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March 26, 2011

プロメテウスの業苦

 人類の黎明期、人類とは、暗闇のときは野獣たちの到来に怯え、寒いときは洞窟のなかで震え合うしかない、そういう弱々しい存在であった。
 その姿を哀れみ、天上の神プロメテウスは、神が独占していた「火」を人類に与えようとする。しかしその企ては、主神ゼウスによって、「人類に火を与えると、やがて彼らはつけあがり、神々をもおびやかす存在になりかねない」として拒絶される。だがプロメテウスはその拒絶の命令を振り切り、人類に火を与えた。

 その結果、人類は火を所有し、夜は明るくなり、寒き日も暖が取れるようになり、さらには火によって調理、土器、武器作成などもできるようになり、人類は万物の霊長となった。

 しかしながら人類に火を与えたプロメテウスは、主神ゼウスの怒りをかい、岩山に鎖で縛りつけられることになる。身動きとれぬプロメテウスにゼウスは鷲をけしかける。鷲はプロメテウスの腹を裂いてその肝を啄ばむ。生きながらにして内臓を食われる激痛に苛まされるも、不老不死である神プロメテウスは翌日には回復している。その回復したプロメテウスをまた鷲が襲い肝臓を啄ばむ。この果てをもしれぬ業苦は3万年続いた。

 これがギリシャ神話伝えるところのプロメテウスの物語である。


 人類の文明というものは、畢竟、火の利用と制御につきるところがある。
 天上のものかどうかはともかくとして、火を得た原初の人類は、それにより多大なる恩恵を受けることになった。しかしながら、火はまたおそるべく災厄をももたらしたわけであり、身を焼き、家を焼き、街を山を焼き、はては戦禍で国をも滅ぼしたことさえある。

 岩山で想像を絶する苦痛と戦っていたプロメテウスの姿は、じつは火の恩恵を受けていた人類が、同時に火によって苦しんでいたもう一つの姿の象徴であろう。

 神話ではやがてプロメテウスは解放されるのであるが、じっさいの歴史では、プロメテウスはずっと岩山につながれ鷲に責められていた。火の使い方が多岐にわたるにつれ、その災厄も規模が大きくなり、苦難はさらに激しいものとなっていた。しかしその苦難との戦いとともに、人類は火の使い方を昇華させ、さらに文明を高度に発展させてきた。
 私たちの今の文明は、プロメテウスの業苦のもとにある。


 現在日本は国難といってもよいほどの災害にみまわれている。
 そして、福島では原発の事故に対して、人類の英知をふりしぼった対応がなされており、彼らの奮闘にはまさに頭が下がる思いである。

 この原発事故から、学ぶべきものは多いのだろう。そしてたとえば、原発はもう廃止という意見も出るには違いない。
 ただ、原初の時代から火の獲得とともに続いてきた、プロメテウスの業苦と格闘の物語を鑑みるに、この現在進行形である21世紀のプロメテウスの物語を経て、ここから更なる高みに、我らの文明が達していくことを私は祈念してやまない。

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