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September 2013の記事

September 28, 2013

リレーフォーライフ@宮崎市綾町20013年9月

 職場の人たちがリレーフォーライフというものに参加するそうで、私にも参加しませんかとパンフレットを持って来た。ざっと読むと、「癌患者のサポートのために、24時間歩きましょう」という催しであり、いまいち趣旨がよく分からなかったが、たまには平地を長時間歩いてみようかと思い、参加に○をしておいた。

 しかしその日を迎えると、土日は続けて雨という天気予報。
 山登りとか、自転車大会とかならDNSということになるのだろうが、これはそういうものでもないので、ともかく行ってみた。

【綾町陸上競技場】
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 リレーフォーライフは、この陸上競技場のトラックを使って、ぐるぐると歩く。
 一周400mなので、100周すれば40km。とりあえずは100周を目標としよう。
 何の変化もないトラックなので、すぐに飽きるだろうと思いきや、正面ステージでは演奏や歌、踊り、講演等が行われており、退屈することなく歩き続けることができた。また講演等によりこのイヴェントの趣旨もよく理解できた。

 さて、ノルマの100周をまずは終えようと順調に歩くうち、予報通りに雨が降って来た。この雨は結局閉会まで、断続的に降り続き、ついに晴れることはなかった。
 小雨程度ならよいが、驟雨のなかを歩く気はせず、かなりの時間をテントの下で休むことになった。

【夕方】
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 リレーフォーライフの一番の経験しどころは、ランタンに照らされたトラックを歩くところ。日も暮れて来て、ランタンの明かりがぼんやりと見えだして来た。

【夕食】
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 夕食は運動公園に併設されているバーベーキュー場を使ってのバーベーキュー。
 宮崎地鶏の乗りで、豪快に炎をあげて肉を焼いているところ。
 迫力はあるが、焼いているのは鶏ばかりではないので、牛肉とか魚とか野菜では、盛大に焦げた味は少々邪魔。

【夜】
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 夜になれば、ランタンの明かりはトラックいっぱいに灯され、なんとも幻想的な雰囲気が漂っている。
 ランタンには、癌患者を支援する言葉が一つ一つに書かれており、それを読みながら歩くと、いろいろと感じるものがある。

 夜にも雨は降り続き、なかなかまともに歩けない。
 夕方から参加した職場の人達は、数を稼ぐために大雨の中でも傘をさして歩いていたが、そこまで熱心な人はあまりいなかった。

【夜明け】
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 雨が弱まると歩き、強くなるとテントで休憩ということを繰り返しているうち、夜は明けた。この時間では、歩いているのはほんの数人ほど。

【100周】
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 同じところをぐるぐる歩くので、何周回ったかなんて覚えてられないため、トラック脇にはスタンプを押す台があり、一周ごとに指定の用紙に押せば、周回数は分かる。
 結局、参加して20時間くらいして100周に到達。時速2kmなり。雨のたびに休んでいたからこんなものであろう。

 閉会式のときにようやく雨はあがり、雨の降らないなかで閉会式を迎えることができた。閉会時には最多の距離を歩いた者への表彰があるのだが、最多の人はなんと300周であった。24時間で120km。しかもこの悪天候で。やる人はやるもんだなあ、と感心。


 リレーフォーライフは、癌患者をサポートすることが目的の催しである。
 日本人のうち2人に一人が癌に罹患し、3人に一人が癌で亡くなるという時代、これほど大きな存在になっているのに、まだまだ癌という病気に対しては理解が乏しい。
 それゆえ癌という病気が身近なこと、癌患者が当たり前のように存在していること、癌という病気が決して病院のなかだけにあるものではない、ということを癌患者たちとともに歩くことによって理解しよう、というイヴェント。
 いろいろとためになること多く、日本でもいたるところで行われているので、癌という深刻な病気に対して興味があれば、是非とも参加をお勧めいたします。


 ……………………………………

 リレーフォーライフのホームページ


【Résumé(まとめ)】
 J’ai participé à l'événement appelé Relay for life (Relais pour la vie).
 C’est l'événement qu’on marcher pendant 24 heures pour le appui des patients souffrant de cancer.
 Etudiant des cancers, marchant avec les patients et aussi, nous pouvons mieux comprendre le patient et de la maladie du cancer.
 Car Japon devient la sosiété de vieiiessement, les patients souffrant de cancer augmente de plus en plus.
 En utilisant un événements comme ça , il nous est nécessaire de comprendre encore le cancer.

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September 25, 2013

秋の味覚@ふく菜(宮崎市)

 宮崎市の和食店「ふく采」で、「秋の味覚を楽しもう」の食事会。
 「ふく采」は店が移転して、カウンター割烹形態のこじんまりした店となっている。
 二代目店主は、京都の祇園丸山で修業したのち、この店のあとを継いだ。それで京風と南九州風の味付け、調理をミックスした、独自の工夫をこらした料理がでてくる。とくに椀物系で面白い趣向の料理を楽しめる。

【土瓶蒸し】
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 秋の味覚といえば、やはりまずはこれ。
 松茸の土瓶蒸しです。
 松茸にはいろいろと料理法はあれど、松茸の香りを楽しむには一番適した料理だな。

【舞茸】
Maitake

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 松茸に続いてのキノコは、宮崎の山の奥で獲れた天然舞茸。
 いつもいつもあるというものではないが、今回はうまく料理にあるつけることになった。
 舞茸は天麩羅で。豊かな香りと味である。

【八寸】
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 八寸は、銀杏、鱧寿司、鮭の白子。
 夏から秋にかけての季節の移り変わりを表現している。

【焼き物】
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 松茸料理のその2。
 松茸、それにうっすらと西京味噌に漬けたマナガツオのホイル焼き。
 味噌の加減が絶妙で、松茸の強い香りとうまく調和している。

【椀物】
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 椀物は、松茸、穴子、アンキモ、カイワレの餡蒸しというかなり強引な料理。
 でも、個性の強い食材たちを、濃厚なの餡が味が全体をうまくまとめていて、意外と一品としてまとまっていた。創作系の楽しい椀である。

【松茸御飯】
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 〆は当然のごとく松茸御飯で。

 全品、秋の味覚をたいへん堪能できる料理であった。
 調理の技も冴えていて、同じ食材を使っていても、単調になることなく、とても楽しめた。


【Résumé(まとめ)】
 En automne au japon, Matsutake qui est une sorte de champignon est trés préférable.
 Il a un arôme distinctif, puis la majorité des Japonais aiment ça.
 Parceque automne vient, j’ai allé le restaurant japonais “Fukusai” où existe à Miyazaki ville pour manger Matsutake cuisine.
 Les cuisine sont trois sorte.Braiser, pocher, et avec riz.
 En tous cuisines, le parfum est riche, et etient trés délicieuse.
 Ce que l'automne est venu, nous pouvons connaître par cuisine aussi.

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September 24, 2013

東北への誘い(いざない)

 東北は、食、歴史、温泉、風景等魅力あふれる地であり、旅行好きの私としてはよく訪れていた地であった。大震災の起きた年も、その夏に訪れたのだが、さすがに津波の直撃した土地は、観光客を受け入れる余裕もなく、いまだ混乱の極みであろうと思い、石巻駅周囲を見るくらいだけに留めていた。

 そして大震災から2年半が過ぎ、もう震災地も落ち着いているかと思って、震災地主体に訪れてみたが、いろいろと得るものが多い経験となった。

 ところで、震災地を訪れたとき、その地の営業担当のような人たちからよく聞いた言葉。
 「日本人は真面目な人が多いから、震災の地を観光で訪れると、冷やかしとか、あるいは物見遊山で来ていると思われるような気がするので、行くのを躊躇してしまう。ならばボランティアで行こうかなと思っても、素人の自分が行っても役に立たないだろうとか思ってしまい、やはり行く気が出ない。で、結局東北に行けない。日本にはこういう真面目な人が多いので、震災から2年半が経つのに、東北に来る人が少ない。
 でも、復興復旧には、ともかく人が来ることが大事です。東北でなにか物を買わずとも、そこに泊まって、そこで食事をとるだけでも、東北の物を食べ、東北にお金を落とすわけで、それが東北にとってとても重要なことです。そしてなにより、東北に人が来てくれるということが、東北人にとってどれほど勇気づくことか、それが分かってほしい。ぜひ東北に来てください」
 被災経験のまったくない私であるが、彼らの言葉は、まったくその通りだと思うので、私もblogに記しておく。

 そして、そういうわけで、私も東北観光宣伝の一助として、「今の東北の魅力」について書いてみたい。なにしろ、震災支援云々は抜きにしても、東北は今の日本で最も興味深く、見る価値の高いところであるからして。


 東北という地は、海・山とも自然の恵みが豊富なところであるが、沿岸部に弱点を抱えている。東北沖が地震の宝庫であるため、沿岸部は定期的に津波に襲われるため、ここには大きな交通インフラを築くことが出来なかった。
 沿岸部の都市は国道45号線でつなげられていたが、東北の大動脈である東北自動車道、東北新幹線は沿岸部を離れた内陸部を通っている。そのおかげで今回の大震災では、大動脈の被害は軽微であり、健全であった。
 しかしながら当然沿岸部の国道45号線はズタズタに破壊され、まったく機能しなくなった。東北自動車道は生きていたので、全国からの物流はそれを使い、東北自動車道から派生している枝道を使って被災地に届けられることになったのだが、その枝道はいずれも貧弱であり、物流の流れは滞っていた。

 現在の文明において、物流は極めて重要であり、これが断たれると都市は一挙に機能を失ってしまう。今回の大震災では、東北は交通インフラが脆弱であったことが、最大級の弱点であることが露呈された。

 今、東北に行くと、道路を多くの建築資材や鋼材を積んだ大型トラックが走っている姿を見る。それは今なお、被災地の整地作業を行っているからもあるのだが、もう一つは大掛かりな道路建築を行っているからである。

 東北では、東北自動車道に加え、新たにもう一本高規格道路を沿岸部に建築中である。山と海ばかりのリアス式海岸部に真っ直ぐで幅広の道を造るわけだから、橋とトンネルだらけの難工事を要する道路となっているが、それでも着々と工事は進んでいる。

【陸前高田】
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 それらの工事の風景はいずこでも見られたが、これは陸前高田市のもの。
 津波で全てが押し流された平地部の工事に加え、背景の小高い丘でも重機がいくつも入って大工事中である。
 今までの陸前高田の姿からすれば、まったく変貌を遂げた姿であろう。

【復興道路】
Road

 現在工事中の高規格道路は復興道路と呼ばれており、三陸沿岸部にまず一本の大きな基幹道路を造る。このことにより東北の大動脈は二本となり、さらにもう一つの大動脈の東北自動車道にも梯子状に高規格道路を繋ぐことが計画されている。
 このことにより、また大津波が来ても、交通インフラは保存され、物流は途絶えることはない。

 東北は、復興道路を得て、津波に耐えうる強靭な体力を持つ地に生まれ変わろうとしている。

 沿岸部の交通において、もう一つ重要なものが鉄道である。
 鉄道は人を運ぶ量の多さと、時間の正確さから、人々の暮らしにとって欠かせないものであり、これが無くなると沿線の町は一挙に寂れてしまう。
 東北沿岸部を走る三陸鉄道は、地震と津波が多い地であることから、特にそれらに対して強固な造りとなっていた。基本的には高さのあるところを走り、橋なども特別に強靭に造られていた。
 しかしながら、今回の大震災では、その強固な造りの鉄道がズタズタに破壊されてしまい、一時は再開の目途も立たない状態であり、廃線も検討された。けれども、鉄道は沿線の人々の生活の基本であるという認識から、再建が決定された。

【島越駅@「さんてつ」より】
Santetu

 漫画は震災直後、三陸鉄道の破損の状況を調べるために、社員たちが線路沿いに調査を行っていたとき、最も頑丈に造られていたはずの島越駅が無残に破壊されている姿を見てショックを受けるシーン。
 元々島越駅は小高いところに建てられており、二つのトンネルを耐震性に優れた構造であるラーメン橋梁で結んだ位置にあったのだが、その橋梁は破壊され、駅舎も流されてしまった。
 想像をはるかに超える自然の猛威に、島越駅は為す術もなく崩れたのである。

【島越駅】
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 いったんは廃線も検討された三陸鉄道であるが、結局元あった線路を活用し、さらなる強靭化を行い、再建されることになった。
 これは今工事中の島越駅である。
 通常の橋梁では津波には耐えられないが分かったため、再建中の鉄路は、盛り土構造を採用し、より強固なものとして改築中である。


 このように、今東北では、「東北改造」といっていいような、大規模な工事が広い範囲で行われている。
 大震災のときは、そのあまりの被災の甚大さに、自然の力に畏れ慄くばかりであった我々が、時を経て、自らの築いて来た文明の誇りを取り戻すべく、津波に耐えられる世界を、一から再構築中なのである。
 東北では今工事のための資材を積んだトラックが大量に行き交い、あらゆるところの工事現場では重機の機械の音は高く、力強い足取りで工事が進捗している。
 この熱気、活気は、おそらくは日本では、50年以上前の高度成長期時代にしかなかったものであろうが、それ以上の規模と技術で、復興劇が現在進行中で行われているのである。
 東北に行けば、その素晴らしい劇を見、聞き、経験することができる。これは是非とも行ってみる価値のある地である。


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Invitation to Tohoku in Japan

Jpn

 Tohoku district is occurred a lot of large earthquake and Tsunami(seismic sea wave) from the fact that a continental plate exist nearly.
 For once in 50~100 years, tsunami and earthquake attack this region, destruction and reconstruction has been repeated.
 Tohoku has been the most dangerous zone in the world.

【Yuriage area】
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 March 11, 2011, giant tsunami and major earthquake stroke the Tohoku region.
 The damage is so enormous that many coastal cities was destroyed.
 The figure is a current Yuriage area that located at Miyagi Prefecture.
 Before the disaster,it was a residential land where many houses lined with. But Tsunami stroke this area, all the houses were swept away, and large vacant land was left there.

 Tohoku was a region that repetition of destruction and regeneration is present.
 But the tragic destruction in this time was of too much , we were very overwhelmed. For the violent power of the giant natural, we knew the weakness of our power.

 However two and a half years passed from the disaster, We are beginning the effort to overcome the earthquake and tsunami.

【Rikuzentakada city】
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 In this earthquake, the vulnerability of transportation infrastructure in the Tohoku became a severe problem.
 National Route 45 connecting the coast city was destroyed completely, so we became very difficult to carry the materials for the restoration to affected areas after the disaster.
 Now the new high-standard roads have being built in a wide range of coastal areas.
 This new roads have a lot of bridge and long tunnels, so if the giant tsunami as 2011 will come, this road can bear sufficiently

 The fig shows construction site of Rikuzentakada city. Large ground and hills are filled with construction machinery, and works have been doing well vibrant.

【Simagoe station】
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 Railways were destroyed as well as roads in the disaster.
 As Earthquake often occur in this region, this railway had been made resistant to earthquake especially.   But this 2011 tsunami was powerful beyond our expectations, and the Shimagoe station (as fig) rail line and station building also was washed away.
 Taking advantage of the lessons learned, new line and station building which are stronger than ever have been reconstructed.

 Now, large-scale constructions such as may be said “Tohoku remodeling” have been carried out widely.
 They are great works that make possible to counter against the wild forces of nature over the pride of human civilization.
 In the Tohoku wonderful play is in progress for the revenge to the natural.
 
 I hope you come to Tohoku. And I want to see, hear, and experience the regenerating Tohoku.
 If you come to there, you will be sure to obtain a precious experience certainly.

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L'invitation à Tohoku au Japon

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 District de Tohoku est survenu par beaucoup de grand tremblement de terre et le tsunami (vague sismique marine) du fait qu'il ya une plaque continentale près.
 Pour une fois dans 50~100 ans, le tsunami et tremblement de terre attaque cette région, la reconstruction et la destruction a été répété.
 Tohoku etait la zone la plus dangereuse du monde.

【Yuriage aire】
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 Le 11 mars 2011, un tsunami géant et grand tremblement de terre ont frappé le district de Tohoku.Le dommage est si énorme que de nombreuses villes côtières ont étécomplement détruits.
 La photo est Yuriage aire courant situé à la préfecture de Miyagi.
 Avant la catastrophe, c'était un terrain résidentiel où beaucoup de maisons s’est rangées.Coup de Tsunami au aire, toutes les maisons ont été emportés, et grand terrain vacant s’est laissé là.

 Tohoku était une région qui répétition de destruction et la régénération est présent.
 Mais la destruction tragique de cette époque était de trop, que nous nous sommes très impressionnés.
 Pour le pouvoir violent de l'environnement naturel géant, nous savions que la faiblesse de notre puissance.
 Cependent deux ans et demi passés de la catastrophe, nous-japonais commençons l'effort de surmonter le tremblement de terre et le tsunami.

【Rikuzentakada ville】
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 Dans ce tremblement de terre, la vulnérabilité des infrastructures de transport dans le Tohoku est devenue un problème grave.
 Manière Route 45 qui relie la ville côtière s’est complètement détruit tellement, que nous sommes devenus très difficiles à transporter les matériaux pour la restauration des regions touchées après la catastrophe.
 Maintenant, les nouvelles routes de haut niveau s’est construits dans une grande étendue de côtières.
 Ces nouvelles routes ont beaucoup de ponts et tunnels longs, même si le tsunami géant comme 2011 viendra, les routes peuvent supporter suffisamment.

【La station de Simagoe】
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 Les chemins de fer s’sont détruits ainsi que des routes dans la catastrophe.
 Parceque tremblement de terre se produisent souvent dans cette région, on ont rendu ce chemin de renforcer pour résister aux tremblements de terre en particulier.
 Mais ce 2011 tsunami était puissant au-delà de nos attentes, à la station de Shimagoe(aussi photo), la ligne de chemin de fer et la construction de la station a également été emporté.
 Profitant des enseignements tirés, la nouvelle ligne et de la construction de la station qui sont plus forts que ont été reconstruits précédemment.


 Maintenant, les constructions à grande échelle comme on peut dire“Tohoku remodelage” s’est réalisées largement.
 Ils sont grands travaux qu'on peut contrer contre les forces sauvages de la nature sur la fierté de la civilisation humaine.
 Dans Tohoku au japon, le jeu merveilleux est en cours pour la revanche à la grande nature.

 Je vous voudrais venir à Tohoku. Et voyez, écoutez, puis faites l'expérience de la régénération de Tohoku.
 Si vous venez à là, vous devrez obtenir une précieuse expérience certainement.

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September 23, 2013

旅館:佐勘松庵@宮城松島

【玄関】
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 東北旅行最終日の宿は、奥松島の佐勘松庵。
 日本三景の一つ松島は有名な観光地であり、瑞巌寺あたりはいつも人で賑わっているが、そこからさらに湾内の奥へ進んだところにある奥松島は、人が来ることも少なく、そこに建つ佐勘松庵は隠れ家的な雰囲気のある、静かで落ち着いた宿である。

【部屋】
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 佐勘松庵のウリはなんといっても、部屋から直接眺めることのできる松島湾の風景。
 窓の下にはすぐに海があり、そして松島湾には白い岩肌のうえに松を乗せた島々が点在して、日本画ふうの景色をつくっている。部屋から、この風景が日が傾くごとに刻々と変わっている姿をみるだけでも、あきることがない。

【大浴場】
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 この宿の風呂は温泉ではないが、風情ある大浴場が内風呂と露天とある。
 客室が11室と小規模な旅館ゆえ他の宿泊客に会うことも少なく大浴場はゆったりと使える。

【夕食:前菜】
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 夕食はいろいろな食事処があるが、「海が見える」とのことでレストランにした。
 …ただし、秋分を過ぎた時期には日はさっさと暮れるので、食事時には暗い風景しか眺められなかった。東日本は、九州と比べ日が暮れるのが早いのでどうも戸惑ってしまう。

 前菜は、山菜の和えもの、蓮根唐揚げ、栃餅、味噌卵黄、カレイ一夜干し、子持鮎、などなど。
山の幸、川の幸、海の幸を使った、素朴だがけっこう手のかかった料理。

【ミニ雲丹丼】
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 これも前菜の一つで、ただの活き雲丹と思いきや、雲丹の殻を使ったミニ雲丹丼である。

【造り】
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 魚の名産地三陸での造りは、鯛、鮪、牡丹エビに秋刀魚。
 秋刀魚は毎日食べている気がするが、三陸の秋刀魚はいずこで食べてもたいへん美味しいのである。

【椀物】
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 椀物は本シメジと蟹真丈の椀物。出汁はやや強めだが、真丈そのものが蟹がたっぷりで味が強めなので、これはいいバランスである。

【焼き物】
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 焼物は地元の仙台牛のロースト。
 牛肉も味が豊かなものだが、地の野菜もまた濃厚な味であり、ここが良い素材に満ちた土地であることが分かる。

【煮物】
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 蕪のシチュー煮にイクラを散りばめたもの。
 創作系の和料理であるが、華やかで、また随分と手の込んだ味付けの、面白い料理であった。

【穴子飯】
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 御飯は穴子飯。
 穴子飯は広島宮島が有名だけど、松島もまた穴子の名産地なのであり、それゆえ穴子飯も名物なのだ。
 日本三景のうち、二景が穴子飯が名物というのも面白い。
 意外とあっさりした味付けであり、今までたくさん食べて飲んだあとも、しっかりと入ります。

【夜景】
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 夕食を終え部屋に戻ると、日はとっぷりと暮れ、窓の外には夜の海が広がっている。
 宿からライトアップがなされており、海がやわらかく光っている。
 夜の海に幾本が立っている杭は、浅蜊取り用のものとのことである。

【日の出】
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 東の海に面している宿なので、日の出を楽しみにその時間を待っていたが、島の縁から日の昇るはずのところは雲に覆われ、ぼんやりした日の出しか見られなかった。
 今回の東北旅行では、日の出に関してはツキがなかった。

【遊歩道】
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 佐勘松庵は広大な敷地を持っており、そこに遊歩道がある。
 雑木林のなかを、松島湾を眺めながら歩く道であり、観光客の賑わいのない静かな松島の風景を楽しむことができる。

【朝食】
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 朝食は素朴系の胃が疲れない料理。
 卓には炭火のコンロがあり、それで仙台名物笹かまぼこと、松島名物「松島こうれん」を自分の好みのぐあいに焼きあげる。
 松島こうれんは、地元のお菓子であって、上品な甘さと、サクッとした食感が特徴。


 この旅館は、静かで落ち着いた雰囲気がまず良く、そして料理は素材、調理とも高いレベルにあったし、またなんといっても部屋からの景色が良く、なかなかの名旅館であった。

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東北旅行(4) 宮古市→松島

 宮古市の寿司店で、「宮古市ではどこがお勧めの名勝ですか?」と聞いたら、「そりゃ、浄土ヶ浜でしょう。ここは訪れる価値は絶対にあります」とのことで、行ってみた。

【浄土ヶ浜】
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 浄土ヶ浜の名前の由来は、「浄土のように美しい」と称されたことかららしい。
 静かな入り江のなかに、松を載せた、白い奇岩、巨岩が海面からにょきにょきと立つ姿は、たしかに現実離れしたところがあり、浄土を思わせる雰囲気はある。

【浄土ヶ浜レストハウス】
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 浄土ヶ浜も当然、津波の被害を受け、ここにあったレストハウスは半壊の被害を受け、浜も瓦礫だらけになっていたそうだ。
 しかし建物の重要な部分は残っており、補修は可能だったので、なんとか改修でき、浜も多くのボランティアの助けもあって瓦礫は撤去され、営業が再開されたのち、今は観光客で賑わう施設に復活した。

【蛸の浜】
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 浄土ヶ浜は、複雑な形をした半島のなかの一湾の入り江で、隣には「蛸の浜」がある。
 この浜は宮古市市街から直接つながっている浜で、漁港もあったことから、相当に賑わっていたはずだが、海岸線の道路の橋はいまだに破壊されたままであり、浜全体が更地状態になっていた。

【蛸の浜へのトンネル】
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 浄土ヶ浜にあった地図では、蛸の浜へはトンネル経由で行けるとあったので、そこへ向かったが、トンネルには「立ち入り禁止」の標識が。
 大震災から2年半が経つけど、ここはいまだに復旧されていなかった。

 
 浄土ヶ浜を散策したのち、宮古市からは国道45線を使ってドライブ。途中からは元来た道をたどりながら南下し、奥松島へ。

【奥松島】
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 東北の海岸を襲った大津波で、ほとんどの町は大きな被害を受けたわけだが、松島は湾内の多くの島が天然の防潮堤となったために、他の地域に比べ、被害は最小限で収まった。
 たしかに旅館から見る風景は、島が幾層にも重なって外界を遮っており、津波はこれらにぶつかって威力を削がれていったことがよく分かる。

 宮古、釜石、石巻、田老などで、破壊され尽くした防潮堤を見たあと、あの大津波をものともしなかったこの天然の防潮堤を見ると、自然というものの偉大さをどうしても感じざるを得ないが、それでも、ここには自然の脅威を制御するヒントが豊富にあるわけで、我々は学ぶべきことがあまりに多い。

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September 22, 2013

町の核(Core of a town)@東北2013年9月 

【道路標識:国道45号線】
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 三陸の海岸線沿いの国道45号線は、リアス式海岸を通っているので、その地形特有のアップダウンの多い道路である。この道路にはいたるところに、「過去の津波浸水区間」という標識があり、どの高さまで津波が来て、どのあたりが安全地帯かなのかがよく分かる。
 そしてその標識は、じつはなくても過去の浸水区間ははっきりと分かる。
 小高いところを走っていると、そこには普段通りの人家の建物があり普通の生活があるわけだが、津波浸水区間を走るととたんに家々はなくなり、そこには基礎のみ残った更地が広がっている。そして津波浸水区間は外れると、また人家が現われてくる。
 国道45号線はずっとその繰り返しであり、精神的にキツい道路であった。

 浸水地区は以前は瓦礫が山積し、また壊れた家屋等も残っていたわけだが、大震災から2年半がたってそれらは片付き、いずこも広い更地となっている。

 更地、となっているからには、その地はなんらかの使い方があるはずで、防災地帯とするのか、あるいはまた人が戻ってくる地となるのか、いずれかであろう。
 しかし、これらの更地についてはまだどこまでを居住可能範囲とするか、あるいはどこまで嵩上げするかの正式な方針が定まっておらず、人は戻って来ようにも方図がたたない、結局は人の住むことなき無人の地として残されている。

 しかしながら、それらの更地のなかにもいくつかには、人が戻りだす魁も現れ出していた。

 古来より人々は、町をつくるときにはまずは核となる建物をつくることから始めていた。それは人が集い、人が安らぎを得る場所であり、日本ではそれは社であって、ヨーロッパでは教会であった。そこを核として、町は徐々に家屋を増やし、道を伸ばしいき、多くの人の住む町となったのである。

 そして、現在の日本では新しい「町の核」が現われていた。
 以下参照。
 
【セブンイレブン】
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【ローソン】
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 国道45線沿いにある更地には、家々は撤去されたのだが、コンビニだけはけっこうな数を見ることができた。
 ただしセブンイレブンもローソンも、通常見る姿とは異なっていて、いずれも(仮)と括弧付けたくなるような、とりあえずの状態で店が再開されている模様。これらのコンビニは、いったん流されたのち、もとあった場所で仮店舗のようなものを建て営業しているようである。

 考えてみれば、現在社会でのコンビニの機能たるや、通常の小売に加え、銀行や郵便、旅行代理業等も兼ねているのであり、これ一つあればたいていのことは済む、というくらいに大変便利なものである。
 だからコンビニがあれば、それだけで近くの人は、特に不自由なく暮らせるわけであり、これが最初に町につくられるのは極めてもっともなことと言えよう。

 けれども2013年9月の段階では、三陸におけるコンビニは更地のなかにぽつんと一軒だけ建っているのがほとんどであり、国道走行中の人が途中で寄るか、あるいは高台に住んでいる人が下りてきて利用するかくらいにしか使われていない。
 まだ本来の「近くの人の便利のためにある存在」にはなれていないようだ。

 それでも、最初の一歩は大事である。
 今、三陸では湾岸地帯には更地ばかりが点在している。その更地は、はっきり言って「廃墟」と称していいような存在である。
 廃墟に接するとき、私たちは常に心打たれるのであるが、それは人が必ず死ぬように、町も必ず死ぬということを思い知らされるがゆえ、心を打たれるわけであり、しかし三陸の更地群は、廃墟と言ってしまうには若すぎるであろう。まだまだ死ぬような所ではない。

 一見、人に放擲された地のように見えるこれらの地も、町の核であるコンビニが仮店舗ながら建てられた。そして町の核は、昔のそれがそうであったように、やがて周囲に人が集ってくる、そういう力を持っている。まずはコンビニから。それから、徐々に町はつくられていく。

 そして私は思う。
 コンビニは夜も営業を行っている。
 人が去り、完全な無人の地となっていたころ、そこは夜には明かりは絶え、真の闇に満ちた地であった。しかし、夜には自然そのままの闇が支配していた地に、煌々と明かりを照らす建物が建てられた。一帯に満たされていた闇は、その建物の明かりで、一画を裂かれ、ここに人の営みがあること、人の命があることを、そして町が生きていることを物語っているであろう。

 闇夜の海で沖を行きかう船へその行先を示す岬の燈台のように、コンビニには自らの価値の重さ、それに確かな使命、それらが託された存在であることは間違いない。

 国道45号線を走るときに見た、広大な更地に、ぽつんとぽつんとあるコンビニには、「町の核」としてのたしかな存在感があった。

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寿司:よし寿司@宮古市

 宮古市に宿泊し、寿司店を何軒か検索して、予約のとれた「よし寿司」へと。
 店に入れば、ネタケースにはいかにも新鮮な魚や貝が並んでいる。
 宮古市は魚の水揚げの多い宮古港のあるところなので、海産物はさすがに豊富なようだ。

【造り】
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 まずは造りをおまかせで。
 秋刀魚、メヌケ、キハダ、それに赤貝。
 どれも鮮度のよいものであるが、やはり秋刀魚の味の良さが抜群。
 昨日の盛岡の秋刀魚も良かったし、東北で産地の近くで食べる秋刀魚は素晴らしい。

【ホヤ】
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 九州とかでは、ゲテモノ的に思われているふしのあるホヤであるが、東北では好んで食される食材である。
 「海のパイナップル」とも呼ばれるだけあって、こういう形だ。

【ホヤ】
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 その海のパイナップルは二つに切られており、開ければこのようになる。
 九州では鮮度の問題から塩辛で食べることの多いホヤだけど、ここでは酢のもので。
 鮮度のよいホヤ独特の、潮の香りが満ちている。

【握り 秋刀魚】
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 ネタケースをみながら、握りをいろいろと頼む。
 造りに続いて、生の秋刀魚を握りで楽しむ。
 造りも良かったが、鮨にしてもまた美味である。
 その他、握りは全体に鮮魚系であり、魚の美味さをダイレクトに楽しめる。

【ワイン】
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 店の奥にはワインセラーがあって、けっこうな数のワインが置いてあったので、白ワインを一本頼んでみた。お勧めリストのなかに、ルイジャドのシャブリ・セリエ・ド・ラ・サブリエール2011年があったので、それを所望。
 ルイジャドは昨年フランスに旅行したときに訪れたワイナリーであり、そこでは2011年のワインをずいぶんと試飲したものだが、地球を半周したところの岩手宮古でまた会うとは、一種の奇遇である。
 ワインは果実の香り豊かな、爽やかな辛口ワインであり、鮮魚系の握りにも案外あっていた。


 よし寿司は大箱の寿司店であったが、従業員の数も多いので、注文、調理等の手際がよく、そして素材も良かったことから、なかなかいい店だと思った。
 またこの店はカウンターは禁煙であり、地方都市の寿司店では珍しいことであって、これは高ポイントとなろう。

 大震災の時は、大津波は海から2km近く離れたこの店にも押し寄せ、1mほど漬かってしまい1階は使えなくなってしまったとのこと。大幅な補修ののち再開は出来たものの、1年ほどは客が来なくて困っていたそうだ。
 本日の店の賑わいぶりをみると、宮古市にも人はそうとう戻ってきてはいるようには思え、とにかくそういうふうに東北も徐々に活気を取り戻している過程にはあるようである。


【宮古市魚采市場】
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 魚がどっさりと揚がる宮古では、この魚采市場が獲れたての魚をたくさん見ることのできる名所である。

【秋刀魚】
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 鯛からカンパチから鮭から蛸から、…ともかくなんでもかんでもいっぱい並べられていた魚采市場であるが、やはり目に一番つき、量も多かったのが秋刀魚。
 そして秋刀魚って、じつはサイズにもいろいろあるのだな。
 一番大きな特大サイズは、他の地では滅多に見ないほどの大きさである。
 こういった魚をふんだんに扱えるわけだから、東北の居酒屋や寿司店は美味しいわけだ。

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東北旅行(3) 盛岡市→久慈市→島越駅→宮古市田老地区

 盛岡市からは国道4号線と281号線を使って、久慈市へと向かう。
 国道4号線からは、左手に岩手山が見える。

【岩手山:残念ながら雲がかかっている】
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 円錐型の独立峰で、その堂々たる山容の姿で、たいへん人気のある山で当然日本百名山にも選ばれている。
 一度この秀峰を見て、いつか登らねばと思いつつ、…もう10数年以上の月日が流れている。

【鏡岩】
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 国道281号線を久慈市に向かって走っているうち、垂直の巨大な断崖絶壁が見えてきた。
 これは名のある地であろうと車を止め、散策。
 案内板を見ると、ここは「鏡岩」なる名所であり、久慈渓流に沿って、奇岩、巨岩の立ち並ぶ地域なのであった。…ただし、しばし歩くと渓流沿いは立ち入り禁止となっていたが、それじゃあまりに寸詰まり過ぎで、名所としてはおかしいと思う。他に道があるのかな。

【小袖海岸】
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 久慈市では、NHKの朝ドラマ「あまちゃん」で有名になった北限の海女の地「小袖海岸」に寄る予定であったのだが、ドラマのおかげであまりに人気が出すぎており、小袖海岸には交通規制がかかっていて、マイカーでは立ち入り禁止とのことであった。
 それで小袖海岸に行きたい人は、久慈市の駐車場に車を止め、バスで行く必要がある。それでそうするつもりであったのだが、久慈市を訪れた日はちょうど祭りの最中であり、市内は人と車でごったがえしの状態であり、駐車場の空きを探すのもたいへんであった。それゆ、今回は小袖海岸はパスし、そのまま国道45号線を南下。
 写真では、破壊された堤防の先に半島が見えるけど、この奥に小袖海岸があるはず。

【陸中黒崎灯台】
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 国道南下中、灯台への道標があったので、寄ってみた。
 この灯台は、日本灯台50選に選ばれた、有名な灯台とのことである。
 切り立った岬の先にある灯台で、たぶん他の岬から見ると相当に格好いい灯台と思える。

【田野畑駅 水門】
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 田野畑駅は三陸鉄道の駅であり、高台にあるため直接的な被害は軽度で済んだものの、周囲の村落はほぼ壊滅状態となったところである。
 駅舎がロマンチックなこともあり、NHKドラマ「あまちゃん」のロケに使われてことから観光名所になっており、観光バスを含め車がたくさん止まっていた。

 写真は田野畑駅前の水門。
 一見、前後の橋脚が失われた高架のうえに取り残された列車のように見えるが、これは水門であり、元からこういうデザインなのである。
 津波はこの水門を越えて村落を襲い、周囲の家々は流され、更地となっていた。

【漫画「さんてつ」の一場面より】
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 大震災のときの三陸鉄道のドキュメンタリー漫画「さんてつ」は、当時の三陸鉄道関係者の奮闘ぶりを描き、その情報がリアルに伝わって来る。
 大震災の翌々日に大津波警報がようやく解除され、宮古駅を本部としていた三陸鉄道の職員たちは、北に向かって一つ一つの駅を確認していった。三陸鉄道は、元々地震や津波の多いところに造られた鉄道なので、構造は頑丈であり、また高地を通るようにしていた。例えば田老のように町が壊滅したところでも、田老駅の駅舎は残っており、駅を結ぶ線路を補修すればすぐにでも鉄道は再開通できそうに思われた。
 しかし、島越駅を訪れたとき、彼らは愕然とする。
 島越駅は三陸鉄道でも最も頑丈に造られた駅だったのに、駅は町ごと消滅していたからだ。

【島越駅】
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 三陸鉄道では、この島越駅周囲の損傷が最も激しく、大震災から2年半が過ぎた今でもまだ工事中である。
 中央に見える家は、この周囲100軒もあった家々のなかで、ここだけ流されずに残った家である。

【田老 防潮堤】
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 田老は津波の多いところであり、津波を食いとめるために巨大な防潮堤を築き、それは「田老の長城」とも呼ばれていた。三陸に大きな被害をもたらしたチリ地震津波のさいは、この防潮堤が津波をはね返し、ほとんど被害をもたらさなかったことから、田老は「津波防災の町」として有名になり、津波対策の一種のモデル地区ともなっていた。

 しかし今回の大震災では、その防潮堤を津波は易々と乗り越え、田老地区は壊滅した。
 自然の底知れぬ脅威、人間の営みの脆さ、などを示しているのだろうが、…この防潮堤を直に見て、私は考えが変わった。

 陸側に一部破損された部位はあったものの、全体としてこの防潮堤は健在である。
 昭和前半に建築されたこの防潮堤は、よほど堅牢に造られているようで、防潮堤自体は津波に負けなかった。

【田老 防潮堤2】
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 田老では防潮堤は複雑な形で町を囲っていたのだが、津波到来とともに瞬時に崩壊したのは、写真で赤丸で示している、高さ10mのスーパー防潮堤のほうであった。こちらは、先に示した防潮堤より新しく造られており、技術もより進歩していたはずなのだが、結果としては役に立たなかった。

 新防潮堤が手抜き工事であったとは思わぬものの、この明らかな強度の差は、明らかに課題を残している。もし、これらの防潮堤が全て破壊されなかったら、被害はより軽度になっていたのでは。
 そして、今回の途方もない津波にも田老の旧防潮堤は耐えているのだから、さらに高さを積み上げ、徹底的に強化された新防潮堤で町を囲み、対津波への強大な城塞を築けば、また大津波が来ても、チリ地震のときのように津波をはね返せるのではなかろうか。

 今度の大震災では人間は自然に負けっぱなしであったが、次のとき、打ち勝った地区があってもいいと思うし、あってほしい。
 まあ、自然のほうは勝ちとか負けとかなんとも思ってないわけだが、それでも津波に耐え健在であった旧防潮堤を見て、ここには人類の意地がある、と私は思った。

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September 21, 2013

郷土料理:沢内甚句@盛岡市

 東北2日目は盛岡市に宿泊。
 せっかく東北に来ているので、地元の料理を食べようと思い、ホテルのフロントにあった周囲の料理店リストのなかから、近くにある郷土料理店「沢内甚句」へと。

【メニュー】
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 本日のお勧めのメニューはこんなものであった。
 秋は山菜の時期なので、もう少し豊富であってもよいとは思ったが、まだ早いのかなあ。
 とりあえずは、ミズと、秋刀魚刺、メヌケ西京焼きを注文。

【ミズ】
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 西日本ではほとんど見ない、この地方特有の山菜。
 シャキシャキとした食感と、爽やかな香りが特徴。
 この地を流れる渓流の清らかさが伝わって来る。

【秋刀魚刺し】
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 秋刀魚、美味いっす。
 元々秋刀魚の刺身は地元の東北でしか出ないような料理だったのだけど、今は流通が良くなったので、どこでも食べられる料理となったはずだが、秋刀魚の上がる漁港の近い地ではやはり鮮度が違う。
 食感、旨み、香り、すべてよし。

【メヌケ西京焼き】
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 メヌケとは東北から北海道で主に獲れる深海魚であり、脂のよくのった魚。
 ビールによく合う肴が続き、メニューをみると地ワインみたいなものがあったので、それを頼んで、さらに肴を追加。

【キノコ柳川】
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 東北はキノコのよく取れる地であり、道の駅ではたいてい特産品としてキノコが売られていた。
 これはそのキノコの柳川風。キノコはたぶんシメジとマイタケ。

【ももどり】
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 この店の名物料理だそうだ。
 地鶏の腿肉をスパイシーに、カリっと焼きあげたもの。
 これをもっとスパイシーかつオイリーにすると、丸亀名物「骨付き鶏」になるのだろうが、その手前で止め、よりマイルドな味となっている。

 盛岡名物には「じゃじゃ麺」があり、〆にそれを頼もうと思っていたのだが、こんなに食べるとそこまで行きつかず、ももどりにて〆となった。

 それで明日の昼にどこかで「じゃじゃ麺」を食おうと思ったのだが、いざ昼になると、じゃじゃ麺って昼間から食べるようなものとも思えず、(たぶん胃がもたれる)、結局今回の旅行ではじゃじゃ麺を食うことなく終わってしまった。

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東北旅行(2) 南三陸町→気仙沼市→陸前高田市→釜石市→盛岡市

 南三陸ホテル観洋では、震災を風化させないために震災の跡地をバスで巡り解説を行う「語り部バス」を運営しており、それに参加。
 巡ったところは、戸倉中学校、防災庁舎、新町役場など。

【防災庁舎】
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 市街地全体が津波に襲われた南三陸町の悲劇の象徴である防災庁舎。
 元々は町役場のすぐ横に設置された鉄骨構造の三階建ての建築物であった。震災の際は、ここが防災の本部となり、実際に大震災のときは町役場の者たちがここに移り防災の指揮をとったのだけれど、津波は楽々とこの庁舎全体を飲み込み、職員ら42名が犠牲となった。

【防災庁舎近景】
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 近づいてみれば、全て流された壁、ねじ曲がった鉄骨、変形した非常階段等、破壊された庁舎の姿がそこにある。震災の揺れ、津波に耐えるべく造られたはずの防災庁舎のこの無残な姿が、津波というものの恐ろしさと、人間の造った構築物の脆さ、限界というものを物語っている。

 この防災庁舎は、大震災の遺構のなかでも最も有名な存在であり、大震災を語りつぐために保存すべきかどうかずっと議論が続いていた。しかし9月に町議会で一票差という僅差で撤去が決定し、本年度末までには撤去が完了することになる。
 撤去の理由については、「町の再開発の妨げになる。遺族がこの庁舎を見ると、そのたび亡くなった者のことを思い出し、辛くてたまらないとの意見がある」などとのことであった。
 それらの意見は理解はできるし、またそれらについて余所者がどうこう言えたものではないのだけど、ただし、これほどまでに自然の脅威をリアルに伝えるものをこの世から無くしてしまうのは、もったいないことだとは思う。現実問題としてこの庁舎が南三陸町の重要な観光資源になっているのも事実ではあり、なにかうまい方法で残しておく方法はあったのではと思えてならない。

【高野会館】
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 南三陸町では震災遺構は次々に撤去されているが、しばらくは残りそうなのがこの「高野会館」。
 大震災時、この会館では高齢者芸能会が開かれており、激しい揺れが収まったのち、参加者達330名ほどは会館から出て、いったん家や避難所に向かおうとしたそうである。そのとき支配人が玄関口に立ち、「命の惜しいものはビル内に残れ」と、皆を押し戻した。皆は4階に避難していたのだが、津波は想像を超えた高さまで迫り、屋上に移動。津波は屋上の足元程度まででなんとか止まり、避難者全員が無事であった。支配人、good job !である。
 このビルは震災遺構が次々と解体撤去されるなか、ビル責任者の「震災の教訓を語り継ぐ場として被災建物は重要である」との意見で、まだ残されている。ただし維持費や管理費とかを考えると、民間企業での保持は難しく、保存には難問難題が残っている。

【気仙沼市 第18共徳丸】
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 大震災の夜、次々と各地の悲惨なニュースが伝えられるなか、南三陸町や気仙沼市は、その地方からの情報が入らず、「南三陸町、気仙沼市は壊滅です」との報道が流れた。
 「壊滅」という一般的な単語が、それがニュースで流されると、聞き慣れぬ、異常な言葉の響きとなり、不気味な恐ろしさが伝わって来た、あの夜の記憶は日本人にはまだまだ生々しいものであろう。

 南三陸町も、気仙沼市も、街を埋め尽くしていた瓦礫はすでに撤去され、そこには広大な更地が広がっていた。「壊滅」はまだまだ続いている状況なのではある。

 写真は、気仙沼市の震災遺構「第18共徳丸」。
 津波により330トンの大型漁船が陸に押し流され、鹿折駅の近くに乗り上げ、海に戻す方法もなくそこに据え置かれていたものである。
 「本来そこにあるはずのないものが存在している」、超現実的な存在が、津波の恐ろしさを如実に物語っている。
 この第18共徳丸も解体撤去が決まっており、現在はその作業中であった。

【奇跡の一本松】
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 陸前高田市の高田松原は約7万本もの松が植えられた、風光明媚な砂浜であった。それが大震災の津波により根こそぎ浚われ、津波が去ったあと、奇跡的に松が一本だけ残っていた。
 津波に耐えた不屈の精神の象徴として、その松は人々の心の強い励ましとなっていたのだが、海水の浸食により残念ながら平成24年5月に枯死が確認された。
 そのため、なるべく元の松を使用し、そして元の姿を残した形で、人工物として再構築し、モニュメントとして同じ場所に立てられた。

 この松、とても形が立派である。
 雄々しくも、凛々しい。
 復興のシンボルとしてまさに適役であり、そして観光客も多く集っていた。

【釜石港】
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 釜石市も大きな被害を受けた地である。とくに街を守るために巨大な堤防を港口に造っていたのに、今回の大津波はそれをも破壊してしまい、釜石港も機能しなくなってしまった。
 その港を訪れてみた。
 港にはまだ震災の傷跡は残っていた。しかし震災から2年半がたち、港には多くの重機が入って、堤防の復旧作業を行っており、着々と釜石港は以前の機能を取り戻しつつあるところであった。


 釜石市からはいったん海岸線を離れ、遠野経由で盛岡市へと。
 本日走った国道46号線は、平地になるたびに震災後の更地が広がる、精神に負担のかかる道であったが、遠野へ向かう国道283線は山のなかなのでそういうことはなく、ずいぶんと気持ち的に楽であった。

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September 20, 2013

南三陸ホテル観洋

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 2011年の大震災のとき、夜が明けたのち、三陸の町を空中からとらえた中継映像がニュースで流され、そこには変わり果てた町の姿がいくつも映されていた。
 そのなかで南三陸町、地盤沈下で冠水し、街が瓦礫で埋め尽くされているなか、街外れにあるホテルが一軒のみ無傷の姿で立っていた。
 なんと頑丈な構造物であることかと私は感心した。
 そしてこのホテルは避難所として利用され、着の身着のままで逃げて来た被災者たちの安心して過ごせる場所となり、従業員達は献身的にそのfollowを行ったという。
 ここは、そういう日本の底力の象徴のようなホテルであり、今回の旅行ではぜひ訪れたいと思い、宿泊。

【ウミネコ】
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 このホテルは太平洋に面しており、そして周囲にはミャーミャーというウミネコの鳴き声がさかんに聞こえる。よほど餌となる魚の豊富な海とみえる。
 そしてウミネコたちは人間にも慣れており、部屋の窓の外にしょっちゅう訪れていた。

【夕食】
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 夕食は、海の傍のホテルゆえ、海の幸のオンパラードが最初にずらりと並びます。

【鮑の地獄焼き】
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 活き鮑をそのまま焼き上げる、鮑の地獄焼き。
 活き鮑が豊富に手に入る地方ならではの料理である。

【フカヒレ】
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 大震災のとき、フカヒレの大産地である東北の港が機能しなくなってしまったため、世界的にフカヒレ料理が供されなくなり困ってしまったという話があったが、今ではちゃんと定番料理となるまで、漁が復活したようである。

 大箱のホテルであるが、料理はなかなかのレベルのものであった。
 そして、このホテルの名物には温泉があり、太平洋を前にしての広い露天風呂はたいへん気持ちのよいものであって、温泉のみに立ち寄る客も多いのもよく理解できた。

【夜明け】
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 ホテルは東に向いているので、朝には当然太平洋から昇る陽が見られる。
 日の出をホテルも名物にしており、ロビーには日の出の時間が書かれていて、その時にずっと海を見ていたのだが、残念ながら雲が水平線にかかっていたので、まっとうな日の出は見られなかった。
 まあ、いつかまたここを訪れ、素晴らしい日の出を見ることを期待するということで。

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東北旅行(1) 閖上→石巻→南三陸

 連休を利用して東北の宮城と岩手を訪れた。
 この地方は大震災の年の8月と11月に訪れたが、被災の傷跡はまだ生々しく残っており、平地には瓦礫も山積みであって、いったいどこから手をつければいいのだろうという状況であった。
 大震災から2年と半年の時が流れ、その後の復興と復旧の進み具合の観察をメインにしての旅行である。

【閖上湊神社】
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 名取市閖上は、大震災のときのNHKで、津波がこの地を飲み込んでいく姿が真っ先に生中継され、見ているものがみな言葉を失った、あの地区である。
 閖上は広大な平地であり、そのなかに小高い丘が一つあって、ここに社があった。
 津波はこの丘も越え、社も流されたのであるが、復興祈願と鎮魂の思いを込めて、社が復興された。

【閖上地区】
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 湊神社からは閖上地区を一望することが出来る。
 そこからは、一面の更地が広がっている。
 閖上地区は広大な平地であり、「地平線が見えるほど」と言っていいくらいに、ずっと平たく開けているのであるが、その地は、まさになにもなくなっている。
 僅かに残っている土台や基礎から分かるように、ここには住宅が立ち並んでいたのであるが、すべてなくなってしまった。
 なにもないことが、すなわちとんでもなく恐ろしいことが起きたことを直に物語っており、戦慄的な風景でもある。

 写真の左手側には、重機がいくつも入って地盤の底上げ作業を行っていたが、この地に人が戻ってこれるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

【石巻市】
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 石巻市は大震災の年の8月に訪れ、人通り絶えた、廃墟化した中心街にショックを覚えたが、それから2年がたち、再開を行った店が少しあったり、また仮設商店街のようなものもでき、徐々にではあるが復興の歩みは進んでいるようである。

【石巻市 日和山公園から】
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 石巻市の高台日和山公園からは、旧北上川に沿った街や、海岸沿いを一望することができる。
 海岸線沿いの平地は、更地化しており、ここにはまだ人は住めないようであった。
 しかし工場群は稼働しており、さらに整備を続ける工事の音も響いていた。

【大川小学校裏山】
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 東北では学校単位では津波に対しては迅速に対応できており、ほとんどの生徒は無事に避難できたのだが、唯一大川小学校だけは避難がうまくいかず、多くの生徒と教師の命が失われる悲劇が生じた。(詳しい解説はこのweb参照)
 その悲劇の原因としては、防災マニュアルにおいて大川小学校まで津波が来ることが想定されておらず、そして避難場所も指定されていなかったことがあげられる。
 結果としては、大川小学校校舎を飲み込むような津波が襲来し、彼らが助かるには、裏山に逃げるしか方法はなかった。
 しかし教員たちは、別のところに避難することを決定し、津波の犠牲となった。
 そのため、「なぜ裏山に逃げなかったのか?」との非難がのちに生じたわけだが、「この裏山は険しく低学年の生徒達には登るのは困難であった」ために選択されなかったそうだ。

 小学生って結構身が軽いし、それに岩山でもあるまいし、登れないこともないだろうと私は疑問をいだき、この裏山が実際にどのようなものであるかを見てみたかったので訪れてみた。

 それで実際に見ての感想なのであるが、ここを避難場所に使うのは、たしかに躊躇せざるを得ない、ということが分かった。
 コンクリ壁裏の法面みたいなところは傾斜はゆるいのであるが、あの大地震のさいはいつでも地崩れしてもおかしくない所である。また手前の竹が生い茂っているところは、傾斜が急であり、ほとんど崖といってよいくらいの角度を持っている。ここを100人以上の小学生を無事に登らせるのは難事であることは間違いない。

 ただし、あの時彼らが助かるにはそれしか方法はなかったわけで、「正しい選択」はこの険しい崖のような所を登ることであった。けれども、今後同様の事態が生じた場合、私たちはその「正しい選択」をできるのかどうか、いろいろと考えさせられた。

【南三陸ホテル観洋】
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 石巻市からは南三陸町に行き、本日はこの町に宿泊。
 太平洋に面したホテルであり、ウミネコがたくさん舞っていた。
 それで部屋に入れば、太平洋と、ウミネコがお出迎えである。

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September 19, 2013

大間のマグロ@安春計

 マグロは回遊魚なので日本のあらゆる時期、あらゆる所を泳いでいるわけだが、やはり美味しくなるのは秋からであり、そして今の時期は津軽海峡あたりを泳いでいるマグロがいちばん人気がある。

 というわけで秋になって、安春計で例のごとく、津軽海峡の大間のマグロが仕入れられた。

【大間のマグロ】
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 見た目からして美しく、いかにも美味そうなマグロである。
 そしてこれは造りでも、酸味と旨みが濃厚で、酒の肴としてたいへんよろしい。
 しかし、マグロは鮨に最も向く素材なのであり、この旨み成分たっぷりのマグロが、安春計の塩と酢のよく利いたシャリとあわされば、極上ものの鮨となる。

【マグロ鮨】
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 旬のマグロの、香り、旨み豊かな鮨。
 季節ごとに美味いものが食べられる、日本の食の有難さ、である。


 ところで、ちかごろ話題になっている福岡ミシュラン本、来年の始めのころには発刊されるようである。
 私が行く寿司店のいくつかでもミシュラン調査員は立ち寄っているのだが、安春計にも訪れており、先日ガイド本への掲載の許可を求められたそうだ。
 ミシュラン調査員らしき人は、春先から何度も店を訪れていたのだが、最低でも3回ほどの調査ののち、ミシュランの名刺を持った調査員が正式に訪れたとのこと。
 ミシュランって、ずいぶんと丁寧な調査をするんですねえ。
 世の多くのグルメ本は、口コミのみで店を訪れ、そこで一発掲載というようなことをよくしているが、ミシュランでは各々の分野の専門家たちが幾度も調査し、合議の結果、掲載を決めるようである。
 ミシュランは、いろいろと毀誉褒貶はあるものの、世界で最も信頼されているガイド本であることは間違いない。そしてその信頼は、そのような丁寧な調査を積み重ねて来た実績のうえに成り立っているのであろう。


【Résumé(まとめ)】
 Quand il est automne, le thon tevient très délicieux.
 Pour le saison c’est la marque le meilleur d'elle que le thon à être capturé dans le port de Oma du détroit de Tsugaru.
 Le thon est plein de la parfum et le goût.Par le thon joinds avec sushi-riz, excellent sushi est produit.
 En automne manger sushi de sushi restaurant Asuke, c'est un grand plaisir pour moi.

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September 16, 2013

阿蘇小国散策

 昨日は台風の影響で中途半端な天候であったが、本日は台風一過の爽やかな青空が広がっている。
 雲は高く、流れる風も涼しく、もう秋の気配濃厚であった。

【北里川】
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 山川温泉から国道に入ってしばらくのところ。
 収穫の時期の近い稲穂は黄金色に染まり、ところどころ彼岸花の赤い花もみえる。
 山村の秋の風景である。

【坂本善三美術館】
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 小国出身の抽象画家、坂本善三の絵を収蔵している坂本美術館。
 黒とグレーを主体とした、立体感と奥行きのある特徴的な絵がいくつも並べられている。
 施設の半分は町民ギャラリーとなっており、子供たちの絵もたくさん展示されているが、彼らの絵の多くが坂本善三風のタッチであり、ほほえましい。

【鉾宮神社】
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 美術館のそばには鉾宮神社がある。
 樹齢700年の一対の夫婦杉が社殿の前によりそって立っている。
 静寂と清らかさに満ちた空間。

【鍋ヶ滝】
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 美術館の前の道を道なりに行けば、小国観光名所の鍋ヶ滝がある。
 背後に広い洞窟を持ったカーテン状の滝であり、自然の造形のおもしろさを楽しめる。

【鍋ヶ滝の裏】
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 鍋ヶ滝は裏に回ることができる。いわゆる「裏見の滝」である。
 洞窟は苔むしていて、ひんやりした空気が心地よい。
 夏の暑いときに来ると、もっと気持ちよいであろう。

【押戸石の丘】
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 南小国のパワースポット押戸石も訪れた。
 広々とした小高い丘に、いくつもの巨石が並んでいて、押戸(巨人)がこの岩で夜な夜な遊んだという伝えがある。

【押戸石】
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 近寄れば、このように様々な形をした安山岩が立ち並んでいる。
 岩々は微妙に規則的に並んでいるように見え、それで古代のストーンサークル?なんて説もあるそうだ。
 本当にストーンサークルかどうかはともかくとして、この丘には神秘的な雰囲気があり、そういうふうな説が生じるのも分かる気がする。

【九重連山】
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 押戸石の丘からは、九重連山の全てが見渡せ、とても素晴らしい風景をながめることができる。
 左端の円錐形の形よい山が、小国富士「涌蓋山」である。
 昨日登った山であるが、ずいぶんと大きな山であるなあ。どうりで登り下りに、時間がかかったわけだ。

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September 15, 2013

だらだらのんびり山川温泉@わいた温泉郷

 台風が微妙に九州を避けたので、それではと、だらだらと登山したのちは、温泉に入ってだらだらと過ごすという、週末だらだらプランを立てた。
 涌蓋山のまわりにはいくらでも温泉旅館があるので、部屋付露天風呂のある宿を検索したら、山川温泉に一軒あったので、それをGET。

 ただし、涌蓋山を下山したのち、筋湯温泉の登山口で山川温泉への道を地図で検討したら、…全然近くないことに驚いた。
 いや、地図上ではすぐの距離なんだけど、そこに行くには涌蓋山を一山越えねばならず、自動車ではそれは不可能なので、ぐるりと涌蓋山を迂回する必要があり、…これは登山口の設定を間違えたか。

 まあ、そういう些細なミステイクはあったが、少々の余計な時間をかけて山川温泉「四つ葉」という旅館に到着。

【四つ葉旅館入り口】
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 この旅館は10個の個室がある。
 どれも露天付きなので、外の風景を眺めながら、気楽に風呂を楽しむことが出来る。

【地獄蒸@夕食】
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 わいた温泉郷はいくらでも温泉が湧いてくる湯量の豊富なところゆえ、地熱発電所もあるようなところである。
 そのありあまる温泉の蒸気を利用しての地元料理が地獄蒸。
 地鶏、野菜をセイロにいれて蒸気の上において蒸し上げた料理。
 温泉情緒豊かな料理である。

 山川温泉は、北里川の渓谷ぞいに、ぽつぽつと温泉宿があり、自然と温泉以外はなにもない。
 それゆえ、観光するようなところもなく、川の音と、虫の鳴き声を聞き、ときおり温泉に入りながら、だらだらと時間を過ごすことになる。

【部屋付き露天風呂】
Roten

 ひさしぶりに涼しい朝を迎え、うるさいと言いたくなるような野鳥の鳴き声に目を覚まし、まずは露天風呂。
 台風18号は九州を過ぎ去り、外は台風一過の青空である。
 日の光をあび、緑が輝く林を眺めながら、ゆったりと源泉かけ流しの温泉を楽しむのであった。

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登山:涌蓋山

 週末は台風が接近してきているので、山には行けないなあと思っていたが、台風は九州からそれる進路になっていた。予報では、日曜日は午前中は曇り時々雨、午後からは晴れ。風はけっこう強い、という登山には微妙なもの。
 ならば手軽な山をだらだらと登ってみようと思い、登ったことはないが、一度は登ってみたいと思っていた涌蓋山に行ってみることにした。
 涌蓋山は、厳しいところはなく、なだらかな稜線をゆったりと登って行く山として知られており、天候の予測が立てにくいときに登るには適した山であろう。

【疥癬湯登山口】
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 涌蓋山の登山コースはいろいろとあるのだが、筋湯温泉を周回するようなコースで行くことにした。

【緑の稜線】
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 登山口からは少々傾斜がきつい道を行き、そして見晴らしのよい稜線に出る。
 前方には涌蓋山が見えるはずだが、雲のなかだ。

【牧場へ】
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 登山道はいったん林道に出て、林道を歩くうちに鉄条網で遮られた。
 ここは右に曲がって、丘の上を行く。

【登山道?】
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 丘に登ると北側からの登山道と合流。
 地図によれば、これからまっすぐ牧場に沿って進むはずだが、進むうち登山道は藪に覆われ、やがてもはや獣道とさえいえぬ廃道みたいなものに化してしまった。
 湧蓋山みたいなメジャーな山でこんな登山道はありえない、どう考えても正規の登山道は左に見えている太い農道のはずなんだが、…しかしそこに下りようにもずっと有刺鉄線が張っており、また牛も放牧されていて、その一帯は個人の牧場のように思え、入っていくのはためらわれた。
 まあ方向としては間違っていないし、迷うはずもない道なので、藪をかきわけそのまま進んでいった。

【牧柵】
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 藪を抜けると、牧柵に。この柵から人は出入りでき、やはりそこの土道が正規の登山道であったことが判明。

【女岳】
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 涌蓋山へ取り付いてからは傾斜は強くなる。そこを登って行くと、最初の小ピークの女岳に出た。涌蓋山は、やはり見えない。

【涌蓋山山頂】
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 霧で視界が利かないなか、どこが山頂だろうと思いながら登って行くと、やがて多くの人の声が聞こえだし、ひょこっと山頂に到着。
 涌蓋山は独立峰なので、ここからは何も邪魔するもののない360度の雄大な景色が楽しめるはずだったが、まったく視界はきかず、残念。

【下山する人たち】
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 こういう登山には向いていない天候でも、登山者は多い。
 私が登頂してしばらくして、30人ほどのツアー客がいっせいに下って行った。

【マツムシソウ】
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 涌蓋山は山頂付近にたくさんのマツムシソウが生えていて、ちょうど開花の時期であった。
 この花は、独特の面白い形をした花である。

【みそこぶし山へ】
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 下山コースは、みそこぶし山を通るルートにした。
 みそこぶし山は涌蓋山より標高が300mほど低いので、雲には覆われていない。

【みそこぶし山】
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 みそこぶし山に登れば、なかなかの景色が広がっていた。
 向いに見える四角錐形の山が一目山。あそこを通って、下山するわけだが、けっこうな距離がありますな。

【ススキの海】
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 台風が太平洋上を通っている日だったので、風は終日強かった。
 その強風に煽られて、斜面一面のススキがまるで波打つがごとく、靡いていた。
 それは波濤にも似て、ススキの海とでも言いたくなる、印象的な風景であった。

【一目山】
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 ススキはずっと風に吹かれ続け、ススキの靡くなかを歩いていく。
 一目山が大きく見えてくれば、登山口は近い。

【八丁原登山口】
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 一目山に沿った舗装道を歩き、登山口へ。
 ここからは県道40号線を1kmほど歩いて、最初の疥癬湯登山口へと戻った。

【山川温泉】
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 登山のあとの楽しみは、まずは温泉。
 涌蓋山周囲は九州でも有数の、たくさんの温泉が出るところである。
 今回は山川温泉へと。
 広々とした大浴場で、ゆったりと体を伸ばし、登山の疲れを癒そう。

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September 13, 2013

映画:スター・トレック イントゥ・ダークネス

Startrek

 前作では若きカークが、スポック達と出会い、困難を解決して、エンタープライズ号の船長になったところまでであった。続編であるこの映画では、カーク船長とスタッフによる若き日の冒険が語られるかと思いきや、映画冒頭でいきなりカークは船長職を剥奪され、副長へと降格になる。

 副長になってふてくされているところに、ジョン・ハリソンという怪しげな人物が登場し、艦隊本部にテロ攻撃をしかけてきて、それから「世紀の悪役」ジョン・ハリソンを追っての物語となる。ジョン・ハリソンとはいったい何者で、なんのために連邦に戦争を仕掛けて来るのか、そのミステリーの謎解きと、戦いが物語の主筋である。

 この映画の実質的な主人公であるジョン・ハリソンは、いい役者を使っており、出場したときから異様なカリスマのオーラに満ちており、その後のどのシーンでも存在感があふれている。
 ジョン・ハリソンは、悪の権化という感じで紹介されており、老スポックにも「エンタープライズ号最強の敵」とか称されているわけだが、話が進むうち、もっと巨悪がいることが分かり、ジョン・ハリソンはある意味彼による被害者なんでは…と、小物感が漂ってしまうのは、脚本の欠点ではあろう。

 しかしながら、スタートレックでは、映画において真の主人公は宇宙を駆るエンタープライズ号なのであり、港から宇宙に出港する姿、宇宙での光を曳いてのハイパードライブ、対艦隊戦、等々、あの特異な形態のエンタープライズ号が、巨大な量感と質感をもって大画面いっぱいに活躍する姿は、どれも感動ものである。
 映画の画像技術の進歩により、我々はこのような素晴らしいものを観ることが出来るようになったことに感謝。

 今年の夏は、マン・オブ・スティール、パシッフィクリム、スタートレックと、近年稀に見る迫力あふれる映像をもつ映画を何本も観られた。


 スター・トレック イントゥ・ダークネス 公式サイト


【Résumé(まとめ)】
 Dans ce film Enterprise qui est cosmos vaisseau de guerre est représenté en très réel.
 Nous pouvons regarde ces figures comme si en face de nous, la vitesse et la qualité
 La technologie moderne est merveilleux.
 Maintenant, je pense que nous avons pu faire l'expérience de plus grande image que la vraie chose par le film.

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September 12, 2013

映画:マン・オブ・スティール

Mos

 「鋼鉄の男」という題名からはわかりにくいけど、スーパーマンのリメイク映画である。
 スーパーマンといえばアメリカンヒーローの最強者であって、映画では超人パワーを使って傍若無人に活躍する活劇が定番である。スーパーマンはなにしろ強いので、何をやっても勝つのが最初から決まっており、一種のファンタジーものの分野であった。

 今回のリメイク版は、「もしスーパーマンが実在したら」という、リアルな見方が新機軸。
 映画の前半はスーパーマンの父親(地球での)が重要な役になっている。
 スーパーマンはカンザスの田舎町で育てられている。観衆の我々は第三者の視線で見ているため、スーパーマンがどこから、いかなる理由でやって来たかは知っているけれど、父親のほうはスーパーマンに対して、「いきなり空から宇宙船みたいなもので地球に落ちて来た、どうやら宇宙人らしき赤ん坊」という情報しか持っていない。
 そういうあやしげな存在をどうして育てる気になったのか、不思議に思えるが、とにかく父親は赤ん坊の頃からスーパーマンを育てることにした。
 スーパーマンは幼少の頃から超常の力を示す。ほとんど不死身で、力は怪力無双、目からは怪光線も発する。父親はそういうスーパーマンに対し、この超人少年の存在について苦悩する。このような超人が、理由もなしにこの世に存在するわけはない。この子は必ず将来人類にとってなにかの役割を果たすことになるに違いないだろう。彼が神になるのか、悪魔になるのか、これは誰にも分からない。
 しかし、とにかく父親は、自分で出来るかぎりのことを行おうとする。それはスーパーマンを普通に育てることだ。自分の力に溺れず、人を思いやり、人を大事にする、そういう普通だが、立派な人間に、自分の後ろ姿をみせながら育てていく。
 この父親の役者はケヴィン・コスナーである。彼は、誇り高く、勇敢で、家族思いの、いわゆる「アメリカの父」の典型像であって、じつにうまく演じている。そしてその魅力もあり、スーパーマンとの暮らしは、悲しくも感動的な物語となっている。

 父と離れて放浪の旅に出たスーパーマンに、「人類の役に立つ機会」が訪れ、彼は世界にその真の姿をみせることになる。そこからの活劇が、映画後半部。
 この活劇部のバトルは、どこをとっても大迫力であり、観ていて面白いのだが、…しかしクリプトン星人って、超高度の文明をもっているわりには、なんでもかんでも拳で決着をつけようとするのはなんでなんだろう。よほどの戦闘種族なのであろうか。まあ、そのほうが映画的には絵になるから、いいんだけど。

 映画は終幕になって、ようやく我々のよく知っている、黒メガネをかけ髪を左分けにしたクラークケントが登場。
 この映画は「スーパーマンはいかにしてスーパーマンとなったか」を描いた物語であったため、続編以後はいつものスーパーマンものになりそうである。
 それにしても、育て方を間違えたら、地球を滅ぼすような悪魔にもなりえたスーパーマン。映画的には、人類はただただケヴィン・コスナーに感謝というところですな。


 マン・オブ・スティール 公式サイト


【Résumé(まとめ)】
 Ce film est une histoire qui a décrit la naissance de “Superman”.
 Il a été envoyé à Terre depuis au-delà de l'univers quand il avait bébé.
 Il a donné le pouvoir de le paranormal dès le plus jeune âge, il a été trouvé que le surhomme.
 Personne ne sait que il devienne dieu ou diable. Mais son père lui a élevé de toutes ses forces.
 En conséquence, il grandit bien. Il a devu “Superman” ni diable.
 Il nuos faut remercier à son père.

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September 11, 2013

蛮人の内戦  not civil but barbarian war

 2011年の「アラブの春」に端を発するシリア内戦が泥沼化の一途をたどっている。
 そもそもは不満を訴える国民に対し、軍隊を出動させ多くの死傷者を出させたシリア政府におおいに問題はあったのだが、市民側もそれに対抗して行動をエスカレートさせていった。いまや国外勢力を引きいれ、大量の武器を仕入れて、民間軍隊をつくり武力攻勢に出て街を破壊しまくるなど、およそ一般市民のなすべき領域を超えている。
 自分の言い分を通すために武器を持ちだすものを蛮人とよぶが、昔の蛮人の武器が棍棒程度だったのに対し、近代の蛮人は武器だけはいいものを持っているので、殺戮と破壊の規模は飛躍的に上昇し、その災害は国中に満ち、シリアはもはや国家としての態をなしておらず、蛮人どうしの争いにより、本当の一般市民は迷惑千万といったところである。
 一般市民らはつねに殺害される心配をしておらねばならず、それがいやなら難民として出国するしかない。

 内戦というものは、基本的にはその国の内輪もめなのであって、内政不干渉という原則から、他国がとやかくいうようなものではない。
 しかし、ここまで一般市民の被害が出てくるようになったからには、さすがに他の国が国際的になんとかしましょうという話がでるようになった、今までは。

 しかしながら、今回のシリア内戦は、その手の方向には話はまとまらないようである。

 国連なり多国籍連合が泥沼化した内戦を見かねて、介入したものは、ユーゴスラヴィア、ソマリア、リビア、スーダン、コンゴ等々あるわけだが、根本的な解決に至ったものなどなく、余計な費用と、自国の兵士の命をただただ消費してしまった苦い経験をどの国も持っている。それがトラウマとなり、このたぐいの内戦加入にはどの国の国民も辟易している気配濃厚である。

 シリア内戦、以前までだったら、「シリア国民が可哀そうだ! なんとかしろ!」との声が各国の国民レベルで湧きあがり、その輿論に押されて政府が動かされ、対応策が協議されていた。
 けれども今回はそのような動きはなく、シリアに関しては、「蛮人どもは勝手に自分たちだけで争っておいてくれ」くらいにしか思われなくなっている。

 とりあえず「世界の警察官」を自称するアメリカ政府と、元の宗主国であるフランス政府が介入の意志を示してはいたが、国民レベルでは介入反対の意見のほうが強く、とうてい介入への賛成は得られそうにない。

 内戦→混乱→国民殺害、のルートに入ると、国際社会が介入して当然だった今までと比べ、ずいぶんと変わったものだ。
 それを国際社会の成熟ととらえるか、あるいは疲弊ととらえるか、いろいろと考え方はあるのだろうけど、とりあえずこの内戦を契機に、国際社会のルールは変貌を遂げたことは確かである。
 それがどういう結果をもたらすのか、それはシリア情勢を長く観察していれば、いちおうの解答は得られるであろう。


【Résumé(まとめ)】
 La guerre civile en Syrie a continué à confusion.
 Anti-gouvernement et le gouvernement faisent la guerre, et beaucoup de citoyens ont été sacrifices.
 Jusqu'ici Il était ordinaire que d'autres pays de l'Union entre ce pay et résoudent la situation quand guerre civile est trés misérable.
 Mais ne semble pas qu'une telle chose ce temps.
 Il semble qu’on d'autres pays dit “Barbarians, Guerre seulement leur propre” Et ils les laissent
 La communauté internationale a changé dupis ce la guerre civile en Syrie.

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September 10, 2013

映画:ワールド・ウォーZ

Wwz

 今年の夏はハリウッドの大作の上映が多く、そしてそれらが秀作ぞろいであったという、映画ファンにとってはありがたいシーズンとなった。
 しかしながら、その大作群の一つである「ワールド・ウォーZ」は、人気小説を原作として、ブラッド・ピットがプロデュースした話題作であったのだが、…この映画は微妙な出来であった。

 人をゾンビ化する新種のウイルスが世界規模で感染を起こし、次々と世界中の都市が崩壊していき、人類を救うためにブラッド・ピットが世界と飛び回って奮闘するという物語。
 ゾンビものは、ホラー映画の一大分野となっていて、毎年のように趣向を変えたゾンビ映画が作られている。
 そして「ワールド・ウォーZ」は、巨額の予算をかけて作られたわけだから、数あまたあるゾンビ映画のなかでも、独自の位置を占めるべき新機軸が加わっているはずが期待できる。

 しかし、映画をみると、どうも既視感を覚えるシーンばかりが出て来る。
 俊敏な動きをするゾンビ、ゾンビが集合して行動する巨大な群れ、ゾンビ化へのカウントダウン、ウイルスのあまりに速い蔓延による人類絶望の危機等々、なにやらバイオハザードシリーズでやり尽くされたテーマばかりが出て来る。

 結局、新機軸らしきものは、ゾンビへの対抗策として、「ゾンビに反撃するのでなく、人類側に新たな防御方法をみつけること」らしかった。
 ただこの方法は、映画のなかでも科学者から指摘されていたが、論理的に無理があり、論理を無視した行動をゾンビがとっているためたまたま有効であったとしか思えなかった。

 脚本的にはいろいろと納得いかないところもあり、ゾンビ映画としては中級レベルだなと思いはしたが、けれども、さすがに巨額の予算をかけただけあって、映像的には見ごたえあるところが多かった。
 特に、安全な地であるはずだったイスラエルが、大量のゾンビの攻撃にて鉄壁の壁が無効になり、崩壊してしまうところは迫力満点。この映画は、あんまり3Dにする必要を感じなかったけど、ここのシーンばかりは3Dを使う価値がおおいにあった。


 ワールド・ウォーZ 公式サイト

【Résumé(まとめ)】
 C'est le film sur le thème du zombie.
 Les gens sont devenus zombies par virus infection. Le virus se répand rapidement dans le monde entier.
 Sombies sont trés fortes et les villes dans le monde se sont détruit.
 Les scènes de detruire sont pleine de impresions foretes.
 En particulier le scène que Jérusalem est détruite par grands régler de zombies était trés passionnant.

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September 08, 2013

光洋、最新作

 東京オリンピック開催決定にて祝杯をあげに、というわけでもなかったのが、光洋に鮨を食いにいった。
 季節はそろそろ秋に入りかけたころであり、寿司店のネタも秋の気配が漂いだしていた。ツマミではアラの焼き霜、秋刀魚、トキシラズ、ワタリガニといったところがそういう感じ。マグロもけっこう脂が乗ってきた。
 秋本番の味覚イクラも入っていて、これにウニも加えて、店主新作の鮨が披露された。二色丼ならぬ、二色の細海苔巻きである。濃厚なる味のウニを海苔巻きにし、それにこぼれるくらいにたっぷりのイクラを乗せて、手渡しで。この鮨の姿たるや、海苔巻きを砲台にイクラが発射しそうな、雄渾なものである。
 近頃サーフィンに凝っている店主が、「体育会系寿司」に開眼したのかどうなのかはしらないが、いかにもマッチョな姿の鮨であります。味も、ウニ・イクラ・海苔・シャリがそれぞれに個性を主張して、口のなかで暴れるマッチョなものであった。
 これは美味しい。しかしこれはイクラがとれるときの季節限定の鮨なので、このマッチョ寿司を食べたい人は秋のうちに光洋を訪れましょう。

Koyo_new


 ところで、本日は隣席に福岡の某寿司店のオーナーと店主が来られていた。
 店休日を利用して、勉強のためにいろいろな寿司店を訪れているそうだ。店主は、もうヴェテランの域にあるのだが、その向学心、熱心さに感心いたしました。
 オーナー氏とは福岡や九州の寿司店などについて雑談。私がオーナーの店を夜に訪れてみたいですと言ったら、是非どうぞとのことで、名刺をいただいた。
 その店、夜は紹介制で、常連の人からの紹介がないと予約が取れないはずであったのだが、…これはオーナー氏自らの紹介を受けたと解していいのであろうな。
 近いうちに訪れてみよっと。


【Résumé(まとめ)】

 C'était à l'automne, le matériel de sushi a s’ changé pour celui de l'automne.
 En utilisent les matériels (que sont oursin et œufs de saumon ), le maître de Koyo a crée sushi noubeau.
 La photo est cette cuisine.
 C’est composé par riz et algue séchée et œufs de saumon et oursins.
 Sa forme est semblable à un symbole de homme. Et nous sentons que le est plein par la charme et bon goût.
 Allez-vous Koyo, vous perez satisfait la cuisine que le maître unique fait.

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祝 2020年オリンピック東京開催決定

Tokyo_olympic
 
 本日東京オリンピック開催決定の朗報がブラジルより届いた。
 他の二都市との比較からは、普通にいけば東京が選ばれるとは思ってはいたものの、近頃急に福島の放射能汚染水の問題が持ち上がっていたため、少々の懸念もあったが、安部首相の「安全は絶対に保証します」との力強いプレゼンがしっかりと利いたようで、順当に東京が選ばれた。
 まったく技術大国日本が、あれくらいの汚染に対処できないはずはないので、その常識的な判断が世界レベルでなされたことも有難いことであった。

 海外に行き、海外を知ったとき、海外の良さも分かったうえで、それでも思い知るのは日本という国の素晴らしさである。
 オリンピックという世界最大級の祝祭で、他国の人たちにも、日本の素晴らしさを伝えたい。そして7年後、今よりさらに素晴らしくなった日本を伝える、そういうオリンピックになることを願う。


【Résumé(まとめ)】
 Capitie Tokio s’ est décidé à ville qui tiendra les jeux Olympiques en 2020.
 Je le félicite.
 En deriére année Japonais perdient la vigueur par la dépression, les désastres naturelles, la confusion politique, le accident de centrale nucléaire.
 Dans sept ans le plus grande fête mondial viandrai à Japon.
 Japonais aiment tres fête. Tous les japonais recevoient avec plaisir.
 Pour faire bienvenues, le fête et les athletes et les spectateurs, japonais préparent, mettrent. tiennent avec le plus force.
 Japonais devront reprendre ses vigueurs par cette occasion.

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September 05, 2013

竜巻こわい

【竜巻@9月2日埼玉】
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 9月になって日本各地で大きな竜巻があちこちで発生し、大きな被害が出ている。
 現在では動画が容易に撮れるようになり、それらの映像がTVやインターネットで見ることができ、竜巻の恐さというものを思い知らされる。

 竜巻に関しては宮崎県北でも2006年9月にF3の竜巻が発生し、列車転覆、住宅全壊120棟、死傷者多数という大惨事となり、いまだにその記憶は生々しく残っている。それゆえ、今度の竜巻の報道は、まさに他人事ではないというのが実感である。

 竜巻はその強度によって段階が決められ、F0からF6の7段階に分けられている。
 近頃日本で発生し被害をもたらしたものの多くは、F3(藤田スケール3)である。
 F3クラスの竜巻の定義は、「重大な被害。建て付けの良い家でも屋根と壁が吹き飛ぶ。列車は脱線転覆、森の大半の木は引っこ抜かれ、ダンプカーなどの重い車でも地面から浮いて飛んだりする」というもの。
 2006年の延岡のものが、まさにこれであった。

 F3でこれだから、これ以上のF4、F5、F6ってどんなものなのだろうと恐ろしくなってしまうが、最強度のF6は「未曽有の超壊滅的な被害をもたらす竜巻」なので、まず発生しないと思っておいていいそうだ。
 現実的に発生するのはF5までであり、F5は竜巻1000に対して1くらいの割合で発生している。定義は、「あり得ないほどの甚大な壊滅的被害をもたらす。とにかく信じられないような大惨事になる」という竜巻であり、我々の記憶に新しいところでは、2011年4月にアラバマ州を襲った竜巻で、広範囲にわたっていくつもの町が壊滅状態となり、オバマ大統領は国家非常事態宣言を出した。

【アラバマ州の竜巻】
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【竜巻の通ったあとの町】
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 こんなF5クラスの竜巻が来た日には、何をどうこうしたらいいとかのレベルの話ではなく、とにかく逃げるしかない。
 そして、地震とかとは違い、竜巻は一応は前兆はあるので、地球温暖化の今を生きる我々は、その前兆はしっかりと観察はしておかねばならないであろう。

 竜巻の多くは、積乱雲によって生まれる。積乱雲のなかの激しい気流の変化から、地上から雲のなかへ向かう大気の激流がいくつもの渦を巻き、それらが合体して巨大な渦を形成して、竜巻となる。
 この竜巻を生む積乱雲は、夏空に浮かぶ普通ののどかな積乱雲ではなく、「親雲(Supercell)」と呼ばれる莫大なエネルギーを持つ特殊な積乱雲である。

【親雲(Supercell)】
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 こういう積乱雲から竜巻が生まれるわけだが…
 なんともはや、禍々しい、凶暴きわまる姿を持つ雲ですな。
 しかしそれと同時に神々しいといってもよい荘厳な美しさも持っている。
 真のモンスターというものは、こういうものなのでありましょう。
 まあとにかくこんなとんでもない異形の雲を見たら、一切合財を捨てて、ただちに逃げましょう、ということである。
 私の人生で、このような雲に出くわさないことを祈るのみ。


【Résumé(まとめ)】
 A septembre, beaucoup de tornedes sont apparu au Japon. Et ils sont causé grande domage.
 Tornade est très terrible.
 Mais tornades de japon sont preque F3 niveau, ils ne sont pas le plus grands.
 Aux États-Unis F5 niveau tornade apparaissent souvent. Tornade comme ça deviant le cause de la géante désastre.
 Je prie que je ne ferai pas l’expérience de tornade comme ça dans ma vie.

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September 01, 2013

映画:ホワイトハウス・ダウン

Housedown

 破壊と大災害を撮らせたら、これ以上の人なしと言われるエメリッヒ監督の最新作。
 話はホワイトハウスをテロ部隊が襲うというもので、これは誰しもアメリカの象徴であるホワイトハウスそれにワシントンDCの徹底した破壊が見られるのだな、と予想するのであるが、…微妙に違っていた。

 簡単なあらすじ。
 オバマ大統領をモデルにしたような平和主義の大統領が、軍隊を派遣していた中東とアジアに講和条約を結び、軍隊を引き上げるという政策を打ち出す。アメリカにはこのような動きに対して、常に非常に強い抵抗を示す勢力があるのだが、そのなかの過激な一部が、大統領を排除し、その政策を反故にしようと企む。
 まずはテロ部隊が政府中枢のホワイトハウスを占拠する。警備部隊は突然の奇襲にほぼ全滅状態になり、大統領も身柄を拘束される。ところがその日たまたま娘を連れてホワイトハウス見物のツアーに訪れていた議会警察官である主人公が、敵の武器を奪いながら反撃をしかけ、大統領の救助に成功。ホワイトハウスから脱出しようとする。
 その脱出劇と並行して、テロリスト達は更なる計画を進めて行く。その計画とは、大統領排除のみならず、世界の半分を灰にしてしまいかねない大規模なものであった。

 この計画の壮大さから、この計画を立てている者は、画面に出ているテロリスト達ではなく、政府中枢レベルの相当に地位が高い人であることは想像でき、「いったい、それは誰か?」というミステリーが途中から生じて来る。そのミステリーには様々な伏線が張られており、それが話の進行とともに回収されていき、うまい筋の流れだ。

 筋も面白いが、登場人物たちのキャラクターも立っており、主人公の子供はいかにも生意気な小娘であり、ホワイトハウスのコンピュータを乗っ取るスーパハッカーは定番のごとくはじけた性格。テロリストもそれぞれ人生に深い影を感じさせるものたちで、ホワイトハウスのツアーガイドがまたユニークな役をしており、意外と活躍する。
 そして、それらの中でも最もキャラが立っていたのは、大統領であった。世界唯一の超大国の元首が持つ威厳性はほとんどないのだが、かわりにその天然性は際立っており、あらゆる場面でボケまくってくれる。
 大統領脱出行からテロリストとの対決までは、シリアスな場面もあることはあるが、多くの箇所で大統領の天然系ボケが炸裂し、随所に爆笑シーンが出て来る。
 政府転覆劇であるシリアスな部分と、ギャクの部分は、破綻することなく交互につながり、テンポよく話が進んでいく。よく出来た脚本であり、見ていてまったく中だるみするところがなく、最後まで面白く見ることができた。


 ただ、エメリッヒ監督お家芸である観客期待(?)の破壊シーンは、どれもあんまりたいしたものではなく、エミリッヒ監督どうしたんだろう、と思わぬこともなかったが、最後にあるべき大破壊シーンの代わりに少女の感動シーンがあって、ここは本編中最も盛り上がるところなので、これはこれで監督のひねった作戦だったんだろうなあ。


 ホワイトハウス・ダウン 公式サイト


【Résumé(まとめ)】
 Les terroristes ont attaqué la Maison Blanche qui est un symbole de l'Amérique, et les ont arrêté le président des États-Unis.
 Il est la histoire que l'Amérique et le gouvernement central du Amérique ont la crise de réduire.
 La histoire est trés sérieur, mais parceque le président est homme comique, histoire est remplie de gag, l'auditoire rire beaucoup.
 J'aime le meilleur parmi ses phrase que il a dit à un terroriste , ce est : “Je vous déclare avec dignité du président des États-Unis. …Fuck you ! ”
 Tous les auditoire sont éclaté de rire.
 Ce film est remplie l’excitation et le rire , et est amusant trés.

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