愛媛編(2) 宇和島→八幡浜 52.3km
宇和島は旧城下町。いちばん見晴らしのよい所に宇和島城があるので、行ってみた。
宇和島藩は7万石の中程度の藩であったが、幕末に伊達宗城という名君が現われ藩政を執ったため、幕末において重要な役割を果たしている。宇和島藩は幕末の時点で近代化を独自に進め、蒸気船をも自力で造っているのだからたいしたものである。
こんな小さな城の藩が、そこまでの技術力を持っていたというところに、今に伝わる日本の技術力の底力を感じる。
日本全国、城の数は多かれど、明治維新のときの廃城令により多くの城が廃され、江戸時代のものがそのまま残っている城は珍しい。
宇和島城は、その残ったものの一つで、重要文化財である。
高台にある城で眺めは良く、宇和島市を一望できるが、…吹きっさらしなので寒い寒い。
宇和島に来たら、「ほづみ亭」で鯛飯は食うべきであるとのadviceをFace Bookで受けていたので、昼食は「ほづみ亭」で取ることにした。
宇和島の郷土料理店「ほづみ亭」の名物は、郷土食の「鯛飯」である。
鯛飯というものは、普通は鯛の炊き込み御飯のことなんだろうけど、宇和島では海鮮丼のようなものになる。
写真の通り、鯛の刺身がヅケ汁に入っており、それに卵をかき混ぜて、熱々の御飯にかけて食べるというもの。
新鮮な鯛のツルツルした滑らかな食感がよろしい。いい鯛がふんだんに手に入る宇和島ならではの美味しい名物料理であった。
宇和島からは八幡浜を目指し、国道56号線を道なりに走り、途中で376号線に入り海岸線沿いに走った。
国内有数の蜜柑の産地である愛媛では、当然蜜柑が大規模に栽培されている。
蜜柑は潮風を受けたほうが品質が良くなるため、海岸線に出ると、蜜柑畑ばかりとなる。
このまま海岸線沿いに走行するつもりであったが、この道路は非常にくねくねしており、予想以上に距離がありそうである。この道を使うと、八幡浜に着く頃には日が暮れる可能性があったため、山を一つ越えてのショートコースカットに変更した。
その山越えの部分が県道45号宇和名浜線なのであるが、…この道路、巨大な蜜柑畑の一部のような道路で、蜜柑畑を支える城壁のような形になっていた。
蜜柑は潮風をたっぷり浴びて育ったものが高品質となるため、どういうところが最も栽培に適しているかというと、海に面した急斜面となる。そういうところでは、一本一本にきちんと潮風が当たるため、蜜柑の糖度が増すのだ。
ただ、それには段々形式に強固に整備された急斜面を構築する必要があり、その構築物の一部として高い基礎を持つ道路が九十九折りに走り、蜜柑畑のなかに「万里の長城」とでもいうべき、威風堂々たる姿になっている。
写真では、その本質的な姿をまったく伝えられていないが、これは是非とも実物を見るべき光景。
今回の自転車旅行で、じつはこの「蜜柑畑の万里の長城」が、日本全国中最も私に印象深かった光景である。
300mほどの高さを登り、それからはだんだんと下って行くようなルートで、八幡浜市に到着。八幡浜市は、四国で一番の水産物の水揚げを誇る漁業の町である。
八幡浜市の食の名物はなにかといえば、チャンポンである。八幡浜市はチャンポンの町としてよく宣伝されており、ホテルのフロントにも、町なかに数多くあるチャンポン店の案内図があった。
それらのなかで一番の有名店であり、老舗店でもある「ロンドン」に行って、チャンポンを食べてみた。(ロンドンって、チャンポン専門店かと思っていたら、定食屋であったのは意外であったけど)
そのチャンポン、八幡浜市は漁業の町なので、海鮮物たっぷりのチャンポンを予想していたら、豚肉と野菜たっぷりのチャンポンであった。出汁はあっさりした鶏ガラ出汁であり、大量の野菜とあいまい、優しい感じの料理であった。これもチャンポンで有名な長崎市のチャンポンとは、またずいぶんと違うものであった。
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