読書:錯覚の科学 (著) C・チャブリンス D・シモンズ
私たちが認識している世界は、その個人の記憶の集合によって成り立っているものである。しかし、それが本当に正しいかを第3者が検証すると、なんの根拠もない、虚なるものである可能性が満ちている。
記憶とは、じつはとても頼りにならない、あやふやなものなのである。
「錯覚の科学」では、よく知られている、知性高き人、冷静冷徹な人が、どうしてこんな初歩的な間違いをしてしまうのだろうという実例が、イヤというほどに並べられ、我々の世界が、相当にあやふやな記憶によって成り立っていることが思い知らされる。
記憶があやふやになるのは、つまりは錯覚による。
本書によれば、錯覚はだいたい5種類に分けられる。それは「記憶の錯覚」「理解の錯覚」「自信の錯覚」「理由の錯覚」「隠れた才能の錯覚」に依るものと分析される。
そして、その錯覚がなぜ生じるかといえば、結局は人間の脳が、多量に流れ込む情報を、きちんと処理できる能力がないことであることを、本書は理路整然と説明する。
ここまできちんと説明されると、本書で語られている現実上の錯覚した人たちを笑っている余裕はなく、自分自身、自分の今までの記憶は本当に正しいものなんだろうか、と自己不信に陥ったりしそうになってしまう。
とはいえ、人間が錯覚するのは、べつに困ったことでもないと私は思う。
完璧な記憶、完璧な情報の分析力が、人間に備えられたとしたら、もはやそれは人間でなく、人間の一つか二つ上の存在であり、神にも近いような存在であり、そういう存在に自分がなりたいかと言えば、…なりたいですか?
ところで、本書の一番面白く、タメになるのは脳のトレーニングの章。
私たちの脳は、たしかに能力は低いようである。それでもそれを鍛えたい気持ちは、誰もが持っている。
実際の話、人間は年を取ると、記憶の減衰に誰しも悩む。特に固有名詞がそうであり、人の名前、物の名前が、覚えたはずがどんどん飛んでいってしまう。
これは40歳を越えた者の普遍的悩みであり、私の周りの者はみなそう言うし、私だってそれが悩みだ。
そのため、「脳トレーニング」というものが流行っている。
コンピュータソフトを用い、パソコンの画面上に現れる種々のクイズを解いて、頭を回転させていると脳が活性化し、物忘れも予防できるというシステムである。
このシステムは、様々なものが作られ、実践されたゆえ、…その結果も十分に得られた。
本書では、その結果を揶揄する。
脳トレーニングは、いろいろなものがあるのだが、たとえば計算を早くするソフトで勉強したものはたしかに計算が早くなった。パズルを解くソフトを勉強したものはパズルが早くなった。数独のソフトで勉強したものは数独は上手になった。詰碁を勉強したもの確かに詰碁が上手くなった。…しかし、肝心の「物忘れしなくなる」という能力は、なんら向上しなかった。
人間の脳は、そんなに応用力がなく、計算の勉強をしても、計算の能力は高くはなるが、それでも他の能力が高くなるということはなかったのである。
というわけで、記憶力の減衰に悩む中年族にとっては、巷間流行っている「脳トレーニング」は、まったく役に立たないということが立証されたわけだ。
ならば、私たちは歳をとるまま、記憶は減衰するのを嘆くしかないのか?
そんなことはないということも、本書はきちんと書いている。
脳の能力を劣化させているのは、脳という器官の劣化であり、それにはきちんと脳に酸素を与えることで、劣化のスピードを緩和できるそうである。
脳にただ情報を与える「脳トレ」でなく、普通に30分歩く有酸素運動で、脳は活発に機能するそうだ。
「脳トレ」が記憶の減衰に何ら貢献を与えなったのに対し、30分のウォーキングは有意に脳の機能をUPさせたそうである。
だから、ぼけたくなかったら、ともかく運動ですね。
運動! 運動! 運動!
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Do the test
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著者のグループが人の認識力の脆弱さを示したビデオの紹介。
本書で紹介されていたオリジナルは少し出来が悪いと思うので、その別バージョンをyoutubeから紹介。
白いユニフォームを着たチームと、黒いユニフォームを着たチームが登場。互いにボールを投げるなか、見る者は、白いチームのみのボールの受け止めの回数を数えるというもの。
それが終わったのち、改めて見ると、新たなものが分かる。
…私も、これは衝撃的であった。
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錯覚の科学
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