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February 2011の記事

February 27, 2011

山の中のカレー:ボワテール・バン@阿蘇市宮地

Shop


 阿蘇宮地駅の近くに入り口のある、仙酔峡に向かう道路をずっと走っていくと、別荘やペンションが立ち並んでいる地区に入っていく。どの建物も、童話チックな建物であり、お洒落な飲食店っぽいので、本日お目当てのレストラン「バワテール・バン」はこれかなと迷ったりしたが、「ボワテール・バン」は近寄れば、周りに「ハヤシライス」と書かれた幟が何本もあるので、間違うことはなかった。

 この店もまた辺鄙なところにある。
 前を走る道路は観光道路であるが、その道が観光客でにぎわうのは、仙酔峡にミヤマキリシマが咲き乱れる一時期だけであり、いったいどういう客がターゲットなのか分かりにくいが、…まあ店そのものの魅力で人を集めているんでしょうね。

 店の名物は、地元の赤牛を使ったハヤシライスであるが、ビーフカレーもメニューにあったので両方頼んでみた。

【ハヤシライス】
Hayasi

【ビーフカレー】
Curry

 どちらの料理も牛肉は原型をとどめないほどにじっくりと煮られ、そして野菜なども同じようにじっくりと煮られて、甘みとコクのある、マイルドで上品なものである。
 阿蘇のカレーはこの系統のものが多いので、こちらの人の好みなのであろう。

 この店は赤牛のほかにも、鴨が名物のようであって、メニューには本格的なコース料理が載っていた。
 別荘やペンションに滞在中の人が、ディナーを愉しむにはもってこいの料理に思えた。

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梅一輪一輪ほどの暖かさ@日田大山町

 由布院にほど近き日田で、「おひな祭り」と「梅祭り」をやっているので、寄ってみた。

【日田市 豆田地区】
1

 日田一番の観光地、豆田地区。
 日田は天領として栄えたところなので、昔からの文化遺産がよく残っており、江戸時代の雛人形なども保存されている。それらが雛祭りの時期に、旧家で見ることができるわけだ。
 そういう雛人形は撮影禁止なので写真はないけれど、…古い人形ってけっこう不気味である。

【おおくぼ台梅園にて】
Garden

 日田大山町は梅の産地で有名であり、6000本以上の梅が植えられていて、大量の梅干しの産地となっている。
 花の盛りの時期は、紅梅、白梅が咲き誇り、さぞやきれいなものであろうが、本日はまだ3分から5分咲きであった。
 来週くらいからが見ごろのようである。

【梅の花】
Plum

 それでも梅はぽつぽつと咲いている。
 梅の花は小さくとも凛とした気品があり、桜の花の華やかさとはまた違った、いい味がある。
 寒い時期にこの花を見ると、寒さのなかでも少しずつ、少しずつ春が近付いているのが分かり、冒頭の句はそれを描いてまことに名句だとは思うけど、あいにく今日は4月なみの暖かさであり、そういう句の世界にはひたれなかった。

【サルノコシカケ】
Saruno

 梅園の出店で不思議物件を発見。
 サルノコシカケは山のなかではいくらでも見ることのできるキノコだが、これって商品になるんだ。木のように硬いキノコゆえ、食用になるとは思ないけど、なんに使うのであろうか。 漢方薬? 出汁の素?

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February 26, 2011

和食:無量塔@東の別荘

 九重登山のあとは無量塔に行って、温泉でぬくもったのちに夕食を楽しもう。

【先附】
Mukouduke

 先附は、ちかごろ定番気味になってきた一寸豆を用いたもの。
 大きな一寸豆のサヤに、山女、オイル漬けトマト、ブロコッリー、といろいろ載せた、色も味も鮮やかな料理である。

【椀物】
Wan

 椀ものは地鶏の百合根万十。出汁は無量塔流の力強いもの。

【八寸】
Hassunn

 八寸はまた賑やかなものである。
 関アジの造り、鴨ローストにオレンジをはさんだもの、赤貝、平目巻き、タラの芽の揚げ物、菜の花ひたし、牛蒡チップ。手前は節分にちなんで、大豆の甘露煮を大根の枡に入れている。
 遊びこころと、料理の美しさに、いいバランスがとれている。

【鍋】
Nabe

 鍋はタラバ蟹の具足煮。季節の野菜をたっぷりと入れて、白味噌仕立ての鍋である。

【揚げ物】
Agemono

 揚げ物は、蕗の薹にタラの白子を抱かせて揚げたもので、かなり独創的なもの。春の珍味とよぶべきもので、これはなかなかいける。

【豊後牛】
Beef

 無量塔名物の豊後牛の料理はいろいろなパターンがあるのだが、これはレアにデミグラスソースを添えたもの。和風の上品なソースである。

【牛丼】
Don

 豊後牛のデミグラスソースは、白飯に合うと思い、即席で牛丼にしてみた。
 ねらいとおりに、これはかなりの美味であった。

 美味い料理と美味い酒を飲み、満足満腹の夕食であった。


【東の別荘】
Room

 泊まった部屋は東の別荘。
 無量塔の最も古い部屋であり、無量塔の原型のようなもの。
 無駄ともいえるような膨大かつ贅沢な空間量が持ち味であり、暖房をつけても部屋が大きすぎて上のほうに暖かさがとどまってしまうため、天井に空気を攪拌するためのプロペラがついているくらいのものなのである。
 ただし、写真ではその圧倒的部屋のボリュームは伝えにくいなあ。

【部屋風呂】
Bath

 東の別荘の特徴として、この部屋風呂もあげられる。
 無量塔の風呂は基本的には内風呂だけど、この部屋だけは半露天風呂であり、半分だけ庭に出ている。庭には石楠花が植えられており、花の季節には、石楠花の花を眺めながらの温泉が楽しむことができる。

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残雪の九重:牧ノ戸~中岳~御池~久住~星生~牧ノ戸

 2月末になって急に暖かい日が続き、本日もぽかぽか陽気で、予報では4月下旬なみの気候とのことである。 九重に雪が残っているかどうか微妙なところではあったが、とりあえず予定通りに登山に行くことにした。冬装備だと歩いているだけで汗まみれの脱水症になりそうな気温ゆえ、ひさしぶりに軽装備での登山である。

【牧ノ戸登山口】
1maiknoto

 やまなみハイウエイには雪はまったくなかったけど、標高1400m近い牧ノ戸峠の登山口には雪が残っていた。8度という気温でここまで雪が残っているとはラッキー。雪は水を多く含んだシャーベット状であり、これをザクザクと踏みしめながら登っていく。

【沓掛山山頂より】
2kutukake

 沓掛山から稜線の登山道を眺める。
 雪がところどころ残る、残雪の雪道である。

【西千里浜】
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 星生崎と久住山が両翼に山容を広げる姿を望める西千里浜。
 ここが真っ白の雪景色ならば、九重屈指の絶景なのだけど、雪はあらかた溶けてしまい、泥田んぼ状態になっている。
 まあ、ここは元々は湿原なので、この姿が正しいといえば正しい。

【久住別れ】
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 西千里浜からの岩場を登りきると、久住山の姿を正対して見ることができる。
 雪が多いときは、木の生えていない岩山の久住山は、巨大な白いプリンのごとき神々しい姿となるのだけど、残念ながら山肌に斑に雪を残した、さえない姿だ。

【天狗ヶ城山頂から】
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 本日の第一の目標は御池なので、久住別れからはまず天狗ヶ城に登ってみた。山頂より眺める御池は、9割方凍っており、登山者も氷の上を歩いている。

【中岳山頂から】
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 天狗ヶ城からはそのまま中岳に登った。
 ここからは御池周囲の山々の姿を眺めることができるけど、登山者の多くは御池目的に中岳に登ってきており、九重の盟主である久住山に向かう人は乏しい。

【中岳山頂から 2】
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 久住中岳は標高1791mで九重山系のなかでの最高峰である。
 ただし大船・久住のような独立峰ではないので、御池周囲を歩くうち、うやむやのうちにピークに立ってしまうのが難のようで、人気は乏しい。
 それでもここから眺める大船山と坊がつるの姿は、素晴らしいものである。

【御池1】
7miike

 中岳からは来た道を戻らずに東千里に抜けるルートもあるのだが、本日は御池がメインだったので、御池にと下りていった。
 一部池の周囲に溶けているところもあったが、まだまだ厚い氷が残っていて、中央まで歩くことができた。

【御池2】
8miike

 氷が厚いといえど、日の当たるところはそれなりに溶けていて、薄くなっている。そこらに近づくと、ミシミシと音が鳴ったので、あわてて逃げだした

【久住山】
9kuju

 御池の上を歩き本日の目標は一応達成だが、せっかくなので牧ノ戸ルートのメインである久住山にも登ってみた。
 前方には「山」の形をした三俣山。そして噴煙をもくもくと上げる硫黄山。

【星生崎】
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 中岳にも久住山にも雪は乏しかったけど、星生山は日当たりの関係からまだ雪が残っていたので、帰り道はここを登ることにした。
 久住別れから星生山を見上げると、雪面をたどっての直登ルートで登っている足跡が見える。楽しそうなルートであるけど、この温かい気温では雪面に刺戟を与えると容易に雪崩が起きそうに思え、とてもそんなルートを選択する気にはなれず、通常の登山道で登って行った。

【星生山山稜】
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 星生山は九重のなかでは岩に富んだ山であり、登山も手強い部類にあたる。
 このゴツゴツした稜線、いかにもハードそうでしょう。

【星生山】
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 岩場を歩いていく稜線の先には星生山が聳えている。
 ここにも雪面を直登していった足跡が残っており、どこでも勇者がいるものだと感心する。

【星生山山頂】
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 星生山山頂からは、硫黄山の噴煙を直下に見ることができる。
 硫黄山は10年以上も前に突如爆発が起き、その影響で何年間も星生山は立入り禁止になったのだけど、噴火が落ち着いてきたため登山が許可された。
 今、全国ニュースになっている霧島新燃岳も、早くこのように登れる山になってほしいものだ。

【飛行機雲】
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 星生山から下山しては、登ってきた道を折り返しての下山となる。
 登山中ずっと好天に恵まれ、青い空にはいくつものきれいな飛行機雲が描かれていた。

 今シーズンの九州の山は寒波の波状的な到来で、大量の雪が積もり、どの山もまれにみる深い雪山となっていた。おかげで、さんざんと雪山を楽しめたわけだが、さすがに今回で終了のようである。

 そして春が来て、やがては新緑の山となり、花々が咲き誇り、…新たな魅力をまとった山々を、また楽しむことにしよう。



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February 25, 2011

イタリア料理:アンティコ カステッロ@熊本市

 久しぶりに熊本市に出たついで、以前から気になっていた、イタリア料理店アンティコ カステッロ(Antico Castello)を訪れてみた。
 アンティコ カステッロは一昨年の7月に、童歌仙波タヌキで有名な船場橋の近くにオープンした店である。
 料理は今のところコース料理のみのようである。

 前菜はフォアグラがまず出て、その次は盛り合わせ。

【前菜 盛合わせ】
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 イタリア料理は和食と同様に、前菜でその店の力がすぐに分かるけど、生ハムの質や、自家製チーズの質、野菜の新鮮さ、そしてそれぞれの取り合わせのバランスの良さ、それらから「この店は当たりだ」と分かる、愉しい料理である。

【パスタ】
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 イカスミを練り合わせた生パスタに、カラスミとメカブをあわせて。
 潮の香りがするような、海を感じさせるパスタである。パスタのゆで加減も丁度よい。

【リゾット】
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 香り高いオリーブオイルとニンニクで煮られたライスに、これも香り高い黒トリュフが拮抗していて、かなり個性の強いリゾットになっている。ライスは歯ごたえしっかりのアルデンテ。

【魚料理】
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 メインの魚料理は、スズキにトマトと菜の花を添えて。
 スープはコンソメかと思うくらいに、魚骨からしっかりと出汁をとった濃厚なものであるが、魚臭さはまったくなく、豊かなうえに澄んでいて、秀逸なものである。

【肉料理】
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 メインの肉料理はシャラン鴨のロースト。
 鴨の味がうまく前面に出てきており、素材の良さがよくわかる料理である。


 この店の料理は全体として筋が一本通っており、良い素材をイタリア料理の本道の調理法で、ストレートに表現していくというシェフの思いがよく伝わって来る。
 熊本市在住でイタリア料理好きの人には、是非ともお勧めの店だ。

 …………………………………
 アンティコ カステッロ 熊本市桜町2-31
 TEL 096-327-9109

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加久藤カルデラ

Kakutou


 「死都日本」で破局噴火の舞台となった加久藤カルデラは、地元の人にとってもあまりなじみのない名前である。だいたいカルデラというと、人は絶壁に囲まれた巨大な窪地を想像するのに、加久藤カルデラは相当に崩れてしまっていて、そういう形をしていないので、カルデラと言われてもピンとこない。

 加久藤カルデラは、イコール加久藤盆地(えびの盆地ともいう)である。
 九州脊梁山地を貫く長大な加久藤トンネルを抜けたとき、目の前に一挙に開ける、広々として盆地がそれであり、あれがはるか昔は火山そのものだったのだ。
 それが33万年前に、中身を全部吹き飛ばすような大噴火をしたものだから、火山の形も、そして南九州の地形もずいぶんと変わってしまったのである。


 加久藤トンネルを抜けて、加久藤盆地が広がるところは、九州縦貫道でも最も景色の素晴らしいところである。
 今は、人はそこで盆地の向うに噴煙を上げる霧島連山を見て、南九州の火山の活発性を知るであろうけど、じつは昔は、今霧島を眺めている地点も巨大な火山であったのだ。そういうことを知ると、もっと九州の火山の凄さ、恐ろしさが実感できるであろう。

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February 24, 2011

読書:死都日本(著)石黒耀

 新燃岳の噴火がなかったら一生手にとることもない小説であったが、新燃岳の噴火を機に、その存在を初めて知ったので読んでみた。

 これは面白かった。
 小説では、加久藤カルデラに貯まったマグマが限界に達して、霧島山系を吹き飛ばすくらいの大爆発を起こす。火口から溢れ出る火砕流、爆風は南九州全体を飲みこみ、死者300万人という壊滅的なダメージを瞬時にして与える。悲劇はそこで終わらず、火山噴火後の膨大な降灰は西日本から関東まで覆い、各地で多くの土石流が置き、都市は破壊されていく。日本が存亡の危機に立たされとき、政治、経済、軍事はどのように動いていくのか、それを壮大なスケールで描いている。

 政治、経済の部門に関しては、ある意味ファンタジーであり、読んでいて苦笑してしまう面もあるのだが、本来のファンタジーである破局的噴火のシーンは極めてリアリティックである。作者は専門家ではないそうだが、その火山の知識は途方もないものだ。しかも理系、文系両面からの火山の考察が優れているので、空を炎と煙が覆い尽くし、大地が溶岩に埋め尽くされていく、科学的・写実的描写が、神話的・黙示録的な悲劇として、読者の胸に迫って来る。

 そして宮崎在住の者としては、作中使っている場所が、ほぼ現在地そのものを使っているため、とても臨場感がある。主人公と新聞記者の2人が、霧島の大爆発噴のあと、後ろから迫りくる火砕流から逃れるため、必死に車を飛ばして走るルート、霧島→田野→大戸峠→北郷→日南は私も自転車で走ったことがあり、(ブログにも載せている)、逃避行中の周りの景色まで目に浮かぶようであった。

 宮崎在住で、このようなカタストロフィー小説が好きな人には、必読の本であろう。

 …………………………………
 死都日本 (著)石黒耀

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February 23, 2011

デジカメCOOLPIX S8100を買ってみた

 普段使っていたデジカメ(リコーR10)の調子が悪くなってきたので、買い替えることにした。リコーの画像は気に入っていたし、機能的に使いやすかったので、次もリコーにしようと思い、あとはGRIIIかCX4のどちらにするかの問題だった。しかし電器店でついでにいろいろな機種を試していたら、NikonのCOOLPIX S8100の画像がsharpでclearだったので、計画を変更してこちらをGET。(…実際使ってみたら、電池の充電やPCとのコネクトが妙な仕様であり、えらい使いにくいぞ。次はリコーにしよっと。)

 デジカメは、画像についてはコンパクトデジカメ(コンデジ)はデジタル一眼レフカメラ(デジイチ)に何をどうやってもかなわないのは、私のごときデジイチ初心者にも使ってみたら容易に理解できたが、デジイチは機動性に大いに問題があり、いい写真を撮るぞ!との目的がない限り、そう簡単には持ち歩けない。
 デジカメは「いい写真を撮る」以外にも、物事の記録に役立つ道具であるので、そうなると持ち運びやすいコンデジは、記録用にはとても便利であり、だからデジカメは最低2台持って用途によって使いわければいいことになる。


 さて、COOLPIX S8100はNikonであり、所有のデジイチD3100もNikonである。同じ会社のデジカメとはいえ、コンデジとデジイチでは、同じものを撮って、どういう違いがあるのか興味を持ち、その違いを調べるために鮨を撮ってみることにした。
 撮影対象を鮨にしたのは、私が鮨を好きという理由からだけである。

 撮影条件については、いじるとデジイチが有利になりすぎるので、ISO感度、絞り、速度、ホワイトバランス等については、どちらもプログラムオートで行った。

【赤貝:コンデジ S8100】
Akagai0

【赤貝:デジイチ D3100】
Akagai1

【赤貝:比較】
Akagai_hikaku_2


【海老:コンデジ S8100】
Ebi0

【海老:デジイチ D3100】
Ebi1

【海老:比較】
Ebi_hikaku_2


【カンパチ:コンデジ S8100】
Kanpachi0

【カンパチ:デジイチ D3100】
Kanpachi1

【カンパチ:比較】
Kanpachi_hikaku_2

 カメラの素人が堂々と比較写真をUpさせるのもなんであるし、カメラに詳しい人が見たら「そもそも撮り方がなっとらん」と言うだろうは重々承知はするが、このマイナーブログは写真系ブログではないし、あくまでも素人視線のカメラ談義ということでご勘弁。

 とりあえず、感想としてはコンデジも画質いいなあというもの。感度、ホワイトバランス等の設定を改良すれば、こののっぺりとした二次元的質感をもっと迫真的なものにできそう。
 デジイチのほうについては、これは最低のレベルのものなので、もっと手を加えたいなあと思ってしまう。レンズを85mmのマクロレンズにして、三脚立てて、絞りをもう少し開いて、とかいろいろ考えてしまう。…ただ、それを実際に料理店でやると、「この人、なに?」という非常に違和感ある光景になってしまのが難ではある。

 カメラは、「いい写真を撮ろう」と思うと、際限ない世界に陥ってしまう。
 その極端な世界と、普遍性、簡便性とのバランスが問題なのであり、世間の写真好きな人はいろいろ苦労しているのだろうなあ。

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February 20, 2011

洋食:らんぷ亭@宮崎市

 宮崎在住の美味いもの好きな人たちが集まって、洋食をガツンと食いながらワインを飲むという食事会が、「らんぷ亭」で開かれた。

 それに備えて、というわけでもないのだが、午前中雪の大船山に登り、昼飯も食わずに下山して、車・JRと乗り継いで宮崎市にやって来た私は、万全の「ガツンと食うぞ!」モード全開になっている。

 さて、初めて訪れた「らんぷ亭」、メニューをみると「洋食系居酒屋」という感じであったが、コース仕立ての料理が用意されていた。
 前菜は生牡蠣、トマトとホタテの冷製カッペリーニ、アスパラサラダ、焼アナゴとソラマメのクリーム煮と続いて、メインはシャラン鴨のロースト。さらなるメインは「らんぷ亭」の名物料理「テールシチュー」であった。〆はキャベツとアンチョビのパスタ。

 コースも本格的であったが、料理のほうも本格的なものであった。
 素材のレベルはもちろん高かったが、いずれの料理も手間暇をかけて作られたもので、複雑かつ多層的な味を愉しむことができる。
 とくに看板メニューの「テールシチュー」は、デミグラスソースからして、非常にこくがあって豊潤な味わいであり、味の濃い牛テールとソースが一体化して、テールシチューという料理の凄さを表現していた。

 二代目シェフはオテル・ドゥ・ミクニで修業して、その後この店を継いだとのことであり、その料理の本格志向の理由もわかる。

 「らんぷ亭」ではテーブルの上に、ずらりと一品料理が並べられたメニューが置いてある。常連さんの話によればいずれも逸品ぞろいとのことで、全メニュー制覇の野望がむくむくと湧いてきたぞ。


【シャラン鴨ロースト】
Duck1

【テールシチュー】
Tail

【パスタ】
Pasta

 …………………………………
 らんぷ亭 宮崎市中央通8-16 第2三輪ビル中2F TEL 0985-25-8337

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登山:雪の大船山

 そろそろ寒さが緩んできて、山々の雪は溶け始めているけれど、ライブカメラでみる九重にはまだ雪が残っているようである。それならば、「雪に埋もれた坊がつる」が見られるかもしれない。
 長者原から坊がつるを経由して大船山に登ることにした。

【登山道】
1_way

 長者原には雪は積もっていなかったが、湿原を抜けて、雑木林になるところで雪道となっていた。

【雨ヶ池】
2_amagaike

 雨ヶ池はそこそこの雪の積もり具合である。
 最も雪が積もっていた時期は、白い雪景色のなかに木橋が浮かぶ「雪ヶ池」となっていたであろうが、今はだいぶと溶けてしまっている。

【坊がつる】
3_bougaturu

 久住、大船に囲まれた盆地「坊がつる」。
 ここが一面真っ白になっている姿を期待していたのだが、残念ながら雪の多くは溶けてしまっていて、枯れ草のほうが目立っている。
 これはこれで味のある姿ではある。

【登山道2】
4_way

 坊がつるから大船山の登山道に入る。
 さすがにここはまだ雪が多量に残っており、登山道は雪で50cm以上底上げされており、いつもとまったく違った雰囲気の登山道になっていた。

【段原】
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 尾根を登りつめて稜線に出たところが段原である。
 ここからは、近くには久住,三俣、遠くには阿蘇、祖母、由布岳と四方に素晴らしい眺めが広がっている。頑張って尾根を登った人だけが楽しめることのできる絶景である。

【久住~三俣】
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 頂上直下から見る、久住から三俣山にかけての山々の姿。
 雪をまとった峰々は、普段よりも峻厳さを感じさせる。中央には硫黄岳が噴煙を上げている。九重は活火山なのである。

【大船山山頂】
7sumitt

 頂上は吹きさらしなので、雪はまったく残っていなかった。
 寒いときはこの標識に海老のシッポがついたりしているのだが、本日は気温は高めであり、そのようなものはなく、霧氷もほとんどが溶けていた。

【御池】
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 本日の目当てのもう一つは、この御池。
 まだまだしっかりと凍っていた。
 冬の特定の時期、九重の最も奥深い山の山頂に、このような神秘的な風景が広がっているのである。

【御池2】
9_pond

 御池まで降りてみる。
 池は中央まで凍っていて、すべて歩くことができた。
 スケート靴を持参すれば天然スケートを楽しめるのだろうけど、…そういうことをする人を私は見たことがないなあ。

 御池の凍った池を歩いたのちは山頂に戻り、元来た道を使って下山した。
 それなりに雪の九重を楽しめた登山であった。
 さて、寒波は今後来るのであろうか?
 来なければ、今週末で九州の雪山は終了といったところか。


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February 19, 2011

映画:アンストッパブル

Unstoppable


 運転士のミスから、貨物列車が無人運転で、最高速度を出して暴走することになった。列車は燃料満載でしかも危険な化学物質も豊富に積んでいる。住宅街で脱線すると大事故が必発であり、なんとしてでも列車を止める必要がある。当局はあらやる手段を講じて列車の停止を図った。

 この暴走列車停止策にはタイムリミットがあり、列車の進行方向には緩スピードでないと曲がれないカーブがあるので、そこに列車が着くまえに停止させないといけない。
 それゆえ、暴走列車を走るだけ走らせて燃料切れにさせるという方法は使えず、かなりトリッキーで強引な方法を用いねば停止はできない。
 当局はあれこれ策を考え、観客もまたいろいろと考えるのであり、この映画は「いかにして暴走列車を止めるか」という一種の謎解き映画でもある。

 私が映画を観ながら考えついたのは、
 (1) 貨物車をいっぱい連結した列車を次々に接続させ、その重さで列車を止める。
 (2) 複線期間で同じ速度で走る列車を運行させ、運転席に運転手が飛び移る。
 (3) 空母方式で線路にワイヤーを無数に張りそれで減速を図ったのち脱線させる。
 (4) 橋があれば橋を爆破して列車を川に沈める。
 とかのいかにも成功しそうにもない方法ばかりであったけど、映画でも案外似たような方法の組合せを用いたので、もともと危険の少ない「素晴らしい解決法」は存在しなかったようだ。

 この映画、2001年5月にオハイオ州で実際に起きた事故に基づいているとのことで、当時の住民の人たちはずいぶんと怖い思いをしたことであろうと思われる。また実在した勇敢な運転士と車掌にも敬意を表します。
 ところで、映画では主役をデンゼル・ワシントンが演じているけど、米映画の主役級の黒人俳優って、この人とモーガン・フリーマンとウィル・スミスばかり見るような気がする。彼らの実力が抜きん出ているからなのか、それとも私の観る映画が偏っているからなのか。

 …………………………………
 アンストッパブル 公式サイト ←このサイト、最初の仕掛が面白い

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February 18, 2011

藤原酒店主催日本酒の会@延岡市

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 都城市に住んでいたころは、居酒屋には焼酎ばかりが置かれていて、宮崎は焼酎文化圏なんだなと思っていたけど、県央,県北はそういうこともなく、日本酒がよく飲まれている。
 そして、延岡でも日本酒試飲会が定期的に開かれており、それに参加してみた。

 場所は市内の居酒屋「国技館」である。昨年宮崎市で開催された河野酒店の試飲会と比べると、こじんまりとした会ではあったが、ビュッフェスタイルでないぶんじっくりと料理と酒を愉しむことができた。
 写真で示すように、ラベル名なしに6種類の日本酒が出され、利き酒なども行う趣向である。こういうふうに一度にいろいろな酒を少量ずつ飲むと、日本酒というものも、それぞれずいぶん味が違うものだなあということが分かる。

 日本酒の美味さというものをしっかりと認識し、それでもその後の二次会はカクテルを飲みにBarに行き、三次会はまた日本酒を飲みにと寿司店へ。
 さんざんと酒を飲んだ一夜であった。

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February 17, 2011

映画:RED

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 引退して悠々自適の生活をしていた元CIA諜報員が、いきなり謎の組織に襲われる。その組織がどうやらCIAということに気付いた主人公は、その巨大な敵に立ち向かうために、主人公同様に引退していた腕利きの仲間を訪ね歩いてチームを結成し、襲われた理由を調べながら、反撃を行っていくという話。

 このチームが豪華メンバーであり、ブルース・ウィリス、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、ヘレン・ミレンという、ギャラいくらかかるんだろうとつい思ってしまう俳優をそろえている。

 皆、芸達者な役者ばかりであり、彼らの活躍を観て楽しんでいればそれで十分という映画でもある。

 これらの役者のなかでは、ヘレン・ミレンがとくに気に入りました。
 この人の出た映画って、私はクイーンとナショナル・トレジャーしか知らないけど、どちらもノーブルで上品な淑女を演じていた。ま、だいたいそういう役がまわってくる人みたい。
 そしてヘレン・ミレン演じる、元MI6工作員。見た目は上品でエレガントなおばちゃんなのであるのだが、引退したあとも、銃を撃つ快感が忘れられず、なおも隠れて現役を続けている凄腕スナイパーである。
 その上品なおばちゃんがパーティ用の白いドレスを着て、あっちの世界にいってしまったような恍惚の表情を浮かべながら、重機関銃を嵐のように撃ちまくるクライマックスシーンは、これ見るだけでも映画REDを観る価値があるというくらいに印象的であった。

 ……………………………
 RED 公式サイト

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February 16, 2011

将棋:糸谷哲郎五段はあと5年もすれば天下をとるのでは?

 NHKの将棋トーナメントをみていたら、糸谷五段、強い強い。剛力、怪力、妖力、まさに半端ではない強さである。
 そしてその将棋の指し手、じつに華がある。常人では考え付かないような手が、次々に繰り出され、相手も何が何やら分からないうちに、形勢がどんどん開いてしまい、投了に追い込まれてしまう。
 将棋の発想や構想力がずば抜けているからそのような将棋が指せるのであろうが、その指し手はまさに将棋の才能の迸りが感じられる。

 このような面白い将棋をみるのは、若いころの谷川や羽生、それに名人に返り咲いたころの中原以来のような気がする。
 これは、将棋界久々の大器の出現では。

 ところで囲碁界では大器は複数ずつ出て来ることが多いが(木谷+呉,藤沢+坂田,林+大竹+石田,趙+小林+加藤+武宮,とかとか)、将棋界では一人ずつというのが今までのパターンである。
 それはなぜかといえば、将棋というゲームは「才能」が強さの殆どを占めており、そして極度に優れた才能というのは、せいぜい10~20年に一度くらいしか出てこないからだそうだ。

 将棋界で一番筆が立ち、将棋界の広報部長のような存在であった河口俊彦氏は、「将棋というものは才能が全てであり、凡才,秀才がいくら努力をしたところで天下はとれない」と書いている。
 将棋界の第一人者は、中原誠→谷川浩司→羽生善治と10~20年ごとに交代している。彼らは将棋奨励会に入会した小中学生のとき、その時点で将来の名人と皆から嘱望され、そしてその通りに若くして第一人者の位置に登りつめた。彼ら以外にも強い者はけっこういたけど、その人たちは誰もそのような評価は受けず、そしてやはり第一人者にはなれなかった。すなわち将棋界は、年少時に入会した時点で、すでに将来が断定されしまうという、ある意味過酷で、またあまりに現実的世界なのである。
 ところで、羽生が鬼の強さで将棋界を席巻していたころ奨励会に入会したのが渡辺明である。彼も入会したとき直ちに次代の第一人者と目され、渡辺少年の活躍を聞いたかつての第一人者中原永世十段は、「羽生さんは、この子に倒されるんだね」と、なんだか嬉しそうに話した、という逸話を河口氏は記録している。

 現在の将棋界は、渡辺明の台頭により、20年続いた羽生時代の幕がおりるかどうかという時を迎えている。
 羽生も容易には第一人者の座を明け渡すわけにはいかないから、あと5年くらいは四つに組んで闘いあう過渡期となるであろう。

 ただここに突如、糸谷という突然変異的な怪物が現れた。
 将棋の才という点では、糸谷は羽生にも渡辺にもまったく劣っていないように思えるし、しかもまだ23歳という若さ。これからどんどん強さを増す時期である。
 羽生と渡辺が組んず解れず壮絶に闘って、両者が疲弊しているあいだに、いつのまにか実力最強になった糸谷が天下を取る、そういう図を私は予想している。


 ………………………………………

 (参考)覇者の一手一局の将棋 一回の人生 (著)河口俊彦

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February 15, 2011

大崩山ミステリ -携帯電話の性能について

 先々週の日曜日に大崩山で遭難騒ぎがあって、地元のTV,新聞でも報道された。
 その記事、および「美人の湯」で仕入れた情報によれば、宮崎市在住の43歳の父親と12歳の子供が大崩山に登り午後2時に登頂して、その後下山しているところで道に迷い、日も暮れた午後6時に携帯電話で警察に救助を要請、翌日ヘリコプターで救出されたとのことである。
 この親子はジャージにスニーカーという軽装で山に入っており、途中でみかけた人はとても大崩山に登るものと思えず、近場を散策しているものだろうと思っていたそうである。ジャージはともかくとして、靴がスニーカーだと、いまだ雪の残っている時期、たとえ防水加工していたところで、足が冷たくなってしかたないはずで、まあ普通は誰でもそう思う。しかし親子は登山を敢行し、見事登頂に成功したが、そのあとの詰めが甘く自力で下山できなかった。父親は救助を要請したが、暗くなってからでは救助も困難なためビバークを指示されたそうである。親子は軽装だったわりには、レスキューシートは持参しており、岩陰でシートにくるまって一夜を明かし、翌朝たいした怪我もなく無事に救出された。
 このアドベンチャー親子、その行動については突っ込みどころ満載であるが、警察とそれから奥さんにこってりとしぼられたであろうから、それについては書かない。

 ただ、この遭難騒動の記事で私は一つミステリに思ったことがあった。
 「大崩山って、携帯が通じるところあったっけ?」

 私の経験上、山の稜線から人の住むところが見えれば、だいたい基地局の電波が届くので携帯電話の使用は可能である。祖母山系、九重山系、霧島山系、どこもそうだ。だが大崩山の場合、見晴らしのよい稜線に出ても、基地局が遠いせいか私の携帯電話にはアンテナは立たず、圏外マークが出るのみであった。
 それゆえ、この親子はどうやって携帯を使ったのだろうと疑問に思ったのである。

 しかし「美人の湯」でその疑問を述べたところ、「ドコモだったら使えますよ」との返事であった。…いや、私もドコモなんだけど。

 結論、すなわちミステリの解答編としては、私の携帯に問題があったわけだ。
 私の携帯はmovaであり10年くらい使い続けているものである。これは来年にはもう使用できないのでドコモから機種を変えるように連絡を受けている。ドコモという企業は自分たちで勝手に仕様を変えて、客のハードを使用不能にしたわけで、じつに失礼千万な話である。
 それはともかくとして、そのような古い機種ゆえ、アンテナの感度が低く、遠い電波を拾えないのであろう。

 山での遭難はしたくもないし、する気もないけど、絶対ありえないことではない。そのときに携帯電話が通じるか通じないかは極めて重要なことになる。
 機種の違いでそれが決まってしまうなら、やはり性能のよいものを持っておかねばならないだろう。

 私は登山の装備にはけっこう気をつけているつもりだったが、携帯電話というものには全然考えが及んでいなかった。
 まったく迂闊な話ではあるが、誰かの役にたつかもしれないから、ブログに書き留めておくことにした。

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February 13, 2011

雪の由布岳

 2月になって暖かくなり、九州の雪山シーズンは終了かと思っていたら、2月11~12日に大雪が降り、もう少し雪山を楽しめそうなので、由布岳に登ってみた。

【由布岳】
Start

 正面登山口から眺める由布岳。本日の予報は曇りであり、由布岳山頂近くにはガスがかかっている。このガスの晴れ具合で、どう登るかを決めることにしよう。

【樹林帯へ】
1

 登山案内板のあるところから樹林帯に入って、登りが始まる。

【登山道】
2

 樹林帯のなかの登山道は雪で満ちていた。
 雪が降り積もり、風景が白一色になると、上下感覚がふっと怪しくなり、浮遊感を感じたりする。
 これも雪山の魅力の一つである。

【由布院盆地】
Yufuin

 樹林帯を抜けると、灌木帯をジグザグに登っていく緩斜面になる。
 ここからは由布院盆地全体がよく見えて、とても眺めのよい道である。

【マタエ】
3

 登山道を登りつめ、由布岳噴火口にたどりついたところがマタエである。
 ガスがうまい具合に晴れてくれて、東峰も西峰もよく見える。これは火口の周回路からの展望も良さそうだ。それで西峰から登り、火口周縁を伝って東峰へ向かう、由布岳お鉢巡りをすることにした。

【登山道】
4

 西峰への最初の鎖場を登ったところから、雪道にはまったく足跡がなかった。
 この連休、西峰には誰も登っていないようである。
 膝まで埋るふかふかの新雪で満ちた道を、えっちらえっちらと進んでいく。

【障子戸】
5

 西峰へはこの険しい岩壁を登ることになる。
 鎖が要所要所にかけられているので、見た目ほどの難所ではない。
 ただ本日はアイゼンを装着しているので、アイゼンを岩にひっかけないように注意して登っていく。

【西峰山頂】
6

 西峰山頂までは雪道に動物(たぶん鹿)の足跡がついていた。餌もなにもないようなこの季節に、なにを求めて彼はこの険しい道を伝い、山頂まで登ったのであろうか?

【お鉢巡り1】
7

 お鉢巡りのルートは誰も入っておらず、そのままの新雪がどっさり積もっている。
 登山道も雪に埋もれているけれど、ときどき標識をみることができ、下り道のだいたいの方向が分かる。

【お鉢鞍部】
Ohachi

 西峰からお鉢の最下部まではけっこうな傾斜があり、雪もどっさりあることから、ちょっとしたゲレンデ状態。腰を雪面におろしてシリセードを多用し、雪道を滑りおりていった。おかげで私が経験するこのルートの最短の時間で鞍部まで到着。
 鞍部から眺めるお鉢内部の風景は、霧氷と雪で、白一色の世界である。

【お鉢巡り2】
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 お鉢巡りのルートは雪がたくさんで、登山道はだいたい雪に埋まっている。その雪のなか歩きやすいところを適当に選んで進んでいくわけだが、鞍部からは大きな岩に突き当たる。
 え~と最初の岩は直登して、次の岩は右に巻くんだったよなとか、以前の記憶を思い出しつつ、誰の踏み跡もない新雪の雪面を進んでいく。
 振り返れば雪面には私の深く掘れた足跡が続いている。まさに「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」の世界である。

【ミニモンスター】
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 岩場を越えてからはさらに雪の量が増し、そして灌木にも霧氷がこれでもかというくらいについていて、ちょっとしたモンスターに育っていた。

【剣ガ峰~東峰】
9

 剣ガ峰に登っていく途中、お鉢巡りの稜線上に人が一人突然現れていることに気がついた。
 どこからか降って来るわけはないので、東登山口から稜線に登って来た人なのでしょう。
 写真が趣味のようで、私と同様にところどころ立ち止まり、デジイチで写真を撮りながらの登山である。

 ちなみにその人もwebページをもっていて、この時の山行記録がUPされていた。そのなかにお鉢巡り中の登山者とのことで、私の姿も遠景で写っている。山での近景はともかく遠景写真は珍しいので、ちょっとうれしかった。

 お礼にというわけでもないが、氏の遠景写真を私もUPしておこう。

【拡大図】
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 剣ガ峰手前から東峰は雪のないときでもルートファインディングが難しいのに、雪があるとさらに分かりにくく、そしてここらはいいかげんに進むと両側断崖絶壁であり落ちると命が危ないので、慎重に進んでいき、そして東峰に到着。

【東峰山頂】
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 東峰の標高は1584m。西峰の標高も1584mと書かれており、まったく同じである。本当かね、といつも私は疑問に思っている。
 ちなみに東峰は、写真の右に写ってる岩が三角点よりも1mほど高いので、本当の標高は1585mくらいでしょう。

【帰りの登山口】
13after

 下山は元来た道を引き返していく。
 登山口近くに着くと、雪はだいぶと溶けてしまっていた。
 今日はさして寒くなかったからだろけど、九州じゃ雪の寿命は短いなあ。

 さて、今後寒波はどれくらいくるのであろうか。
 2月中にあと1回くらいは来てもらいたいものだが。

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February 12, 2011

寿司:冬の大海寿司@別府市

 別府に泊まったついでに大海寿司へと行った。
 突出しはフグの煮凝り。肴は微かに煮たタコ、関サバ、赤貝。赤貝は、豊前海で取れたものである。

【赤貝】
Akagai

 身、ヒモ、ワタ。ワタはポン酢で食べる。
 豊前海の赤貝は、赤貝そのものの味はさほど濃厚ではないが、軽やかな潮の香りと、爽やかな風味がたいへんよろしい。

 肴が一通り出たところで、なにか追加はありませんかとたずねられたので、フグを頼んだ。そうすると、店主は水槽のなかで悠々と泳いでいたフグを一匹網ですくい取り、あわれフグ君はまな板のうえへ直行。
 …これって、前来たときオコゼを追加で頼んだときと同じパターンだな。
 大海寿司では追加を頼んだなら、ネタケースから来るのでなく、水槽から来るのであった。

【フグ刺し】
Hugu

 当然フグ刺しは活き造りで出てくる。
 フグ刺しは1~2日寝かせて熟成して薄造りにしたものに限る、と私は思っているわけだけど、たまにはこれもいいか。
 活き造りゆえ、弾力が強く、そして甘みも特徴的。熟成したフグの噛めば噛むほど味がしみだしてくる、といった感じとは異なり、甘みと、それに「フグの元の味」が噛めば噛むほど口のなかに広がってくる。

 フグ刺しのあとは鮨にと移る。
 イカ、イカミミ、タコ、軽く〆た関サバ、海老、ウニ軍艦、フグ、穴子等々。
 どれも美味しかったけど、とくにフグが絶品。フグの身に煮凝りを載せた鮨は、二層、三層に味を重ねていく、複雑にして、しかしまとまりのいいもの。こういうフグの鮨は初めて食べた。

 鮨を一通り食ってお茶を飲んでたころ、ふらりと入って持ち込みのワインを飲んでいた常連さんから、このワインは美味いからどうぞと、一杯いただいてしまった。なかなかいいワインであった。どうもありがとうございました。


 別府の大海寿司は、大分の海の幸を存分に知りつくした夫婦の切り盛りする、美味しい寿司屋である。
 今度は城下カレイのときに訪れてみようかな。

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February 11, 2011

サイクリング:祝子川温泉~長野峠

 本日は2週間ぶりの寒波襲撃ということで山間部は雪が降っているらしいが、延岡市はべつに寒くもなく、雪も降っていない。というわけで、ひさしぶりに自転車に乗ってみることにした。
 EPS号は12月末から冬眠に入ってしまっていて、まったく動いていない。自転車というもの、さすがに定期的に動かさないと、調子も悪くなるであろうからして。

 6~70kmの距離で気楽に行ける峠といえば、ETOランドか祝子川方面ということになるが、落水の滝の崩れ具合を見たかったので、オリンピアロードを使っての祝子川方面へのサイクリングに行くことにした。

【祝子川ダムからみる大崩山】
1

 先週ここを訪れたときは大崩山の雪はあらかた溶けていたのに、また復活である。稜線上には雪がどっさり積もっているだろうなあ。

【美人の湯からみる大崩山】
2

 大崩山の温泉施設「美人の湯」まで登っていって休憩し、ホットコーヒーなどを飲む。
 ここで大崩山山系のいろいろな情報を聞いてきた。

【林道入り口】
3

 本来は美人の湯の前から出ている黒原山方面への林道を走るつもりであったが、工事中であり、かつ凍結の可能性があるとのアドバイスがあったので、予定を変更して祝子川ダムから出ている新林道を通って、長野峠を越えることにした。

【落水の滝(の跡)】
4

 坂を登る途中で、落水の滝を正対して見ることができる。
 その落水の滝の遠景図。
 先週土曜日はあれほど見事な氷瀑であったのに、今は滝上部のみを残して、崩落してしまった。
 なお氷瀑は崩れても、その価値はまだまだある。密度の高いブルーアイスは水割り用の氷として最適であり、氷瀑が崩壊したあと、沢にはそのブルーアイスの塊が無数に散乱しているので、酒好きの人はそれを集めに行っているとのこと。

【長野トンネル】
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 この林道の最高点の長野トンネル。
 トンネルを抜けると、地表には雪がうっすらと積もっていた。

 このあとは国道326号線に向けてただただ下っていくのみである。

 …………………………………
 本日の走行距離:69.5km

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February 10, 2011

本因坊道知と八百長の話

 元禄時代に道策の登場で囲碁のレベルは一気に上がった。
 道策師匠指揮する本因坊道場は、日本全国から囲碁の俊英が集まり、活況を呈した。
 江戸時代は囲碁の家元は四家あり、そのなかでは本因坊家が別格の存在であった。道策は次代の家元として、その俊英集う弟子のなかでも特に優秀な者を選ぶが、残念なことに選ばれた跡目、小川道的、佐山策元は2人続いて若くして夭折してしまう。これは集団生活が災いしての、結核感染であったと現代では推察されている。

 策元の死後、道策は跡目をすぐには立てようとはしなかった。
 何故なら坊門の弟子のうち、その時10歳の神谷道知が、どうみても囲碁の天才であり、道知はやがて誰よりも強くなるのは確実なので、あわてて跡目を立てる必要を認めなかったからである。

 そして不世出の大棋士本因坊道策は58歳で生涯を閉じるが、その臨終の席で、当時13歳の道知を後継者に指名し、道知はその若さで本因坊家を継ぐことになる。

 道策の炯眼通り、道知は棋力を加速度的に上げて行き、15歳の時に、家元の一つである安井家の頭領から挑まれた争い碁に圧勝し、その地位を確たるものとする。

 その後も道知は囲碁の鍛錬を怠たらず、めきめきと囲碁の実力を伸ばしていったのだが、20歳を超えたころから困ったことが生じてしまった。
 あまりに強くなりすぎて、相手をするものがいなくなったのである。
 
 「孤高の天才」というものはどの分野にも存在するが、音楽・絵画・文学等々ではそれは十分に成り立つけど、囲碁は対戦型ゲームである。同等とまでは言わぬも、少々劣った程度のものが同世代にいないと、まともな勝負の棋譜が残せない。
 というわけで、大成後、本因坊道知はまともな棋譜を残せなかった。

 ここで、最初のテーマの八百長の話に移る。


 江戸時代、囲碁界は将軍お抱えの職業であり、各家元は将軍より扶持を受けていた。その家元の大事な仕事に、年に一度江戸城に登城して、各家元の代表者たちが囲碁を打ちあい、その棋譜を将軍に献上する、「御城碁」というものがあった。

 道知は本因坊家の代表として当然御城碁に参加していたが、道知は黒番では5目勝ち、白番では2~3目負けと、いつもワンパターンの碁ばかり打っていた。

 さて、江戸時代には棋界に「名人」という存在があった。
 現代では「名人」は数あるタイトル戦の一つであるけど、江戸時代の名人は、将軍の囲碁指南役であり、全棋士の段位認定権を持つという、名実ともに棋界の最高実力者であった。それほどの権威者であるため、名人は卓越した実力を認められ、各家元から推挙された者しかなることはできなかった。

 道知が少年の頃の名人は道策であり、そして道策の次は道節因碩という人であった。道節因碩は道知より40歳ほど年上で、少年道知の後見者であり、まだ若き道知を指導、育成した。道知はそのことに恩を感じて道節因碩を名人に推挙し、そして道節因碩は名人に就位した。

 道節因碩は享保四年に死去し、さあ次は道知の番である。
 道知は他家からの名人推挙の知らせを待っていたが、いつまでたってもその知らせは来ない。
 まあ、あんまり力のない人たちにとっては、名人など煙たいだけの存在であり、できるならいないほうがいいにこしたことはないわけで、各家元も知らんぷりを決め込んでいたわけだ。

 しかし道知としは、それに納得できないわけがあった。
 道知は温厚な人物であり、人に対して怒ることはまずない人であったのだが、このときばかりは怒った。
 道知は、各家元に書状を送る。
 それには、「おれを名人に推挙しないというなら、今後の御城碁では、事前に相談して、碁を作るような交渉にいっさい応じず、本気で実力を出して対局するぞ」と書かれていた。

 碁というもの、手合いが違うと形にならない。50手も進まぬうちに、弱い方の石はすべて働きを失い、一方的な殺戮劇に終わってしまう。道知が本気を出したら、どの家元もそのような惨状を呈すのは明らかだ。そんな棋譜を将軍に献上することなどできない。

 家元たちはあわてふためいて道知を名人に推挙し、そして道知は名人となった。


 この騒動、この書面から、道知の御城碁はすべて「事前に相談して作った碁」であり、すなわち八百長であることが分かった。(道知が怒ったのも、「せっかく八百長までしてお前たちを立てたのに、おれを名人に推挙しないとは何事だ」というわけである)
 一人だけ化け物のように強い者がいると、八百長でもしないと、その業界の秩序が保たれなかったゆえであるが、それにしても、ここまで堂々と八百長の証拠が残ったのは稀なることとはいえる。
 (というか、これ将軍にバレたら、本因坊家以下、家元全員打ち首になるようなとんでもないことだよなあ。各家元ともそれが分かっていたろうけど、しかし焼き捨てるのも悔しいから、こっそり隠しており、そして後世に残ったわけだ。)

 本因坊道知は37歳で生涯を閉じるが、成人してからは、ついに真剣に碁を打つことなく終わってしまった。
 棋聖道策が天才と認めたこと、そして10代の時点でとんでもなく強かったこと、成人してからまともな勝負をする者がいなくなってしまったことから、道知が途方もなく強かったことは明らかなのではあるが、なにしろその強さを発揮する場がなかったので、道知の本領を示した棋譜は後に残ることはなく、だから道知の本当の強さは、もはや誰も知ることはできない。

 本因坊道知は、囲碁人として位人身を極めた人であるけど、碁打ちとしては不幸であったと言われている。囲碁の神様から凄まじい力を与えられたのに、それを使う機会がついに与えられなかったからだ。
 囲碁の神様もときとして変なことをする。

 なお、囲碁の神様は基本的にはしっかりしており、囲碁の名手たちには、だいたい同時代には好敵手がいて、素晴らしい棋譜がたくさん残っている。


 ………………………………………
 その1:八百長するのはいいとして、文章に残してはいかんだろう and 本因坊道知の話

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February 09, 2011

八百長するのはいいとして、文書に残してはいかんだろう and 本因坊道知の話

 相撲界の八百長問題が深刻化しており、本場所の開催も中止となってしまい、今後の再開の見通しがまったく立たないとのことである。
 ああいった狭い閉鎖社会で為される勝負ごとは、体制そのものに八百長が組み入れているのは誰しも容易に理解できることである。そして八百長とは個人のやり取りである以上、それを立証するのは不可能なはずで、本来は今までのように八百長が明るみにでかけたとしても知らぬ存ぜぬですませてよい問題であったはずだ。
 しかしながら、今回の騒動では当該力士たちは携帯メールでの文書という、確固たる物的証拠を残してしまったため、八百長の実在が証明されてしまい、事態の収拾が困難になってしまった次第。
 まったく八百長するのはいいとして、文章に残してはいかんだろう、口頭でやれよ、口頭で、と相撲界上層部はおおいに嘆いたことであろう。
 私からしても、相撲界を根幹から揺るがしかねない情報を、文書に残してやり取りしていた力士たちをみると、失礼ながら「大男総身に知恵がまわりかね」という諺を思いだしてしまう。

 相撲界はどうやって八百長問題にけりをつけて興業を再開するのか、その方策については、皆目見当つかないが、おそらくはさらに相撲人気が下がる方法がとられて、事態は収拾されることになるであろう。

 さて、相撲業界がプロ組織化されたのは江戸時代までさかのぼり、非常に歴史のある業界である。
 そして江戸時代にプロ組織が確立した勝負師たちの団体には、あと二つ「囲碁」と「将棋」がある。この二つも相撲界同様に狭い社会だったので、八百長は当然横行していたはずだが、当たり前のことながら八百長の証拠文書などほとんど残っておらず詳細は不明である。
 ただし、ただ一つ、囲碁界において八百長を示す文章が残っていて、それがけっこう面白い。
 その話を紹介してみる。


 囲碁において史上最強の棋士は誰かといえば、今から300年ほど前、元禄時代に活躍した本因坊道策ということになっている。
 同じく相撲においては史上最強の力士は誰かといえば「雷電」と誰もが言うが、ただし雷電については取組のビデオが残っているわけでもなく、本当の強さは不明であり、史上最強の力士というのはあくまでも伝説である。
 それに対して囲碁は「棋譜」というものが残っており、本因坊道策がどのような碁を打ったかは、そのままの形で今に伝わっている。そして道策の時代から300年が過ぎ、囲碁の戦術も相当に進歩したはずなのに、道策の碁を並べた現代の棋士たちは、トップレベルの棋士でさえも「道策先生にはとても敵いません」と言う、それくらいに強い人なのである。
 囲碁というものは紀元前からあったゲームだが、天才棋士道策はそれに革命的な改革を加え、囲碁の技術を飛躍的に向上させた。これ以後、囲碁は魅力を格段に増大させ、この世の最高のボードゲームというべきものになった。道策は、囲碁の中興の祖、近代囲碁の創設者、とでもいうべき人物なのであり、ものすごく強くて、まあ当たりまえなのである。
 ちなみに囲碁は昔から中国、朝鮮、日本で打たれており、30年ほど前まではそのなかで日本が圧倒的に強かった。なぜかといえば道策先生が日本の囲碁のレベルをぐんと上げ、本因坊家、その他の家元たちが、その流れを引き継ぎ切磋琢磨してきたからである。

 その史上最強の棋士本因坊道策が後継者として選んだのが、天才少年本因坊道知である。道知は道策の眼力通りの成長を示し、他の家元を圧倒して、棋界を統率する名人になる。
 そして、この本因坊道知、じつは道策よりも強かったのではないだろうか? と昔からずっと言われている。


 …長くなったので、本因坊道知と八百長の話は、次回にて。

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February 06, 2011

ワイン会@ベルエポック

 W氏主催のワイン会に参加してきた。
 食事の一品ごとに最も合うと思わるワインをソムリエが用意し、ワインと料理の双方を愉しんでいく会である。

 私のような日本酒党からすると、ワインはあまりに味の幅が広く、「ワインという酒」の一言でくくれないくらいにそれぞれが異なる味のため、料理全体に制限がかかってしまう気がする。
 すなわちワインをフルボトルで頼んだ場合、そのワインの個性が強いと、コースのなかで合う料理合わない料理というものがどうしてもでてきてしまい、かえって個性の弱いワインを頼んだほうが、料理全体のまとまりがよくなってしまう、ということがありえる。

 しかしこのような多人数参加のワイン会形式だと、グラス一杯でボトルを空けることが可能なため、料理ごとによく合うワイン、あるいはワインごとによく合う料理、というものを供することができる。それにより、ワインも料理も最高レベルのものを、互いがより高めあうコンディションで味わうことができるわけで、フランス料理の奥深さを知ることができ、私にとってたいへんありがたい。

 まあ、ワイン会というものが、元々そういう趣旨のものなのであろうけど。

 本日の料理、ワインも料理もいずれも素晴らしいものであったが、とくにメイン料理のヤマシギは、みな絶賛の逸品。

【ヤマシギ】
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 ジビエの王様ヤマシギは名前だけは聞いていたけど、私は初めて食べる料理である。
 手前の頭部の長い嘴が特徴の山鳥で、肉全体がいかにも「野生」の味らしく、荒々しさを感じさせるような複雑さがあった。血の味、とはちょっと違うのだけど、食べていて独特の生々しさを感じるのである。
 隣の内臓をペーストにして塗ったカナッペも、これも複雑にして玄妙としかいいようのない珍味であった。
 このジビエ料理、諸手を挙げて「美味い!」とは私にはなかなか言い難いのであるが、それでも味の豊かさと広がりは尋常ではなく、これも豊潤濃厚であった赤ワインに見事に決まっていた。

 白から赤まで何種類ものワインを飲み、山本シェフの妙技も堪能し、よく飲み、よく食べ、よく楽しんだワイン会であった。

 ……………………………

 って、これだけ飲んでこれだけ食べたのに、さらに二次会で「麦や」にワインを飲みに行ってしまった我々って、…宮崎のワイン業界にすごく貢献しているなあ。


(追記)
 なお、ベルエポックのwebページでこの日のヤマシギを紹介しています。こんな鳥だったんだ。
 →リンク先はここ


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霧島大変宮崎迷惑

Sinmoe


 1月19日に突如噴火した新燃岳は今なお噴火を続け、灰を宮崎中に撒き散らしている。距離にして100kmを越える県北でさえ、空は灰でかすみ、道路にうっすらと灰が積もるわけであるから、とんでもない量の灰が降っているわけだ。

 新聞に載っていたNASAの衛星写真をみると、事態は絶望的なまでにひどくなっていることがよくわかる。宇宙から姿がはっきりと分かるまでに、新燃岳は噴煙を吐き続けている。そして、この写真でみるかぎり、宮崎市はすごく煙そうである。

 衛星写真をみると、県北は幸いなことに脊梁山地が壁となっているので、降灰の被害はさほど受けずにすみそうである。それでも、この噴火により、遠出の予定が立てにくくなったことはたいへん迷惑である。
 宮崎というのは九州の幹線ルートから外れた不便なところにあり、関西より東に行くには、飛行機を使わねばならない。ところがその飛行機が、新燃岳の噴火と風向きによって突然に運航が止まってしまうので、そのさい飛行場で呆然ということが、これからいくらでも起こりうるであろう。
 東京や名古屋への出張を控えた人たちは、みんなそれを心配している。

 自然の猛威には人間は勝てっこないのは分かっているが、なんとか早く新燃岳の活動が治まってほしいものである。

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February 05, 2011

落ち水の滝@大崩山系

 2月になって天気図が1月とまったく異なり、春を告げるような等圧線が並んでいる。
 本日など春を思わせる暖かさであり、昨年までのパターンからすると、2月にして冬が終わった可能性が高い。

 これは「落ち水の滝」を見にいかねば、と「落ち水の滝」に行ってきた。

 「落ち水の滝」は大崩山系の有名な氷瀑であり、垂直の長大な滝が凍る、知る人ぞ知る延岡の名物である。
 ただこの滝は凍らなければ、その他大勢の滝と一緒なので、寒い時期にのみ個性を際立たせる滝である。だから温度が上がってしまえば、氷は溶けてしまい、ただの滝となってしまう。
 というわけで、本格的な春になる前に行く必要があるわけだ。

 「落ち水の滝」に行くには、祝子川に沿って県道207号線を大崩山の方向に向けて登っていき、大崩の茶屋の前で左に曲がり、『←落ち水の滝』の標識に従って林道に入る。この林道は、かなりハードなので、四駆を推奨。道も狭いので離合の技術も必須である。その林道を2km弱走れば小広場になった駐車場があり、そこに駐車してから、もう使っていない林道を標識に従い進み、そこから普通に歩けば1時間くらいのところにある。

【落ち水の滝】
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 この気温だと、けっこう溶けているのではと思っていたが、なんの、なんの、見事なまでの凍り具合である。
 物理学的にこの傾斜の崖につける最大限の量の氷がついているようで、…おそらく今シーズン最大級の大きさの氷瀑になっているのでは。

【落ち水の滝 近景】
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 氷瀑をじっくり観察して、このシャンデリアみたいなツララ群が落ちてこないみたいなことを確認し、氷瀑の基部まで登ってみた。
 近寄れば、この無数の牙のようなツララが迫力いっぱいである。


 延岡市内から2時間ほどで、このようなとんでもないものを見られるわけで、延岡は懐の深い市である。
 おしむらくは、もう少し宣伝して、整備を整えて、観光名所にしてはどうだろう。せっかくの宝なんだから。

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February 03, 2011

恵方巻ロールケーキ

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 2月3日は節分の日であるが、いつのまにか「恵方巻を食う日」ということになっている。
 由来、由縁の詳しいことは知らないけれど、寿司業界にとっては、まったく有難い話であり、本日はどこの寿司屋も太巻きをつくるのに大忙しではなかったろうか。

 さて、職場にも恵方巻が置いていた。
 誰かが昼食に食うのだろうなあと思ったが、見た目がどうも違う。
 よく見ると、「恵方巻ロールケーキ」なるお菓子であった。

 なるほど。
 恵方巻は恵方の方角を向いて、一心不乱にむしゃむしゃと食べるものなのであるが、太巻きは味は単調であり、通常の人は途中で飽きてしまう。
 しかしこれなら、お菓子好きの人なら、一挙に食うことも可能であろう。
 恵方巻の改良バージョンとしてよく出来たものだなあ。

 …とか感心したのだが、よく考えればロールケーキは甘ったるく、太巻きよりも、一挙食いはハードルが高いはず。
 写真の隣にも、厚切りにした恵方巻ロールケーキの残りがあるし。
 職場の恵方巻、たぶん数人で切り分けて、おやつとして楽しんでいたのであろう。

 節分は恵方巻ということになった今、太巻き一挙食いにこだわらす、いろいろな恵方巻を人々は楽しんでいるわけだな。

 季節のごとにイベントをつくって、それを楽しむのは日本人の得意とするところであり、これからも恵方巻はいろいろなバージョンをみせていくのであろう。

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February 01, 2011

冬の光洋

 寒いときには魚には脂がのる。脂ののった魚を食べて、すこしは暖かい気分になろうかと光洋に行ってみた。

 【ブリ】
Buri

 ブリの腹身。脂のりまくりのブリであるが、これほど脂がのっているのに、まったくしつこくなく、その脂の純粋な旨みを愉しめるのは、素材がいいのと手当がいいからであろう。

【ヒラマサ】
1

 これも抜群の素材のヒラマサ。じっくりと熟成させて、私はヒラマサ以外のなにものでもありませんとばかり、ヒラマサ独自の味を凝集させている。
 青物は味の区別がつきにくいところがあるが、ここまで手を加えてくれれば、ヒラマサの個性がよくわかる。

【鯛】
2

 鯛の煮ものは、これは魚の主役「鯛」をそのままストレートに、美味さを押し出したもの。いわゆる王道モノである。

 こういう焼物、煮物、光洋はめきめきと腕をあげていると思う。

【コハダ】
3

 肴のあとは、鮨を楽しもう。
 コハダはいつも通りの形の良さと、仕込みの上手さ。
 シャリは一時期の「まんまる、ころころ、なかはこりこり」という主張の強いものから、「ふんわり、ふにゃふにゃ」というネタの引き立て役的な方向に変換している。
 いつもながら試行錯誤に懸命な店主であるが、これはこれで、また美味いものである。


 本日は、隣は常連W氏であった。
 W氏は4月から福岡の大学に行く息子さんと一緒である。
 食通の親を持つ人は、それだけで人生得している面があるが、それに加えて、福岡は美味しい店がいっぱいのところであるから、これからの息子さんの食生活はさぞ豊かなものになると思われる。

 そこで、私がひとつアドバイス。
 若いうちは、ともかく食え。美味かろうが、不味かろうが、ともかく食うこと。
 世の中には食うべきものがヤマほどあり、そのなかには必ず、自分にフィットするもの、一生食いたくなるものがあるはずだから。
 じつは、食には体力がいる。40才を過ぎると、その「食の体力」がぐっと落ち、自分の好みのものしか食わなくなるようになってしまうから、その前にともかく、その「好みのもの」を見つけるべく、食って食いまくりましょう。

 W氏の息子さんのみならず、私のブログをひょいと訪れた若い人たちへの、40過ぎた男の経験からの、絶対役に立つアドバイスであります。

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