登頂の証拠 -登山の歴史をふりかえる
近代登山の黎明期、アルプスを征服したヨーロッパの登山家たちは次の目標をヒマラヤとした。8000mを越える山がひしめくヒマラヤのなかでも難攻不落を誇った山がナンガ・パルバットであり、その険しく広大な山容から、ヨーロッパの精鋭達の挑戦を頑として阻んでいた。果敢にアタックしても、山は雪崩や吹雪で応え、この山の征服を目指すドイツ隊は合計24人という死者を出すことになり、ナンガ・パルバットは「人食い山」の別称を持つことになる。
執念の鬼と化したドイツ隊は懸命のアタックを続け、ついに1953年に登頂を果たすのであるが、それを達成したのが、かの鉄人ヘルマン・ブールである。
その時の登山は、極めて過酷な条件のもとであり、ブールは当時としては破格の単独無酸素にて登頂している。登頂後ブールは決死の下山を続け、ほとんど動けないような、半死人のような状態でベースキャンプにたどり着き、登頂の成功を報告した。
ここで問題になるのが、ブールが本当に登頂したかどうかである。
なにしろ単独で登ったので、それを証明してくれる証人はいない。登頂の印として、山頂に何か残しておくとか、岩に字を刻むとかしていれば、後の証拠ととはなるが、下山時ではその物証の証明は無理である。
「単独無酸素」での8000m高峰は不可能と思われていた時代、それゆえブールの登頂は嘘か妄想かと隊員は思っていたのであるが、…証拠はあった。
ブールは山頂に到達したとき、息も絶え絶えの態だったのだが、それでも隊旗を結んだピッケルを山頂に立て、写真を撮っていた。
ナンガ・パルバットの山頂なんてブール以外にそれを見た者は世界中に誰もいないので、「これが山頂」と言われても、誰もそれを証明できないわけなのだが、しかし山頂写真には周囲の山々が写っている。その写り方から、その写真がどこで撮られたかは厳密に判断でき、そしてブールの撮った写真は、そこが山頂であることを間違いなく示していた。
こうして魔の山ナンガ・パルバット初登頂者の栄誉は、ブールに輝くことになった。
下がその有名な写真である。
【Summit shot of Herrman Buhl 1953 July 7】
さて、5月26日に竹内洋岳氏がダウラギリ登頂を果たした。
氏は基本的に単独登山はやらず、今回もパートナーとして写真家の中島ケンロウ氏と共にダウラギリに登る計画であったのだが、中島氏が体調不良でリタイアすることになり、結局単独での登頂となった。
だから本来なら竹内氏が山頂に立っている姿を中島氏が撮影することで登頂の証拠成立ということになったはずが、仕方なく竹内氏は自分の影の入った山頂の写真を撮ることでその代わりとし、その写真も公開されたわけだが、…
この写真、奥に見えている岩山がダウラギリ山頂である。
しかし、これって「山頂を撮った写真」であり、山頂にいることを証明する写真ではないなあ。
ダウラギリ登頂記念の写真をずらりと以下に並べると、
【Kinga Baranowska 2008 May 01】
【Air2 Breeze team 2009 May 18】
「Dhaulagiri submmit」のkeywordで検索して適当に拾ってきた写真群であるけど、世界山岳界のスーパースターがずらずら並んでいるなあ、という感想はともかくとして、厳密には登山者が山頂にいる「登頂写真」は一番最後のマリオ氏のものだけのような気もするが、とりあえずは皆、竹内氏が撮った写真に写っている岩山のところで写真を撮っている。
あそこまで行っておけば「ダウラギリ登山登頂」と認定されるようであり、それゆえ竹内氏の写真は詰めが甘く、下手をすると「登頂の証拠なし」と判断されてしまいかねない
これは竹内洋岳14座完登認定ピンチか? という状況なのだが、そうでもない。
現代にはGPSというじつに便利なものがあり、竹内氏はずっとGPSで現在位置を発信しながら登山をしていて、彼の登山はネットにより全世界に生中継されていた。私もそれをリアルタイムでみていたけど、怪物と称すしかないデスゾーンでの行動の速さには呆れていた。ま、そういうわけで、登頂の記録はばっちりと残っている。
また今回の登山はNHKも参加しており、高性能のテレビカメラで山頂が撮影されていて、竹内氏の登頂も記録されている。(山頂の写真の天気からすると、そのはずだ)
というわけで、ヘルマン・ブールの昔ならいざしらず、現代では各種機器の発達により、登頂の証明はだいぶと容易になってきているわけだ。
以上、登頂にまつわる、登山の歴史をふりかえった話。
ところで、ヘルマン・ブールは写真を撮ったことで、登頂を証明できたのだが、もし氷点下30度とかの過酷な条件でカメラが故障して、写真が撮れなかったとする。
そうなると、登頂は彼の証言のみにかかり、「ヘルマン・ブールはナンガ・パルバットに本当に登頂したのか否か」は、マロリーのエベレスト登頂の謎に並ぶ、山岳史最大級のミステリとなったはず。
しかし、もしこのミステリが生じても、それには解決編が用意されていた。
ブールは山頂に隊友のピッケル(たぶん写真に写っているもの)を登頂の証拠として残していて、そのことも証言していた。しかしそのピッケルは氷雪に埋もれ、のちにナンガ・パルバットに登った人は誰もそれを見つけることはできなかった。
ところが地球温暖化の影響か、ヒマラヤも氷が溶けだし、1999年日本人登山家により山頂で古いピッケルが発見された。持ち帰られたピッケルは、まさにブールのドイツ隊使用のものと確認され、山岳博物館に収められることになった。
あの写真がなかったなら、ピッケル発見は50年近く続いていたミステリの解決ということになり、「ヘルマン・ブールは本当に登っていた」との見出しつきの記事が世界中を駆け巡る大ニュースとなったのに、…とかミステリ好きの私としては、勝手な感想を抱いたりもしてしまった。
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Comments
写真撮った後に、竹内氏が山頂の岩の近くまで歩いていく動画がありますよ。
Posted by: aaa | April 13, 2013 03:13 AM