだろう。
 …ただし、ヒルクライムって結構特殊な分野のスポーツなのであって、それなりの力がないとやってて楽しくない、というのが難である。
 坂さえ登れればいいやという安易な考えで参加すると、日頃から鍛えている人に横をすいすい抜かれ、甚だみっともない思いをするということを、先日私は高千穂ヒルクライムで知った。

 というわけで、ETOランド大会前に少々のトレーニングをしたいのだが、あいにく11月の週末はだいたい予定がつまっており、トレーニングする余裕がない。
 どうやら使えるのは10月末の週末だけみたいだ。

 今はちょうど九州の山々の紅葉のピークであり、そちらのほうがたいへん気にはなるけれど、今年ばかりは目をつむることにしよう。
 まあ、それにETOランドだって山のなかにあるんだから、紅葉くらいはあるであろう。

 まずは土曜日に愛宕山、2.6kmで高さ220mを4本、全力でヒルクライム。心拍数を高めて登るのが目的である。3本目からはさすがに飽きたが、それでも筋肉が悲鳴をあげるまでペダルを回した。
 翌日は筋肉痛が残るなか、ETOランドへ。7月に登ったときは暑さで疲れ切ったが、この日は肌寒いほどの気温で、ヒルクライムにはもってこいであった。ETOランドは8.8kmで高さ750m。今回は心拍数を高めで一定に保つことを目標にし、なんとかそういうペースでゴール。

【ETOランド】
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 ETOランドでは、いつもの風景を写真に。
 空は見事に澄んだ青空で、ほとんど晩秋から冬にかけての空の色となっていた。
 あれほど暑かった九州の夏はついこの前去り、秋は早足で駆け抜け、そしてすでに冬の気配が漂っている。

 ま、とりあえずETOランド大会前の本場を使っての練習は終了。残り20日間ほどは近場の山を登ったり、そして風邪をひいたりしないよう、健康管理に努めることにしよう。


 …それと結局、ETOランドには紅葉はなかった。


【Résumé(まとめ)】
 Il y a un grand parc sur la montagne appelée des ETO terre au nord de Miyazaki préfecture.
 En utilisant ce, le 17 Novembre la concurrence Hill Climb sera ouvert.
 Je n'ai pas mis une bonne performance de la dernière fois à Takachiho  concurrence, alors Je éspere que je gane la performance un peu de bien qu’elle. Dans ce but, je suis allé à pratiquer en ETO terre.
 La saison devient automne. Le ciel bleu s’est clarifié magnifiquement、la température a été fraîche Dans ce climat, monter de montagne en vélo, c’est trés amusant.
 Je veux essayer les résultats de cet exercice dans la concurrence prochaine.

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October 25, 2013

読書: 島田清次郎 誰にも愛されなかった男 (著)風野春樹

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 大正時代の小説家島田清次郎は、自分を天才と信じきり、傲慢きわまりない態度で生活を送った。彼は周囲との軋轢を積み重ねた結果、全ての人間関係を破壊させ、生活破綻者として社会から追放され、25歳の若さで精神病院に収容されることとなり、その後そこから出ることはなく、31歳で亡くなった。

 ここまで極端でなくとも、高いプライドを持ちながら、そのプライドに値する能力はなにもなく、自分が認められないのは社会のせいと主張し、荒んだ人生を送っている人は、今の時代でもいくらでも居るので、島田清次郎はさほど珍しいタイプの人間ではない。
 ただし、それらのプライドのみ高い凡百の人物たちと島田清次郎が隔絶して違っているのは、彼が20歳のときに書いた小説「地上」が高い評価を受け、大ベストセラーになり、一躍時代の寵児となった実績を持つことである。

 島田清次郎は今では文学史から殆ど忘れ去られた存在であり、かつて大正の文学青年たちがこぞって読んだ「地上」は絶版になって久しく、いわゆる稀覯本的な存在となり、実際に読むのは難しかった。
 ありがたいことに現在はITが発達し、パソコンさえあれば誰でも容易に無料で「地上」を読むことができる。私もkindleを使い「地上」を読んでみたが、全編異様な迫力に満ちた、若々しい青春物語であった。文章力は確かにあり、20歳でこれを書いたなら、たしかに自らを天才を自負してもしかたないとは思える。

 「地上」の成功で、島田清次郎は自尊心を雪だるま式に肥大させていき、自身を大作家と思い込み、周囲の人に対して王侯のように振るまい、隷属を強要する。当然人々は離れて行くのであるが、島田清次郎は自分が正しいと信じ切っているので、周囲との齟齬は増していくばかりだ。
 島田清次郎は当時の文学好きの者にとっては偶像的存在であったので、実物を知らない人には人気がある。しかし、実物を知るとみな幻滅してしまう。
 そして島田清次郎のファンであったけど、実際を知って離れていこうとした令嬢を強引に誘拐監禁した事件を彼は起こしてしまい、結果、社会的人生が断たれ、誰からも相手にされなくなり、精神に異常をきたして、精神病院に収容され、上記のようにその6年後に亡くなった。

 非常に痛い人生である。
 痛ましい、というわけではなく、ただただ痛い人生だ。
 島田清次郎の悲劇は、その最たる原因は彼の生まれ持った性格によるのだろうけど、次は自らを天才と思ってしまったことであろう。島田清次郎が本当に天才であったかどうかは、時代がはっきりと結論つけている。「時代」という審判は残酷なまでに正確であり、本当の天才の作品は必ず世に残るが、彼の「地上」は大いに売れはしたものの、世に残りはしなかった。現在のほとんどのベストセラー作品のように。

 島田清次郎は天才でなかったため、「地上」のあとに続々と書かれた作品はたいしたものではなかった。周囲の者も、それらを低く評価する。しかし島田清次郎は自分を天才と信じているため、自分の作品に問題があるとは思わず、それは周囲の理解力がないためと思い込み、周囲を攻撃し、その攻撃は結局は自分に返り、肥大した自負心に比例して、その反動も大きくなり、やがて彼は破滅する。

 天才でなかったものが、おのれを天才と誤信したための悲劇。その勘違いの元となった成功が大きすぎたため、破滅の規模も大きくなってしまったということだろう。
 繰り返すが、痛い人生だ。


 今では無名に近い人物である島田清次郎の評伝を何故私が読もうかと思ったのは、一つは以前に読んだ「栄光なき天才たち」というコミックの一章にあった島田清次郎の物語がかなりインパクトの強いものだったということと、もう一つは著者が風野春樹氏であったことによる。
 風野春樹氏はネットの黎明期にとても面白い書評感想日記をwebで掲載していた、ネット民にとっては有名人であった。しかしこの頃は氏の書評日記は書かれなくなっていたのだが、今回の発刊にて、久々に氏のまとまった文章が読めるので、それで購入した次第。

 「栄光なき天才たち」では、島田清次郎は、「地上」で一世を風靡し、あとは急転直下に没落した、打ち上げ花火のような人生を送った人物のように書かれていた。
 まあ、じっさいにそうだったのであるが、風野氏はその没落した時代についても詳しく書いている。
島田清次郎は精神病院で廃人になっていたわけではなく、懸命にそこからの浮上を試み、創作を続けていたのである。風野氏はその創作を詳細に検討し、それらは決して精神病者の支離滅裂な戯言ではなく、評価すべきところは多とあると判断している。
 島田清次郎は巷間伝わる、己の傲慢さで破滅した愚人ではなく、人生最後まで己の内なるものを表現しようと苦闘した「努力の人」と肯定的にとらえているのだ。

 この評伝を読む限り、私にとって島田清次郎という人物は、人間的魅力はゼロに等しく、胸糞悪くなる人間の屑であり、彼が見捨てられた理由は非常によく分かる。
 それでも作中には、そんな島田清次郎を、実際に馬鹿にされたり、あるいは小説や雑誌を使って罵倒されたされながらも、彼を助けた人たちが何人もいることが描かれている。それは人間に本来備わっている度量の大きさ、あるいは博愛性というものを示しているのであろうし、島田清次郎があまりに黒く暗いのと対比して、彼らの明るさは、人間のhumanityというものの実在を教えてくれる証しのようにもなっている。
 そして、風野春樹氏の島田清次郎の捉え方も、この性格破綻者に対して決して冷笑的な態度は取らず、島田清次郎の本質を探り、良きものを見出すことをずっと試みている。これもhumanityといってよいものであろう。

 人間には島田清次郎のようなやつもいるが、それでも素晴らしい人間だっていくらでもいる。この本は、島田清次郎という人物を反面教師とした、人間肯定、人間賛歌の書なのかもしれない。


 島田清次郎 誰にも愛されなかった男 (著)風野春樹

【Résumé(まとめ)】
 Ce roman est une biographie de Shimada Kiyojiro qui a existé en réalité.
 Il est un écrivant qui a joué un rôle actif dans Taisho périod, et le livre que j'ai écrit à l'âge de 20 ans est devenu un best-seller, ainsi il est devenu célèbre dès que, c'est l'envie de la littérature de jeunesse.
 Il était convaincu un génie lui-même. Cependant, les livres que j'ai écrit après est plu bas de niveau, et ils n'ont pas été évaluée.
 Mais il pense que le était génie lui-même, il ne pouvait pas comprendre. Car il a continué de se quereller avec l'environnement. Finalement, il ne’est plus contre quelqu'un, il est tombé malade de esprit Il a admis à l'hôpital psychiatrique, et est mort à 31 ans.
 C'est la tragédie de bête homme qui s’est mépris pour le génie lui-même.

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October 23, 2013

映画:ウルヴァリン :SAMURAI

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 予告編を見て、この映画と「47RONIN」が本年度の二大バカ洋画になると確信し、まずは先に封切の「ウルヴァリンSAMURAI」を観てみた。

 時系列的にはX-men ファイナルディシジョンの次になるようだ。映画の最初のほうでは、止むを得ずとはいえ最愛の恋人を我が手で殺してしまったウルヴァリンが懊悩を抱えてカナダの山林で世捨て人のような暮らしをしている。そこに怪しさ満点の日本からの使者が現れ、「かつてあなたに命を助けられた人が、あなたに恩を返したいと願っています。一緒に日本に来てください」と言い、なんだかんだがあって、舞台は日本となる。

 命を助けられた人というのは、日本の大財閥の総帥の矢志田という、一代で事業を築きあげた立志伝中の人である。
 ウルヴァリンはまず彼の屋敷みたいなところに連れていかれるのだが、その玄関には先祖は忍者の一族であったという矢志田家の家宝であるらしい屏風が飾ってある。そこには城下街で侍の群れと忍者の群れが対抗して白刃戦を行っているという、日本の歴史においては一度もあったことがない風景が描かれており、その異次元的世界観が、じつはこの映画のキモというか、特徴となって、観客を面白がらせてくれる。

 ウルヴァリンは、東京、長崎、飛騨高山(?)等で活躍し、そこでは「日本」というものが存分に描かれているのだが、そこには外国人が「日本」を象徴すると思っているものが満ちている。忍者、剣術、ヤクザ、新幹線、着物、パチンコ、ラブホテル、等々。それらは私たちが日常的に知っている実物とはかなり違っており、忍者は白昼堂々と人前で集団で活動し、山奥には忍者村まで造っていて、そこでは忍者はオートバイを駆使している。作中の人が使う剣術はアクロバットな体術とセットになっておりむやみに格好いい。ヤクザは日本の格闘家代表みたいな存在らしくミュータント並みにあきれるまでに強い。新幹線はなにが起きようと最速で走る乗り物らしく、安全装置と動力源を無視して爆走している。ここでの日本はエキゾチックでファンタジックであり、なんだがとても楽しそうなところで、私も訪れたくなるようなところだ。

 映画全体として、見どころはやはり、「外国人の見た日本の姿」というか、「外国人の見たい日本の姿」であり、これを巨額の費用を用いて映像化しているところが素晴らしい。これらの映像はよく出来ており、日本人側からも、いろいろと突っ込みを入れながら、存分に楽しむことができる。

 ただし映画の筋そのものは、やや低調。
 主筋は矢志田老人の妄執であり、それに登場人物全員が振り回されながら話が進むのだが、若い頃は高潔な人物であった矢志田氏が、老いを迎えて妄執にとらわれる過程が全くすっ飛ばされているので、話に説得力が乏しく、振り回されている人々も道化に見えてしまう。コミックの原作では、このところはどうなっているのだろう?

 それはともかく、バカ映画を期待して観た「ウルヴァリ:SAMURAI」であったが、バカ映画としては微妙な出来であった。映画の背景はバカ映画として十分な出来だったが、ウルヴァリンというキャラクターが真面目かつ重厚なんで、あまりよくはマッチしなかったみたい。
 ラブホテルに迷い込むシーンとか、ラブホテル地下で獣医の卵に治療を受けるシーンとかは思いっきりの笑わせどころなんだろうけど、なにかうまく噛みあっていなかった。そういうところは残念であった。


【Résumé(まとめ)】
 Le film s’ est créé comme autre série de X-Men.
 Wolverine a aidé à la vie d'un personne dans le passé. Le personne voudrait lui rendre la obligation et il le a invité au japon.
 Mais le personne est mort d'un cancer., et conflit de succession du patrimoine a commencé.
 Wolverine s’est fait participer à ce conflit, il s’est montré active.
 Représentation du Japon comme un fond ici est intéressant
 C'est le Japon que étrangers vu, Il est assez différente de la vraie japon.
 Cependant, ils étent très intéressant.
 Le film est ce qu’on crée les paysages japonais que étrangers veulent voir au japon par fait à une dépense énorme.
 Aussi de japonais, c’est un unique, an trés interessant.

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October 20, 2013

高千穂ヒルクライムレース@記念すべき第一回大会

 宮崎県県北は、リアス式海岸あり、大きな山系ありで、地形がとても複雑であり、面白い自転車コースを設定できる地なのであるが、今まで本格的な大会は開かれたことがなかった。
 今回、神話の里高千穂の山岳コースを用いて、県北で初めてのオフィシャルな自転車レースが開催されることになった。レース中は、公道に交通規制を行い、自動車を通行止めとする本格的なものである。
 これは県北のサイクリストとしては、やはり参加するべきであろうと、申し込みをした。

 高千穂ヒルクライムレースは、岩戸神社近くからスタートし、尾平越トンネルの手前がゴール。距離は14.8km、獲得標高は619mであり、高さにしろ勾配にしろ、たいしたことはないなと安易に考えていた。…しかし、ヒルクライムレースって、ただ完走できればよいというものとは全く違っていたことを、あとで思い知らされる羽目となった。

【開会式】
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 総合公園を使っての開会式。大会マスコットは、アマノウズメにちなんでの「ウズメちゃん」。日本全国、こういうゆるキャラって、いったいどれくらいあるんだろう?
 本日は予報では曇りのち晴れということであったのに、朝から小雨が降り、だんだんと雨粒が大きくなってくる。本降りになるようだったら、DNSしようと思いながらパレードラン走行開始。

【パレードラン】
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 総合公園から天岩戸神社まではパレードラン。徐々に高さを増していくルートで、ウォーミングアップにはちょうどよい。

【スタート地点】
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 スタート地点。このときに雨が上がり、そして1時間後の皆がほぼゴールするまで雨が上がっていた。その後、また雨が降りだしたけど、レースのときだけうまい具合に雨が降らなかったわけで、大会参加者に中途半端な晴れ男(or女)がいたようである。

 各クラスごとに出発。
 私は40人くらいの集団での出発であったが、みな速い、速い。最初からトップギアに入ったような全力走行。なんとか集団に入っていようと思いつつも、重いペダルを速く回すうち、心拍数がたちまちmax近くにはね上がって、体力がもたなくなり、500mもいかぬうちに脱落。田中サイクル組のPさんの背中がはるか彼方に去ってしまった。この人、こんなに速かったんだ。
 それでもなんとかペダルを回し走るのだが、後続スタートの年長者組や、それから女子にも次々と抜かれ、実力不足を実感。まあ、ヒルクライムレースの練習なんてしてなかったからしょうがないといえばしょうがないのだが、やはりみっともない。
 そういうみっともない走行を続けるうち、コースを登り切り、ゴール。達成感はなにもなし。
 タイムは55分台。1時間は切ったから、これはこれでよしということにしておこう。

【ゴール風景】
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 ヒルクライムは己の限界に挑戦するゲームゆえ、なかには限界を突破してしまって脚が攣って回らなくなってしまった人もいる。そういう人たちは普通はサポートカーが回収するわけであるが、なかにはそれでも登りつづける人たちもいて、なかなかの根性ぶりである。いい絵になるので、地元テレビ局にて撮影中。

【ゴール地点】
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 私がゴールしたあとくらいから、雨がまた降り出した。そして、ここは標高1000m近い高さにあるので、かなり寒い。
 雨やどりのため、交通規制されたトンネル内で休む人たちもいたが、ここは風の通り道になっているので、余計に寒くなり、逃げ出す人も多かった。

【ゴール地点】
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 予想を超える寒さに、いろいろな防寒対策が為されていたが、面白いのがこれ。
 透明ゴミ袋を使っての、臨時防寒具である。容易に応用が利くので、私も覚えておこう。

【下りへ】
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 最終走者がゴールしたのち、全参加者の下りが始まる。
 雨のなか、濡れた路面を走っての集団の下りだから、慎重に慎重を重ねて下って行く。
 登りのときはたいしたものと思わなかったが、下ってみるとゴールからしばらくはかなりの急傾斜なので恐いものがあった。田中サイクル組のT氏は、カーボンホイールだったので、特にブレーキの効きが悪く、悲鳴をあげながらの走行であった。

 標高500mくらいになると霧が晴れ、雨もあがり、ようやく快適に走行できるようになった。このコースは本来なら抜群の景色がずっと楽しめるところなのだけど、本日は写真程度。遠方から来た人たちには、是非ともまた来て、本来の高千穂~尾平の絶景を知ってもらいたいものである。

【表彰式】
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 全員無事に総合公園まで下って、それから表彰式。
 ウズメちゃんがまた活躍だ。
 成績上位者が壇上に上がり、賞品賞状をゲット。
 トップの成績はどれくらいかといえば、14.8kmを36分40秒。平均時速はなんと24.2km。なにをどうやったらこんな速度だせるんだろう、と16.1km/hの私としては嘆息するしかない速さである。

 にぎやかな表彰式、高千穂名物満載の多くの賞品、それから沿道の人たちの応援、高千穂町が町の力を込めて行っている、いいイベントであった。
 最初の話に戻るが、県北は自然豊かな地なので、こういうサイクルイベントがどんどんあってよいと思うし、そうあるべきだと思う。

 そして、1ヶ月後には、延岡市初めてのサイクルイベントが北方町ETOランドで開かれるわけで、やはり県北サイクリストとしては参加するべきであろう。
 …しかし、これがまたヒルクライムレースなんだよなあ。さてどうしたものか。


【Résumé(まとめ)】
 La région du nord de Miyazak préfecture est riche de nature. Utilisant ces terrain complexe, il doit étre possible de tenir un bon vélo construire.  Cependant, un grand rallye vélo ne s’est jamais tenu jusqu'à maintenant.
 Cette fois, course cycliste de bon a eu lieu à Takachiho dans la préfecture de Miyazaki pour la première fois.
 Takachiho a apparaît depuis le commencement de la mythologie du Japon. Ainsi Takachiho est un village du mythe.
 C'était une course que on monte la hauter de 619m et courst une distance de 14,8 km. 
 Le temps était pluie ce jour-là, par les participants enthousiastes, le course était pleine d'air chaud. J'ai également participé, je m’suis déçu de mauvais enregistrement.  Il est par un manque de pratique.
 Les encouragements des gens du bord de la route, cérémonie été très animé, beaucoup de prix de spécialié local. Cette maifestation a été un succès, je crois.
 Je veux participer lequel de l'année prochaine.

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October 16, 2013

秋の虹

 超大型の台風26号は九州から遥か遠くを通っていたはずだが、さすがに超大型だけあって、風はこの地へも吹き付け、強い風が夜通し吹き荒れていた。
 朝を迎えると、肌寒いほどの涼しさであり、空気も澄んでいて、この台風が過ぎ去るとともに、季節は完全に秋になったようである。

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 外には、朝日の光を受けて、大きな虹がかかっている。
 これほど大きく、美しい虹はひさしぶりに見た。

 気持ちよい朝の空気のなか、虹を眺めながら自転車でまわりを散策することにした。

【遠見山林道】
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 虹を見るため、見晴らしの良いところに行ってみよう。
 このあたりで、最も小高いところの遠見山を目指す。
 遠見山への道は、昨夜の風で、樹々の葉や枝が散乱していた。

【遠見山山頂から】
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 遠見山は標高308m。
 ここからは、さえぎるものない、広々とした風景を楽しむことが出来る。
 眼下には門川湾と門川町が見える。
 それをまたいで、天空に大きな虹が立っている。

【虹】
Arc_en_ciel

 この虹はあまりに大きすぎたので、二枚写真をつなげて、パノラマで全体像を。
 南は門川町から、北は延岡市から立ち上がって、大きな孤を描いている。

 台風26号の、この地への巨大な置き土産であった。


【Résumé(まとめ)】
 Le 26e typhon typhon a accompagné de vents forts à Kyushu. Un vent trés fort soufflait tout la nuit.   Quand matinée a venu, le typhon avait quitté. L'air est clair, la température est fraîche. En passant ce typhoon , la saison semblait changer au automne complètement.
 Quand j’ai sorti dehort, grand arc en ciel est apparu.
 En regardant le ciel, j'ai couru en vélo.
 Je suis allé à la montagne appelé Tomiyama. Il a 308m altitude, j'ai pu voir les vastes vues.
 Arc en ciel si trés grand, il était beau.
 C'était un gros souvenir du 26e typhon.

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October 13, 2013

ツールド佐伯2013 Sコース (後半)

【県道604号線】
1

 昼食休憩所からはまた海岸線に沿っての走行。
 眺めは良いのであるが、なにしろ海風が向かい風となって吹いてくるので、けっこうつらい。前半と違って後半はほぼ一人旅なので、風の影響をダイレクトに受け、速度は伸びない。
 そしてコースは海岸線をいったん離れて、佐伯市の市街地を走行。そうなると自動車が多くて走りにくくなり、また信号にもよくひっかかるため、Go-Stopが続き、これがかなり体力を削ることになる。

【上浦AS】
2

 市街地を走ったのちは、また海岸線に戻り、風に吹かれながらの走行。海岸線がそろそろ終わることに、AS上浦がある。
 ここの特産補給食は、上浦名物「すり身天」。地元であがるエソとカマスを使った料理である。ほどよい塩味で、塩分補給にぴったりだ。

 海岸線を離れたのち、しばらく平地を走ってから、第4の峠の彦岳峠が始まる。かなりの傾斜を持つ峠であり、疲れのたまった脚にはこたえる坂が続く。ローギアで上がるうち、自転車を押して歩く人も見かけた。

【彦岳峠】
3

 どんな坂でも、ペダルを回し続ければやがては頂点に立つ。
 小さな公園と休憩所のある峠にようやく到着。ここで小休止して、写真を撮り、さて出発。

【魔の彦岳トンネル】
Hikodake

 峠からは彦岳トンネルを経て下りになるのであるが、このトンネルは旧式のもので、照明が非常に貧弱で、とても暗いトンネルだ。私の通常のヘッドライトでは光量が足りず、前が見にくい。そしてちょうど前方に高輝度のライトを点けて走っている自転車があったので、ありがたく追い付いて、その後ろを20km/hほどのゆっくりした速度でトンネル内を進んでいった。そのうち、私の後ろにも2台ほどついてきているみたいだった。

 トンネル出口まであと100mくらいになったところで、後方で何かが壊れたような大きな音が響いた。何事と驚くうち、私の横を人が倒れた自転車ごと滑って行き、私を追い抜いていった。落車した人が道路を滑ると、ペダル漕いでいる自転車より速いんだ、と私はトリビアを得たが、その自転車+人はなんと向きを斜め方向に変え、(なんでもセンターにある反射板に当たったそうだ)、私の前方に突っ込んできた。
 このままでは衝突し、私も落車である。右に曲がれば確実に避けられそうだが、視界の利かないトンネル内でセンターライン方向に飛びだす度胸は私にはない。といって左はトンネルの壁で、その手前は段差のある歩道で、ほとんどスペースに余裕がない。…ほとんど余裕はないが、僅かならありそうなので、歩道と相手の自転車の隙間を狙って斜めに自転車の頭を突っ込みながら制動をかけた。幸い、相手の自転車の前輪に私の前輪が軽く接触したのみで、少々態勢は崩れたものの、なんとか停止に成功。
 怖がっだよ~。

 私が動悸を鎮めているなか、相手は寝っ転がったまま、「大丈夫ですか~」と私にきいてきたが、・・・それって、まずはこっちの台詞だろうに。

 上記の文章では状況が分かりにくいかもしれないので、いちおう簡単に以下に図説。
 かえって分かりにくいかもしれないが。

【トンネル内事故】
Accident

 トンネル内、落車した人がそのままでは危ないので、後続者たちがすぐに停車して、落車した人と自転車を安全な歩道まで運んで行った。
 あの衝撃音と、滑った距離の長さにしては、その人は無事なようであり、「なんともありません」と皆に答えていた。受け身の技術がしっかりしていたのでしょうねえ。
 自転車のほうはガタピシするところはあるも、走行は可能なようであり、私が回収車頼みますか、ときいても、走ってみますとのことであった。
 ま、トンネルは無事に走行して脱出したから、走行不能というわけではたしかになかった模様。ただ、さすがに完走は無理だったのでは。

 
 今回の教訓: 暗いトンネルはくれぐれも慎重に慎重を重ねて走行しましょう。


【堤防】
4

 彦岳トンネルからはずっと下りになり、県道36号線を走る。途中で、堤防を走る道に誘導される。のどかな風景の道である。
 そして足切りポイントである弥生振興局エイドを時間内に通過。とりあえず、ここが最後の足切りポイントなので、今回のサイクリングは足切りにはあうことはなくなった。

【本匠水車前】
5

 本匠大水車前ASは、佐伯名物、日本一の大水車があるところ。たしかに大きくて、立派な水車であり、背景の岩壁との対比もよろしい。
 ASでなくとも、ここで休憩して景色を眺める価値のあるところである。

【竹の子寿司】
6

 このASの名物は、竹の子寿司。竹の子の心地よい食感と、あっさりした味付けがよろしい。
 しかし、この竹の子寿司、この3つで最後だそうだ。Aコース500名が通ったあとだから、蝗がやってきた田圃みたいなものなので、そうなってしまうのだろうけど、Sコースの者にとっては食べるのが少々厳しい名物なんだな。

 このASで休憩しているうち、ASに着いた人が、「足切りがどっさりありました。私たちはぎりぎり引っかからずに済みました」とか話している。今が14時45分なので、あれ?っと思った。なぜならパンフによれば弥生の足切りポイントは15時締切のはずで、まだ時間は残っているはずだから。・・・結局はパンフの15時は間違いであり、本当の締切時間は14時30分だった。となると、私もけっこう危なかったのだ。てっきり15時と思っていたため、余裕こいて走っていたが、そんな楽観的な状況ではなかったのである。

【宇目消防署AS】
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 本匠大水車前からは、ゆるやかな坂を登りつめて行き、どこが峠かよく分からないまま宇目消防署ASへ。ここは166km地点であり、センチュリーならとっくにゴールしている距離である。
 ここに着いたのが15時半。残り25kmを1時間半で走れば、時間内完走だ。
 ここからは下り基調の楽な道でもあり、ようやく完走が視野に入って来た。海岸沿いと佐伯市内で時間が稼げず、またトンネル内でアクシデントもあったことからけっこう焦ったが、なんとかなりそうである。

 そして、ここで休憩している人たちも完走はほぼ確実であり、なんとも安らぎある、弛緩した雰囲気が漂っていた。

 ASからは少しの坂を越え、それから国道10号線に下って行く。国道10号線には10~20mほどのアップダウンが三ヶ所あり、普段ならどうということもないのだけど、180km以上走って疲れのたまった脚には、つらいものを感じた。
 そして佐伯市街地に入り、運動公園への最後の坂を越えゴール。
 到着時刻は午後4時40分。制限時間内完走である。
 実走行時間は7時間21分、平均速度は26.2km/hであった。まあ、当初の予測通りの値であり、こんなものであろう。

【最終ゴール者】
8

 最終時間まであと20分であり、スポーツドリンクを飲んだり、ストレッチ体操をしたりしながらゴール風景を見ていた。5分前からカウントが始まったが、4時59分が告げられたとき、スプリント勝負のような勢いでゴールに突っ込んでくる自転車が2台あり、そして見事に時間内にゲートをくぐりました。
 やっぱり時間内と時間外ではえらい違いだから、これはどんなに疲れていたって、頑張るでしょう。

【完走証】
Saiki_cacher

 今回のツールド佐伯ではゴールしたあと、受付で完走証をもらったのであるが、その文言が面白い。
 「真のサイクリストであることを認定いたします」だそうだ。
 「真のサイクリスト」がいるからには、「偽のサイクリスト」というのもいるのだろうが、「偽のサイクリスト」っていったいなんなんだろうとか、妙な考えが浮かび、笑ってしまう。
 それはともかく、ツールド佐伯Sコースは身体的にも、精神的にもそれ相当のタフさが要求されるコースであり、これを完走したら、「真のサイクリスト」になれるのかどうかはともかくとして、自転車乗りとして、いくばくかの自信はつくのは確実であろう。

【Résumé(まとめ)】
 J’ai couru complètement le parcours S du Tour de Saiki.
 J'ai couru sur une longue distance, j'ai vu un magnifique paysage de nombreux.
 Le cape de le plus eastern de Kyushu. Lighthouse ici. Perspectives parc surplombant la Bungo mer Grande roue à eau de la vallée.
 Chaque chose est tout beau.
 Alors l'aire de repos, la nourriture était abondante. Par chacun aires, la spécialité locale sont préparés. Noodles avec sesame. Sushi de la pousse de bamboo ou champignon. Un grand bol de riz à poisson cru. Pain frit, et ainsi de suite.
 Les paysages sont magnifiques, et repas sont délicieux.
 Le Tour de Saiki est dans un événement trés agréable.


 ツールド佐伯2013 Sコース (前半)

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ツールド佐伯2013 Sコース (前半)

 九州一広い市である佐伯市を一周するツールド佐伯には、一周かつ大分の名勝地である鶴御崎を訪れるSコース(190km)があり、たいへん魅力的である。
 しかし昨年は制限時間が8時間半であり、休憩時間とかを考えると実走行時間は7時間ほどであろうから、190kmをAv27 km/hで走る必要があり、これは自信が持てないのでパスして160kmのAコースに参加した。
 ところが、完走率が低かったのかどうかは知らないが、今年2013年はスタートが8時に変更になり、制限時間9時間である。ならば、190kmをAv25 km/hで走れば完走できることになり、これなら私でも十分に手が届くであろう。
 というわけで、Sコースに参加することにした。

【スタート】
1

 本日は、まさに秋晴れの典型のような好天であった。そして、今年は気温が高いのでそれを心配していたが、秋らしい爽やかな気温である。しかも吹く風は涼しく、絶好の自転車日和であった。
 スタート地点にはサイクリストたちが集っている。
 スタートを待つ緊張のなか、見つめるスターターの号砲とともに、午前8時ジャストにスタート! のはずだったが、号砲前に花火が轟音とともに景気良く打ち上がり、少々ずっこけた。

 S組先頭集団はあっという間に道路を駆け抜けて行く。自転車の隊列はほどよく伸びていくうち、いくつかの集団が出来、私もそのうちの一つに入って巡航。
 さすがにS組の人たちは速く、時速40km超で巡航。一つめの轟峠まで私もいいペースで走られたが、下りで集団から脱落。下りの傾斜を全力でペダル回しながら下る人たちに、私がついて行けるわけないのである。

【海岸線】
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 一つめのASを過ぎたあたりから、コースは海岸線に入る。
 ツールド佐伯名物の潮風が向かい風となって、速度はどうしても落ちてしまう。
 それでもこのあたりはまだ集団がいくつも走っており、私はその一つに便乗して、風をよけさせてもらいながら走った。時速は35kmほど。先頭者はこの向かい風のなか35kmで走ってるのだから、相当な脚力だな。

【空の公園へ】
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 佐伯の海岸線はリアス式なので、適度にアップダウンがある。
 そのうちの最も大きな峠となる空の公園への登り道は、右手に豊後水道を望む眺めのよいところ。ペダルも気持ち良く回る。

【空の公園】
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 第二ASの空の公園へ到着。
 好天のもと、見事な光景が広がっている。
 眼下の青い海に、緑の島々、はるか水平線方向には四国の佐多岬も見える。

 空の公園から下りたのちはまた海岸線の道になり、強風との戦いとなる。
 いい風除けは来ないかな~と思いながら走るも、横を追い抜いて行くのは単独の人ばかりで見送ること続くうち、S組とA組(160km)の混成隊が来たので、ありがたく便乗。
 …というか、50km地点でもうA組に追い付かれてしまったのか。

 県道604号線の分岐点で、S組とA組は別れ、S組は右手の鶴御崎方面へ。ここからは風の向きが変わり、少しは楽になる。
 そして鶴御崎灯台への取りつきの道に入ってから、道の傾斜は強くなり、3つめの峠の開始である。

【ミュージアムパーク鶴御崎】
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 一定の傾斜の道を地道に登って行くと、やがてゲートが見えて来た。
 やれやれ、これで一段落と思いきや、この後もアップダウンが続くのであった。

【鶴御崎灯台】
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 ゲートからしばらく走ると、鶴御崎灯台が見えて来た。
 ここからはいったん下って、また登ることになる。
 ということは灯台からの帰りは、また下って登ることになるわけで、まったくうれしくない下りであった。

【鶴御崎休憩所】
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 コースはそのまま灯台へ、と思っていたら、灯台手前の休憩所に誘導された。
 とりあえずここで一休み。
 今回のツールド佐伯の特記すべきことはエイドステーションの補給食の充実ぶりである。各エードには、飲料水(水、スポーツドリンク、コーラ)、菓子、バナナが常に置かれており、さらに佐伯の名物が必ず一種類以上置かれていた。鶴御崎ASでは揚げたての揚げパンであり、横のワゴンがパンを揚げていた。

【鶴御崎灯台】
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 鶴御崎灯台そのものはコースには入ってなかったのだが、これに行かないとSコースに参加している意味もないので、短い距離ながら激坂を登りつめ灯台へ。
 全コース中、ここが一番の激坂だったな。

【展望所】
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 灯台の裏には展望所があり、そこからは広々した海原が見渡せる。
 ここより東にはもう九州はない、九州最東端の、素晴らしい風景である。

【県道604号線】
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 鶴御崎からは県道604号線を折り返し。
 もうこの頃にはS組はバラけきっており、列車走行できるような集団はもう走っていなかった。
 ところで普通の風景であるここで、なぜ自転車をおりているかといえば、シフトチェンジに失敗して、外れたチェーンを戻したからなのであった。それでついでに写真を一枚。

【吹灘防災公園】
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 コースの中間点であり、昼食会場である吹灘防災公園に到着。
 時刻は午前11時58分。4時間で中間点まで来られたのは、まずまずのペースである。
 アスファルトの上に大の字になって寝ている人も数人いて、既に疲れ切った人もいるようであった。

【利休丼】
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 今年のツールド佐伯は地元名物満載であったが、ここでは「利休丼」。新鮮な海産物を使ってのヅケ丼である。「りゅうきゅう丼」とも言います。

【ごまだしうどん】
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 これはツールド佐伯の定番「ごまだしうどん」。
 佐伯には、このほかにもいろいろと名物料理があり、料理の豊富な地である。
 海の幸、山の幸の豊富な地ゆえでありましょう。

【焼き魚】
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 焼き魚は焼きたてのものを。
 イワシにシシャモにアジ。塩分の補給にもってこいの食材である。

【昼食】
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 ご当地名物、全種類食べたいところであるが、まだまだサイクリングは残っているので、利休丼とイワシに留めておく。これ以上食べると、胃がもたれる。


 カロリー補給と水分補給を適度に済ませ、ストレッチ体操で筋肉をほぐし、さて再出発。
 時刻は午後12時15分。
 残り97kmを4時間45分以内で走れば、時間内完走である。Av21km弱でよいから、これは楽勝♪ と思った。
 しかながら、後半はコースの設定上速度が乗らず、さらには事故に巻き込まれたりして、気楽なサイクリングというわけにはとてもいかなかった。


 →(後半)に続く。


【Résumé(まとめ)】
 Saiki ville est celle qui est plus large de Kyushu île.
 Il y a beaucoup de montagne, et la face à la Bungo voie de mer, car la nature est abondante.
 En utilisant le terrain complexe, compétition de vélo pour faire le tour de la ville est ouvert.
 J'ai également participé en automne.
 J'ai parcouru le 190 kilomètres course. Il ya un certain nombre de la passe, et le vent qui souffle de la mer est fort de face.
 Bien que le parcourse est très dur, je me suis amusé vraimennt.

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October 12, 2013

寿司:福寿司@佐伯市

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 佐伯市は海産物が豊富に取れることから寿司が好まれる地であり、寿司店も多い。その佐伯寿司を世に広めようと、市あげて佐伯の寿司は世界一と宣伝している、非常に心意気の高い市である。
 そして今回のツールド佐伯では、「寿司1000円券」というものが景品についていて、協賛店ではこの券が使えるそうである。この類の景品は使わずに、そのままどこかに消えるパターンが多い私であるが、寿司券なら普通に使える。というわけで、夕食用に活用してみよう。

 ところで「佐伯寿司」というものは、べつにこれといって決まったフォームがあるわけでない。佐伯の寿司店は、新鮮な海産物を使って、それぞれに独自に工夫をこらして寿司を出しており、あえてそれらの共通項を言えば、コストパフォーマンスが良い、ということになろうか。

 その協賛店は、数多くあったが、そのなかに「福寿司」があったので、何年かぶりに訪れてみた。ベテラン鮨職人である店主におひさしぶりですと挨拶。今日はサイクリング大会で来ました、明日190km走る予定です、とか話し、190kmの距離に驚く店主に、ロードバイクだと190kmくらいは普通に走れる距離ですとか説明。…まあ、走行時間を考慮に入れなければの話なのではあるが。
 ビールを頼んで、まずは肴を造りでおまかせにて。

【肴1】
1

【肴2】
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 雲丹は北浦産の赤ウニと、それに北海道の紫ウニのハイブリッド。二つ合わせることにより、さらに旨みが増すそうだ。鯛、鯵、鯖、トコブシは地元のもの。ブリは佐伯のものはまだ脂がのっていないので、北海道のものだそうだ。

 このあと、ブリとイサキの腹身の炙りで酒を飲み、それから握りをおまかせで。
 白身、イカ、タコ、鯵、鯖、中トロ炙り、赤貝、海老、ブリ、金目、カニ、雲丹軍艦、穴子などなど。
 白身系は塩とカボスを使い、新鮮な白身の甘さを強調。青身系はあまり〆ずにあっさりとした感じで。

【金目鯛の握り】
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 寿司種は地元のものに特にこだわっているというわけでもなく、地元のものより良いものがあるなら、それも取り寄せて、全体としてレベルの高い鮨を出すという感じで握っている。
 キンキにキンメは東北産で、脂のよくのったものであった。

 ネタは厚めでその個性をより強調し、そしてシャリは酢と甘みがよく利いておりこれも個性的。それぞれが個性を主張しあう、いわゆる正統的な地方寿司であり、江戸前寿司とかに慣れている人にはけっこう新鮮な感じがあるのでは。

 時間がたつにつれ、店は満員に。地元の人や、県外の常連客、それにサイクリング大会参加者等で賑わっており、いつもながらの人気店である。
 私はビール2杯と熱燗2合に留めて会計。旨い肴に鮨をアテに、まだ飲みたいところであるが、明日はサイクリング大会なので、ここは鋼の意志で切り上げるのである。…って、国東しまなみ等、サイクリングの前夜の記事では、いつも同じようなことばかり書いている気がする。


 佐伯市の寿司店は、福寿司を始め、デカネタで有名な店や、細工系の鮨で有名な店など、特徴ある店がいくつもあり、寿司の探究心あるいは好奇心の強い人などにとっては、佐伯は幾度も幾度も訪れるべき価値のあるところだと思う。


【Résumé(まとめ)】
 Saiki ville a un bon port, car c'est une ville que obtient depoisson frais en grandes quantités.
 En utilisant les poissons, il y a beaucouop de sushi restaurant en Saiki ville.
 Chaque restaurant est ce qui donnent le sushi caractéristique.
 Parmi eux, j'ai visité “Fukusushi” où est le le plus cunnu dans ce ville.
 En plus de poisson frais local, et des bons matériaux réuni de diverses région sont offri par le restaurant.
 Tous cuisines sont délicieux, et sushi est également délicieux.
 Je me suis amusé cuisines, et sake, et conversation. C'était un bon dîner..

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