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May 2011の記事

May 30, 2011

読書:錯覚の科学 (著) C・チャブリンス D・シモンズ 

 私たちが認識している世界は、その個人の記憶の集合によって成り立っているものである。しかし、それが本当に正しいかを第3者が検証すると、なんの根拠もない、虚なるものである可能性が満ちている。
 記憶とは、じつはとても頼りにならない、あやふやなものなのである。

 「錯覚の科学」では、よく知られている、知性高き人、冷静冷徹な人が、どうしてこんな初歩的な間違いをしてしまうのだろうという実例が、イヤというほどに並べられ、我々の世界が、相当にあやふやな記憶によって成り立っていることが思い知らされる。

 記憶があやふやになるのは、つまりは錯覚による。
 本書によれば、錯覚はだいたい5種類に分けられる。それは「記憶の錯覚」「理解の錯覚」「自信の錯覚」「理由の錯覚」「隠れた才能の錯覚」に依るものと分析される。
 そして、その錯覚がなぜ生じるかといえば、結局は人間の脳が、多量に流れ込む情報を、きちんと処理できる能力がないことであることを、本書は理路整然と説明する。

 ここまできちんと説明されると、本書で語られている現実上の錯覚した人たちを笑っている余裕はなく、自分自身、自分の今までの記憶は本当に正しいものなんだろうか、と自己不信に陥ったりしそうになってしまう。

 とはいえ、人間が錯覚するのは、べつに困ったことでもないと私は思う。
 完璧な記憶、完璧な情報の分析力が、人間に備えられたとしたら、もはやそれは人間でなく、人間の一つか二つ上の存在であり、神にも近いような存在であり、そういう存在に自分がなりたいかと言えば、…なりたいですか?


 ところで、本書の一番面白く、タメになるのは脳のトレーニングの章。
 私たちの脳は、たしかに能力は低いようである。それでもそれを鍛えたい気持ちは、誰もが持っている。
 実際の話、人間は年を取ると、記憶の減衰に誰しも悩む。特に固有名詞がそうであり、人の名前、物の名前が、覚えたはずがどんどん飛んでいってしまう。
 これは40歳を越えた者の普遍的悩みであり、私の周りの者はみなそう言うし、私だってそれが悩みだ。

 そのため、「脳トレーニング」というものが流行っている。
 コンピュータソフトを用い、パソコンの画面上に現れる種々のクイズを解いて、頭を回転させていると脳が活性化し、物忘れも予防できるというシステムである。
 このシステムは、様々なものが作られ、実践されたゆえ、…その結果も十分に得られた。
 本書では、その結果を揶揄する。
 脳トレーニングは、いろいろなものがあるのだが、たとえば計算を早くするソフトで勉強したものはたしかに計算が早くなった。パズルを解くソフトを勉強したものはパズルが早くなった。数独のソフトで勉強したものは数独は上手になった。詰碁を勉強したもの確かに詰碁が上手くなった。…しかし、肝心の「物忘れしなくなる」という能力は、なんら向上しなかった。
 人間の脳は、そんなに応用力がなく、計算の勉強をしても、計算の能力は高くはなるが、それでも他の能力が高くなるということはなかったのである。
 というわけで、記憶力の減衰に悩む中年族にとっては、巷間流行っている「脳トレーニング」は、まったく役に立たないということが立証されたわけだ。

 ならば、私たちは歳をとるまま、記憶は減衰するのを嘆くしかないのか?

 そんなことはないということも、本書はきちんと書いている。
 脳の能力を劣化させているのは、脳という器官の劣化であり、それにはきちんと脳に酸素を与えることで、劣化のスピードを緩和できるそうである。
 脳にただ情報を与える「脳トレ」でなく、普通に30分歩く有酸素運動で、脳は活発に機能するそうだ。
 「脳トレ」が記憶の減衰に何ら貢献を与えなったのに対し、30分のウォーキングは有意に脳の機能をUPさせたそうである。

 だから、ぼけたくなかったら、ともかく運動ですね。
 運動! 運動! 運動!


 ………………………………………………
 Do the test
   
 著者のグループが人の認識力の脆弱さを示したビデオの紹介。
 本書で紹介されていたオリジナルは少し出来が悪いと思うので、その別バージョンをyoutubeから紹介。

 白いユニフォームを着たチームと、黒いユニフォームを着たチームが登場。互いにボールを投げるなか、見る者は、白いチームのみのボールの受け止めの回数を数えるというもの。
 それが終わったのち、改めて見ると、新たなものが分かる。
 …私も、これは衝撃的であった。

 ………………………………………………
 錯覚の科学 

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May 22, 2011

寿司:さわ田@銀座

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 東京鮨めぐりの〆は、銀座の「さわ田」にて。
 順番からしても、この店を〆にするのが筋がいいような気がする。

 数年ぶりに訪れたが、あれからカウンターがL字からフラットになったとの話は聞いていたけど、たしかにそのようになっていた。しかもカウンターだけでなく、店内もかなりレイアウトを変えており、名物の氷冷蔵庫や銅茶釜の位置も変わっていた。このほうが機能的ではある。

 本日は昼の鮨お任せコース。
 ざっと並べると、マコガレイ、ミズイカ、キス昆布〆、コハダ、トリガイ(2個)、シャコ(2個)、車海老(2個)、蒸アワビ、赤貝、赤身ヅケ、中トロ、大トロ、大トロ炙り、シマアジ、カツオスモーク、ヒラメ、雲丹、雲丹軍艦、アジ、烏賊印籠、小柱、穴子(塩とツメで)の26巻に、厚焼き玉子。(だったはず)

 さわ田の鮨は、それこそ目をつぶって食べても、これはさわ田の鮨と分かる、個性の強いもの。
 白身、光物、マグロ、それぞれが超一流のネタを用い、それを過度ともいえるような熟成や〆によって、徹底的に旨みを増したものを、塩と酢のよく利いた強いシャリにあわせて、なんとも独特の、「濃い」鮨のシリーズとして供される。
 これをまた個性の強い酒「磯自慢」とともに食せば、相性も抜群であり、酒飲みにはたまらない時間を過ごすことができる。
 本日も、東京のこの店でしか経験することのできない、濃厚な時間を過ごすことができた。

 さわ田の料理はたいへんインパクトの強いものであり、とくにこの店を最初に訪れたときは誰でもカルチャーショックを受けると思う。
 全国各地から築地に集められた超一流のネタを、さらに厳選したものが、次々に、これでもかこれでもか、と出されてくる。なんというか、カウンター上の晩餐とか宴という感じである。

 そして、超一流のネタを使えば、それで美味い鮨が握られるか、というのはなかなか難しい問題となる。銀座の老舗ではそれを当たり前のようにはやっているが、それはそれを確立するまでの、徒弟制度によって続けられていた伝統芸のバックアップがあるからであり、ネタにのみ頼っていれば、鮨は容易に破綻する。

 ところで、さわ田はいわゆるニューウエイブ系であり、伝統とは少し外れたところに位置する寿司店である。そのネタの考え方も独自のものがあり、そこから店主のみにしか握られない独自の鮨が考案されている、
 豪華なツマミのあと、続くこれも豪華な鮨は、店主の築きあげた技術によって、「さわ田の鮨」としかいえない絶妙のバランスを持つ鮨となっている。

 東京で鮨を食う時、「美味くて、ここでしか食えない鮨を食いたい」という人にとっては、「さわ田」は第一候補に挙がる寿司店と思う。


【手拭】
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 「さわ田」はno photoなので、お土産として持ち帰られる手拭を紹介。
 濃い鮨を食べたのち、一服の清涼感を感じられるような、スズランを描いた手拭である。

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May 21, 2011

酒:Bar P.M.9

 與兵衛で鮨を食って酒を飲んだのちの〆は、新橋のBar P.M.9にて。
 新橋駅は銀座に接しており、新橋は銀座の続きみたいなものなのだが、首都高速をくぐって新橋areaに入ると、街の雰囲気が銀座とまったく異ってしまうのが面白い。
 雰囲気は一挙に雑多になります。雑多になるのはいいが、客引きばかりが道路に満ちているのはどうしたものか、とは思うなあ。

【烏森神社】
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 新橋といえば、烏森神社にSL広場。
 まずは烏森神社へお参り。
 ここはあの大ムカデ退治で有名な俵藤太に由来する、由緒ある神社である。
 …由緒ある神社なのではあるが、私らみたいな地方人からすると、都会はずいぶんと狭いところに神社を祀るのだなあ、とか思ってしまう、そういう造りの神社であることのほうが印象深い。地方では、神社はやたらに広いところにあるのが普通であろうからして。

【Bar P.M.9 入口】
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 東京も昔から比べると、タバコに対して規制が厳しくなっているようで、Barなのに禁煙マークがついている。
 私みたいな非喫煙者からすると、たいへん有難いことであるが、Barでさえそいうことになってるんだなあ、と感心する。
 まあ、Bar P.M.9の以前あった店は「鮨処しみづ」であり、「鮨処しみづ」は以前の東京においては珍しい禁煙寿司店であったから、その流れなんではあろうけど。

【Bar P.M.9】
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 Bar P.M.9は「鮨処しみづ」が、通りの対面に移ったため、「鮨処しみづ」をそのままBarにしたものである。
 ただし、カウンターに座ったところ、前の店では入口が右手にあったのに、この店では左手にある。なんかおかしいので、聞いてみたら、カウンターから何から全部取り替えたとのことであった。

 若いバーテンデーと、女将とで切り回すこじんまりとした店である。
 女将はしみづ店主の奥さんであり、また元の店が「鮨処しみづ」であったため、客層は寿司の流れの人が多いみたい。
 私は祇園での「鮨まつもと」の活躍を話題に出して、女将はずいぶんと喜んでいた。「鮨まつもと」の店主は、しみづの一番弟子であったからして。

 重厚で落ち着いた雰囲気の店のつくり、そして軽やかな応対のバーテンダーと女将との語らいで、新橋のこの地に、魅力あるBarがあることを確認。
 鮨好きの人には、はまるBarだなあと思った。

【SL広場】
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 帰りには新橋駅前のSL広場によってみる。
 新橋駅前の広場になぜSLがあるかと言えば、それこそ鉄道の歴史そのもの話が始まるわけで、…新橋も楽しくも奥深いところなのである。

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寿司:與兵衛@西大島

 鮨好きの者として、有名店「與兵衛」には行きたいと思いつつ、なにしろ不便なところにあるので行く機会がなかったのだけど、今回はなんとか日程が合い、初めて訪れることになった。

【玄関】
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 西大島の少々寂れた商店街を歩いてやがて與兵衛に到着。暖簾前には、このように3匹のカエルがお出迎え。
 ケロケロ、コロコロと鳴き出しそうな臨場感いっぱいのカエルたちであり、この店に入れば、楽しいことが始まりますよと告げているがごとき面白い造形である。

【ツマミ皿】
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 まずはツマミから。
 ツマミがずらりと皿に並びます。このツマミ、10年くらい前に嵐山光三郎氏の「鮨問答」で写真に載っていたのを見て、これは食いたい!と思い、それからようやく会えました。

 ホタテの煮ヅケの柑橘和え、海老とホタテの肝、イカミミのヅケ、貝柱や縁側の酢和え、煮シャコ、マグロヅケ。
 これらは寿司店の先付としては禁じ手に近いものであり、これで酒を飲むとそこで完結してしまうくらいの美味さと完成度である。
 こういうものは保存きくだろうから、瓶詰にでもして売ってくらないかなあ。

 皿に乗せたツマミを食い終わったのち、鮨に入る

 鮨は、どれもが店主独自の工夫を凝らした独自のもの。
 旬のマコガレイは甘酢とゴマ醤油で。カレイはあの独自の磯臭い風味をいかに柔らかにまとめるかが難しいと今まで思っていたが、その固定概念が吹っ飛ぶ大胆な鮨。人によっては、カレイの味がしないじゃんとか言うかもしれないが、いやこれはそれとは別の段階に達している。
 イカも味をつけており、イカの食感を兼ねたイカ以外の味も備え持つ鮨だ。
 キスやアジの〆方もしっかりしており、元のネタの味をさらに複雑、奥深くしている。

【シマアジの鮨】
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 このシマアジの鮨も初めて食べるたぐいのもの。
 シマアジをタタキにして3枚重ねることにより、香りと食感がより豊かに感じられる。

 こういうこの店独特の鮨に加え、煮ハマ、煮アワビ、穴子は正統的なもので、店主の腕の冴えを知ることができる。


 與兵衛は江戸前鮨の典型の店と聞いていたが、…いざ食ってみると、ずいぶんと違った印象を受けた。これは江戸前風味の創作系の鮨じゃないのかな。
 だって、こういう味付け、〆方の鮨って、他の「江戸前鮨」を出す店で経験したことないから。

 それにしても、ツマミから鮨に至るまで、独自、ユニーク、じつに面白い料理の数々だったと思う。全国から、こんな東京の不便なところ(失礼)に人が集まってくるのもよくわかる。

 そして、料理のユニークさに加え、與兵衛の店主もまた実に愉快な人物であった。
 カウンター越しに交わす会話は、抱腹絶倒ものが多く、店主の人生経験と話題の豊かさを示している。

 店主は現役のバンドマンであり、先日もThe Beatlesをボーカリストとして演奏してきたそうだ。
 あの年代の者としてThe Beatlesへの思い入れは深いようであり、I saw her standing thereの曲の入りがいかに難しいか、I feel fineをアマチュアがやるのがいかに大変かの実演上の問題とか、あの時代、あの狭いところにThe Beatlesを形成するメンバーが集まった奇跡とか、The Beatlesの初期の曲は永遠に新しいとかについて熱く語る。
 その他、The Rolling Stonesも好きなようだが、「あれはキース・リチャーズのバンドである。そしてライブを見たが、ミック・ジャガーよりもロン・ウッドのほうがよほど歌が上手い」とか、なんだかすごいことを主張していた。…そ、そうなのか?
 それからドイツ時代の寿司店経営の話もまた続き、現地の苦労話、食事情等、これもまた面白いものであった。

 鮨の美味さも、また店主の話も尽きぬ、與兵衛の夜であったが、それも適当なところで切り上げとなり、そのあとは店主のお勧め通り、西大島駅ではなく、錦糸町駅を使って新橋へと戻った。
 東京中心方面には、こちらのほうがたしかに便利である。

【酒】
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 ついでながら、與兵衛においている酒の数々の書について。
 この書、最初は客の筆上手な人が書いていたのだが、(暖簾の「與兵衛」の字もその人が書いている)、店主も書に興味を覚え、そのうち酒のラベルをまねて書を書くようになったそうだ。
 このうちのいくつかは店主によるもので、ほとんどプロ級ですな。

 鮨、料理、音楽、書、カエル、…店主はかなりの達人に思える。

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東京風景2011

 東京をぶらりと散策。
 今の東京の名物はなんといっても建築中の東京スカイツリー。完成は来年であるが、それでも既に600mを越える高さに達している。

【銀座から】
Building1

 これだけ高いと東京のどこからでも目に入る。
 ここは銀座で一番高いビルの、アルマーニ銀座タワー11階からの眺め。
 写真では少々分かりにくいが、画面の中央にスカイツリーが見える。

【東京スカイツリー 近景】
Tower

 押上駅を出ると、すぐにスカイツリーが圧倒的な存在感をもって聳え立っている姿を見ることができる。
 この日は雨であり、スカイツリーの上方は雲のなかである。

【スーパードライホール】
Asahi

 ツカイツリーも存在感が強いが、それよりもさらにその存在感に呆れたのが、近くにあるアサヒビール本社のスーパードライホール。
 こういうわけのわからない巨大なオブジェが、住宅地のなかに突如として現れるのは衝撃的である。

【ツカイツリーとの2ショット】
Asahi2

 浅草駅から見る、ホールとタワーの2ショット。
 雨は強くなり、ツカイツリーの上方はさらに雲にかくれている。
 スカイツリーの展望台からは、雲の低いときなど、雲のなかに高層ビル群が突き出る、東京雲海像を楽しめるようになるのだろうなあ。

【節電風景1】
Escalater

 東京は現在、原発事故の影響で節電運動中。
 駅のエスカレーターの多くで、エスカレーターが止まっていた。
 東京の地下鉄の駅は、やたらに深いところに造っているところが多く、そういうところの長い階段を登り降りするのは、けっこう大変である。
 今の気候くらいならまだいいけど、暑い時期は汗まみれになるにちがいなく、東京の人はつらい夏を迎えることになりそうだ。
 …もっとも九州だって、原発は止まりそうであり、同様の節電体制になる可能性は高い。今年は日本全国、暑さをうまく乗り切る工夫が必要である。

【節電風景2】
Walkaer

 これは羽田空港。
 ここもムーヴィングウォークのいくつかが止まっている。そして電灯も抑えめであり、全体的に空港内が暗くなっていた。
 まあ、今までが便利すぎ、明るすぎたともいえ、意識改革というものが大切になってくるのだろうな。


 東京滞在中、土曜日夜と日曜朝に震度4強の地震があり、けっこう揺れた。
 東京の人たちは、「これくらいならもう慣れた」と言っていたけど、地方人からすればすごい揺れである。関東では、まだまだ非日常的な世界が続いていることを実感した。

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天麩羅なかがわ@築地

 東京では天麩羅も食べてみたい。
 昼は、宮崎の食通氏たちのあいだでも特に評判の高い築地の「天麩羅なかがわ」にて。

 まずは海老2匹の天麩羅から。
 カラリと揚がった海老は、芯まで熱が通っているのに、活き造りの食感も弾けて来る見事なレア加減。海老の旨さが最もよく出る揚げ方である。
 そのあとの頭の部分は、また見事に揚げられており、サクサクとした心地よい歯ごたえで食すことができる。

 最初から、店主の天麩羅の技術に脱帽。
 こういうものを食べると、今まで食っていた天麩羅は何だったんだ、とカルチャーショックを受けるほどのもの。

 キスはこれも表面カラリと揚げられ、中はホクホクした白身が衣から湧き出してくる。
 メゴチは魚の身の旨さが熱で凝縮された、旨みのかたまりのようなもの。この魚はじつは刺身でも美味いのだが、天麩羅にするとさらに魅力が増す。
 イカは調理されるものがずいぶんと分厚い。そして揚げると、ほんのり温かいイカは、ねっとりした柔らかい食感が残っている。イカの種類をたずねるとアオリイカで3.5kgのものとのこと。これほどのイカはそうは獲れないと思えるが、やはり入手は大変とのこと。でもこの天麩羅にはこのアオリイカが必要と納得させてくれる、そういう見事なものであった。
 野菜の天麩羅も、またそれぞれの旨さを揚げることによりさらに高めるものである。

【穴子天麩羅】
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 天麩羅のスター、穴子がまたすごかった。
 揚げたての一本の穴子を、金箸で身を二つに切ると、ホコホコと湯気が上がり、いかにも旨さ炸裂という見た目となる。そして見た目とおりの、豊かにして、旨さ抜群の天麩羅。

【かき揚げ天茶】
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 〆の貝柱かき揚げは、天丼、天茶、御飯と選べるのだけど、さすがにこれだけ天麩羅をいっぱい食べると、〆はさらりとお茶でいきたい。
 このかき揚げも、食感、旨み、すべてがよろしい。


 天麩羅という料理はまずはネタが大事ということで、地方では、そのネタのいいのが寿司店のほうに行ってしまうので、なかなか地方では天麩羅の良店が育たないという説がある。たしかに本場で食べた名店の天麩羅は、天麩羅とは実はかくなる料理なのだと思い知る、そういうものであった。

 なかがわの店主も、青空店主と同様に30代の若者。昨日青空に行ったときに翌日は「なかがわ」に行きますと言ったところ、仲がいいのでよろしくお伝えくださいとのことであった。業種は違えど、互いに切磋琢磨しあう仲であり、このようにして若い力たちで、東京の食の世界はこれからも進歩していくのであろう。

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May 20, 2011

寿司:銀座青空

 東京に行く用事があり、当然そこで食事をするわけだが、東京といえば江戸前鮨である。仕事が終わって夜に宮崎空港を発つと、午後10時前には浜松町にはたどり着く。この時間でもやっている東京の寿司店で、食べたいところといえば、まずは「青空」だ。
 駄目モトで当日予約をしてみると、あっさりと席が取れた。人気店がこれだと、まだ震災・原発事故の余韻で、銀座は閑散としているのかなあと思ったが、…元々午後10時以後は予約の取りやすい時間だそうだ。

【銀座青空】
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 青空は次郎系統の寿司店であるが、ネタを切ったものがそのままツマミとして出てくる師匠たちの店と異なり、様々な工夫をこらしたツマミが出てくる。
 炙りアラのポン酢和え、アワビのしゃぶしゃぶの肝和え、イサキの焼き物、ノドグロの焼き物、カツオの燻し、それに雲丹二種類、マコガレイ、トリガイなどなど。
 どれも素材の良さと仕事の良さが秀逸。酒が無限に飲めるがごとき、酒の最良の友のごとき、素晴らしいツマミの数々が供される。
 この尋常でなきツマミの美味さが、まずは銀座青空の特徴である。
 これは、師匠の店「次郎」では、せっかくすごいネタがあるのだから、これをもう少し弄って酒のツマミに出してくれないかなあと、そこはかとなく思いつつ、とてもそういうことは言い出せる雰囲気ではなかった、酒飲みの客の欲求不満を、青空氏が察知して、自分の店ではそれを改革したのでは、などとも思ってしまった。

【イサキ炙り】
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 ツマミの一点、「関イサキの炙り」。
 豊後水道の関サバ・関アジが有名なところでは、関イサキというイサキも獲れるそうで、これは脂の乗りと、身の上品な香りが、並みのイサキとは異なる次元のものであった。
 さすが、と思わずうなってしまう上物。


 もっともツマミはたしかに素晴らしく美味いのだが、当たり前のことながら、銀座青空は、超一級の鮨を出す店である。
 ネタは当然、すべてその時期に獲れる最良のものが用意されており、それが良い加減の仕事をされており、なんともやわらかで、これが丁度よいという具合に、〆られ、寝かされている。そこにこれも強さは控えめだが、それでもしみじみと美味さの広がるシャリが合わされ、じつにバランスのよい、華やかで、やさしい鮨となって、ツケ台に出てくることになる。そしてその鮨の形が、じつに美しい。鮨の見本といっていいくらに美しい。

 私は前に青空に来たときは、師匠筋の「水谷」や「次郎」の、あの緊張感あふれる完成度の高い鮨とは異なる青空の鮨に、まだ師匠たちのレベルには達していないな、まだまだ甘いなどと思ったのだが、それは大きな間違いであって、すでに独自の鮨の道に進んでいたわけだ。
 今回そのことを知り、己の不覚ぶりに反省しきりであった。まあ、反省したって、なにがどうなるわけでもないのだが。

【大トロ】
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 いいマグロを仕入れ、適切な時期を選んでまな板に乗せ、上手く包丁を入れ、鮨を握る。その大変な過程を経て、口に入れると至福を感じる鮨が出来上がる。

【車海老】
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 師匠筋の、人をあんぐりとさせるような、圧倒的な車海老は青空では出てこないが、こちらのサイズのほうが、鮨としてはバランス良いと思える。
 茹で立ての、香り高くて、ほんのり甘い海老は、ただただ美味い。

 穴子、厚焼き玉子に、カンピョウ巻を頼んで、〆となる。
 いやはや、すべてが間然なき、見事な鮨であった。


 店主は修行歴は長いが、まだ30代の若さ。
 今の寿司界の本道を行く、頼もしき若者である。
 これからもまた進歩続けていく、青空の鮨が楽しみだ。

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祖母山写真館

 祖母山の山頂下の長ハシゴについて、いったいいつ頃からこれはあったのだろうと、祖母山の写真を10年くらい前のから調べたが、…よく分からなかった。
 しかし、その代わりというわけでないが、いろいろと面白い写真が見つかり、懐かしさを覚えた。
 せっかくなので、それらのうちのいくつかを紹介。

【ダイヤモンド傾 日の出前(2003年秋)】
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 祖母山から日の出を見るとき、一年に春分と秋分のときだけ、向かいの傾山の峰の合間から日が登るのを見ることができる。峰の合間に挟まった太陽は、ダイヤモンドのごとき形に光り輝くので、「ダイヤモンド傾」と名付けられている。
 これはその時の、日の出前の風景。日の登る方向を導くかのように、高く一本の光の帯が雲に走っている。

【ダイヤモンド傾】
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 そして、日がついに登り、ダイヤモンド傾の登場。
 その瞬間、これを待ちわびていた人たちの歓声があがる。
 これを見るためだけでも祖母山に登って泊まる価値のある、そんな美しい風景。

【祖母山頂からのブロッケン現象(2005年春)】
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 祖母山は霧が出やすいことから、祖母山山頂や、その近くのブロッケン岩に、ブロッケン現象が起きやすいことで知られている。
 …そのわりには、私は見たことは一回しかない。
 これはその時のもので、祖母山山頂で、登山者が霧に光円と自分の姿の映るブロッケン現象を見て喜んでいるところ。

【風穴登山道 野良山羊(2003年春)】
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 風穴登山道に山羊が出没していたことがあった。
 こういうものが野生で祖母山に生息しているわけはなく、誰か不心得者が、飼っていた山羊を祖母山に捨てたらしかった。

【野良山羊 近接影】
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 人に飼われていた山羊らしく、ずいぶんと人慣れしており、こちらが近付いても、逃げることなく、好奇心豊かそうな目で、私を見ていた。
 このような家畜が山にずっといると、野生獣たちに寄生虫や病気などをばらまく危険があったため、自衛隊などの助けを借りて、山羊はお縄頂戴となった。そのあと山羊たちがどうなったかは、私は知らない。

【上岩戸 山奥の巨大建築物(2004年春)】
Bridge

 祖母山にいたる県道を山奥深く走っていると、上岩戸にもの凄い高さを持つ巨大な建築物が現れる。なにしろ何もないような山奥に、いきなりこのようなものが現れるので、「これはいったい何なんだ」と誰しも不思議に思う物件であった。
 その形をよく観察すれば橋脚以外のなにものでもないので、橋を造っている途中なのだろうけど、人の非常に少ない地で、こんな巨大な橋の需要がほんとにあるのだろうか、ほんとに造るのかなあと思っていたら、11年の長い歳月をかけて橋は完成した。

【上岩戸大橋 完成 (2010年春)】
Kamiiwato_bridge

 いざ完成すると、橋脚だけ見たときほどの巨大さは感じられないが、それでもこの橋は林道橋として、高さ・長さとも日本一という、使う人の需要に比べると、ずいぶんとオーバースペックな橋が出来上がった。
 これ、橋はすごく立派なんだけど、それに続く道が、上りも下りも、交通量の少ない狭い県道であり、…なんか変なんだよなあ。


 …まだまだあるので、いずれ写真館(その2)をUPする予定。

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May 19, 2011

祖母山山頂直下ハシゴ場降雪時の迂回路について

 昨日の長ハシゴミステリの続編。

 山は秀れた景観や美しい植物などの宝庫のようなところだから、写真撮影の対象も多く、それらを発信するwebページが多くつくられている。
 そして、自分が登ったことのある山の記事を読むのはとりわけ楽しいものであるが、冬の祖母山を題材にしたもので気になることがあった。

 今年の冬は記録的な量の雪が祖母山系に積もったわけだが、当然、祖母山縦走路は難路と化した。特に、頂上直下の岩溝、ハシゴ場と鎖場が連続するところは、ハシゴと鎖ごと登山道が雪に埋もれてしまい、ここから山頂へ進むことが困難を極めることとなった。

 このハード極まる難所に対して、
 (1) 持てる技術の全てを使い、なんとか登り切った人
 (2) 登るのを諦め、適当なところでビバークした人
 (3) 登るのを諦め、元来た道をライトで照らしながら下山した人
 などなどの人がいたことが、webページを読むと分かった。
 その他には、この難所にたどり着く前に縦走路で力尽きて、ヘリコプターで救助された人もいた。今年の冬の祖母山はすごかったのだ。

 ここのハシゴ場は、元々危ないところであり、滑落してしまうと命はないに等しいところであり、過去に幾度も重大な遭難事故が起きている。雪が無くとも、祖母山のmost dangerous zoneなのである。
 ところが、祖母山縦走路での避難小屋は、ここを越え、山頂を越えた九合目小屋しかないわけで、ビバーク道具に不備がある場合、なんとしてでもここを山頂には行かねばならないこともあり得る。

 そういうわけで、実は祖母山山頂近くには、この岩溝を通らずに迂回して山頂に行くルートが作られている。
 私が今年積雪した祖母山に登ったとき、この迂回路を山頂側から観察したが、全く使われた形跡はなかったので、意外と九州の岳人には知られていないようだ。
 (小屋によく集っていた、さんらく会や、やまびこ会の人たちとかは当然知っているのだろうけど)

 今回はそれについての解説。

 本来は私ごときが書くようなものでもないのだろうが、祖母山に関しては最も詳しいガイドのページである、小屋番さんの祖母傾最新情報のこの迂回路の解説部、
 
 (1)http://www1.ocn.ne.jp/~sobokata/obirakara.htm
 (2)http://www1.ocn.ne.jp/~sobokata/veiw1.htm

 そこの部分がリンクの先が複雑になっており、辿りつきにくいのと、またルートについてあっさりと書かれていて、詳細がやや分かりにくい。

 それで、私が長ハシゴを観察しに行ったからには、乗りかかった船なので、解説を行うことにしてみよう。

 (1) 天狗岩方面から

【標高1700m地点】
11700_point

 まずは天狗岩方面から山頂に向かっての縦走路、1700mの標識のある地点。ここを黄色線のごとく普通に下れば、山頂直下のハシゴ場にすぐ着く。しかし、その道が使えなくなった場合は迂回路の登場だ。そのルートは赤線で示す道になる。
 以前はこの入り口に、「冬期専用です」との注意書きをぶら下げたロープが張ってあって分かりやすくはあったのだが、いつのまにかなくなっている。

 ここを杣道に従い登りつめていくと、ブロッケン岩の基部に出る。現在はハシゴが用意されているので、それを使えばブロッケン岩に登ることが出来る。そしてブロッケン岩を歩いていけば、ハシゴ場の続きである正規の登山道に合流することができる。

 以上が天狗岩方面からの迂回路の使用方法。図で示せば、途中までが赤線、それから青線のルート。

【ルート図説】
Root15


 (2) 山頂方面から

 これとは逆に山頂方面からハシゴ場に来て、そこが通行困難と分かった場合は、…この場合は引き返すのがbetterとは思われる。
 先に解説したやり方と逆に、ブロッケン岩まで行ってハシゴを下りればいいようなものだが、ハシゴが常にかかっているというわけではない。下で横になっているハシゴを上から立てるのは不可能なので、その場合はハシゴを使えない。
 そのときはブロッケン岩を巻く方法もあるのだが、一応それを解説。

【ブロッケン岩への道】
Blocken1

 山頂直下、ハシゴ場に下りず真っ直ぐ行けば、赤丸で囲んだブロッケン岩が見える。

【ブロッケン岩基部へ】
Rock23

 山頂からブロッケン岩方向に行き、ブロッケン岩を直接下るのが困難と判断した場合、南方向に下りてから岩を巻く方法がある。
 矢印で示した岩がブロッケン岩の端であり、ここまでは容易に下りられる。

【図説】
Root15_2

 先のルート図を再掲すれば、左の赤丸をつけた岩が、その矢印の岩である。
 ここに着いて、この岩を降りて、細いバンドをトラバースすれば、ブロッケン岩を巻けるわけだが、この岩に少しばかり高さがあり、下りるのがけっこう難しい。以前は補助ロープがあったのだが、いつのまにかそのロープが岩の間に挟まってしまい、使いにくくなっている。ロープなしでも下りられないことはないのだろうが、とても人には勧められない。特に冬期などは使うべきではないだろう。ここはまた整備しなおす必要があるとは思う。

【基部の岩】
Rock3

 写真で示すように、ロープが岩にはまりこんでしまっている。


 ハシゴ場については、山頂側からはここが通れなくとも引き返せばいい話だが、やはり問題は天狗岩方面からになる。
 頂上直下のハシゴ場が通行困難になる条件時って、縦走路だってとんでもない状態になっているのは間違いなく、天狗岩方面からそこまで辿りつける人は、相当な技術を持っている人に限られるとは思う。そういう人たちでさえ、今年の冬は、越えられず、危険な目にあったりした。
 そういう困ったとき、スマートフォンなどを使って、「祖母山、雪、通行不能」とかで検索して、このページがなにかの助けになれば、うれしく思う。

 …もちろん、この迂回路だって、冬期は非常に厳しいルートにはなっているに違いないので、その際の通過はあくまでも自己責任ということで。
 ちなみに、ブロッケン岩は支点が豊富なので、ロープも使いながら行けばより安全に登れるはず。祖母のような岩山の積雪期にロープ・カラビナ等持参しない人もまずいないとは思われるので、ここでそれらの出番となります。

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May 18, 2011

祖母山ミステリ(その2) 「長ハシゴの謎」

 今年の春登山系webで、祖母山で話題になっていたものがあった。
 それは山頂直下の岩場の長いハシゴであり、天狗岩方向からの縦走路からは、はっきりと見えるものであるが、それは今まで存在しなかったものであった。
 この長ハシゴを見た人の感想が、いろいろとブログ等で語られており、それらは、
 (1)「知らぬ間にあんなところを通って来たんだ。すごい所を通ったもんだ」と感嘆しているもの。
 (2)「妙なところに長いハシゴがあるな。あんなところは通った記憶はないが、いったいあれは何なのだろう」と不思議に思うもの。
 との2つのパターンが大体である。
 そのハシゴ、写真を見れば、正規の登山道とはまったく違うところに掛けられており、普通に祖母山を登山するぶんにはここを通ることはあり得ない。それで、一般的な感想としては(2)が正しいことになる。
 もっともなかには、「変なところにハシゴがあるな、それではそこを通ってみよう」と、わざわざこの長ハシゴのあるところまで行き、それを使った人もいる。
 ネットの普及した時代、いろいろな人が、いろいろな行動をする、それを容易に知ることができ、面白いものである。

 さて、この長ハシゴ、じつは私も実物を見たことがない。
 それでアケボノツツジを見に行くついでに、実際はどうなっているのだろうと調べてみることにした。

【祖母山山頂部】
View

 私が訪れたときはハシゴは倒されており、岩場で横になっていた。
 ネットでの情報によれば、立っているときは、絵で示すような感じで岩に立て掛けられていた。
 このハシゴ、祖母山山頂に続く岩のなかほどまでに掛けられているように見える。じつはそうではない。
 -ここの岩場は岩が同質なので、岩場の立体的構造がどうなっているかが見た目に分かりにくいので、以下に分かりやすく説明する。

 【祖母山山頂部 図説】
Rocks

 この岩場の岩群は、手前はブロッケン岩と名付けられた大きな岩であり、その奥が祖母山山頂から直接続く岩壁となっている。そして、長ハシゴはブロッケン岩に掛けられたものである。だから、このハシゴを登れば、ブロッケン岩の上に出ることができる。

【祖母山山頂部 図説2】
Rock_and_root

【ブロッケン岩を横から見たところ(写真は小屋番さんのものを拝借)】
Sideview

 もう少し詳しい説明をすると、正規の登山道は、このブロッケン岩と山頂の岩場の間にある。そこは鎖場、ハシゴ場の多い、祖母山登山のクライマックスといえる難所である。
 それゆえ、この岩場のところで正規の登山道を通っているなら、この長ハシゴは通ることはおろか、見ることもないわけだ。

【長ハシゴ】
Ladder

 長ハシゴへの取りつくところは分かっているので、縦走路からそこに入り、垂直に近い崖を登っていくと、岩場のバンドに出て、そこにハシゴがあった。
 どこにも固定はしてなく、下に落ちないようにロープで縛っていた。
 これをブロッケン岩に立て掛け、登ってみた。ハシゴに乗ると、さすが1700mを越える垂直の岩場だけあって、すごい高度感である。アケノボツツジの咲く、祖母山の岩場でのこの高度感、…なんか既視感を覚えるなあ、と思ったらすぐ思い出した。

【祖母山山頂直下バットレス登攀】
Sobo_3

 これは6年前、祖母山直下の岩場、バットレスの1ピッチ目の登攀シーンである。
 このときは小屋番さんにビレイ(ロープ確保)してもらいながら登ったのだが、1700mの高さでの登攀だけあって、高度感抜群であった。ついでにアケボノツツジもきれいであった。
 祖母山は山頂周囲に面白い岩場がたくさんあって、整備もよくされているので、九州在住で岩登りが趣味の人なら一度は経験してみたいところである。
 ただし、岩登りをするまで、登攀具をもって1700mを登らないといけないという過酷な条件がネックとなっており、あんまり有名どころにはなっていない。

【ブロッケン岩】
Pins

 その高度感抜群で、あんまり固定のよろしくないハシゴを登り切ると、ブロッケン岩の上に出る。
 ここには通常とは異なる支点が2つ打たれており、どうやら本来は長ハシゴはこのピンに固定されていたらしかった。
 ブロッケン岩の上は普通に歩けるので、ここを南側に行けば、正規の登山道と合流することができる。

 なおブロッケン岩には、支点がいくつも作られており、ここを登ったり下ったりするときは、ハシゴのみに頼らず、その支点を利用したほうが安全でありましょう。

【祖母山直下岩場】
Rock

 祖母山は岩の山であるが、山頂周囲はよく整備されており、しっかりした支点がいくつもある。
 写真はブロッケン岩とは違うが、その近くのバットレスの最上部のところ。ここも支点があるので、きちんと確保していれば先の方まで安全に行ける。
 ちなみにこれは遊んでいる姿ではなく、山頂から登山者たちが捨てたゴミが岩場に引っかかっているのを掃除しているところである。一番右端が小屋番さんである。
 これは定期的に行われていた、祖母山清掃登山のうちの一シーンである。

【長ハシゴの謎を解く】
Root

 さて、この正規登山道から外れた位置にある謎の長ハシゴは、いったい何の意味があるかといえば、もちろん意味はあるので、それは迂回路用なのである。
 祖母山の山頂直下の岩の間の登山道は、冬の間は凍ったり、雪に埋もれたりで、非常に危険なルートと化す。そのため、そこが通れなくなったときのための、もう一つの補助ルートなわけだ。
 私の記憶している限りでは、以前はこの迂回路は赤で示す、ブロッケン岩の基部を巻いていく巻き道であったはず。細いバンドの通過部にはトラバース用にロープも張られていたが、今回確認するとロープは外され、使いにくくなっていた。
 そして新しく青線で示すルートが開発されたみたいである。


 この新ルートは誰がつくり、ハシゴは誰が用意したかといえば、そういう人は一人しか思い当たらないので、山頂を過ぎたのち、九合目小屋に寄ってみて、小屋番さんにハシゴのことを聞いてみた。
 ハシゴはやはり小屋番さんが冬期用に整備したものであった。
 ただし今年の冬はあまりに積雪が多くて条件が厳しかったので、小屋番さんがあの岩場までたどり着けずハシゴを立てることが出来なかった。それで肝心の厳冬期には役には立てなかったとのこと。そしてある程度雪が少なくなってから、ようやく岩場に行けたので、凍結時の緊急用にハシゴを立てておいた。そしてさすがに5月になればもう用はないだろうと、5月3日にハシゴを外して横にしたとのことである。

 …え? 私、立ててしまったんですけど。

 それで、本当は私がまた戻ってハシゴを外しておくべきなんだけど、今日は午後5時から仕事なもんで、さっさと下山する必要があり、それをやってる時間の余裕がない。
 小屋番さんに、ひたすら謝り、あとをよろしく頼んでおいた。
 小屋番さんは「○○さんはいつも大変だからねえ」と笑ってくれたが、…この埋め合わせはいずれします。次は冬期用の燃料か、あるいは非常食を荷揚げするかでもしてみよう。

 というわけでの、最後がまったくしまらなかった祖母山ミステリであった。
 祖母山は謎多く、そして厳しいけれども、また楽しい山なのである。


 …………………………………
 【大事な注意】

 どうもまだ梯子は残っているようです。この梯子は固定されていないし、取りつくまでの道も整備不良です。正規登山道に対して、このルートははるかに危険なので、無雪期は使わないようにしてください。


 …………………………………
 (参考)
 ・祖母山頂上周囲の岩場については、長崎のJimmyさんのページが詳しいです。
 ・祖母山ミステリ(その1)はこちら

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May 15, 2011

祖母山、アケボノツツジの宴

 同じようなことばかり書いているようだが、宮崎県北の5月はアケボノツツジの季節である。
 祖母山はちょうど今頃がアケボノツツジがピークを迎えているという情報であり、天気もいいことから、陽の光をたっぷり浴びて輝くアケボノツツジの姿を期待して、祖母山へと出かけた。

【尾平登山口から】
1

 尾平登山口から見る祖母山の山並みの姿は、いつ見ても絶景である。
 あのギザギザした稜線を、あと2時間もすれば歩くことになる。

【シャクナゲ】
2

 黒金尾根を登って行くうち、最初の花は、アケボノツツジではなく、シャクナゲがお迎え。
 シャクナゲも、また華やかな花である。

【稜線出口で】
3

 黒金尾根を登りつめ、稜線に出ると、5月ではいつもこのアケボノツツジが登山者を迎えてくれる。
 このアケボノツツジを見ると、ああ、5月の祖母山に登ったんだなあと思います。

【スズコヤ岩塔】
4

 稜線を祖母山に向かって歩くうち、南側の眺望で最も目立つのが、この大きな突兀たる一本岩、スズコヤ岩塔である。アケノツツジは岩肌を好む樹みたいで、こういう岩場によく生えており、スズコヤ岩塔の周りにもアケボノツツジが咲き乱れ、いい風景となっている。

【シャクナゲ公園】
5

 尾根にシャクナゲが咲いていたので、1600mの標識から入ったところにある、シャクナゲの群生地「シャクナゲ公園」はどうなっているのだろうと思い、寄ってみたが、蕾が数個あるのみであった。
 やはりシャクナゲはアケボノツツジが終わってからだな。

【祖母山山頂】
6

 交通の不便なところにある祖母山であるが、アケボノツツジの季節は、大崩山同様、登山者が多く訪れる。
 本日も山頂は人でにぎわっていた。

【祖母山】
7

 山頂を過ぎ、アケノボツツジを通して、振り返ってみる祖母山の姿。

【傾山】
8

 こちらはアケボノツツジとともに見る傾山の姿。左奥に見える秀麗な山が傾山である。右手に見える土肌は、尾平鉱山跡である。

【宮原尾根から】
9

 宮原尾根を降りていくと、やがて渓流に出て、ここでほぼ登山は終了。
 近頃の雨不足が如実に影響しており、私が経験するうち、最も少ない水量であった。


 稜線、そして稜線の岩峰群に咲くアケボノツツジは、なぜこんなところにこんな美しい花が咲いているのだろうと思ってしまう、ある意味、無駄の極致と言えるくらいの存在である。でも、だからこそ、その姿はより美しく、貴重に思え、そういうわけで、こんな不便なところでも、人々は惹かれ、集まってくる。
 私も、もう30年近く、アケボノツツジをこの時期の楽しみとしている。



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May 10, 2011

延岡の新しい橋

 今度の大震災で私が感心したのは、日本の土建業の底力である。
 あれほどの広範囲の大災害が起きた場合、その地の人にとって最も大事なものは、物資・資材の補給ルートであった。そのルートが機能を回復しない限り、人々は移動の手段も、また生命維持に必要なものの確保もままならない。
 しかし地震と津波によって、道路はズタズタに破壊され、瓦礫に埋もれてしまい、あの光景をみると復旧にはどれだけかかるんだろうと誰しも考え込む、悲惨な状態であった。
 ところが、余震の続く中でも、重機がどんどん投入され、瓦礫は片づけられていって道がその姿をみせ、そこに整備が入り、短期間のうちに被災地の道路は普通車でも走れるようになった。
 その間、幹線道路も復旧が進み、東北道は全線開通し、また新幹線も復旧した。

 東北の物流の本幹と支枝はあの大災害から2ヶ月しないうちによみがえったのである。
 これって、凄すぎ。
 世界でこんなことできる国、日本以外にはないだろうな。

 以前目の敵にされていた公共事業は、ずいぶんと費用が減額され、日本の土建業者は相当に規模が縮小していたはずだが、それでもこれほどの実力を保持していたわけだ。
 日本という国は、上のほうはちょっと(あるいは、かなり)頼りないところがあるが、現場の者たちの実力はまだまだ十二分に世界に誇れるものがあるといえる。

 さて、話は延岡の橋に移る。
 延岡中心部、大瀬川にかけられていた橋が老朽化していたので、仮設橋をつくったのち、新しい橋を建築していたが、3年ほどしてやっと完成した。
 そのあいだ使われていた仮設橋は、変な橋であり、道路に路側帯がないため、「自転車は車道通行禁止。自転車は歩道を走行のこと」との注意書きの看板が出ていた。これは道路交通法を一方的に無視した注意であり、全くろくでもない橋であった。おかげで、自転車で市内を移動する人間にとっては、この仮設橋はたいへんに不便であった。
 そして、新橋は何年たっても完成せず、なんて仕事がのろいんだろう、拙速はいかんにしても、それでも時間がかかり過ぎだろう、日本の土建業も実力ないなあと私は一方的に思っていたのであるが、…じつは実力あったわけである。

 ま、それはそれとして、橋はようやくにして完成。
 新しい橋は、アスファルトもきれいであり、路面もまっ平らで、なんとも気持ちのよいものである。

【安賀多橋 南から】
From_south

【安賀多橋 北から】
From_north

【安賀多橋 上から】
Overview


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May 08, 2011

5月のワイン会@ベルエポック

 定期的に開かれるベルエポックでのワイン会。
 4月は佐々木シェフのディナーを楽しんだが、今回は山本シェフのディナーである。期間がそれほど開いていなかったので、両シェフの個性の違いもまた楽しめてよかった。

【仔兎と春野菜のサラダ 赤ピーマンのクーリ】
Coulis

 前菜のこの料理からして山本シェフの個性満開である。
 極彩色といっていいような、強い色がモザイク状に組合わされた、食の構築物。それに赤ピーマンの裏漉しソースがまた色鮮やかに支えている。
 食味もまた賑やかで、華やかなものである。

【アスパラガスと魚介のフリキャッセ】
Fricassee_2

 緑のアスパラガスと、肌色の貝、赤い海老で、それに色とりどりのソースを合わせ、これもまた絵画のごとき美しき料理である。

【真鯛のクーサン仕立】
Coussin

 色の強い料理が続いたのちは、白(といってもこれも結構強い色調だが)を基調の、真鯛のクーサン仕立て。
 濃厚なソースに負けぬ、真鯛の味もまた立派なもの。

【シャラン産鴨】
Dish

 本日のメインはこのシャラン産鴨。
 見てのとおりかなり大きなサイズのものである。
 本日は7人の会なので、これを7人で分けるとしたら相当な量になるなあと思った。

【シャラン産鴨のロティ マンダリンの香り】
Roti

 これがそのシャラン産鴨の料理。
 一番良いところ-胸肉だけを使ったので、一人分は常識的な量となった。
 柔らかく、肉汁たっぷりで、味も豊かな、優れものの鴨である。
 ただ、残りの腿肉とかはどんなものなのだったろうと思わぬこともなかった。

 このあとはデザートで〆となる。
 前菜からメインまで、山本シェフの料理以外のなにものでもない、華麗で豊穣なる山本ワールドを堪能させていただいた。
 目も舌も鼻もそしてお腹も全て満足満悦である。

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アケボノツツジ@5月の大崩山

 5月になりアケボノツツジの季節を迎えたのだけれど、それを見に行った山行が、行縢山・まんくら山と二連敗をくらい、なにか納得いかない気分である。
 しかし日曜は好天の予報であり、そして大崩山に登ることにする。大崩山はアケボノツツジの本命であり、これで見過ごすようなことはないであろう。

【ミツバツツジ】
1

 祝子川登山口から登っていくと、山荘手前のミツバツツジが満開であった。
 このミツバツツジの奥には小積ダキの岩峰が聳え、いい風景である。

【袖ダキ展望台より】
2

 祝子川を渡ってからは、どんどん高度を稼いでいき、そして袖ダキにたどり着く。
 これは、大崩山のシンボルのような袖ダキからの下ワク塚の眺め。
 Webを検索すると、この光景が山のように拾えるけど、まさに九州の山々中、屈指の絶景である。

【下ワク塚】
3

 今日はアケノボツツジが目当てなので、大崩山のシンボル達とアケボノツツジの2ショットを紹介していこう。
 これは袖ダキからの下ワク塚とアケボノツツジ。アケボノツツジが満開だったらもっと華やかな風景になるのだが、それだと下ワク塚が見えんか。

【小積ダキ】
4

 小積ダキの大岩峰とアケボノツツジ。
 小積ダキの上部には、アケボノツツジとムシカリの花が咲いていて、赤・白まだらの賑やかな彩りとなっていが、写真ではとらえられていないなあ。

【中ワク塚】
6

 中ワク塚の基部の岩にアケボノツツジが咲いている。
 中ワク塚の上部には人が一人休憩中なのが写っている。
 大崩山で他人を見るのは、じつに久しぶりだったので、新鮮に感じた。
 大崩山には雪が積もった1月に3週連続で登ったけど、まったく人を見なかったからなあ。

【上ワク塚】
7

 アケボノツツジを通して見る上ワク塚。

【上ワク塚2】
8

 上ワク塚に登って、そのアケボノツツジを見てみる。
 こういう感じで咲いていたのである。

【上ワク塚 ロープ部】
Uewaku

 ところで上ワク塚を下から見ると、ロープがかけられているのが見えた。(青線)
 ここにロープがあるのは記憶にないので、新しくかけられたものなのだろう。

【上ワク塚 ロープ部(拡大図)】
Uetsuka1

 上ワク塚直登は稜角(カンテ)に沿って登るルートがあり、本来はそれが本ルートなのだけど、スリルがありすぎるので、他に後ろへの巻道、あるいは前面からのハシゴルートが作られ、直登ルートは使われることはなくなっていた。
 しかし、どういうわけか、ロープをかけて復活のようである。
 赤矢印で示す支点は前からあったけど、今もそのまま使われていて、それが錆びついたリングボルトである。この支点はあんまり信用できるものではないので、このロープルートは使わないほうがよいでしょうな。

 …しかし、10年以上も前の大崩山は、上ワク塚に登るには、ロープも梯子もなにもないところを登っていたし、山全体も、あやしげな丸太橋や、木製のハシゴしかない、アドベンチャー精神に満ちた山だったのだけど、それに比べるとずいぶんと整備されたものだ。
 それが良いことといえるかどうかといえば、良いことなのではあろう。

【坊主尾根】
9

 九重や霧島とかとは違って、人の登ること少なき大崩山だけど、GWのアケボノツツジの時期だけは人が多くやってくる。
 おかげで、滅多にみない大崩山渋滞にはまってしまった。

 ここで私が下っていると、追いつかれた先行の人達が、あれ○○さんじゃないですか、と私に言う。
 前の職場の人たちであった。ついで、「こんなところで会うとは珍しいですねえ」と言われたが、私がこの山にいるのはそんなに珍しいことでなく、それよりもこの人たちに山登りの趣味があったことを知って私のほうが驚いた。そういうタイプには見えなかったので。

【アケボノツツジ】
Akebono

 大崩山のアケボノツツジは旬には少し早かったのか、満開のアケボノツツジはあまりなかった。
 そのなかで一番ほどよい咲き具合だったのは袖ダキの一本で、それを紹介。

【ヒカゲツツジ】
5

 華やかなアケボノツツジばかりが目立つ大崩山で、岩陰にヒカゲツツジが咲いているのを見つけた。
 華麗なるアケボノツツジに対し、ヒカゲツツジは可憐そのものの花であり、これもまたアケボノツツジに劣らぬ魅力ある花である。

 花、岩、新緑、清流、どれも美しい、いつもながらの大崩山であった。


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May 07, 2011

まんくら山撤退記

 大崩山山系はアケボノツツジの旬の季節である。
 それで咲き誇るアケボノツツジを見に行こうと思った。ただ本日は行動できるのが午後だけなので、さすがに午後に大崩山に登るわけにはいかない。
 それゆえ近場の山に登ることにするのだが、それだと「まんくら山」が適切ということになる。

 「まんくら山」は私は登ったことはないのだけれど、延岡周囲の山の情報が豊富で、重用させてもらっている行縢探検倶楽部に、まんくら山がアケボノツツジが満開だという記事が載っていた。

 まんくら山は登山ガイド本には載っていない山で、正規の登山道はないそうである。そしていくつかのwebページを検索しても、はっきりしたコース紹介は載っておらず、ヴァリエーションで登ることになる。

 それでKashmirを開き、地図を検討してみる。

【まんくら山地図(Kashmirより)】
Mtmankura_map

 最初のピークである1099ピークへは、青線(1)で示した尾根を行けば、そのまま稜線に入るので、これが登山道としてはもっとも有力であるし、たぶん行縢探検倶楽部で使われた道はここと思われる。
 ただし、この道は入り口が分かりにくいとも、別のwebページで紹介されていた。

 それで私は以前に気になっていたルートを使うことにした。それは黄色線(2)で示すルートである。この尾根を使えば稜線まで最短距離で登れるし、それになによりも取り付き点がわかりやすい。この取り付き点は、以前に落水の滝まで行ったときに確認していたのである。

 そういうふうに計画を立てて、出発。
 外は小雨が降っていたが、午後には晴れるとの予報であったから、そのうちに晴れるであろう。

【登山口】
1

 祝子川に沿って車を走らせ、落水の滝への林道をいき、ここが駐車場になる。
 右手のほうの草ぼうぼうの林道が落水の滝への林道で、この林道の途中にまんくら山への登山口があるはず。

【落水の滝徒渉点】
2

 林道を観察しながら歩いたが、やはりまんくら山への登山口らしきところは見つけられなかった。
 それで予定通りにこの、「落水の滝」の標識のある渡渉点から登ることにする。ここをそのまままっ直ぐ行けば落水の滝であり、私はまんくら山を目指して、右の尾根の方に入った。

 この尾根を登っていくうちに、荒れ果てた林道へと出た。
 この林道が尾根筋を離断しており、小さな崖となっている。その先の尾根が樹々が密集して、ジメジメした感じのなんとも暗い尾根だったので、使う気がおきなくなった。そこで一本ほど左の尾根に入ることとし、しばらく林道を歩き、それから明るい尾根に取りついた。

 まんくら山は南側からは形が単純なので、上のほうへと、とにかく尾根を登りつめていく。地図をみればこの尾根は等高線が密なので、かなりの急傾斜のはずだが、その通りにいくつも崖が出てきて、これを木の枝、木の根をつかみながらよじ登っていく。

【崖1】
3

【崖2】
4

 そして標高が950mを越え、前方が明るくなってきたのでようやく稜線が近付いてきたと思ったら、いきなり屏風のごとき巨大スラブに突き当たった。

【スラブ】
5

 ということは1099mピークの頂上直下に出てしまったわけだ。
 おかしいな。地図によれば、もう少し東寄りの稜線に出るはずだったのだが、妙なところに出てしまったぞ。

【まんくら山1099mピーク】
Mankura_root

 地図でなく写真で示すなら、私は今赤丸印をつけたところに出たわけだ。
 一番最初に示した地図の、赤い細線が私が実際に登ったルート(GPS記録)であり、これでみてもここに出るはずはないのだが、それでも現実は現実である。山では現実がなにより優先される。
 さて、この岩をやりすごさないと稜線に出られないので、巻き道を探すが、右も左も岩が切り立っていて、巻くことはできなかった。
 それでも左に見える草つきを強引に登り、それから右斜め上方向にトラバースしていけば稜線に出るとも思ったが、…今は天気予報が外れて、ずっと雨が降っている。ゆえにスラブは全面的に濡れていて、そんなずるずる滑る岩をトラバースしていくのは命がけの行為になってしまう。いくらなんでも、まんくら山ごとき(失礼)に命をかけるわけにはいかない。
 それゆえ稜線に出るには、もう少し高度を下げてから谷を一つ横切り、その次の尾根を登れば問題ないのだろうが、このずっと降り続く雨に、登山のモチベーションもすっかり下がってしまった。そこまでしてまんくら山に登る気もしなくなり、おとなしく元来た道をたどって下山することにした。

 まったくもって、全身は濡れそぼり、ズボンは泥まみれになり、そして目当てのアケボノツツジは見られないと、さんざんな登山であった。
 う~む、計画性に問題があったか。

 それにしても、落水の滝への渡渉点からの、まんくら山登山ルート。地図では使いやすそうなのに、ぜんぜん使われた形跡がなかったのは、ルート自体に問題があったからなのだな。
 まったく、このルート使えません。使っちゃいけません。まんくら山の登山道を検索してこのページを訪れた人に、ここは使えませんと、再度重ねて書いておこう。


 しかしながら、このルート。渡渉点の少し上に、宝物のような風景があった。それを紹介しておく。

【廃屋1】
6

【廃屋2】
7

 落水の滝へ至る林道は、もはや使われることなき廃道になっているが、それでも以前は活発に林業が行われていたようで、人家の跡が残っていた。
 これらの石壁は家々の土台のようであり、ほぼ10軒くらいが建っていたようであるが、今ではそこに建っていた家屋もほとんど痕跡はなくなっており、この石組だけが段々になって残っているのみ。
 まわりはブナやカエデの新緑が取り囲み、そして岩々には苔が覆い、人去りしあと積み上げて来た歳月の長さを静かに物語っていた。

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May 05, 2011

寿司:5月の光洋

 連休のなか、行縢山で春の山を楽しんだのちは、連休気分のついでにと、光洋で寿司を食うことにする。

【サバの稚魚のオイル漬け】
1

 最初はサバの稚魚のオイル漬け。初めて見るツマミである。
 元々は漁師料理みたいなもので、店に出ることはないそうだが、これは美味いものなので現場に独占させておくのは勿体ないとのことでの新製品。
 まあ、美味いといえば美味いのだが、この手のものは「イワシのオイル漬け」という完成品があるので、あれと比べると、なにかが足りないということが分かるなあ。
 でも、こういうチャレンジ精神は、良しである。

【スズキ】
2

 スズキは1週間寝かせたもので、独自の熟成の技術によるもの。
 たしかに独特のねっとり感がおもしろい。

【ガザミ】
3

 旬は外れたガザミであるが、このサイズのものは身がたっぷりつまっているのもあるので、それを選択してのもの。
 内子がたっぷりであり、身も蟹の香り濃厚。

【赤貝】
4

 東北の赤貝が獲れなくなってしまっているので、全国の寿司店は赤貝の入手が大変なのだろうが、光洋では長崎産のものを使用。
 赤貝は鮨のネタとして、姿がばっちり決まっている、まさに鮨のためにあるような貝である。
 食べれば、口のなかに海そのものが広がってくる。

【マイワシ】
5

 マイワシも鮨としての手当の難しい魚だが、これはほどよい加減のもの。

【サワラ】
6

 サワラは鮨ネタにするには、鮮度が貴重であり、仕入れが大変であるはずだが、近年寿司店でけっこう見かけるネタになってきた。
 このサワラもなかなかのネタ質。脂もよくのっている。

 鮨はこのほかにも、カマスが秀逸であった。
 ふわふわ加減に握られて手渡しだったので、写真には撮っていないが、今はなき長崎の名店「とら寿司」の名物だったそうで、「とら寿司」をリスペクトする店主が自分流にアレンジしてのもの。このようにして、鮨の技は継承されていくのでありましょう。

【マンゴー】
7

 デザートは宮崎名物マンゴー。なめらかでつややかな食感と、上品な甘さがよろしい。


 本日は北陸から宮崎に旅行に来た人が隣であった。
 魚の美味しい北陸から来て、昼に光洋に来たところ、おいしかったので夜にも来たとのことである。…あの和食の名店の数多くある北陸で舌を鍛えた人が二度も来るとは、光洋もたいしたものである。
 しかし、せっかくの旅行地で、二度連続で来るほど宮崎で光洋が抜きんでた店というわけでもなかろうから、他にも肉・鶏・魚等、いろいろな種類の美味しい店がありますよとか話そうと思ったが、ここで食べている人に他店を紹介するのも失礼な話なのでやめておいた。
 まあ、光洋もいい店なので、旅行者相手に、いつものごとく滑り気味の店主のギャクに、私が相の手を入れて、光洋は楽しい店ですよとのアピールもやっていたが、…へんな常連のいる店だと思われた可能性のほうが高いなあ。
 ま、いいか。(←よくないって)

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春の行縢山

 延岡近傍の山の春といえば、まずはアケボノツツジである。
 ピンク色の大柄な花を、樹木いっぱいに咲かせるアケボノツツジは、華麗そのものであり、この山域の春の名物である。

 近場でアケボノツツジを見られる山、といえば行縢山なので午後に出かけてみた。

【鯉のぼり】
1_1

 5月5日は子供の日であり、行縢山山麓の民家には、このように小さな鯉のぼりが、まさに大群で川を泳いでいくような感じで庭にはためいていた。

【アケボノツツジ(のはず)】
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 行縢山にはアケボノツツジの咲いているところは限られており、雌岳への稜線にあるその場所に行ってはみたが、…あれ、もう葉が出ている。
 アケボノツツジは、桜のソメイヨシノと同様に、花が全部散ったあとに葉が出てくるので、若葉をまとっていたらもう花は終わりである。

 ありゃりゃりゃ、祖母山とかは今からが旬というのに、行縢山はこんなに花の時期が早いのか。

 しかし数あるアケボノツツジのうち、のんびりした樹もあるかもと思い、いろいろ探したが、アケボノツツジは勤勉な樹のようであって、いずれの樹も既に花は散っていた。

【アケノボツツジ】
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 そんななかでなんとか見つけた、地に落ちたアケボノツツジの花一輪。
 今年の春、初めて見たアケボノツツジは、散った花びらであったことよ。

【新緑と渓流】
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 雌岳に登ったのちは県民の森ルートで下山していく。
 ここの渓流はまわりに新緑の樹々が満ちて、瑞々しい風景になっているはずだが、本日は九州をおそっている雨不足の影響で、渓流の水が少なく、なんとなくひからびた風景だ。

【行縢の滝】
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 その乾いた渓流の先にある行縢の滝も、なんともひどい状況になっていた。
 水は岩壁をしめらす程度に流れおち、かろうじて一条の細い水流が、滝の名残みたいな感じで放たれている。
 この滝は「日本の滝百選」に選ばれるほどの名滝なのであるが、いくら名滝といえど、水がなければただの岩である。

【本来の行縢の滝】
Fall

 本来の行縢の滝は、こういうふうにシャワー状に水が流れており、今の乾いた行縢の滝は、仮の姿である。

 滝はしかたないとして、九州もこれから田植えの季節となり、水がより必要となってくる。
 休日に降られるのは困るが、平日でも、雨がたくさん降ってもらいたいものだ。

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May 04, 2011

別府レトロ and カレーハウスなつめ

 温泉で有名な別府市は、先の大戦で空襲を受けていないこともあり、古い街並みがよく保存されていて、昭和時代のノスタルジックな雰囲気が味わえる街である。

【別府タワー】
Tower

 別府のシンボル、別府タワー。
 今となってはこういう無骨なセンスのタワーを他に見ることはないので、貴重なものといえる。なにしろ建って50年以上が過ぎている。

【別府高等温泉】
Onsen

 これも別府のシンボル、駅前高等温泉。こちらは別府タワーよりもさらに古く、大正時代の建築物である。
 高等温泉という名前は高等湯が出るからであり、たしかに「高等湯」は、入ればぽかぽかと温もり気持ちのよい湯である。

【商店街】
Main_street

 駅前の商店街は、…なんとも寂れている。
 観光地のGWの昼時にこれでは、どうもこうもならんような気がする。
 この商店街は近傍に大型ショッピングセンターができたので、それで壊滅的な打撃をくらったのだろうな。

【路地裏】
Roji

 別府は商店街から枝道に入ったところの路地がとても風情がある。
 狭い道が複雑に入り組んでおり、適当に歩いていると、異界にでも入っていきそうな雰囲気があります。

【カレーハウスなつめ】
Natume

 レトロ調の商店街に、さらにまたレトロな外観のカレー店がある。
 木製の扉、掛け時計、木製の看板。うん、昭和30年代風だ。

【ビーフカレー】
Curry

 カレー店に入ってみて、ビーフカレーを注文してみる。
 老夫婦のやっているこじんまりした店で、店の内観からも、この夫婦が長年務めていたことが分かる。
 カレーの味は、きわめて普通で優しい味。それこそ何十年もずっと同じ味のカレーを丁寧につくり続けていたという感じの、おだやかで標準的なものである。
 店の外観通りに、カレーもまた昭和のレトロな雰囲気たっぷりのものであり、食べていれば昭和の時代の気分にひたれるのであった。

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May 03, 2011

TD国東 打上げ宴会@別府

 TD国東には延岡チームも大人数参加していて、ほとんどはBコースを走行したとのこと。Bコースは坂がハードな登りがいのあるコースであり、こちらも楽しそうではある。ただしAコースを走った私は、そのせいで延岡チームとはまったく遭遇しなかった。来年は坂の面白そうなBコース走ってみようかな。でも90kmという距離はあまりに短すぎるしなあ。

 ゴール後、携帯をチェックすると田中店主からの打上げ宴会参加の最終確認の着信履歴が14時半に残っていた。 …そんな時間に既にゴールしてるほどの脚力、私にはありませんって。

 まあ、そういうわけで、TD国東の完走後の打上げは別府の居酒屋「こいのぼり」で開かれた。

【こいのぼり:生簀】
Ikesu

 この店は鮮魚系がウリのようで、大きな生簀が置かれている。
 今はあんまり魚が美味くない時期なので、さすがに魚は少ししか泳いでいなかったが、秋を過ぎると、ぎっしりと泳いでいるのだろう。

【鶏天】
Toriten_2

【手延べ団子汁】
Dagojiru

 飲み放題メニューで、けっこうたくさんの料理であったが、大分地元の名物では、この「鶏天」と「団子汁」が出てき た。
 宮崎では「地鶏炭火焼」と「冷汁」、熊本では「馬刺し」と「だご汁」がこれと同じようなものだろうな。

【祝福のシーン】
Enkai_2

 総勢27名という大所帯の宴会であり、他県からのチームとしては、けっこう自慢できるような数と思われる。宮崎市からは、たぶんこれほどの数は来ていないはず。
 そして延岡チームの宴会のクライマックスは、サプライズのバースディ祝い。
 参加者の一名に本日が誕生日の人がいたからであるが、…とある事情で今日参加できなかったので、本人抜きに蝋燭とケーキの祝福が行われたのが、ちょっと残念であった。

【別府2次会】
Kawakami

 2次会は別府中心街の「かわ上」というスナックで、酒とカラオケの宴会。
 田中店主が歌が上手いのに感心したのはともかくとして、私が驚いたのが、この店の手伝いのベトナム人の女性の歌のすごい上手さ。
 Celtic WomanのYou Raise Me Upを歌ったのだけど、元々まともに歌える人がほとんどいないような難曲を、声量豊かに、ほぼ完ぺきに音階そのままにハイトーンヴォイスで歌っていた。たまげましたわ。
 これだけ上手いと、Britain’s Got Talentに出たりしたら、予選突破は確実だし、うまくいけば決勝にも残れるというレベルである。
 寂れてばかりの別府であるが、彼女の歌は別府の名物になれる、それくらいのものであったとマジに思います。

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ツール・ド・国東2011 Aコース

 5月3日、ツール・ド・国東(以下TD国東)開催の日である。
 天気予報では曇りのち雨とのことで、あまりよろしくないコンディションである。外を見ると、やはり曇っている。

【別府市街】
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 曇ってはいるが、この曇り方、やけに濃いい曇り方であり、あきらかに黄砂が大量に飛来してきている。
 ますますもってよろしくないコンディションである。

【スタート会場】
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 TD国東は九州最大のサイクルイベントであり、参加者が非常に多く、全コースに3000人近くが参加している。私の出場するAコースはなかでも人気が高く、1400人弱が参加しており、スタート会場は人・人・人である。
 TD国東にはりんりん館チームと延岡チームから参加者が来ているはずだが、これだけ人がいると、誰が誰やら分かるはずもなかった。

【安岐ダム】
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 Aコースは最初からアップダウンに富んだコースであり、登っては下り、登っては下りを繰り返していくうち、だんだんと高度を上げていく。
 その最初の大きな峠が安岐ダムであり、ここの道はダム湖を眺めながらの、広々とした道である。この峠を越えて、それからもう一つチチャノ木峠を越えると、いったんは長い下りとなる。

【第3エイドステーション】
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 チシャノキ峠からずっと下っていって、第3エイドステーションの都甲中学校に着く。今までのESは補給食が貧弱であったが、ここは豊富であった。
 バナナ、チクワ、鶏の唐揚げ、漬物、梅干し、飴玉、もち吉のお菓子、などなど。とくに人気は鶏の唐揚げで、どんどんとなくなっていった。
 係の人によると、ここから激しい坂が始まるので、ここでしっかりと英気をたくわえて、それから出発すべしとのこと。

【川中不動近くの峠】
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 山あり、湖あり、海ありの変化に富んだAコースであるけど、眺めはこのあたりが一番よかった。山水画に出てきそうな、奇岩、奇石が渓流の向かいに聳え立っている。
 画面の左のほうに見える岩と岩には、「無明橋」という有名な橋がかけられている。高度抜群のキレットにかけられた柵のない橋であり、高所恐怖症の人には絶対に渡れないという橋だ。

【無明橋 拡大図】
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 橋の部分を拡大すると、このようなアーチ型の石橋である。
 人が橋の手前に2人いることまで写っていた。

 この峠を越えてしばらくすると、山道みたいな細い道路に誘導され、登りに入る。その登りの先には200m以上登らねばならない大きな坂が見え、気合の入るところである。
 ところが、その坂に行く前に、突然左側の枝道に案内され、そこも激坂ではあったのだが、200mくらい走ったところで登りきってしまった。なんだか拍子抜けしてしまった。
 コースとしてはあの坂を登り切ったほうが面白いに決まっているのだが、あとで地図を見ると、その坂を登り切るとBコースと合流してしまうので、それを避けるためのコース設定らしかった。

【周防灘へ】
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 坂の上、無動寺からは長い道をひたすら下っていく。
 そしてようやく海岸線へと出た。ここからはずっとフラットな道と思ったが、けっこうアップダウンが多く、楽はさせてくれなかった。

【粟島神社 昼食】
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 90km走ったところで昼食会場の粟島神社へ到着。着いたのは13時15分で、ほぼ4時間かけてたどり着いたわけだ。このペースなら、完走は問題なさそうである。
 昼食は、名物の「タコ焼き」。それに豚汁、お握り、パン、鶏の唐揚げ、イチゴ、など。他にもいろいろあったが、とりあえずこれくらい。
 この昼食、やたらに味つけが濃く、あとで走っていて胸やけがして参ってしまった。食事の選択に問題があったと反省。

 昼食をとったあと、会場内を知ってる人はいないかなと、ぶらぶらと歩いていると、予想もしていなかった、大学の同級生と、それに以前の職場で一緒だった者とに会った。
 こんな遠い地で、とも思ったが、それだけTD国東が九州中から人が集まる有名イベントということである。

【粟島神社 昼食会場】
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 あんまりのんびりしていて時間以内に戻れないのもなんだから、14時前に出発することにする。
 そうすると会場、昼飯を取るために並んでいる人がぎっしりいることに驚く。そうか、まだこんなに人が残っていたのか。
 テーブルに置かれていた、すごい大量のタコ焼きに私はびっくりしていたのだが、これだけ人がいるとそりゃいるよな。なにしろ最低1400×2個いるわけだから。

【第5エイドステーション】
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 海岸線を走るうちに、予報通り雨が降って来た。
 風邪をひいていて体調がやや不良であったこともあり、本降りになったらリタイヤも考えていたのだが、ゴールまではなんとか小降りのままであり、助かった。

 海岸線のそれなりにアップダウンのあるコースを走るうち、スチールフレームでシングルギアの白い商用車に抜かれてしまった。ロードバイクがそのようなものに抜かれるのもみっともない話なので、追い抜き返したが、なんと登り坂で、激しいダンシングで登るその自転車にまた抜かれてしまった。
 すごい脚力だよなあ。こういう人が普通のロードに乗ったら、どれだけ速いことであろうか。この人、ぜったい有名な人だと思う。

 雨降るなか走るうち、最後のESに到着。
 ここで雨合羽をつけようかどうかと思ったが、多くの人はウィンドブレーカー装着で走っていたで、私もそれにしておいた。

【大分空港横】
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 TD国東は海岸線に出て213号線に入ってからは、車の交通量が多くなり、自転車にとっては走りにくくなる。
大分空港近くでは歩道に誘導され、しばらくは歩道をゆっくりと走ることになる。ここらでCコースとも合流。チャイルドシートに子供を乗せたファミリー連れなども走っていて、ほほえましい光景である。

【ゴール】
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 145kmの時点で、「心にのこるゴールまで5km」という看板が出ていた。
 Aコースは実質156kmという話を聞いていたので、計算があわないなと思ったが、150kmの地点でほんとにゴールの門が出現した。ここをくぐると、カボスジュースが手渡しでもらえる。
 とりあえず7時間10分にて到着。実走時間は5時間55分で、平均時速は25.3kmといういたって平凡なタイム。ま、いつもと同様の速度であり、進歩はしていないが、退歩もしていないというところ。

 Aコースの〆切り時間は8時間なので、あと40分もすれば閉鎖ということになるのだが、はたしてそれどうするのだろう。門を撤去? それともポールかロープで通せんぼ?
 少々の興味を持ち、それまで待っていようかなとも思ったが、雨がいよいよ本降りになってきたため、さっさとスタート会場に戻ることにした。
 このあとスタート会場まで6kmの道を自走することになり、これを足して、156kmというAコースの本来の距離になった。


 TD国東、さすがに全国的に有名な大会だけあり、コースは変化に富んでいて面白いものであった。そして要所要所の誘導もしっかりしており、走りやすい環境も整えられていた。
 そして一番感心したのが、国道213号線。あれだけ交通量の多い道であり、そこに大量の自転車が入りこむわけだから、車のほうも非常に通りにくそうにしていたのだが、それでも特にトラブルなく大会が行われている。これは、現地の人たちの理解と協力がしっかりしているからなんだろうな。
 宮崎には、大分以上に魅力に富んだ道がたくさんあるのだから、いずれはこういうふうな大きな大会が開かれればよいのに、などとも思った。

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May 02, 2011

ツール・ド・国東2001 前夜

 九州最大のサイクルイベント、ツール・ド・国東が5月3日に開催される。
 あの大震災以来、東日本のみならず西日本や九州でも大きなスポーツイベントがのきなみ中止となっており、ツール・ド・国東も開催が危ぶまれていたのだけど、チャリティイベントを兼ねることにして無事開催されることになった。
 主催者の英断に感謝。
 まったく、参加者と応援者含めて5000人以上がやってくるというイベントだけあって、これが中止になると観光業、宿泊業とも大打撃になることは間違いなく、関係者も一安心といったところであったろう。
 
 その参加者の一員として、私も前夜から大分入り。
 当地の杵築は宿泊のキャパが小さく、宿泊は別府とした。
 参加受付は当日でもやっているのだが、当日は混むとのことで前日に済ませた。

【受付会場】
Ukeduke

 受付ではスポーツ大会での定番であるらしいシャツをもらった。こういう大会に参加するごとに、着る気も起きぬまま、あんまりセンスがいいとも言えぬシャツが増えていっているが、さてどうしたものか。
 そしてもう一つもらったのが完走証。完走するかどうかも分からないのにあらかじめくれて、そして完走したなら、自己申告制で、自分でタイムを書いて完成させるという仕組。ま、たしかにこの方式ならチェックポイントがいらず、人手も省けることができる。省エネが流行っている今日、これから主流になるかもしれない。

【関サバ・水槽】
Fish_tank

 別府市宿泊なので、大海寿司に電話をすると予約がとれたので、夕食は寿司にする。
 肴は関サバから。もちもち・ぷりぷりの関サバ独特の筋肉質な食感である。
 関サバは豊予海峡に住むサバのことであるが、一般の人もここに船を出せば釣ることができる。しかし関サバは釣ったあとの手当てが非常に大事な魚で、やはり専門職以外が手当てした関サバは、どうしても身がふやけてしまう。
 だからこういう地のものを大事にする店では特定の漁師から直接仕入れることにしているとのこと。
 水槽のなかには、底のほうにそろそろ旬を迎える城下カレイがいる。
 こいつを刺身にして、中落ちは潮汁にして、ヒレは唐揚げにして…とすれば美味しそうだが、それだとかなり酒を飲むことになるので、ツール・ド・国東前夜ゆえ、自制しておく。

【城下カレイ】
Flounder

 その城下カレイの鮨。
 カレイにしては独自の癖は少なく、平目に似た味と食感である。
 薬味と肝もよく利いていて鮨としてのバランスが甚だよろしい。

【穴子】
Conger

 大海寿司の穴子は、焼きが強め。
 このカリっとした食感もなかなか面白い。

【赤貝ヒモ巻き】
Redshell_2

 〆は赤貝ヒモ巻きで。
 豊後産の赤貝の、新鮮な海の香りがとてもいいです。

【別府高等温泉】
Onsen

 酒を控えめにして夕食を終え、そのあとは別府駅まで歩いていく。
 その途中にある「別府高等温泉」。
 大正時代に建てられた洋館式建築であり、レトロな雰囲気が「いかにも別府」という感じで、情緒豊かである。ここは宿泊施設であり、大部屋雑魚寝のライダーハウスみたいな使い方もできる。
 泊まってみても楽しそうではあるが、ま、若い人が使うようなところでもあり、もはやその元気もない私は、タクシーに乗って普通のホテルへと行った。

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May 01, 2011

読書:十字軍物語(2) 塩野七生(著)

 キリスト教国家の一種過激な宗教戦争運動により、イスラエルはキリスト教国家のものになり、そしてパレスチナの地に十字軍国家が建国されたあらましが第1巻であり、第2巻はそれに対するイスラム側の反撃を書いている。

 じつのところ9回に及ぶ十字軍遠征は、キリスト教側の戦いに一貫性というものがなく、長期戦略というものが欠落しているので、読んでいて「こいつら、いったいなにやってるんだい」と思ってしまい、あんまり興がのるものでもない。
 第2巻はそのてんでバラバラなことをやっているキリスト教側に対して、イスラム側に若き英明な男サラディンが登場する。彼はイスラム諸国をまとめあげて、総力戦を仕掛けて、そしてイスラエルはイスラムの手に戻ることになる。
 ようやくにして知恵と戦略を持つヒーローが舞台に出て来るので、これで物語は面白くなってくる…と、思いきや、案外にサラディンに対する著者の書き方は淡々としており、それよりも著者の興味は十字軍国家のほうに、よりそそがれている。

 著者は、「十字軍国家はなぜ滅びたのか」よりも、「十字軍国家はなぜ200年も存続できたのか」ということに注意を向けている。
 たしかにパレスチナの地に飛び飛びに存在していた十字軍国家は、自前の軍は弱小規模のものしか持たず、イスラム側から攻められたときは、ヨーロッパ国家の軍の遠征による救援を仰ぐのが常であり、しかしそのヨーロッパ軍はあんまり頼りになるものではなかった。
 その悪条件のなか、十字軍国家はその弱小の軍だけでも、なんとか200年持ちこたえていた。それこそあの強敵サラディンでさえ、イスラエルは落としたものの、全十字軍国家の征服までは出来なかった。
 その十字軍国家の強さの秘密を、著者なりに考察を進めていっており、そしてその解説は説得力あるものであった。すなわち、十字軍国家を存続させていた力は、その地で生きると決意した者たちの、常に背水の陣のごとき精神でいた、意思の力であると。

 そして、強大なイスラム国家に取り囲まれた、ヨーロッパからはるか離れた地で、強い使命感と責任感をもって絶望的な戦いを続けていく、病めるイスラエル王と、そして騎士団の姿は、悲愴なまでに美しいものがある。

 
 次の3巻は、十字軍のハイライト、英雄サラディンとその宿敵獅子心王リチャードI世の死闘の物語となるのだろうけど、次回の英雄たちの物語、さて著者はいかに描くのであろうか。

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 十字軍物語(2)

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