愛宕山の伝説 -古代史ロマン
延岡のランドマーク愛宕山には伝説があり、それが展望公園の案内板に書かれている。それによると、「天孫ニニギノミコトが笠沙の岬(=愛宕山)に到来し、ここで妻となるコノハナサクヤヒメと出会った」とのことである。
日本書記および古事記から神話的装飾をあえて外して天孫一族の足取りをたどれば、彼らは「笠沙の岬に上陸し、それから高千穂の地で勢力を増してから、日向の地に下りてきて、さらに勢力を増したのち美々津の岬から東征へ船出していった」ということになる。
その天孫一族上陸の地「笠沙の岬」こそ、現在の愛宕山というわけなのだが、…これにはずいぶんと無理がある。そういう無理なことを、堂々と案内板に載せるのもいかがなものかと思わぬこともないが、…まあ神話でそういうことになっているので、いいといえばいいか。
天孫一族の足取りは、すなわち弥生文化―稲作文化の広がりと一致する。
稲作文化は東南アジアを発祥の地とする。これが九州に渡ってきて、それから全国へ広がっていった。中国から日本への文化伝達のルートは、中国→朝鮮半島→壱岐対馬→九州がメインルートであるが、稲作文化に関してはそのルートではないことが、近年の学術的調査から判明している。
稲作文化は朝鮮半島を経由せずに、直接九州に伝わっている。
そのルートであるが、中国南部から船を出して海流に乗ると、だいたい鹿児島の薩摩半島の野間岬あたりに着くようになっている。たとえば中国南部から出港して遭難した鑑真和上はそこに漂着しているし、またマカオ発で日本を目指したフランシスコ・サビエルも同じようなところに上陸している。
数百年もあいだに幾度も幾度も行われた、中国南部からの九州への船旅を行った者たちのなかに、天孫一族がいたことは間違いなく、この渡航者たちのなかで歴史を伝える力を持っていた天孫一族によって、あいまいな形ながら、いかなるルートで彼らの文化が広がっていったかが記録に残された。
新文化の到来の記録として、九州には天孫降臨の伝承のある地は二つほどあるが、海を渡っての天孫上陸の伝承の残る地は一つしかない。それは、やはり中国からの船旅の到着点である野間岬周辺であり、現在の鹿児島県南さつま市笠沙町である。
地理的条件からも、伝承からも、神話に伝わる「笠沙の岬」は、ここと断定してよいであろう。
笠沙の岬に上陸した天孫一族の移動を地図で現わせばこういう感じとなる。
笠沙に上陸した一族がその近傍である鹿児島や熊本南部で勢力を持てなかったのは、そこが稲作に適した地でなかったということより、そこには隼人族や熊襲族などの、強力な土着の縄文族が勢力をふるっており、そこでの生存競争には打ち勝てなかったからであろう。
そして一族は長い旅ののち、高千穂~阿蘇に安住の地を持ち、そこで勢力を蓄える。その後一族は海沿いの日向に出てさらに力を強くさせ、それから東へ向けさらに勢力を拡大させていったというのが神話に伝わる、天孫一族の行跡である。
さて、もし延岡の愛宕山が、伝説の笠沙の岬とすると、天孫一族は図のごとき行跡をたどったことになる。
明らかに、これはあり得ない。
中国南部から九州を目指した場合、この日向灘の愛宕山に着くまでには、関門海峡というものが途中にあって、九州上陸が目的なら、彼らはこの周囲で北部九州に上陸するはずであり、日向の地までわざわざ来る理由がない。
ではなぜ愛宕山が、笠沙の岬と伝えられるようになったのだろう?
日向の地に天孫一族が居住していたことは歴史的事実である。
愛宕の山が上陸の地「笠沙の岬」ではないにせよ、この延岡の地でひときわ目立つランドマークがなんらの信仰を受けていたのは間違いなかろう。
日向の地には愛宕山以外にも、天孫一族に関与した伝説を持つ山が多く、
(1) 行縢山:クマソタケルが住んでいたとされる
(2) 可愛岳:ニニギノミコトの御稜とされる
(3) 速日の峰:ニギハヤノミコトの降臨した山とされる
と、延岡から見ることのできるほとんどの山に、その手の伝説が残っている。
笠沙の岬にしろ、クマソタケルの地にしろ、実際の場所は鹿児島なので、日向とは相当に離れている。それなのに、そのような伝説が残されたのは、おそらく遠い日々に行われた先祖の大遠征を記憶に残すために、これらの地にその古き伝説を付与し、遠征のミニチュア版を今住んでいるところにつくることによって、一族の記憶を紡いできたのでは、などと私は思っている。
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