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August 24, 2013

ミュージカル:レ・ミゼラブル@博多座  感想 エポニーヌ(1)

Hakataza

 ミュージカル「レ・ミゼラブル」の新演出版。東京公演が好評に終わったのち、福岡へと来た。プリンシパルもアンサンブルも熱気のこもった大熱演。見事な歌と演奏、演技であり、劇全体を通して、とても心を打たれた。

 この劇、いろいろと書いてみたいことは多いのだが、やはりまずはエポニーヌについて書いてみたい。

 レ・ミゼラブルでは、幾人もの魅力的な、主役級の人たちによって物語はつくられ、劇が動いて行く。
 劇の主役はもちろんジャン・バルジャンであるが、しかしエポニーヌはジャン・バルジャンを補助するかのように劇の筋のもう一つの主軸を受け持っていて、その存在感は強く、場合によってはこの劇はエポニーヌの物語にも思えてしまうほどである。

 というのは、ジャン・バルジャンという人物は、どうにも感情移入しにくい面があるからだ。ジャン・バルジャンは、辛酸極まりない前半生において、人を憎むことしか知らなくなった男であるが、放浪の時に崇高なる司教に出会ったことから改心をする。そして人を愛することを覚え、そこから真の幸福を知り、やがて魂が救われるにいたる。彼の苦難と憎悪、そこからの改心と受難、そして救済がレ・ミゼラブルという劇の主筋である。

 この主役であるジャン・バルジャン、観ている側からすると、真面目すぎ、融通が利かず、妙に神懸かりなところがあって、どうにも観ていて辛くなるものがある。彼に融通をきかせる要領さがあれば、もっと豊かな幸せを自分にも他人にも与えられたのに、とかどうしても思ってしまう。

 これに対して、エポニーヌには神懸かったところはなく、自分の感情に素直に生きており、その生き方がたいへん理解しやすい。
 またエポニーヌは、劇のなかの重要な支点であり、彼女とからむことにより人々の交流が広がり、そして筋は流れて行く。
 それゆえ、何処で誰がエポニーヌと絡むかが観劇のポイントとなるが、劇ではエポニーヌは一際目立つ赤い帽子をかぶっており、群衆のシーンのなかでもエポニーヌの所在はすぐに知れ、動きが分かりやすい。こういうのもエポニーヌが演出的に重視しているからであろう。

 エポニーヌは幼少の頃から舞台に登場している。彼女は詐欺師の両親に幼少時から悪事の片棒を担がされるという劣悪な環境で生まれ育った。そしてパリに移り住んだときも、両親と悪党仲間と一緒に泥棒強盗稼業をやっているというひどい環境にいる。観衆は、彼女はさぞかし性格の悪い娘に育ったのだろうな、と予想するわけだが、劇が進行するにつれ、彼女は愛情深い健気な娘であることが分かる。

 なんであの極悪の両親から、こんな素直ないい娘が出来たんだろう、と思ってしまうのだが、…いや、違っていた。劇での主要場面でのエポニーヌの健気ぶりがあまりに印象強いため、エポニーヌはずっとそういう娘だったと観衆は思いがちなのだが、そうではなかった。
 よくよく観れば、エポニーヌは幼い頃は、テナルディ夫人と一緒にコゼットをいじめる意地悪な子供だったし、成長した姿でパリに登場したときも、いきなり「エポニーヌは泥棒一家の一味で、悪いことしても気にしない」などと紹介されており、かなり性悪な娘であることは間違いない。

 しかし、エポニーヌはマリウスを愛するようになってから変貌をとげた。
 彼女は愛を知ったことにより、成長していったのである。
 彼女はマリウスに愛情のありったけを捧げる。それでも全く見向いてもくれないマリウスに対して、彼を幸せにすることに懸命になる。鈍感男マリウスに対して、エポニーヌはマリウスとコゼットのキューピッド役を務めさせられるという、ある意味究極の苛めをマリウスよりくらうわけであるが、そこでの健気なエポニーヌの姿は、心痛くなるまで哀しく、また美しい。


 ジャン・バルジャンの静かな愛の捧げ方に対し、エポニーヌの愛情は、不器用ではあるが、情熱的であり、一直線に進んでいく。
 彼女の恋は悲恋としか言えないのだが、それでも最後には幸福を得ることはできた。惨めな人生の果てに、つかむことのできた幸福を胸に、彼女は息をひきとる。

 レ・ミゼラブルの主題は、ジャン・バルジャンの最期の言葉「To love another person is to see the face of God」という台詞で示されている。これは直訳すれば「他人を愛することは、神の顔を見ること」。分かりやすく訳せば「人を愛することによって、人は天国に行ける」であり、この台詞が三重唄で歌われるところはじつに感動的であり、じっさい舞台でのこの場面は、全観衆落涙必至という名場面。

 ただしジャン・バルジャンはたしかにそういうフシはあるものの、エポニーヌはべつに神様に会いたくて、マリウスを愛したわけではない。彼女は人を愛し、その人を幸福にしょうとした、そしてそのことが彼女の無上の幸福となり、彼女自身を幸福にした。
 ジャン・バルジャンの愛が少々独りよがり気味なのに比べ、エポニーヌの愛と献身は純粋であり誰しも理解しやすい。

 レ・ミゼラブルでは様々な登場人物は、それぞれに愛するものを抱え、それから各々の行動をおこなっている。レ・ミゼラブルは愛情についても多くを語っている物語なのであるが、それについては、私にはジャン・バルジャンよりも、エポニーヌがそれの象徴人物に思え、より劇の主題を深く感じられた。

 というわけで私にとっては、レ・ミゼラブルはまずはエポニーヌの物語なのである。


 エポニーヌ(2)
 エポニーヌ(3)

【Résumé(まとめ)】
 Musicale les misérables s’est joué en Fukuoka ville.
 Exécution, interprétation, chanson tout est été excellent, et je suis été ému.
 Sur ca musicale, je veux ecrire des choses variés.
 Premiére, je ecris par Éponine qui est l’un de personnage de ca musicale.
 Les misérables a beaucoup de objet, l’un dans les grands thèmes est “amour”
 Ce musicale dit en aimant autre persone gen, le gen peut obtenir le bonheur.
 Personne qui symbolise cette thèmes est Éponine, je trouve.
 Histoire d'amour elle est la chose la plus importante dans ca musicale.

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