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April 2012の記事

April 29, 2012

アケノボツツジ@祖母山2012年

 GW二日目は祖母山へアケボノツツジを見に行くことにした。
 天気は本日の夕方から崩れるそうで、そうでなければ一泊しての祖母傾縦走も考えたのだが、雨のなか縦走してもしかたないので、日帰り登山とする。

【尾平越えへ】
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 尾平に着いて登山口前の駐車場に車を止めようとするも、ほぼ満車であった。それで引き返して、ほしこが山荘のほうに止めた。
 祖母山へは、黒金尾根か尾平越えかどちらかで登ろうと思っていたけれど、ほしこが山荘からなら尾平越え登山口が近いので、尾平越えからの半縦走ルートで登ることにした。

 尾平からの尾平越えルートは、今までは車道しか使ったことはなかったけど、今回は標識に従い、右方向への登山者用のルートを使ってみた。

【坑口跡?】
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 コンクリ舗装路が尽きたところから踏み跡に従い登っていったら、この坑口跡みたいなところで枯沢に突き当たってしまった。そこから先は道はないようである。
 ここ登山道じゃなかったのかなあと思い、ザックから地図を出して確認すると、わ、全然違うところを歩いていた。
 登山道はずっと手前で左に入らないといけなかったのである。たぶん標識を見落としたのだな。

 ただ、地図ではこの枯沢を登っていけば、尾平トンネル前の駐車場に出るようだ。それならドンピシャで正規登山道に合流する。
 そして例え沢を一・二本読み違えていても、登っていけば車道に出るのは確実なので、そのまま枯沢を登っていくことにした。

【車の残骸】
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 登ることしばらくして、小型バスの残骸が出現した。まわりにタイヤも転がっている。こんなところに車を捨てるわけはないので、車道から転落してしまった事故車なんでしょうね。
 この山域では、親父山のB-29や大崩山の大和航空機の墜落碑が有名であるけれど、尾平越えにもこんなものがあったのか。祖母山、やはり奥が深い。

【アケボノツツジ】
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 事故車のあったところからさしたる距離もなく登ったのち、尾平越えのトンネル前へと出た。
 そこから縦走路に入ると、ぽつぽつとアケボノツツジが咲いていた。
 花を通して、祖母山を見る。

【障子岳近傍】
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 アケボノツツジ、それにムシカリの花などを眺めつつ、縦走路を歩き、障子岳山頂に近付くと、山頂を囲うように金属柵が立てられていた。
 なんのためかと思ったら、鹿の食害を防止するためのものだそうだ。
 祖母傾山系は植生の豊かなところであり、とくにスズタケが山を覆うがごとく茂っていたのだが、鹿に食われるために絶滅危惧種になりかけているそう。傾山のほうではスズタケはほぼ絶滅してしまったそうだ。これ以上スズタケが減ってしまっては、植生全体に多大な影響が生じるから、その予防のために張ったわけだが、…でも登山にとってはこの柵はかなり邪魔ではある。特に冬に登ったときなど厚いグローブで戸の開閉をするのは大変だろうな。

【黒金尾根分岐部】
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 障子岳から祖母山までの縦走路は、アケボノツツジはまだ蕾の状態。
 黒金尾根分岐部のアケボノツツジは、とくに花のつきが多いので好きなのであるが、このようにわずかに蕾が付いているのみであった。

【祖母山山頂から】
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 祖母山山頂より、本日歩いた縦走路を眺めてみる。
 山頂にはまだマンサクも咲いていた。

【九合目小屋にて】
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 山頂を下りて、九合目小屋に寄ってみる。
 小屋番さんに、柵の出来た理由や、山の登山者数などを聞いてみた。昨年はさっぱりだったが、今年は登山者が増えているそうである。
 本日も泊まり客は既に10名以上は予約済だそうだ。
 そのうちの一人が84才の矍鑠たる老人で、なんと18kgの荷物を神原から担ぎあげてきた。その中身は写真に示す「好き焼きセット」であり、鍋、燃料、それに大量の肉と野菜。荷物の重さもすごいが、84才で「好き焼き」というのもまたすごいことである。

【馬の背】
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 下山路は宮原尾根経由で。
 馬の背ではミツバツツジが咲いていた。
 岩にしがみつくように生えている、こじんまりした灌木の花も、また可憐でよろしい。

【宮原尾根】
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 宮原尾根ではアケボノツツジはほぼ満開であった。
 大崩山、祖母山をあわせ、この尾根筋のアケボノツツジがいちばん華やかに咲いていました。

【尾平】
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 下山中、雲が厚くなってきたけれど、なんとか雨が降らぬうちに下山。
 ふりむけば屏風のごとき、祖母山の姿。
 今日はあの山のなかに、まだ多数の人が残っているのである。

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April 28, 2012

アケボノツツジ@大崩山2012年

 GWが始まり、祖母傾大崩山系はアケボノツツジのシーズンとなる。
 まずは大崩山に登ってみることにした。
 GW初日の28日は晴天に恵まれたが、真夏なみの気温となり、登っていて暑くてしかたなかった。

【ワク塚ルート渡渉点】
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 ワク塚ルートへの祝子川渡渉点の橋は昨年の大水害の時に流されていたという話を聞いていたけれど、新しい立派な橋が架け替えられていた。
 ただ、ここに至る川原の岩が、私の記憶と異なる配置になっていて、どうやら橋も含めて、あらゆるものが流されていたみたいであった。

【袖ダキ展望台】
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 袖ダキ展望台に出ると、大崩山のシンボルである絶景が広がる。
 この景色を見るためだけでも、大崩山に登る価値があると思う。
 アケボノツツジもちらりと見えている。

【中ワク塚】
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 袖ダキから中ワク塚までのルートは、高度感たっぷりの花崗岩の岩の上を歩く、展望抜群のパノラマルート。一番楽しいところである。
 ところで、袖ダキから最も目立つ中ワク塚の東端の岩塔(赤矢印)は、直登ルートはなく、そこに行くにはいったん鞍部みたいな所に出たあと、ロープを使って岩伝いにたどって行く必要がある。
 それはかなり難易度が高く、高所恐怖症の人とかはたぶん行けないところだ。

 私が鞍部で休憩していたところ、同じ時刻に着いた男女4人の若者グループのうち二人がその岩塔まで行っていた。
 そして記念写真を撮っていたのだが、そのポーズが面白かった。

【せーの】
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【ジャンプ! 】
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【無事着地】
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 中ワク塚でジャンプは、けっこう高度な平衡感覚が要されると思う。特に右側の女性のポーズは見事なものだ。
 こういうものを生で観られて、ラッキーであった。

【中ワク塚東端】
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 ちなみに中ワク塚東端はこういうところなのであるが、こんな足場の悪いところでよくジャンプできるものだと、改めて感心した。

【上ワク塚】
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 中ワク塚の次は上ワク塚である。
 上ワク塚は、カンテ直登のロープを張ったルートを登っていく人が多かった。どうやらこっちが本ルートになっているみたいであった。
 しかし、このルート、一般登山道にするには無理があり、いつか事故があるのではと心配になってしまう。

 上ワク塚に登って下りたのち、アケボノツツジの写真などを撮っていると、先の若者グループが到着した。
 追い抜いていないのになぜ後で来る?と思ったが、上ワク塚への途中でショートカットルートを試そうとし、それが無理だったので改めて正規登山道で登りなおしたとのこと。
 中ワク塚から上ワク塚の正規登山道は、いったんかなりの高度を下がるので、それが面倒な者はショートカットルートを必ず考えるわけだが、…ロープとギアがないと無理ですわ。

 それにしても、大崩山は中高年御用達みたいな山だったのだけど、今日は若者たちをけっこう見た。どうも登山年齢が若返っているみたい。
 それはいいことなんだけど、しかし九重とかならいざしらず、大崩山みたいな辺鄙な山で、山ガールを見るとか思いもしなかったなあ。

 この若者グループはテン泊仕様で、装備も本格的なものであった。厳しいルートを求めて大崩山に来ており、頼もしいですね。

 私がカロリーメイトを齧りながら会話していると、一人が「これ余っているので、よろしければどうぞ」と安納芋をくれた。また珍しいものを持ってくるものだなあと思ったが、食べてみるとこういう甘さたっぷりの糖度の高い芋って、登山の補給食として合理的だなと思った。

【大崩山山頂】
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 上ワク塚を過ぎたのちは、いつもはそのまま坊主尾根から下山するのだけど、本日はFacebookで「大崩山なう。」と書き込みたいだけのために、山頂まで行ってみた。
 山頂に着いてスポットを検索するとやはり設定されていなかったので、私が山頂の設定をしておいた。

【アケボノツツジ】
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 本日の大崩山では、小積ダキから象岩へ向けて降りるところのスラブにあったアケボノツツジが、一番花の色もつき具合もよかった。写真を撮ったけど、位置的に近寄るのが難しかったので、いい写真を撮れなかった。

【アケノボツツジ2】
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 アケボノツツジは蕾も濃いピンクで、かえってそのほうが美しくも見えた。
 奥に聳えるのは中ワク塚。

【小積ダキ】
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 象岩を通っているうち、小積ダキから人の声が聞こえてきた。
 どうやら小積ダキ中央稜をクライミングしてるグループがいるようで、ベランダに3人ほどの人が見えた。
 ただ、今の時刻が14時過ぎなので、位置的にはおかしい。だからあとは左に巻いていくのかと思っていたけど、右のほうの壁に取り付きに行っていた。どういうルートを取るのか興味があったけど、やがて岩陰に消えてしまった。

【カウンター】
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 急峻極まる坊主尾根を下って行き、登山口へと到着。
 登山口近くには、登山者のカウンターがあるのだけど、いつのまにか一基増えていた。
 以前は、ここに示すように二つ目の器械だったのが、三つ目の器械が横に増設されている。こっちのほうが精度が高いのかな。


 1年ぶりに訪れた大崩山、けっこういろいろと変化があった。
 「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」ってな有名な句があるけれど、山だって人同様に変わっているのだと実感。


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April 25, 2012

読書:無菌病棟より愛をこめて (著) 加納朋子

 小説とは結局は「人間」を描く芸なのであろうが、その描かれる多種多様の人間像のうち、リアルに存在する「いい人」を描いて、当代で加納朋子ほど上手い作者はいないと思っている。
 彼女の作に出てくる「いい人」は、宗教書や伝説とかに出てくる聖人や善人系の「いい人」と違い、絵空事ではなく、私たちが今生きている社会に実際に存在している、確かな実在感を感じさせてくれる。

 加納朋子の著作は全部読んでいるけど、今年出た新刊「無菌病室より愛をこめて」は、ミステリではなくて、なんと著者自身の闘病記であった。

 体調が悪くなった著者が大病院で検査を受けたところ、「血液のがん」といわれる急性骨髄性白血病であることが判明。そして精密検査を受けたところ、それは白血病でも特にたちが悪いタイプのものであった。
 白血病に対する抗腫瘍薬による治療はハード極まるもので、そのハード極まる治療を受けても寛解は難しく、結局さらにハードである骨髄移植が適応だと判断され、著者はその治療を受けることになる。
 そして死亡率も高いその治療を乗り越え、なんとかほぼ白血病細胞が消滅するまでにいたった。それでも治療はまだまだ続き、治療は途上であり、これはその中間報告を書いたルポである。

 白血病を含めた悪性疾患に対する治療などについては、かなり詳しいことが書かれた闘病記はすでにいくつかあるが、この本はそれらとはずいぶんと異なったものであった。

 冒頭の話にいきなり戻るが、「いい人」の定義をしてみる。
 「いい人」とは、人の気持ちを思いやり、人の悲しみ苦しみを、自分に置き換えて考えられ、だからこそ人に対して優しくなれる人であろう。

 そして本書で知る加納一家は、著者を含めてみな「いい人」であることが分かる。病気が分かったときの家族の反応、そして著者の反応をみれば、あなたたち、そんなに優しくていいの?とか突っ込みたくなるくらい。

 著者の作に描かれた「いい人」があまりにリアル感があるのは、著者がそういう環境に生まれ、育ったからなんでしょうね。

 著者はこの本が、今まで書いたミステリ等の小説とちがって、あまりにプライベートなものなので、発刊に躊躇を感じたと述べている。
 ただ、それでも発刊を決意したのは、表題に示す「愛」であった。
 「無菌病棟より愛をこめて」の「愛」は、無菌病棟で過酷極まる治療を受けた著者のからの、同じような境遇になってしまった人へのメッセージのことなのである。
 白血病になった人たちに、「決して絶望しないで下さい」と伝えるため、著者はこの作を書いたのだ。

 本書は全体的に淡々とした筆致で書かれているが、行間からにじみ出てくる、哀しみと、同時に現れる明るさが、独自の魅力を与え、そしてあとがきにいたり、静かな感動を与えてくれる。

 名著であるとは思うが、読みたくなかった名著だというのも実感である。


 加納朋子(著) 無菌病棟より愛をこめて

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April 24, 2012

不思議物件:延岡の謎の塔

【謎の塔】
Mistery_tower

【拡大図】
Mistery_tower_large

 半年ぶりくらいに延岡に来たら、街のなかに変な塔が建っていた。
 市のまんなかにあるので、遠目にもたいへん目立つのであるが、その形というのがバベルの塔をスリムにしたというか、木製ブロックの積み立て物というか、スペースシャトルの木製発射台というか、…なんともなんのためにあるのかよく分からない奇妙な形の建物である。

 東京スカイツリーを代表として、日本の各自治体ではランドマークとなる高層タワーを作るのが流行ってはいるので、延岡市も遂にそれに手を出して、変なオブジェを作ったのかとも思ったのであるが、それにしてもこの塔は高すぎる。

 周囲の建物と比較するに、これはどう見ても100mを越える高さの塔である。
 基礎工事とかを考えると、たかが半年くらいでここまでの高さの塔が建つはずはない。いかなる突貫工事をしようが、九州にそんな技術力を持つ建築会社があるとは思えぬ。
 これぞ、まさに不思議物件。

 場所からすれば旭化成敷地内であるので、旭化成が、何かのイベントで社の総力をかけた超技術を用いて、この不思議物件を建てたのかしらんとか思ったが、…ん? 旭化成?
 と、旭化成の名をよく考えれば、この建物の正体はあっさりと判明した。

 はい、旭化成の延岡名物、大煙突だったんですね。
 おそらく修理かメンテナンスのために周囲に足場を組んで、煙突を覆っていたのであろう。
 そして実際数週間後には、(たぶん)きれいになった大煙突が元の姿を現していた。

Tower2

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April 14, 2012

映画:バトルシップ

Battleship

 日本人俳優も配役した、大金をかけたユニバーサル社100周年記念の戦争映画ということで、スピルバーグ監督の「1941」みたいな壮大な馬鹿映画を期待して(すでに予告編がその気配濃厚であった)、観に行った。

 …俳優のトンデモ演技とCGの無駄な豪華さが売りの映画だろうな、と勝手に予想していたが、なんのなんの、しっかりした脚本の映画であった。

 宇宙観測をしていて、地球に似た環境の惑星があることを発見した科学者たちが、未知の知的生命体の存在を期待してハワイの高性能通信器と人工衛星を使い、その惑星に向けてメッセージを発信する。
 そのメッセージを受信して、惑星の知的生命体が地球のハワイに向けて宇宙船5隻でやってくる。しかその惑星と地球の物質は微妙に異なっていて、互いにレーダーでの観測ができない。目が見えないような状態で地球に近づいた結果、地球の人工衛星に一隻がぶつかってしまって破壊され、そして残りの4隻が太平洋ハワイ沖に着水する。
 ところが、たまたまそこで多国籍群の合同海軍演習(Rimpac)が行われており、宇宙人たちはいきなり軍艦に囲まれることになる。これはたまらないと、彼らはシールドを張って、ハワイ周囲に誰も入られないようにして、ハワイ島の攻撃を行う。彼らがそういうことを行うのは、たまたま破壊されてしまった一隻に重要な機能があったゆえの切実な理由があったのだが、間の抜けたことに、そのシールドのなかに合同演習群の3隻が残っていた。
 そのため、お互いよく状況がよく分からないまま、意思の疎通もままならぬ二種の知的生命体は、戦いに突入してしまう。
 宇宙人は恒星間飛行ができる超科学文明を持っているわりには、その宇宙船の戦闘能力はそれほどのものでもなく、防御機能にも難がある。たぶんその宇宙船は軍艦でなく偵察船だったのだろう。
 それでも流石に地球を凌駕する文明の持ち主なので、合同海軍3隻を沈没させることには成功。

 ところがハワイにはまだ軍艦が一隻残っていた。

 ここで映画題名の「BATTLESHIP」の意味が初めて分かる。
 3隻の生き残りの、頭に血が登った士官たちとそのサポート隊一同が、BATTLESHIPに乗り込み堂々と出航する。
 それからの戦闘は、胸熱くなり、心躍り、たいへん盛り上がるところである。この場面のために冒頭から伏線がひかれていたわけで、いい脚本だ。
 …ただ、攻撃目標の宇宙人が全然悪いやつに思えず、やっつけてもカタルシスを味わえないのは、ここは脚本の欠陥だな。

 でも、ユーモアあり、ロマンスあり、バトルあり、全編通して面白い映画であった。

 そうそう、浅野忠信は、この手のハリウッドでよくある名前だけ出てくるチョイ役かと思ったら、縦横無尽に活躍する、副主人公なみの役であった。
 それも観ていて、うれしかった。

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April 07, 2012

ETOランドへ花見サイクリング、そののち光洋へ

 素晴らしい好天なので、花見がてらサイクリングに出かけることにした。
 といっても宮崎県北の平地では桜はもう散りかけているので、まだ桜が満開に近いであろう標高の高いところを目指すことにした。

【ETOランドへ】
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 県北の標高の高いところで気軽にサイクリングに行けるところは、やはりETOランドということになる。
 ここからヒルクライムの始まり。

【ETOランド】
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 今年の春はどうしたことか風が台風なみに強い日が続いている。
 本日も強風が吹き荒れ、向かい風をまともに受けて、漕いでも自転車が進まない状態。
 春の強風ってのは、一日程度のはずなのに、もう一週間近くこの強風が続いている。ここ数年の日本の気候って、危険なものを感じる。
 ヒルクライムのきつさに加え、向かい風のせいもあり、ペダルを踏むのが精いっぱいで、途中咲いていた満開の桜を写真に撮る余裕もなく、風車がランドマークのETOランドに到着。
 相変わらず、閑散とした施設だ。

【中小屋天文台】
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 こんな快晴の日に、ETOランドに登っただけで下ってはもったいないので、さらに六峰街道を走り中小屋天文台へ足を伸ばす。
 ここを過ぎあと100mほど登ったのちに、諸塚村のほうへと下っていった。

【六峰街道より】
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 六峰街道からは山並みの眺めがやはり素晴らしい。
 九州で最大規模の脊梁山地のなかにある道だけあって、周囲は山そして山である。

【桜】
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 下り道では写真は容易に撮れる。
 山間部は桜は満開の時期であった。
 こういう感じでこじんまりとした桜のトンネルとなっている。

【耳川沿い】
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 耳川沿いの桜並木は満開時は、ほどよいカーブに連なり、清流とともに遠くまで見渡せる、いい桜の見物ポイントなのであるが、この低さになるとすでに盛りは過ぎていた。

【土筆】
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 目をおろせば、下には土筆が。
 季節はすっかり春なのであった。

【光洋のちらし寿司】
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 サイクリングを終えて、しっかりと腹をへらしたのち、ひさしぶりに宮崎市の光洋へと鮨を食いにでかけた。
半年ぶりの光洋は、宮崎モード全開となっていた。
 今までは築地・福岡の食材にこだわっていたのが、地元でもいい手当ての食材が手に入るようになってきたので、「宮崎の寿司店」を目指し、なるべく宮崎近傍の食材を使った料理、鮨を出すようになってきている。
 その意気やよしですね。
 江戸前寿司が美味い、といっても、どこも東京の寿司屋と似たようなものではつまらない。やはり地方には地方ならではの寿司店がほしいものである。

 写真はお土産のちらし寿司。
 これは以前とはあまり変わっていなかったけど、相変わらずの宝石箱のように美しいちらし寿司です。


本日の走行距離:116.2km


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