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September 21, 2013

東北旅行(2) 南三陸町→気仙沼市→陸前高田市→釜石市→盛岡市

 南三陸ホテル観洋では、震災を風化させないために震災の跡地をバスで巡り解説を行う「語り部バス」を運営しており、それに参加。
 巡ったところは、戸倉中学校、防災庁舎、新町役場など。

【防災庁舎】
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 市街地全体が津波に襲われた南三陸町の悲劇の象徴である防災庁舎。
 元々は町役場のすぐ横に設置された鉄骨構造の三階建ての建築物であった。震災の際は、ここが防災の本部となり、実際に大震災のときは町役場の者たちがここに移り防災の指揮をとったのだけれど、津波は楽々とこの庁舎全体を飲み込み、職員ら42名が犠牲となった。

【防災庁舎近景】
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 近づいてみれば、全て流された壁、ねじ曲がった鉄骨、変形した非常階段等、破壊された庁舎の姿がそこにある。震災の揺れ、津波に耐えるべく造られたはずの防災庁舎のこの無残な姿が、津波というものの恐ろしさと、人間の造った構築物の脆さ、限界というものを物語っている。

 この防災庁舎は、大震災の遺構のなかでも最も有名な存在であり、大震災を語りつぐために保存すべきかどうかずっと議論が続いていた。しかし9月に町議会で一票差という僅差で撤去が決定し、本年度末までには撤去が完了することになる。
 撤去の理由については、「町の再開発の妨げになる。遺族がこの庁舎を見ると、そのたび亡くなった者のことを思い出し、辛くてたまらないとの意見がある」などとのことであった。
 それらの意見は理解はできるし、またそれらについて余所者がどうこう言えたものではないのだけど、ただし、これほどまでに自然の脅威をリアルに伝えるものをこの世から無くしてしまうのは、もったいないことだとは思う。現実問題としてこの庁舎が南三陸町の重要な観光資源になっているのも事実ではあり、なにかうまい方法で残しておく方法はあったのではと思えてならない。

【高野会館】
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 南三陸町では震災遺構は次々に撤去されているが、しばらくは残りそうなのがこの「高野会館」。
 大震災時、この会館では高齢者芸能会が開かれており、激しい揺れが収まったのち、参加者達330名ほどは会館から出て、いったん家や避難所に向かおうとしたそうである。そのとき支配人が玄関口に立ち、「命の惜しいものはビル内に残れ」と、皆を押し戻した。皆は4階に避難していたのだが、津波は想像を超えた高さまで迫り、屋上に移動。津波は屋上の足元程度まででなんとか止まり、避難者全員が無事であった。支配人、good job !である。
 このビルは震災遺構が次々と解体撤去されるなか、ビル責任者の「震災の教訓を語り継ぐ場として被災建物は重要である」との意見で、まだ残されている。ただし維持費や管理費とかを考えると、民間企業での保持は難しく、保存には難問難題が残っている。

【気仙沼市 第18共徳丸】
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 大震災の夜、次々と各地の悲惨なニュースが伝えられるなか、南三陸町や気仙沼市は、その地方からの情報が入らず、「南三陸町、気仙沼市は壊滅です」との報道が流れた。
 「壊滅」という一般的な単語が、それがニュースで流されると、聞き慣れぬ、異常な言葉の響きとなり、不気味な恐ろしさが伝わって来た、あの夜の記憶は日本人にはまだまだ生々しいものであろう。

 南三陸町も、気仙沼市も、街を埋め尽くしていた瓦礫はすでに撤去され、そこには広大な更地が広がっていた。「壊滅」はまだまだ続いている状況なのではある。

 写真は、気仙沼市の震災遺構「第18共徳丸」。
 津波により330トンの大型漁船が陸に押し流され、鹿折駅の近くに乗り上げ、海に戻す方法もなくそこに据え置かれていたものである。
 「本来そこにあるはずのないものが存在している」、超現実的な存在が、津波の恐ろしさを如実に物語っている。
 この第18共徳丸も解体撤去が決まっており、現在はその作業中であった。

【奇跡の一本松】
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 陸前高田市の高田松原は約7万本もの松が植えられた、風光明媚な砂浜であった。それが大震災の津波により根こそぎ浚われ、津波が去ったあと、奇跡的に松が一本だけ残っていた。
 津波に耐えた不屈の精神の象徴として、その松は人々の心の強い励ましとなっていたのだが、海水の浸食により残念ながら平成24年5月に枯死が確認された。
 そのため、なるべく元の松を使用し、そして元の姿を残した形で、人工物として再構築し、モニュメントとして同じ場所に立てられた。

 この松、とても形が立派である。
 雄々しくも、凛々しい。
 復興のシンボルとしてまさに適役であり、そして観光客も多く集っていた。

【釜石港】
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 釜石市も大きな被害を受けた地である。とくに街を守るために巨大な堤防を港口に造っていたのに、今回の大津波はそれをも破壊してしまい、釜石港も機能しなくなってしまった。
 その港を訪れてみた。
 港にはまだ震災の傷跡は残っていた。しかし震災から2年半がたち、港には多くの重機が入って、堤防の復旧作業を行っており、着々と釜石港は以前の機能を取り戻しつつあるところであった。


 釜石市からはいったん海岸線を離れ、遠野経由で盛岡市へと。
 本日走った国道46号線は、平地になるたびに震災後の更地が広がる、精神に負担のかかる道であったが、遠野へ向かう国道283線は山のなかなのでそういうことはなく、ずいぶんと気持ち的に楽であった。

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