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September 2011の記事

September 25, 2011

寒いので、おでん

Syou

 なんだか秋を吹っ飛ばして、冬が来たような寒さとなり、おでんが恋しくなり、おでんを食べに行った。
 延岡市の中心街にある「ODENYA 翔」は、ユニークなおでん屋である。
 地方のおでん屋というものは、普通は場末チックな雰囲気があり、オヤジがいっぱい飲むにふさわしい店ってのが多いはずだが、ODENYA 翔は、外観もそして内装も、そのような雰囲気はまったくない。
 お洒落なBarという感じであり、若い人に向いてそうな気がする。
 おでん自体も、醤油ベースのあっさりした出汁で煮られ、地方では珍しい薄味系のおでんだ。

 そういうわけで、いわゆる「おでん屋で一杯」という感じでは酒は飲めないが、これはこれで、なかなかオツなものであった。

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September 23, 2011

雨の恵み あるいは、TOTO Africa

 ここ数日、台風15号の到来により宮崎県北は、まさに天の底が抜けたかと思うくらいに雨が降り続け、北川周囲では堤防から水があふれ、かなりの地区が冠水ということにない、職場でも早退する人がいたりして、大変であった。
 この前にきた台風12号では、洪水により100名近い死者が出る大災害となり、今年の日本はふんだりけったりというところである。

 ここまで雨が降ると、さすがに雨はもうけっこう、はやく止んでくれと願うばかりになるわけであるが、…本来は雨は天の恵みでもあるわけで、その天の恵みを歌っての名曲がある。
 その名曲TOTOのAfricaの話。


 1980年代の名曲を選べといえば、必ずそのうちに選ばれるべき曲Africaであるが、この曲の歌詞は解釈が難しい。
 曖昧な表現に満ちていて、これっ、というストレートな解釈がやりにくく、だから日本語訳も難しいみたいである。たぶんいまだ定番はないはず。


 Africaにおいては、直接的には書いていないが、イントロのドラムの音からして、主人公はアフリカに滞在しているのは間違いない。
 彼は遠くから飛行機で訪れる恋人を待っている。その恋人はどうやら性格に難があるらしく、相当の覚悟がないと御しきれないような人らしい。(100人以上の男性がそれに失敗したなんてことを書いているが、さすがにそれは誇張であろう)
 彼は異国の地で、そういう性格に難のある彼女の到来を、期待と不安に満ちながら待っている。彼は、そこでポジティブに思考を保ちたいゆえ、彼の脳裏に、アフリカの砂漠に雨が降った情景がよみがえる。
 あのときの感動と感謝と祝福。

 I bless the rains down in Africa ! (アフリカの大地に雨が!)

 乾ききった大地に、恵みの雨が降り、すべての生命が蘇り、再生し、伸長していく、祝祭のごとき光景。
 彼は自分が彼女にとってその雨のごとくありたい、あるいはそういう雨のごときものがやってきてほしい、なんてことを考えながら、恋人を待つことになる。

 てなわけで、Africaにおいて、主人公の人生最大の勝負みたいな、希求の思い、それを歌ったサビの部分、I bless the rains down in Africa はとても感動的である。

 もともと演奏の技術に関しては歴代最高との評判もあるTOTOだけあって、その最高傑作Africaのサビ部分の演奏は、とにかく完璧としか言いようがない。


 話を元に戻して、宮崎県北で、雨続きの日々にあり、雨はもう結構と思うのだけど、そこでAfricaを聞くと、雨が降る情景の、神々しき美しさと喜びに、…雨はいいものだと思うしかない。じっさい雨はそういうものだろうし。
 問題は、いかにわれらの文明が、この恵みの雨をコントロールできるかどうかであり、そして文明とはその実践の過程の一場面であることを、私たちが理解せねばならないということにある。


 ……………………………………

【Africa 歌詞】

I hear the drums echoing tonight
But she hears only whispers of some quiet conversation
She's coming in 12:30 flight
The moonlit wings reflect the stars that guide me towards salvation
I stopped an old man along the way
Hoping to find some long forgotten words or ancient melodies
He turned to me as if to say , "Hurry boy, it's waiting there for you"

Chorus:
It's gonna take a lot to drag me away from you
There's nothing that a hundred men or more could ever do
I bless the rains down in Africa
Gonna take some time to do the things we never had

The wild dogs cry out in the night
As they grow restless longing for some solitary company
I know that I must do what's right
As sure as Kilimanjaro rises like Olympus above the Serangetti
I seek to cure what's deep inside, frightened of this thing that I've become

Chorus: It's gonna take...

Hurry boy, she's waiting there for you

Chorus: It's gonna take..

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September 22, 2011

読書:民主党政権はなぜ愚かなのか(著)辻貴之

 民主党が政権をとって2年以上がたつわけであるが、この間政治は目を覆わんばかりの迷走を続け、やることなすこと全てトンチンカンであり、民主党がなにをやっても支持率を下げるだけの結果に終わり、既に代表は3人目となり、現内閣はもはや残務整理係のごときありさまになっている。

 普通選挙が始まってからの日本の政党政治の歴史のなかで、ここまで無能な政権はマレであり、日本国民はそのような政権を選択してしまった己の不覚さと愚昧さを嘆くのみ、といったところなのだが、本書では、嘆くだけではどうにもならないだろう、民主党の愚かさがいかなる原因によるものかそれを究明しないと、のちに生かせないと前向きに考える。
 その分析、「民主党政権はなぜ愚かなのか」が、そのまま題名となっているのが本書である。

 私は、民主党政権の愚かさとは、すなわち国民の愚かさなのであり、国民は結局は自分のレベルにあった政治しか選べないというだけの話だと思っていたけど、著者は違う角度から民主党の愚かさに切りこんでいる。

 それによれば、「民主党の愚かさ」には、きちんとした理由があり、民主党は政党誕生の時から「愚かさ」が、その存在理由の根本であった。だから民主党は愚かなのが当たり前で、今現在の国民が呆れかえっている民主党の愚かさは、あまりに当然にして自明のことであり、呆れかえるほうがおかしいと。

 かなり無茶な主張のように思えるが、しかし著者は精神病理学的アプローチも用いて、けっこう説得力をもって話を進めている。

 著者の分析では、世の中には、社会が成り立っている秩序やシステムを、ぶち壊してしかたない衝動を持っている、「破壊衝動の持ち主」が少ないながらも、確実に存在している。そして、民主党の設立時のメンバーは、客観的にみると、その破壊衝動の持ち主、すなわち精神的な患者ばかりである。

 破壊衝動はどうして生じるかといえば、愛情を親から与えられなかった少年時代を過ごした者たちに生じやすく、著者は、鳩山氏、小沢氏がまさにその典型像であることを詳しく説明している。

 そのような破壊衝動を持った者たちが政権の中枢になれば、やる政策は決まっている。この社会の破壊である。
 …たしかに、民主党の行う政治は、迷走であり、逃走であり、逆行であったり、いったい何をやろうしているかまったく分からないところがあるが、しかし、「日本社会を破壊する」ことに関しては一貫しており、著者の主張は、その点でよく納得いくものだ。


 話を現実に戻せば、破壊が好きな民主党の第一世代が退却した現在、さすがに今の民主党内閣は「破壊衝動者の巣窟」ではないとは思うが、さて破壊されまくった日本社会を、野田内閣はいかにして立て直していくのであろうか?
 その方法については本書でも少し触れられてはいるが、道険しき、といったところである。


民主党政権はなぜ愚かなのか(著)辻貴之

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September 18, 2011

九州、食の旅:博多→宮崎は遠いなあ

 博多駅、新ビルがオープンして半年がたつけど、よく賑わっている。
 9~10階の飲食店街「てんくう」は、もはや天神のデパートのそれとかをはるかに越えた人気度みたいで、開店の11時にすでに行列ずらりという店ばかりである。
 その「てんくう」内の一店「アロマフレスカ」は、なぜか今のところは、例外的に行列なしの店であり、予約も容易にとれたので、本日のランチはここで。

 軽めのコースに、軽めのロゼワインで、ランチを楽しむ。

【メイン:イトヨリのアクアパッツァ】
1

 「アロマフレスカ」は、イタリアンの本道を行く料理店に感じられ、完成度はなかなかのものと思う。だからこの店の更なる奥を知るためには、あらためてディナーに訪れてみたいとも思った。

 しかしながら、こういう本格的イタリア料理を食べると、つい昨夜食べたサーラカリーナは、イタリア風の創作料理というのが、かえってよく分かる。
 …それゆえ、ああ、またサーラカリーナで食いたくなった。
 結論からいえば、私はサーラカリーナによく行くのは、イタリア料理が好きというだけでなく、結局は今井シェフの料理が好きなんだな。

 とかいう感想はともかくとして、ランチを終えたあとは、夕方は宮崎市で食事の予約をしているので、JR日豊線で宮崎市へと行く。

 博多市から宮崎市までJR日豊線で5時間40分。これだけの時間があれば、福岡市を起点とすれば、海外のかなりの所に行けるわけで、…ほんと宮崎は遠いですなあ。
 しかも列車は直通というわけではなく、小倉で進行方向が変わるので席の向きを変え、さらに大分市で乗り換えるわけで、ずっと寝て過ごすというわけにもいかない。

 そういうわけで、みょうな疲れが残ったまま、「光洋」で食通W氏一行と合流して、ワインでも飲みながら、夕食である。
 魚が難しい時期、それでもシブダイ、ブリはなかなかのものであったなあ、とかの感想を持ちつつ、やはり今の時期は、和食は低調だなと思った。
 こういうときには、やはり寿司屋は、安定したものがよろしい。コハダ、それに穴子は、やっぱり水準高し。〆の玉子も立派なもの。
 そして10月過ぎれば、マグロを始め、魚がどんどん美味くなってくるであろう。ここで、先月のヒット作「金目鯛の炙りの鮨」に匹敵するような、必殺技をどんどん磨いてもらいたいものである。
 あのレベルのものが、3点以上常備できれば、文句なしの「名店」になれるのは間違いないから。

【コハダ】
Susi


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September 17, 2011

ひさしぶりのサーラカリーナ@福岡市

 トリュフの香り高いリゾットを食いたくなったので、サーラカリーナにTEL。また黒トリュフの時期であり、トリュフの香りは控えめなので、これにボルチニ茸をからませるとちょうどよい塩梅のリゾットになるでしょうとのこと。それをメインと、というわけではないがメニューの主軸として、ひさしぶりにサーラカリーナを訪れた。

【リゾット】
2

 トリュフはこれでもか、というくらいに盛りつけられ、充分に香り高い。そしてこれも独自の香りあるポルチニ茸がからまり、茸の二重奏。リゾットは上品なスープで煮られ、絶妙のアルデンテ。
 う~む、絶品としかいいようがない。

 コースは、前菜盛り合わせ→大分産ジャンボ岩牡蠣→冷製カッペリーニキャビア載せ→カラスミと野菜のスパゲッティーニ→リゾット→エゾ鹿ロースト→トマトのスパゲッティーニ→ドルチェ、といういつも通りの気ままに食い放題という感じのもの。

【冷製カッペリーニ】
1

【大分産岩ガキ】
3

 どの料理も繊細にして丁寧。素材の良さと、素材の生かし方を存分に発揮した、素晴らしいレベルのもの。そして、イタリアンの既存のわくを越えた、シェフ独自の味付けの料理の数々。

 今井シェフの料理をこの時代に味わえる、その幸運をただただ有難く思う、福岡の夜であった。

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September 16, 2011

9月になっても

Ayu

 由貴亭にて鮎の塩焼きを食う。
 鮎の季節もそろそろ終わりであり、初夏のスリムな恰好いい鮎は、産卵の時期を控え、脂ののった肥えた姿になっているはずだが、…9月になっても、初夏とあんまり姿が変わっていない。

 今年は異常気象であり、雨が降りすぎたせいで、川が乱れてしまい、どの流域でも鮎は育ちが悪かったそうだ。
 宮崎県北は腕のいい鮎釣り師はたくさんいるのだが、どの人も今年は、サイズの大きな鮎を釣ることはできなかったとのこと。


 新燃岳の噴火から始まり、春の日照り、大震災、梅雨からの大雨、異様に遅い台風による大水害、…平成23年はさんざんな年だったわけだが、こうして、鮎にもその影響は如実に出ている。

 せめて来年はいい年になってもらいたいものだ。
 …あと3ヶ月あるのだけど。

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September 11, 2011

夏への扉はあるのだろうか?

 ハイラインの古典的名作SF「夏への扉」で、主人公ダンはピートという名の猫を一匹飼っている。ダンはピートのために、猫用の入り口を自宅にたくさん作っている。ピートは冬が大嫌いで、冬の寒さがつのったときは、多くの扉を一つずつ一つずつ、飽きることなく開けていく。ピートは、扉のうちのどれかが夏につながっていると思っており、それでピートは「夏への扉」を探し求めて、懸命に扉を開けていくのである。
 ダンは、ピートの行動を肯定している。ダンは、どんな辛いときでも、それを乗り越える道があり、その道へと続く扉が必ずあると信じている。

 「夏への扉」は、親友と恋人にこれ以上ないような残酷な裏切りをされた主人公が、その失意のどん底から這い上がり、幸せを勝ち取る、という物語である。
 その失意から立ち上がるときの、彼の頑張りの核こそ、「夏への扉」は必ずあるという思い込みであった。


 あの大震災から半年が経つ。

 5ヶ月が過ぎたときに、私は石巻市の中心街を歩いてみた。
 そこで見た風景は、街を覆ったガレキや汚泥の撤去はできていたようだが、閉店した、あるいは店移転の知らせのみが張っている店がずらりと並ぶ商店街であり、明かりの消えた信号灯であり、あらぬ時間を指す時計の数々であった。
 5ヶ月が過ぎたのに、復旧、復興はまったくままならず、人の営みは絶えて久しい、そういう街の姿に、私はショックを受けた。

 この大災害と同じ規模の災害を、日本は先の大戦で蒙っている。
 ただしあの大戦後に焼け野原になった街々も、半年近くたったのちは、住宅や交通はとても復旧の段階ではなかったが、それでも仮の家々に人が住み、市場は開かれ、相当な活気は戻っていたはず。

 ところが今回は、活気が戻るどころか、人々はそこから離れようとしており、じっさいに東北からに人の流出はいまだ続いて止まない。
 これは東北だけに原因がある問題でなく、もはや日本には、復旧、復興する力はないのではと思わざるを得なかった。


 どちらかといえば、私はダンと同様に、「夏への扉」の存在を信じているほうであった。しかし震災の地にたったとき、ここには「夏への扉」があるとの確信はとても持てなかった。

 ただし、あの人の姿なく、店の閉まった商店街で、一つだけ営業をしている店があり、それは印象強いものであった。
 それはポルノ映画館「日活パール」であり、あのゴーストタウンじみた風景には不似合いなものであったが、それでもこういうところから、「夏への扉」は開かれているのかしれない、そうも思った。


【石巻 日活パール】
Ishinomaki


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September 04, 2011

近づいて来るもの

 五ヶ月前に父が亡くなり、そのときの葬儀に遠方から従兄が来て参列してくれた。60代の人で、ゴルフが大の趣味であり、週末ごとのゴルフ三昧で、日に焼けた姿が印象的であった。
 しかし二ヶ月前ほどに体調を崩し、病院に入院して検査を受けたところ手の施しのようのない末期癌ということが判明し、結局短い闘病期間ののち亡くなり、先日訃報を聞いた。

 人は必ず死ぬものであるが、それでも人の運命というのは、ほんとに分からないものであることを実感する。

 そして、また身内の死はけっこうこたえるものがある。
 とりわけ、親が死ぬと、見えて来る風景が明らかに変わってくる。
 私は自分が死なないとはまさか思ってもいないが、それでもそれはまだまだ先の、漠然としたものにしか感じられない。しかしながら、親が亡くなると、なんというか防波堤が崩れた、あるいは外堀が埋められたように、いまだ漠然たる姿ではあるが、死が確実に近づいて来たことを感じた。
 それから、人生が有限であることも、またよりはっきりと分かって来る。

 歳をとるというのは、そういうことを知っていく過程なのだろうけど、今年は大震災以来、心が重たくなるような事柄が続き、平成23年という年は一生忘れらない年になるのだろうな。

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