« November 2012 | Main | January 2013 »

December 2012の記事

December 31, 2012

平成24年大晦日@京都市

 年末年始はワンパターンの乗りで、京都市で過ごすこととし、大晦日は旅館柊家で。

【柊家玄関】
0

 すでに柊家の玄関は年始の慶賀モード。
 お向かいの俵屋も同様であった。

【柊家部屋】
1

 本日の部屋は旧館一階の34号室。
 柊家ならではのクラシックなたたずまいの部屋である。
 額には「天寒松色間」と由緒ありげなことが立派な字体で書かれており、部屋全体を引き締めている。

【庭】
2

 庭もクラシカルな京情緒にあふれた坪庭。
 宿のシンボルである柊の樹も植えられていた。

【八寸】
3

 夕食。
 八寸は、バチコ、海老芋揚げ、唐墨大根、アン肝身巻き、鯛けんちん等々、どれも酒の肴として抜群なものばかり。
 酒が進みます。

 これから、椀、造り、揚げもの、蒸し物、…と、いつもながらの豊かな食材を用いた華やかな柊家の料理。

【焼き物】
4

 メインは鰆の幽庵焼き。それに蓮根、はじかみ、柚子。和牛の味噌漬け焼き。頭芋と小蕪とブロコッリーの田楽。
 どれも柊家独特の、分かりやすい味付けである。

【御飯】
5_2

 〆の御飯は、穴子御飯である。
 京都は穴子を好む文化があり、市場では焼き穴子がたくさん並べられているけど、柊家で穴子飯を見るのは初めての経験なり。

【年越し蕎麦】
6

 いかなる店でも、一年に一回しか出せないのが「年越し蕎麦」。
 その年越し蕎麦を、京都の老舗旅館で味わう。
 一年を無事終わり、新年をまた迎える。その実感が、蕎麦を食いながら、身にしみ渡って来る。


 さて、年越し蕎麦を食い終え、一年の食のノルマを終えたので、その次は除夜の鐘である。
 毎年行こうと思いつつ、人があまりに多く、そしてここ数年さらに人が増えている傾向があるため、いつも入れなかった知恩院に、今回は少々早めに向かうことにする。

【姉小路通り】
7

 旅館を出てすぐにある姉小路通り。
 するとこのように行灯が道にずらりと並べられていた。
 いまままで経験なき、新趣向である。

【八坂神社楼門】
8

 知恩院の前に、八坂神社へと寄る。
 この神社は12時近くになると、途方もない量の初詣の客で、近づくのさえ困難になるので、その前に行く必要がある。

【おけら参り】
9

 大晦日の八坂神社は、鐘はないけど、「おけら参り」というものがある。
 神社で熾された火で、火縄に火をつけて、これをくるくる回しながら無病息災を祈るものである。
 だから大晦日の八坂神社周辺には、これをくるくる回した人がよく歩いていて、夜道にとても目立ち、風情ある情景となる。

【知恩院階段】
10

 おけら火をくるくる回しながら、本日のメインの目的地知恩院へと向かい、大行列に並ぶ。
 寺門に近づくと、整理係の人から「寺内は火気厳禁なので、おけら火は消してください」との注意の声がかかる。ゆえに、行列客のけっこうな数の人がくるくる回しているおけら火は途中で消えてしまうことになるのであるが、…よくは分からないのだけど、これって途中で消して御利益がなくなるということはないのかな。

【知恩院大鐘楼】
11

 ベルトコンベア式に行列は動き、ようやく大鐘楼へ。
 NHKの中継などで全国的に有名になっている鐘つきを、初めてリアルで見ることができた。
 独特の掛け声とともに、20人ほどの僧侶たちが巨大な鐘をこれも巨大な橦木で撞く。地の底から持ち上がって来るような、重量感あふれる鐘の音が、あたり一面に響く。
 うむ。迫力満点である。

【寺町通り 矢田地蔵尊】
12

 知恩院の鐘を傍で聞けたことに満足し、あとは宿へと向かう。
 その途中、寺町通りに入ると、知恩院の鐘とは異なる、明るい、軽い響きの鐘の音が聞こえて来た。
 矢田地蔵尊の鐘であった。
 これは参拝客が鐘をつけるのであり、人々が順番に鐘を鳴らしていた。

【寺町通り 矢田地蔵尊2】
13

 鐘を撞きたし人は多く、これ全部それ目的の行列である。
 108人は優に越えているみたいだけど、まあそのへんは融通きくのであろうな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 26, 2012

忘年会を、ふじ木@宮崎市にて。

 平成24年も残りわずかとなり、宮崎の美味いもの好きが、老若男女集まって、(…って、いちおう「老」はいなかったか)、ふじ木で忘年会。
 本日も、宮崎で手に入る最高級の素材を仕入れ、それを見事な技術で調理する、ふじ木の醍醐味を十二分に味わえた宴であった。

【向付】
1_3

 河豚の白子はどうやっても美味いのだが、…と一つ前のエントリでも書いたが、宮崎であがった3kg弱の立派なトラ河豚の白子を、ゆっくりと茹でて、半生のような状態で出しております。
 食べれば、柔らかな歯ごたえのあと、とろける白子が口のなかにあふれてくる。
 つくづく、美味。

【酒】
Sake

 日本酒は、十四代の「龍の落とし子」というもの。
 十四代ならではの、豊潤な香りと味。

【焼き物】
2_3

 12月なのに、もう筍が。
 地元の筍を、深く掘って、それを炙って。
 ほくほくした食感と、上品な焼き芋のごとき甘さがたまらない。
 少々のえぐみが問題ない人は、筍を包む薄皮の上のほうまで食べることができます。

【椀物】
3_3

 鯛の潮汁。
 海、そのものを感じさせる、そういう広がりのある椀。

【造り】
4_3

 造りは、鯛に、雲丹。
 獲れたての新鮮な鯛ならではの、強い弾力と、それに甘さが特徴的。

【焼き物】
5_3

 宮崎であがったアラ。
 今が絶好の旬の素材であり、脂の乗りが尋常でない。

【造り】
6_3

 本日のメインは、氷見鰤。
 (さすがに宮崎では、そんなにいい天然鰤は上がらない)
 まずは、造りで。

【鍋】
7_3

8_3

9_3

 そして、鰤の美味さを最高に引き出すべく、鰤のしゃぶしゃぶ。
 一番いい具合に湯にくぐらせた薄切りの鰤は、甘さと旨さが凝集され、しみじみと美味い。

【御飯】
10_3

 鰤のしゃぶしゃぶのあとは鰤雑炊、…ということはもちろんなく、〆の御飯は、唐墨茶漬け。
 これは、とんでもなく美味。
 今までの料理でも素晴らしかったけど、それらをリセットしていいくらいの美味さを持つ、独立独歩的な料理。
 これを食えば、一口目からノックアウトされた気分になります。


 平成24年、今までのところ、とくに大きな病気とか事故に遭遇することなく無事に過ごし、けっこう色々と美味しいものを食うことを出来た。
 そして、宮崎の〆で、満足できるものも食べられ、幸せな気分である。


 平成24年はあと数日残っており、そしてあと1~2軒、美味しい店に行く予定はあるが、なにはともあれ、本年を無事に終え、そして来年も無事に過ごし、美味しいものを食い、面白いところを旅し、そして実直に仕事を行っていきたい。
 年末年始は、京都で過ごす予定だが、そういう願いを初詣のとき各神社でしておこう。

 このブログの次回のUPは、来年1月中旬からになります。
 よいお年を。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 23, 2012

にしきや@臼杵市 で河豚を楽しむ

 冬はやはり河豚である。
 …しかし河豚屋の人に言わせると、「河豚は年中美味しい。とくに夏の河豚刺しは、冬の子を持った河豚より余程美味しい。是非、夏にも河豚を食べに来てください」とのことで、じっさい私は夏に河豚を食べに行ったこともあるが、やはり河豚は、刺身に加え、鍋、白子をセットで食って、初めて大満足ということになり、だいたいは冬が初河豚となります。

 というわけで、今シーズンの初河豚は、12月末となった。

 河豚の名所は数あれど、やはり大分県の臼杵が、九州では最もお勧め。
 臼杵は全国レベルで河豚の聖地と称されており、じっさい狭い街の中心街に河豚の専門店が数多くあって、それらを食べ歩くと、臼杵の河豚のレベルの高さがよく分かる。
 そして本日は老舗河豚店「にしきや」へと。

【店内】
0

 店に入ると、大きな河豚提灯がお出迎え。

【突出し】
1

 河豚の煮凝り、河豚の縁側、白子豆腐。

【ヒレ酒】
4

 酒は最初は、香ばしきヒレ酒から。
 「にしきや」では、ヒレ酒用の河豚ヒレをお土産にくれます。

【河豚刺し】
2

 河豚刺しは地方や店によって熟成させ方、切り方が異なるのだが、この店では河豚は少し寝かせて、やや厚めに切ってます。旨味も歯ごたえもたいへんよし。

【白子焼き】
3

 河豚は年中美味しいのだが、白子は寒くなってのこの時期だけのものである。
 河豚の白子は、なにをやっても美味な素材だけど、やはり普通に焼くのが、もっとも魅力が分かる気がする。
何の雑味もなく、美味さのみを凝集したような、美味さの塊のような料理。

【河豚寿司】
6

 河豚寿司は臼杵発祥の名物である。
 河豚に紅葉おろし、あさつきを添えての軍艦巻き。

【唐揚げ】
5

 味、弾力、温度、全て良し。
 熱いうちに、無言になって、懸命に食いましょう。

【河豚鍋】
7

 河豚を徹底的にぐつぐつと煮て、たっぷりと出汁を取る。
 部屋中に立ち上る河豚の香りがたまらない。

【河豚雑炊】
8

 最高の出汁が出た鍋のあとは、当然雑炊で〆となる。
 雑炊の種類は数あれど、河豚雑炊は、その王様と思います。
 河豚の馥郁たる香り、豊穣たる出汁の味に、ただただ圧倒されます。


 河豚の素材の良さ、調理の手法、そして〆の河豚雑炊。
 「にしきや」の河豚のコースは、いつ食っても、「美味しい河豚を食ったなあ」という大満足感にひたれる。

 また、「にしきや」も含め、臼杵の天然河豚のフルコースは白子抜きだと10000円ほどの値段が相場であり、東京や福岡の人からすると驚異的なコストパフォーマンスの良さである。
 臼杵まで、東京から河豚食うためだけに飛行機で来たり、福岡から高速使って来る人が、たくさん居るのも当然である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

極寒の久住山

 クリスマス連休は大寒波が九州北部に到来するので、九重は雪山となりそうである。今シーズン初の雪山を楽しむべく、久住山へと行ってみた。
 しかし、やまなみハイウエィには雪は積もっておらず、また牧ノ戸登山口でも積雪はなく、どうやら半日ほど雪の到来が遅れているようだ。

【温度計】
1

 沓掛山の手前、標高1400mほどの位置に設置してある温度計。
 氷点下10度である。
 さすがに寒波到来時、この高さまで来ると、九州といえどこれくらいの厳しい寒さとなる。

【登山道】
3

 灌木は霧氷となっている。登山道は霜柱が立っており、それが登山者により踏みしだかれ、細かいシャーベット状態。これをサクサクと踏みしめて行こう。

【登山道】
7

 久住は風の強いところであり、このように樹々は風に枝を曲げられ、風を具現化するようなオブジェ化している。

【登山道】
4

 シャーベット状の道を歩いていき、西千里ヶ浜へと出る。
 ここは星生山と久住山の2ショットが楽しめる、眺めの良いところなのだが、本日はガスが出ており、何も見えない。
 そして、いつもはぬかるんでいる道が、完全に氷化しており、ツルツルになっている。気をぬいて歩くと、滑りまくってしまうので、ここでアイゼンを装着した。

【久住避難小屋前広場】
10

 避難小屋前の広場は、風紋上に地面が凍り、ウインドクラストとなっている。
 ガスの奥のほうにうっすらと見える避難小屋にて、しばし休憩しようと思ったが、これまでの行程で凍えてしまっている人たちがたくさん休憩して、満員状態となっていたので、そのまま久住山に進むことにした。

【久住山への登り】
6

 避難小屋前からは、ひたすら斜面を登っていくことになる。
 気温はどんどん下がり、この時点では氷点下15度くらいになっていたはず。
 そして久住名物の強風はここからどんどん強くなり、この気象条件では稜線上では台風なみになるのは確実。
 そんな悪条件のなか、たとえ山頂に行っても、ガスでなにも見えないであろう久住山を、それでもゾロゾロと登っている人がいるのが、…久住山の魅力なんだろうなあ。

【久住山】
5

 山頂への稜線に出ると、風がとんでもない。
 やはり台風なみの強さであり、身体を傾けないととても歩けないし、ときおり生じる突風には吹き飛ばされそうにもなる。
 しかもその風は氷点下の温度なのであり、顔は痛くなるし、睫毛も凍って来た。
 それでもいったん登ったからには、たとえ風がどうであろうが、寒さがどうであろうが、頂上まで行かねば、気持ちが落ち着かない。
 そういうわけで、なんとか着いた久住山山頂。
 予想通り、ガスに覆われ、展望はなにもなし。
 写真だけ撮って、さっさと下山することにする。

【登山道】
12

 元来た道を歩くうち、雪が降って来た。
 氷点下の世界なので、降って来た雪は、そのままどんどん積もって行く。
 沓掛山の近くでは、雪山の雰囲気になっていた。
 明日は、九重は雪山と化すであろう。

【牧ノ戸駐車場】
9

 牧ノ戸まで降りると、駐車場と、やまなみハイウエイには雪が積もっていた。

 やまなみハイウエイは水分峠までずっと雪道であった。
 今日は午前中は雪は積もっておらず、午後になって急に雪道になっていたので、雪の用意をしていなかった車も多いようであり、雪道には車のスリップした跡がよく見かけられた。

 (雪国に暮らす人には想像もつかないであろうが、九州だとノーマルタイヤで雪道に突っ込むチャレンジャーが、けっこういます。)

 そのうち、対向車がパッシングしたので、なにか事故かなと思っていたら、少し走ったところで、ガードレールに派手にぶつけて大破し、車線をふさいでいる車に遭遇。

 雪道を走行しているとき、何が一番怖いかというと、グリップを失った対向車が車線を越えて向かってくることであり、本日はその手の車が多い可能性が高いので、用心に用心を、慎重に慎重を重ねて運転し、そして無事に雪道を脱出した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 22, 2012

鮨 仙八@熊本市

 熊本市花畑町の「仙八」は、質のよい魚と、日本全国から揃えた銘酒が自慢の、鮮魚系寿司割烹みたいな店であり、私が熊本市に居たころよく通っていたのだが、店主の息子が代を継ぎ、江戸前寿司店に変わったという話を聞いて、ひさしぶりに行ってみた。

 店は二階から地階に移っており、店の位置も変わったことから、完全に代変わりしたのだろうなと思い扉を開けたら、まだ前店主はヅケ場に立っていて、息子さんを手伝っていた。
 「久しぶりですね~、何年くらいですか」などと挨拶されて、かれこれ7年ぶりくらいですかねえと返事をする。

 息子さんは、東京の西麻布の「真」という寿司店で修業し、その修業の成果を熊本で見せたいと、以前の仙八とはまったく異なる、本格的な江戸前鮨を出すようにしたとのこと。
 まずは、肴から始めたのだが、たしかにどれも色々と仕事をしたものが出て来た。

 突出しは青森産つぶ貝。それから鱈の白子。造りは鯛、〆鯖、サワラであり、造りに合わせて三種類の醤油の皿もセットである。味濃厚なタイラギは、炙って海苔で巻いて。

【四種盛り】
1

 左から平鱸の真子、烏賊印籠詰め、煮浅蜊、煮牡蠣。

【珍味】
14

 これはボラの胃袋(いわゆるボラのヘソ)の炙り。

 それから、茶ぶりナマコのコノワタ和え。唐墨を炙った薄切り餅と。

 いずれも、じつに酒に合う肴である。

【茶碗蒸し】
2

 茶碗蒸しは、熊本の牡蠣。
 玉子も牡蠣も蒸し方も、見事なものである。

 これらの肴ののち、握りへと。

 握りは純江戸前であり、シャリは赤酢と塩のみで砂糖は使わず、鮨種もかならず手を入れている。
 鮨種に関しては、熊本の魚市場は鮨に向いた手入れをした魚はあまり上がってこないので、熊本の有名寿司店は築地や福岡の魚を使うことが多く、また仙八も最初はそうしていたのであるが、それでは師匠の鮨と一緒だと思い、生産者とも連絡をとりながら、熊本の良い素材で、地元のものにこだわった鮨を握ろうとしているとのこと。

【鯛】
3

 鯛は昆布〆。シャリは小ぶりで、ネタは少々厚め。
 形がよく、シャリのほどけ具合もよい。

【コハダ】
4

 熊本天草はコハダの有名な産地なのであるが、需要がないため、その多くは東京に行ってしまう。それを一部熊本で抑えて、熊本産のコハダが出てきます。

【キハダマグロ】
7

 地元の魚にこだわっているので、仙八ではあまり鮪は出ないのだが、本日はいいキハダマグロが一本だけ天草に上がったそうで、それが出てきました。

【車海老】
10

 車海老は茹でたての温かく甘いもの。

【カマス】
6

 よく脂の乗ったカマスは、塩で〆て、それを炙って。

【薄焼き玉子】
13

 江戸前寿司店では、やはり白身を練り込んだ玉子焼きを食べたいものである。
 手間暇のかかる料理であるが、これがあると、コースが引き締まる気がする。

【干瓢巻き】
16

 鮨は、写真のものに加えて、サヨリ、スミイカ、カスゴ、ブリヅケ、煮ハマ、ウニ、穴子、といった丁寧な仕事を加えたものが出てきて、〆は干瓢巻きを頼んだ。
 私がやたらに酒を飲んでいるせいか、干瓢の余った分もツマミで出てきた。


 肴、握り、いずれも堂々とした江戸前系のものであり、とくに酒好きの者にはたまらないものであった。
 この手の寿司店は今まで熊本にはなかったのであり、熊本ではなかなか受け入れられなかったとは思うけど、元々が老舗店であり、常連客をがっちりつかんでいたこともあって、うまく新機軸に行けたようだ。
 それに加え、若い店主は、自身の工夫を加え、「熊本の鮨」を出すという情熱も高く、この店は熊本の将来の名店として期待できると思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 18, 2012

偉大なる凡人 -米長邦雄氏訃報を聞いて

Yonenaga


 闘病が伝えられていた米長邦雄氏の死去の報を聞き、氏の全盛期時代の将棋をおおいに楽しませてもらった者として、寂しさを覚えざるを得なかった。

 米長氏は、将棋はもちろん強かったが、エンターテイナーとしての活躍も広範囲であり、日本将棋界のスポークマンとしてこれほど活躍した人もおらず、日本将棋界の最大級の功労者であろう。

 じっさいに、米長氏の広報活動により将棋界の地位全体は上がっていった。
 そして、米長氏はその位置向上をずっとリアルタイムで生きていた人であった。

 昭和30年代初期、山梨に将棋のすごく強い小学生がいるという話を聞き、佐瀬勇次棋士が米長家を訪れ、米長少年が将棋界へ進むことを勧めたところ、両親は難色をしめした。
 それは当時の人たちの将棋界への認識からすると、当たり前のことであった。

 将棋界は、元々は囲碁・相撲とならび、江戸時代からプロ組織を持っていた由緒ある職能集団であった。けれども江戸幕府の崩壊により、幕府の庇護を失い、自活する必要が生じた。文化人、政治家らの愛好者が多く、スポンサー獲得が容易であった囲碁界と違い、将棋界は庶民層に近い存在であり、それらの世界においてはどうしても賭け将棋が不可欠なものとなって、将棋はゴロツキがやるというイメージが強かった。将棋で生活する人って、ギャンブラー同様に思われていたのだ。

 両親をなんとか説得し、米長氏が棋界入りして順調に段位を上げていき、若手有望棋士と目されたころも、その「将棋指し=ゴロツキ」という偏見は続いていた。

 若き米長氏は将棋で生活できる目途がついたため、付き合っていた女性と結婚しようと思い、彼女の両親に挨拶に行った。しかし、「将棋指しに大事な娘を嫁にやれるか」と、けんもほろろに追い返されてしまい、その後敷居もまたがせてもらえない。困った米長青年は、棋界の巨頭升田幸三に相談に行った。親分肌の升田幸三は、「よし、おれにまかせておけ」と、米長青年を連れ彼女の家を訪れた。
 升田幸三といえば当時の超有名人であり、将棋を知らぬ人でも誰でも知っている。門前払いするわけにはいかない。そして挨拶に現れた父親に向かい、大声で「米長は将棋界の宝。将来の名人である。こんな家の娘にやるにはもったいないわ!」と一喝した。その迫力に押され、うやむやのうちに縁談はまとまり、米長青年は無事結婚できた。米長氏は、升田幸三を生涯の恩人と感謝していた。

 なお、升田幸三の宣言した「米長は将来の名人」との言葉は、なかなか実現されなかった。なにしろ米長氏の同世代には、中原誠という天才棋士がいた。米長氏は全棋士参加の順位戦リーグを勝抜き、その一位となって名人への挑戦権を得るまでは出来るのだが、天才中原名人は途方もなく強いので、米長氏が何度も何度も挑戦しても、その都度退けられる。その失敗は7回にも及んだ。
 さすがに7回連続で敗れては、誰もが米長氏は名人にはなれないと思っていたのだが、最後の8回目の挑戦時、中原名人は変調をきたし、その結果米長氏は齢49歳にして初の名人位を獲得した。
 米長新名人は歓喜の時を迎えたのだが、…このとき、既に升田幸三は2年前に亡くなっており、米長氏は内心忸怩たるものを感じていたのではなかろうか。

 
(中原名人がなぜ変調をきたしたか、-つまりなぜ将棋に集中できない精神状態になっていたかは、今となっては誰しも理由を知っているのだが、それの遠因は米長氏も関与しているのが、この世界の面白くも情けないところだ。)


 米長氏はマスコミに登場すること多く、将棋界を広く世間に知らせる役割をずっと果たしていた。そのため人気も高く、どの棋戦に出ても集客力抜群であったし、注目を集めていた。またその将棋も独特の感性があるもので、局面を複雑化していき、自分の土俵に相手を無理やりねじ込んでいく、いわゆる「泥沼流将棋」であり、将棋そのものも人物同様に面白かった。
 ただし棋力そのものは、超一流には達せなかった。
 米長氏が生きた将棋界には、前世代に大山康晴、同時代に中原誠、次世代に谷川浩司、次々世代に羽生善治という、天才たちが存在しており、彼らの才気溢れる将棋に対し、それをはね返せる力は遂に得られず、万年二位という位置に甘んじざるを得なかった。まあ、そのことが余計に判官贔屓ともなって、米長氏の人気を高めたわけでもあるが。

 将棋というゲームは才能が全てなので、天才でなければ棋界の覇者にはなれない。
 簡単に言ってしまえば、将棋界は「天才数人とその他大勢」の世界であり、ごく僅かの天才たちで、時代ごとに覇者が変わって行く世界である。
 だから、米長氏は20年以上の苦労をかけて得た名人の座を、翌年、次々世代の天才羽生善治にあっさりと奪われてしまい、その後名人の座は羽生世代で回されることになった。

 米長氏は天才たちに挑み続けていたため、かえって凡人であることの悲哀を最も噛みしめざるを得ない存在であったろうが、それでも、氏が将棋界に成し遂げた貢献、―世間に将棋を知らしめ、将棋界を明るい世界に持って行ったことは、いわゆる将棋バカである天才たちには難しい事業であったろう。
 凡人であるがゆえ出来たことであり、天才には出来なかったことを成し遂げた、米長氏は凡人のやるべきことをきちんと知っていて実行した、まさに偉大なる凡人であった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 16, 2012

「七面鳥撃ち」の夜 -衆院選雑感

 本日は第46回衆院選が行われ、深夜のTV開票速報を見ていると、民主党候補者が次から次へと落選し、選挙前の230議席が4分の1の57議席まで減るという、…まあ、よくも落ちるもんだと呆れざるを得ない、壮大な惨敗であった。

 この尽きることなき落ちっぷりを見ていると、「七面鳥撃ち」なんて言葉をひょいと思い出した。

【マリアナ沖海戦】
Sea_war

 七面鳥撃ち(Turkey Shoot)は、太平洋戦争の終盤、1944年6月に行われたマリアナ沖海戦のときにアメリカ海軍空母パイロットが使った言葉である。
 マリアナ沖海戦は、マリアナ諸島の覇権をめぐって、日米の両空母機動部隊が真っ向勝負を行った海戦である。この戦いは日本側の惨敗に終わり、日本の空母機動部隊は壊滅状態となり、この後日本は制海権を失い、敗戦への道まっしぐらとなった、そういう重要な戦いであった。

 マリアナ沖海戦が日本の一方的な敗戦になったのは、航空機の性能に、大きな要因があった。
 日本の主力戦闘機零戦は、戦争初期には米軍を圧倒する性能を持っていたが、戦争が進むにつれ、米国は兵器の開発を進め、この時には高性能戦闘機F6Fヘルキャットが実戦配備となっていた。ヘルキャットは攻撃力、防御力、操縦性、航続距離、全てにおいて零戦に勝り、さらに最新式兵器であるレーダーも装備されていた。このような怪物戦闘機に、時代に取り残されていた零戦がかなうわけない。
 空母から発進された零戦は、それこそ、不器用に飛ぶ七面鳥を撃つような気安さで、ヘルキャットによって、ばったばったと撃ち落とされていった。
 マリアナの海の上の一方的な虐殺劇であったこれを称して「七面鳥撃ち」と言われていたわけで、…負けた日本人としては腹が立つ話であるが、まあとりあえず、「戦争するときは兵器は常に最良のものを用意する必要があり、そういう兵器を兵士に供給できない国は、その時点で戦争をする資格がない」という教訓を、ここから覚えておこう。

 「七面鳥撃ち」の説明は以上。

 まあ、そのような思い出したくもない不愉快な言葉である「七面鳥撃ち」を、図らずも選挙速報を見ていて、思い出してしまったわけだが、この言葉を思い出さざるを得ない、極端な惨敗であった。
 なにしろ前首相や、官房長官、財務相、文部大臣等の現職閣僚が次から次へと落選するなんだから、その負けっぷりも徹底している。

 ただし、この惨敗も、3年3ヶ月前の民主党が躍進した第45回衆院選ですでに予想はついていた。
 なにより党の重役の前原氏が忠告していた。
 前回の選挙では民主党は「一ヶ月26000円の子供手当」「ガソリン暫定税撤廃」「高速道路無料化」等のマニュフェストとやらを売りにして戦ったわけだが、前原氏は「そんなものを公約にしても財源があるはずがなく、実現出来るわけがない。甘い言葉で今回は選挙に勝ったとしても、公約が実行出来るわけもないんだから、結局民主党は詐欺師集団と糾弾されることになる。そうなれば次の選挙では民主党は壊滅だ」というふうなことを主張していた。
 前原氏の言ってることは極めてまともなことであるが、当時の民主党執行部は「財源のことなど言ってると話が進まない。ともかく選挙に勝つことが肝心だ。財源はそれからでもなんとかなる。今後財源のことを言うことはまかりならん」と強引に突っ走り、…その暴走の果てに、3年3ヶ月後の今日の日を迎えたわけ。

 マニュフェスト詐欺もひどかったが、さらに民主党の鳩・菅政権は、「無能な者に政治をまかせると国はたいへんな被害をこうむる」ということを国民に知らしめたことが唯一の功績みたいな、日本の政治史上まれにみる迷惑な政治であった。

 そのあとを継いだ野田首相は前任者二人の尻拭いに大変な精力を使わざるをえない、気の毒な人であったが、この人はずいぶんとまともな思考の持ち主であり、政治力もなかなかのものを持っていた。
 こういうリアリストが党首に選ばれた点、民主党にも自浄能力はあったということになる。

 そして、その自浄能力が働き、民主党の一番駄目な部分がどんどん切り離されていったので、今の民主党は3年前とは相当に違った組織になり、またドタバタながら与党経験も積んだので、政権担当能力は備えてきたと思われる。
 かつ、惨敗を喫した民主党ながら、小選挙区で勝ち残った人たちは、きちんと仕事をしてきた、能力のある人たちであり、政党の骨格はかろうじて保たれている。まあ、菅とか横路とか辻元とか、あれな人たちが比例で蘇ってしまったのは、現執行部としても遺憾なところかもしれんが、現実的には彼らの居場所はもう党にはないであろう。

 民主党には捲土重来を期待するとして、…ただし、今回の選挙の結果、自民党293議席は取り過ぎだろうし、民主党57議席も減りすぎだろう。
 「政権担当能力のある二大政党が切磋琢磨しあう」というのが、小選挙区制導入の目的であろうけど、今の日本の小選挙区制度は、数の変動が激しすぎる。
 これは将来的に改善の余地はあるでしょうな。


 さて、とりあえず今回の選挙では、脱原発とやらを唱えた政党は、すべて惨敗となった。民意はそんなものにはなかったのである。
 そして、原発稼働派が大多数になったことから、はやく九州内の原発を再稼働させてもらいたいものだ。もうそろそろ電気料値上げも決まりそうなことだし、少しでも値上げ幅を減らすためにも。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

サーラカリーナ@秋のパスタ尽くし

 サーラカリーナをランチで訪れた。
 ランチなので軽めにパスタ中心のメニューとすることにし、それに白トリュフをからめて、今が旬の素材とともに様々なパスタを味わうという、贅沢なコースを楽しむこととした。

【パスタ1】
1_2

 キャビアの冷製カッペリーナ。
 これは、サーラカリーナの前菜の定番で、食欲が増す効果があります。

【パスタ2】
3_2

 トルテッリーニ。三種のパスタは全て詰め物が違っている。
 それに加えコンソメの濃厚な味も印象的。
 パスタもスープも、どちらも一級品。

【パスタ3】
4_2

 イカ墨のパスタ、それにポロ葱とタラバ蟹。
 イカ墨のパスタ自体が豊かな味であるけど、タラバ蟹もポロ葱もそれにケンカを売るかのごとく豊かな味で、にぎやかで華やかなパスタ。

【パスタ4】
5_2

 ここで、少し口直し的に、フレッシュトマトソースの、手打ち平麺パスタ。
 トマトのシンプルで清新な味が素晴らしい。

【パスタ5】
6_2

7_2

 白トリュフは、それがテーブルに置かれただけで、店内中に匂いが充満しそうな、強く刺激的な香りである。
そして、卵を練りこんだタリアテッレに、白トリュフをたっぷりかければ。
 もう、笑ってしまうくらいに、美味な世界が広がる。

【パスタ6】
8_2

 トリュフのパスタを満喫したのち、次はパンチェッタに玉葱、トマトの太麺パスタ。
 この強く豊かなパスタにあわせ、ここからはワインはロゼにと。

【リゾット】
9_2

 白トリュフの二弾はリゾットで。
 見た目、香り、味、食感、全てが完璧。

【パスタ6】
10

 野球でいえば、4番バッターばかりのようなパスタが続き、さらにその次が白トリュフのリゾットだったので、〆はペペロンチーネで。
 パスタの原点のようなこの料理は、しみじみと美味しい。


 コース全体、素材、調理、料理のタイミング、そして味、まったく間然するところなき見事な料理の数々。
 やはり今井シェフの料理が食べられることは、人生の大切な喜びであることを実感。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 15, 2012

師走のライトアップ@福岡市天神界隈

 クリスマスが近づき繁華街はどこもライトアップの時期となっており、宮崎でも各駅周辺の光の輝きはたいへん美しいものであるが、福岡市天神界隈のライトアップはさすがにそれらに比べ一日の長のある豪華なもので、見応えのあるものであった。
 それらのいくつかを紹介。

【西鉄福岡駅警固公園】
2

4

9

5

3

 九州一の繁華街天神の、その中心地警固公園は、全ての樹木や、灌木に電飾をつけ、煌煌と明かりをつけていて、昼とはまったく違う世界を造っている。
 スケートリンクまで設置されており、紫色の灯りのなかで、子供たちが元気にスケートを楽しんでいた。

【岩田屋前】
1

 警固公園の前、岩田屋の玄関前には巨大なクリスマスツリー。

【渡辺通り】
6

 天神地区を一直線に通る渡辺通りは、街路樹に全て電飾がつけられおり、光の通りとなっている。

【大丸前】
7

8

 警固公園から渡辺通りを隔てて、大丸前のエルガーラ広場では、ここもクリスマツリーに、そしてトナカイの電飾。
 
 探せば、まだまだ電飾に満たされた施設はあるのだろうけど、寒いので、天神の夜をさまようのはこれくらいにして退散。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

冬の安春計

【徳利とぐい呑み】
1

 本日の徳利は新しいもので、ロイヤルコペンハーゲンの土で焼いた徳利である。唐津焼とは少しばかり変わった風情の優雅さがある。
 ぐい呑みは、唐津そのもの力強いもの。

 これらの酒器を使うだけでも酒が美味しくなりそうだが、安春計は、鮨も肴もまた酒によくあうのであって、いい酒器、美味い酒、鮨、肴で、冬の安春計を味わい尽くそう。

【唐墨と大根の薄切】
4

 自家製唐墨は、天日干しは控えめで、しっとりとした食感。旨味、塩加減、たいん良し。大根との相性も良し。

【唐墨】
7

 今の時期、唐墨造りは一段落していたのだが、市場に上物のボラの卵巣があったため、独占欲が湧き、購入してまた造ってしまったそうだ。
 大きく、色もよく、立派な唐墨である。

【河島豆腐】
5

 唐津名物、河島豆腐はしばらく出ていなかったのだが、近頃豆腐の調子が良くなってきたとのことで復活。

【雲丹諸味】
6

 大豆の味濃厚な河島豆腐にはシンプルに塩が食べるのと、これも濃厚な雲丹諸味とともに食べる二種があり、…どちらも美味。

【ヤイトカツオと本カツオの炙り】
8

 カツオと名は付けど、どちらもそれぞれ個性的。
 とくにヤイトカツオは独特の脂の乗りが見事である。

【アン肝】
9

 安春計の冬の名物、北海道は余市のアン肝。これをおろしポン酢で。
 普段食べるアン肝とは、隔絶したレベルにある、澄んだ、そして豊穣な味のアン肝。

【スッポンスープと蕪】
10

 これも安春計の冬の名物。
 黄金色のスッポンスープと蕪。
 酒とその同量の水だけでスッポンを煮込んだスッポンスープは、豊かで、深く、心と身の両方が温まる絶品である。

 店主にいわせれば本日のコースは、「痛風コース」だそうで、たしかにプリン体たっぷりのものばかりである。
 そして、プリン体が多いということは、それだけでも美味いという条件になってしまうのが、またなんであるが。

 握りのほうは、平目昆布〆、赤身、中トロ、コハダ、烏賊、煮ハマ、カスゴ、縁側、鰤のヅケ、サワラ、雲丹、穴子、といったところ。

【鰤ヅケ】
19

 冬を迎えて、鰤の脂がのっている。それをヅケにして、さらに旨みを増して鮨となる。

【サワラ】
20

 魚編に春と書くサワラ(鰆)は、春だけが旬というわけではなく、冬場に脂がのる魚なので、今の時期の鮨もまた美味し、である。

【赤身、中トロ】
13

 旬といえば、やはり鮪は今が旬。
 赤身の味も濃厚で、そして中トロの脂の乗りもまたほどよい加減。

【本鮪】
2

 鮪は築地からのもの。
 今回のものは、大間港の「第十一長宝丸」が獲って来た「活き〆黒ダイヤ」なるブランド鮪らしい。
 黒ダイヤって、石炭のことだったはずだが、石炭の採れなくなった現代日本では、黒鮪のほうが黒ダイヤになっているようである。
 まあ、たしかにダイヤ並みの価値はあるからなあ。

【本鮪2】
3

 ついでながら、安春計が今年築地から仕入れた鮪の札の一部を紹介。
 鮪は日本のどこでも獲れるのであるが、それでも良いもはまずは築地に行くので、そこでの産地の証明の札も一緒に仕入れて、福岡にやってくるのだ。
 なんのかんのいっても、やはり大間がいい鮪を生産しているようですね。

【穴子】
23

 握りの〆はいつものごとく穴子で。
 ほっこり、やわらかな穴子は、味も食感もすべてよろしいのであった。


 安春計は春夏秋冬食わねば、気が落ち着かないが、今年の冬もしっかりと安春計の料理が味わえ、満足した気分で年を越えられそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 12, 2012

ミサイル雑感

 北朝鮮がミサイル発射に成功したとの報には驚かされた。
 なにしろ北朝鮮のミサイル打上げ技術に関しては、4月の惨めな失敗があまりに印象強いため、発射の予告をしたあとも、そのミサイルとやらは、どうせまた「自称ミサイル」とか「なんちゃってミサイル」とか「ミサイル(笑)」のたぐいだろうと思い、年末までに壮大な打ち上げ花火が一発太平洋上に咲くのか、と予想していたのだが、打ち上げられたのちミサイルは自爆することもなく、無事に衛星軌道まで達した。

 あの極貧の国に、そんな科学技術がよくもあったものだ、と感心はしたが、…よく考えると、北朝鮮って中距離ミサイル「ノドン」は既に実戦配備され、他国に輸出もしているという、軍事産業だけは先進国レベルの戦闘国家であったから、それくらいの技術は持っていて当然であったか。

 それにミサイルの技術自体は半世紀以上も前に確立されており、電子制御の技術がそれから飛躍的に向上した現在、北朝鮮が長距離弾道ミサイルの作成に成功したところで、政治的な意味はともかくとして、ミサイルの話題そのものとしては、べつだんたいしたものではないと言える。

 ミサイルは、「推進装置と誘導装置と弾頭を持つ兵器」と定義される。
 この兵器が初めて戦場に出現したのは、第二次世界大戦中の1942年であり、ナチスドイツ製作のミサイル「V1号」が、ドーバー海峡を越えたイギリスに向かって発射された。

【V1号(Vergelfungswaffe 1)】
V1

 上がV1号であるが、このミサイル、現代の我々がイメージするミサイルとはずいぶんと異なっている。尾翼はともかくとして主翼つきであり、ミサイルというより飛行機に近い形態である。
 つまりは後部に積んでいるパルスジェットエンジンの推力が低く、主翼なしで長距離飛行ができなかったからこの形になったわけ。

 V1号は実戦配備されたのち、ロンドンに向けて多くの数が発射されたのだが、大半が途中で落ちてしまい、なかなかロンドンにたどり着かない。
 燃料の量や航続距離の能力に問題があるというわけでもなく、理由の分からなかった開発者が、有人型のV1号を作成して飛ばしてみた。
 じつはV1号はプロペラ飛行機なみの巡航速度であるため、イギリスの戦闘機によって補足が可能であった。そして、V1号に乗ったパイロットはドーバー海峡を越えたところで敵戦闘機スピットファイアーが向かってくるのを視認した。
 「理由が分かりました。V1号は途中で戦闘機に迎撃されていたのです」と本部に無線連絡をして、…その後、そのパイロットからの連絡は途絶えてしまった、てな話が残っている。

 V1号はそのようにして、多くがドーバー海峡の藻屑と消えてしまったわけだが、ただしV1号は爆弾そのものなので、イギリス戦闘機側も下手に近づいて破壊すると、爆発に巻き込まれてしまうので、迎撃にはずいぶんと苦労したらしい。

【V2号】
V2

 V1号がなかなかイギリスにたどり着けないので、それではおれの出番だ、とばかり活用されたのが、V1号と並行して開発が進められていた、かの有名なV2号である。
 こちらのほうは、「いかにもミサイル」という形をしているミサイルである。
 V2号はV1号と違い、ロケットエンジンなので、速度はマッハ4である。そのような超音速で飛んでくるものを迎撃できる技術は当時なかったので、イギリスにはV2号が雨あられと打ち込まれ、ロンドン市民は恐怖のどん底につき落とされた。

 こんな悪魔の兵器のようなものをのべつくまなく打ち込まれては、たまったものではない。そして迎撃手段がない以上、V2号の到来を阻止する方法は、ただ一つしかなく、それはもちろん元を断つ、ということである。

 連合軍側はV2号発射の元を断つべく、ドイツ本土への進撃を加速度的にはやめ、そして1944年6月のノルマンディー上陸作戦で、ドイツの基地が次々に制圧されることによりV2号はほぼ息の根を止められ、ロンドン市民はV2号の恐怖から解放された。


 ミサイルは派手な武器ではあるが、実戦でまともに使われたのは、戦争の長い歴史のなかでもこのV1号とV2号くらいなものであり、かつ戦略的には、保有国の役にはあまり立っていないというのが現実である。


 我が国の隣にある迷惑な国は、長距離ミサイルを持った報いというのを、いつかは思い知る日が来るのであろうが、…というかすでに思い知ってしかるべきなんだけどなあ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 09, 2012

日出鮓@京都市松ヶ崎

 和食の本場であり、寿司はさほど人気がないような京都であるが、「日出鮓」といってワインに大変力を入れており、肴や鮨もワインに合わせたようなものが出るという店があって、気になっていたので、昼に寄ってみることにした。

 地図でみると店の位置は京都の外れにあるようだが、地下鉄烏丸線の松ヶ崎駅から歩いて5分ほどの距離にあり、実際上は行くのにまったく不便のないところであった。

【突出し】
1

 突出しは、青梗菜の煮しめ。
 ワインはまずはハーフボトルのシャンパンから。

【三種盛り】
2

 三種盛りは、左から、ミルガイ炙り、鮑の酒蒸、牡蠣煮。
 いずれも微妙に味付けがなされていて、白ワインによく合う。

【白子焼】
4

 鱈の白子はチーズ焼きであり、これは洋風料理。
 当然ながら白ワインの相性よし。

【天麩羅】
5

 天麩羅は、京野菜。
 素朴に揚げられた、ほっこりした天麩羅。
 ここはライトな赤ワインで。

 鯵の造り、梅干しの茶碗蒸し、などのあとに握りとなる。

【烏賊】
7

 烏賊は剣先烏賊。縦に切れ目を入れ、塩をふっている。
 シャリは白酢で、甘さは控えめ。
 小さめの米粒で、ほどけ具合もなかなか。

【蟹】
10

 今が時期である香箱ガ二を握りで。
 うまい具合に子と身が混ざり、見た目立体的な鮨であり、口のなかに入れても立体的な味の構成が続き、面白い。

【赤身】
11

 赤身はヅケで。
 あっさりした感じのヅケで、かろやかな食感である。

【穴子】
12

 穴子もさらりと炙られ、塩で、落ち着いた香りと味を楽しむような鮨。

【野菜の鮨】
15

 鯛、シマアジ、烏賊巻き、などのあと、〆は野菜の鮨。
 昆布締めしたブロコッリースプラウトで、食べれば、口のなかが清められるような、清新な感じがよい。


 鮨は全体的に、江戸前系の鮨。
 それらは古典的なコテコテに仕事をしたような江戸前鮨ではなく、余韻を漂わせながら次に一貫へと続く、軽めの江戸前鮨である。
 だからワインにもよく合っているようだ。

 この店、鮨も美味いが、やはりワインが名物の店であり、入り口近くにあるセラーには膨大な数のワインが貯蔵されている。とくにブルゴーニュ系のワインの品揃えは、ワイン通でも唸らざるをえないほど立派なものだそうだ。
 そして訪れる客も、だいたいワインを注文しており、ワインと鮨が好きな人にはたまらない店である。

 なお、仕込みの関係上、夜の部のほうはさらに手の込んだ鮨が出て来るようで、次回は夜に来てみようかと思った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 08, 2012

高台寺ライトアップ@2012年秋

 秋の京都名所のライトアップは数多く、いずれも必見の場所ばかりなのであるが、時間の都合上一つだけしか行けず、それではと、高台寺に行くことにした。

【入口参道】
1

 入り口参道を仰ぎみれば、まだ紅葉が少しは残っている。
 例年の高台寺のライトアップ、とにかく「人だらけ」という記憶がまず第一だが、今回は紅葉がほぼ終わっていることから、人の数はいつもより相当に少なかった。

【遺芳庵】
2

 高台寺に入ってすぐにある遺芳庵。
 色あせた紅葉の樹も、それなりによい。

【波心庭】
3

 アート的なライトアップで有名な、方丈前庭の波心庭。
 本年秋の意匠は、干支の龍が枯山水の庭を泳いでいる姿、とのこと。
 抑えめの明かりのなかに、たしかに龍らしきオブジェがある。

【波心庭2】
4

 赤、青、黄、種々の色のLED電飾が輝けば、このように三体の龍が、色鮮やかに浮かびあがる。電飾は短時間で様々なパターンで庭を照らし、…パチンコ店的とは言わぬまでも、あんまり趣味のよくない世界が無数に出現する。

【波心庭3】
5

 これは正面に回って見た龍の姿。
 背後の勅使門もライトアップされ、龍よりもアーティスティック。

【臥龍廊】
6

 臥龍池に映る、樹々と、それに建物。
 静かで、しかし妙な迫力もあったりする。

【臥龍池】
7

 日本全国、ライトアップされている景色は数多くあれど、その芸術性の頂点が、ここ臥龍池。
 もっとも肝心の紅葉がほとんど散っているため魅力は半減なのではあるが、しかし鏡のごとき水面に樹々が姿を映し、その虚の世界である映像が、実よりも魅力があり、己にかぶさる実の世界とともに、この世のものとも思えぬ夢幻的世界を形つくる。…ここ高台寺でしか見られない、神秘的な眺め。

【竹林】
9

 ここも高台寺の名物。
 この竹林からして、徹底した手入れがなされ尋常ならざる美しさを持つ竹林なのであるが、これがライトアップされ、さらなる鋭さを得て、闇夜に突き刺さる刀の群れのような、厳粛たる美を獲得している。

【竹林2】
10

 竹林に近づき、感度を上げて撮った写真。
 奥には京都の市街地も見え、それをアクセントにして竹がソフトに写り、現代的な日本画のようになっていて、面白い写真が撮れた。


 徳川家康の時代から続く名古刹が、精緻なライトアップを行うことにより、さらに新たな魅力を見せている。
 京都という都市が観光都市として成功した、その一例がこの高台寺であるが、たしかにこれを見るためだけにも京都を訪れる価値はあるであろう。そして、そのようなものが京都にはいくらでもあるのが、京都の都市戦略のしたたかなところなのであるけど、でもまったく素晴らしく、うらやましいところである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

緒方@晩秋

 紅葉の時期を過ぎた東山の寺院を散策したのち、八坂神社を降りて、四条通りを歩き、夕食は烏丸の割烹緒方へと。
 日は暮れており、歩いていてとても寒かった。

【飯碗】
1

 最初は茶懐石風に、蕪の餡かけ御飯。
 寒い京都の街を歩いて来た身には、身体の内から温まる料理。
 まあ、目の前に炭火がカンカンに熾されていたので、それですでに身体の外は温まってはいたのだが。

【前菜】
2

 11月を過ぎ、京都は蟹のシーズンとなる。
 香箱蟹は、内子と身に、新潟の青モズクを添えて。それに甘めの蟹酢のジュレをかけている。味豊かな蟹と、これも豊かな味の蟹酢で相乗的に豊かな味。
 そして、外子はべつの器に盛られ、こちらはすっきりした味と口触りであり、いいアクセントをつけている。

【造り】
4

 造りは、上対馬の甘鯛、明石の水烏賊。
 舞鶴の寒鰤は、辛味大根で。
 いずれも、とても上質なものである。

【椀物】
5

 京料理の華、椀物は、小豆と南瓜の従兄煮。
 裏漉しした南瓜を吉野葛で豆腐にし、それに煮小豆をかけたものを、お椀仕立てにしたもの。
 澄み切った、鋭くも、豊潤たる出汁に、従兄煮がぶつかる面白い趣向。
 危ういバランスを見事にまとめている。
 この椀は、冬至名物の小豆南瓜を京料理風にアレンジしたものだそうだ。

【間人蟹】
3

 ズワイガニの王者、間人蟹。
 京都丹後半島の間人港は、蟹の漁場が近いために、日本のズワイガニのなかで最も活きのよい状態で港に入って来て、京都の市場へと出る。
 店主は活きたままの蟹を鮮やかな手つきで包丁を入れ、このように料理前の姿を見せてくれる。

【焼き物】
55

6

7

 貴重品間人蟹は、店主が丁寧に焼き上げ、絶妙な火加減で供される。
 蟹の純粋な旨みと甘み、それにほどよい食感を楽しもう。

【煮物】
8

 海老芋が一本まるままの姿で出て来る、海老芋煮。
 野趣風味豊かといいたいところだが、その形はスマートで、洗練されている。
 海老芋の美味さを直線的に表現する、緒方ならではのユニークな料理。

【蟹酒】
9

 炙った蟹で、蟹酒。
 香ばしい酒。

【鬼柚子釜】
10

11

 香り高い鬼柚子を釜にして、これも香りと味の濃厚な、鱈の白子と白味噌を入れて、炭火で焼き上げる。
 焼いている時点で、香りが尋常でない。
 そして食べれば、それぞれの美味さがぶつかりあう、少々過激な料理。

【御飯】
12

 焼き蟹のうち、焼き味噌が出てこないなあ、と思っていたら、蟹味噌は炊込み御飯で出て来た。
 米は芯を少し残したアルデンテで炊かれ、その個性が蟹味噌の味の強さに拮抗しており、リゾット風の料理となっている。蟹をほぐした身も入っており、味、香り、旨み、食感、全てのバランスが良く、間然するところなき素晴らしい料理。

 京都の高級系の和食店は、冬になるとメインが蟹となるとのことで、…京都市の京料理店で別に(仕入れ勝負の)蟹食わんでもと思っている私であるが、この蟹御飯には脱帽あるのみ。この高度な料理は、蟹の産地地元ではありえない。
 素材、創造性、技術、バランス、全てが突出している。
 この手の料理を作るのが大好きそうなアラン・パッサールでも、食べたらベタ誉めする料理だと思う、たぶん。

【菓子】
13

 デザートは、くわい餅。
 上品で、余韻の残る、いいものである。

 京料理は歴史があるだけあって、遊びとか、余裕とか、リズムとか、そういうものが全体の流れにあり、なんとも雅な食の悦楽にひたれるものであるが、緒方の料理はそれとはかなり違う。
 どの料理も、流れをぶった切って、私が一番!と主張するような、全てが全力投球の料理。
 そういう意味で、流れが読めず、最初の料理が始まると、ジェットコースターに乗ったような感じで、あれよあれよと緒方の食の世界の激流に巻き込まれ、翻弄され、そしてノックアウトされた感想で終わってしまう。

 まったく、面白く、美味しく、そして刺戟的な店である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

晩秋の京都

 恒例の秋の京都観光に行ってきた。
 去年は12月の第一週に行き、ドンピシャであって、実相院、東福寺等、夢幻的な紅葉の盛りを楽しめた。
 今年は所々の事情により第二週にしたわけだが、…予想外の大寒波の到来により、京都は一挙に晩秋となり、樹々の葉は先を急ぐように散り落ちてしまい、秋の終わりの京都となってしまい、そういう京都を見ながらの旅であった。
 それらを、さらさらと紹介。

【南禅寺】
1

 南禅寺は門の前の庭の段階で、落ち葉が地に敷き詰められていて、侘び寂びの世界となっていた。

【南禅寺2】
2

 落ち葉も、枯れた色の絨毯みたいで、風情はあるのだが、放っておくわけにもいかないわけで、送風機などを使いながら掃除中である。

【哲学の小径】
3

 疎水の脇道、季節ごとに樹々が美しい哲学の小径も、今は色あせた時期。

【哲学の小径2】
4

 ときおり、ドウダンが赤く染まり、そして山茶花の花が咲き、彩られた道に出くわしたりする。

【銀閣寺】
5

 哲学の小径を道なりに歩いていくと、銀閣寺へと続く。
 銀閣と向月台の2ショットは、ここでの写真の定番。
 そして、紅葉の時期でなくとも、ここはやはり観光客が多い。

【粟山神社】
6

 円山公園に向かう途中、粟山神社の参道の紅葉がきれいなので、寄ってみた。

【円山公園】
8

 円山公園、紅葉終わってます。

【知恩院】
7

 知恩院、どこもかしこも改修工事中であった。
 工事はどうでもいいが、ここも紅葉は終わっていた。
 とりあえず、知恩院の第一の名物「大鐘楼」の写真は撮ってみた。

【平安神宮】
9

 ここは紅葉は関係ないようなところであり、かえって安心感がある。
 紅葉なみに、派手な建物がなかなかよろしい。

【下鴨神社】
10

 ネットの紅葉情報では、わずかに下鴨神社が見ごろ、と載っていたので行って見た。
 そこそこ紅葉はあるが、名残の紅葉という感じである。

【下鴨神社2】
11

 神社のシンボルと、盛りの紅葉があるところは僅かであり、そういう場所は観光客がたくさん集って写真を撮っている。

【城南宮】
12

 城南宮も、紅葉はほぼ終わり。

【城南宮2】
13

【城南宮3】
14

 それでも所々紅葉は残っていて、城南宮はもともとの庭の出来がいいので、やはり美しいものであった。


 晩秋の京都、紅葉はほぼ終わっていたけど、いつもの人でぎっしりの京都とは違っており、晩秋らしい静かな京都を楽しめた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 06, 2012

恐いトンネル

 中央自動車道で、笹子トンネルの天井が崩落し、多数の死傷者が生じたという痛ましい事故が起きた。

 この報を聞いたとき、私は「トンネルって崩落するんだあ」と驚いた。

 トンネルというものは人工構造物であるため、崩落する可能性はあるには決まっているのだが、それでも近代の、馬蹄形あるいは半円形に造られ、コンクリ・鉄筋等で固めたトンネルというものは、建築物中最も安定的な構造物であり、滅多なことで崩れるようなものではないはずだからだ。
 だいたい、これほど地震が多く、かつ莫大なトンネル数を持つ我が国でも、トンネルが自壊したような事故は殆ど起きていない。

 それゆえ、何故?と思ったのだけど、詳しい情報が分かるにつれ、「トンネルそのものが崩れたわけでなく、トンネルに吊るしていた天井板が落ちた」という事故であったことが分かり、納得はできた。

【笹子トンネル内部】
Tunnel

 上が事故現場の写真であり、このように天井板が二つに割れるようにしてV字型に崩落したのである。


 さて、トンネルは自転車乗りにとって天敵のような存在であり、トンネルに入ると暗くて視野が悪く、騒音がひどくて音による車の情報が分かりにくく、路面は荒れていることが多く、清掃も出来ていないことが多くて、走行中には最大限の注意を払う必要があり、サイクリングの爽快さなどまったくない。

 それでも最近できたようなトンネルは、照明がしっかしりしていて明るく、また路側帯も余裕を持って広いので、だいぶと安心感をもって走ることができる。
 けれども、何十年も前に造られたトンネルは、狭いし、暗いし、路面は荒れているわで、それが長大なだトンネルであった場合、走行中ずっと命の危険を感じる、苦難の道となる。

 半年前、私は日本を縦断するようにサイクリングしたので、日本全国のトンネルを数多く通っている。それゆえ、各々のトンネルについてはけっこうな知識を持っているが、そのなかで、最も恐かったトンネルは、福島と山形の県境にある二つの栗子トンネル、東栗子トンネルと西栗子トンネルであった。

【西栗子トンネル】
Kuriko_2

Kuruko2

 この西栗子トンネル、暗い、狭い、うるさい、長い、汚い、と何拍子も揃った、おそろしいトンネルであり、2.4kmのトンネルを越えて脱出したときは、生還の喜びを感じたくらいであった。
 …しかし、そのあと、同様のトンネルである東栗子トンネルが待ち構えていたのには、心底うんざりしたものであったが。

 そして、この栗子トンネル、他のトンネルと比べて圧迫感がより強かった。
 トンネルというのは本来馬蹄形になっているはずなのに、上は平行に横切られ、そして側方も垂直に切られており、トンネル全体が押しつぶされているような、妙な重量感が感じられ、非常にいやな印象を受けた。

 トンネル内で立ち止まって写真を撮る余裕などなかったから、他のweb pageを参照させてもらうが、(→ここ)、このような形のトンネルであった。こういう形のトンネルは、たいへん珍しかったので、よく覚えており、なんでこういう形にしているのだろう、と疑問にも思った。

 そこに笹子トンネル崩落の解説を見て、なるほど栗子トンネルは、天井吊りあげ式のトンネルだったんだな、と知った次第。
 さらに天井吊りあげの構造を調べると、こういう脆弱なシステムでは、今まで落ちたトンネルがなかったのがよほど不思議だよなあとも思った。

 トンネルは崩落することはない、と思い込んでいた私にとって、これからトンネルを走るとき、新たな心配の種が出来てしまったわけである。

 とはいえ、この形式のトンネルはやはり希少なものであり、国土交通省の通達(→ここ)によれば、九州では九州縦貫道の加久藤トンネルと肥後トンネルしかないとのことである。
 ならば、九州で走っているかぎり、自転車とは関係ないわけで、いちおう一安心ではある。


 ついでながら、トンネルについては、吉村昭の二つの小説、「闇を裂く道」、「高熱隧道」がある。私のトンネルの工法の知識はおもにこれによるが、二つとも名作であり、建築・道路等が好きな人には必読の小説である。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 02, 2012

もう師走か… @ 年末田中サイクル走行会

 はやいもので12月である。
 12月といえば忘年会の季節でもあり、忘年会を兼ねての田中サイクル走行会に参加してきた。

【出発(みなさん冬装備)】
Cycling

 今年の秋から、なぜか宮崎は週末に集中して天気が悪くなることが多く、今回も残念ながら曇り時々雨の予報。
 おかげでアップダウン激しき県北の海岸線を走るという、けっこう面白そうなコースが予定されていたのに、大瀬川沿いのコースという県北の自転車乗りには定番のコースに変更になってしまった。しかも、途中で雨が降り出したため、20km弱のコースにさらに短縮となり、不完全燃焼にて今年の田中サイクル走行会は終了。


 夜は市内の寿司店にて忘年会。
 大広間貸し切りで、田中サイクルチームって、こんなに人がいたんだあ、と少々驚く人数であったが、長年延岡でやってきたサイクルショップゆえそれも当然か。
 来年予定のサイクルイベントも発表され、けっこう大規模なイベントもあるようである。
 ちかごろ宮崎も自転車のイベントが盛んになってきたけれど、県南のほうに偏っていた傾向があるので、県北のほうもそれが波及してきたのは、たいへんよろしいことである。なにせ、県北のほうがハードなコースに富んでいるゆえ。


 それで来年のサイクルイベントに備え練習するかあ~との気にもなったが、もはや季節は冬。
 南国宮崎といえど冬は寒い。
 これからはウィンタースポーツのシーズンである。
 それゆえ自転車はしばらくお休みして、部屋の奥にしまい、引越のどさくさでどこになにがあるかよく分からない雪山登山道具、スキー道具を見つけ出して、整理を行うことにしよう。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« November 2012 | Main | January 2013 »