新潟編(8) 長岡市→柏崎市 48.9km
長岡の有名人といえば、まずは河井継之助。(それに山本五十六か)
幕末に長岡藩の軍の近代化を成し遂げ、戊辰戦争における北越戦争では新政府軍と同等に渡り合った指揮官である。
河井継之助といえばやはり「ガトリング砲」。
本物は現存していないが、レプリカが展示してあった。
幕末時代アメリカから輸入した新型機関砲であり、北越戦争で新政府軍に向けて、河井自らこれをぶっ放したという伝説がある。
もう少し大きいものを想像していたが、思ったよりこじんまりした兵器であった。攻撃力はじつはたいしたことはなく、実戦ではあまり役に立たなかったらしい。
【慈眼寺】
河井継之助は好戦的人物というわけではなく、戊辰戦争では長岡藩の中立を画策して、新政府軍幹部とこの寺で会談を持った。戦争回避、中立を求める河井に、新政府側は「お上の言うことが聞けないのか、さっさと新政府軍に従属しろ!」と強硬姿勢に徹し会談は決裂。
そして激烈なる北越戦争の火蓋が切って落とされることになってしまった。
慈眼寺はその会談が行われた有名な寺であり、案内標識に従って訪れてみたが、「慈眼寺」との表示を持つ建物は…プレハブ風の建物である。
「こ、これが、あの慈眼寺?」と驚いたが、よく調べると、この建物は慈眼寺の事務所みたいなもので、本物は奥にあった。
この建物も平成16年の中越大震災で大きな被害を受け、ようやく復旧できたところらしい。
日本とは地震の多い国なのである。
慈眼寺での会談が決裂したあと、河井一行は料亭「東忠」に寄って食事をしたとの記録がある。
老舗料亭「東忠」は現存しており、今も営業を続けている。
小千谷泊ならここに寄りたかったところであるが、今回は眺めて通り過ぎるのみ。
小千谷からもう少し距離を伸ばして自転車を走らせる。小千谷から柏崎市まではフラットな道を離れ、峠を二つ越えるルートとなった。
柏崎市にて宿泊。雨が降り続いていたので、外に食事に出る気力も出ず、ホテル内のレストランにて食事。
日本海側に出てからはずっと魚ばかり食べていたので、本日は豚カツ定食にした。
これはこれで美味いですね。
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