July 2011の記事
July 31, 2011
眺めのいいレストラン、アロマ・フレスカ@JR博多シティ9F
3月に開店した新博多駅のJR博多シティは、既に福岡の名所となっており、訪れる客もたいへん多い。この人気は有名な店を多く入れていることからもあるのだろうけど、その有名店のなかに、イタリア料理店「アロマ・フレスカ」がある。
世には、「ガッルーラ」「イル・ギオットーネ」「サローネ」等々、予約の困難なイタリア料理店がいろいろあるが、「アロマ・フレスカ」もそのうちの一つである。しかし「アロマ・フレスカ福岡店」は、今のところ予約しなくても大丈夫という話を聞き、昼にぶらりと訪れると、情報通り入店可能だったので、ランチコースを楽しんできた。
アロマ・フレスカ(Aroma Fresca)とは「涼しい香り」という意味だそうだが、たしかにその通り、香りに重点を置いた料理の数々であった。
バジルとニンニクの強い香りが利いたジェノバソースに、これも香りの強いホタテとインゲンを添えての、タリオリーニ。
ごちゃごちゃしそうな香りの組み合わせなんだけど、うまくまとめていた。
オマール海老は焼き加減よく、香りも、歯ごたえも丁度よい。
それにこれも香り強い香草の数々が、各々個性を主張していて、これも面白い料理となっていた。
料理はいずれも個性があり、独特のイタリア料理である。
素材も調理もレベルは高いので、これはいいイタリア料理店が福岡に増えたと思う。
そして、この店は9階にあるので、眺めがたいへんよろしい。
太閤秀吉の造った大博通りがまっすぐ海岸まで伸びているのが一望できる。
港から駅までのメイン通り、これを真正面から見られるスポットはここしかないので、こういう素晴らしい景色を眺めながらの食事は、それだけでポイントが高くなる。
料理に加え、いい場所に店を出したということでも、この店は訪れる価値があるでしょう。
July 30, 2011
安春計@夏
鮎という魚はまずは、香りである。
それで香りの最も豊かな内臓を、いかにうまく火を通して、香ばしく焼き上げるかが、腕の見せ所ということになるのだろうが、内臓を外しても、鮎はやっぱり香り高い魚だというのが分かるのが、安春計の鮎の風干し。
一夜、風を通して乾かすことによって鮎の香りが凝縮し、軽く炙ることによって、その香りが花開く。これを食った人なら、この画像みただけで、鮎の香りが漂ってくる、そういう料理なのである。
これを食わないと、夏が始まらない、とまで言っておこう。
夏の風物詩といえば、シンコもそうである。
3枚ヅケと5枚ヅケ。
安春計では5枚ヅケサイズのシンコでも、しっかりと〆るので、もぞもぞした独特のシンコの食感がより増している。
シンコは、2枚、3枚、4枚、5枚と、サイズごとに味と香りと食感が微妙に変わってくる、そういう面白い鮨でもある。
今の旬のマグロは、ミナミマグロに、大間のホンマグロ。
それぞれに良さがあり、そしてやはり大間のホンマグロが一番個性が強い。
本日は私に、福岡の食通2名氏が参加して、計3名の安春計の会であったが、午後10時を過ぎれば貸切状態となり、大間のマグロを肴に、三千盛りを傾けながら、店主とおおいに会話が盛り上がるのであった。
July 29, 2011
小松左京氏死去の報を聞いて
小松左京氏の訃報を聞き、氏の作を愛読していた者としては、やはり感慨深いものを感じる。
氏の作品は名作ぞろいなのであるが、「果てしなき流れの果に」は、特に読書体験として貴重なものであった。
壮大にして深遠な世界に、ぐいぐいと引きずりこまれ、主人公とともに時空を飛びまわり、めくるめく経験をしたのちに、一挙に、寂しくも哀しい、日常に放り出されるという、宇宙規模的ジェットコースターとでも称すべき、読書の醍醐味といえる時間を味わうことができた。
これほどの作品を生み出すのは、小松左京氏の、途方もない知識と、想像力と、それから筆力あっての力業であり、こういう巨人的な作家は、まさに稀なる存在であった。
氏の作品で最も有名なものは、日本が日本海溝に引きずりこまれ、日本が沈んでいく「日本沈没」であろう。
氏は、日本人のアイデンティティは、日本という国土に依っているのであり、それでも、それを失っても誇りを持って生きていく日本人を書きたかったそうである。そして、その国土の破滅として、綿密に研究した結果、将来あり得るものとして「日本沈没」というフィクションを考え出したわけであるが、しかし、その前兆とでも言うべき破滅的事象が、今年の3月に、東日本大震災という形で実際に起きた。あの震災は、日本が日本海溝に落ち込んでいくまでの一過程で起きたのである。
氏としては、自分が生きているあいだは、フィクションであろうと思っていたものが、その一部が現実に起きてしまった。それを見て、何を思ったのであろうか?
「日本沈没」では、国土が破滅していくなか、誇り高く生きていく、日本の一般市民、経済人、そして政治家が描かれている。国土を失い、流浪の民となっても、たくましく生きていく日本人への期待が、作には込められていた。
しかしながら、今回の大震災では、残念ながら、少なくとも政治家に関しては、ため息が出るくらいに誇り高くなかったことが判明した。
この現実をみて、国土の壊滅とともに、人も社会も崩壊していってしまう「新・日本沈没」を、氏のような知性の巨人に書いてもらいたかった、とか皮肉なことも思ってしまった。
小松左京氏、平成23年7月26日没。享年80歳。
壮大で、深遠で、しかも楽しく、また恐ろしい、数多くのSFを読ませていただき、心より感謝しています。
July 24, 2011
阿蘇望@2011年(2)
昼食を終えて、阿蘇望午後の部である2つの峠越えへ出発である。
阿蘇望の核心部―もっとも困難であり、それを越えればサイクリングの完遂が予期できる部―は、地蔵峠越えという評判であり、私もじっさいに走る前はそう思っていたのだが、午前中に県道28号線からアスペクタへの150mの坂を登ったとき、ここが真の核心部と思い知った。
そのため地蔵峠越えはゆっくり進み余力を残すようなサイクリングをしようかと思っていたのだが、…この坂はそのような甘い考えは許してくれない。
午後になって暑さが増してくるなか、地蔵峠への道は10%くらいの勾配の坂が延々と続いているので、体力とともに気力も削られる。知らぬまにギアは使いきっているので、最後のギアで根性で登り続けねばならないと思うと、さらにきつくなる。
坂の途中にある、九州自然歩道の地蔵峠駐車場でのエイドステーション。
ここで冷たい水分と塩分を十分に補給し、ついでにバナナでカロリー補給。
写真でみるとこの坂はたいした坂でないと思うだろうけど、なんのなんの、10%くらいはある坂であり、スタートしようとした人が最初のペダルの踏み込みができなくて転んだり、ペダルを回せない女性サイクリストをサポートスタッフが押して出発させていたりした。
そういうスタートはあんまり見ない光景ではあり、地蔵峠、おそるべしというところである。
先のエイドステーションの坂を横から見た図。この方向からみると勾配も分かりやすいか。
それにしても暑い。
そして選手は暑いのだが、この暑い中ずっとエイドステーションでサポートしてくれたスタッフたち、あるいは交通整理をしてくれたスタッフたちには本当に頭が下がる思いである。
この九州屈指の観光地で、このような大規模なサイクルイベントを実行できた熊本県サイクリング協会とそれを支えたボランティアスタッフに、ただただ感謝。
先のエイドステーションで水分塩分エネルギーを補給したのちも、あと2kmの登りがある。あのカーブを曲がれば峠、あのカーブを曲がれば峠、とか思いながらもいくつものカーブに裏切られるうち、なんとか道が平坦になり、地蔵峠が見えて来た。
パーキングエリアに駐車している田中サイクルのサポートカーの応援部隊の黄色い歓声を受けながら、なんとか地蔵峠に到着。
なんごう橋という名前のこの橋は、その名前の通り、阿蘇の南郷谷が一望のもとに見渡せる絶好のビュースポットである。
ちなみに本物の地蔵峠は阿蘇外輪山の稜線上にあり、歩いてしか行けないところにあるので、阿蘇望で言うところの地蔵峠は、厳密には「いわゆる地蔵峠」である。
峠を過ぎてからは、西原町へ向けてずっと下りになる。
下り道になってスピードが上がると、自転車の前輪がガタガタと激しく揺れ出した。見た目には路面はそれほどの悪路に思えなかったので、これはパンク?と思って停車してタイヤを調べたが、空気圧は正常である。
この道は見た目以上に路面の状態が悪く、けっきょくは下り坂はずっと前輪が揺れ続け、気持ちの悪いサイクリングとなった。
阿蘇外輪山を越えて、西原町に下り、これからまた峠を越えて阿蘇のなかに戻ることになる。信号待ちしている人たちと、暑いですねえ、きついですねえとか言葉を交わしながら、青信号とともにスタート。
ひさしぶりに車の多く通る道路を走りながら坂を登っていくと、最後のエイドステーション「萌の里」に着いた。時刻は午後3時15分。ということは、あと残り20kmを時速11km以内で走れば、時間内にゴールできることになる。よほどのアクシデントがない限り、その数字は余裕の数字だ。こりゃアスペクタへの登り道で心が折れたとして、そこから自転車押して歩いても、充分時間内にゴールだな、とか不埒なことも考えた。
国道28号線からバイパスを外れて、俵山越えの旧道に入る。
緑あふれる山々のなか、巨大な風車がいくつも回る風光明媚なところなのであるが、さすがに今回は風景を愛でる余裕もない。
俵山峠越えの道は、地蔵峠に比べ勾配が緩めなので、あれより楽なはずだが、疲労が蓄積しているため、疲労度は似たようなものだった。
だらだらした坂を登っていくうち、下腿の筋肉が硬くなってきて、痙攣を起こしそうな雰囲気になったので、いったん停車して、水分と塩分を補給し、足をほぐす。ここまできて無理をすることはない。
あと50mくらい先の駐車スペースにいる地元の人が、登り行くサイクリストたちに、「あと少しで峠で~す」と応援の声をかけている。
…しかし、この「少し」が遠いんだよなあ。
そんなに勾配はないはずだが、やたらに勾配を感じる坂を越えて、ようやく俵山峠の駐車場チェックポイントへと到着。よれよれでございます。
先行していた田中サイクルのサポートカーから、全身に水をかけてもらい身体を冷やす。ついでに冷え冷えのおしぼりで顔をぬぐうと、元気が回復してきた。
俵山峠は、西側から見る阿蘇五岳の景色を楽しめる。ここからの阿蘇内輪山の眺めは、大観望からの「寝観音」に匹敵する絶景だと思う。
俵山峠を越えたころには、Aコース参加者600名も相当にばらけているので、他に人を見ることなき状態で、一人いっしんに下っていく。
そして県道28号線に合流してもしばらくはずっと下りが続き、やがて阿蘇盆地のフラットな道になる。役場前の交差点で右折し、さてこれからが最後の関門、アスペクタへの登り道である。
前半の2つの峠を越えて昼食会場のアスペクタへ戻るとき、この登り道が疲労の残った足には、非常にハードな道であることを知った。そして午後、さらに2つの峠を越えて疲労がより蓄積した足にとって、3kmで150mを登るこの道は、やはり予想通りのハードルートであった。
「4つの峠越え」が阿蘇望のウリであるが、私的には阿蘇望は「4+0.5の峠越え」であったことよ。
それでも懸命にペダルを漕いでいくうち、確実にゴールは近づいてくる。
頑張った人にしか得られない、きついなかに満ちて来る、あの高揚感を感じながら会場へと入っていった。
阿蘇望、最後まで楽はさせてくれない。
阿蘇望のゴールの最終路は、コース一番の激坂である。ここを最後の頑張りとばかり、ペダルを回し、ようやくゴール。
到着時刻は午後4時40分。無事に制限時間内に完走できました。121.7kmの距離を7時間15分かけて走破。実走行時間は6時間9分であり、平均時速は19.8km。
自分としては満足いく数字である。
緑と白の横縞ユニフォームの延岡チームは私のあとを数人走っていたが、制限時間以内に順次ゴール。
出場者10名のうち、9名は完走。残る一人も峠は4つ越えることができ、実質上はみな完走である。今回の阿蘇望は例年よりも条件が厳しかったらしく、完走率は58%という低い値だったが、延岡チーム、県北は坂がおおいせいか、みんな鍛えが入っているなあ。
ゴールする人を眺めているうち、回収車も登場。
リタイヤした人と自転車を回収する回収車って、小型バスみたいなものばかり見ていたが、ここではトラックである。なんか斬新な印象。
車種はともかくとして、これに乗る羽目にならなくてよかったなり。
午後5時を過ぎて、延岡チームは撤収。
車での帰り道、高千穂あたりから雲行きがあやしくなり、雷とともに土砂降りの豪雨となった。
時間が少しばかりずれていたら、この豪雨は阿蘇望直撃だったわけであり、当然サイクリングは途中中止となっていたわけで、これは幸運であった。
延岡チーム、参加者と応援隊は延岡に戻って、田中サイクルにて打ち上げの宴会である。
暑くとも、つらくとも、苦しくとも、それをやり遂げれば確実に喜びが湧くというものがあり、阿蘇望はまさにそれであった。持てる力を出し切ったという満足感と充実感は、何にもまして得難いものだ。
もっとも、では来年も出るかといえば、それは微妙なのだが。
やがて宴は終わり、コンロの火も消されていく。
こうして、平成23年私の夏は終わった。
あの暑い中、自転車を漕ぎ、坂を登っていた日々は、既に過去のものとなり、…さて次はなにをしようかな。
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阿蘇望@2011年(1)
7月下旬という最も暑い時期に、大きな峠を4つ越え、獲得標高3000m、そして120kmの距離を制限時間8時間以内で走るという、少々常軌を逸したサイクルイベント「阿蘇望」。
自転車をやりだして最初その存在を知ったときは、「世の中には、そういうものに敢えて参加する、物好きな人たちがいるんだなあ」程度に思っていた。しかしながら九州在住のサイクリストとして、「阿蘇望」の存在感がだんだんと心のなかで存在感を増してきて、どんなものであろうか一回は経験しないといけないイベントと思うようになってきた。
というわけで、「阿蘇望」に初チャレンジをした。
スタートは南阿蘇のアスペクタから。
我慢比べ大会みたいな阿蘇望といえど、参加希望者は多く、4峠越えのAコースは600名もの参加者である。道が狭いのと、人数が多いことから、50名ずつ数分ごとに時間を分けてのスタートとなるが、最後尾近くになると30分送れのスタートとなる。しかし締切り時間はみな同じ午後5時なので、これは後ろで出発する人にとってけっこうなハンデになるのでは。
アスペクタからの坂を阿蘇盆地まで下りて、国道325号線へ入る。ローソンのあるところの角である。
ここから見える阿蘇内輪山への道、阿蘇登山道の坂を登っていく。
草千里までの坂は舗装路の整備もよく、傾斜もさほどないことから、それほど疲労感は感じない坂である。
坂に入れば、だいたいみな同じようなスピードとなり、まっすぐ続く坂に、サイクリストたちが長い列をつくって巡航している姿は、けっこう壮観である。
牧草地の広がる阿蘇の風景を眺めながら、登りが一段落したところが火の山トンネルである。811mもある長く暗いトンネルで、なにか事故が起きるとしたらここだろうと思い慎重に通る。
トンネルのなかは外の世界と比べ、ずいぶんとひんやりしており、暑いときは快適そのものであるが、これはサイクリストにしか知らない世界でもある。
中岳ロープウェイ入口から草千里までの阿蘇パノラマラインは、いったんは下り坂となり、速度を出せるところだ。
ここでギアチェンジを間違え、チェーンが外れてしまい、はめなおした。
…今度のサイクリングでは、マシントラブルは幸いこの一回だけであった。
まあ今回は、ありがたいことに延岡チームのサボートカーが走っているので少々のトラブルは問題ないのだけど、トラブルはないにこしたことはない。
阿蘇登山道を登りつめたところが草千里展望所である。
眺めのよいところなので、サイクリストがたくさん休憩していると思いきや、大半は止まることもなく、さっさと峠を下っていっている。
そして、「阿蘇望」参加者たちは山の登り下りに慣れているのか、下りが滅法速かった。サイクリング大会にはいろいろ出たが、ここまでダウンヒルで自転車を飛ばす人が多い大会は初めて経験した。
第一の峠を越えて、おそろしくスピードを出すサイクリストたちに、ぶんぶん追い抜かれながら、阿蘇盆地まで下り、第一エイドの竹原牧場にと着く。
まだ午前中で、さほど気温はあがっていないが、「阿蘇望」は熱中症には十分すぎるほど気をつける必要があるので、各エイドで、冷たい水をしっかりと飲むことにする。
国道57号線に入らず、ショートカットするような形で県道265号線に入り、第2の峠箱石峠を目指す。
この道も阿蘇の雄大な風景を楽しめる道である。
峻嶮な根子岳の姿が大きく、近づいて見えて来たころに、箱石峠に到着である。
ここで最初のチェックがあり、そのチェック表を見ると、私は全体の半分くらいの位置にいるみたいであった。
箱石峠から今登った道を振り返る。その奥には阿蘇五岳の、根子岳、高岳、中岳の勇壮な姿を見ることができる。
ここから高森へ向けて、小刻みなアップダウンを繰り返したのち、下りの道に入り、県道265号線からわき道にはいって、別荘地を通ったのち、白水へと下り、行きに通ったローソンの角を直進して、アスペクタへと戻る。
昼食会場アスペクタへは午後1時に着。速くもなく、遅くもないペースである。
昼食は熊本名物「ダゴ汁」に「お握り」。
こういう大会にしては意外と塩分ひかえめな味付けで、おいしかった。
しかしもっとおいしかったのは、大きなバケツのなかに冷水につけられていた地元取れたてのキュウリであり、甘みも旨みも十分で、そして清涼感たっぷりであった。
食事をとったのちは、さて残りの2つの峠を越えねばならない。
午前中の峠越えは、プロローグであり、ウォーミングアップみたいなものなので、これからが本番である。
午後になり暑さは増すだろうし、地蔵峠はもっとも手強い坂だ。
気合いを入れて、出発しよう。
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July 23, 2011
串焼れん@延岡市
延岡で卸しの仕事をしているSさんに会ったとき、近頃のお勧めの店をたずねると、「串焼れん」はいい素材をいれているから、まだ行ったことはないなら一度は行ってみてはどうでしょうと言われたので、行ってみた。
串焼れんは食べログに地図が載っていたので、それを頭に入れて訪れてみたが、…よく分からん。写真で示せば、自販機の横にある店がそれなのだが、看板もないし、雰囲気がBarみたいなので、容易に串焼き店とは分からず、初見でぶらっと入れるような店ではないな。
串焼れんは、元々は街の中心地近くにあった店であり、そのときのお客さんの流れがあるそうだ。
店内はこのようにカウンター、それにテーブル席がいくつかと、外観通りにBarのような雰囲気である。
串焼きはたしかに素材が良かった。
それこそ刺身に使えるような鶏肉が、内部にレアな感じを残したまま、ぷりぷりした食感で焼かれている。タレもきつすぎることはなく、素材の味をうまく生かしている。
ちかごろ、串焼きといえば、味も食感も鈍重な居酒屋メニューのものばかり食べていたので、こういうきちんとした串焼きは新鮮であった。
これは、なかなかの良店である。
July 22, 2011
映画:コクリコ坂から
ジブリのアニメは背景の絵の美しさに安定感があり、その見事さにはいつも感心している。
「コクリコ坂から」の監督宮崎吾朗氏の前作「ゲド戦記」は、箸にも棒にもかからない駄作であったが、それでも主人公アレンの旅して訪れる港町の風景など、その風景だけで重層な物語をつくっている、そういう存在感があった。
物語の脚本が駄目でも、絵で客を唸らせる、そういうところが、日本最大のアニメ工房ジブリの実力であろう。
というわけで、ジブリの新作「コクリコ坂から」、特に前知識もないまま観てみた。
あらすじといえば、あってなきがごときもので、要は昭和30年代の青春物語である。純真な男女高校生の恋愛物語に、高校の象徴的存在である学生会館の存続問題がからむ。
後者に関しては、学生のノリに関してはほとんど旧制高校の世界であり、…ただし物語の背景は昭和30年代なので、そのころの新制高校には、旧制高校の精神が受け継がれていたようなことが、だいぶ前に読んだ畑正憲氏の「ムツゴロウの青春記」に書かれていたので、時代考証的には間違っていないか。
昭和30年代って、日本にとっては微妙な時代であって、ここで語られるべきことは多いのだろうが、とりあえずは不便な時代ではあったようである。
でもその不便な時代に、人々は懸命に生きてきた。その懸命な生き方を経てきたのが、いわゆる団塊の世代なのであって、今の若い世代がその団塊の世代を理解するのに一助になる映画でもないのかなとも思った。
そういう雑感はともかくとして、「コクリコ坂から」の絵はよかったと思う。
たとえば冒頭に挙げた、物語の舞台となる、横浜の坂の情景。横浜独自の洋館が点在する街の風景、坂のさきには海が広がり、そこに船々がいきかっている。
いくつもの豊かな物語を内包している風景。それを見られるだけでも、この映画は観る価値があると思う。
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コクリコ坂から 公式サイト
July 19, 2011
台風一過の夕方
月曜日の朝から強風が吹き荒れ、それが一日以上も続き、ずっと強風が吹いていた。台風6号のせいとは分かっていても、ここまで風が吹く台風など初めて経験した。
今年の日本の気象は、なんでもありの世界に突入しているようだ。
夕方になってようやく風は弱くなり、大型台風の圏域からは離れたみたいであった。
それで外に出てみると、なんとも異様な、空全体が薄い朱色に染まった、これも初めて見るような夕空が広がっていた。
本来、夕焼けを構成すべき空の塵のたぐいが台風に吹き払われ、空全体の水蒸気に光が拡散し、こういう風景になっているとは思われる。しかし、空全体が朱に染まった景色は、美しくはあれど、なにか大きな不幸を秘めているような、見ていて気持ちのよいものではなかった。
July 17, 2011
光洋@7月中旬
蒸し暑いなか、自転車で山に登り、エネルギーを消費したのちは、なにかこう「濃い目」のものが食いたくなる。
光洋にいいマグロが入ったとのことであったので、光洋にマグロを食いに行った。
本マグロの旬はいつからかといえば、秋が過ぎてからだろうし、今の時期はマグロの爽やかさを楽しむべきものなのだろうが、境港で揚がったという、このマグロの味はすでに旬のものに近い豊かなもの。さすが藤田水産のマグロは、一味違うというところか。
シンコもあった。
月はじめのものから比べると、当然ながら大きくはなってきている。これは6枚ヅケであり、やはりシンコの香りがまずは特徴的。
その他、美味い肴、美味い鮨を食っていると、かなり飲み過ぎてしまった。
明日は早朝から女子サッカーWC決勝があり、早起きしないといけないので、セーブするつもりだったのだが、…酒飲みとは、美味いものがあるとどうしても飲んでしまうんだよなあ。
行縢山周回コース
国道218号線から行縢山神社へ向けての坂を登り、山麓を走って、祝子川沿いの県道207号線に下りていくルートは、眺めもよく、それなりに変化もあるので、延岡郊外のサイクリングコースとしてはお勧めものである。
行縢山が大きく見えて来たころから、坂が始まる。
一時期は涸れかけていた行縢の滝も、近頃大量に降った雨のおかげで、豊かな水量を取り戻しているのが遠目にも分かる。
行縢山の登山口でもある、行縢山神社。
ここを過ぎて、人家が見えて来ると、坂の勾配がきつくなってくる。
このルートの最高点は標高380mほど。
林道岡富山線が合流するところで、ほぼその高さとなる。
なお、この林道はこの地点では舗装路であるが、しばらく進めば未舗装の悪路になるので、ロードバイクでは通行不能である。
先のところを過ぎて200mほど走ったところに展望所がある。
延岡市、それに日向灘を一望することができる。
このあとは県道207号線まで、ずっと下り道となる。
そのまま県道207号線をたどって帰るのも面白くなかったので、もう一登りして、宇和田トンネルを越えて延岡市街地に入った。
このルートは、こきざみなアップダウンが多く、単調でないところがよろしい。
July 15, 2011
July 14, 2011
花やかな月
蒸し暑い夜をうろちょろと歩いていて、ふと目を上げると、湿気の多い大気のなか、雲を通して光を投げかける月が、天空のなか妙に美しい。
ほぼ満月に近い月。雲と湿気を通して、月は静かに大地に光を放つ。
月の光は、優しく、穏やかで、なにか人に訴えるものがある。
月の光の、この恩恵ともいえる優しさは、…これを表現した素晴らしい詩を私たちは持っている。
ここで、萩原朔太郎の詩「家畜」を紹介しよう。
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「家畜」 作・萩原朔太郎
花やかな月が空にのぼった
げに大地のあかるいことは。
小さな白い羊たちよ
いえの屋根の下にお這入り
しづかに涙ぐましく動物の足調子をふんで。
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家畜の羊たちは、昼間のうちは、牧草地に出て、懸命に野草を食べていたのである。そしてその食事が終わったころ、日は暮れ、花やかな月が空に登った。
そこで降り注ぐ優しい月の光は、大地に注ぎ、そして羊たちにも注ぐ。
日々の日課の生活に倦んでいた羊たちは、その月の光の美しさ、優しさに心を満たされ、軽々しいステップを踏んで、元の畜舎に戻っていく。
日々生きていけば、このような美しい月に会え、そして生きていく力も湧いてくるのである。詩人が書いたように、月の光を浴びた羊たちは「しづかで涙ぐましい」ステップを踏み、歩んでいく。
詩人は敢えて羊を題材にしたが、羊に限らず、「花やかな月」を見たものは、そこから、たしかな力をもらうことができる。
今夜、私はいいものを見せてもらった。
July 10, 2011
克服すべき敵は坂ではない、太陽である @猛暑日のサイクリング
高気圧が日本全国に張り出し、九州は気温35度を超える猛暑日である。
こういう暑いとき、炎天下のもとでスポーツをやろうなんてのは、かなり無理があるのだが、それでも今日は坂を登ろう。
目的地は、延岡近郊で最も高い坂を登れるETOランドとする。
大瀬川沿いの道を走ると、西の彼方に、本日の目的地であるETOランドがある速日の峰が見える。坂の取り付きに着くまでも、けっこう距離があるのである。
九州脊梁山地の六つの峰を巡る六峰街道には、そこに至る入り口がたくさんあるが、この北方から入る道が、六峰街道そのものである。
約700mの高さを、9kmの距離をかけて、じっくり登って行こう。
じっくり登って行こう、とか書いたが、1kmも進まぬうちにバテてきた。
なにしろ今日は猛暑日。日陰でさえ35度を超えているのに、炎天下のもと、稚直射日光を浴びながらの道は、軽く40度を超えているはず。汗は吹き出し、心拍数は増し、呼吸も苦しくなってくる。
さすがにノンストップで登ることなど無理で、2~3kmごとに休憩をとって、心臓を休ませて、水分も多量に補給する必要があった。
こうなると、サイクリングというスポーツでなく、まったく別の範疇の競技、…我慢比べ大会のごときものに化している気がしてきた。
私はこの道を何度も登ったことはあるが、こんなにきつかった経験はない。
いかなる坂も根性で克服できるものと思っていたが、そうでもなさそうだ。
夏のサイクリングでは、克服すべき敵は、坂ではなくなる。克服すべき敵は、天上でギラギラと輝く太陽である。この太陽が激しく浴びせかける熱線に打ち勝つ体力と気力がなければ、真夏のヒルクライムなんてとても完遂はできないな。
へろへろ、へとへとになりながら、なんとかETOランド到着。
先週もあじさいロード経由でここに登ったが、あじさいロードのほうがハードな坂なのに、今日のほうがはるかにきつかった。やはり坂よりも、太陽のほうが、ヒルクライムにとって重要な因子になるみたいだ。
真夏にETOランドに登ることなんて、もう金輪際やらないから、今度のサイクリングが、わが人生で最もきつかったETOランド行になる。
帰りは元来た道をたどらず、国道218号線へと出た。北方に戻ると、延岡まで坂をいくつも越えねばならず、こっちに出たほうが帰るのに楽だからである。
ここの坂も、またハードな坂である。明らかに10%を越えている。
先週、延岡チームのキヨシさんは、北方からETOランドに登ったのち、こちらに下って、またETOランドへ登り返したそうだが、たいしたものです。これが行けるなら、阿蘇望Bコースはぜんぜん問題ないでしょう。
私のほうは、猛暑のサイクリングにめげて、阿蘇望Aコース完走は心のなかで赤信号が点りつつあるところだ。
July 09, 2011
山の中のカレー:祝子川温泉・美人の湯@延岡市大崩山麓
梅雨が明けて、暑いことに関して暑いと言うのも、暑いと考えるも嫌になるくらい、暑い日が続いている。
暑い、暑い、暑い………
暑いときは、暑さを逃れるために、空調の利いた屋内でのんびりと過ごすのが、心身ともによろしいはずだが、今夏は暑さに対抗する必要があり、今日も自転車で外へと行かねばならない。
さて、どこに行くべきか。
とりあえず昼飯を食いに行こう。
そして、ネット情報で、大崩山の登山基地みたいな祝子川温泉施設「美人の湯」で、カレーの新メニューが出来たという情報を得たので、それを目当てにサイクリングすることにした。
延岡発で出発であるが、途中の延岡中心街の「山下新天街」は、七夕祭りであった。
普段は寂れているアーケード街であるが、こういうときは活気がある。
この活気を持続させて、大型商業施設に負けぬ集客力を持っていってもらいたいものとか思う。
山下新天街を少し出たところで、大崩山に向かうオリンピアロードが始まり、それに沿って、緩い傾斜の登り道を走っていけば、やがて祝子川ダムにたどり着く。
ここからは大崩山を見ることができる。
…オリンピアロードって、旭化成のマラソン選手が練習用に使っていて、ここを走った選手たちがオリンピックに出場したという、由緒ある道である。
マラソン用の練習道だけあって、自転車で走るぶんにはたいした疲労のある道ではないのだが、梅雨明けで気温が30度を超える環境では、すごくきつかった。
いつもなら単なる通過点の祝子川ダムも、今回ばかりは、やっとここまでたどり着いたかという、妙な感慨を持ってしまった。
祝子川ダムからも、ちょっとしたアップダウンはあるのだが、なんとかそれをクリアして、本日の目的地「美人の湯」に到着。
ここは、九州一の名山である大崩山の麓にあり、その登山基地になっているような施設だ。
「美人の湯」は、温泉施設であるが、食事処も併設されている。
食事処は、天井が高く、広々とした空間を持ち、山岳地帯の旧家のような雰囲気がある。
今日は新メニュー「キーマカレー」を楽しむ予定であったが、…あれ、メニューにない。よく聞くと、これは7月16日からなのであった。あとでみるとネットでもそういう情報であり、私のフライングであった。
それで、予定を変更して、激辛カレーを注文する。
美人の湯は、「温泉」と「大崩山」をメインとしているが、それだけでは集客力に難があるので、料理長が食事にも力を入れている。
その料理長作の自慢料理の一つが、辛~いカレーであり、メニューにこの激辛カレーがある。
スパイスのバランスも丁度いい、辛さをうまくまとめているカレーである。
辛いカレーには裏メニューがあり、超激辛ヴァージョンもある。「悶絶カレー」というカレーがそれで、料理長に直接頼めば出てくるそうだ。
激辛カレーが、なかなかいい出来のカレーなので、私も今度それを頼んでみようかな。
疲れた身体に元気がよみがえるような激辛カレーを食い、さて、帰りは坂を上り返すルートで帰ろうかなあとも思ったが、外に出て自転車に乗った途端、あまりの暑さに坂など上る気力も起きず、結局はもと来た道をただただ下っていった。
July 06, 2011
夏のふじ木@宮崎市
宮崎市の和食店「ふじ木」にて、夏の和食を楽しむ。
夏は暑い。でも暑いものを暑いと言っていてもしかたなく、その暑さのなかで涼しげな食事をとれば、気分も良くなってくる。今回はそういう食事の数々。
水貝と野菜を氷水に浮かべて。水貝の磯の香が鮮やかである。硬く歯ごたえある食感も愉しい。
それに旬の蓴菜も。蓴菜独自のぬるぬるした食感が、食欲を高めてくれる。
夏はやはりそうめん。
というわけで、鯛そうめん。こういう煮麺スタイルはすこし珍しいか。
出汁も鯛の味がよく利いている。
これはフカの造り。
山陰とかで出てくる独特のにおいがあるものではなく、獲れたての新鮮そのもののフカを用いた造りなので、それとは違った、純粋なフカの香りと味がする。
造りのもう一皿は、牡丹エビと中トロ。
牡丹エビはこうやって冷やすのが、一番甘さと旨さが分かる気がする。
本日のメインはノドグロ。
ただし珍しくノドグロの中落ちである。
ノドグロは柔らかな身が特徴であるけど、中落ちだと、それとは違った食感が楽しめた。
冬瓜、茄子、それに鴨肉。
どれも鮮やかで、かつ清涼感あふれる料理である。
〆は宮崎名物、冷や汁。
本来は家庭料理である冷や汁も、ふじ木で、良質な魚と野菜、それに味噌を使って作られた冷や汁は、立派な和料理となっているのであった。
いつもながらの、良い素材と、確かな技術のふじ木の料理であった。
July 05, 2011
光洋でシンコを食う@2011年
鮨の初夏の季節ものといえば、やはりシンコである。
鮨種の代表コハダの幼魚シンコを食って、ああ初夏だなあと思う鮨好きの人は多いはず。
そのシンコが光洋に入ったとの情報を得て、光洋へと行ってきた。
このシンコは福岡の卸しに入ったもので、なぜか福岡で買い手がつかず、それならと急遽宮崎まで送られてきたものである。
まだ金魚サイズの小ささが問題だったのかな?
金魚サイズゆえ、シンコは8枚づけで供される。
味は淡く、旨みも乏しいが、それでも、いやそれだからこそシンコの爽やかな香りが口中いっぱいに広がってくる。
シンコが獲れるときは、漁師はシンコ漁のほうに没頭するため、コハダが入手困難になることが多いが、今回はコハダもあった。
身の旨み、そして酢と塩の味。
…まあ、鮨そのものしては、こっちのほうが美味いな。でも、シンコは鮨の祭りみたいなものなので、やはり初夏はシンコを食わねば、すっきりとしない。
鮨は美味かったが、肴もけっこう良かった。
そのなかでももっとも秀逸であったのが、トロメヒカリの塩焼き。
宮崎県北の名物メヒカリは体長15cmほどの深海魚であるが、このトロメヒカリはそれより二周りほど大きいメヒカリである。
珍しい魚であり、県北の漁港では本日は二匹しか揚がらず、その二匹を仕入れたとのこと。
上品な脂と、ホクホクホコホコした身の食感がたいへんよろしい。
これはメヒカリ以上に名物になれそうな逸品だと思うけど、量が取れないのなら、名物になるのは難しいか。
July 04, 2011
不思議物件:大善自然公園@六峰街道
宮崎県北を代表する山岳道路「六峰街道」には、いろいろとランドマークがあるのであるが、そのなかで一番異彩を放っており、不思議物件そのものなのが「大善自然公園」であろう。
がっちりとした造りの門の御影石に「大善自然公園」と名称が彫られ、鉄製の扉の両脇には二つの大きな象の石像が置かれており、あやしい雰囲気がぷんぷんと漂っている。
門の上方にはいくつも彫像が並べられており、「大善」という名前、その雰囲気から、なにかの新興宗教の施設のたぐいに感じられる。
この「大善自然公園」、いつもは扉が固く閉ざされており、奥を窺うこともできなかったのであるが、本日前を通り過ぎると、…あれ? 門が開いている。
そして門の向うに、薄いピンク色の作業着を着た門番らしき初老の方がいたので、自転車を立て掛けさせていただき、ちょいと雑談をさせてもらった。
この公園っていったいなんなのでしょう?とたずねると、まさに公園なのである。人集い、人憩う場所の作成のために、いろいろとモニュメントを建てながら、造成工事をやっているところであり、既に何十年という月日をかけて建築中なのだそうだ。そして、あと数年したら公開できるかなあ、とのことであった。
ここはいいところでしょう。下界の延岡は今は暑いだろうけど、ここだと7度は気温も下がるので、夏でも快適に過ごすことができる、と自慢する。
そして本日は、敷地内で翔ぶ蛍の見物のために、数十人のお客さんが来るので、それで門を開けて待っているとのこと。
そういう会話をしているうち、車のエンジン音が聞こえてきて、まさにその「お客さん」が高級車に乗って門に入って来た。そしてそのお客さんと門番氏との会話を聞くうち、…その人はじつは門番ではなく、この公園の所有者らしきことが分かった。
う~む。すごいですねえ。
人里離れた静かな地に、自分の理想とする公園を、私財をかけてコツコツと作っていく。男のロマンだなあ。
ところで六峰街道の公園といえば、第3セクターによるETOランドがある。
個人の金でなく、官の金を使って造られたものは、いかに無計画であり、いかに赤字を垂れ流してしまうかの見本のような施設である。
ETOランドはこのまま延岡市の財政の足を引っ張り続けるわけにもいかず、いずれは廃園となるのであろうが、それを横目に、「大善自然公園」が開園した日には、知る人ぞ知る、六峰街道の隠れた人気スポットになるのであろう。
July 03, 2011
桃源郷岬@紫陽花の時期は過ぎていた
県北の紫陽花の名所といえば、「椎野あじさいロード」と「遠見半島の桃源郷岬」。
昨日「あじさいロード」を走ったので、本日は桃源郷岬へと自転車を走らせる。
門川から遠見半島に入って、やがて300m近くの高さを登る遠見半島の登り坂が始まるのだが、…暑くてきついよお。
7月なので気温は30度を超えているし、湿度も高いし、自転車漕ぐたびに力が抜けていくような、そんな感じである。
この道は以前にクロスバイクで登ったことはあるが、こんなにきつかった記憶はなく、やはり自転車にとって暑さは大敵だということを、昨日同様に思う次第。
遠見山へ登っていくと、道の分岐点が現れ、まっすぐ行くと桃源郷岬である。
その道に入れば、すぐに未舗装のオフロードとなり、ここは自転車を押して歩いていく。
やがて桃源郷岬へ到着。
ここで入園料500円を払うのであるが、今日から無料とのこと。
そのわけは…
丘より見下ろす紫陽花園。
なんと紫陽花は盛りを過ぎたため、今日から花の刈り入れが始まってしまった。それで無料となったのである。
こういうぐあいに紫陽花の花は切られていた。
北郷のあじさいロードのほうは今からが紫陽花の盛りであったけど、こちらは標高が低いぶん、花の時期が早かったみたい。
紫陽花の時期は外し、紫陽花の花々は見損ねたが、それでも桃源郷岬から望む日向灘の景色は、広々と四国まで海が広がっていく、なかなかの絶景である。
写真に写っている日向灘に浮かぶ小さな島、枇榔島は、カンムリウミスズメという珍鳥が群生していることで有名である。そのため、島そのものが天然記念物となっている。
桃源郷岬を散策したのちは、元の分岐点に戻り、遠見山へと登ってみた。
遠見山は標高308m。
宮崎の海岸線、日向灘、宮崎の山々を一望できる、絶好の展望所である。
いつも人少なき地ではあるが、たぶん門川町の花火祭りのときだけは、人が大勢集まっているのでは。
風景をぞんぶんに楽しんだのちは、元来た道を引き返していくのみ。
…この時期のヒルクライム、やはり暑さ対策が問題だなと改めて思った。
July 02, 2011
あじさいロード
六峰街道に登る道は幾ルートもあるが、そのなかで一番勾配がきついのが、北郷区椎野のあじさいロードである。
この道は、あじさいロードと名付けられているように、道の傍には紫陽花が植えられ、そしてところどころに紫陽花の公園があるという、紫陽花だらけの道である。
今はちょうど紫陽花の花盛りであり、ここを登ってみることにした。
あじさいロードは宇納間神社を右手に曲がり、川に沿って、道なりに登っていくとやがて入り口が見える。
ここがあじさいロードの入り口である。
さっそく紫陽花も咲いている。
ここからは急傾斜が続いていく。ずっと続く急傾斜に、いいかげんに嫌気がさしてくる頃、傾斜が緩み、田圃が見えて、そして紫陽花がたくさん植えられているところへと出る。
ここでひと休憩したあと、また登っていく。
このあたりは人家もあるところであり、坂の傾斜も緩く、たくさん咲いている紫陽花の花を眺めながらの、愉しいサイクリングである。
そしてその紫陽花畑が終わったところから、また激坂が始まる。
坂そのものがきついのに加え、梅雨明けの7月ということで、暑さが半端でない。体力をはげしく浪費しながら、息もたえだえという感じでなんとかスカイロッジ銀河村までたどり着いた。
ここで激坂は終了であり、あとは普通の勾配の坂となる。
スカイロッジ銀河村を越えたのちは、六峰街道に入り、少々のアップダウンを繰り返しながら、ETOランドに到着。
大風車が、低周波音を鳴らしながら、ゆっくりと回っている。
ETOランドからは北方経由で延岡までひたすら下りていく。
大瀬川まで来た頃、日が暮れた。夕日と、それに行縢山。
紫陽花見物と、阿蘇望トレーニングを兼ねてのサイクリングであったが、とにかく暑くてきつかった。
このルートは以前、涼しい時期にクロスバイクで登ったことがあるけど、その時と比べて今回はずっと体力を要した。
やはりサイクリングにとって、暑さは大敵と実感。
なんか、阿蘇望完走する自信がいっきょになくなってしまった。