
本日、なんとはなしにNHKの番組を見ていると、「認知症の早期発見法」ということをやっていた。なんでも「1分以内に野菜の名前を10数えられたら、認知症でない」とのことである。試しに10思い浮かべたらあっさり出てきたが、これって家事やってる人に圧倒的に有利なテストではないであろうか。だって、これ、スーパーの野菜売り場を思い浮かべたら、いくらでも野菜の名前は出てくるわけだから。
で、主婦が家事などやらない旦那にこのテストやったら、面白い結果になるのではとも意地悪なことを思ったりした。
野菜テストは少々不公平ゆえ、他にいいテストはないかとか考えた。
「1分間で小説の傑作短編を10あげよ」というのはどうだろう? と思い、私が試してみた。
本邦では、「心中(康成)」「卵(三島)」「満願(太宰)」「冬の蠅(梶井)」「名人伝(中島)」「鍵(星新一)」「煙草(芥川)」「岩尾根にて(北杜夫)」…等々、ずらずらと思い浮かべられてきりがない。
ならば、海外の短編にしてみようか。
まずは「霧笛(ブラッドベリ)」だな。さて次は、というところで思考が止まってしまった。いきなり「霧笛」レベルのものが出ると次が難しい。これに続く短編といえば、えーと、えーと、……
1分近く考えて、ようやく頭のなかに他の短編が出てきだしてほっとしたが、今回はその「霧笛」の話。
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「霧笛(The Fog Horn)」by Ray Bradbury
人里遠く離れた「孤独の湾」と名付けられた寂しい湾に、燈台が一本建っている。
霧深きその地での燈台の役割は、海を照らしつつ、霧深き夜に霧笛を鳴らすこと。霧で視界も効かず、荒れた海が岸に叩きつける波の音で、その他になんの音も聞こえぬなか、荒涼たる海に響き渡る霧笛の音は、凄愴たるものであった。
燈台にはベテラン燈台守と助手の二人がいて、徹夜で仕事をしている。
長き夜のあいま、燈台守は助手に語る。
この燈台が発する、霧笛のことを。
以下、彼が語った言葉の原文紹介。
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We need a voice to call across the water, to warn ships; I'll make one.
I'll make a voice that is like an empty bed beside you all night long, and like an empty house when you open the door, and like the trees in autumn with no leaves. A sound like the birds flying south, crying, and a sound like November wind and the sea on the hard, cold shore.
I'll make a sound that's so alone that no one can miss it, that whoever hears it will weep in their souls, and to all who hear it in the distant towns.
I'll make me a sound and an apparatus and they'll call it a Fog Horn and whoever hears it will know the sadness of eternity and the briefness of life.
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読み進めるうち、孤独に満ちた、魂が凍るような「霧笛」の音が、心の奥底から響き始め、やがて心を満たし、心を揺さぶってくる。
そういう、辛いけど、詩的で夢幻的な文章であり、じつにじつに美しい。
じっさいここはブラッドベリの小説のなかでも相当に有名な個所である。
こういうほとんど詩のような文章って、訳しようもないのであるが、一応以下に適当に訳しておく。
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海を越えて、ここに近寄るなと警告する声が必要だ。
私がその声をつくろう。
一晩中傍に誰もいない君のベッド、君が帰ったとき誰もいない家、葉を全て落とした晩秋の樹々、泣きながら南へと帰って行く鳥たち、冷たく厳しい11月の海と風、そんな音をつくろう。
あまりに孤独でそれを聞いた者は誰も忘れられない、それを聞いたものは誰しも、たとえ遠く離れた町に住む人でも心からすすり泣く、そういう音をつくろう。
私はそういう音を発する装置をつくり、音を発しよう。
人々をその音を「霧笛」と呼ぶ。それを聞いた者は果てしない悲しみと、そして人生の儚さを知るだろう。
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なんの救いもない、一人者とかには、ズキ ズキ! ズキ! ! と心を突き刺されまくるような言葉が発せられているが、…とりあえず、こういう孤愁に満ちた霧笛の音が鳴っている燈台が舞台の物語。
燈台の仕事を進めるうち、燈台守は助手にこの燈台の恐ろしい秘密を語る。
この燈台には一年に一度、怪物が近付いてきて、霧笛に呼応して叫び声を一晩中上げながら、燈台の周囲を泳ぐのである。
あるとき燈台守はその怪物の姿を見て驚いた。それは恐竜であった。
そして燈台守の言う通り、その夜恐竜は現れる。
規則的に鳴らされる霧笛に呼応して、巨大な恐竜は同じような声で叫ぶ。深い霧に覆われた海、冷たい風が吹きすさぶなか、霧笛と咆哮の応酬が続く。
「The Fog Horn blew.
The monster answered.
―霧笛は鳴り響き、怪物はそれに応える」
いつ尽きるとも知れぬ恐ろしい響きのなか、燈台守は助手に、「何故やつはここに来るのか分かるか?」と尋ね、そしてその理由を教える。
はるか昔に滅びたはずの恐竜のうち、ただ一匹が生き残っていた。それは百万年ものあいだ、たった一匹で孤独な海の放浪を続けていた。
ところが、この燈台に近づいたとき、そこで鳴っている霧笛の音を聞き、恐竜は驚いた。霧笛の音は、その恐竜の声と同じものであった。しかも燈台は形態が首長竜と似ている。恐竜はすっかり燈台を自分の同族と思い、百万年間の放浪の末、ついに同族を見つけたと喜び、仲間への誘いに来たのだ。
けれども燈台は、生物でもなんでもないゆえ、その誘いにのれるはずもなく、つれなくされた恐竜はそれでもあきらめずに毎年訪れて来るわけである。
深き霧の海に響く、永劫の孤独を告げる燈台の霧笛と、百万年の孤独を告げる恐竜の咆哮の、決して交わることなき哀しき呼応。
…しかし、こんなことはもう終わりだ。こうすればどうなる?と燈台守は助手に言い、鳴り響く霧笛のスイッチを切った。
-霧笛の響きが消えたのち起こる悲劇については、原作を読んでもらうこととして…
ひさしぶりに「霧笛」を読み返したけど、やはり素晴らしい名作である。
かつて大いに繁栄した種族のうち、ただ一匹生き残ってしまったがゆえの底知れぬ孤独。そして暗く冷たい海をただ独り、無限の哀しみを背負って放浪する寂しさ。けれども、永遠に続くとも思えた孤独の旅の果てに、百万年の時を経て、同族に邂逅した歓喜。そしてその歓喜が、敢え無く失われてしまったあとの途方もない絶望。
これが詩的で抒情性に満ちた文章で書かれており、まさにブラッドベリにしか書けない世界である。
「火星年代記」(←my best 10には必ず入る)「華氏451度」「黒いカーニバル」「何かが道をやって来る」等々、ブラッドベリには山ほど名作があるが、どれを読んでも、ブラッドベリ節に満ちている独特のSFである。
2012年6月6日、レイ・ブラッドベリ 91歳にて死去。
若いころよく読んだ作家であるが、今読み直すと、更なる魅力を新たに知ることができた。「霧笛」に引き続き、「火星年代記」を読みかえすことにしよう。
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「霧笛」は「太陽の黄金の林檎」「恐竜物語」などに収録。
原文はPDFで手に入る。→ここ
萩尾望都が漫画(ウは宇宙船のウ)にしているが、これはあんまりお勧めできない。恐竜と燈台の交感は文章だと哀愁に満ちているが、いざ、燈台に対峙する恐竜の姿が、絵になってしまうと、ほとんどギャグの世界だと思うなり。大天才萩尾望都にしては珍しく滑った例。