東北旅行(3) 盛岡市→久慈市→島越駅→宮古市田老地区
盛岡市からは国道4号線と281号線を使って、久慈市へと向かう。
国道4号線からは、左手に岩手山が見える。
円錐型の独立峰で、その堂々たる山容の姿で、たいへん人気のある山で当然日本百名山にも選ばれている。
一度この秀峰を見て、いつか登らねばと思いつつ、…もう10数年以上の月日が流れている。
国道281号線を久慈市に向かって走っているうち、垂直の巨大な断崖絶壁が見えてきた。
これは名のある地であろうと車を止め、散策。
案内板を見ると、ここは「鏡岩」なる名所であり、久慈渓流に沿って、奇岩、巨岩の立ち並ぶ地域なのであった。…ただし、しばし歩くと渓流沿いは立ち入り禁止となっていたが、それじゃあまりに寸詰まり過ぎで、名所としてはおかしいと思う。他に道があるのかな。
久慈市では、NHKの朝ドラマ「あまちゃん」で有名になった北限の海女の地「小袖海岸」に寄る予定であったのだが、ドラマのおかげであまりに人気が出すぎており、小袖海岸には交通規制がかかっていて、マイカーでは立ち入り禁止とのことであった。
それで小袖海岸に行きたい人は、久慈市の駐車場に車を止め、バスで行く必要がある。それでそうするつもりであったのだが、久慈市を訪れた日はちょうど祭りの最中であり、市内は人と車でごったがえしの状態であり、駐車場の空きを探すのもたいへんであった。それゆ、今回は小袖海岸はパスし、そのまま国道45号線を南下。
写真では、破壊された堤防の先に半島が見えるけど、この奥に小袖海岸があるはず。
国道南下中、灯台への道標があったので、寄ってみた。
この灯台は、日本灯台50選に選ばれた、有名な灯台とのことである。
切り立った岬の先にある灯台で、たぶん他の岬から見ると相当に格好いい灯台と思える。
田野畑駅は三陸鉄道の駅であり、高台にあるため直接的な被害は軽度で済んだものの、周囲の村落はほぼ壊滅状態となったところである。
駅舎がロマンチックなこともあり、NHKドラマ「あまちゃん」のロケに使われてことから観光名所になっており、観光バスを含め車がたくさん止まっていた。
写真は田野畑駅前の水門。
一見、前後の橋脚が失われた高架のうえに取り残された列車のように見えるが、これは水門であり、元からこういうデザインなのである。
津波はこの水門を越えて村落を襲い、周囲の家々は流され、更地となっていた。
【漫画「さんてつ」の一場面より】
大震災のときの三陸鉄道のドキュメンタリー漫画「さんてつ」は、当時の三陸鉄道関係者の奮闘ぶりを描き、その情報がリアルに伝わって来る。
大震災の翌々日に大津波警報がようやく解除され、宮古駅を本部としていた三陸鉄道の職員たちは、北に向かって一つ一つの駅を確認していった。三陸鉄道は、元々地震や津波の多いところに造られた鉄道なので、構造は頑丈であり、また高地を通るようにしていた。例えば田老のように町が壊滅したところでも、田老駅の駅舎は残っており、駅を結ぶ線路を補修すればすぐにでも鉄道は再開通できそうに思われた。
しかし、島越駅を訪れたとき、彼らは愕然とする。
島越駅は三陸鉄道でも最も頑丈に造られた駅だったのに、駅は町ごと消滅していたからだ。
三陸鉄道では、この島越駅周囲の損傷が最も激しく、大震災から2年半が過ぎた今でもまだ工事中である。
中央に見える家は、この周囲100軒もあった家々のなかで、ここだけ流されずに残った家である。
田老は津波の多いところであり、津波を食いとめるために巨大な防潮堤を築き、それは「田老の長城」とも呼ばれていた。三陸に大きな被害をもたらしたチリ地震津波のさいは、この防潮堤が津波をはね返し、ほとんど被害をもたらさなかったことから、田老は「津波防災の町」として有名になり、津波対策の一種のモデル地区ともなっていた。
しかし今回の大震災では、その防潮堤を津波は易々と乗り越え、田老地区は壊滅した。
自然の底知れぬ脅威、人間の営みの脆さ、などを示しているのだろうが、…この防潮堤を直に見て、私は考えが変わった。
陸側に一部破損された部位はあったものの、全体としてこの防潮堤は健在である。
昭和前半に建築されたこの防潮堤は、よほど堅牢に造られているようで、防潮堤自体は津波に負けなかった。
田老では防潮堤は複雑な形で町を囲っていたのだが、津波到来とともに瞬時に崩壊したのは、写真で赤丸で示している、高さ10mのスーパー防潮堤のほうであった。こちらは、先に示した防潮堤より新しく造られており、技術もより進歩していたはずなのだが、結果としては役に立たなかった。
新防潮堤が手抜き工事であったとは思わぬものの、この明らかな強度の差は、明らかに課題を残している。もし、これらの防潮堤が全て破壊されなかったら、被害はより軽度になっていたのでは。
そして、今回の途方もない津波にも田老の旧防潮堤は耐えているのだから、さらに高さを積み上げ、徹底的に強化された新防潮堤で町を囲み、対津波への強大な城塞を築けば、また大津波が来ても、チリ地震のときのように津波をはね返せるのではなかろうか。
今度の大震災では人間は自然に負けっぱなしであったが、次のとき、打ち勝った地区があってもいいと思うし、あってほしい。
まあ、自然のほうは勝ちとか負けとかなんとも思ってないわけだが、それでも津波に耐え健在であった旧防潮堤を見て、ここには人類の意地がある、と私は思った。
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