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November 2011の記事

November 30, 2011

滋賀編(2) 彦根市→安土城→浜大津 67.2km

【安土城】
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 織田信長建築の安土城は日本近世の城郭の嚆矢であり、エポックメイキング的存在なのだが、あんまり観光名所にはなってはいない。じっさいに観光客も少ない。
 そして、行ってみて理由が分かった。

 安土城は、安土山そのものが城塞となっていて、とりあえず訪れるべき信長廟、天守閣跡には登り勝手の悪い石段をひたすら登って、安土山の頂上まで行かねばならない。傾斜も厳しく、道も荒れており、これ、ある程度山慣れしている人じゃないと途中でめげるだろうな。
 それでも、汗をかきかき天守閣跡まで行けば、小高いところから広々とした琵琶湖を見渡せ、「絶景かな」とか言いたくなり、往時の信長公の気分にひたれる。

【琵琶湖大橋】
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 今日も穏やかな天気であり、自転車日和であってサイクリングして気持ちよい。
 しかし滋賀県は小さな県であり、調子にのって走りすぎるとすぐに京都府に抜けてしまうので、走行距離は67kmに止め、大津市でストップとした。

【湊町倶楽部】
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 本日は浜大津駅近くに泊。
 ホテル近くの洋食店「湊町倶楽部」で夕食。
 滋賀県名物は「鮒ずし」に「近江牛」といったところ。
 洋食店には鮒ずしはないので、近江牛を食ってみることにした。この店の名物らしい近江牛を100%ミンチにしてのハンバーグをコースで注文。
 肉汁豊かな美味しいハンバーグであった。

 大津に泊まったのち、明日は一気に大阪に抜けようと思ったが、報道によれば京都は紅葉が始まったとのことである。それで、明日は京都に泊まり紅葉見物でもしようかと思った。
 ならば夜は京都で食うことになるが、…鮨を食うか。
 寿司店をいろいろ考えるに、そういえば祇園の「鮨まつもと」で夜に鮨を食ったことはないなと思い、「鮨まつもと」にTELすると空いてるとのことで予約。
 ならば宿はオークラと思ったがこちらは空いてない。それならと。ダメモトで俵屋にTELすると空いてるというので、夕食抜きの片泊まりで予約。

 …しばし考えるに、俵屋で飯を食わぬのも馬鹿な話だと思い、その翌日にも部屋の空きがあるかと聞くと、少ないながら空きがあり、ただちにGet。

 というわけで俵屋連泊して、二日間京都市内を紅葉見物ということにしたが、この秋のオンシーズンに、直前でも俵屋が予約できるとは、ラッキーなことではあったが、日本はまだまだ不況だなと思ってしまった。


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November 29, 2011

滋賀編(1) 越前町→敦賀市→彦根市 106.1km

 福井県にはあと一つ永平寺という名所があり、永平寺を訪れそのまま岐阜に抜けるというルートも考えてはいたのだが、今年は寒気の下りて来るのが早かったため、そのルートでは山間部に雪が積もっている可能性が高く、その場合は自転車走行は困難そうである。
 それで、永平寺はパスしてこのまま海岸線沿いに南下することとした。

 若狭湾をすぐ横に走る国道305線はフラットで道幅も広く、たいへんサイクリングに適した道であった。
 しかしこの道が元有料道路であった「しおかぜライン」に入ると、海に無理やり道路を突き出したような強引なつくりの道となり、それはそれでいいのだが、しかし道幅が狭くなるので途端に走りにくくなる。自動車のことのみ考えて作られた道のようであった。

【福井滋賀県境】
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 敦賀市から国道8号線を走り、峠に達すると、ここが県境。
 東北に比べると、西日本に入ってからの県境はどこもたいした高さは登らすに済むので有難い。
 ここをずっと下っていった先は琵琶湖である。

【琵琶湖】
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 ひたすら下っていき、琵琶湖へと到着。
 琵琶湖を見ての感想は、誰でも同じなんだろうけど、「広い。ただただ、広い」。

 琵琶湖周回の道は近畿でも有名なサイクリングコースなので走りやすいところかと予想していたが、車も多く、整備も今一つで、あまり走って楽しいところではなかった。
 まあ、午前中に走った福井の国道305号線があまりに気持ちがよかったから、その比較で、そう思ってしまった面もあるのではあるが。

【夕食】
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 ひさしぶりに100km越えのサイクリングを終え、彦根市に到着。
 金沢でグルメ三昧の日々を過ごしたゆえ、胃袋に相当負担がかかっている。それで昨日に続き今日は粗食モードにしようとして、コンビニで弁当を買って済ますかと思っていたが、泊まったホテルの近くにはなんとコンビニがなかった。ホテル自体が辺鄙なところにあったためか。

 それでもホテル近くにラーメン店を見つけたので、ラーメンと生ビールにて夕食。こってり系のラーメンで、あんまり粗食にはならなかったなあ。


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November 28, 2011

福井編(1) 山代温泉→東尋坊→越前崎 86.9km

 国道305号線沿いに走り、加賀市に入る。この道路からは名峰白山の姿がよく見えて、その姿は神々しく、この霊峰が北陸地方一帯のシンボルであることがよく分かる。
 加賀市では、いったん「深田久弥山の文化館」に寄ってみる。
 日本百名山の著者である深田久弥氏の記念館で、山好きの人にとっては一回は訪れたいところなのだ。
 深田氏の小説や原稿などを集めたところかと思っていたら、それ以外にも、世界中の山岳小説や山の本がたくさんあり、いろいろ拾い読みをしたが、ここは山好きの人にとっては時間がいくらあっても足りないようなところであった。

【東尋坊】
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 福井の名所はまずは東尋坊。
 安山岩による独特の岩塔がいくつも海から突き出ている。
 手前の断崖にはリングボルトが打たれている。新田次郎の小説にも東尋坊を登るクライマーの話などがあるが、昔はよくクライミングに使われていたらしい。
 今はさすがに使われていないようで、錆び付いていた。

【カニロード】
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 東尋坊から先は若狭湾にそって越前海岸沿いを走った。
 この海岸線は町のあるところに近づくと、カニを茹でる匂いが漂ってきて、そして町に入れば、全てカニ・カニ・カニで、カニに勝負をかけているような地である。
 越前ガニは11月から3月までが漁期なので、その半年ほどで一年分を稼ぐぞーという気迫が伝わってきます。

【漁火】
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 越前海岸にはずらりと民宿・旅館があって泊まるところには不自由しないのだけど、今の時期はカニ尽くしの夕食が出るに決まっているので、旅館のホームページを調べあえてカニを出さない料理コース(要は安泊まりプラン)のある国民宿舎とした。
 …それでも、紅ズワイガニの脚が一皿でてきたのは、サービスだったのかな。

 越前海岸は夜の漁火も有名であり、部屋からも暗い海に、ぽつりぽつりと寂しく光る、漁船の燈火を見ることができた。
 いかにも日本海、という感じで風情があります。


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November 27, 2011

石川編(9) 金沢市→山代温泉 62.1km

 石川県ではあとは加賀温泉郷に寄ることにした。
 金沢の奥座敷加賀温泉郷には名旅館がいくつかあるが、今の時期に泊まると夕食は松葉ガニ尽くしなのは決定事項であり、さすがにそれは勘弁である。
 それで「温泉地の寿司店としてはけっこういける」との評がある(別の意味では日本の温泉地ではほとんどの寿司店はいけていない)、山代温泉の亀寿司を予約し、山代温泉に泊まることにした。

 いったん日本海側に出るルートを取ると、白山市の松任駅傍に「中川一政記念美術館」があったので、氏の絵画や書を観賞。
 なぜ白山市に氏の美術館があるのだろうかと思ったら、母親の故郷がここであったからとのこと。

 ついで、加賀橋立てに寄り、廻船問屋街を訪れてみた。
 ここも富山と同様に廻船業の富豪たちが集っていた街で、今もそのときの家並みが保存されている。

 山代温泉に着き、温泉に入ったのち中心地にある亀寿司へと。
 肴は、コノワタ、白子ポン酢和え、香箱ガニ、鰤、ノドグロ、カラスミ。
 鮨はイカ、ホウボウ、鰯、〆鯵、場以外、穴子などなど。
 さすがに石川や富山の一流店のようなネタの凄さはないけれど、観光地の立地であるわりにはきちんとしたネタと仕事をした立派な寿司。
 値段も使いやすい範囲であり、こういう店が一軒は地元にあると有難いなと思うような店である。

【香箱ガニ】
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 写真は香箱ガニ。
 北陸のこの時期はどこに行っても香箱蟹が出てくるわけで、それはだいたい同じような形なんだけど、亀寿司の香箱蟹は前爪を立てていて、けっこうお茶目で、立体的であり、見た目楽しく面白かった。

 美味い料理に銚子をぐいぐい開け、酒を全部飲んだのち銚子は倒すべきか倒さないべきかとかいう話を店主としていると、隣の客が話題に加わってきた。
 海外でおもに仕事をしている人で、北陸に戻ると必ずこの店に寄るという常連である。その流れから、店主も含め国際情勢の話で盛り上がってしまい、山のなかの温泉街としては、なんだか妙な話題で語り合ってしまった寿司店の夜であった。   

            

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November 26, 2011

石川編(8)金沢市

 四泊五日の金沢市も本日が最終日。
 天気はほどほどによく、金沢の名所の「寺島蔵人屋敷跡」「武家屋敷」「金沢21世紀美術館」などを訪れる。

【兼六園夜景】
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 金沢市の観光名所は兼六園に尽きるところがある。
 兼六園は、さすが百万石大名のつくったもので、全国的にみても規模や意匠で傑出している。
 昨日は昼訪れ、本日は夜訪れた。
 写真はライトアップの夜景。雪つりが幻想的に美しい。

【割烹いけ森】
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 夕食は加賀割烹「いけ森」で。
 金沢市の名料亭浅田屋で修業した新進の職人が開いた店である。
 一昨日訪れた「割烹檜」が豪快系の割烹だったのに対して、こちらは正統的・伝統的な加賀料理である。
 突出し、造り、焼物、椀物、いずれも良い素材を丁寧に調理した繊細な料理であり、全体としてたいへんレベルも高く、いい店である。

 ところで隣で飲んでいた地元の食通の人が、面白い飲み方をしていた。
 突出しが来た時点で、ビール・日本酒・赤ワインと3種類同時に頼み、料理一点一点にあわせて酒を変えて飲んでいる。若いときに、料理はそれぞれ合う酒が違うので最初から酒を多数出して料理ごとにあわせて飲むのが一番理にかなっていることに気付き、ずっとこのスタイルでやっているそうだ。
 言われてみればたしかにその通りのような気もするが、ちょっとにぎやかになり過ぎるような…。
 会話のついでに、ワンパターンでビール→日本酒ばかりを頼んでいる私に、赤ワインをご馳走していただきました。
 その食通氏に金沢市の和食のお勧めの店の話をたずねると、某有名店は名前だけで味はダメだとか、金沢の和食でお勧めはやっぱり寿司店だとか、いろいろと貴重な情報を教えていただいた。

 明日は金沢市を離れ山代温泉に泊まって「亀寿司」です、と私が言うと、自分はそこの常連ですので店主によろしくお伝え下さいとも言われました。

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November 25, 2011

石川編(7) 金沢市

【兼六園】
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 金沢は今日も雨だが、昨日みたいな台風なみの風は吹いていないので、街中を散策してみる。
 金沢市名物の第一は兼六園。
 そして兼六園といえばワンパターンの如く池と灯籠の写真が撮られるわけだが、私もそれに習って一枚。
 冬の風物詩雪つりも登場であり、兼六園はこれがないとやはり締まらない。

【小松やすけ】
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 昼食は「小松やすけ」で鮨を。
 「小松やすけ」は、日本でも有数の有名寿司店であり、ここは80才を越えた、日本の寿司の歴史の生き字引のような名人が握る店なんで、「店主はいつ引退してもおかしくはなく、今のうちに食っとかないと食えなくなる」と言われている。
 それゆえ今回の食べ歩き紀行では優先順位の高かった店だ。
 …ただし、周囲の危惧とは裏腹に店主はじつに元気であり、「引退なんかしたらボケてしまいますわ。」なんてことを言っておりました。一生現役、という感じであります。
 鮨については、おだやかなほっとするような鮨。
 富山、金沢と、近ごろ新進気鋭の若手職人の店ばかり行っていたので、そういう店の鮨は、気合いが入りすぎているというか、肩がこるというか、緊張感あふれる鮨ばかり食っていたので、こういう穏やかな鮨は心落ち着くものがあった。
 そして満席の客を前に握る店主は、80過ぎても本当に華がある。鮨職人って、ほとんど役者なんだなあ、とも思った。
 店主は高齢のため、営業は昼のみ、そして週休二日なのだが、それでも休みの二日目の夜は、明日鮨が握れると思うと、うれしくてうれしくてたまらないそうである。
 そういう人が握った鮨が美味しくないはずはないですね。
 まったく、人間国宝のような人の店です。

【乙女寿司】
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 本日は寿司店二連荘で、夕食は金沢市一とも言われる「乙女寿司」にて。
 店主は地元出身の人で、ここで修行し店を構えて三十余年という金沢の大ベテラン。
 美味い寿司屋の店主は、変人奇人ばかりと個人的には思っているが、乙女寿司店主はいたって普通の常識人という感じで、それがかえって新鮮であった。
 寿司・肴とも地元のいいネタを使い、普通に美味しく、安心して使える店であります。
 肴と寿司お任せ一通りにノドグロ焼きとか能登牡蛎鮨追加に生ビール一杯に酒四合で15300円とCPもたいへんよろしい。
 安心感、安定感がしっかりしており、普通に美味い鮨を食いたいときは、第一候補に挙げられるような名店である。

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November 24, 2011

石川編(6) 金沢市

 天気予報では今日は荒れるとのことだったが、外を見ると、台風なみの暴風雨である。しかも雷まで鳴っている。こりゃ、どこにも行けんわ。
 ちなみにこの暴風雨は金沢の冬の風物詩であり、別名「ブリ起こし」といって、この風が吹くことによって日本海の魚が富山湾に入ってきて、豊潤なる魚のシーズンが始まるそうだ。ある意味金沢にとっての「恵みの風」なんだけど、九州に人間にはきついです。

 ホテルで時間をつぶしたのちに、夕食の「割烹檜」へとタクシーで行った。
 金沢市は和食の名店がずらりと揃っているところであり、「つる幸」「浅田屋」「銭屋」「金城楼」…といったところがまずは有名どころであるが、「割烹檜」は「知る人ぞ知る、知らない人は知らない」という店で、知る人にとっては金沢一と評されるほどの店だそうだ。

 その「割烹檜」、ここもまた郊外の辺鄙なところにある。
 人家まばらな山の中腹に、いきなり旧家の豪邸が出現して、それが割烹檜である。なんでもドーベルマン好きの店主が、ドーベルマンを飼うために人が住んでいないところに家を建てた(というか移築して持ってきた)のであり、昔はもっと周りに家がなかったそうだ。
 まあそういうわけで知る人しか知らないといった感じの店なわけで、この広い店に客は私一人であった。

 料理は、
 ・香箱ガニ
 ・鯛の白子椀
 ・造り(タコ、大トロ、松葉ガニ)
 ・ズワイガニ焼き
 ・芝茸と里芋の椀もの
 ・トラフグの鍋
 ・稲庭ウドン

 40年以上金沢で店を営んでいる店主は金沢で入る最良の素材を供することをずっとやっているのだが、高級素材が、けっこうな量で、どーんどーんと出て来る、押しの強い料理であり、迫力ありますね。
 加賀料理は、もっと繊細なものかと思っていたが、豪放磊落な料理でありました。
 作務衣に高下駄の店主は、快人であり怪人であり、話題は豊富で、その人生もけっこうハチャメチャであり、いやはや面白かったです。お弟子さんもいいコンビでありました。

 店主は秋田の酒蔵の息子であり、ビールのあとに酒を頼んだら、「この酒ならタダです」と言って「割烹檜」という店の名前をつけた酒を勧めるので、その酒を瓶(500cc×2)飲んだわけだが、ほんとに酒代タダであった。商売っけあるんかいな。
       
【芝茸椀】
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 写真は芝茸の椀。
 店主が裏山の自分しか知らない場所で採って来た茸を使っての料理。
 この茸自体の味もたいへんいいけど、それを支える鰹出汁が相まって、生きいきとした、この店ならではの椀料理になっています。

 料理を終わったのちは、お弟子さんに案内されて、店の奥や二階を見物。
 東北の豪農の旧家を移築した建物ゆえ、まずは広さに感心し、そして流れた歳月にもまた感慨を受ける。

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November 23, 2011

石川編(5) 羽昨市→金沢市 54.0km

 羽咋市にはなぜか宇宙博物館があって、実際に使用され、大気圏突入を果たした宇宙カプセルなどが展示されているので寄ってみた。
 その後、金沢市へと向かう。

【なぎさドライブウェイ】
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 能登海岸線沿いに走ると、「なぎさドライブウェイ」という全国的にも珍しい自動車走行可な砂浜道路が出現。
 それで私も自転車で走ろうと道路に入ってみたが、…ぜんぜん走らん!
 MTBのキャラメルブロックタイヤとかじゃないと、とてもグリップしませんわ。自転車を砂で盛大に汚すだけの結果に終わり、この道に並走しているサイクリングロードを使って、金沢市へと走行した。

【金沢市】
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 金沢市に到着。
 東北を抜け、石川県金沢市に入ると、信号機が縦から横になっていた。
 ただし雪の量が減るというわけでもないようで、今度は街路樹に金沢の冬の風物詩雪づりがそこら中で見られる。
 雪の質が違うんでしょうね。

【すし処めくみ】      
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 食の宝庫金沢市の一食目は、「すし処めくみ」にて。
 新進の若い店主の握る先鋭的な鮨はすでに全国に名が響いており、一度訪れたかったのである。
ツマミは造り(巨大牡丹エビ、カツオ、マコガレイ、赤西貝)、香箱ガニ、ボタンエビ頭炙り、カラスミ炙り、白身魚と海苔の炙り、味噌椀。
 鮨は、剣先イカ、雲丹(北海道産)、甘エビ、白海老、鰤、鰤トロ、〆鯖、玉子、干瓢巻き、などなど。

 若き店主は修行僧のような雰囲気であり、全身全霊を込めてという感じで鮨を握っている。シャリの大きさと柔らかさはネタにより微妙に変えており、真剣勝負とばかりに供される。
 鋭く、そして清々しい空気が店内に満ちておりました。

 店主は、寿司屋はまずは素材が全てだと言い切り、いい魚は石川県でなく富山であがる、だから毎日往復200kmの道のりを走り富山湾の魚市場に一番乗りしてその日最高のネタを仕入れるそうである。そして実際に素晴らしいネタの数々であった。
 また地元の素材を優先しているので、江戸前鮨の華、コハダやマグロはこちらで上がらないときは敢えてまでして出さずに、地元の良い食材で鮨を握っているそうだ。今回もマグロはなく、しかし富山湾のブリで十分に対抗できる、そういうものであった。

 店主の鮨にかける情熱は熱く、鮨談義、ネタ談義、たっぷりと聞かせていただきました。
 金沢に来たら、たしかにここは寄らねばならない名店である。


 ただし「鮨処めくみ」は、またずいぶんと不便なところにある。
 最寄りの駅は野々市なのだが、ここからは店までは迷路のような道のりであり、ジグザグに歩いてなんとか到着。店では地元の客によく歩いてたどり着けましたねと感心された。いや、スマートフォンがないととても無理でしたわ。
 地図を検討するに、「めくみ」からは国道157号線に出ればそれを道なりに歩けば金沢駅まで着くので、帰りは歩いて金沢駅まで歩いて戻ったが、10km近く歩くはめになり2時間近くかかってしまった。
 めくみを利用するには、普通に金沢市からタクシー使うのがベターであるみたい。


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November 22, 2011

石川編(4) 輪島→羽咋 82.3km 

【国道249号線】
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 天気予報では午前中は雨で、午後は晴れとのことである。
 ただ朝は晴れていたので、このまま午後まで晴れろと願っていたが、走行中にやはり雨が降り出した。
 トンネルのなかで雨具を装着して、再出発。

【国道249号線】
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【国道249号線】
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 午後になると、予報通りに晴れた。
 こういうすっきりした青空は本当に久しぶりに見る。

【機具岩】
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 能登海岸線に出ると、名所「機具岩(はたぐいわ)」があった。
 機織を海に投げたところそれがその形のまま岩になったという伝説の残る岩であるが、岩の形はまあ普通の奇岩だな。
 ただ、その背景の能登半島と日本海とそれに風車群が大変よろしい。  

【巌門】
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 機具岩からさらに走行を続けると、能登半島一番の名勝とされる「巌門」に至る。
 能登半島は、奇岩、巨岩が海岸線にいくらでもあるところだが、たしかにここの岩はいずれも形がとりわけ面白く、能登を観光で訪れたときは外せない場所であろう。

 そうして、能登半島一周のスタート、あるいはゴールである羽咋市に到着。
 能登半島一周終了である。
 それにしても能登は、珠洲とか羽咋とか富来とか、難読な地名が多い。
 羽咋は「はくい」と読むのだけど、普通は読めませんな。
 こういう地名が多いのはなにか理由があるのだろうけど、おそらくは古い地名がよく保存されているといったところなんだと思う。

 夕食は近くのコンビニで買ったお握りとカップ麺にて済ます。


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November 21, 2011

石川編(3) 珠洲→輪島 47.1km

【国道249号線】
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 雨の降るなか、旅館を出発。
 …昨日靴に新聞紙突っ込むのを忘れていたので、濡れた靴を履くのが気持ち悪かった。まあ、どうせもっと濡れるのであるが。
 雨が降っていなかったら海岸線に沿ってずっと走るつもりであったけど、雨中では走行はなるべく短くしたい。それでショートカットの山越えルートである国道249号線を使って走行。

【日本海】
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 峠を一つ越えて、能登半島の西側に出ると日本海である。
 波が高く、荒涼たる浜辺の風景だ。能登半島も富山湾側と外海側ではずいぶんと景色が違う。
 地元の人によれば、日本海の冬はずっとこんな感じで荒れているそうだ。

 この海岸沿いの道を走っていると、防波堤を乗り越え、スポンジ状のふわふわしたものが吹き寄せてくる。
なんなのだろうと思っていたのが、これは「波の花」というものだそうだ。
 寒い時期、4mを越える強い波があるときに生じる、冬の名物だそうで、能登では本年初のものだそうだ。
 あとでTVを見ると、どの局のニュースも、冬の訪れということでこれをネタにしていた。
 珍しいものを見られたわけでラッキーではあったのだが、そのときは「変なものがある」くらいにしか思わなかった。
 ま、この後もいくらでも見たわけだが。

【千枚田】
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 輪島といえば棚田の「千枚田」が有名。
 走行中のルートにあるので写真を撮ってみた。たしかに面白い形態だが、一枚の田が二畳程度の田もあり、なんだか作業効率の悪そうな田である。
 このような田で農業を行わなければいけないほどの厳しい環境の地であったんだなあ。

【夕食】
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 食は近くのスーパーで出来あいの弁当を。
 今日・明日はこういう感じの食事にしよう。酒も控えめにして。


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November 20, 2011

石川編(2) 七尾→珠洲 88.7km

【能登島大橋】
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 雨が降ったり止んだりするなか、能登半島一周に向けてスタート。
 最初の名所は七尾湾をまたぐ能登島大橋である。真下に七尾湾を眺めながら、風景を愛でながらの快適走行、の予定だったが、橋にあがるととんでもない強風が横殴りに吹いていて、斜めに傾けないとまっすぐ走れない。しかも時に凄まじい突風となり、自転車が揺らいでしまう。
 ツーリングバイクは車高が高いし重心も高いので、下手すると風にあおられて、欄干にぶつかり、それを越えて落ちてしまう可能性がある。下は海とはいえ、高度は相当にあるので、落ちればまず命はない。
 非常に危険である。
 それで自転車を下りて、身をかがめて1km近くを押して歩いていく羽目になり、まったく楽しくなかった。

【ツインブリッジのと】
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 能登島を半周ほどしてまた橋を渡る必要がある。
 また同じような風が吹いていると大変だなと思ったが、こちらの橋は高度がさほどないせいか、風は弱く助かった。

【雨宿り】
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 海から離れて山間部を走るうち、雨が土砂降りとなったので、屋根付きのバス停に避難して雨宿り。
よく降りますなあ。

【虹】
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【虹】
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 雨があがってからまた走行を開始。
 雨上がりの空には大きな虹がかかっていた。
 平地では大きなブリッジを描き、海では海からすっくと立ち上がっていた。
 夕方の虹は「明日の好天の知らせ」といわれ吉兆のはずなんだが、…予報では明日も雨なんだよなあ。

【旅館:夕食】
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【紅ズワイガニ】
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 宿泊は珠洲市の谷野旅館にて。
 今の時期は旅館に泊まると、料理はたいていカニづくし。
 この旅館もそうであり、松葉カニは焼きカニ・カニ鍋・刺身で。紅ズワイガニは茹でて。それと香箱ガニ。さらに、カニ茶碗蒸し、カニ味噌汁、カニクリームコロッケ、そしてカニ釜飯で〆。
 カニ、カニ、カニ、カニである。

 たいへん美味しゅうございました。
 しかし、さすがに富山から四日間続けて香箱ガニ食ったりしていると、身体がカニ忌避モードになってきた。
 能登半島を一周したのちは金沢市に入って、有名店の食べ歩きをするので、このままのパターンで夕飯食っていると身体がもたない。
 それで、金沢食べ歩きに備えて、明日と明後日は粗食モードにして、体調を整えようと固く心に誓う私であった。


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November 19, 2011

 石川編(1) 富山市→高岡市→七尾市 75.0km

 天気予報によれば、この後ずっと雨・雨・雨の日が続くようであり、…そしてそれが北陸の秋から冬にかけての常とのことなので、これからの自転車行は雨中の走行が当たり前となりそうである。
 とにかく雨具を装着して出発。

【瑞龍寺】
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 富山県唯一の国宝である、瑞龍寺。
 さすが加賀百万石前田家の菩提寺だけあって、大きな、風格のある寺院である。
 雨のなかの寺院もこれはこれで風情があっていい。

【富山湾】
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 国道160号線を走行していくと氷見を越えたあたりで道は海岸沿いになり、右手に富山湾を見ることになる。新潟から富山にかけての荒海と比べると、富山湾は穏やかである。
 そしてしばらく走ると七尾市に入り、石川県となる。
 富山県は実質2日ほどで通りぬけてしまった。東北各県、それに新潟県と比べると、富山はずいぶんと小さな県であることよ。

【幸寿しにてTV観戦】
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 七尾駅近くのホテルに宿泊。
 ちょうどプロ野球で日本シリーズをやっており、今日くらいにホークスが優勝を決めそうな感じだったので、コンビニでツマミを買いこんでビール飲みながらホテルで観戦というプランを立てたが、なんと当地では地上波で日本シリーズを放映していなかった。
 しょうがないので雨のなか、外に飲みに出ることにした。
 商店街を歩くうち、「幸寿し」という寿司屋が美味そうな雰囲気があったので、そこに入ってTVのチャンネルを日本シリーズにしてもらって観戦。

【幸寿し コハダ】
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【幸寿し 蟹鮨】
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 「幸寿し」は、江戸前と看板に書いていたけど、〆方はやさしく、白身は微妙にいじっており、能登前ともいうべく独自の工夫のある鮨であった。
 富山湾近郊なら美味い魚はいくらでもあり、居酒屋とかでは当たり前のようにそういう魚を新鮮な刺身として出してくるわけだが、寿司屋ではそれを少しひねってこの店ならではの料理を出す、そんな気合の入った鮨であった。

 この店は人気のある店のようで、地元の人たち次々と訪れて賑わっている。それでも、お任せ握りとお茶で、客がどんどんまわっていくところが、七尾市の食文化の成熟さを示しているなあと思った。

 …ホークス、結局惜敗して、優勝は明日に持ち越されてしまった。


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November 18, 2011

富山編(3) 富山市

【朝日】
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 富山市の朝。
 日の出前に立山連峰はくっきりとその稜線を見せていたが、やがて山の陰から日が登った。
 荘厳たる光景であった。

 本日はサイクリングは行わず、ぶらぶらと富山市内を散策。

【富山城】
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 とりあえず富山城へと行ってみた。
 日本は大きな都市ではたいてい城があるし、目立つように造っているので、ついつい行ってしまう。
 おかげで日本全国の城にはけっこう詳しくなった。
 (で、「ここは行っとけ」という城はマレということも分かった)

【地鶏】
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 富山市で見つけた宮崎地鶏店。
 わざわざ宮崎日南市の養鶏場から直送しているらしい。
 このあたりだっていくらでも良い地鶏はいるだろうに、なぜ富山に宮崎地鶏?という気もしないでもないが、意外と宮崎地鶏は全国的ブランドなものになっているのかもしれない。そうだとすると、東国原前知事のおかげかな。

【ズワイガニ】
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 ズワイガニ漁は11月上旬から解禁となっており、魚屋にもたくさん並んでいる。
 せっかくなので、家に一匹送っておいた。
 一匹1万円なので、現地で買ってもそんなに安くなるわけではないようだ。

【鮨人】
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 富山市二泊目の夕食は、「鮨人」にて。
 店主は地元出身で、美味しい富山湾の魚を自分なりの工夫でさらに美味しく食べてもらおうと寿司屋を開いたという、元気な若手職人である。
 肴は、造り(サワラ炙り、〆鯖、〆鯵、雲丹、水ダコ)、ノドグロのネギマと牡丹エビの鮨(写真)、香箱ガニ、茶碗蒸し、ノドグロ湯シモ、紅葉鯛造り、など。
 素材良し、工夫よし、いい肴のオンパレード。

【鮨人】
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 鮨は、平目昆布〆、アラ、〆鯖、アオリイカ、コハダ、鰤のヅケ、甘エビ、白エビ、赤身、中トロ、雲丹、カッパといったところ。
 白身は寝かさず、ヒカリモノはけっこうきっちりしめ、シャリは砂糖なしの赤酢。
 江戸前のようでもあり、そうでもない独特の鮨。
 店主はどこで修業したというわけではなく、独自に鮨を学び、自分流の鮨を開拓中とのこと。
 総じてレベルが高く、富山のなかでもトップクラスと思える寿司店であった。

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November 17, 2011

富山編(2) 黒部→魚津→富山市 55.3km

【黒部漁港】
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【黒部漁港 魚】
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 黒部の名所の第一は、もちろん黒部渓谷であるが、他にも黒部川河口の湧水群も見るべき名所と宿の主人に教えられ、寄ってみた。
 そのついでに富山有数の良港である黒部漁港にも寄ってみた。ブリにヒラメにカニにイカ、美味しそうな魚がたっぷりと並べられている。

【魚津】
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 富山湾の名物「蜃気楼」は、魚津市のこの場所からが一番よく見えるそうだ。
 ただし今は蜃気楼の時期ではないので、普通の景色が広がるのみ。

 魚津市は観光名所の多いところで、このあと「埋没林博物館」と「魚津水族館」にも寄ってみた。

【富山北前廻船問屋街】
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 魚津のつぎは富山市へ。
 富山市では廻船問屋街がまずは名所で、江戸時代の廻船問屋の街並みが保存されている。
 日田市の豆田町に似た感じの町ですな。

【富山港展望台】
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 廻船問屋街の近くに、変な形の展望台があったので、それにも登ってみた。
 富山湾を一望に見下ろすことが出来るが、山側の眺めもよい。
 親切に窓ガラスに山の名前も書いているので、風景と比較して、それぞれの山がよく分かる。

【立山連峰・剱岳】
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 富山市のホテルに到着。
 日本で最も山の景色が素晴らしい富山市において、海側の部屋をとってはどうもこうもならないので、しっかりと調べて山側の部屋を予約。
 ホテル最上階の窓からは、やや霞んではいるものの、あの名峰劔岳、そしてそれに連なる立山連峰を見ることができた。
 雪をまとった、岩と雪の堂々たる大殿堂である。

 それにしても、名鉄トヤマホテル。
 最上階山側、ツインのシングルユースが朝食付き一泊で1万円。すばらしくCPのよいホテルであることよ。

【だいどころ屋】
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 富山市の夕食は、日本最強の居酒屋との世評高き「だいどころ屋」にて。
 この造りを食うと、「お!、これは違うぞ」と一口目にして驚く。
 青森・秋田・新潟と、日本海側の県で、それなりにいい魚を出す店を経験してきたが、富山湾獲れたてのこれらの魚は、それらと鮮度にしろ手当てにしろ、レベルが違う。
 富山に来ると、魚のレベルが一段二段いきなり上がったという感じだ。
 …そして旅行を通しての感想になるが、やはり富山が一番魚が良かった。

【だいどころ屋】
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【だいどころ屋】
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 富山というところは、魚、それに日本酒が豊富なところであり、それらが次々に出て来る。
 この店はお任せメニューしかないが、地魚との造りと焼き物はほんとに見事なものであり、そのあと出て来る創作系の料理の数々も面白いものであった。
 富山の美味を求め、いろいろな所から訪れる人多き店なので、ここでしか食えない多彩な料理を出すぞという店主の意気込みがよく感じられた。

 この店を紹介してくれた、以前富山市に住んでいたかつての常連K氏にFacebookで食事の中継をしていると、いろいろとアドバイスが返り、K氏を当然よく知る店主もそのアドバイスに応えたりして、チャット状態となった。ネットとは便利なものである。

【店主の自転車】
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 店主は自転車愛好家でもあり、帰り際に自慢の自転車を見せてくれた。
 ずいぶんと前カゴが大きい自転車であるが、このカゴは前ハンドル部に固定されているのではなく、前に出っ張ったフレームに直接固定されているので、重い荷物を積んでもハンドルは軽いままという利点を持つ。
 これはイギリスで郵便配達人が使っている自転車なのだが、現地で見て気に入った店主が日本に戻って探したら日本に一台だけあって、それを購入したという貴重品である。

【業務車】
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 ついでに、だいどころ屋の業務車も面白かったので紹介。
 「風に吹かれて美味となる」との標語と、かわいらしい風神の絵がいいですね。
 この標語が示すとおりに、冬の嵐の到来とともに、富山湾は魚がぐっと美味しくなり、そして今がその時期にさしかかっているところなのである。



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November 16, 2011

富山編(1)糸魚川→宇奈月→黒部市 74.4km 

 本日は県境を越え富山に入る。
 新潟-富山の県境には、峻嶮なる北アルプスが日本海に落ち込む、「親不知」という古来より有名な難所がある。遭難者も多かったそうだ。
 さすがに現在では道路事情もよくなっているから遭難はあり得ないが、経験上そういう所は自転車にはいまだ厳しいことが多いゆえ、気合いを入れて行こう。

【街路樹】
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 国道8号線を走行中、妙な景色に遭遇。
 この箇所では公孫樹が街路樹であり、葉は黄色に染まっていたのだが、そのせっかくの黄葉の時期に、ずらりと切り倒されている。
 残っているのは、黄色い落ち葉と、それに切り株だけというなんともシュールな光景。
 せめて銀杏の実が成ってから切ればいいのにとか思った。

【国道8号線】
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 やがて国道は海沿いになる。
 日本海を眺めながらの走行だ。

【日本海】
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 今日はさほど風は強くないが、それでも日本海は荒波である。
 波濤が岩礁に強くぶつかり白波を上げている。
 北陸の海は冷たく、そして厳しい。

【親不知へ】
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 さて、そろそろ親不知が近付いてきた。
 親不知は峠となっているので、ここからはずっと登り道である。

【天嶮トンネル】
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 坂をひたすら登り、親不知に到着。
 天嶮トンネルが峠となっている。
 このトンネルは50年以上も前に開通した山岳トンネルであり、当然自転車のことなど考えては造られていないゆえ、ここを通るのは非常にDangerousである。
 しかし、このトンネルは新道のバイパス部分ゆえ、旧道を行けばトンネルを通らずに済む。
 そしてトンネル前の注意書きにも、「自転車・歩行者は旧道を使うように」と書いており、ありがたく旧道を使わせていただいた。

【国道8号線旧道】
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 旧道は海岸沿いの険しい崖を削って無理やり道を通したような造りである。
 昔はここを自動車が通っていたわけで、大変だったでしょうな。
 しかし今は旧道は自動車通行禁止になっており、自転車・歩行者がゆったりと安全に通れる道となっている。そして景色は抜群によく、こんな素晴らしいところを自転車でさらりと通るのはもったいないので、自転車を押して風景を堪能しながら歩いていった。

【ヒスイ海岸】
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 親不知を過ぎ、海岸線に下っていくと、「ヒスイ海岸」という観光名所がある。
 糸魚川の名物ヒスイの原石がこの海岸に転がっていることがあるとかのことで、砂浜には下を見ながら散策している人をちらほら見かけた。
 私もしばしヒスイを探しながら歩いていたがそれらしきものは見当たらず。
 看板に「波打ち際に見つかることが多い」と書いていたので、波打ち際まで行って探してみたが、時にやってくる大波のせいでびしょ濡れになる結果のみに終わってしまった。

【後立山連峰】
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 国道8号線をずっと走っていき朝日町に入ると、澄んだ青空を背景に、後立山連峰がくっきりと見えた。
 今日から本格的な寒波が訪れたせいで、高き山は冠雪していた。
 白く輝く朝日岳に白馬岳、美しい。
 季節は冬に近く、今日降った雪はそのまま根雪となりそうだ。


【黒部渓谷】
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 こういう美しい山々を見ると、その麓まで行きたくなる。
 それで宇奈月温泉を通って、黒部渓谷まで登っていった。
 紅葉の時期は外れていたが、冠雪した山がぐっと近付いて見える。

【黒部渓谷 鉄橋】
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 宇奈月温泉では、黒部渓谷の鉄橋を渡るトロッコ列車が名物。
 しばし待っていたが、あいにく通らなかった。
 ここは絶好の撮影スポットであり、紅葉の時期には、紅葉を背景にこの赤い橋を渡るトロッコ列車を撮ろうと、カメラマンが大勢集まるのだろうなあと思った。

【夕食】
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 黒部渓谷からは黒部川に沿って下り、黒部駅近くの民宿に宿泊。
 この宿の夕食はホッケ一匹、トンカツ、アオリイカ一匹の刺身、というアバウトなもので、けっこうな量があり、全部食うと腹一杯となって疲れた。
 民宿はこのパターンが多いな。
 「ともかく量を出すぞ」という感じの。まあ、それはそれでいいのだが。


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November 15, 2011

新潟編(9) 柏崎→糸魚川市  82.2km

【日本海】
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 新潟市からは、→長岡→小千谷→柏崎と内陸部を通ってきたので、柏崎を過ぎて見る日本海は、新鮮に感じられる。
 ここからは日本海に沿って走行となる。
 …で、日本海側は秋からは天候が非常に悪くなり、雨の日がずっと続く。本日も雨であり、海岸沿いの県道87号線は道が狭く、傍を大型車が通ると水を浴びることになり、甚だ通りにくい道と化す。

【自転車用トンネル】
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 そういう自転車キラーみたいな道を通っていくうち、上越市を越えるとサイクリングロードが出現。
 国道に併走して走っているこのサイクリングロードは、それ専用のトンネルもあったりして、自転車乗りにとって大変親切な道であった。

【雨宿り】
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 日本海側の気象条件は厳しく、雨は霙まじりの冷たい雨と化し、自転車で走る気もなくなる。
 そういうときに大変助かるのが、所々あるトンネル。
 ここで雨宿りしながら休憩する。

【サイクリングロード】
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 上越市から糸魚川へのサイクリングロードは、写真に示すように、県道87号線に併走しており、標識が豊富であって方向が分かりやすい。
 自転車で走っている者は私くらいしかいなかった、贅沢かつ、CPは悪いとしか思えない自転車道であるが、県道87号線が自転車にとって厳しい道である以上、自転車乗りにとっては必須のような道であった。

 日本の道は、自転車乗りにとっては不親切かつ不整備だと、この自転車旅行を通じてほとほと実感したが、新潟のこのサイクリングロードは、日本にもこのような素晴らしい道があることを教えてくれた道である。
 …残念ながら、そう感じた道は、自転車旅行を終えた今、ここだけであったとのはつくづく悲しいことである。

 上越市から糸魚川市まで、そのサイクリングロードを30kmくらい走って、糸魚川駅近くのビジネスホテルに宿泊。

【寿司店 志乃】
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 夕食は宿近くの「志乃」という寿司屋にて。
 居酒屋風の寿司店であって、カウンターにどーんと置いている、大きな招き猫がいい味を出している。

【志乃 鮨】
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 志乃の名物は、お任せ鮨。
 真鯛、目鯛、黒鯛、石鯛、ブリ幼魚、ヒラメなどなどに、バイ貝、生サバ、甘エビという白身主体のものだ。
糸魚川市は、新鮮な魚のあがるところなので、マグロやウニなど出しても普通の寿司店と変わらないということで、この店では糸魚川で上がる白身魚を主体にして鮨を出す、そういうことを二十年以上前からやっているそうだ。
 こういう意気込みって、気持ちいいですね。
 地元の人のみならず、他県から来る人にも支持を受け、今にいたるまで人気メニューとなっている。

 そして糸魚川市といえば、翡翠が名産。
 ここでも自慢は翡翠の杯で(いわゆる玉杯ですな)、写真にある玉杯で酒を飲んだ。
 なめらかな触感の杯である。
 日本酒には陶器が一番と思っていたが、飲む器によって微妙に酒の味が変わってくる、それを楽しむのもいいと思った。

 店主と雑談しているうち、この店に来た珍しい客の話が出た。
 トーマス・コーラというスイス人である。
 親日家である彼は、原発問題で外国からの観光客が激減している日本を、「原発事故はそこまで深刻ではない。日本は安全で、魅力的な国である。」とアピールするために、来日して、宗谷岬から鹿児島まで徒歩で旅をしている。
 その旅の途中で「志乃」にも寄ってくれたとのことで、有難いことですね。
 ただちにスマートフォンで情報を見ると、コーラ氏は10月中旬に「志乃」に訪れていた。そのweb page。(店主にコーラ氏が店を訪れている写真を見せると、「便利な世の中になりましたね~」と感心していた)
 似たようなコースを旅しているので、自転車なら追いつけるかなと思ったが、コーラ氏のブログを見ると、現時点でもう鳥取まで行っている。こりゃとても追い付けませんな。


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November 14, 2011

新潟編(8) 長岡市→柏崎市 48.9km

【河井河井継之助記念館】
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 長岡の有名人といえば、まずは河井継之助。(それに山本五十六か)
 幕末に長岡藩の軍の近代化を成し遂げ、戊辰戦争における北越戦争では新政府軍と同等に渡り合った指揮官である。

【ガトリング砲】
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 河井継之助といえばやはり「ガトリング砲」。
 本物は現存していないが、レプリカが展示してあった。
 幕末時代アメリカから輸入した新型機関砲であり、北越戦争で新政府軍に向けて、河井自らこれをぶっ放したという伝説がある。
 もう少し大きいものを想像していたが、思ったよりこじんまりした兵器であった。攻撃力はじつはたいしたことはなく、実戦ではあまり役に立たなかったらしい。
 
【慈眼寺】
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 河井継之助は好戦的人物というわけではなく、戊辰戦争では長岡藩の中立を画策して、新政府軍幹部とこの寺で会談を持った。戦争回避、中立を求める河井に、新政府側は「お上の言うことが聞けないのか、さっさと新政府軍に従属しろ!」と強硬姿勢に徹し会談は決裂。
 そして激烈なる北越戦争の火蓋が切って落とされることになってしまった。

 慈眼寺はその会談が行われた有名な寺であり、案内標識に従って訪れてみたが、「慈眼寺」との表示を持つ建物は…プレハブ風の建物である。
 「こ、これが、あの慈眼寺?」と驚いたが、よく調べると、この建物は慈眼寺の事務所みたいなもので、本物は奥にあった。

【慈眼寺】
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 この建物も平成16年の中越大震災で大きな被害を受け、ようやく復旧できたところらしい。
 日本とは地震の多い国なのである。

【東忠】
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 慈眼寺での会談が決裂したあと、河井一行は料亭「東忠」に寄って食事をしたとの記録がある。
 老舗料亭「東忠」は現存しており、今も営業を続けている。
 小千谷泊ならここに寄りたかったところであるが、今回は眺めて通り過ぎるのみ。

【夕食】
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 小千谷からもう少し距離を伸ばして自転車を走らせる。小千谷から柏崎市まではフラットな道を離れ、峠を二つ越えるルートとなった。
 柏崎市にて宿泊。雨が降り続いていたので、外に食事に出る気力も出ず、ホテル内のレストランにて食事。
 日本海側に出てからはずっと魚ばかり食べていたので、本日は豚カツ定食にした。
 これはこれで美味いですね。



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November 13, 2011

新潟編(7) 新潟市→長岡市 61.5km

 佐渡からフェリーで本土に戻ったのちは、新潟市で一泊。
 朝に外を見る雨が降っている。この雨では停滞したかったが、天気予報でみると明日晴れるということはなく、しかも1週間ほどずっと雨模様のことである。新潟市にそんなにいても仕方ないので、雨のなか出発することにするが、午前中は特に雨が強かったので、ホテル備え付けのコミックでも読んで時間をつぶしたのち午後に出発。

【信濃川】
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 新潟といえば日本最長の川、信濃川があるのであった。
 とりあえず渡ってみる。

【国道8号線】
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 東北地方に入り、青森から福島まではずっと山のなかの走行に苦労していたのであるが、新潟を走ってみると、真っ平らなので大変楽であった。
 長岡市までの60kmほど、ほとんど坂らしい坂もなく、広々とした平野がつながっている。この地平線が見えるような平地は、北海道以来だな。
 さすが米どころ新潟、これならたくさん米が獲れるであろうと感心した。

【長岡市】
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 長岡市に着いて宿を探すと、ニューオータニがある。かなりの規模の都市にしかないホテルのはずだが、長岡市ってたいしたものなんだな。
 ホテルの庭の紅葉はいい具合である。

【福実寿司】
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 夕食は、ホテルの近くの「福実寿司」にて。
 けっこう本格的なネタの店で感心した。マグロは生だったし、ヒラメも天然モノの味であった。赤貝も新鮮なもの。
 肴は、平目、赤身、タイラギ、甘エビ、雲丹二種、玉子、菊の漬けもの。鮨は、赤身、イカ、コハダ、平目、海老、ズワイガニ、赤貝、ヒモという感じで食す。

【カッパ巻き】
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 この店はネタも良かったが、海苔もいいものを使っていて、巻物系の人気が高いそうだ。それで私も、カッパと太巻きを頼んだが、海苔の香りが豊かな、たしかに人気の出る巻き物であった。

 それやこれやで店主と談笑しながら鮨を食ううち、隣の客も会話に加わり、店主の紹介でその人が同業の偉い人と判明。いわゆる「社長」に位置する人だ。私はヒラなので、へへーという感じであるが、私の勤務元の社長のことも当然ながらよく知っており、(狭い業界なのだ)、うちのところもそうだけど、あちらでも新人が入って来ないので大変だと嘆いてましたよ、と言う。それは直接私も聞いたわけだが、まったくこの業界どうなることであろう。

 職場の話は適当にすませ、ご当地の名所のことなどを聞き、私が歴史好きで河井継之助ファンと言うと、北越戦争のときの会談のあとに使用した料亭「東忠」がまだ小千谷に残っているので、それをぜひ訪れるべきとのアドバイス。
 それで明日行ってみることにした。


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November 12, 2011

新潟編(6) 佐渡→新潟市 46.2km

 両津の寿司店の店主と雑談したとき、佐渡で見るべきものは、佐渡金山の他には、実相寺と世尊寺あたりで、紅葉の時期なのできれいなのでは、とのことであった。また佐渡の一番の有名人は順徳院だそうだ。宗教家や能楽家などの有名どころが多数島流しになっている佐渡であるが、こういうのは位の高さがモノを言うそうだ。
というわけで、これらの寺と真野御陵にまず行ってみることにした。

【実相寺】
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 古い杉と、苔むした参道が印象的であった。
 杉の大木には千年杉との名称もつけられている。

【妙照寺】
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 実相寺の近くの妙照寺。
 こちらは紅葉の盛りであった。

【世尊寺】
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 世尊寺は、ずいぶんと鄙びた雰囲気の寺であった。
 紅葉は始まりかけたところ。

【順徳上皇火葬塚(ではない)】
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 Google地図のナビに従い順徳上皇火葬塚へと走らせたが、ナビの終点は普通の民家であった。
 Google地図の精度は高いので、よほど小さな塚がそのへんに隠れているのかとしばらく探したが、見つからず。
 結局Google地図の間違いであった。…Google地図が間違っていたという経験は、結局ここだけだったけど、どうやったら訂正できるのだろう?

【真野御陵】
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 いったん真野宮に出て、それからようや本物の順徳上皇火葬塚である真野御陵に到着。静謐な空間であった。

【朱鷺】
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 一通り観光したのちは、あとはやはり佐渡にしかいないトキの実物を見てみよう。
 両津港に行く途中にあるトキ保護センターに寄ってみた。
 トキの実物は初めて見るけど、うっすらオレンジがかった白い羽根の美しい鳥である。
 そして金山や寺よりも、こちらのほうが佐渡観光のメインみたいであって、井今までの観光地はひっそりとしていたが、ここは多くの観光客でにぎわっていた。 

【フェリー】
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 美しいトキを見たのち両津港に着き、フェリーに乗る。
 乗った時点で国道350線が始まる。


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November 11, 2011

新潟編(5) 佐渡:両津→佐渡金山→七浦 41.0km

【佐渡金山】
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【佐渡金山坑道跡】
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 本日はずっと雨である。あんまり走りたくない気分であったが、とりあえずは佐渡名物、佐渡金山へと行ってみた。
 かつて世界最大の金の産出量を誇っただけあって、規模の大きい鉱山であり、坑道も迷路のように張り巡らされている。そのほんの一部である観光用の坑道ルートを歩くだけでも、当時の採鉱の苦難がよく分かる。

【道遊の割戸】
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 佐渡金山のシンボル、道遊の割戸。
 江戸時代に、山の頂上から山を割るように掘って行って、山が割れてしまったという、「人力だけでもこんなことが出来るんだ」というモニュメント的存在。
 一度見ると忘れられない形の山である。

【佐渡金山展示資料館】
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 佐渡金山のあとは、採掘された金の積み出し港としてかつて栄えた相川に寄って、佐渡金山の歴史について学んでみた。

【七浦荘】
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 相川から海岸線に出て、民宿「七海荘」に宿泊。
 宿は小高いところにあり、七浦の湾を見下ろすことができる。

【夕食】
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 夕食は、港の近くの民宿だけあって海の幸の豊富なもの。
 刺身はイカ、甘エビ、サバ、ハマチ、マグロ。メバルの焼物、紅ズワイガニ、魚のごった煮、魚と野菜の煮漬け、等々。紅ズワイガニはおかわり可能で、これはいくらでも酒が進みます。

【夕食2】
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 小さな宿で、いっしょの食事処で宿泊客が夕食をとるので、酒が進むにつれ当然のごとく宴会となる。さらに宿の主人、料理人も宴会に加わることとなる。
 聞くこと多く、得るもの多く、そして楽しきこと多き、民宿の夕食であった。

 宿泊者は、地元電力会社の長期宿泊者と、そしてお茶業者の人。
 この業者の人は、究極のお茶を求め、世界中の優れたお茶を求めて出張ばかりしているという「お茶に憑かれた人」。佐渡には、茶葉を求めて来たのかと思ったらそうではなかった。
 「お茶を味わう」という行為は、お茶と口との化学反応なので、その化学反応には茶器も密接に関わっている。だから美味い茶を飲むには、良質な茶と、良質な茶器が必要である。茶器を探し続けた結果、お茶に絶妙にあう陶土が佐渡で取れることが分かり、その陶土で茶器をつくってくれる窯元を訪れるために、定期的に佐渡に来ているとのこと。
 …うーむ、深い話ですなあ。

 その人は、北城さんといって、webページも持っている。
 ここの茶器を通販で買って、白玄堂さんのお茶を飲んでみようかな。


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November 10, 2011

新潟編(4)新潟港→佐渡両津 

【新潟港】
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 泊まったホテルに美術館が併設されていたので、展示されていたクレーやカンディスキーなどの絵を見たのち、ホテルのすぐ近くにある新潟港へと行きフェリーに乗って佐渡島へ出発。
 運のよいことに今はサービス期間で、自転車の積み込料は無料であった。
 …といってもトラック満載というくらい車がいっぱい乗っているフェリーのなかで自転車は私の一台だけであったので、あまり世の役には立っていないようなサービスではあるな。

【日本海】
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 新潟から佐渡島へ渡るルートは海なのに、「国道350号線」ということになっている。
 どういう法律に基づくのかはしらないけど、それでこの海は国道なのだ。

【佐渡島両津やまきホテル】
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 佐渡島到着。
 とりあえずは両津港近くのホテルへと。
 駐車場横に自転車を止めてフロントで受け付けをすると、私の格好を見て、「自転車で来られたのなら、部屋に入れておいていいですよ」との応対。ありがたく部屋の玄関に入れたが、…たくさんホテルに泊まったなかで、室内持込み可のホテルはここだけであった。感謝。

【寿司店1】
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 佐渡両津港で夕飯目当てに散策。
 佐渡は鮮魚が美味いだろうから、鮮魚系の鮨でも食おうかと、街中に「佐渡の魚直行」と書いている寿司店があったのでそこに入ってみた。
 メニューにあった「佐渡産の魚の鮨三昧」というメニューを頼むが、あんまり佐渡っぽくはなかったなあ。

【寿司店2】
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 鮨食ったのちは、ホテルに戻って、Bar で〆ようかなと思っていたら、帰り道にもう一軒寿司店があり、なかなか美味そうな雰囲気がある。
 中に入り、ネタケースを見ると、けっこうネタはいいものを置いていたので、それを肴にまた酒を飲む。
 店主は60年以上を佐渡島で過ごし、佐渡島に伝わる平安時代からの歴史、そして店主の佐渡島での歴史等々、たいへん興味深い話を聞いた。
 震災関連でいえば、今回の大震災では佐渡はさして被害はなかったけど、このあたりは地震の多いところであり、何度も被災している。50年前には大津波も経験しており、堤防を乗り越えて津波が町を襲うさまをリアルで見て、たいそう恐かったそうだ。

 佐渡でずっと長く暮らし、奥さんを突然亡くしたのち、本土で暮らす子供たちは、本土に来るように言うのだけど、佐渡でずっと暮らしたいんだよなあ、としみじみと言う。
 それぞれの地方があり、そこにそれぞれの人生がある。あたりまえのことながら、そのあたりまえのことが心にしみる。

【佐渡おけさ】
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 佐渡といえば、「金山」と「佐渡おけさ」
 ホテルにも観光用の踊り手が訪れ、佐渡おけさを披露。
 一通り踊ったのち、宿泊客相手に踊りの講習会があり、私もいい加減ながら踊れるようになった。
 軽やかなステップの入った、陽気な踊りである。

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November 09, 2011

新潟編(3) 新潟市

【朝食】
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 本日は新潟市に滞在。
 サイクリングの予定はないので、朝から優雅にビールで朝食。
 泊まった宿は老舗ホテルの「イタリア軒」で、やはりこうした一流ホテルの朝食は美味い。カリカリベーコンがじつによい焼き加減である。

【石井スポーツ】
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 これからどんどん寒くなってくるので、登山用防寒具と冬用グローブを石井スポーツで購入。サイクリング用の冬用装備は持っていたが、それだととてもこれからの寒さには耐えられないことを実感したため。
 それはそうと石井スポーツ店に入ると、スキー道具の数の多さに圧倒される。さすが新潟、スキーの本場は違いますなあ。

 それから自転車店に行き、後輪のタイヤを交換。
 昨日チューブ交換したときに、タイヤの摩耗が激しく、道路とグリップしなくなっていることに気付いたのである。
 重い荷物積んで走ると、タイヤの寿命もずいぶんと短くなるみたいであった。

【ホテル29階からの眺め】
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 新潟市2日目は31階建の高層ホテルである日航ホテルに宿泊。
 部屋は29階で、窓からは新潟市と日本海が一望できる。
 そしてその先には佐渡島が見える。佐渡島って案外近いんだな。

【夕食と夜景】
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 夕食は郷土料理店に行って、ノドグロでも食べてみようかなと思っていたが、雨は降ってるし、ホテルが繁華街から遠く、不便なところにあるのでホテルで夕飯を取ることにした。
 そして何よりも眺めの良いホテルなので、展望を楽しみながら食事をしたいが、ホテルのレストランは3階にある。自室よりも眺めの悪いところで食事をしてもつまらないので、ルームサービスでディナーとした。

【夜景】
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 暮れなずむ風景を眺めながらの夕食だが、期待していた夜景はそこそこであった。港町だからもう少し明かりはつくかと思っていたけど、新潟市はあんまり夜は灯りをつけない街のようだ。

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November 08, 2011

新潟編(2) 阿賀町→新潟市 70.3km

【麒麟山】
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 麒麟山温泉はなぜそういう名前かというと、「麒麟山」という山がある所に温泉が湧いているからで、その麒麟山が写真に示す山である。
 水墨画に出てきそうな、険しい岩山である。
 それほどの高さの山ではなく、登山道があるようなので登ってみることにした。

【麒麟山山頂】
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 山頂までの道は途中から獣道のようになっていて、いわゆる一般登山道ではないようであったが、それでもともかく山頂まで登ってみた。
 阿賀野川を眼下に一望できるいい展望所である。
 …ただ、雨が降ってきたので早々に下山した。

【国道49号線】
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 阿賀町から新潟市までは阿賀野川に沿って走るが、何度も何度も川を越えては戻ってはという、不経済な道路であり、橋の多いのが特徴であった。

【パンク修理】
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 下り基調の道を快適に走行していたら、後輪がぶれだした。
 パンクである。
 自転車にとってパンクはつきものであり、旅行開始1ヶ月にして始めてのパンクだ。この旅行であと何回パンクが起きるのだろうとか思いながら、パーキングエリアを見つけて駐車し、パンク修理を行った。

【スポーツサイクル羽鳥】
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 パンク修理したのち自転車を走らせると、どうも調子が悪い。
 ゴトンゴトンという感じで振動し、調べてみると、タイヤの回転がぶれている。
 パンクした際にホイールかスポークを痛めたのかなあ?と思い、それだと専門店じゃないと治せないので、ネット検索して最寄りのサイクルショップへと行ってみた。

 結局はチューブにリムが噛んでいただけの話で、店主はあっさりと修理してくれた。
 そのときの雑談で、私が食べ歩きしながらサイクリングしていると話すと、新潟の食べ物情報を教えてくれた。店主はB級専門のようで、ある蕎麦屋のカレーライスだとか、ある店の特製焼きそばだとか、特製餃子だとか、まああんまり食指が動かないようなものではあるけど、たいへん熱心詳細に教えてくれ、新潟に入ってさっそく新潟に好印象を持った。

【鮨 奈可久】
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 新潟の有名寿司店といえば、「奈可久」と「鮨幸」といったところ。
 奈可久はあちこちにあるので、鮨幸を予約しようとすると、なんと10月31日で閉店したとのこと。少しの差であったなあ。
 それで「奈可久」にとした。
 店内には、奈可久の定番氷柱が置かれていた。

【鮨:コハダ】
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 肴のあとの握りは、平目、鯛、イカ、北寄貝、中トロ、マグロヅケ、赤貝、穴子、玉子、干瓢巻き等々。
 技術、ネタとも、本格的な江戸前寿司である。いずれも美味。

 店主は新潟の出身。新潟の内陸部で育ったため、この職業につくまでは生魚を扱ったことがなかったとのこと。それが大阪心斎橋の寿司店、それから東京の奈可久で修業を積み、魚の美味しい料理法を学び、そして新潟にはなかった江戸前寿司を地元で味わってもらおうと地元に帰って開店した、一種のパイオニア的な存在である。
 見た目スポーツマン風な若い店主であるが、じっさいにスポーツマンで、登山とマラソンが趣味だそうだ。登山は私も趣味なので、登山の話で盛り上がり、そのついでに東京での修業のハードでリアルな話を聞き、とても面白かった。

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November 07, 2011

新潟編(1) 喜多方→阿賀町麒麟山温泉 65.1km

【国道459号線】
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 喜多方からは新潟に向けて出発。
 ルートは多々あるが、まずは山のなかを通る国道459号線で西へと向かう。
 紅葉もだいぶ旬に近づいている。

【県道16号線】
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 459号線をずっと行くと、山また山になりそうなので、ルートを途中で変えて県道16号線にしたが、震災の影響からなのか工事の多い道であり、通行止めの箇所もあった。
 16号線が使えなくなったので、脇道を使いながら県道49号線に出ることになった。
 このあたりの道は枝道がどこにつながっているか分かりにくく、スマートフォンがなければ無事には脱出できなかった。あらためて文明に利器に感謝。

【国道49号線】
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 49号線もまた工事の箇所が多かった。

【車トンネル】
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 トンネルも工事しているところが多かったが、トンネルで片側交通規制が入っていると、安全のために、自転車は車が全部通ったとあとに、後続の車をストップさせて走らせてもらえる。すなわち貸し切り状態で走らせてくれるので、たいへん有難かった。

【福島新潟県境】
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 県境に向けて登り坂が始まり、ようやく県境に到着。
 …普通県境は峠となっていることが多く、ここもそうかと思って一安心したが、なんとここからもずっと登り坂が続き、峠はまだ先であった。
 一回気が抜けているので、そこからが辛かった。

【麒麟山温泉】
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 県境からはずっと下り道で、阿賀野川に沿って走って、麒麟山温泉に到着。
 ここの「絵描きの宿福泉」というところに宿泊。
 宿の名前からして、民宿かペンション系と予想していたが、ホテルであった。
 窓の外には悠々と阿賀野川が流れており、いい眺めである。

【露天風呂】
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 露天風呂からの眺めも当然よろしい。
 阿賀野川と、それから中洲。

【夕食】
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 夕食は、温泉旅館によくある豪華系フルコース。
 造りに、牛肉豆乳しゃぶしゃぶ、山女塩焼き、鮭とイクラの柚子和え、山菜天麩羅といった感じで、お腹いっぱいとなりました。

【夜景】
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 阿賀野川は夜には宿からの投光機で照らされて、暗闇に川と中洲が浮かびあがり、昼とは異なった顔を見せてくれる。
 これはいいサービスだ。


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November 06, 2011

福島編(8) 二岐温泉→会津若松→喜多方 62.3km

【芦ノ牧温泉】
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 二岐温泉から会津若松まではずっと下り道であり、楽なルートである。
 このあたりは温泉の多いところであるが、国道沿いにあった芦ノ牧温泉は、渓流のせまいところに宿・ホテルが密集した、なんとも味のある温泉地で気にいった。紅葉もそろそろ始まりである。

【鶴ヶ城】
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 会津若松には名所が多いが、その第一は鶴ヶ城なので寄ってみた。
 戊辰戦争のときに激戦の舞台となったところである。

【佐川勘兵衛の顕彰碑】
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 戊辰戦争とは、会津藩にとって理不尽きわまりないものであり、新政府軍に対する怨恨が未だに残っている。
 その恨みを西南戦争に従軍することによって少しは晴らした鬼勘兵衛こと佐川勘兵衛の顕彰碑が城の近くにあって、今に伝わる会津の人の気持ちが良く分かる。

 会津は他に白虎隊の飯盛山、武家屋敷、さざえ堂、等の名所があるが、小雨の降るなか寄る気もせず、そしてこれらは以前訪れたことがあるので、passして喜多方へそのまま行くこととした。

【喜多方・蔵】
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 喜多方は、ラーメンとともに、蔵でも有名である。
 町を歩けば、いたるところに古くからの蔵があって、町に独特の雰囲気を与えている。
 その蔵の一つの前に猫が一匹いた。
 白黒の蔵の前に、白黒の猫。まるで蔵の守り神みたいで、いい味をだしている。
 蔵猫と呼ばせてもらおう。

【喜多方:夕食】
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 喜多方の夕食は、当然喜多方ラーメンということになるが、ラーメンは〆にしたいので、とりあえず酒を飲むべく宿近くの居酒屋「晩酌屋喜っせ」に入る。
 そこでここの名物らしき、「イカの墨ごろ焼き」をアテに酒を飲む。
 これはイカの身全部(身、嘴、ミミ、目、ゲソ)を、すりつぶした内臓を混ぜたイカ墨をからませて焼いたもの。生の海を感じる、野生の料理という感じですね。

 さて居酒屋で軽く飲んで、次は喜多方ラーメンを食おうと思ったが、街中を歩くうちに意外なことを発見。
 喜多方ラーメンって地元の人にとっては「食事」なのであって、九州人のように飲んだ後にラーメンで〆るという発想はなく、ゆえにラーメン店は午後7時過ぎると軒並み閉店しているのであった。
 そして、喜多方の人は三食でもラーメンを食べるので、朝からラーメンを食うため、それらの店は朝7時には開店する必要がある。(それもあって夜早く閉めるわけだ)
 しょうがないので、明日は朝からラーメン食うことにしよう。…しかし、朝からラーメンはきついなあ。

【玉子焼き】
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【比内地鶏焼き】
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 ラーメンを食い損ねたので、腹に余裕がある。
 それで郷土料理店の「田舎家」に行き、さらに酒を飲むことにした。
 会津の郷土料理は、地鶏に、地鶏を使った玉子焼き、それに馬だそうだ。馬は熊本でいくらでも食ったので、地鶏料理にした。

【喜多方ラーメン】
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 そういうわけで翌朝は、坂内食堂というラーメン店で朝ラーメン。
 朝というのに、客はかなり入っていた。
 ラーメンは、函館ラーメンから魚介系を除いた感じの塩ラーメン。澄んだ味で、全体として優しい味わいのあっさり系ラーメンであり、これなら朝からでも可能だな。
 熊本ラーメンみたいなコテコテ系ラーメンなら、朝食にはとても無理だが。



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November 05, 2011

福島編(7) 白河市→二岐温泉 大丸あすなろ旅館 50.4km

 白河市からは新潟へ向けて走るのだが、新潟に至るルートは数多くある。
 地図をみればその途上でいちばん目を引く地名は「喜多方」である。
 食い歩き(走り?)を兼ねたサイクリングとしては、全国的に有名な「喜多方」を外すわけにはいかない。そして白河から喜多方までの道を検討すると、途中にあの「二岐温泉」があるのを見つけた。

【二岐温泉 (C)つげ義春】
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 二岐温泉は、つげ義春の一連の温泉漫画のなかの一編に書かれており、そこで描写された滅法な過疎地ぶりや鄙び方が温泉マニアの心の琴線にふれるみたいで、交通の便が非常に悪いところなのに、全国的に知られた温泉となっている。
 九州在住者として、こういうマニアックな温泉は訪れる機会などほとんどないだろうから、今行かねば、たぶん一生行くことはない。
 というわけで、二岐温泉に泊まることにした。
 宿に電話すると、「白河市からなら県道37号線が一番近いけど、今は通行止めになっているから気をつけてください。それと、…自転車だとどの道でもすごくきついですよ」と言われた。

【県道58号線】
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 県道37号線が使えないので、そのつぎの近道である県道58号線を使って二岐温泉を目指すことにする。この道も工事中の標識があったが、いちおう交通規制のみで通行は可能なことを確認して走行。この道は最初のうちは平坦であったが、そのうち山のなかに入り込んでいって、道幅は狭く、傾斜も急な本格的な山道となった。

【県道58号線山道】
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 こういう離合も困難な山道なのであるが、車も少ないながら通行していた。
 少々遠回りになるが、会津方向には国道118号線という立派な道路があるだろうに、なにを好んでこういう走りにくい道を車で走るんだろうと思っていたが、標高が高くなるにつれ、樹々が鮮やかな紅葉に染まってきたので、たぶん紅葉見物の車たちだったんだろうな。

【県道58号線 紅葉】
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 道沿いには渓谷が走っており、そこでは紅葉は真っ盛りであり、極上の錦絵模様が広がっていた。

【国道118号線へ】
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 峠を越えてしばらく下りると国道118号線へと合流した。

【国道118号線】
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 この部位での国道118号線は高度が高めなこともあり、紅葉もいい具合である。
 道も広々とした走りやすい道であり、快適に自転車を走らせる。

【二岐温泉へ】
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 国道118号線から二岐温泉へ分岐している道は、またも登り坂である。
 結局白河市からは、大きな峠を二つ越えて、二岐温泉へと到着することとなった。

【二岐温泉】
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 二岐温泉は、つげ義春によると、「狭い渓谷に数軒の宿が崖にしがみつくように点在している、鄙びた湯治場」とのことだが、今現在見る二岐温泉はそこまでは鄙びていない。
 まあ、つげ義春が訪れたときは、「一泊二食で600円」という時代だったから、もうそれから相当な月日が経ったわけで、そりゃ温泉地も変化するでしょうな。

【夕食】
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 宿泊した、二岐温泉「大丸あすなろ荘」の夕食。
 料理は、写真のものに加えて、鮎の塩焼きと山菜の天麩羅が加わる。フタをしているのは土瓶蒸しと豚の蒸し煮。
 山の温泉旅館では、このような地元で獲れたものを出したいという気持ちのよく分かる好感の持てる料理。
 なかなかに美味しかった。

 しかし、こういう温泉宿で最高のご馳走は温泉。

【あすなろ荘露天風呂】
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 宿には豊富な源泉をふんだんに使った風呂がいくつもあり、どれも気持ちのいいものであった。
 そしてそのなかでも特に気持ちよいのは、渓流沿いの露天風呂。
 渓流の流れのすぐ傍で、清流の音を聞きながら、紅葉を眺めながら、湯につかるのは最高級の贅沢である。



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November 04, 2011

福島編(6) 磐城塙→白河関→南湖→白河市 52.3km

 磐城塙から白河市までの45kmほどの道は、さしたるアップダウンもなく気楽に走行できるコースである。
 白河といえば、一番有名なのは「白河の関」なので、寄ってみた。

【白河の関跡】
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 白河の関は、「ここから先は東北ですよ。覚悟して行ってください」との意味を持つ、かつての交通の要所だったので、地形的に、そのような地域を隔てる特異な形態を持っている場所かと思っていたが、たんなる平地であった。
 歌枕でもある白河の関は、能因法師が秋風を読んだ歌「秋風ぞ吹く白河の関」が特に有名。そして、私が訪れた日も爽やかな秋風が吹いているのであった。

【南湖公園】
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 続いて白河市の名物「南湖公園」の翆楽苑に行き、紅葉を鑑賞。
 今がちょうど旬であった。
 南湖公園は白河藩主松平定信が藩の庶民のために造成した公園である。
 歴史では無能な政治家の典型として扱われる定信も、地方ではいいことをしていたのであり、じっさいに白河では今でも定信は名君と評価されている。

【夜の南湖公園】
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 翆楽苑では、紅葉の時期にライトアップが行われているので、日が暮れたのちまた訪れてみた。
 昼の錦絵のような紅葉群もいいが、夜の闇にスポットライトを浴びて浮かび上がる紅葉は、それとは違う凄絶な美しさを感じる。

【白河城】
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 白河城は東北三名城のうちの一つに数えられる、白河市のシンボルのような城である。
 ここに寄ってみたら、…石垣が崩れてしまっていて、立ち入り禁止となっていた。
 もちろん東北大震災による被害なわけだが、本格的に築城されてから400年ほどが経ち、地震の多い東北でもその地震に耐えて来た石垣が、今回の震災でもろくも崩れ落ちてしまったわけで、先の震災がいかに桁外れの規模のものだったかが分かる。

【仁すし・松茸土瓶蒸し】
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 夕食は、ホテル近くを散策し「仁すし」という寿司屋が美味そうな雰囲気があったので、そこにしてみた。
 もう秋も深まり松茸のシーズンとなっているので、今年の初土瓶蒸しを頼む。
 この店の土瓶蒸しは炭火コンロ付きという珍しいスタイル。たしかにこっちのほうがさめないので、熱々の土瓶蒸しが楽しめる。

【仁すし・メロウ西京焼き】
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 メロウとは銀ムツとのこと。
 上品な旨みと、ホクホクした食感がまたよろしい。

【仁すし・赤貝紐細巻き】
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 肴もなかなかのものであったが、鮨の素材がしっかりしていて驚いた。
 白河市は内陸部なのに、下手な近海部の寿司店よりよほどレベルが上である。
 マグロなどは、生の本マグロが出てきたくらいのものだ。
 白河市、たいしたものである。

 明日はまたハードな峠越えがあるので、本日はさらりと切り上げる予定だったが、料理が美味いのと、ついつい店主と話が長引いたついでビール1本、酒5合飲んで、最後の客になってしまった。

 …東北では地震の体験とその後の苦労の話については、無尽蔵にあり、ずっと聞いているときりがないので、適当なところで切り上げさせてもらったけど、今一番困っているのはやはり風評被害とのこと。
 白河市は東京から高速道路で直結しているので、ゴルフに来る客が多かったのに、白河市が福島県にあるという理由だけで忌避されるようになってしまい、ゴルフ場も飲食店も客が激減してしまって大変とのこと。

 福島の今の惨状の原因については、悪いのはまずは天災であり、そして次が東京電力であろうが、それでも原発近傍ならいざしらず、健康被害など出るはずもない線量の地域まで対象とした「福島は危険だ」というデマもまた、それらに負けず劣らずに困ったものである。
 そんなデマが堂々と流されて福島の経済にダメージを与えている現況は、国をあげての福島イジメにしか私には思えんですわ。



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November 03, 2011

福島編(5) いわき市→小名浜→磐城塙町 76.8km

【ホテル内】
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 いつもは外から出発の自転車は、ホテル内クロークからの出動。
 ホテル内の自転車というのも、なにか違和感あり。

【小名浜へ】
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 福島は原発事故ばかりがクローズアップされているが、地震は震度6を超えていて建物の倒壊も多く、また沿岸部の津波被害も甚大であった。
 その津波の被災地小名浜の、津波から8ヶ月たっての現状を見てみようと、寄ることにした。

【小名浜防波堤】
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 小名浜の防波堤は広い範囲で粉々となっていた。
 津波の破壊力の凄まじさをまざまざと見せつけられる光景であった。

【小名浜】
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 小名浜は、家の多くは流されたまま、基礎だけ残した更地となっている。
 かろうじて津波に耐えて残った家も、近づけば壊れ尽くされていて、人の住めるものではなくなっている。

【瓦礫】
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 小名浜の建築物のものであったらしい瓦礫は高く積み上げられていた。
 瓦礫というもの、実物みると分かるけど、これは生ゴミの山みたいなものですね。

 堤防は崩れたまま、家々は捨てられ、道も途中で通行止めとなっていて、そして瓦礫(生ゴミ)は高く積みあげられている。
 復旧どころか、見捨てられた町、というのが正直な感想である。
 震災から8ヶ月経っても、現状はこんなものだ。
 はたして、日本には、復旧、復興を行う力は残っているのだろうか。この地を見て不安を感じた。

【国道289号線】
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 大平洋沿岸までいったので高度は0mからの再スタートとなる。
 白河市の方面に向けて、これから750mの峠を越える必要がある。この国道269号線がいつまで経っても坂、坂、坂の大変な道であった。
 そしてそのうち自転車が思うように登らなくなったので、マシントラブルかと思いギア、チェーンあたりの駆動系を調べてみたが特に問題なし。それでも登攀能力の落ちているとしか思えない自転車で苦労して坂を登って行った。

 (…この後新潟まで行ってやっと気付いたのだけど、後ろのタイヤが擦り減っていたのがその原因であった。普段スリックタイヤに乗っているんで、そういう初歩的なトラブルにも気付かなかったのである。)

【国道289号線】
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 坂、坂、また坂と登っていき、この橋あたりでようやく楽になった。
 289号線の坂で相当に疲れてしまった。峠を越えた後はそのまま白河市まで行きたかったのだが、体力的に無理であると判断。白河市までの途中にある磐城塙町というところで一泊することにした。

【夕食 鰻蒲焼】
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 磐城塙町がどういうところなのかを全く知らなかったが、そこそこ人の住んでいる山間の田舎町であった。
 泊まったのは民宿みたいなところで、しかし料理には気合が入っていた。
 この宿は鰻が名物だそうで、これでしっかりと本日大量に消費したエネルギーを補い、そしてビールを飲み、よく走りよく食べよく飲みました、ということで、うん満足。

 それはそうとして、食事中に地震があった。
 飯坂温泉に泊まったときも震度4くらいの地震があったし、東北の地盤は、まだまだ安定していないようだ。

【塙町】
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 翌朝に塙町を散策。風呂山公園という、展望所のある公園があったのでそこに登ってみた。
 見下ろす塙町は山に囲まれ、横には小さな川が、縦にはローカル線が走る、鄙びた、いい感じの町であった。

【久慈川】
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 塙町のなかを流れる久慈川。鮎で有名な川だそうだが、今はシーズンオフである。
 それより、ここで翡翠が飛んでいるのを見た。
 鮮やかな青色に輝いていて、まさに「渓流の宝石」のごとき美しさである。
 いいものが見られてラッキーであった。


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November 02, 2011

福島編(4) 郡山市→長沢峠→いわき市 80.8km

 郡山は山のなかの都市であり、目的のいわき市は海の近くなので、ただ下っていけば良さそうなものだが、福島県は太平洋側に阿武隈高地というものがあり、これを通る必要があるので、やはり本日も峠越えがある。

【長沢峠へ】
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 道はすでに阿武隈高地に入り、坂が始まる。この坂を登り、長沢峠へと向かう。
 途中「むじな」という面白い名前のラーメン店があった。なんとなくケモノっぽいラーメンが出てきそうな店である。

【積み藁】
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 長沢峠を越え、道を下りていくと広大な田園地帯が広がっていた。
 今は稲刈りが終わり、田圃には無数の積み藁が置かれている。その積み藁、三角錐型に積まれ、それがずらりと並んでいる。
 九州では積み藁は普通円筒状に積み上げるので、新鮮な風景に見えた。

【いわき三和トンネル】
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 国道49号線は山の多いところなので、トンネルも多いわけだが、県境の古いトンネルと違って、ここらのトンネルは自転車にとって走りやすいものであった。
 写真のように歩行者+自転車専用の道が設置されており、安全に走ることができる。
 狭い車道しかないトンネルでは、ゆっくり走る自転車は車にとっても迷惑なわけであり、自転車・車双方にとって、トンネルとはかく安全なものでありたい。

【スパリゾートハワイアンズへの入り口】
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 本日、いわき市での目的地は「スパリゾートハワイアンズ」。
 元々炭鉱都市であったいわき市が石炭産業が衰退したため、新たな産業として一から築きあげた大規模リゾート。そういうものはたいてい失敗することが多いのだが、東北の地にフラダンスを名物にするという奇策が見事に成功し、いわき市を代表する新たな産業となった。
 しかし、311の大震災およびその後の余震で施設が多大な損傷を受け、長期の休業を余儀なくされた。しかし、懸命の復旧作業から、部分的ながらなんとか10月から営業を再開できた。

 ここを舞台とした映画「フラガール」がいい出来だったこともあり、私も一度は訪れたかったので、営業再開の報を知り、訪れることにしたのである。

 …しかし、ここに来る人たちの殆どは車を利用するのであろうから本来はどうでもいいことなのだろうけど、このゲートからホテルまでの坂がずいぶんと急であった。上のほうでは20%近い急坂であったはず。
 スパリゾートハワイアンズ、全体としてはいいところだったけど、自転車乗りにとっては決して優しくないところである。

【スパリゾートハワイアンズ・ホテル】
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 その激坂を登りきって、なんとかホテル正面に到着。
 こういう激坂があることから分かるように、自転車で来る者など稀なようであって、駐輪場らしきものは見当たらず。
 ドアマンの人にたずねたら、やはり駐輪場はないとのことである。駐車場の片隅にでも停めようかと思ったら、「その自転車、高いんでしょう」と聞く。
 「いえ、10万円くらいです」と言うと、「じゅうぶんに高いです。外に置いておくのはあぶないから、ホテル内のクロークで預かりましょう」との返答。
 自転車乗りからすると、ロードバイクは50万円超えるのはざらだし、100万円超えるのもまったく珍しくない。で、10万円は安い部類なんだけど、一般の人からすると10万円の自転車って高価な自転車の部類に入るんだなあ。
 まあ、これについては一般の人のほうの金銭感覚のほうが正しいのであろう。自転車乗りになると、自転車の価格の感覚が壊れてしまう。

【部屋】
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 こういうリゾートホテルは多人数で泊まるのが普通であり、用意された部屋もこんな感じであった。
 ベッドも空間も持て余してしまうわい。

【夕食】
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 夕食はこれっといった名物がでるわけでもなく、バイキング形式。
 夕食の食事処はこのレストランしかないはずだが、これほど大箱のホテルのわりには利用客が少ない。
 Open1ヶ月目くらいでは、まだ人の戻りはよろしくないようである。

【フラダンス】
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 夕食後はフラダンスショー。
 これはさすがに名物であって、宿泊客以外の観客も多く、けっこうな賑わいであった。
 本場ハワイもかくあるかなというくらいの明るさと、力強さと、そして陽気さがとても印象的なもの。震災以後の数々の苦難を乗り越えての、いわき市復興の象徴のようなショーであった。

【手紙】
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 その後、スパリゾートハワイアンズより感謝の手紙が送られてきた。
 「今後も、お客様とのきずなを大切に皆様に愛されるホテルになれるよう」云々と書かれてある。
 この施設は大震災のとき重要な避難所としても使われ、自らも被災した従業員たち一同が、それでも懸命に、避難してきた人たちの対応にあたったという過去があり、まさにきずなを大事にする見本のようなところである。
 2月からグランドオープンとなったとのことであり、はやくまた元の賑わいを取り戻すことを願う。



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November 01, 2011

福島編(3) 飯坂温泉→よろづ運動公園→郡山 81.02km

【朝食】
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 かわせみ二泊目の朝食。
 鰆幽庵焼き、焼きタラコ、エビとカニの茶碗蒸し、海老味噌汁、マグロ山芋和え、湯豆腐、等々。
 昨日の記事で書いたように、良い朝食のおかずは、すなわち良い酒の肴であるゆえ、これでビールを飲みたいところであるが、本日は自転車に乗らねばならないので、鉄の意志で我慢する。

【銀杏並木】
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 本日は郡山に向けての南下。
 途中に福島市の紅葉の名所「あづま総合運動公園」があり、ここに126本の銀杏が植えられ今が旬との報道があったので、寄ってみることにした。
 快晴の太陽のもと、日を浴びて銀杏が金色に輝いている。
 ここはライトアップもされているとのことで、夜にはさらに金色に輝くことであろう。

【比内や】
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 福島市飯坂温泉から、郡山市に着。小さなアップダウンがずっと続く、80kmくらいの道のりであった。
 郡山の名物は何であろうかと調べたら、「薄皮まんじゅう」とのこと。
 それを夕食にするわけにはいかないので、店を探しながら散策。すると「比内や」を見つけた。
 秋田を訪れているとき、秋田では是非比内鶏を、そして比内鶏では「比内や」がお勧めと言われていたが、秋田では結局行く機会がなかったので、ここで支店を見つけたのを幸い、入ってみた。

 串を適当に頼む。
 比内鶏の旨さを強調するように、どれも厚めに切られた具材で、やや生焼け。いわゆる串焼き屋の串ではなく、「比内鶏の串」である。
 たしかに比内鶏の美味さがよく分かる、いい串である。
 ただし値段は普通の串の二~三倍くらい。居酒屋気分でふらりと串を食いに行く店ではないな。比内鶏を食うぞ!と気合を入れて行くべき店のようである。


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