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January 2011の記事

January 31, 2011

祖母山ミステリ 「消えた登山者の怪」

 雪の祖母山を登って、ひとつ妙な経験をしたので書いておこう。

 私が宮原の尾根を登っていると、午後4時ころに下山してきた九州マウンテンツアーガイドの一行とすれ違い、そのときに、私以外にもう一人女性が登っているところだよと言われた。

 それを聞いて私は少し変に思った。入山者に関しては、テン泊予定の女性の入山者が一人いるのは登山口の登山届で確認していたので、女性が一人登っているのは知っていたが、その人(以後、Tさんと書く)の登山スタートは午前9時と記載されていた。するとTさんは今の時間ならとっくにテントを張っているはずで、今ごろ尾根~稜線を行動しているとは考えにくい。
 だからTさん以外にも、もう一人女性が登っているのかなあ、くらいに思った。ただ雪の祖母山に、女性の単独行者が二人もはいっているのも考えにくく、Tさんが非常なゆっくりペースで歩いているのかなとも思った。

 そして午後6時半くらいに、小屋近くのテン場を通り、明かりがついていないテントがひとつ張っているのを確認。Tさんのテントであった。
 その後私は山小屋に入った。山小屋には誰もおらず、そうなるとツアー一行が見たという女性は、山小屋には泊まっていないようだ。そしてこの時間はもう日が暮れて真っ暗になっており、今山のなかで行動している人がいるのは、まずありえない。

 それで、ツアー一行が見た女性は、やはりTさんだったんだろうなあと思った。
 ただそれだとTさんの行動(テント設営→祖母山山頂往復→食事→就寝)の時間が、超人的な速さということになり、どうにも計算があわない。
 ま、そのことについてはそれ以上は深く考えなかった。


 さて、翌日祖母山を下山しているときに、テントをかついだTさんに追いつきいろいろと雑談をした。
 そのときに、「昨夜は山小屋に泊まりました」と私が言ったら、Tさんは「もう一人女性が登っていましたね。小屋では一緒だったでしょ」と言った。
 それを聞いた瞬間、私はぞぞ~としたのである。それこそ全身鳥肌がたつくらいに。

 やはり、もう一人いたのだ。
 ただ、それでは、あの暗闇のなかの祖母山、彼女はいったいどこに行ったのか?

 ちょっと図説してみる。

【午後4時】
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 宮原尾根で1200mくらいの高さで、私はツアー一行とすれ違った。ここで私は今行動中の女性が一人いることを聞いた。その女性を●印で示し、仮にXさんと呼んでおこう。Xさんは尾根から稜線上にかけて行動中である。そしてTさんはテン場でテントを設営している。

【午後6時半】
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 午後6時半ころ私はTさんのテントの前を通り過ぎる。テントに明かりはついていなかったが、Tさんは起きていて、その時刻に私が咳払いしながら通ったのを確認している。
 そして私の前にもう一人の登山者、Xさんも前を通ったのを認識している。
 この時点では、ツアー一行はすでに下山しているので、祖母山にいるのは3人だけである。

【午後7時】
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 私が山小屋に着いたとき、Xさんは小屋にいなかった。
 これが昼ならばべつに不思議なことではない。Xさんは小屋を通り過ぎて、祖母山山頂に登っていっただけの話だから。
 しかし日が暮れ、真っ暗ななか、雪山の山頂をめざす人がいるとは思えない。ならば、Xさんは小屋にいない以上、どこかで幕営しているのだろう。だが、この先に幕営地はないのである。敢えていえば祖母山山頂が幕営地であるけど、翌朝そこに登った私は、幕営した痕跡も、また新たな足跡もないことを確認している。

 Xさんは、午後7時の時点で、忽然と姿を消したのだ。


 この祖母山ミステリ「消えた登山者の怪」、はたして解答はあるだろうか?

 私にとって一番怖い解答は、「じつはXさんは山小屋の中にいた」というものである。私が一人で泊まっていたと思っていた山小屋に、息をひそめるようにしてもう一人の人間が隠れていた、なんてのは想像するだに怖い。
 ただし、祖母山九合目小屋、隠し部屋みたいなものはあることはあるけど、それでもたいした広さはない山小屋だ。そんな山小屋に他の人がいたとしたらいくらなんでも私は気づくだろう。そこまで私は迂闊な人間ではない。

 思考を極端に飛躍させて、「Xさんは幽霊であった」というのはどうだろうか? 向かいの傾山は「出る」ことで有名だから、祖母山に幽霊が出てもいいであろう。そして幽霊だったらどこで消えてもおかしくない。しかし、いちおうXさんはツアー一行にはっきりとその姿を目撃されている。幽霊がザックかついで登っていたら、そんなものに遭遇したツアー一行はパニックに陥っていたであろうから、これも却下。

 いろいろ考えると、それなりに解答らしきものは他にいくつか浮かび、たぶんそのうちのどれかが正解なのであろう。
 そのなかで一番いやなのが、「Xさんは遭難した」というものだが、尾平の登山口駐車場は日曜の午後には空になっていたので、Xさんが実在するなら、無事に下山したのは間違いない。

 はっきりとした解答は、もはや闇のなかであろうが、なんとも不思議な祖母山ミステリであった。


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 雪の祖母山(1)
 雪の祖母山(2)
 祖母山ミステリ解決編

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January 30, 2011

雪の祖母山(2) 雪まみれの祖母山

 30日日曜日の天候は予報では、曇りのち雪とのことで、展望は期待できない。
 それでもまずは祖母山山頂に登ってみよう。

【縦走路】
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 祖母山稜線上の縦走路は、凹状にえぐれているのが特徴であるが、そこに雪が大量に積もっていて、いつもよりはるかに底上げされている。本来なら頭上にあるはずの縦走路の樹々の枝が、這わねば頭に当たるくらいの高さになっていて、これは1m以上は余裕で積もっているな。

【祖母山山頂】
2sumitt

 昨日のトレース上には雪が積もっており、それなりのラッセルを続けながら、祖母山山頂に到着。
 山頂は吹きさらしなので、雪は吹き飛ばされているらしく、積雪は30cmほどであった。
 本日は曇りでガスがかかっており、展望はまったくよろしくない。

【縦走路への降り口】
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 祖母山山頂からは天狗岩方面への縦走路が伸びている。ここは険しい岩壁で、それが凍結しており、けっこうな難所と化している。
 本来の予定なら本日はここを降りて稜線上を行き黒金尾根から下山するつもりだったけど、午後からは吹雪が予想されるなか、そのようなハードルートを完遂できる自信はまったくない。
 とりあえず、ガスを通してかろうじてブロッケン岩が見えているので、偵察がてらそこまで行ってみることにした。

【頂上直下ハシゴ場への入り口】
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 カチンカチンに凍った岩を用心しながら降りて、ハシゴ場への入り口部に着く。
 岩壁部は頂上近傍には足跡らしき痕跡は残っていたが、ここまで来ると雪にはまったく人が歩いた跡はなく、ふかふかのパウダースノーである。

【ハシゴ場】
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 ハシゴ場を上から覗いてみると、沢全体に雪が満ちており、ハシゴは完全に雪の下に埋もれている。腰まで埋りながら無理やりに下れば、下れないことはないのだろうけど、もし雪が崩れれば、ここは数百メートル一挙に滑落するという危険地帯なので、それはやらないほうがいいでしょう。

【積雪期ルートの説明】
Root

 この山頂直下のハシゴ場は冬期は危ないので、実は迂回ルートが作られている。
 赤線ルートはダメであり、青線(私のラッセル跡がある)のように沢を下りずに、まっすぐ進みそこから南側に下りていき、ブロッケン岩の基部を巻いていって、それから縦走路に合流する。それが積雪期のルートである。
 このルート、祖母山に詳しい人でも知らなかったので、一応webに載せておく。

 さて、黒金尾根側の縦走路は、まったく人が入った形跡がなく、そして雪の量は半端なものではないので、これを進むと、時速100mとかの微速前進の世界になりそうだ。今日は時間は余裕があるが、ただし天気予報からすると、午後から稜線上で吹雪かれることは確実である。吹雪のなか、極度の寒さと戦いながら、のろのろと進んでいく、-そういう八甲田山みたいなことはやりたくはなかったので、元来た宮原ルートから下山することにした。

【凍れる祖母山】
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 ブロッケン岩から見た、凍れる祖母山の姿。
 人を寄せ付けない、厳しくも、気高い、そんな姿である。

【縦走路】
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 山頂をまた登り返してから、宮原側の稜線に入ると、昨夜張られていたテントは撤収されていた。そこからアイゼンの爪跡も生々しい新しい足跡が続いている。先行者がいると、なんとなく安心感がでてくる。

 尾根の樹林帯に入り、1200m地点に下りたくらいのところで雪が降り出し、また風も強くなった。雲の動きも速く、これは稜線上は吹雪である。稜線を進まなくてよかったなと、ひと安心。
 登山口も近づいてきたころ、前方に赤い大きなザックが歩いているのを見つけた。いやもちろん人がかついでいるわけだが、ザックがあまりに大きく、そしてかついでいるのが小柄な女性だったので、ザックそのものが歩いているように見える。

 渡渉部でその人に追いつき、いろいろと雑談をした。
 なんでも、祖母山がとても好きな人で、1ヶ月に一度は祖母山を訪れ、テントを張って一泊しているとのことである。
 いい趣味の人だなあと感心する。

【尾平】
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 尾平に到着して、祖母山を眺める。
 やはり稜線の高さは雲のなかである。
 あそこでは、どっさりと雪が降っているだろうから、2月は中旬くらいまで祖母山には雪が残っていそうであり、まだまだ雪山が楽しめそうだ。


 ところでトレースを作ってくれていた九州マウンテンガイドツアーのHPをみてみたら、今回の祖母山登山の記事が載っていた。

 ・ガイド事務所のHPはここ
 
 そのついでに山下さんの日記などを読んでいると、今年の1月に黒金尾根からの祖母山登頂を独りで挑んで撤退してるんですね。
 エベレストを2回も登頂したような人が撤退するようなルートを、私が走破できるはずはなかったわけで、…やめといてよかったですわ。

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 雪の祖母山(1)
 祖母山ミステリ

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January 29, 2011

雪の祖母山(1) 九合目小屋は寒かった

 4週続けての雪山登山である。
 さすがに飽きてきた気もしないでもないが、祖母傾大崩山系にこれほどの大雪が積もることは滅多になく、地球温暖化が進む現在、もう二度と経験できない可能性が高い。
 そういうわけで、今週も雪山に行くことにした。
 情報では祖母山の雪がすごいことになっているらしいので、祖母山に登ってみることにする。祖母山に登るとすると黒金尾根~宮原ルートが第一選択となるが、稜線上の雪はてんこ盛り状態であろうから、行動時間は無雪期の3倍はみておかないといけず、一泊は必要であろう。一泊仕様で用意を整えた。

 さて、今週土曜日は半日仕事なので、尾平の登山口に到着するのは午後2時半くらいになる。登りは宮原ルートを使うとして、その時刻の出発では、おそらく稜線上で日が暮れると思われる。稜線上は風が強くて寒いだろうから、日が暮れての行動は短時間にしたい。その場合、稜線にトレースがあれば、それほど時間をかけずに九合目小屋にたどりつけるであろうが、トレースがなく、一人ラッセルだと時間がかかる。
 それで本日はとりあえず標高1400mの宮原まで登り、そこからのトレースがあれば小屋に行き、トレースがなければ尾根を引き返して車中で一泊し、改めて翌日登山を行うという、われながら完璧なプランを立てた。

【尾平】
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 尾平登山口からみる祖母山稜線。
 なかなかの雪の積もり具合である。
 登山口駐車場には、九州マウンテンガイドツアーの車「山ちゃん号」がとまっていた。傍にテントが張っていたので、おそらく前泊しての早朝出発と思われる。となるとこの人たちは祖母山頂まで行っているだろうから、これはトレースがある可能性が強まった。

【祖母山】
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 宮原尾根上より見る祖母山。
 祖母山上部は巨大な岩塊になっていて、その巨大な岩がカチカチに凍っている。

 標高1100mを越えたところで登山道は雪道となり、ここでアイゼン装着。
 しばらく登ったところ、下山してくるツアー一行7名ほどと出会った。
 あいさつしたのち、リーダーと思われる人から「もう一人今登っている人がいますよ。可愛い女性のかたです」と言われる。
 私の他にも、日暮れ間際のこんな時間に雪の祖母山を登っている馬鹿、…もとい山バカがいるのかと、ちょっと驚いた。

【宮原】
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 宮原に到達すると、ここから縦走路に入る。
 稜線の縦走路には、しっかりとしたトレースがついていた。先ほどのマウンテンツアー御一行作成のトレースである。感謝。
 日はすでに祖母山の裏に隠れており、日暮れは近い。

【馬の背】
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 宮原ルートの難所、馬の背。痩せた岩稜帯である。
 このあたりでもう日は沈んでいて、残照の明かりでルートがなんとか見えた。
 この一番の危険帯を抜けたところで暗くなってしまい、ライト装着。ここからライトで雪道を照らしながらのカモシカ登山となる。ま、予定通りではある。

 九合目小屋近くのテン場にテントが一つ張ってあった。明かりはついていないので就寝中のようである。
 ツアーの人が言っていた先行者の人が張ったテントなのだろうかとも思ったが、…それだと、テント設営・食事をすごい時間でやったことになり、どうも計算が合わない。ま、深くは考えないことにした。

【祖母山九合目小屋】
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 暗闇のなかの雪道歩きというあまりやりたくないことをやったのち、ようやく九合目小屋に到着。音楽が鳴っていないので、小屋番の加藤さんは不在のようである。

【小屋内】
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 雪を払い落し、登山靴を脱いで、小屋のなかへと入る。
 やはり加藤さんは不在で、そして宿泊者は誰も居ず。本日は私一人の貸し切りのようである。

【温度計】
Temp

 小屋に入ると大変寒い。部屋のなかの温度計を見ると、-6℃である。
 室内でも氷点下というのがすごいなあ。
 ストーブをつけて暖を取りたいのだが、本日は管理人さん不在ということで、いつもは部屋のなかにある灯油ストーブがない。薪用のストーブは入り口のところにあるのだが、着火剤も団扇もないので、少々湿った薪に火をつけるのは私には無理である。
 これは寒い一夜になりそうだ。

【夕食】
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 それはともかくとして、なにはともあれ飯だ、飯。
 単純にして、カロリー豊富であり、身体があったまる、豚汁を作ろう。
 酒は月桂冠の5合パック。これにしたのは深い理由はなく、コンビニによく売っているからである。

 豚汁と、茹でた豆腐をツマミに酒を進めるが、これほどまでに寒いと酒にぜんぜん酔わない。摂取したアルコール成分がすべて体温のために使われていくような感じである。

 …それにしても寒い。
 部屋の温度は-6℃であり、冷凍庫のなかで暮らしているようなものだ。
 壁にかけておいたアウターや、帽子、手袋が知らぬまにパリパリに凍ってしまった。金属製のものなどもう素手で触れないくらい冷たくなっている。
 北国では室内が氷点下ということはザラかもしれないが、九州人にとってこの寒さは常識外れである。まさに生命の危険まで感じてしまう。
 この寒さは耐えがたく、室内にツェルトを張って少しでも暖かくしょうかと本気で思ったが、避難小屋じゃあるまいし、通常の山小屋のなかにツェルト張るのも変な話だと思いなおし、小屋備え付けの毛布をたくさん身体に巻いてさっさと寝ることにした。

 痛く感じるまでに冷たい空気に何度も起こされながら、なんとか朝を迎える。
 目を覚ましての最初の感想。「やっぱり、すごく寒い」

【朝の九合目小屋】
Morning

 昨日は夜なのでよく分からなかったが、朝みると、小屋周囲はすごい量の雪である。
 トレース横の雪にピッケルを立てて雪の深さを測るも、全部埋ってしまい、おそらくは積雪は1mを越えている模様。

 さて、この雪をかきわけながら祖母山山頂に登るとするか。

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 雪の祖母山(2)
 祖母山ミステリ

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January 27, 2011

読書:偽憶(著)平山瑞穂

 ある資産家が亡くなった。彼は子供の世話をすることが好きであった。そして15年前に彼が主催したサマーキャンプに参加した6人の子供たちのうちの一人のある行為に、とても感動を受け、その後の彼の人生の慰めになった。それでその子に感謝の念をささげ報いたいのだが、ただそれが誰かが分からない。彼は亡くなる前に、弁護士にその子が特定できれば、その子に遺産31憶円を送ってほしいと遺言をのこした。
 弁護士は今は27歳に成人したかつての子供たちを集め、彼らが経験したサマーキャンプの手記を書かせ、その「資産家が感動した行為」を明記したものに31憶円を贈ると言った。
 彼らはそれらしい行為を思いだそうとはするが、15年前のことなので、記憶などほとんど残っていない。それでも微かな記憶を集め、たぐりよせていくと、そのときのサマーキャンプの思い出がおぼろげながらよみがえってきた…


 書評で、いかにもおもしろそうなあら筋がのっていたので、「偽憶」を読んでみた。

 「偽憶」という題名は秀逸であり、人の記憶はあてにはならぬものなので、数々の記憶をつきあわせていくうちに、記憶は迷走し、「偽憶」としかいいようのないおぞましいものに変容していく、というような話を勝手に予想していが、作中、案外まともにサマーキャンプの記憶は再構築されていく。

 そして、偽りの記憶、間違った記憶である「偽憶」は、この元子供たちにあるのでなく、「事件」を企てた大元のところに存在していたというドンデン返しがあって、解決編にいたるわけだが、

 …ひじょう~に後味が悪い。

 この後味感の悪さ、ウールリッチの「黒衣の花嫁」を思い出してしまった。
 ただ「黒衣の花嫁」は、それなりにミステリの古典的名作で、そこに到るまでに読ませるところはいろいろあるわけだが、「偽憶」はそこまでの芸はないので、結末部の後味の悪さばかりが印象に残ってしまった。

 ただしよく読めば、作者は冒頭のプロローグのシーンからその後味の悪さを宣言しているわけで、これはそういう小説なのでしょうなあ。

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 偽憶(著)平山瑞穂

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January 26, 2011

アイスクライミングとイヴォン・シュイナード

 垂直に聳え立つ氷壁を登るアイスクライミングは、とても歴史の新しいスポーツである。
 1960年代前半まで、そのようなスポーツはこの世に存在しなかった。
 なぜ存在しなかったかと言いきれるかと言えば、それまでそんな氷壁を登る道具がこの世になかったからである。

 1960年代のトップレベルのクライマーであったイヴォン・シュイナード氏は、氷壁の傾斜がきつくなり70度を超えると、いくら技術を磨いても、登攀は不可能になる、アイスクライミングの問題点に直面していた。
 彼は道具を改良することによって、それは可能になると信じた。彼は鍛冶を独学で学び、アイスクライミング道具を自作していった。その道具は革新的な改良が加えられており、遂には垂直の氷壁を登攀することが可能となった。

 イヴォン・シュイナード氏はその道具をひっさげ、次々と難攻不落と思われていた各地の氷壁の登攀に成功する。

 氏は各地の氷壁を訪れながらも、道具の改良を重ねていき、持ち運び式の炉で鉄を焼き、車のトランクでそれを鍛え、道具を作っていった。そしてイヴォン・シュイナード氏のクライミングの道具は性能がよく、マニアからは非常に評価の高いものとなっていった。
 ただし、世の中にはアイスクライミングとか先鋭的なクライミングのマニアは絶対数が少なく、買い手の数は知れたものであり、それは商売になるようなものではなく、氏は旅のなかで極貧の生活を続けていった。食べるものにもことかき、シマリスやアライグマを捕えて飢えをしのぐことも度々であった。そのころの最高のご馳走は、安い値段で買える期限切れのキャットフードであったそうだ。

 それから数十年がたち、イヴォン・シュイナード氏は今も現役のクライマーであるが、さすがにもうキャットフードを食べていることはないだろう。
 なぜなら氏の主催するクライミング道具作成の工房は、だんだんと規模を広げ、今ではパタゴニアという年商2億7500万ドルの大会社になっているからだ。

 パタゴニアはクライミング道具も売っているが、ファッションセンスあふれるウェアのほうで有名で、売り上げの大半はそれによっている。
 会社の元となった、イヴォン・シュイナード氏が考案し改良してきたアイスクライミングの用具は、今も昔もまったく儲けをだしていない。なぜなら、いまだにアイスクライミングはマイナーなスポーツであり、需要があまりに少ないからである。
 しかしイヴォン・シュイナード氏は、そのようなものこそ自分が売りたいものであり、これからも作り続け、売り続けていくそうだ。

 パタゴニアは、近頃はエコとか街中ファッションウエアのほうが有名なようであるが、じつはこういう熱い会社なのである。

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 (1) 記事中の内容は、おもに「エヴェレストより高い山」より。
 (2)イヴォン・シュイナード氏の若き冒険を描いた映画「180°SOUTH」が今日本で公開されているけど、さて九州ではどこで上映されるのであろうか。やっぱり福岡のKBCシネマか?


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January 23, 2011

アイスクライミング講習会@宇土内谷三段の滝

 寒波襲来により、今冬は宮崎でも雪山が楽しめている。ただ、こちらの山々は花崗岩でできた山、いわゆる岩山が多いのが問題となる。
 前回の大崩山くらいなら雪への対策だけでいいのだけど、前々回の大崩山のように岩が軒並みカチンカチンに凍っていると、度胸と体力だけでなんとかなるというレベルを超えてしまい、どこかしこもツルツルと滑りまくるルートを通るのは、危険度が高く、たいそう恐かった。
 やはり氷壁に対する基礎技術を持っていないと、県北の冬山は登山していて厳しいものがある。

 そういうわけで、氷壁の技術講習を受けてみようと思った。

 私がかれこれ10数年前に岩登りを始めたとき、岩登りってロープの結び方間違ったただけで命を失いかねないスポーツなので、さすがにこの基礎技術はプロに教えてもらった。そのプロFさんの主催する登山教室をwebで調べてみると、23日に大崩山の宇土内谷でアイスクライミング講習会を開くことになっている。近場でもあることから、これはラッキーと思い、おひさしぶりです云々のメールを送り、それに参加することにした。

【宇土内谷三段の滝】
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 宮崎って、一部は亜熱帯になるほどの南国なのに、このような巨大な氷瀑があることに感心してしまった。
 宮崎、なかなか奥が深い。

【アイスクライミング講習】
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 聳え立つ氷の壁に、アイスバイルとアイゼンを打ち込み、ぐんぐんと登っていく。
 寒いなか、こういうことをしてなにが面白いのだろうという意見もあるだろうけど、やってみると確実に面白い。

【Fさんクライミング】
Climing

 講師Fさんは、8000m超の山を無酸素で登る人であり、登り方はいうに及ばず、歩き方を後ろから見るだけでも、とてもためになる。

 講習は、氷壁に対しての垂直方向への登り方、トラバースの方法、下降の方法、滑落停止の方法等などであり、非常に勉強になった。こういうものは本で読むだけでは、なかなか分からないことがあるからして。
 ただ、氷壁を滑落した場合、たとえ20度の傾斜の氷壁でも私にはとても停止できないことは分かった。そんなピッケルワークは無理だ。…ともかく滑落しないことだな。

【宇土内谷沢】
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 アイスクライミングを終えたあとは、雪で埋まった沢をおりていく。
 この沢、雪の下に薄い氷を張った川が流れており、たくさんの落とし穴があるトラップロードみたいになっており、油断しているとそれにはまってしまい、歩いていて面白かった。

【比叡林道】
Road

 宇土内谷は雪も氷もたくさんあり、ウィンタースポーツが好きな人にはもってこいの遊び場だとは思うのだけど、アプローチが難である。
 路肩が崩れていたり、大きな段差があったりする雪道を進まねばたどりつかないので、ある意味、クライミングよりこのアプローチのほうが大変であったりすると思う。

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January 22, 2011

雪の大崩山 その3

 先週、先々週に引き続いての、雪の大崩山登山記である。
 まさか3部作になるとは思ってもいなかったが、とりあえず今回で一区切りである。

 相変わらず寒い日が続いているけど、先週訪れた寒波が1月のピークだったようで、徐々に気温は高くなってきている。それでも大崩山には雪は残っているであろうし、天気も良いことからまたも登ることにした。
 今回こそ周回コースを完走してみたいが、雪山登山の場合、雪の量によって登山のスピートはまったく異なり、そのスピードによって完走の可否が決まる。そして、ワク塚コースは先週登って時間の計算が立つので、坊主尾根から登って、そのペースによって、周回するかどうかを決めることにした。

【大崩山山荘前】
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 大崩山山荘前渡渉部からみる小積ダキと坊主尾根。
 う~む、雪の量が少ないなあ。

【登山道1】
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 祝子川を渡ってすぐのところ、沢の水は凍っていた。
 それなりに気温は低いようである。

【坊主尾根】
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 坊主尾根に取り付いてからは、登山道に雪がない。
 先週のワク塚の尾根は、取りついてからずっと雪道だったのに、ずいぶんな違いである。坊主尾根はワク塚に比べ、一本南側にあるので、そのぶん雪が残りにくいのだろうなあ、と思ったが、…そうではないことがあとで分かった。

 坊主岩周辺は危険個所が多く、雪が多かったり、岩が凍っていたりすると、かなりの難所になるのは予想され、本日の核心部かと予想していたが、まったくそういうことはなく、スムーズに登れた。

【象岩トラバース】
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 坊主尾根コースの名所、象岩トラバース。
 ここも岩壁が凍っていたら大変だったはずだが、向うの日陰に雪が積もっている程度で、とくに問題はなかった。

【登山道2】
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 稜線に出ると、さすがに登山道には雪が積もっている。
 数日前に入山したらしい人の足跡が残っていて、この後はその足跡をたどっていくことにした。

【登山道3】
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 りんどうの丘に近づくころは正規の登山道はいったん稜線から離れるはずだが、先行者の足跡は登山道を無視して強引に稜線上を進んでいる。
 雪が積もっているので、どこを通ってもいいといえばいいのだろうし、目標とすべき小ピークはちゃんと見えているので、最短距離でピークを目指しているらしい、その足跡のあとをつけていくことにした。
 …ただし、この足跡は、同時に左側にどうやら引き返してきたような足跡もあるのが気にはなった。

【登山道4】
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 危惧通りに、足跡はこの雪だまりで進むのを諦めてUターンしていた。
 腰ほどの高さのスズタケが埋っているくらいの雪の量である。
 まあ強引に行けば行けぬこともなく、引き返すのも面倒なので、そのまま雪まみれになりながら進んでいった。

【登山道5】
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 結局、雪のなかを泳ぐようにして登っていたのち、ショートカットコースみたいな形で登山道に合流。
 それから、りんどうの丘前の水場の沢をトラバースする。
 ここは昨年の同時期に来たときは、氷の沢となっており、とても普通に渡れるようなところではなかったが、本日は雪まみれで、かえって安全に渡ることができた。

【参考:同じところの昨年の写真】
Ice

 このときはここを渡れず、安全なところまでおりて、それから登り返した。

【りんどうの丘】
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 りんどうの丘に到着。
 ここからはワク塚群の大パノラマを一望することができる。
 りんどうの丘から先には足跡はなかったが、ここまで快調なスピードで登れたので、本日はこのまま進んで周回コースを取り、ワク塚から下山することにした。

【思案橋】
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 ワク塚の稜線に入り、上ワク塚はパスして、中ワク塚に向かう。
 雪の量はやはり少なめで、雪がどっさり乗っているだろうと予想していた思案橋も、そのようなことはなかった。

【中ワク塚への梯子】
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 中ワク塚の近くまで来ると、ここは雪が吹きだまっていて、梯子は下半分が雪に埋もれている。ピッケルを段にひっかけながら登り、ここで始めてピッケルが役に立った。

【中ワク塚へ】
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 中ワク塚への入り口は中途半端な雪の積もり方で、かえって登り方が難しい。
 先週は反対側からここまで来て、それ以上進むのを断念したのだが、あの時と比べてずいぶんと雪が減っている。

【参考:同じところを反対側からみた写真(先週)】
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 中ワク塚から下ワク塚にかけては高度感抜群で、眺めもよく、大崩山でいちばん楽しいところ。
 先週ここはものすごく寒かったが、今日は気温はたぶん氷点下ではあるものの、それほどたいした寒さは感じなかった。

【中ワク塚からみる上ワク塚】
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【中ワク塚からみる小積ダキ】
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 やはりこの稜線から眺める大崩山の景色は、絶景としかいいようがない。

【袖ダキからみる下ワク塚】
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 袖ダキに到達すればワク塚の稜線は終了。
 ここから眺めるワク塚群の姿は、大崩山のシンボルでもある。

【ワク塚尾根】
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 ワク塚の尾根に入ると、しばらくして雪が消えてしまった。
 坊主尾根を登ったときに、「坊主尾根って、雪のつかない尾根だなあ」と思ったのであるが、なんのことはない、本日は大崩山全体に雪が少なかったのである。

 まあ、雪少なめといえど、稜線にはそれなりに雪はあったし、天気もよくて、快適な雪の大崩山を楽しめた。
 先週は凍った岩と大量の雪に難儀し、大崩山との格闘というイメージでの登山であったが、今回は大崩山に遊ばせてもらったという感じである。

 温暖化が進む現代において、今冬の降雪は異常事態といっていいほどのものであり、これだけの雪が大崩山に積もることは、滅多にないことと言ってよい。その貴重な雪の大崩山が存在しているときに、週末が続けて晴天なのは幸運であった。

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January 21, 2011

カッサンドラの悲劇

Laokoon


 前エントリで紹介した画家カッサンドルはペンネームであり、ギリシャ神話に登場するトロイの王女カッサンドラからその名をとっている。

 王女カッサンドラは悲劇的人物であって、予知能力を持ちながら、誰もそれを信じず、自分の国と自分自身が滅びる未来を見ながらも、それを変えることができずにその予知とおりに滅びてしまった。

 カッサンドラがなぜ予知の力を持ったかと言えば、太陽神アポロンの仕業である。カッサンドラは可憐な美少女であり、彼女に惚れたアポロンは何度も言い寄るのだけど、純情なカッサンドラはそれを受け入れようとしなかった。
 業を煮やしたアポロンは自身が持つ予知能力を分けてあげるから、私のものになりなさいと迫り、予知能力をカッサンドラに与えた。アポロンのものになる決意をしたカッサンドラではあったが、その予知能力をもらった瞬間、将来アポロンに捨てられる自分の姿を予知して、ただちにアポロンから逃げ去ってしまう。
 プレイボーイのアポロンが純情な娘にそういう能力与えりゃ、そういう結果になるのは目に見えているのであり、アポロンはなんともまぬけな神様であるが、主神ゼウス以下ギリシャの神様は皆だいたいそういう感じである。

 自らのまぬけさが招いた当然の結果なのに、アポロンは己の愚かさを反省することはなく、カッサンドラにたいそう腹を立てた。そして、いったん与えた能力は奪うわけにはいかないので、その代わり「カッサンドラは予知能力はあるけれど、誰もその予知を信じない」という呪いをかけた。
 たかが小娘に与えた能力にそのような呪いかけるとは、神様にしては、ずいぶんと器量の小さい話に思えるが、主神ゼウス以下(…以下略)。

 こうしてカッサンドラはいろいろな未来を予知するのであるが、トロイの人はだれもその予知を信じることはなかった。

 彼女はそれでもトロイの運命を決めるような事態のたび、それをやってしまえばトロイは破滅すると、己の予知を主張するのであるが、人々はカッサンドラを嘲笑するだけで、その予知を信じようとはせず、やがて予言通りにトロイは滅びてしまった。

 さて、神話ではカッサンドラの予知予言が人から信じられなかったのは、アポロンの呪いのせいであるということになっている。説明の難しいもの、なんだかよく分からないこと、運命にせいにするしかないもの、とかを「神様のせい」にするのはギリシャ神話の特徴であり、これもそのたぐいなのだろうが、トロイ物語を現代的思考で読めば、カッサンドラの予言を人々が信じなかった理由は神のせいにせずとも、はっきりしている。

 カッサンドラの予言を人が信じなかったのは、カッサンドラが悲劇ばかり予言していたからである。
 人間というのは、自分が聞いて嫌なこと悲しいこと辛いことは、信じたがらない存在である。とくにトロイ物語のように、戦争がからむと、人々はこちらが勝って当然との景気のいい話ばかりを信じたがり、冷静な「これじゃ負けますよ」というふうな意見は、それこそ売国奴の意見とばかり、怒号とともに排斥するものだ。
 カッサンドラは、負けます、破滅しますというふうな予言ばかりしていたので、人から嫌われ、疎外され、その予言はなんの役にも立たなかった。

 社会とは度し難い人たちの集まりであり、たとえ正確無比な予知能力をもっていたところで、それを役に立てるには技術がいる。

 カッサンドラは何度も予言をしては、それを信じさせられずにいたので、少しは学ぶべきであった。
 彼女の予言の帰結は、トロイと、それに自分自身の破滅を示していた。それならばそれを防ぐ努力はしなければいけない。

 トロイの破滅は、馬鹿王子パリスとスパルタ王妃ヘレナとの不倫愛に始まる。カッサンドラはそれを予知し、パリスの王家復帰やギリシャ行きを、トロイが破滅するからと反対するのだが、誰もそれを信じない。
 ならばカッサンドラは、パリスがいかにいい加減で、自分のことしか考えない男ということを、きちんと情報を集め、そういう男にトロイの命運をかけるようなことを任せてはいけないと、説得力をもってみなに説明するべきであった。
 それが出来ない、あるいは失敗したなら、こっそり夜中にパリスの部屋に忍び込み、寝首を掻いて、トロイの悲劇の元凶を断つべきであった。

 カッサンドラは、完璧な予知能力をもっていたので、その時は仁義に反する、あるいは人道にもとる行為でも、彼女は確信をもってそれを行える資格をもっていたであろう。
 しかしカッサンドラは、自分の予言を誰も信じないことを嘆くのみで、トロイの破滅の道を止めることはできなかった。

 10代の小娘にそのようなことを望むのは酷ではあろうが、いちおう能力を持つものには、それなりに責務というものがあるのである。


 ここでいきなり話は現代に戻る。
 ちかごろ政治が動いているけれど、菅首相は財政再建について本気モードに入っているようだ。
 菅首相は自分が政権を担当することになって、あまりの日本の財政破綻ぶりに恐怖を感じ、消費税増税を画策している。
 「少子高齢化が進む日本では、現役世代のみに社会負担を任せていては、社会保障が成り立たなくなる。文明国家として社会保障は維持しないといけないので、その財源は消費税増税によって得るしかない。これを成功させないと、日本は破滅する」
 との日本破滅の予言を宣言して、この計画に野党が参加しないなら、それは歴史への反逆とまで言いきっている。

 間違いだらけの民主党の政策で、これは正しい。予言として、まったく間違っていない。
 ただしギリシャ神話の昔から、正しい予言が受け入れられるのは、きわめて困難と話は決まっている。とくにこのように増税という誰もが嫌がることが付随する予言なんて、誰も聞きたくないし、信じないであろう。

 じつは、トロイに限らず、国が滅びるときには、それを見通すことのできるカッサンドラは幾人も出現した。しかし予言のできるだけのカッサンドラには、悲劇を回避する力はなく、カッサンドラはその存在じたいが個人的悲劇といえた。

 平成の日本、菅首相が、ギリシャから続く、カッサンドラの系譜につながる人物になってしまうのか。それとも、ここで人々の予想を覆す胆力を菅首相が発揮して、日本を破滅から救うのか。

 その結論は、あと数年で知ることができる。

 ………………………………………
 (おまけ)
 冒頭の彫像は、トロイの神官ラオコーンの像。
 カッサンドラとこの人のみがトロイの木馬の城内搬入を反対し、それゆえ命を失った。
 周囲が過激な主張で盛り上がっているときに、冷静で正しいことを主張するのが極めて危険な行為であることは、今も昔も同じなのである。

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January 20, 2011

私の好きな絵(3): 北極星号 (作)カッサンドル

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 基本的には日本人は寒いのは苦手なのであり、それゆえ冬は雪に閉ざされる北の地は、わびしく、さびしい地として認識されがちだ。例えば、演歌にしろ、映画にしろ、北に向かう人は心になにかの傷をもち、それゆえ北の地を目指すことになる。

 ヨーロッパはそうでもないようである。
 冒頭に示すカッサンンドルの絵(厳密にはポスターだが)は、1920年代にパリからアムステルダムへ向かう寝台特急が始まったことから、宣伝のために作成されたものである。
 絵はシンプルなつくりであり、広大なる北の大地に、地平線に向けて線路が鋭い軌跡をもって、収束していっている。肝心の特急列車の姿は描かれていないが、この絵の視点は列車からのものであり、この線路のシャープな線が、列車の走る速度の速さをよく示している。
 そして、はるか彼方の地平線上で輝いている星は、絵のモチーフからして北極星なのであるが、天文学的には位置はまったく間違っている。それでも今にも大地から昇ってきたばかり、いや大地から産まれたてきたばかりのような、生命感、躍動感をもって、その星は我々を北へ北へと招いている。その存在感の大きさは、やはり北の夜空の主軸である北極星そのものである。

 絵全体から感じられる疾走感と、期待感。
 ながめる私たちも、はやく北の地へと行きたくなる、そういう誘いに満ちている絵だ。
 北の地は、寒いだろうけど、それ以上の愉しみを与えてくれる、おそらくは美と音と香りに満ちた、そんな魅惑の地、そのようにこの時代のヨーロッパの人は思っていたのでは。

 大地、線路、夜空、それに星を単純な線で描いた構造の絵ながら、旅の楽しさ、期待感、それに人々の憧れが伝わってくる、優れた絵である。

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January 19, 2011

酒は静かに飲むべかりけり

 宮崎に住んで数年の私からしても、今年の寒さは基準外の凄さと感じられるのだが、延岡から離れることなく延岡で70数年暮らしてきた人が、「こんな寒さは今まで経験したことがない」と言うのを聞いて、たしかに今冬の寒さは規格外であることを確信した。

 こうも寒くなると、夜は外に出る元気も出ず、家でちびちびと酒を飲むことが多くなるわけだが、ひとり飲んでいると、…延岡ついでに、延岡出身の有名歌人若山牧水が読んだ高名な歌、

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

 を思いだしたりする。

 酒仙の歌人と称されるわりには、(酒仙李白の詩などとは異なり)、牧水の酒を読んだ歌は、酒を飲む喜びとか酒宴の愉しさとかは感じられず、それよりも人生の辛さ、悲しさをじっと耐えて、それを酒でごまかすという雰囲気が濃厚に感じられ、読んでいて自分まで辛い気分になってしまう。

 この歌だって、語句にはないものの、明らかに一人で飲んでいる情景であり、そして「静かに飲むべかりけり」とあるのは、物狂わしい気持が心のなかにあふれ、暴れ出したくなるようなそんな狂暴な心を、無理に抑え、なんとか静かに飲もうと、「静かに飲め、静かに飲め!」と自分に言い聞かせている、孤独な精神の葛藤劇を読んだものであろう。
 歌の調べも、s音とk音を多用した鋭いもので、歌の厳しい内容とうまく調和しており、名歌といえると思える。

 …ただし、この歌、昔から疑問に思っていたのだが、季節を間違っていないだろうか?
 こういう自省、自戒の歌は、逃げ場のないような、寒い冬の日にこそ詠んでふさわしい。
 これが「秋の夜」だと、なにかぬるい。
 秋の夜なら、寂しさ、辛さに耐えかね、外に飲みに行く逃げ道もあるし。だいたい飲んでいるのは冷酒だろうから、冬のほうがより「白玉の歯にしみとほる」だろうし。

 というわけで、私は勝手にこの歌を、「冬の夜の酒は静かに…」と頭で変換して、そしてそれを頭で響かせながら、冬の酒を飲んでいる。

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January 16, 2011

雪の大崩山 その2(またも撤退編)

 1月16日日曜日はこの冬一番の大寒波が九州に襲来し、各地で大雪を降らせるとの予報である。しかし九州では宮崎のみが雪雲から離れ、終日晴天とのこと。15日には宮崎でも雪が降っていたので、これは大崩山はベストコンディションになっているはずだ。
 先週は装備の不備で途中で引き返した大崩山であるが、今回はフル装備を準備し、パノラマ縦走コース(ワク塚→坊主尾根)を予定して登山に行くことにする。

【大崩山遠景】
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 祝子川ダムから望む大崩山。
 先週よりも雪の量があきらかに多くなっている。

【登山口】
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 晴天の日曜日、雪のあることが確実な大崩山であるため、今日は登山者が多いだろうなあと予測していたが、車は一台も止まっていなかった。
 どうやら今日の入山者は私一人のようである。
 雪の大崩山って、あんまり人気ないのかなあ。

【渡渉部】
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 祝子川渡渉部。
 岩々の表面は凍りついていて、金属製の橋にたどりつくまでかなり恐かった。

【袖ダキ展望台への崖道】
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 袖ダキ展望台への崖は前回同様、今回も凍っていた。前来たときは6本爪アイゼンだったので登るのにずいぶん苦労したけど、今回は10本爪アイゼンだったので、前歯がばっちりと氷を噛み、楽々と登れた。

【袖ダキから見る下ワク塚】
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 巨大な岩の塔に、白い雪。峻厳たる迫力を感じる、大崩山の姿。

【登山道1】
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 袖ダキからはいったん岩を離れ、緩斜面を歩いていくことになるが、ここは雪がたくさん積もっていた。
 登山者が他にいないため、トレースはなく、誰も踏んだあとのない雪原を、一人で足跡をつけながらの山行である。
 雪まみれで本来の登山道は隠れてしまい、トレースもないことから、ルートファインディングにけっこう苦労をした。

【梯子】
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 岩を乗り越える難所には、梯子やロープがかけられているのだけど、最初の梯子は雪に埋もれていた。雪から掘り出すと、梯子の段は岩と一体に凍っており、これを足場・手掛かりにするには氷を削らねばならず、けっこう大変であった。
 そしてこの後も、梯子やロープを雪と氷から掘り起こすことを何度もすることになった。

 じつは装備準備のときに、ピッケルを持っていくかどうかをずいぶんと考えた。そして大崩山の形態からは、滑落した場合は、ピッケルで制御できるとも思えず、ピッケルが役に立つ場面を想定できなかったので、より雪道を歩きやすいストックを選択した。しかしこのように支点を自分で削り出さないといけないような状況では、ストックで氷削るのも苦労がいり、…ピッケル持ってくりゃよかった~と後悔することになってしまった。

 教訓:雪の大崩山にはピッケルを持っていきましょう。

【登山道2】
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 下ワク塚に近づくにつれ、傾斜が急になってくる。そうなると雪が厚く吹きだまっていて、膝までのラッセルで進むことになる。
 この写真中央の雪道が登山道であるが、パウダースノウがてんこ盛りである。

【膝までラッセル】
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 下をみれば、こんな感じで膝まで雪に埋もれる。
 埋もれちゃ、抜いて、それから埋もれてとラッセルして進んでいく。楽しいといえば楽しいが、疲れることは疲れる。気温は氷点下なのに身体中汗まみれである。

【下ワク塚への梯子】
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 稜線に近づくと、さすがに雪は吹き飛ばされるので、梯子も姿を見せている。

【下ワク塚】
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 そうして下ワク塚にたどりつけば絶景が待っている。東方面にはワク塚の袖ダキへの岩稜と、祝子川を越えて木内岳山がみえる。

【小積ダキ】
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 向かいは小積ダキ。岩は凍り、氷の壁もできている。

【中ワク塚方面】
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 中ワク塚へは岩稜の上を進んでいく。
 ここが凍っていることを予測していて、ハードルートになることを覚悟していたが、幸い岩は凍ってなく、雪がかるめに積もっているだけであった。

 ところで稜線に出ると、吹きっさらしになるだけあって、さすがにものすごく寒かった。だいたい、ここに来るまでの時点で、ザックのサイドポケットにいれていた水筒の水は、シャーベット状になっていたくらいの寒さだったのであり、稜線に出てさらに寒くなったので、あまりの寒さに顔が痛くなり、フェイスガードを装着した。

 宮崎は今年一番の冷え込みであり、平地でも気温は氷点下であった。そしてその寒い日に1000mを越える山の稜線上で行動していたのは、宮崎県では私くらいなものであったろうから、本日宮崎で一番寒い目にあっていたのは私であるのは、まず間違いない。

【中ワク塚】
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 中ワク塚は正面の岩塔を直登していく。ここもまた雪がたっぷりであった。

【上ワク塚】
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 中ワク塚に着いて、上ワク塚を望む。
 見ての通り、中ワク塚から上ワク塚までは距離にしてはたいしたことはなく、またじっさいそれほどの時間をかけずにたどり着くことはできる。…普通の状態ならば。
 しかし本日の大崩山は雪山である。そして、雪の積もった状態では、ここまで来るのは予想以上に時間がかかってしまった。ルートファインディングとラッセルに時間をとられたわけだが、さて上ワク塚まで行くべきどうか。

【上ワク塚への道】
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 上ワク塚へは中ワク塚からいったん高度を下げて、それから岩を巻いてから登りなおすような道になる。
 そしてその道の入り口を写真に示すわけだが、当然のことながらトレースはなく、今までの経過からも雪道は膝までラッセルになることは予想できる。
 そうなると上ワク塚までは1時間半から2時間みとかないといけない。そしてそれから坊主尾根に行くとなると、たぶん途中の登山道も雪に埋もれていて、ずっとラッセルしないといけないだろう。
 これは、とても日が暮れるまでに、登山口にたどりつける自信はない。

 それゆえ、本日はここで終了して引き返すことにした。
 まあ、私のなかでは、大崩山=中ワク塚であることもあり、ここまで来たことで十分に納得できる登山であった。

【引き返し】
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 帰り道の稜線。
 帰りは自分の足跡があるので、行きと違ってぜんぜん楽である。

【下ワク塚分岐】
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 ここは下ワク塚への登りの分岐点。やはり梯子は雪に埋もれている。
 自分の足跡を先導としてどんどん進んでいくのであるが、…足跡のある雪道ってちょっと興ざめなところがある。

 
 7時間ほどの行動時間で、無事に下山。
 目標としていた周回コースはとても無理であったが、それでも、厳しくとも美しい大崩山を存分に体験できて、私としては十分に満足できた。
 まったく青空を背景に、雪をまとって、白く輝く大崩山の岩峰群の姿は、条件のよいときにしか見られない、そして寒さのなかを頑張った人にしか見られない、記憶の宝としていいような、そんな素晴らしいものであった。

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January 15, 2011

吹雪の五ヶ瀬スキー場

 今年の1月は寒波が連続的に到来しており、五ヶ瀬スキー場にも1月にしては珍しく、雪がたっぷりと積もり、全コースオープンとなっており、雪質も極上とのことである。
 その五ヶ瀬を楽しむため、熊本のスキーチームが集団で来るとのmailがあった。しかし前日の宮崎の天気予報をみると、曇り時々雪で、五ヶ瀬の地理条件を考えるとあんまりスキーを楽しめるような天気ではないので、不参加にしておいた。
 だが当日になって、天気予報をみると曇りのち晴れである。そして延岡でもたしかに午前10時を過ぎて晴れて来たので、これはスキー日和だ、と五ヶ瀬スキー場に行くことにした。

【大橋】
1bridge

 好天を期待してのスキー行くであったが、高千穂を抜けるころから、どうも話がおかしなことになってきた。
 雪が降り出し、国道265線に入ると路面にも雪が積もっている。国道から五ヶ瀬スキー場への山道に入ると、積雪はともかくとして、雪の降りがさらに激しくなってきた。

 そしてスキー場駐車場に着いて、車の扉を開けると、雪が真横から強風とともに入って来た。
 …これは吹雪である。

 吹雪ではあれど、せっかく来たからには1本くらいは滑ってみたい。とりあえずリフト乗り場まで行ったら、ちょうどそこで熊本のスキーチームの人と会った。
 「吹雪でどうにもならないから、もう帰ります」とのことであった。

【スキー場】
2lift

 スキー場に着けば、やはり吹雪であった。
 五ヶ瀬スキー場はもろに脊梁山地の風の通り道に当たるので、こういうときは間違いなく吹雪の世界となる。
 吹雪のなかのスキーなんてたまったものじゃないなあ、とリフトで隣に乗っていた人と愚痴を語りあうが、天気予報に関しては元々「曇りのち雪」であったとのこと。これは私の勘違いということでなく、山脈ひとつ隔てて宮崎は東側は晴れ、西側は雪だったわけだ。
 数本滑ってはみたものの、視界が利かず、ぜんせん面白くなかったので、それで終了してさっさと帰った。帰れば延岡は予報通り晴れである。…なんかおもしろくなかった。

 大事な教訓:天気予報はちゃんと現地のものを調べましょう。

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January 14, 2011

土産@玉子焼き

【玉子焼き】
1

【折詰】
2

 光洋で玉子焼きを土産にもらった。
 海老や白身魚のすり身の入った、「寿司屋の厚焼き玉子」である。
 けっこう珍しいものでもあり、一人で食うには多すぎるので、帰り道に職場に寄って、夜勤の者たちに土産として渡す。

【夜食】
3

 こういうものは始めて食べたという者も多く、その旨さと甘さに感心することしきりで、大好評の土産であった。

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January 13, 2011

光洋@1月

 寒いので今日はぬる燗で肴と鮨をつまむことにする。

【石垣鯛】
Ishigakidai

 珍しいものが入ったとのことで、石垣鯛の造り。
 石垣鯛は手当ての難しい魚で、だいたいは独特の磯臭さをまとっているのであるが、この石垣鯛はそういうことはなく、澄んだ「石垣鯛」の味がする。
 脂もたくさんのっており、筋肉質系のはずの石垣鯛にしては、柔らかで豊かな味であった。

【カンパチカマ焼き】
Kanpachi

 35kgの巨大カンパチがあがったとのことで、カンパチのカマを一部使ってのカマ焼き。
 天然カンパチのカマ焼きって、たしかに美味しいのだけど、どうも身の味わいが淡泊すぎて、なにかが違うっていう気がするんだよあな。
 とはいえヒレ周囲のゼラチン質部はぷりぷりもちもちしていて、ここは旨みがたっぷりである。

【カンパチ鮨】
Kanpachi_susi

 それでもカンパチの鮨は、ばっちりと鮨として決まっており、ちょうどよい具合の白身の味と、それから食感である。

【鰯】
Sardine

 本日はヒカリものの調子がとくに良く、とくにこの鰯は姿も、味も見事なものであった。

【赤貝】
Ark

 赤貝は鮨にするとほんとに絵になるネタである。
 もちろん食べても、鮨にこれほどあう貝もないなあと思う。

【厚焼き玉子】
Egg

 店主が一時凝っていた伊達巻玉子は、早々にして終了となり、厚焼き玉子が復活していた。ということは「目指せ伊達男計画」も、あっさりと中止となったわけか。ずいぶんとあきらめの早い人ではある。
 厚焼き玉子は、ふわふわにして、上品な甘さが広がる、光洋自慢の一品である。
 九州では寿司店でこれが出て来るところは珍しいので、光洋では是非食べるべきものといえる。


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January 08, 2011

雪の大崩山

 年末の大寒波襲来で九州には大雪が降り、宮崎県北の山にも雪が積もった。年が明けてからは、雪が降ることはなかったのだけど、気温は低いままなので大崩山山系にはまだ雪が残っていることが期待できる。大崩山に雪が積もることは珍しく、偵察がてら大崩山に登ってみることにした。

【大崩山】
Long_view_3

 祝子川ダムから眺める大崩山。
 稜線部には明らかに雪が残っており、ある程度の高さからは雪山を楽しめそうだ。

【登山口】
Gate

 祝子川登山口に着くと車一台と、原付が一台とまっていた。
 連休初日というのに、入山者の少ない山ではある。
 それにしても原付で来ている人がいたのには驚いた。原付だと、家から冬用登山の格好で、ザックかついて乗ってこないといけないわけだが、かなり大変である。(あとで分かったのだが、この原付の人は近くの民宿に泊まって、そこを拠点にして原付であちこちの登山口に行って大崩山山系を楽しんでいるとのこと。それなら話はよくわかる)

【小積ダキ】
Ozumidaki

 祝子川渡渉部から小積ダキとワク塚を望む。
 今日は絶好の快晴なのと、気温が低いので空気がよく澄んでおり、岩峰群がくっきりと鮮やかに見ることができる。

【登山道1】
Way1

 尾根に入ったところから登山道には雪が見られだした。
 雪の大崩山の始まりである。

【登山道2】
Dangerous_way

 登山道を進むうち、本日の大崩山はけっこう危険なことになっていることに気付いた。
 たとえばここの地点では、登山道のルートは赤矢印なのだが、普段はなんということもなかった登山道なのに、今日は下の一枚岩が凍りついている。足を置くとツルンツルンに滑り、非常にグリップが悪い。ここを滑ってしまうと、下は崖なので一挙に滑り落ちることになり命が危ない。そういう危険なところなのに、ホールドに乏しいので、どこかをがっちりつかんで強引に登るということもできない。結局は、微妙なバランスを取りながらで進まないと登れなかった。
 シュリンゲの一本でもあれば支点作れるのでだいぶ楽になるのだが、今日はただの偵察の予定であったため、シュリンゲもアシストロープも持ってきていない。

 そういう装備の不備を知り、急に心細くなってしまったが、それでもまだ進んでいく。

【登山道】
Way2

 尾根に取り付いてから傾斜が強くなるころ、雪も豊富になり、ここからはアイゼンを装着して登った。

【袖ダキ展望台へ】
Way3
 袖ダキ展望台への登り口であるが、固定ロープは凍りついていて、崖にへばりついていた。
 この崖、雪は覆っているものの、下は凍っていて、氷の壁となっている。アイゼンの歯を立てながらなんとか登ってみた。

【袖ダキ展望台から下ワク塚】
Sodedaki

 ようやくにして袖ダキ展望台にたどりついた。
 ここから見る下ワク塚の眺めはまさに絶景で、大崩山を紹介する写真では必ず載っている名所である。
 ここの写真は普通は左下斜めに走っている岩のエッジに立ってから撮るのであり、webで探せる写真もみなそういう構図になっているのだが、本日ばかりは岩に立つようなことは、おっそろしくてとても出来ず、岩の陰から見上げるようにして撮影した。

 袖ダキから先は岩また岩の岩伝いの稜線歩行になる。
 素晴らしい景観の連続する、大崩山登山のハイライトとも言えるところなのだが、今回の装備で凍った岩稜地帯を無事に進める自信はなく、本日はここにて中止。
 おとなしく下山することにした。

 めったに経験できぬ雪の大崩山の稜線までたどり着いたのに、そこで撤退することになり、ひじょうに不完全燃焼な気分ではあるが、単独行者は、慎重すぎるくらいがよいのである。

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January 03, 2011

正月の奈良ホテル

【奈良ホテル玄関】
Hotel

 奈良ホテルは創業100年を超えるという、古都奈良にふさわしい歴史ある老舗ホテルである。外観もじつにクラシカルなスタイルであり、ホテルなのに門松がよく似合っている。

【奈良ホテル本館廊下】
Passage

 創業当時の木造の建物がそのまま本館として残っており、いまも宿泊可能である。昔の建物だけあって、空間は贅沢に使われており、一階の天井もとても高い。

【本館部屋】
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 当然部屋の天井も高いわけであり、容積のずいぶんと大きな部屋だなあと思う。部屋そのものの非常にクラシカルなつくりである。

【レストラン三笠から】
Kofuku_temple
 夕食はホテルのレストラン三笠にて。
 奈良ホテルは興福寺の近くにあり、ライトアップされた五重塔を窓から望むことができて、これは趣のあるいい夜景である。

【夕食】
Fish

Beef

 コース料理のメインを二品。
 いわゆる、標準的で、安心して食べられる洋食というところ。たぶん観光客の多い地ではこういうのがいいのだろうな。

 レストラン内には給仕する人も多く、ワインの注ぎ方、料理の持って来るテンポがよく、サービスは洗練されており、さすが老舗ホテルという印象を受ける。

【朝:雑煮】
Zoni

 雑煮はどういうものだろうかと頼んだら、澄まし汁仕立てで、麩や水菜、茸、根菜の入ったものであった。
 事前の調べでは奈良の雑煮は「きなこ餅」が入ったものが出て来るとのことであったので、期待半分不安半分というところであったが、ちょっと拍子抜けした。

【551蓬莱のぶた饅】
551

 奈良をぶらぶらと観光したのち、近鉄線で大阪なんばに出て、551蓬莱本店にてぶた饅を食べる。
 大阪で「おいしいもの」というと、まずはこれが頭に浮かぶんだよなあ。
 正月らしい華やかな飾り付けをされていた店で、あったかいぶた饅を食いながら昼時から生ビールを飲んでいると、これはこれで平和で豊かな気分にひたれるのであった。

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January 02, 2011

奈良 正月あちこち 歴史あれこれ

【春日大社】
Kasuga

 奈良の初詣は、やはり春日大社から。
 平城京の昔からあるこの神社は初詣の人気も高く、人がいっぱいだ。
 春日大社はかつて栄華を誇った藤原氏の氏神を祀っており、私としてはなにを祈願したらよいのかよく分からない神社でもある。
 ところで奈良公園にうじゃうじゃといる鹿は、この神社の神の使いということになっており、奈良では鹿は神獣である。奈良時代から大事に保護されていたこの鹿たちは、人に不用心ということもあり、戦後の食糧難の時代には食用に狩られまくって、絶滅の危機に瀕したという哀しい歴史がある。

【興福寺】
Kohukuji

 興福寺の五重の塔。
 奈良でひときわ目立つ、ランドマークタワーである。
 興福寺は中世まで奈良一帯を支配下に置いていた最強の武力集団であった。鎌倉時代・室町時代と、世が武士の時代になっても、興福寺の方が強いので、この地には守護大名がいなかった。
 織田信長という怪物の出現によって、はじめて興福寺は武装解除されることになる。そして信長の命により、奈良大和は松永久秀に任されることになった。

【東大寺】
Todaiji

 東大寺大仏殿。なかにはもちろん奈良の大仏が安置されている。
 奈良の大仏は、源平合戦時代と戦国時代のとき、2度にわたって焼かれて焼亡している。その放火の首謀者2名はいずれも非業の死を遂げ、「大仏の祟り」と称された。けっこう恐い仏さまなのである。
 なお、戦国時代に大仏を焼いたのが松永久秀であるが、彼はあるとき信長から家康にこう紹介された。「この男は天下の大悪人である。常人になしえぬことを三度も行った。すなわち主君を殺し、将軍を殺し、大仏を焼きはらった」。戦国の世では、これは信長の褒め言葉と思うのだけど、久秀は罵倒と感じて信長を恨み、のちに反乱をおこしてしまい、あっさり平定され無念の爆死を遂げる。

 松永久秀の生涯はまさに数奇なもので、伝記を読んでいるととても面白い。そして信長との関係でみると、彼らはいかにも「似た者同士」であって、信長は明らかに久秀に共感を感じていると思うのだけど、久秀のほうにはそういう感情はついになかったようだ。

【薬師寺】
Yakusiji

 薬師寺のツインタワー、東塔と西塔を望む。
 薬師寺は薬師如来を本尊とする。薬師如来は病を癒す医薬の仏であり、薬師寺は天武天皇が皇后の病の平癒を祈って建立されたという歴史を持つ。皇后とはのちの持統天皇のことであり、その後健康であったことから、けっこう御利益のある寺といえる。

【薬師寺 東塔】
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 薬師寺のシンボルである東塔。
 三重の塔に庇を三つ重ねた独特のリズムある建築法から、「凍れる音楽」とも称されている。奈良時代から現存している、歴史ある文化遺産だ。
 1300年もの歴史をもつ建物だけあって、そうとうにガタが来ているようで、本年から本格的な解体改修工事が行われることになる。大変な手間のかかる工事であり、完成には10年くらいかかるとのこと。
 薬師寺東塔のファンの人は今のうちに見ておかないと、工事が始まってしまえばあと10年は見られません。

【雪の東塔】
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 「凍れる音楽」ということで参考までに、5年前に訪れたときの薬師寺東塔の写真。このときは年末に訪れたのだが、ちょうどこの日に雪が降っていた。雪をまとった寒々とした凍りかけの東塔は、音叉のようでもあり、弾けば「凍れる音楽」が鳴り響く、そんな姿に見える。

【唐招提寺金堂】
Tosyodaiji

 薬師寺の近くには唐招提寺がある。
 今から工事の薬師寺東塔と違って、こちらは修理後完成してまだ日も浅い唐招提寺の金堂。シンメトリックな堂々たる姿であり、独特の重圧感がある。
 唐招提寺はいうまでもなく唐僧鑑真の建立した寺院である。唐の高僧鑑真和上の日本渡航の苦難の物語は、世にかくも高潔で、また不撓不屈の精神の持ち主がいるかと感嘆させられる。井上靖作の「天平の甍」がそれを書いて有名。

【平城京跡】
Heijokyo

 平城京跡、朱雀門。
 この広大な更地に立派な門のみ建っているのも、シュールな景色ではある。
 それにしても平城京跡って、そんなに不便なところにあるわけでもないのに、なんにも利用されずに広大たる空き地として放置されているというところに、奈良という地の妙なすごさを感じてしまう。
 この規模の都市で、市の中心地近きところに「何にも使っていない広大な空き地」があるのって、たぶん日本では奈良だけであろう。

【せんとくん】
Sentokun_2

 昨年行われた平城遷都記念行事のマスコットキャラ「せんとくん」。名前は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。
 記念行事が終わったあとも、まだ現役のようである。


 有名どころをぶらぶらまわっての奈良めぐりであった。
 京都と違って、奈良は一つ一つの建物のスケールが大きく、また古くから遺されてきた歴史ある建物が多く、この地も独自の魅力に満ちあふれている。

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俵屋 御節@二日目

 1月2日の朝食も当然御節料理である。

【御節】
3oseti

 昨日とは御節の品が変っていて、穴子、甘鯛若狭焼き、伊達巻、数の子、昆布巻、生麩、たたき牛蒡、栗金団、イクラなどなど。鮮やかな色とりどりの料理で、眺めているだけで、初春の喜びを感じて来る。
 そして御節料理というものは最強の酒の肴なであり、じつに酒が進む…というのは前回も書いたな。

【雑煮】
4zoni

 雑煮は本日は澄まし汁を選択。
 白味噌仕立ても京風でおいしいのだが、澄まし汁の雑煮は、いい酒の肴になるという利点がある。
 雑煮で一杯というのも、またオツなものである。

【翠:庭1】
2toro

 「翠」の庭はこういう純和風のものであるが、石灯籠のもとには正月らしく、鏡餅が御供えされている。ただしこのミニ鏡餅は、庭に訪れる鳥がつつくため上の餅が落ちていた。これを私がきちんと載せなおして元の形にして、それから撮影した図。

【翠:庭2】
1garden

 このように、キジバトが俵屋の庭をテリトリーとしているらしく、暁翠庵の庭でもよく見かけた。今、石灯籠の上に乗っているところ。

【紅茶】
Tea

 御節と雑煮でお酒を飲んで、あとは美味しい紅茶で〆とする。


 俵屋で年を越し、元日を過ごして、京都の年末年始を満喫したのちは、次は古都奈良へと行くか。

 京都の街を歩くと、雪はすっかり溶けてしまっていた。
 雪の京都は一日だけの、つかのまの夢のごとき風景であった。

【京都駅前】
Station

 京都駅前も、このように初春を迎え、華やかな門松が飾られていた。
 近鉄京都駅からは奈良まで特急で30分と少し。京都と奈良はけっこう近い距離にあるのである。

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January 01, 2011

俵屋 元日

【翠1】
1

【翠2】
2

 元日の部屋は、「翠」にて。
 この部屋は伝統的日本家屋の造りの印象が強く、どちらかといえば柊家の本館に似たものを感じる。そのなかで強い個性を放っているのが、三和土に置かれた行燈。部屋のなかのどこかれでも目立つ意匠であり、磨きぬかれた硝子に明かりを灯した姿が重なり、庭を背景にした万華鏡のようにも見えて、とても面白い。

【書斎】
3

 翠には小さな書斎が用意されていて、姿よき庭を眺めながら、ぼんやりと読書や書き物などができる。心地よい空間である。

【祝膳】
1_ise_lobster

 正月の夕食として、まずは新年を祝っての祝膳。
 伊勢海老の黄金焼きである。添えてある唐墨や慈姑、人参の朱色と金色もあわせ、いかにも目出たい料理だ。

【向附】
2fugu

 造りはフグの薄造り。
 色鮮やかな皿の絵模様が、フグの薄造りより透けて見え、これもなかなか目出たい。

【御凌ぎ】
4himezusi

 御凌ぎとして手毬鮨。海老に煮蛤、それに椎茸の雛鮨。
 遊び心も感じられる、可愛らしい料理である。

【焼物】
3_managatuo

 抜群の素材の真魚鰹に、淡く西京味噌で味を調えて焼かれた、この料理は俵屋の凄さを物語るものだ。味加減、焼き加減、すべてが完璧。一口食えば、もうノックアウトの世界。

【強肴】
5mnoroko

 子持ち諸子を蓮根にのせたものを南蛮酢で和えて。
 これもまた正月らしい、目出たい料理。祝いの御節料理を夕食風にアレンジしたようなものでもある。

 美味い肴に、酒をビール、ワイン、清酒とちゃんぽんにして飲みまくり、平成23年度もしっかりと酒を飲むことから始まるのであった。

【アーネスト・スタディ】
Sato_room

 夕食のあとは、ひさしぶりに二階のラウンジに寄ってみた。アーネスト・サトウ氏の使っていた書斎なのであるが、屋根裏的雰囲気のある、ふしぎと落ち着ける空間である。
 机の上のパソコンがいつの間にかMacからWindowsに変っていた。部屋の感じからすると、Macのほうが似合うと思うのだが、userがこちらのほうが多いだろうから、そうなったのでしょうな。

【オークラホテルにて】
Okura

 そのあと、寒いなかホテルオークラまで行って、トップラウンジでカクテルを飲むことにした。
 京都の夜景を高きところから眺めながら、マティーニを飲む。なにか優雅な気分になる。
 この店のツマミは漬物が出てくるという独創的なものであったが、いつのまにか普通に乾きものになっていた。
 俵屋のパソコンの件といい、しらぬまに世は動いているのだなあ。

 それにしても、午後11時近いということもあったのだろうけど、この広いラウンジに客は他にいなかった。
 大晦日と違い、元日の夜はそんなに京都の人は出歩かないみたいであった。

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雪の京都(3) 元日

 御節料理を肴に酒を飲んでいい気分になったところで、さて出かけよう。
 東西線西大路御池駅から降りて、それから金閣寺まで歩いていく。

【金閣寺正面】
1kinkaku

 金閣寺、定番の正面像。
 昨日の新聞では雪降るなかの金閣寺の写真が載っていて、雪のなかにうっすらと金閣寺がうかぶ姿が写っていた。
 しかし金閣寺のような派手な寺は、やはり白い雪をかぶって、青空のもとに金色に光っている姿のほうがよく似合っていると思う。
 本日はその条件が珍しくそろい、狙っていたとおりの雪の金閣寺を見ることができた。

【金閣寺側面】
2kinkakuji

 金閣寺の鳳凰は南を向いているので、こちらから見たほうが、鳳凰とともに金閣も飛翔するような躍動感が感じられる。
 光を浴びた金閣寺はじつに生き生きとしている。

【鏡湖池】
3ice_pond

 鏡湖池はこのように一面凍っていた。
 名のごとく金閣を鏡のようにいつもは映していた池であるが、本日はみずから美しく、冬の装いをしている。

【北野天満宮】
4tenmangu

 金閣の次は南側に下っていき、北野天満宮へと初詣。
 受験の神様でもあるが、…あんまり祈るネタがない。
 普通に健康と安寧を祈願しておく。

【晴命神社】
5seimei_shrine

 西陣の晴命神社は、陰陽師安部晴命公を祭った神社である。
 社紋の五芒星がトレードマークでいたるところに描かれている。
 ここは厄除けで有名な神社であるが、私は厄は過ぎてしまっているので、あんまり祈るネタもない。ここも普通に祈願をしておく。

【白峰神社】
6_siramine_shrine

 晴命神社からは今出川通りに出て、東に向けて歩いていく。
 途中に「白峰神社」という神社があったので寄ってみた。
 なんでも蹴鞠の神を祭った神社だそうで、それでサッカーの神様ということにもなっている。
 境内には確かに蹴鞠用の広場があった。

【大文字山】
Daimonji

 そうこうするうちに東の大文字山が見えて来た。金閣寺が西の大文字山のふもとにあり、銀閣寺が東の大文字山のふもとにあるので、西から東の大文字山へのウォーキングでもある。

【鴨川】
Kamogawa

 二つの川が鴨川に合流するところに、下鴨神社があるので、そこにも寄ってみる。

【下鴨神社】
7simogamo_shrine

 下鴨神社は境内に干支を祭った社があり、参拝者は自分の干支の社に参拝することになる。スペースが狭いところにその干支の社をつめこんでいるので、すごい混雑である。

【銀閣寺】
8ginkakuji

 下鴨神社からは近づいてくる大文字山を見ながら、銀閣寺に到着。
 銀閣は白と茶色で、金閣とまったく異なる枯淡の世界。水墨画の掛け軸にもなりそうな景色。
 向月台も雪に覆われ、雪の小山となっている。

【銀閣寺2】
9_ginakuji_view

 銀閣寺と、京都の街の雪景色。
 静かで、眠りについているような、そんな穏やかな景色。

 ここからは哲学の道を通って、平安神宮に寄って、それから宿に帰れば初詣のルートとして理想的であろうが、もう日が暮れかけているので、銀閣寺にて本日の散策は終了。タクシーで宿に戻った。

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 雪の京都(1) 大晦日
 雪の京都(2) 元旦

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御節料理@元旦 and 暁翠庵

1

 平成23年度の元旦。
 仲居さんが卓を整えたのち、席について御屠蘇を飲む。明けましておめでとうございますと新年を祝い、さあ御節料理を食おう。

【御節】
Osechi

 紅白の蒲鉾、玉子焼き、鰤、鴨肉、柚子練り、百合の根、昆布巻き、鮭、等々。色どり豊かで、じつに華やかな御節である。
 私の経験では、料理旅館では御節は意外と家庭料理的なシンプルなものが出ることが多く、俵屋のような料亭風御節は珍しい部類に入る。そしていずれの品も、手間暇かけた、和の技術の粋のようなものばかり。

【鯛尾頭つき】
Tai

 俵屋定番、鯛の尾頭つき。
 とても立派な鯛である。松の葉、竹箸の青さとの対比もまたよろしい。
 これを見ると、「俵屋の正月だなあ~」と思います。

【雑煮】
Zoni

 雑煮は白味噌仕立ての京風で。
 澄んだ、上品な甘さが特徴的である。

 御節料理というのは、最強の酒の肴なのでもあり、これらを肴に朝からビールに酒にと酒三昧。極楽気分である。


 さて、部屋のことも書いておこう。
 「暁翠庵」は完璧である。
 部屋全体はけっこう複雑なつくりとなっており、和と洋、旧と新、鋭さと柔らかさが、混在して同居している。そして、それらは全体として絶妙なバランスをとりながら、一体となって「暁翠庵」という魅力ある独自の世界をつくっている。
 この部屋に居て、私は「ああ、これが京都というものなのだなあ」とも思った。
 京都とはべつだん古いものをそのまま保存してきた街ではない。それどころか、率先して新しいものを取り入れ、古いものに手を加えながら、リフォームを続けて来た、常に新鮮な街なのである。そうでなければ、ここまでの観光都市にはなれない。
 その新鮮な街京都の一番よいところを、抽出したような旅館が俵屋に思えた。

 先にも書いたが、「暁翠庵」は複雑なつくりになっており、とても写真でその全体像など写せないので、3枚ほどのみ紹介。

【暁翠庵1】
Room1

 主部屋。窓の外には真っ直ぐな竹が植えられ、凛とした庭の景色が楽しめる。

【暁翠庵2】
Room2

 庭はL字型になっていて、こちらの方向では広くなる。
 先の一幅の絵のような庭とは異なり、枯山水的な奥行きのある庭。
 紅葉は散っていて、雪溶けのあとの水に沈んでいて、これはこれで風情がある。

【暁翠庵3】
Dogu

 リビングの飾り棚には、このような(たぶん)縄文時代の土偶のたぐいが置かれている。モダンな形式のリビングに敢えて、このような古いものを置くことにより、時間的な広がりを与えているようだ。

 俵屋の部屋はどれも素晴らしいと思うけど、「暁翠庵」はとくにオーナーの思い入れが深い、そういう部屋に感じられた。

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雪の京都(2) 元旦

 新年の朝を平穏に迎え、さて京都の町を散策してみるか。

【柊家】
1hiiragiya

 向かいの柊家の玄関には日章旗が掲げられている。
 老舗旅館と日の丸って、けっこう合ってるなあ。

【初日】
2sunrise

 三条大橋の上で日の出を眺める。
 何かいいことがありますようにと、初詣のノリで太陽に祈る。

【三条大橋から】
Snow_mountain

 三条大橋から眺める鴨川と、京都の街並み。
 北側には朝日を浴びて、山並みが白く輝いている。

【晴天】
Road

 三条大橋を渡って、すぐのところから。
 平成23年年1月1日は、素晴らしい晴天である。

【街並み】
Town

 京都の街のなかに入っていくが、まだ朝早いせいか人通りは少ない。
 平安神宮へ向かう道なので、もう少し人が多いかなとは思ったのだが。

【鴨川へ】
Stairway

 帰りの道は鴨川の川岸を歩いていくことにする。

【鴨川川岸】
River_side

 人の歩いたあとはあれど、誰も人は歩いていない、静かな雪の川辺であった。

【大福茶】
Hukutya

 雪の積もった道を歩き、けっこう身体が冷えたところで宿に戻る。
 宿では京都正月名物「大福茶」で、お迎え。塩味の利いたお茶で、身体がしゃきっと温まってきます。

 なお、庭の雪は夜のうちに殆どが溶けてしまっていて、石灯籠のうえに少しだけしか残っていなかったのは、残念であった。

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 雪の京都(1) 大晦日

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