« March 2013 | Main | May 2013 »

April 2013の記事

April 29, 2013

春の光洋 宮崎version

 ここ数年、宮崎産のネタに力を入れている光洋であるが、近頃は川南港で揚る魚がよろしいそうである。
 川南って畜産の町とばかり思っていたが、じつは漁業も盛んなのであった。川南の漁師は漁場をとても大切に管理しており、それゆえ魚の質が良いとのこと。その質の良い魚を、きちんと手入れすることにより、さらに食材としての質が増すわけで、その手入れの上手い期待の漁師が一人いて、本日もその漁師から仕入れたそうだ。
 宮崎にも、将来は、徳島の村さんなみのカリスマ漁師が登場するかもしれない。

【鯛の酒蒸し】
2_2

 その川南で取れた魚は、鯵や鯛があったが、たしかにどれも、すっきりとした、旨みとともに爽やかさを感じさせるもの。
 春らしい、魚の数々。
 鯛の酒蒸も、味付けの良さもあり、なかなか立派なものであった。

【ネコブカ】
1_2

 本日の珍味、ということでネコブカが出て来た。
 ネコブカは当地の呼び名で、いわゆるネコザメである。
 これが食用になること自体私は知らなかったのであるが、川南ではこの魚が獲れると、とても美味しいので、みんなが喜んですぐに食べてしまうため、滅多に外には出て行かないという珍魚である。

 私もネコザメは食べるのは初めてだが、…軟骨的な身というか、面白い歯触りの魚であった。
 他のサメは山陰に行ったとき時々食べたことがあるが、サメの特徴である独特の香りは殆ど感じられず、淡泊で、奥ゆかしい味わいであった。

【コハダ】
3_2

 鮨も好調。
 シャリは、より旨みを感じさせるものになってきて、きちんと仕事をされたネタによくあっている。

 光洋は宮崎versionも深め、まだまだ進化中である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 28, 2013

サイクリング&登山 諸塚山と六峰街道

 GW二日目も好天である。
 昨日に引き続き、またもアケボノツツジを見に行くことにする。
 本日は脊梁山地にある諸塚山に行くことにした。
 ただ、諸塚山は登山口の標高が高すぎ、普通に登るとおもしろくないので、六峰街道のサイクリングを組み合わせた、サイクリング&登山を楽しむことにした。

【五ヶ瀬川】
1

 六峰街道へは五ヶ瀬側から登ることにして、前半はひたすら五ヶ瀬川に沿って、自転車を漕いで行く。
 五ヶ瀬川には、廃線となった高千穂鉄道の鉄橋がいくつも架けられており、「こんな険しい地形によくも設置したものだ」と感心するものが多いが、この第4橋梁もそのうちの一つである。

【高千穂鉄道五ヶ瀬川第4橋梁】
2

 廃線が決まって、すでに線路は取り外されていたが、さらに解体工事も進行中。
 それで、このように橋桁も一つ撤去されているが、…その後工事は進んでいない。
 おかげで、この鉄橋は妙に中途半端な、どうにも安定感のない、「未完の橋」とか「橋未満」とか「かつての橋」とでも呼ぶべき不思議物件となっている。

【高千穂駅】
3

 五ヶ瀬川を登り続けて行くと、神話の里、高千穂町に入る。
 この高千穂駅は、さきの高千穂鉄道の終点地である。
 列車は駅構内にあるも、ただの飾りで、もはや動きません。

 …なお、左の線路に写っている小さな黄色いトロッコ列車は、となりの駅まで運行はしている。人力走行も可能というすぐれ物だ。

【二上山】
Hutagami

 高千穂道の駅近くからは、正面に二上山が見える。
 矢印で示したあたりを六峰街道は走っているので、けっこうな高さを登らねばならない。

【二上神社へ】
5

 六峰街道の起点は五ヶ瀬町からだが、今回の第一の目的は諸塚山なので、そこまでは行かず、高千穂町から二上山経由で六峰街道に入ることにした。

【分岐点】
6

 高千穂町からは、道はずっと登りである。
 しばらく行くと、道は二股に分かれていた。
 真っ直ぐ登れば六峰街道、右は二上神社と書いてある。
 どっちに行っても六峰街道には入れそうだが、二上神社が確実だと思い、右を選んだ。

【二上神社】
7

 そうやって坂を登って行き、たどり着いた二上神社だが、…なにかおかしい。
 私の知っている二上神社は六峰街道に面して入り口の鳥居があったが、この二上神社はそれとはほぼ反対の位置にあり、六峰街道とは全然関係ないところに位置している。ここから六峰街道に行くには、自転車抱えて、山道を登って二上山を越える必要がありそうだ。
 しようがないので、元の分岐点まで引き返すことにした。

【二上山】
8

 分岐点から再出発。ひたすら続く登り道を登って行き、ようやく六峰街道、二上山の前に到着。
 そしてここにはよく知っている神社があったが、この神社は、名前を改めて見てみると、じつは「三ヶ所神社奥宮」であった。
 二上山にある神社だから、てっきりこれが「二上神社」と思い込んでいたが、…う~む、20年近く勘違いしていた。

【飯干峠】
9

 六峰街道は稜線上を行く道なので、ここに到るまでの急傾斜の登り道と比べると、よほど楽になる。それでも、まだ標高1200mの諸塚山登山口まで、登りは続く。
 この飯干峠分岐まで来ると、諸塚山登山口はもうすぐである。

【諸塚山登山口】
10

 普段は人訪れること少なき諸塚山であるが、アケボノツツジの季節は、登山者も多い。駐車場には10台ほどの車がとまっていた。

【アケボノツツジ】
11

12

 アケボノツツジは、標高1000m以上の山の岩場に生える樹なので、観賞することの困難な樹なんだけど、諸塚山のアケボノツツジは、標高1200mの登山口のすぐ近くに群生地があり、九州では最も見ることが容易である。

【諸塚山山頂へ】
13

 アケボノツツジの群落は登山口周囲にあり、そこから先にはあまりないのだが、ついでなので山頂まで登ってみる。
 登山道はアップダウンは多いものの、よく整備されており、こういう静かなブナ林のなかの道である。

【諸塚山山頂】
14

 そうして諸塚山山頂へと到着。標高は、1341m。
 登山口からだと、獲得標高200mくらいの所なのであるが、私はほぼ海抜0mくらいから自力で登ったわけで、それなりに達成感を感じた。
 ちなみに、開聞岳とか鶴見岳とかのように海の傍の山だと、海抜0地点から山頂まで登った人はけっこういるだろうけど、諸塚山のように海からはるかに離れた奥山では、海抜0地点から登った人は稀と思う。
 …まあ、マウンテンバイク乗りの人とかはそういうこと好きな人多いから、諸塚山といえども、すでに記録はあろうので、私が最初ということはないではあろう。

【六峰街道】
15

 諸塚山登山口は六峰街道の最高点なので、ここからはどの方向に行っても下り基調となる。
 高所を行く山岳道路なので、周囲の眺めもよい。

【中小屋天文台】
16

標高300mほど下って、900m地点にあるのが中小屋天文台。
 
【ETOランド入り口】
18

 少々のアップダウンのある道を走り、標高800m地点のETOランド入り口が、六峰街道の実質的なゴール。
 いつもなら、ここからETOランドまで上がって風車を見物するのであるが、さすがにここの急坂を登って行く気力は残っていなかった。

 ここまで来れば、あとは下りだけであり、慎重に自転車を進めて行った。

 …………………………………
 本日の走行距離:151.6km

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 27, 2013

春の大崩山

 GW初日は雲ひとつない好天である。
 アケボノツツジを見に、大崩山へと登ってみた。

【ミツバツツジ】
1

 祝子川登山口から登って行くと、最初に登山者を迎えてくれる花が、山荘の少し手前のミツバツツジ。
 うしろには小積ダキも見えていて、ここはいい景観のスポットである。

【小積ダキ】
2

 祝子川渡渉部からの、小積ダキを見上げる。
 今日は黄砂も飛んでなく、空は青く澄み切っており、白い大岩塔とのコントラストが素晴らしい。

【袖ダキ】
3

 袖ダキへの尾根を登って行くと、標高1000mあたりから、ポツポツとアケボノツツジが咲いていた。
 袖ダキへと登ると、アケボノツツジはほぼ満開。
 遠く見える山は桑原山。

【新登山道】
4

 袖ダキから下ワク塚へ向かう登山道は一部崩壊したため、通行禁止になっていたのだが、迂回する新ルートがつくられていて、その案内の標識がかけられていた。

【下ワク塚展望】
Simowaku

 新登山道は、この屏風みたいな岩の手前で、右側に下りるようなルートとなっている。
 しかし、ここまで来て、この岩とそれに松の木を額縁のごとくにして眺める下ワク塚の姿は、じつに絵画的な姿であり、ここを見逃すのも勿体ないので、ここまでは立ち寄るべきでしょう。

【崩壊部】
5

 なお、ここから先は右手の崖が崩壊しており、よほどグリップのいい靴を履いていないかぎり、この岩をトラバースするのは危険である。
 私のあとをついてきた登山者も、崩壊ぶりに驚き、これは無理だと判断して引き返しました。

【乳房岩から】
6

 新登山道は、袖ダキを巻くように通っているので、その途中に乳房岩への寄り道がある。
 以前の登山道はそこを素通りしていたので、乳房岩に寄る人は少なかったけど、近頃は新登山道のおかげで寄る人が増えているようだ。

 乳房岩からは、先ほどまでいた袖ダキ、それに小積ダキ、さらには坊主尾根の坊主岩と、大崩山を代表する巨岩を見ることができる。
 こうして全て眺めると、小積ダキの存在感は圧倒的である。

【下ワク塚周囲】
7

 山全体のアケボノツツジでは、下ワク塚周囲がもっともピークであった。
 樹を染め上げる、鮮やかで華やかなピンク色の花々。

【下ワク塚】
8

 いつもは人訪れること少なき大崩山であるが、アケボノツツジのシーズンは人が多い。下ワク塚から中ワク塚にかけての、岩稜帯は展望もよく、歩いていて気分のよいところであるが、その気持ちよい人達の流れ。

【中ワク塚】
9

 中ワク塚は、山頂部の岩が広く、休憩するのにもってこいのところである。
 本日は人々で大賑わいだ。

【上ワク塚から中ワク塚方向を望む】
Kami

 中ワク塚からはいったん下って登り返し、上ワク塚へと着く。上ワク塚も人でにぎわっていた。そのなかに、ちょうど休憩を終え、出発するヘルメットをかぶった4人組のグループがいた。
 その姿をみて、二人連れの登山者が、「ヘルメットかぶってるって、工事でもしてるんでしょうね」「ああ、登山道の整備とかやってるんだろう」「休みというのに大変ですねえ」とか会話していた。
 …いや、あれは沢登りの格好ですよ、と訂正の突っ込みを入れたくなったが、本当に工事に来た人の可能性も0ではないので、そのままにしておいた。
 あとで、ネットを見てみると、そのヘルメット姿の人たちは行縢探検倶楽部の人たちだったようだ。


【上ワク塚周囲のアケボノツツジ】
10

 中ワク塚から上ワク塚にかけては、標高が高くなったためか、アケボノツツジは5分~7分咲きといったとこで、開花前の花芽もまだ多い。
 たぶんこのあたりはGW後半がピークになりそうである。

【小積ダキ】
11

 上ワク塚からはリンドウの丘経由を経由して、坊主尾根を使い下山。
 小積ダキ周囲は、アケボノツツジの盛りは過ぎていた。
 それでも、このワク塚群を背景に、白骨樹林、緑の松、アケボノツツジの花が混じり合う光景は、やはり見ごたえがある。


 白い花崗岩の岩々、ピンクのアケボノツツジ、それに快晴の青空。
 美しき光景を存分に楽しめた、平成25年春の大崩山であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 21, 2013

洋々閣~唐津散策~鮨処つく田

【朝食】
1

 洋々閣の朝食は、まずは唐津の名物「川島豆腐」から出てくる。
 川島豆腐は江戸時代からの老舗豆腐店であり、豆の味の濃厚さが特徴。
 すぐ近くにある川島豆腐店の当日朝出来たての、ざる豆腐が供されるわけで、九州のあちこちに店に置いてある川島豆腐のうちでも、もっとも新鮮なものがここで食べられるのである。

【庭】
Jardin

 朝食は食事処でなので、宿自慢の名庭を眺めながらの食事である。
 風情と風格のある庭だ。

【唐津城】
6

 唐津は歴史ある街なので、いろいろと見るべきところが多い。
 なにはともあれ一番目立つ建物である唐津城へと行く。

【石段】
01

 天守閣への石段は、ツツジが見ごろである。
 この急階段を、すぐ隣の高校生が部活のトレーニングで駆け上がっており、元気であります。

【藤棚】
4

Fuji

 唐津城名物の藤棚。
 盛りにはもう少しあるので、まだ花穂は伸び切っていないけど、それでも薄紫の花が鮮やかであり、花の香りもあたりいっぱいに漂っている。

【天守閣から】
3

 天守閣に登れば、遮るものなき360度の眺望を楽しめる。
 東側には、唐津湾に沿って、100万本もの松が並んでいる虹の松原。
 はるか向うの三角錐の山は、浮岳。形よい山であり、筑紫富士とも呼ばれている。

【つく田 酒肴】
7

 唐津市内をぶらぶらと散策したのち、昼食は、商店街のなかにある寿司店「つく田」。
 7~8人ほど入ればいっぱいになる小さな寿司店であるが、全国的人気を誇る、唐津の名物寿司店である。
 「つく田」は鮨も良いが、酒肴がまた豊富であり、昼から日本酒がどんどん進んでしまう。
 磯の香りあふれるホヤに、鮪の酒盗となると、これは飲まずにはおられない。

【つく田 鮨】
8

 アテから鮨に移れば、酢と塩のきっちり利いたシャリに、江戸前風の仕事を加えられたネタとの鮨が、また酒によく合う。
 これはサクラマスのヅケの鮨。

一年ぶりにほどに来た「つく田」であるが、つけ場には修業から帰って来た息子さんが立っておられた。「つく田」もますます安泰というところである。


 洋々閣で川島豆腐を食べ、唐津城に登り、つく田で寿司を食う。
 唐津の、もっとも美味しい一日の過ごし方を楽しめました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

和食:洋々閣@唐津

12


 唐津市には歴史的な重みを感じさせる大きな建造物が数多くあり、唐津市の規模からすると、不相応に思えるほどに存在している。
 …これは現在の唐津市を基準に考えるからいけないのであって、唐津市は元々北部九州の海上交通の要所にあり、さらには豊富な産出量を誇った唐津炭田があったことから、大正の頃まではおおいに繁栄していたのだ。

 唐津城から松浦川を隔てた所にある老舗旅館「洋々閣」も、その唐津の最盛期に建てられた建物である。元は遊郭だったそうだ。
 事情を知らぬ人には、少々寂れているこの地に、なぜここにこんな場違い的に立派な和風建築物があるのかと驚いてしまう、そのような感慨を持たせる旅館である。

 その洋々閣は料理旅館でもあり、とくに秋から冬にかけてのアラ鍋をメインとするアラのフルコースは有名で、それだけ目当てに訪れる人もいるくらいである。
 ただし今はもう春なので、アラは終わっており、4月の料理は季節の魚を使った海鮮料理コースとなる。

【前菜】
1

 品数たくさん。小鉢は、鯵の沖造りに、烏賊の塩麹和え。
 八寸は、バイ貝艶煮、合鴨ロース、海老袱紗焼、彩龍皮巻き、など。
 どれも手のかかるものであり、さすが老舗旅館らしい、技術と経験の蓄積を感じる。

【椀物】
2

 椀は蛤真蒸。出汁、真蒸ともに蛤の味が豊かである。

【造り】
3

20

 本日の料理は虎魚がメインだったらしく、虎魚の活き造りを菊花盛りに。
 それに内臓や皮の湯引き。これらをもみじおろしとポン酢でいただく。

【煮物】
4

 桜鯛の煮漬け。味付けはけっこう濃厚。

【炊合わせ】
5

 蕗信田巻、蓬麩、鯛真子、飛龍頭、絹さや。
 この炊合わせ、コースの流れと少しはずれ、けっこう繊細なつくりである。

【合肴】
6

 これは名物らしい。
 栄螺袱紗包み揚げ、それに青唐辛子。
 栄螺の香りと歯ごたえが、生の栄螺よりもさらに強くなる、おもしろい料理。

【留椀、御飯】
7

 虎魚は、アラが味噌汁でまた登場。
 白身の魚ゆえ、味噌にやや負けがちだが、これはこれでオツな味わい。

 すべてを食べると、かなりの量であった。
 料理は全体として、いわゆる九州の和食系の味付けと調理であり、海の素材に富んだ玄海灘に面した旅館ならではの料理を組み立てていた。

【部屋】
9

 元が明治時代に建てられた建物ゆえ、部屋も歴史的な重みを感じさせるものだ。
 それこそ京都の老舗旅館なみに、天井も、床も、床の間も隅々まで手をかけた凝ったつくりをしており、冒頭の話に戻るが、あらかじめの知識がないと「なんで唐津にこんな旅館が」と思ってしまうほどの風格を持つ部屋である。

 こういう部屋で、玄界灘の潮騒を聞きながら、玄界灘の海産物に富んだ料理を食べるのは、とても旅情が満ちてくるものであり、旅で訪れた人にとっては、まことに情緒ある夜を過ごせるであろうと思う。

【陶器ギャラリー】
11

 料理の写真に載っている器は、すべて唐津焼であり、そして唐津焼ではとくに、中里家の器が有名なのであって、洋々閣でもそれを主に使っている。
 その器をたくさん並べたギャラリーが洋々閣にあり、わざわざ窯元に行かずとも、唐津焼の魅力のかなりのものをここで知ることが出来ます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

映画:白夜

White_night

 「幻の映画」とも称されており、本邦では長く未公開であった、名匠ブレッソン監督作「白夜」が福岡のKBCシネマで公開された。

 原作は、ドストエフスキーによる初期の短編。
 深遠なる思索に満ちた、重厚な長編ばかり書いていたイメージのあるドストエフスキーであるが、じつは初期から晩期まで、その創作にはロマンチック情緒いっぱいの描写もけっこうあり、ドストエフスキーは多彩な才能を持っていた作家なのである。
 そして「白夜(原題:Белые ночи)」は、ドストエフスキーの作品のなかでもとりわけロマンチシズムにあふれた名作であり、最初のペテルブルグの夜の描写からして、ロマンチックの極みであり、私も好きな小説である。

 その原作をフランスのロベール・ブレッソン監督が、舞台を19世紀のロシアのペテルブルグから、現代(といっても1970年代)のフランスのパリに移して、映像化したもの。

 それで観てみたものの、…う~む。なんか、違うなあ。

 原作の、淡い熱にうなされたような不思議な四夜の物語が、登場人物をリアルに描きすぎたせいで、妙に即物的な、ロマンのかけらもない男女の出会いと別れの劇になっている。
 だいたい、映画名が白夜なのも、あの緯度のフランスに白夜があるものか、とも思ったのだが、これは邦題が悪いのであって、映画原題はちゃんと「Quatre nuits d'un rêveur (空想家の4つの夜)」と、ある意味身もふたもない題名になっていた。
 そして、今思い返してみれば、ドストエフスキーの原作も、要約してみれば、「生活力のない空想家の男と、無節操だが現実主義者の女性の、出会いと別れの物語」なのであって、筋だけ追えばじつに「痛い」話ではあった。
 しかしその痛い男女の逢瀬の背景には、常にぺテルブルグの白夜があり、あの夜でもない昼でもない、夢と現の合間のような、この世から少し離れたようなところにある夢幻的な世界が、その痛い男女の物語を、ロマンチシズムで優しく包んでいたわけで、…すなわちこのロマンチック小説の主役は、じつは「白夜」であった。

 そう考えてみると、映画「白夜」では、男女の話を除けば、男女の背景にあるパリの夜は、セーヌ川を照らす控えめの美しいイルミネーションがあり、そしてセーヌ川や通りには、いろいろな歌が満ちており、四夜ともじつに様々なロマンチックな表情をみせた夜であった。
 そこだけ注目しておけば、この映画も、とても情緒豊かなものに感じられたであろう。

 …たしかに、映画でのパリの夜は美しかった。
 パリの夜、これは実物を是非見てみたいものである。

 というか、私は半年前にパリには5夜も滞在したのであった。
 しかし、そのパリの夜は、毎度7時半から3~4時間フランス料理たらふく食ってワインさんざん飲んで過ごし、その後は速攻で撃沈していたからなあ。
 この映画を先に見ていれば、一日くらいは、軽めに食事を済ませ、パリの夜を満喫す予定をいれたのに、と少し後悔。

 ……………………………………

 (追記)

 「白夜」の主人公である空想家で女性にふられてばかりの男性は、明らかにドストエフスキー自身をモデルにしているのであり、ドストエフスキーもこの小説を書いていて、じつに痛い思いをしたと思う。
 しかし、ドストエフスキーが晩年に獲得した理想的な妻は、白夜で書かれた女性と同じく、きちんとした現実主義者であった。本来なら、出会ってすぐに彼の性格に呆れ、さっさと別れて不思議でない。
 けれども、「生活力が全くなく、かつどうしようもない空想家」のドストエフキーに対し、夫人は「だが、この男は人類史上最高級の天才である。その才能ある男をなによりも私は愛する」と、無茶苦茶に生活の荒れていたドストエフスキーに対し、献身的な制御を行い、大作家の生活を安定させ、晩年の名作を量産させた。
 現実主義者というのは、長期的視野を持つ目が利けば、自分自身も、それに関わる人も、幸せにできるという、素晴らしい例である。

 …ただし、人類の文化の歴史上、破滅的天才が理解ある伴侶によって立ち直った例は、ドストエフスキーがたぶん唯一の例であって、他の破滅的天才は、夫婦ともども沈没しているのが、また悲しい。


 ちなみにドストエフスキーは、人生の最後まで、ここまで性格が悪く、周囲に迷惑をふりかけてばかりの自分を、人格者の妻が愛してくれているのを、ずっと不思議に思っていた。
 後生の我々からすると、ドストエフスキーは人類の宝のような天才であるから、妻の献身は当然のような気はするのだが、当時としては、ドストエフスキーがそのような超絶的存在であることは、妻を除いては、ドストエフスキー自身を含め誰も知らなかったわけだ。
 「天才+悪妻」のパターンはいくらでもあるが、「天才+良妻」の、たぶん唯一の、人類が持った最高の夫婦である、と思う。

 …………………………………
 白夜 公式サイト 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

映画:変態仮面

Hk

 映画「変態仮面」の予告編をみて、これは近年の邦画史上稀にみるバカ映画になるに違いないと確信し、上映を楽しみにしていた。ただ、原作の漫画が90年代に少年誌に連載されていた一部受けするマニアックなものであり、さらにバカ映画を好む客層が本邦では極めて少数派のため、とても集客は望めるようなものではなく、九州では博多のT・ジョイ一館でしか上映されていない。
 しょうがないので、福岡まで行って見て来た。

 あらすじを簡単に書く。

 正義感あふれる警察官であった父と、SM倶楽部現役女王様である変態の母を持つ高校生色丞狂介は、ある日銀行強盗に襲われた同級生を救出に行ったとき、変装するためのマスクをかぶる際、誤ってパンティを被ったところ、それによって母譲りの変態の血が目覚め、己の潜在能力を最大限に発揮できる超人「変態仮面」として覚醒した。
 狂介は変態仮面に変身することにより、正義の味方として、街の悪人退治を行っていく。
 ある時、狂介の通う高校の乗っ取りをたくらむ悪党により、高校が襲撃された。しかし変態仮面の活躍により彼らは追い払われた。
 悪党は高校を乗っ取るには変態仮面を排除しなければならないことを知り、様々な刺客を送るがいずれも撃退されてしまう。
 ついに悪党は、最強最悪の刺客として、ニセ変態仮面を送り出した。
 そして変態仮面とニセ変態仮面の対決が始まるが、このニセ変態仮面、ニセどころか、本家の変態仮面を遥かに凌駕する、真の変態であった。その圧倒的な変態力に、狂介は心身ともに打ちのめされてしまう。
 狂介に復活の日はあるのか?

 …とまあ、あらすじ書いていると、よくもこんな下らない話を映画にするなあとも思ってしまうが、この下らない話を、真剣に懸命に役者が演じており、映画力に満ちた場面の数々が造りあげられている。

 主役変態仮面を演じる坂本亮平の、究極にまで鍛え上げられた身体を見るだけで、彼のこの役への思い入れも分かろうものだが、さらに、まるでマトリックスを思い起こすポージングも、各所で見事にその様式美が決まっている。

 それに加え、ニセ変態仮面を演じる安田顕の変態演技っぷりといったら、…役者生命、さらには社会人生命をここで捨ててもいいといった覚悟まで感じられる、鬼気迫る怪演である。
 とりわけ、夜の東京タワーを背景にしたビルの屋上で、変態仮面を前にして長々と己の変態ぶりを演説する長回しの場面は、変態映画(そういう分野があるのかどうかは知らんが)史上、最大級の名場面といえよう。
 いやまったくノミネートが可能なら、本年の邦画助演男優賞を獲れるほどのレベルであった。

 ただ映画全体としては、練り込みがイマイチ足らないようで、悪党や刺客の存在感が薄い。たぶん予算の関係で、そっち方面にいい役者を確保できなかったのだろう。メインの3人と、それに変態母役の片瀬那奈が達者な演技をしていただけに、残念ではある。

 けれども、それらの弱点は、変態仮面とニセ変態仮面の活躍で十分に補われており、そこの場面だけでもこの映画は観る価値が(一部の者にとっては)ある。

 製作者の当初の予定通り、この映画は営業的にはたぶんコケるであろうが、しかし存在感は強く、「記録には残らないが、記憶には残る映画」と称されることになるであろう。
 万人にはとても勧められないが、バカ映画が好きな人には是非とも勧められます。

 (…この映画、日本よりアメリカやフランスのほうが受けるとは思う。既に海外での上映館のほうが多いとも聞くし。
 日本独自の映画として、「クールジャパン(苦笑)」名義で、世界に発信できるコンテンツではなかろうか。
 ついでなので、もしかしてHentai Kamenで検索してきた外国の人のために、簡単な紹介文も英語versionフランス語versionで書いておいた。)


 …………………………………
 変態仮面 公式サイト

| | Comments (0) | TrackBack (0)

The Movie : Hentai Kamen

Hk_2

 The japanese word “Hentai” commonly means abnormality. But using the word in comic, the word means extreme abnormality which reachs stage of art.
 Therefore“Hentai” is used for good meaning in Japan comic world

 The movie “Hentai Kamen” is one which Cool Japan can send the world with confidence.
 In the movie “Hentai Kamen”is hero coverd with pantie mask. For he covers his face by pantie, his power grows up maximumly until to exceed human and he become superman. With “Hentai”power he can play so much
 The hero’s superaction is filled with formal beauty called Japanese style.
 Furthermore another “Hentai Kamen” appeas in the second halh. He is more “Hentai” than original. Their battle is filled with laugh and beuty.

 If you want to know Japanese newest comedy screenplay and beauty of screen, you should see “Hentai Kamen”

 …………………………………
 Hentai Kamen  official site

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Le film : Hentai Kamen

Hk_3

 Le mot japonais “Hentai” communément signifile abnomalie, mais si le mot est utilisé dans cartoon le signifile abnomalie extrême que atteind à la domaine de l’art.
 Donc “Hentai” est utilisé pour de bon sens au Japon

 Le film “Hentai Kamen” est le que Cool Japan peut envoie au monde avec confiance.
 Dans le film “Hentai Kamen” est héro ou porte une slip à face. Parce que comme il porte slip, sa force est augmentée en maximum jusqu'à dépasser humaine, et il devien un surhomme.
 Ses activités magnifiques sont rempli de beauté formellen que s’appelle le style japonais.
 Par ailleurs autre “Hentai Kamen” apparaître dans la second moitie. Il est plus “Hentai” que original. Leur combats sont rempli de rile et beauté.

 Si vous voulez savoir les plus récent scénario et la beauté de l'écran japonais, vous devez voir “Hentai Kamen”.

 …………………………………
 Hentai Kamen  site officiel

| | Comments (2) | TrackBack (0)

April 08, 2013

鮨:すし匠斎藤@赤坂

 すし匠系列の店はどこも人気が高いが、そのなかでもとりわけ近頃名を上げている「すし匠斎藤」を訪れてみた。
 ここも「海味」と同じく、ツマミが豊富にそろい、酒飲みにとってとても嬉しい店である。

【イカ煮】
1

【コハダ】
2

【中トロ】
3

 ツマミは、海葡萄、浅蜊のスープ、メヒカリ焼、イカ煮(印籠風であるが、なかは卵がつまっている)、鮑の茶碗蒸し、鮑の肝刺し(これをゴマ油で。ユッケ風)、アラ、タイの造り、初鰹を少し炙ったもの、バチコ、アカムツ、穴子白焼き、などなど。
 どれも良い素材に、きちんとした調理が加えられ、一品一品がとても美味しい。
 このツマミの合間に鮨がはさまれ、コハダ、茹でたて車海老、中トロ、中トロヅケ炙り、鯵、雲丹、アオヤギ、金目の昆布〆、穴子、干瓢、等々。
 どの鮨も、江戸前、あるいは創作風に手が加えられている。サクラマスの鮨は、名前に合わせて桜の花びらで香りをつけられ、春の香りがいっぱいに漂う面白いもの。車海老は茹でたてで甘さがたっぷりである。
 鮨のシャリに関しては、この店ではネタに合わせて、白酢、薄めの赤酢、濃い赤酢の3種類を使い分け、バランスをとっていた。
 全体的に、神経の行き届いた繊細なものばかりであった。
 店の雰囲気も、柔らかめで、かなり上品。
 なんというか、「海味」を体育系寿司店とすると、こちらは文化系寿司店であった。落ち着いた雰囲気で鮨、料理を楽しめ、接待とか、あるいは家族で使うのにも、適していると思う。じっさい、客層はそういう人が多かった。

 ツマミ、鮨、酒とも満足の夜であった。
 そして、少々驚いたのは、客の回転がいいこと。何時間ごとにいっせいに回転させるのでなく、各々の席があいたら、すぐ埋って来ていつでも満席の状態。当日の予約もどんどん入ってきているようだ。
 近頃は景気が良くなっていると報道ではみるが、地方では実感はない。しかし、東京は確実に景気が上向いて来ているのだな、と実感した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 07, 2013

鮨:海味@南青山

Sign

 東京の寿司店の料理の構成というと、ツマミは鮨種の切り身くらいで、そのあと握りがメインというイメージがあるが、ツマミを鮨と同じくらいに力を入れてつくり、ツマミ・鮨が同等の比重で供される、新しいタイプの寿司店の代表的な存在である「海味」を訪れてみた。

【雲丹、ノドグロ】
Uni

【ヤリイカ】
Ika

【コハダ握り】
Kohada

 ツマミは、のれそれ、鰆の卵、ヤリイカの身とミミの刺身(筋肉質で身全体が透き通ったような上物)、それにイカ軟骨、焼物は真魚鰹にノドグロ、雲丹は殻付きの新鮮なもの(旨みたっぷり)、今が旬の貝類は大きなトリガイとアオヤギが身とヒモで(貝の清新な香りが素晴らしい)。これも旬のホタルイカは、串焼。そして活き渡り蟹。などなど。
 聞きしに勝る豊富なツマミの数々である。
 これに交互に出される握りは、ネタによって酢と塩加減を変えたりして、ツマミ同様に豊かな広がりの味を楽しめる。そして、これらがじつに酒にあう。酒飲みにとってはたまらない店であり、…ただし鮨を楽しむ場合には、料理構成が賑やかすぎると思う人もいるではあろうな。

 酒飲みの私としては、酒を美味く飲むのに、まさに理想的な店であって、大満足であった。季節を変えて、ぜひともまた訪れたい店である。


 …ただ、料理の印象も強いものはあるが、私としては店主および店全体の雰囲気のほうがはるかに印象強かった。
 入店したときからの、全員での力いっぱいの「いらっしゃいませ~!」の挨拶から、まあそういう店であることは分かったのだけど、注文の一つ一つにも、ほんとうにうれしそうに店主以下従業員全員(たしか5人)が「かしこまりました~!」と全力で応える。
 いい店で、いいものを、楽しく食べ、楽しく飲んでほしいという気持ちが、情熱的に、なんというか暑苦しいまでのテンションで放たれ、店全体が妙な活気で満たされてくる。
 この元気の良さはほとんど体育系のノリであり、もはや「食の応援団」とでも称すべきレベルに達している。客は料理を食べながら、周りからフレー!フレー!と応援を受けているような気分になり、これは懸命に食べますな。

 いやはや、ほんと独特の雰囲気に満ちた店であった。

 もちろん、この店の雰囲気は、業界では半ば伝説的存在となっている店主長野氏のキャラクターによるものであり、それゆえ海味が唯一無二の存在になっている。
 同じ系統の料理を出す「すし匠」が、多くの系列店を出しているのに比べ、「海味」は南青山のこの店一つである。それは、「海味」が何よりも「長野氏の店」であるからであろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

絵画:フランシス・ベーコン

 20世紀の画家ではフランシス・ベーコンは重要な位置を占める画家なのだろうけど、図柄から広い人気を博すようなものではなく、マイナー系あるいはオタク系の位置に甘んじているところがある。
 そのベーコンの大規模な展示会が開催されているとのこと。たぶん、もうそのような展示会が開かれることはないであろうから、せっかくなので見に行ってきた。
 もっとも、私はベーコンの、なんでもかんでも捻じり上げたような人体の絵は好きではなく、目当ては枢機卿のシリーズである。

【ヴェラスケスの教皇インノケンティウス10世の肖像による習作】
Ino10_3

 ヴェラスケスによる「インノケンティウス10世肖像」をモチーフにして描かれた連作のうち、最も有名な絵。
 ただし、今回の展示会には出品されていなかった。ちょっと残念。

 この絵は、誰でも初めて見たとき、強いショックを受ける、印象的な絵であろう。
 上方から垂直に降り、下方で四方に弾ける金色の光線に打たれ、そこに座る人物は、恐怖と苦痛の叫び声を上げている。大きな叫び声が聞こえてきそうな臨場感、そしてその絶望感がじかに迫って来る迫真性。
 な、なんなんだ、この絵は!
 とあきれ、絵の前から後ずさりしてしまいそうになるくらい、刺戟の強い絵である。

 ただ、この刺戟は、いわゆる「俗な」、一回やれば馴れてしまうたぐいのもので、2度3度見て、その刺戟性が薄れてしまえば、この絵もあんがいつまらなく感じられてしまう。
 じっさい、ベーコンも一時期は憑かれたように描き続けていたこの「叫ぶ枢機卿」シリーズも、ある時期突然に興味を失い、それからは少しでも似たモチーフのものは描かなくなっている。

 それについては、展示会で上映されていたインタヴューのビデオで、枢機卿シリーズを描かなくなった理由を問われ、ベーコンは「元絵が完璧すぎ、何をどうやっても、どうもならなかったから」みたいなことを言っていた。

 その元絵、

【教皇インノケンティウス10世の肖像】
Vel_inno10_2

 この絵は、人類がその絵画の歴史のなかで持った、何百万、いや、何千万、何億といった肖像画のなかで、最も偉大なものの一つである。
 ヴェラスケス自体が、絵画の歴史のうち、画家トップ10内には必ず選ばれる偉人であり、その偉人の画業のなかでも、最高に属する作品であるからして、優れているのは当たり前なのだが、それにしてもこの絵は素晴らしい。
 色彩、構図、構成、すべてが完璧である。

 …ただし、完璧と言っても、人好きする絵であるかどうかはまた別問題だ。

 ヴェラスケスは描写力が抜群に長けていた人ゆえ、この絵、モデルとなった人物の精神性もあますことなく表現している。
 そして、その精神性であるが、教皇という特殊な立場の人が持つべき聖性が微塵も感じられないのはどうしたことか。
 もちろんカトリック教会のトップに立つものとして重要な、意思の強さとか、精神力の逞しさとかは十分すぎるほど持っているのは分かるが、さらに感じられるものは、意地の悪さとか、残忍さとか、狡猾さとかであり、この人物が教皇に登りつめたのは、決してその聖性や慈悲性ではなく、権謀術数によるものであることまで分かってしまう、そこまで描かれた深い絵だ。
 じっさい、インノケンティウス10世はそういう人物であった。

 ベーコンによれば、彼にとっての暴君であった父が、この絵のインノケンティウス10世によく似ていたそうだ。それで父を罰するために、父の代理であるインノケンティウス10世を罰する絵を描いたとのこと。フロイト的には分かりやすい話だ。
 ただし、それも話半分のような気はする。
 絵をよく見れば、ベーコンの矢である金色の線は、じつは画面中を飛び回っており、一部は椅子と同化して画面からはみ出ている。ベーコンの罰したかったものは、中央の人物ではなく、絵全体である。それならば、攻撃の的はあの完璧な絵であるヴェラスケスの元絵であり、さらにはヴェラスケスその人であると考えるのは、べつに間違ってはいないだろう。ベーコンには、この完璧な絵、そしてそれを描いた画家が、許せない、そういう激情があったのでは。
 しかし、その憎悪に等しい激情は、さらには我が身にも返ってくるようである。
 この絵は、眺めていると、罰していたはずの自分がいつのまにかこの絵のなかに連れ込まれ、自らが中央の椅子に座っている人物となり、金色の光線に貫かれ、叫び声をあげる羽目になってしまう。そういう不気味さがある。展示展に行くと分かるが、ベーコンの絵は、ガラスを使って、絵と自分を一体化させる、そういう凝った仕掛けがしてある。

 こういう他者への攻撃が、自分にも返って来る、無限ループのような苦悶が、枢機卿シリーズ以外の絵でもえんえんと感じられ、どの絵を見ても、なんとも疲れる展示会であった。

 そして私はただ精神的に疲れるだけの立場であったが、なかには肉体的にもその疲れを感じたい人もいるようであった。
 展示室一つをまるまる使って、「ベーコン的肉体の絵画表現」を肉体そのものを使ってダンスしているビデオを上映している部屋があった。そこでのダンスは、自らの身をあらぬ方向に折り曲げる奇々怪々なものであり、たしかにベーコンの世界そのものであった。

 フランシス・ベーコン、奥が深いが、やっぱりあんまり好きにはなれない画家だな。

 …………………………………

 フランシス・ベーコン展 公式サイト

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 06, 2013

映画:ゼロ・ダーク・サーティ

030

 映画の冒頭、911事件の実際の録音が暗闇のなか流れる。
 航空機をハイジャックされ無謀な飛行が続けられるなか、乗務員が懸命に状況をオペレーションセンターに交信している。動転している彼女に対し、オペレーターは「大丈夫、落ち着いて、落ち着いて」と対応するが、突然交信はプツンと途切れる。しばしの静寂のあと、オペレーターが「Oh my God.」とつぶやく。

 911が市井の人々を巻き込んだ凄惨なテロ事件であったことが、生々しく甦る、なんともやりきれないシーンであり、そして今なおアメリカという国に深い傷跡を残していることも理解できる。

 超大国アメリカに個人が組織を造り上げ戦争をしかけたビン・ラーディンに対し、アメリカは総力を挙げ、多額の予算、大勢の人材を用い、捜索を行うのであるが、パキスタン国境の山岳地のアジトで捕えるのを失敗して以来、行方は杳としてつかめなくなった。
 逃亡されてからも、ビン・ラーディンは明らかに健在であり、彼の指令によるテロは世界中のいたる所で起き、止む気配さえない。

 ビン・ラーディン捜索の担当はCIAであるが、CIAを象徴する人物である捜査官マヤは、極めて有能なためにチームに選ばれた。自ら志願したわけではないマヤは、パキスタン現地での拷問し放題の捜査の激しさに違和感を覚えていた。
 けれども世界各地でのテロの進行、それに同遼もテロの餌食となったことから、彼女は人格を変貌させていった。自らモンスターと化すべく決意をしたごとく、強引な捜査方法を用いながら、彼女は針の穴をいくつも通していくような、細い手掛かりをつなげていき、ついにビン・ラーディンの居場所と思われる場所を突きとめる。
 彼女の半ば狂気に憑かれたような説得から、ついにビン・ラーディン殺害計画は実行に移され、ゼロ・ダーク・サーティ、深夜0時半に作戦は決行された。


 戦場に生きる男の極限的な精神の緊張と高揚を描いた「ハート・ロッカー」に続く、ビグロー監督の新作。
 1シーン、1シーンが緊迫感に満ち、かつ重厚感にあふれている。
 テーマは深刻で重々しく、緊迫感が持続したまま話は続いていくが、結局は何の解決もなく、またカタルシスもなく、虚無感だけが残る結末となる。映画的には尻切れトンボ的ではあるも、それは全て現実なのでもあり、すなわち我々が生きている世界は、ここまで「出口のない」世界である、ということが実感させられる。

 911から11年、ビン・ラーディン殺害から2年ほどしか経っていないのだが、ここまでのドキュメンタリーを造れるビグロー監督の力量にただただ感嘆。


 …ただ、この映画、イスラム側からは言い返したくなることがたくさんあると思う。
 しかし冒頭の部位で、この映画は徹底的にアメリカ側から描くぞと宣言しているから、こういうつくりにはなるな。
 それで、将来的にはイスラム側から違う視点でのこの事件を描いた映画も造ってほしいなとも思った。


 …………………………………

 ゼロ・ダーク・サーティ 公式サイト

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« March 2013 | Main | May 2013 »