雪のブルターニュ村
今日はやけに寒いと思っていたら、外は霙交じりの雨が降り、そして遠くの可愛岳から行縢山にかけては稜線に雲がかかっており、どうやら雪が降っていそうである。
年末年始にかけては、宮崎県北でも白く染まった山々を見られそうだ。
雪景色ということで、雪の風景を描いて、印象的なエピソードを持つ絵を紹介してみよう。
ポール・ゴーギャンは30歳後半に安定した職を投げうち、職業画家の道を目指した、特異な経歴の持ち主である。それは自分の画才に自信を持っていたからであろうし、また後年の評価からはその自信が結局正しかったことが判明するのだが、ゴーギャンの絵は当時は認められることはなく、まったく売れなかった。職を失い、生活に困窮したまま画業を続けるゴーギャンは家族にも理解はされず、ゴーギャンは自分を理解しようとしない家族、ヨーロッパを捨て、「楽園」タヒチへと渡った。
ゴーギャンはタヒチで強い日の光に照らされた濃い天然色に満ちた自然の世界に大きな影響を受け、原色を多用した豊かな色彩のあふれる、ゴーギャン独自の絵画をつくりあげた。
ゴーギャンはその作品をひっさげてヨーロッパに戻ったのだが、その斬新的な絵はやはり理解されることはなく、またそのときに家族との復縁も望んだのだけれど、家族がもはやゴーギャンを許すこともなく、ヨーロッパに自分の居るところがないことを知ったゴーギャンはタヒチへと寂しく戻った。
ゴーギャンは二度とヨーロッパに戻ることはなく、失意と貧困の生活のはてにタヒチのマルキーズ諸島で亡くなった。
ゴーギャンの亡くなった家には、絵が一枚掛けられていて、ゴーギャンはその絵にずっと手を加え続けていた。
その絵はゴーギャンの死後競売にかけられたのだが、その絵を現地の競売人は何を描いているか理解できず、「ナイアガラの滝の図」と紹介して売った。
冒頭の絵が、その絵「雪のブルターニュ村」である。
タヒチには雪は降らないから、屋根や庭に降り積もっている雪がなんなのか理解できず、水の多量の流れくらいに思って「ナイアガラの滝」と称したわけだ。
常夏の国タヒチで、そして色鮮やかな原色の樹々や花が満ちている環境のなか、ゴーギャンが家に飾り、そしてずっと手を加えていた絵は、ゴーギャンが完成した色彩あふれるスタイルの絵ではなかった。それは自分を理解しなかったヨーロッパの農村を描いたものであり、そして白を基調とした、淡々とした色彩の、雪の風景であった。それは、タヒチ滞在のあいだ、ずっとゴーギャンの心のなかにあった風景だったのであろう。
ゴーギャンの伝記や、また彼をモデルにしたモームの「月と六ペンス」を読んだりすると、ゴーギャンは我が道を行く、傲岸不遜にして傍若無人な人物に思えるが、しかし彼の絶筆であるこの絵をみると、南国のタヒチで晩年を暮らしていたゴーギャンの、遠い故郷への断ちがたくも、辛く、そして哀切たる思いが伝わってくる。
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