宮崎の日蝕ロマン 1700年の時を経て
平成24年5月21日は宮崎全域で金環日蝕が観察できるとのことで楽しみにしていたのだけど、前日の予報では曇りとのこと。
朝起きてみると、やはり空一面に雲がかかっている。それでも雲が少しでも切れることを期待して、日向灘の海岸まで行ってみたが、金環日蝕の時間はずーと曇りであり、そのときに少し暗くなったかな、という程度で過ぎてしまった。
晴れていたら、こういう金環日蝕を見ることが出来たのだが、こればかりはどうにもならない。
私の生きている間は、この地に金環日蝕が起きることはなく、残念であった。
日蝕は、天空ショーのなかでも最大級の見世物であり、この仕組みがよく分かっていない時代には、神の怒りとも捉えられていたようだ。
日本における記録では、古事記における「天岩戸」の記事が、日蝕を記した最初のものと考えられている。ここでは天照大神の怒りが、日蝕となったわけであるが、この日蝕は、いつの日蝕であろう?
日本の歴史初期のスター天照大神にモデルがあるとしたら、それは邪馬台国女王卑弥呼しかおらず、そしてたぶんそうだと言われている。
卑弥呼の時代は紀元3世紀であり、天文学的にたしかにその時期日本に皆既日蝕が起きている。そして皆既日蝕のせいで、女王の神性が疑われ、卑弥呼が殺されたという説もある。
それはともかくとして、もし卑弥呼と日蝕に関連があるなら、それは邪馬台国の位置の大きなヒントとなる。
日蝕は日本列島でバンド状の位置でしか観察できず、その日にどこでも見られるというわけではない。
邪馬台国で皆既日食が起きたとするなら、邪馬台国は日本列島のうち、この紀元3世紀の日蝕バンドのなかのどこかにあったはずとなる。
邪馬台国の候補地は、北部九州と近畿奈良の二つが最も可能性が高いとされており、この二つはバンド内には入っている。
しかし、3世紀の皆既日蝕では、九州ではたしかに日蝕は観察できたが、奈良では観察は困難であったとされている。バンドには入ってはいるものの、この時の日蝕は日の出に近い時刻であり、盆地の奈良では、太陽はまだ山に隠れており、日蝕を観察できなかったからだ。
そうなると、邪馬台国は九州にしぼられることになる。
考古学的には、邪馬台国が北部九州にあったのか、近畿奈良にあったのか、いまだに結論はついていない。
紀元3世紀に30万人も人が住んでいた遺跡がどこかに見つかれば、それで簡単に決定ということになるのだけど、いまだにそのようなものが見つからない以上、たぶんこれかも正解は出ないであろう。
それで、邪馬台国の位置は、魏志倭人伝の読解が重要になるのであるが、魏志倭人伝を読むかぎりは、私は「邪馬台国=近畿奈良」説はありえないと思っている。
魏志倭人伝の一節、「男子は大小と無く、皆黥面文身す。今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う」における邪馬台国の風習、「男子は身体全体に入れ墨をして、また潜水漁法が得意で、魚や蛤を捕る」からは、邪馬台国は南洋風の文化を持ち、かつ水産物の採取が得意であったことが分かる。
これだと奈良ではおかしい。奈良には海はないし、たとえ川か湖での漁としても、「好んで沈没して、魚蛤を補う」文化にはほど遠かったはずだから。
ただし、北部九州にしても、この記事はおかしい。この記事からは邪馬台国は、それこそ沖縄あたりの南洋系の文化を持っていたように思え、九州ならせめて宮崎・鹿児島あたりの南九州のあたりにないとおかしい。
ここで宮崎は西都原古墳の出番となる。
紀元3世紀において、九州では巨大な遺跡はここにしかない。西都原古墳群は、日本最大級の古墳群であり、この地に大きな人口を持つ都市があったことは間違いないと思われる。
「西都原=邪馬台国」説はあまり聞いたことはないけど、魏志倭人伝の記事、それに日蝕から、ここが邪馬台国の可能性は高いのではないだろうか。
それならば卑弥呼の見た日蝕は、宮崎の地での日蝕となる。
まあ、そういうふうに邪馬台国の卑弥呼にも関連があったかもしれぬ宮崎の日蝕を、千七百年以上の時を経て、また見るのだなあとか思いながら日蝕を観察する予定であったのだが、厚い雲に隔たれてしまい、…繰り返して言うが、まったく残念であった。
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