延岡を竜巻が襲った日
東日本大震災で大津波が街を押し流す映像をみて、明日は我が身と思った人は多いであろう。
日本は海岸沿いに平野が集中しているので、そこに住んでいる人が圧倒的に多く、いざあのような津波が突然襲来したときは、もうどうしようもなくなってしまうに違いない。そして、日本は海岸沿いなら、どこでもあの津波が来る可能性があるのである。
延岡も調べてみると、400年前に大津波に襲われた記録が残っていて、やはりその例外でないことが分かる。そして将来的に発生が予測される東南海・南海地震のさいは、5~6メートルの津波が生じるとされている。延岡市の人の住んでいるところは、標高5メートル以下の土地ばかりなので、そりゃ大変だと思ったが、市作成のハザードマップをみてみるとその対策はなされているようで、この規模の津波が来ても、案外に家が流されるような浸水を来すような場所は少ない。防波堤等の治水対策がそれなりに為されているのであろう。
もっとも、今回の大震災のように高さ10メートルを越えるような想定外の津波が来たら、なすすべもなく市は壊滅であるが。
そのようなことを、延岡市内の某寿司店でしゃべっていると、店主は「天災とは恐いものです」と力を込めて語った。
じつは延岡市は、地震ではないが、凄まじい天災に襲われた経験がある。
それは5年前、平成18年の竜巻襲来である。台風13号の到来による気流の乱れによって日向灘に発生した大竜巻は、突如として延岡市に上陸し、街の中心部を縦断し、家屋を鉄道を破壊して、去っていってしまった。
店主はその日は店を兼ねた自宅の3階に居たのだけど、なにやら凄い風の音がして、「台風とは違う音だなあ」と思っているうち、いきなり窓が吹っ飛び、そこから洪水のごとく風が吹き込んできて、部屋のあらゆるものを巻きあげながら、向いの窓も破り、それらを連れて吹きぬけていった。店主はたまたまその風の通り道と離れた場所にいたので難を逃れたけど、もしも、その通り道に居たら、部屋から飛び出て行った家具と同じ運命をたどって、3階から放り出され、致命傷を負ったに違いなかった。
こういう生死を分けるものは「運」しかないと、店主は実感をこめて語った。
そしてもう一つ運のよいことに、店である一階は無事だったので、翌日から仕事をすることができ、この災害で被ったン百万円の損害も、順調に支払うことができたとのこと。
まったく、想定外の天災をくらった場合、人のできることなど知れている。
生死を分かつものは結局は運なわけで、そうして私たちが現在生きているということは、運がよかったからなのである。
運のいい人。
自らがそれであることの幸運を、ありがたく思っておきたい。
画像は延岡の竜巻ドキュメントより。
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Comments
延岡の竜巻は、最近のことでしたね。列車が
横倒しになったニュースが思い出されます。
(運)は実に大きいですね。(当たり前の日常)が実は、(実に運のよいこと)と、特に
いろんな震災をニュースで見るたびに 実感する毎日です。
Posted by: ホワイトアスパラガス | April 01, 2011 02:25 PM
まったく、人間がどうこうできるわけでない天災がここまで続くと、運というものを実感せざるをえません。
神様というものがいるとしたら、思いあがった人間に、自分の存在を知らせるためにやってるんだろうなとか思ってしまうほどですね。
Posted by: 管理人 | April 01, 2011 09:56 PM